毎週水曜日の勉強会。
今回の発表は僕。
取り上げた本は、これ。

中谷内 一也 著 『安全。でも安心できない・・・』:信頼をめぐる心理学 筑摩書房

当初、今回の僕のプレゼンは別の本を考えていた。
だが勉強会のメンバーが、僕にネットに書き込まれていた
福島原発から漏れた放射能の危険性の議論を
読めと言わんばかりに渡してきたことがきっかけで、
この本を急きょ取り上げることに。

放射能が安全という気もないし、今の政府の態度で安心だと
思うこともないが、何に僕らは安心を得、何に僕らは信頼をするのか、
そして僕らはどうしれば信頼を失うのか、それを
一度整理しておく必要があると考えてこの本を選んだ。

僕らは生産者だ。
生産者である僕らが消費者から信頼されなければ
僕らの野菜は売れない。
まじめに取り組んでいれば、それでいい。
美味しいかどうかは食べればわかるから、それでいい。
という人もいるかもしれない。
でも、世の中、そんなことばかりでもない。
僕らがどんなに『良イモノ』を作っても、
売れないときは、全く認められないし、
僕らの目から見たら全然『良イモノ』でもないのに、
世の中から評価を受けて売れているものもある。

そこには、消費者の信頼をしっかりと把握していて
『良イモノ』が本当に良いものとしてシェアされている場合だろう。
だとしたら、僕らに必要なのは
何に信頼を置き、何を良いと思って消費者が手に取るのか
そこを理解することだろう。

ちなみに、これからの話は
なにも生産者と消費者との関係カテゴリだけの話ではない。
医者と患者もそうだし、政府と市民もそうだ。
政治家と有権者、開発援助側と途上国市民も当てはまるだろう。

さて、本題。
この本は、社会心理学の視点から人々の安心安全について解説。
いろんなことが科学的に安全と証明されても
時として人々は安心を感じない。
それはなぜか?
著者は、人々が信頼するそのシステムを解説し、
僕らが安心(信頼)するメカニズムを平易な文章で紹介している。

僕らの社会は、分業化が進み、多岐にわたる専門分野が存在する。
その多くの分野に、僕らは精通しなくとも
それを使いこなし、利便性を受けている。
車の構造を知らなくとも、車は運転できるし、
航空力学を理解していなくとも、飛行機を便利に利用している。
鉄道の運行状況などに不安を覚えながら
電車に乗ることもほとんどない(京福電車の場合は別)。
信号のシステムに懐疑的になることもなく、
その表示通りに、僕らは車を運転する。
危険か安全かを考えることもほとんどなく、
それらのシステムやそのものを信任して、
僕らは、それらを利用する。

現代は一瞬にして多くの物事の情報処理をしなければいけない。
その情報処理は、いちいちその学問やシステムを
自ら検証しながら行うことはない。
新型の飛行機に乗る前に、
その飛行機が航空力学的に正しいのか、を
その飛行機の設計図と照らし合わせて、いちいち僕らは検証しない。
僕らは、それを開発した会社とその認可をした政府機関を
信頼して、その検証をスルーしているに過ぎない。

中谷内氏は、その信頼のシステムに、
中心的ルート処理と周辺的ルート処理があるという。
中心的ルート処理は、新型飛行機が航空力学的に
正しいのかどうかを検証する処理であり、
周辺的ルート処理は、その新型飛行機を開発した会社や
認可を下した政府機関を信頼することで
その新型飛行機を信頼する処理である。

福島の原発事故後、
福島産の野菜が売れないのは、この周辺的ルート処理からだろう。
本当にその野菜一つ一つが危険かどうかの検証をせず、
周りの情報から
(そのほとんども、その野菜一つ一つが科学的に危険かどうかの検証もない)、
「福島産は危ない」と判断しているからである。
いろんな情報をスルーし、高速で処理をする僕らの思考の癖が
この場合、負の影響を及ぼしていると言えるだろう。

では、こんなあやふやで非科学的とも思える
思考の癖がある僕ら人間の信頼を得るには
どうしたらよいのだろうか。
中谷内氏は、3つの要素が信頼と強く結びついていると書いている。
それは、信頼を受けるリスク管理者の
「能力」「動機づけ」、そして「主要価値の類似性」である。

能力は、そのリスク管理者の能力であり、
そこもまた周辺的ルート処理であるが、
出身校やその機関での地位などがあるだろう。
受賞歴もあれば、それはまた能力として判断されるだろう。

動機づけは、そのリスク管理者が
どのくらいモティベーションを高く持って
その事象にあたっているかという姿勢である。
やる気のなさそうな顔や態度で判断されることもある。
役所の窓口でよくある光景とも言えよう。

そして最後は、主要価値の類似性である。
どんなに高い能力とモティベーションを認識しても、
価値が違えば、信頼はされない。
自然食品に関心のある消費者が
慣行栽培で栽培された野菜に興味が無いように。
たとえその生産者が、
生産組合長を務めていたり
品評会で1位を取ろうとも、である。
解りやすい事例では、裁判があるだろうか。
検事と弁護士、そして裁判官の3名は
優秀で、裁判に臨むモティベーションも高いとしよう。
この裁判を第3者の立場で見ている場合、
すべての権限を与えたいと思うのは、誰だろうか。
普通であれば、裁判官、ではないかと思う。
では、あなたが被害者の関係者だったらどうだろうか。
たぶん、罪を軽くしようとあれこれと言い訳を言う
弁護士を全く信頼せず、それどころかより悪質に思い、
ちょっとでも罪を重くするべく、
検察に権限を与えたい、と思うだろう。
これが主要価値の類似性である。

そして多くの信頼を失う場面で
この3つの要素のいずれか、それともすべての欠落が観察されるであろう。
まじめに業務に励み、
仕事に高いモティベーションを持っていても
所属する組織や機関への信頼度一つで、
安心が得られなかったりもする。

農薬が科学的に安全で、農水省と厚生労働省が
その安全基準を出して認可している、としても
人々が容易に安心をしないのも
そもそもこの主要価値の類似性の違いや
農水省や厚生労働省への信頼度などによって
揺らいでいるからだと考えられる。

そんな状況の中で、
僕ら生産者は、どうやって消費者から信任を得て
自分たちが栽培した野菜を安心して食べてもらえるのだろうか。

それは、まさに中谷内氏が指摘する上記の3要素にそった
情報の開示と発信に他ならない。
僕ら生産者と、消費者との接点は、
まさに“食べる”という行為とその価値だろう。
僕らは自分の農法について説明責任を負うが、
消費者からの信任を得るのは、
消費者本人が、その中身を精査することでは、たぶん無いのだろう。
そして、朴訥に、まじめに、良いものを作ってさえいれば、
いつかは気が付いてくれるだろう、ということでも
たぶん無いのだろう。
それもあるかもしれないが、
それ以上に、僕らの姿勢や態度、そして、
僕らが発信する価値に共感してくれる時なんだと思う。
僕らは、どう見られているのか。
その価値に敏感になることが、
信頼を得る方法の一つなんだと思った。



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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

メールは
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