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ヘンドラは精悍な顔つきだった。
もともとやせ気味の彼だったが、
研修中とは顔つきが全く違っていた。
話し方も思慮深くなり、
一言一言選んで話す彼の言葉には、
彼の苦労と努力がにじみ出ていた。

僕ら一行がタンジュンサリ農業高校に到着すると、
彼はそこで待っていてくれた。
2011年の4月に彼が日本を発ってから、
初めての再開となる。
研修一期生で、僕としても試行錯誤をしながら
一緒に研修を創り上げたという意味でも、
思い出深い彼。
彼の笑顔をみるだけで、
もうただそれだけで泣けて来そうだった。

しばらく学校で先生方を含めて談笑したのち、
僕ら一行はヘンドラの村に入った。
当初は軽い気持ちでの農村見学のつもりだったが、
学校の校長や副校長、教務主任などの
お偉方6名も引き連れての大げさな一団になっていた。

ヘンドラの村は、山間にある。
それは彼が日本に来る前に届けられていた
彼の村のポテンシャル調査でも解っていた。
その調査を担当してくれた僕の友人であるA女史は、
「車では、入れないわよ」と
僕らの出発前に電話で教えてくれた。
山間を抜ける大きな州道から、
バイク1台がやっと通れる道ある。
その道を15分入れば、そこにヘンドラの村がある。
ただその15分の道が厄介だという。
A女史は、
「そうね、遊園地の絶叫アトラクションなみね。ただ違うのは、安全がまったく保障されていないだけかしら」
などと、怖いことを言う。
だから、今回の旅は、
その道を歩いて村に入る予定でいた。
歩けば40分以上はかかるらしい。
それも平坦じゃない。
アップダウンの激しいトレッキングルートなのだ。

しかし、学校での打ち合わせでは、
ヘンドラは
「車では入れます。今日なら大丈夫でしょう」
と言う。
その道は、僕も以前彼から聞いていた。
裏の山をぐるっと回るルートで、
とても時間のかかる道らしい。
その道もアップダウンが激しく、
普通の車では登れない坂も多いとか。
さらに、雨季には、
アスファルト舗装がされていないため道が滑り、
通れないらしい。
僕らが訪れた時は、まさに雨季だった。
だから当初は、トレッキングルートを
歩いて村に入る予定だった。
だが、今朝方ヘンドラが村から学校に来る時に、
その道を確認してきたらしい。
今日なら入れる。
と彼は言う。
こうして、僕ら一団は彼の村の裏手の山を
迂回するルートを選んだ。

僕は青年海外協力隊で、
かなり田舎に住んでいた。
車も入れないような道やアスファルト舗装されていない道
あらゆるオフロードも経験してきたつもりだった。
だが、ヘンドラの村に入るそのルートは
僕がこれまで経験したどの道よりも
ある意味、厳しい道だった。
まず、道幅。
対向車とすれ違うことはできないどころか、
車がぎりぎり通り抜けられる程度の幅。
僕の集落の中の道も狭いと思っていたけど、
あれの半分もないのだ。
そして坂。
四駆でも登坂が厳しい坂ばかり。
下りでは運転手はサイドブレーキとフットブレーキ両方を
使いながらゆっくり下りないといけないほどの勾配。
そんな道を延々1時間ほど走った先に、
ヘンドラの村があった。


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ヘンドラの村についたことはすぐに分かった。
なぜなら道沿いの棚田に、
銀マルチをした畝がいくつも現れたからだ。
こんなことをするのは、ヘンドラくらいだろう。
はたして、そうだった。
彼は、父親の家の隣の家を買い、
そこを少しだけ拡張と改築をして、
新妻と一緒に住んでいた。

彼は研修期間中から、
農地を確保し、すでにそれ相当の土地を耕作していた。
道沿いの棚田は7aほどだが、
そこではトウガラシ栽培をしている。
山の斜面の畑は50aほどはあるらしいが、
そこはバナナをやりたいと話してくれた。

彼は帰国して間もなく、村の農家グループの副グループ長になった。
そしてインドネシア大手のABCケチャップ社と
有機栽培トウガラシの契約を結ぼうと奔走した。
彼の村の21軒の農家をまとめあげ、
なんとか交渉まで行き着いたが、
ABC社の栽培契約で出荷量の折り合いがつかず、
話は流れてしまった。
「規模と面積、そして出荷量が僕ら農家に合わないんです」
とその時のことをヘンドラ話してくれた。
毎週9トン生産しないといけないという条件や
3ヘクタールの水が引ける農地を準備しなければいけないなど、
とても彼のような小さな村では合わない条件ばかりだった。

実は、彼は帰国後、
彼の母校であるタンジュンサリ農業高校に講師として誘われていた。
そして学校でもアグリビジネスを実践してほしいとも言われていた。
まずまずのポストだし、
そのまま試験が通れば、公務員への道も開ける。
高校の横に併設されている大学にも通えるだろうし、
キャリアアップも見込めるまたとないチャンスだったろう。
それを彼は断っていた。
「僕は地域を良くする農業ビジネスがしたいんです。僕だけが儲かるんじゃなくて、ここにいるみんなが発展していけるような農業を作りたいんです」
まっすぐに僕や先生たちを見て、彼がそう語った。
彼は今25才。
まだまだ若く、社会的にもその地位は高くは無いはずだが、
彼は村の農家グループ長になっていた。
そんな若さで集落の重職にはなかなか就けないはずだが、
それは、彼の高い意識と彼が見つめる未来に対しての、
村の人の期待のあらわれなのかもしれない。

彼が問題視したのは、
輸送手段と水の確保だった。
彼の村では、米は1作のみで、
その後、トウモロコシと落花生とキャッサバの昆作が行われている。
近年、家畜のエサ用としてトウモロコシ価格が優等生で、
村にもトウモロコシの買取人は良く来るのだとか。
でもヘンドラは何とか野菜の販売を考えていた。
価格が良いことと、毎日出荷できることが利点なのだとか。
遊園地の絶叫アトラクションなみの道を抜けて、
大きな州道まで出てしまえば、
市場までは30分圏内。
ヘンドラは日の出前に、その道を抜けて
野菜の出荷をしていた。
「暗いと坂の怖さが見えないので、逆に気楽に行けるんです」
と笑いながら答えていた。
どう?野菜は儲かってる?
と僕の質問に彼は少し間をおいて
「まぁまぁです。でもぜんぜん満足はしていません」
と答えてくれた。
まだまだ自分の規模も小さいし
周りの農家でやりたいという人も少ないと教えてくれた。

彼は牛も飼いはじめていた。
6か月前から子牛飼いはじめたのだとか。
舎飼いで肥育して肉用で販売する。
山の斜面でもバナナを植える計画をしている。
彼は、
「僕1人では、できない事が多いです。他の研修生、特にタタンが帰ってきたら、一緒に市場リサーチや販売などを協力してやりたい。」
そう話してくれた。
仲間が必要なのだ。
同じような情熱と高い意識で係ることが出来る仲間が。

彼の語る言葉の中に、
かつて僕が彼に熱く語った言葉の切れ端が
あちらこちらに見え隠れしていた。
彼の現状は決して成功とはいえない。
そして、これからもあがくだろう。
でも、彼はやっていけるだろう。
自分で考えていける力を
もう十分備えている。
あとは僕らはお互いに刺激し合える関係を維持して、
高いモチベーションで農村開発について議論を
これからも繰り返していこう。
彼の語りに触発され、
僕の中で、何か熱いものが湧いてくるのが分かった。
僕がまだ彼にしてあげられることは
そう多くないが、それでもまだ少しは彼を応援できるだろう。
今回の旅で、僕の中に秘めていたものを
やはりある程度動かして帰らなければいけない。

彼の問題を整理すれば、
それはまずインフラがあるだろう。
輸送手段と道だ。
そして栽培に必要な水。
これは、インドネシア中どこも一緒だろうな。
今一つ必要なのは、パートナー。
同じ意識で協働できる仲間。
これは、僕への宿題でもある。
そんな問題と希望を見せてくれた
ヘンドラの村訪問だった。

つづく
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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

メールは
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