週末は、国際開発学会に参加。
そして、僕が勝手に1人で毎年恒例にしている、
学会開催地の農家見学。
今回は、東京都で市民農園を営むSさんを訪問。
今や都市農業の第一人者的存在で、
普通なら、なかなかあってもらえないのだろうが、
実はSさんとは、
かれこれ15年以上前から付き合いがあり、
忙しい中、時間を作ってもらい、訪問が実現した。

Sさんは、僕が大学生のころ、度々遊びに行った農家の一人。
僕が師匠と勝手にあがめている人の一人。
協力隊から帰国後は、少々疎遠になっていたが、
今回10年ぶりに、農園にお邪魔をした。

Sさんは、市民農園がまだまだ市民権を得る前から
農地を整備し、市民に貸し出してきた。
ただ単に貸すだけじゃなく、
年間15回の座学を設け、栽培技術等の指導もしている。
現在、200名の市民が、Sさんの農園を利用している。
さらに、その市民の一人として参加していたシェフが
Sさんの農園の一角にレストランを建て、
毎日とれたての野菜を使った料理を提供している。
35人がMaxの小さなレストランだが、
3年経った今でも、昼夜問わず、予約なしでは入れないほどの人気ぶり。

農園では、鶏や牛(1頭)まで飼っている。
食農教育として毎年1000名を超える学生を受け入れているのだとか。
Sさんは、
「食農教育を行うことは、こういった都市での農業の一つの役割なんじゃないかと思っている」
と語ってくれた。

これらの取り組みが認められて、
平成20年度には、日本農業賞の大賞を受賞している。
さすがはわが師匠。

そんなSさんから、今回、面白い話を聞けた。
都市での体験農業の会長をしているらしいのだが、
最近、遊休地を第3者が借り受けて、それを市民に貸し出すという
新しいモデルの市民農園が出てきていることについて
意見を交わした。
そのモデル自体は、新たな農業の可能性として
今の農業に対する文脈の中では、とても好意的にとられている。
だが、それに対するSさんの考えは
世間で受け止められているのとは、少し温度差があった。
それは、たぶんSさんが目指している農業の発展と
少々食い違っている点があるからであろう。

Sさんの目指す地域全体の農業のカタチを
僕なりに要約すれば、それは
個々の農家がそれぞれ独立して
市民農園を運営していくことであり、
それら個別の運営の緩やかな連帯の実現
なのではないだろうか。
それは取りも直さず、地域を創り上げていく主体的アクターとしての
農民の存在を重視していることに他ならない。

「どういった団体でもいいんだけど、遊休地を一括で借りて、それが事業として行っていくよりも、個々の農家がそれぞれに集まってやる方がいいと思っている。その地域や場所が持つ雰囲気というか、そういうものも大切だと思う。個々でやっている方が、ぎすぎすしないし、ある種の余裕が生まれると思う。その余裕が、人をひきつけたり、個々の農かも地域のことも考えられるんだと思う」
とSさんは話してくれた。
たとえ、利益追求が最重要ではないことをうたっていても
会社という経営体は体質上
利益を追求し続けなくてはいけない。
個人農家でもそれは経営体である以上
その点は変わらないのだろうが、
それでも生活に軸を置いた農の営みの中に
会社にはない余裕と時間があるのは僕も認める。
僕の経営体が、雇用を中心として考えている以上
地域づくりのような活動の部分で
自給・給与を払いながら、社員や研修生を
その活動に投入しようとは、なかなか考え難い。
うちの経営体が、人を抱え込めば抱え込むだけ
僕の思う理想とは違ってくることが
薄々とはわかり始めていたのだが、
師匠とのやり取りで、その点が明確になった。

農業外企業や団体の農業界への参入は、
農業界への刺激として、当然歓迎すべきだろうし、
農家の減少に伴って、個々の農家の緩やかな連帯による
地域づくりが非常に困難になっている地域もあり、
その部分での、そういった団体による
農業振興は、今後、僕ら農民との相互補完的な関係を
作っていくのかもしれない。
また集落営農や農業の法人化によって、
それら空洞化の問題を、農地利用や農業生産の面で
解決できるかもしれない。
しかし、それだけでは、空洞化した農村と地域の文化を
新たに生み出す力にはならないのじゃないだろうか。
農外企業や団体の参加で、「風土」の風ばかりが強くなり、
また小農をまとめて、集落営農化や法人の一人勝ちで
「風土」の土の生産性が上がったとしても
土の人(農民)の数が絶対的に減るのは目に見えている。
コミュニティを支えるものは、地縁なのだ。
地縁とは、農地という土地に縛られた生産環境と
その生産環境に居住する特殊な形態、
つまりむらの関係から生み出されるものである。
その地縁はかかわり続ける人々で支えられてきたのだが、
それを支えてきた人そのものが減り、
地縁関係が希薄になったむら社会に、
あたらしい社会への変容と独自の文化を生み出す力はない。
待っているのは、都市に飲み込まれるか、
自然消滅するか、
はたまた新興住宅のようなただ食う寝る所と化すか、
いずれにせよ、むらの安楽死でしかない。

Sさんとのやり取りの中で
見えてきた地域開発のある一つのモデルを
僕は大切にしたいと思う。
それは独立した自作農家(限りなく農の営みに重点を置いた)の
ゆるやかな連帯。
個人的な農業経営だから、生産面では余裕は少ないかもしれない。
でも、個々の経営だからこそ
自分の労働の投入を
かならずしもすべてを生産性アップに注ぎ込む必要もない。
それが、Sさんのいう「余裕」なんだと思う。

研修生や雇人が増えて、
僕の農園は格段に生産性を上げた。
だが、その生活になってから、妻から
「余裕がなくなった」と指摘されるようになった。
僕は、雇用人の仕事をつくる仕事に追われるようになった。
給与を払い続けることに、その力の多くをそがれるようになった。
僕らがかかわる産業(農業)は、確かに他の産業に比べて
とても未熟に見える時もある。
だから、農外企業や団体が入ってくると、
一気に利益を上げたりもする。
それを僕は凄いと羨望のまなざしで見る時もあるが
今は、あまりそれはない。
僕らの産業は未熟なんかじゃない。
僕らの産業は、他産業では図りえない
とても遠大な地域と文化を生み出す活動に
自分たちの時間と生産力を投入するからこそ
時には、経営学から見れば、未熟にうつるのだろうと思う。
農外企業や団体が、都市の消費に合わせた
農業のサービスを展開するが、
地域の文化にどれほど力を注いでくれているだろうか。
むら自体が消費社会に陥っている状況下では
なかなかその差は見えにくいかもしれないが
少なくとも僕ら農民は、
むらの文化をつくり続ける主体として
生産外活動に、多くの時間を割いている。

10年ぶりに師匠のSさんに会うことで、
雇用をしながら
そうした経営体が、むらをつくり続ける主体になれるのかどうか
僕は、ある種の方向転換を迫られたような気がした。


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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

メールは
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