3月。
農業の円環の時間とは別に、
どことなく別れの寂しさがただよう季節。
寒く暗い冬が終わり、
春めいてくるこの時期は、
自然と共に生きる僕らは、
体中の細胞が活き活きとしてくる、
そんな季節のはずなのに、
幼いころから刷り込まれた年間行事が
癖になっているためか、
それとも年度末による人の移動を
社会的に感じるためか、
3月はどことなく寂しい季節でもある。

普段でもそんなどことなく寂しい3月なのに、
今年は、本当の別れがやってきてしまった。
農園のスタッフ・イブライが
3月31日をもって退職した。

イブライが農園にやってきたのは、
2008年9月だった。
大きくて、そして美しい黒。
それが僕の印象だった。
同じ人間なのに、
まるで違う身体能力だった。
僕らのご先祖は、母なる大地アフリカから出発して、
極東の小さな島国までやって来る間に、
なぜこんなにも退化した体つきになったのだろう?
普段なら思考の端にも上らないことを、
真剣に考えてしまうほどの
インパクトが彼だった。

彼はセネガルからやってきた。
彼の奥さん(日本人)と僕は知り合いで、
そのご縁で、彼は僕の農園にやってきた。
以前のエントリーでも書いたと思うが、
彼は初等教育をきちんと受けていない。
初めは、そのことがとても不安だったが、
それは杞憂だった。
彼はセネガルで長距離バス1台を経営していた。
バス会社に働いていたのだが、
お金を貯め、そして少し借金をして、
彼は独立した。
数人の若者も雇っていたという。
その感覚が、当時の僕にはとても貴重で、
彼と一緒なら仕事をしていけると思い、
彼を農園に受け入れた。

今もそうだが、当時の僕は、
農業が家族だけで営まれることに
違和感があった。
家族の中で当たり前にできあがるヒエラルキーが
生業にもそのまま直結することに、
不合理さを感じることが多かった。
今はもうちょっと違った考えも
僕は持っているが、
その当時の僕は、その固定化された関係が
永遠に続くようにも思え、
創造的な仕事である農業をしているのに、
気分がまったく創造的ではなかった。
だから、僕は前近代的な「イエ」を
農業という分野から切り離し、
チームによる農業を目指していた。

ちょっと余談が長くなったが、
そんな時に、バス経営の経験を持つイブライが
農園にやってきたのだった。
そして、ちょうどその2008年の4月から
インドネシアから研修第一期生である
ヘンドラが農園で研修をしていた。
すべてタイミングが良かった。

当初は黒人であるイブライが、
農園のある集落で浮いてしまうのではないか、
そんな不安もあった。
彼が来た当初は、村の人から
上手く形にならない不安の声を聞いたこともあった。
だが、それも杞憂だった。
彼は良く挨拶もしたし、
村の祭りや江堀活動にも参加して、
いつしか村の中で
アイドル的な立場を手に入れていた。

彼は目がとても良いので、
随分離れていても、大きな体をゆすって
村の人に挨拶をしていた。
そんな人懐っこさも、みんなから好かれた。
力も強かった。
村の飲み会での腕相撲は無敵だった。
そして彼はお調子者でもあった。
村の飲み会で、日本酒の飲み比べに挑み、
腰が砕けるまで一緒に飲んだりもした。

インドネシアの研修生とも
仲良くやっていた。
第一期生のヘンドラは、一人だったこともあり、
同じ外国人であるイブライとよく一緒に行動していた。
休日も一緒に出掛けていた。
彼の奥さんが出産したその時も、
ヘンドラと一緒に郊外の大型家電量販店に
遊びに行っていたほどだった。

そんな彼だったが、
パスポートと本国の家族の事情があって、
中短期で帰国することになり、
退職することになった。
別れはいつも突然だ。

彼の送別会の時に、
スタッフの佐藤が、
「農業の中で、イブライが一番好きな仕事は何?」と
質問した。
イブライは、にこやかに笑って
「バスの運転手」と答えた。

ただの聞き違いかもしれないが、
それが彼を取り巻く日常を
良く指し示しているようにも
僕には思えた。

彼は、4年以上日本で暮らし、
福井という田舎のため、
彼の母国語を話す人が彼の奥さん以外に
ほとんどいない状況だった。
ほぼ100%日本語の生活だった。
だのに、彼の日本語はお世辞にも
上手ではない。
後から来たインドネシア研修生の方が
ずっと上手だった。
初等教育を受けていないからかもしれないが、
言葉を習得する道筋が
まるで僕ら(インドネシア人も含む)とは
違っているようだった。
日本語を教えてくれる先生からも
さじを投げられたこともあった。

ちょっとしたコミュニケーションの
不具合が、お互いの意思疎通を阻み、
そしてお互いに不満が残ることもある。
彼の経験(バス経営)は、
言葉の壁と僕の根気の無さと
力を入れるベクトルの違いによって
僕らの経営に活かされるきっかけを
完全に失っていた。

昨年あたりから、
僕をとりまく風景が
変化してきていることを感じている。
たぶん僕は、
農園の経営とインドネシア研修事業に
より一層集中しなければいけない
時期に来ているのだろう。
そんな僕の態度や
状況の変化も、
もしかしたら
彼の退職につながったのかもしれない。
そんな取り留めもない考えが
イブライが農園を去ってから、よく湧いてくる。
そして僕はいろんなことに気が付いた。
たぶん僕はあまりにも勝手に、
イブライに求めすぎていたのかもしれない、と。
そしてその求めたモノは
彼にきちんと伝わらなかった。
彼は、たいていは好き嫌いを別に考え、
大人として農業に取り組み、
目の前の仕事をこなしていた。
ただときどき見せる彼の満ち足りない態度が、
僕には残念だった。
それは彼が、と言う意味ではなく、
僕がそれを活かすベクトルを持ち合わせない
ことへの失望でもあった。
もちろん、この社会は
好きなことを仕事にできるわけじゃない。
でも仕事にやりがいは見つけられる。
僕のやっている営農スタイルと
インドネシア研修事業は、
十分それを与える機会があると思っていたが、
あまりにも文脈が違うイブライは、
そこでのやりがいはどう感じていたのかは不明だった。

何はともあれ、4年以上勤めあげて
イブライは退職した。
彼の退職は、
僕にたくさんの宿題を与えてくれた。
少しずつだが、その答えを探していきたいと思う。

ありがとう、イブライ。


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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

メールは
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