久しぶりにこういうことも記録しておこう。
それは集落の農家組合の話。
昨日、農家組合の下期本盛が行われた。
うちのスタッフやバイトに「盛」と言っても、
なんのことやらさっぱりわからない、と言った風だが、
「盛」はいわゆる組合費だと思えばいいだろう。

で、本盛とは、
下期にどれくらいお金を使って、
または、農家間の減反補てん分の調整が
いくら位になったのかを計算して、
どれくらいみんなから徴収すればよいかを
決める会議のこと。

この本盛自体は、問題なく終わった。
戸別補償制度と加工用米による減反の削減の計算などで、
すこしややこしくもあるが、
それも問題なく終了。

ただ、一つ懸案事項があった。
それは、次期の役員の選定。
農家組合は随分簡素化し、
盛の計算も、減反の調整もそれほど難しくない。
米の検査に立ち会うのも、回数も量も減り、
ほとんど仕事らしい仕事はない。
だが、やり手が居ない。
毎回、お願いして回るが、
どの人も
「いや~、その役が来るのを待ってました!」
などとは言わない。
大抵、嫌な顔をしながら、
あれこれと理由をつけて、断れるものなら断ろうという、
そういう空気でいっぱいなのである。

そしてそれは今年もそうだった。

うちの集落では、
農家組合の役員は、組合に所属していて、
農地を5反以上所有している家の者がやることになっている。
そして、みんながスムーズに役を受けられるようにと、
農協青年部の集落の役と連動して、
青年部の役が終わると同時に、農家組合長にスライドするという
暗黙の決まりも存在する。
みんなが嫌がってやりたがらない農家組合長を、
なんとか覚悟を決めて受けてもらうために、
そういう順番を先人たちが作ってくれた。
ここ数年は、その順番は守られ、
なんとかスムーズに役を回していけた。

ただこの順番、たまに壊す人がいる。
そういう暗黙の了解になっていても、
「嫌だ」という人は必ずいるわけで。
そうなると、いろんな人に迷惑がかかることになる。
実は、今回候補になった方もその一人だった。
ただ、少し事情もある。

その候補になった方の父親が、
5年前に農家組合長をやっている。
その頃は、農家組合長の順番が
慣例通りにいかなかった。
30代から40代にやるはずの農家組合長を
60代の方が立て続けに受けていた。
その候補の方の父親も、その時に組合長をやっている。
そのまま、年寄でやっていけばよかったのだが、
やはりやりたい人はいないということで、
再び順番は、青年部→農家組合の図式に戻ってしまった。

そして、その候補の方が青年部の役をやり、
順番で農家組合が回ってきたのだが、
「父が5年前にやっているので、早すぎる」と
異を唱え、受けてくれなかった。
農家組合長をやらないといけない組合員の家は、
約30件ほどある。
みんながきちんと組合長をやれば、
30年くらいに一度しか回ってこない計算だ。
30代で組合長をすれば、
その子供がまた、30代くらいに組合長になるという、
レヴィ=ストロースばりの隠された構造が、
自然と村のコミュニティに存在している。

しかし、集落に残る若い人は少なく、
年寄りばかりになり、それら30数件の家全部が
農家組合長を輩出できるような状況ではない。

農家組合は「家」で受ける。
と、ある年寄りは言う。
確かに、そうだろう。
あの家はこの前やった、
その家はしばらくやっていない、などと
会話になるのだから、そうなんだろう。
だから、今回の候補の方が、
「父が5年前にやりました」という異議は、
その意識の上に立てば、とても正しい。
次に回ってくるまでに、あと25年もあるのだから。

でも、もうそういう状況じゃない。
だから、僕はお願いに行ったその時に、
その候補の方に、
「もう家ではなく、今は『人』で受けるんです」と反論した。
「家」か「人」か、それぞれの意識は違う。
でも、今の村の状況がすでに「家」では、
立脚できないことはみんなわかっているはずだ。

家で受けるという伝統は、
すでに何十年も前に壊れている。
あの頃に、仕事を理由に
農家組合長をやらなかった人はたくさんいた。
そして今もいる。
それは、伝統が解体され、
村の縛りや家の縛りが解体され、
共同体から個の尊重という、
至極まっとうな世の中の流れの中で発生していることでもある。
個人の自由と権利を僕らはその時代の中で得たのだ。
だから、僕はそれに異は唱えない。
出来る時に、出来る人がやる。
それで良いと思う。
でも、それじゃ回らないものが多い。
個人の都合が過度に優先されることは
まかり通らない。
フリーライダーは許せないのだ。
解体しかかっていても、
まだその崩れかかった共同体自体は
機能しているばかりか、
その重要度もぜんぜん減りやしない状況で、
みんなで農家組合長を受けていかなきゃならないのだから。

僕らはあらゆるものから自由になった。
それを謳歌するのは良い。
でも、本当にとことん自由になったのだろうか。
いや、本当の「自由」とは、
個人の都合が加速するようなフリーライダーを
社会に作り上げることじゃないだろう。
都合の良い時だけ、古臭い「家」を持ち出すのは、
僕から見れば、すでにルール違反。
なぜなら、僕らはすでにそれが機能的でも
効果的でも、そして僕ら自身にとっても
有効的ではないことを知っているから。
僕らが手にした「自由」を
再び古き制度に返すのであれば、
「家」もまたありなんだろうが、
そんなことは、もうないだろう。

「家」を持ち出した彼が
何を考えていたのかは、僕にはわからないが、
僕らは、共同体に対し「家」ではなく、「個」で
向かい合うべきなのだ。
だから、農家組合長は、
「家」じゃなく「人」で受けてほしい。




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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

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