5月23日の有志の勉強会の記録。
今回の発表は僕。
読んだ本はこれ。

ラウル・アダムシャ & パム・ロナルド 著  椎名 隆・石崎 陽子 監訳 『有機農業と遺伝子組換え食品』:明日の食卓.2011.丸善出版.

遺伝子組換え作物(GM作物)を有機農業で実践しようという、
何とも前衛的な本。
この本は、夫婦の共著で、
ラウルは20数年カリフォルニア大学で有機農業を
教えてきた講師。
そして、パムは遺伝子工学が専門で、カリフォルニア大学で
ラウルと同じように教鞭をとっている。

増大する世界の人口に対して、
生態学的にバランスのとれた食料提供が、
本書の目的としている。
GM(遺伝子組換え)技術が、
生態学的にバランスが取れているのかどうか?
という疑問を、
それなりにGMに対して知識を持っている人ならば思うだろう。
ある意味で生態学に対する冒涜とも言いかねないこのGM技術だが、
ラウルとパムの視線は、もっと現場に根差していた。

ラウルとパムの主張は明快だ。
実際に現場で多用される農薬に対するリスクを低減させること、
そして無理な耕起による表土流亡といった問題を低減させること、
それらが、
彼と彼女の言う「生態学的にバランスのとれた」食料提供なのだ。

確かに、農薬は人間に対して低毒化しているが、
昆虫や微生物・菌に対しては、依然として猛毒である。
農薬散布が天敵や他のただの虫(菌類・微生物類)たちまでも
傷つけてしまうケースは多い。
レイチェルカーソンが予想した沈黙の春は、
ただの妄想に終わってしまったが、
網の目のように係り合う生態学的なつながりの中で、
ある数種の害虫駆除のために、散布される農薬は、
どんなに低毒だと言っても、
それらの環境を汚すことには違いない。
(ただ、程度の問題として、リスクはかなり低いともいえるが)。

ラウルとパムは、また農薬による水質汚染や
農業従事者の農薬事故の例を出し、
GM技術はその危険性も避けることができると主張している。

さらに、ここがこの本の要なのだろうが、
GM技術による育種は、これまでの育種法とリスク的には変わらないのだと
主張している。
いずれの育種もある意味でミュータントを生み出す事であり、
遺伝子的にも以前の品種とは違うものを生み出す技術であることには
違いが無いとする。
その上で、世界中の科学者たちが、すでに
GM技術による作物は、従来の育種による想定外のリスクに対して、
同程度でしかないと結論付けられていることを
重要論文の引用をしっかりとつけて展開している。
さらには、GM育種によって生み出される品種は、
多くのアレルギーテストや発がん性テストをクリアーする必要があるが、
従来の育種法では、これらのテストは見逃されており、
それによるアレルギーが実際に起こっている事例も紹介し、
従来の育種法よりも、人間に対してより安全な食料を
作り出すことのできる技術としている。
さらには特定栄養の不足が原因で
途上国などで蔓延する子供の病気に対しても、
その栄養素を事前に組み込ませた作物の開発で
改善できる例も説明している。
その上で、現在GM技術に対する批判の多くが、
技術そのものよりも、社会的・政治的・経済的な問題だと
彼と彼女は言う。

その素晴らしきGM作物を有機農業で栽培することで、
農薬の使用と環境負荷を減らし、
人や生物すべてのリスクを軽減し、
有機物の投入による耕作土壌を豊かにし、
増える人口を支えていこうと言うのである。

なるほど、
これまで読んできた数あるGM批判の本とは、
まったく次元が異なる発想の本で、
久しぶりに脳みそに刺激を受けた。

さて、では批判。
GM作物は今、批判のオンパレードだ。
ラウルとパムは、それは社会的・政治的・経済的問題だとした。
GM科学技術に対するものじゃない、のだと言う。
たしかに、大企業によるGM技術独占と
それとセットでの農薬販売には問題がある。
緑の革命と同じような構造が、そこにはあり、
多投による農業様式で、
困窮する農民も世界的に増えるだろう。
遺伝子資源の独占とパテント問題もある。
生命の資源は、一体誰のモノなんだろうか。
これらすべてはラウルとパムの言うように
GM技術が問題ではなく、社会経済的な問題なんだろうか?
技術には思想がある。
その技術は、どの社会的・政治的・経済的コンテクストで
生まれたのかによって、
あらかじめ方向性がつけられている。
それが、その技術の思想だ。

ラウルとパムが目的意識している、
増大する人口を環境を保全しつつ支えるというのは、
GM技術の思想なんだろうか。
ひっ迫する食料争奪戦では、
GM技術は解決にならない。
なぜなら、作れば作るほど富のある人々に食い散らかされるだけなのだ。
肥満は蔓延しているのに、
飢餓はなくならない。
それらは確かに社会的・政治的な問題だろう。
だが、ラウルとパムのあまりにも無垢な提案は、
その社会と政治と経済の文脈では、
通用しないのではないだろうか。

GM技術の方向性は、
出来るだけ安価に、
さらに大規模に生産することを可能にする方を
向いている。
有機農業と言っても、
制度認証化の中で、モノカルチャーの大量生産ということになれば、
問題は同じだろう。

その社会と生産様式を支えることを可能にしたのが
GM技術だとすれば、
GM技術自体には問題が無いのだ、と言い切れるのだろうか?
そこには、科学を背負う者の無責任を感じてしまう。

もう二つだけ批判。
一つ目は、抵抗性の問題。
二つ目は、自然界への遺伝子汚染。

一つ目はラウルもパムも議論していない。
散布された農薬に害虫が抵抗性を持ちうるのは、
すでに明らかな事実。
では、殺虫成分を組み込まれた作物に対して、
害虫は抵抗性を持ちえないのかどうか。
大規模モノカルチャーを続けるならば、
たとえ組み込まれた殺虫成分だとしても、
それに対して害虫が抵抗性を獲得しないとは言い切れない。
農薬と害虫の抵抗性のいたちごっこから、
GM技術のそれに取って代わるだけのような気がする。

二つ目は、多くの批判が集中している部分でもある。
ラウルとパムは進入性という面で、
雑草と作物の違いを説明しており、
作物の遺伝子を組み替えても、侵入性の強い雑草がそれを獲得した場合、
これまでの事例はすべてその侵入性を失う、と観察されていると報告している。
だが、未来永劫、その抵抗性遺伝子と侵入性は
雑草に絶対に形質的に遺伝されて行かないと
証明出来てはいない。

意図をもって組み換えられた作物が、
意図せざる方向を絶対に持つことはないのか。
そのリスクとベネフィットを比べられるだけの
モノサシを僕らはまだ持ち得ていない。
ラウルとパムは、もしかしたら、
僕らよりも10年・20年進んでいるのかもしれないが、
もしもそれらすべてが杞憂だとしても、
リスクを図りえない状況では、もろ手を挙げては賛成できない。
なぜなら、安全神話の福島原発を僕らは体験してしまったのだから。

余談だが、勉強会では、もう少し応用的な話もした。
人の口に入るかどうかは別にして、
天敵やただの虫のすみかになるバンカープランツのGM化は、
穂が出ない時期を見据えて、それらは実用可能かもしれない。
また、僕らが持つ自然に対して情念と想いを
今回のような真っ当で正当性を誇示する科学は、
平然と踏みにじるのだが、
では、僕らの情念と想いは、
どこに着地点を見つければよいのだろうか、
という問題も話し合った。
もっと文学的に確立されてほしいと
僕は個人的に期待する。
ネイチャーライティングの分野が、
もっと人間をも含む自然として語られることを
僕は夢想している。


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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

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