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人の能力とは
どのような仕組みになっているのだろうか?
そして、それはどうやって高められるのだろうか?
僕は、その能力を
その個人や社会の認識から派生すると理解している。
ここでは、その能力を
行為能力(エージェンシー)と言おう。

単純に言えば、
僕らがどうこの生活世界を理解しているか、で、
僕らの行為能力の発揮のされ方が変わる。

ホットな話でいえばモリカケがその良い例かもしれない。
本来、行政職員の行為能力は、
政策の執行をより正しく行うために
日々、調整し、監督し、報告し、そして記録に残す。
それは有権者と納税者に対する責任があるという
生活世界の把握が正常化させている。
グッドガバナンスが無い国では
汚職が蔓延してしまうのは個人的な能力の低さからではなく
その認識から発揮される行為能力の差でしかない。
だから、忖度し隠蔽に向けて発揮された
行政職員の行為能力のあり方が
今回のモリカケの最大の問題点であり
その問題があった職員への対応の甘さが
政府自らグッドガバナンスを低下させて
他の職員、ひいては民衆に対する
間違ったメッセージを流し続けているのが
実は政治における最大の罪なのだが
どうも今の首相にはそれが解らないらしい。

というのは余談。余談が長いなぁ。

さて、
この生活世界をどう把握するか。
それが僕らの行為能力の方向性を決める。
僕はこの一点がとても大切に思っている。
それには僕らが事実と認識しているモノを
集め、分解し、再検討し、再構築する
といったちょっと面倒な作業が必要になる。
同時に自分の視点に
偏見が交っていないか、
その視点は誰の立場の視点なのか
誰のリアリティなのか
そのチェックも必要になる。
見ている自分が間違っているかもしれない、
そう思いながら
見えているこの世界の事実を集め、
その世界の事実を分解し、
その事実に対し、
そこに感情や偏見や判断が入り込んでないかを再検討し、
それらを集めてまた
生活世界を再構築するのである。
このプロセスの中で
僕らの行為能力の方向性が決まり
これまでと同じか違うかはわからないが
発展的に発揮されるようになる。
はずだ。

実は
技能実習生にあれこれ授業をしているというが
その中身は、この作業だけである。
これしかやってない。
農業の技術なんて教えてもいないし
その必要もない。
マーケティングを勉強したいです!と
かなりの確率で実習生はいうのだけど
ごめん、僕はそれをほとんど知らない。
というか、そのカテゴリでまとまって勉強したことが無い。
僕は、この生活世界と視点と行為能力の
その関係だけで
これまで農業の技術や販売や経営などの
技術というか事実というかそういうものを
自分の中にある偏見を排除しながら
集めていただけである。

3年かけて
それを説明してもほとんど理解されることはない。
だから、みんな分かったような分からなかったような
そんな感じで帰国する。
と思っていたけど
最近の卒業生の動きを丁寧に再検討してみると
何かしら僕からのメッセージを受け取り
それを自分たちの視点としているようにも
散見されるので
まったくわからないわけでもないらしい。
と書くと、なんだか傲慢。
そんなつもりはないのだけど。
だって、これまで授業していても
かつて僕が感じたような世界ががらりと変わって見えてしまう
あのダイナミズムを彼らが感じているようには
見えないのだから。
教え方が悪いんだと思うけど
言葉の壁や、モジュールとして言語がその思想を
再表現できるものになっていないというか
彼ら自身もそういう風に言葉での理解に慣れてないというか、
いや僕が慣れてないんだろうなぁ、きっと。
伝わるように努力してはいるし
これの方向で良いはずなので
もう少し努力するしかないか。

さて、たぶんこの解り難さが
アンギを混乱に陥れたのだろう。
今年から
行為能力の発揮のために
生活世界の認識をさらに深めていくため
月間レポートの指導の仕方を変えた。
それぞれの実習生が
自分の家族や社会についてのプロフィールを
少しずつ僕に教えるという形で
月間レポートの中で作り上げていく作業をしている。
僕は彼らの話を聞いて
彼らの生活世界は見たこともないので
分からないことだらけだから、それについて
次々と質問する。
小手先に答えると僕から批判され
それは次回までにインタビューを通じて
新たなプロフィールとして書かれて提出される。
この繰り返しをしていっている。

アンギは
この作業が苦痛なんだとおもう。
たぶんフィルマンも。
なぜなら彼らはその視点に感情も評価もすべて入っているから。

フィルマンは
これまで恋人がいない。
そんなことまでもプロフィールで話す。
さすがにそれは苦痛だろうな。
でもこの辺りまで潜らないと
僕らは彼らの視点で生活世界を見ることができない。

さてその理由は、
「僕が貧しいからです」と彼は言う。
僕はここで彼の視点に出会えた。
異性とコミュニケーションはSNSが主流で
それにはスマホが必要だ。
デートに行くとなれば、バイクで二人乗りがカッコいい。
行き先はカフェだったりして、そこでもお金がないと
好きなものを飲んだり食べたりは出来ない。
お金がないと
彼女は出来ないというのが彼の視点で見える
生活世界の仕組みになっていた。

詩を編み
紙切れに書いて彼女にそっと渡す。
ギターの上手い友人から
ギターを教えてもらって
借りてきたギターで
彼女の好きな歌をコピーして聞かせてみる。
非日常的な時間帯に逢い、
たぶんそれは真夜中だったりして
満天の星を眺めながら将来の夢を語り合う。
そういう生活世界だってあるはずだ。
お金のあるなしではないんだけどね。

こうやって彼らの見ている農業や
その世界の周りを
少しずつ彼らの評価と感情を探りながら
もぐりこんでいくわけだが
当然、そこにはプライベートな話題ばかりで
信頼関係がない限り
かなり難しい。あっても難しい。

アンギは
このプロフィールで
自分にアクセスできるだけの農業資源が
全くないことに気付かされた。
たぶん、それが帰りたいとの言葉になったんだと
今は思う。
そんなプライベートなことまで口出ししなくても
うわべだけで仲良くして
楽しく3年過ごせばそれなりにお金もできるし
それで新しい一歩を踏み出せばいいじゃんって
僕はいつも思うのだけど
その一方でもう一人の僕が
絶対それを許さない。
厳しすぎる。本当にそう思う。

彼らがここでためられるお金は
150万円程度。
インドネシアではかなり大きなお金になるが
事業投資としては1つの事しかできない金額。
認識を間違えて
間違った投資をすれば
元手は消えて、元の木阿弥になってしまう。
と僕は思っているから、
なんとしても最初の一回目の投資を
かならず正しいというか、次を生み出せるような投資にしたい。
だから、彼らの視点とそこから見える生活世界を
再構築して
彼らの行為能力の発揮される方向を
いっしょに見据えたいと思って
こういう指導になる。

アンギは
マーケティングを勉強したいんです!と
嬉しそうに話していたが、
彼自身が再構築しつつあるプロフィールから照らし合わせて
そもそも生産体制そのものを持っていないというか
そういうものにアクセスできない現状で
それを考える意味はなんだろう?と
僕は批判してしまう。
絶望を眺めろとは言っていないけど
結局彼は絶望を眺めて
その前でどうすることもできなくなっていた。

もう少し一緒に考えないとダメだ。
だから、まずアクセスできそうなものをそろえることにした。
土地の値段を調べ
その場所や灌漑などの設備に有無や
アクセス可能な市場までの距離、
地元のブローカーの主流の取引品目、
地元で評価されている農家の実例、
そんなものを
これからプロフィールの中で
一緒に見つめていこうと思っている。
生活世界を理解し
その視点を少しずつ変化させながら
生活世界が再構築され
そして行為能力の方向が変わり
発展的に発揮されはじめる。はずなんだ。たぶん。
ただ、これが簡単に伝わらない。
だからみんな嫌になったり
絶望したり、怒りに変わったり。

何をしようとしてんだろうなぁ。




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4月に結核で
強制入院をしていたフィルマン。
もうとにかく病棟に閉じ込められていたのが
嫌だったようで
仕事だろうがプライベートだろうが
何をしていても本当に楽しそう。

土曜日は
農園のオフ日。
実習生はそれぞれの自主性で
福井の街にある国際交流会館へ
日本語の勉強に行くのが、日常の休日の風景。
フィルマンも午後2時から、
日本語ボランティアの先生と勉強をするのだが
いつも朝早くから出発をする。
どうしてあいつは早く出るんだ?国際交流会館まだ開いてないだろう?と
他の実習生に聞くと
「フィルマンは、新しくなった中央公園が好きみたいで、あそこのベンチでいつも日本語の勉強をしているみたいです。その後、国際交流会館が開くと、他の子の授業で来るボランティアの先生を出迎えるようです。あとは国際交流会館で、自分の順番が来るまで日本語勉強してますよ」
とのこと。
ボランティアの先生のお出迎えまでしてるなんて・・・。

フィルマンは
「インドネシアに居たら結核で死んでたと思います。もうそれを思うと何してても楽しいです」
と。
生きてるだけで丸儲け。
まさにそんな感覚なのだろう。
だからその生を思いっきり謳歌しようというのだろう。
日本語の学習は感じが大変だろう?と聞くと
「勉強できるのが楽しいです。死んでたかもしれないって思うと、日本語の勉強もすっごく愉しいんです」
だって。

あと
「国際交流会館には可愛いベトナムの女の子たちが集まってくるんです。その子たちを眺めているのも楽しい」
だってさ。

生きてるだけで丸儲け。
今、フィルマンは最強だと思う。
僕もそれにあやかりたいなぁ。



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今年2月に来たフィルマン。
3月の働き始めに
社内の健康診断を行うと
医者から
「肺に影があり、腫瘍の可能性もあるので精密検査をするように」
と指示された。
まさか。
彼はまだ二十歳になったばかりなのに?
入国前のインドネシアの検診では
もちろん肺のレントゲンも撮っているけど
問題なしって言ってたけど・・・。

とにかく
急いで精密検査をすると
結核ということが分かった。
それからが大変だった。
即、隔離病棟に入院ということで
フィルマンは強制的に入院させられた。
入院時には、行政から何人もの大人が病室にやって来て、
人道的ではない収容でもあるので
さまざまな法的な措置によるものだという
膨大な書類をインドネシア語で説明し
それに弱冠二十歳の
しかも異国に来たばかりで
言葉も解らない若者にサインを機械的にとる
やりかたにかなりの違和を感じながらも
結核が伝染病で
怖い病気だという想いが先行していた。

隔離病棟に入るには、
ナースステーションに連絡を入れてから
二重の扉をくぐり、
かなり気密性の高い専門のマスクをしなければ
入れない。
その儀式めいた入り方も
僕とフィルマンをますます不安にさせていた。

それから結核の勉強もし
確かに怖い病気だが
必要以上に恐れなくても良いことも分かった。
患者の唾液の中にある結核菌が
他の人の肺に入っても、
すぐに発病する人は全体の1割程度。
潜伏期間を数年~数十年おいてから発病する人が2割。
7割の人は肺に結核菌の休眠状態を抱えながら
最後まで発病しないというのも解った。

フィルマンに聞くと
2年前高校の親友が結核にかかったらしい。
担当医がいうには
たぶんその時に保持したのだという。
フィルマンの結核進行状況は
さいわい初期の初期で
排菌といって彼が菌をばらまく強さも
ほとんど強くなかったようだ。

社内の一斉結核診断では
2年生のダニだけが陽性で
他は皆陰性。
ダニもまだ経過観察状況で
確率的にはインドネシアでかつて結核菌を
保持して休眠状況にあるのではないかという
感じである。
詳しくは7月にまた社内の結核健診があり
その時にダニはまた違う検査を行う予定。

フィルマンは排菌状態では無くなるまで
強制入院ということだった。
期間は、まったくわからないとのことで
長い人で1年以上ということもあるらしい。
しかし病気の発見が早かったこともあり
なんと最短の2週間で退院することができた。
ただこの2週間はすごく長かった。
やはり異国で日本語もほとんどできないまま
何もないまっしろな隔離病棟に
強制的に収容されるのだ。
しかも二十歳。
1週間後には、もう涙ながらに
「いつ出られますか?」と
なんども尋ねる彼がせつなかった。
この子は耐えられないかもなぁ、と
思っていただけに、早期退院は本当に有難かった。

こういうことを書くと
やはり外国からの受け入れは危ない、
外国人は病気を持ってくる、
なんて言う人もいるだろう。
世の中もそういう評価をくだしやすい
雰囲気もあるしね。

でもね、
専門医の先生曰く
「今でも台湾やヨーロッパなどに留学するときは、日本人だっていうと場合によっては結核検査の提出を求められるんですよ」
とのことだった。
日本でもかつては結核が蔓延し
今でも高齢世代だけでなく
若い人も結核にかかる人は少なくないらしい。
事実
フィルマンの入っていた病棟にも
20代の人(日本人)も何人かいた。
先進国の中では
最悪の結核発症率で
今でも日本は結核後進国なのである。

外国人が病気を持ってくるというのであれば
ホワイトカラーワーカーだけでなく
ブルーカラーワーカーの
移民の多いアメリカはさぞひどい現状だろう。
と思うかもしれないが
なんと結核発症では世界でもっとも低い国なのである。
外国人だから、という人は
まったくの偏見と差別と無学とおバカの証明でしかない。

どんな病気か分かったとしても
やはり結核は怖い。
3年生のデデの彼女の母は、
結核で亡くなったらしいし。
フィルマンは
「インドネシアの田舎に暮らしていたら、僕はちょっと咳が出るなぁ、と思って風邪薬飲んで休むくらいだったと思います。ちかくに大きい病院もないし、病院に行く習慣もないし。たぶんだから結核で死んでたと思います」
という。
僕もそう思う。
君がここに来て
生きながらえたのは
きっと何か神様から
役割を与えられたからだと思う。
だから僕も君も
真摯に生きることについて考えようじゃないか。
貰った生命を
この社会のために使おうじゃないか。
なぁ、フィルマンよ。
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福井雪解の若手のみで
勉強会をしようと声をかけられて
参加したいる勉強会。

かなり詠める方々ばかりで
たぶん僕が一番下手。
だから、本当に勉強になる。
ちなみに今回は参加者は8名+不在投句が2名。

席題も変わっている。
普通は季語だったり漢字一字だったりするのだけど
季語ではない言葉を、と
メンバーの方が言うので
今回は「宝石」になった。
ダイヤやサファイア、真珠なんてダメで、
言葉として「宝石」を句に入れる事だってさ。
それを20分ほどで投句。

こういう句会だからこそ
おもいっきり遊んでみたいよね。
だから、海外詠や虚の俳句を
思い切って投句してみた。
ちなみに
この句会では特選と入選以外にも
逆選(これはダメ!とか気になる!)という選もあり
それがいい緊張感になっている。

この日一番逆選をもらったのが僕。
インドネシアのイスラムのアザーンで詠んだ一句が
逆選3つと特選1つ、入選2つと入り乱れ
7人の選句中6人の心に引っかかった。
また即興で詠んだ席題「宝石」の句も
逆選1つ、特選1つ、入選1つと点が入った。

手練れの方々に
チャレンジ句をぶつけるのは
かなり緊張もするが
それを俳句として捉えられたので
まずまずなんだろう。

ただ、俳句ならこんな感じか?的に
投句した句は、無視されてしまった。。。
やはり小手先ではいけないって事か。
そういう風にある程度分かって来てからは
1日3句も苦痛になりつつある。
ぜんぜん俳句が詠めない。
というか納得できる句が
全く出来ないという苦しみを味わうようになった。

ちなみに
メンバーからは
海外詠はまとめて置くと良いとアドバイスをもらった。
雪解では取ってもらえないかもしれないが
全体をまとめた作品や
選者の多い俳句大会なら
もしかしたら良い線いくかもしれない、だって。

よし!じゃ、インドネシアの農村を
思いっ切り俳句で切り取ってやろう!
そんな展望もあった休日だった。
良い休日だ。


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アンギが、今朝急に
「帰りたい」と言いだした。
突然のことで、
頭が真っ白。

その後2時間二人で話し、
3年生のデデを入れて
1時間話をした。
それでも理由はよく解らず。
アンギは泣くばかりで
話が前に進まない。

ここまでなるのに
きっとたくさん悩んだんだろう。
僕はなんてノー天気に毎日過ごしてきたんだろうか。
過去の自分を恨んだ。

気持ちが少し落ち着いたアンギに
「帰るのは最後の最後の選択肢だよ。帰れば、自分の自信も、周りの眼も、関係性も、失うほど危ない。でもね、もし君が病気になってしまうのであれば、帰った方が良い。ただ、そうならないために、僕らはいろんなメニューを探そう。何に問題があったのか。どうだったら君は楽しく過ごせるのか、そのメニューを」
と話をした。
精神的に追いつめられれば
どんな言葉も素通りしていく。
それは僕はインドネシアで体験済みだ。
ただ僕はちょっと厳しかったのかもと
反省しきりだった。

彼のレポートは及第点だった。
たぶん22歳とすれば十分すぎるくらい。
僕はいろんなことに焦っていたのだろう。
雪害のハウスや
実際の建て直し資金や
そのことで疲れさせてしまっている社員や
どこか不安感のある社内の空気や
あと家族ともあんまりうまくいっていないことや。
そんなことを抱えながら
僕はいっぱいいっぱいになる毎日の中に居た。

で、期待していた2月に帰国したイマンの
全くと言って良いほどダメなプレゼンを目にした5月は
最悪だった。
あれほど仕込んだのに。
彼ならもっと賢く状況を判断できるはずなのに。
だのに、目の前のあまりに凄惨な現実に
彼は上手く対処できないその姿を露呈した
プレゼンを
僕らインドネシアと日本とのネット勉強会の場で
してしまった。
なぜ僕は彼の帰国直後の大事な時期にケアできなかったのだろう。
その後悔ばかりを
引きずりながら
新しく来た子を
より厳しく指導していた。

アンギは
「Bapak(僕の事)から批判されたからじゃないです。でも、夜になると涙が止まりません。頭痛もひどく、もう帰りたいです」
と繰り返した。
ひどい喪失感と劣等感に
包まっている22歳は、見るに堪えなかった。
インドネシアから来た子たちは
どこか人生を達観したような感のある子が多い。
日本の22歳のように、ぬるま湯で過ごしていないからなのだろう。
その見た目というか
そういうものに僕も甘えていたんだろうと思う。
イマンのように
失敗というか、もっともっと強く強くと思って
指導に熱も入ったのは正直なところだ。
夕方アンギからメッセージがあり
少しは落ち着いた様子で
とにかく、ほっとした。

そのイマンとも
最近やり取りをしている。
彼の帰国後の現実に
少々彼はビビっていたようだし
この前の勉強会で、主催の4期生クスワントから
かなりけちょんけちょんにやられていたが
そのアドバイス?に持ち前の反骨精神を出して
いろいろと対処を始めたらしい。
一歩を踏み出したのは、本当に素晴らしい。

こういうことを繰り返していて
僕はつくづくおバカだと思う。
で、その一方で
こういう子たちを「外国人技能実習生」という
言葉で括っていることにも
つよい怒りと違和を感じる。

どういう制度にしようとかまわない。
人を連れてくるんだ。
だから、もっと責任を持つべきだ。
来る子たちは10代後半や20代前半の若者ばかりだ。
その若者を
僕らはどう対面して
どう真剣に向き合うかだ。
制度の問題もあるんだろうけど、
その制度の議論には血も肉も息遣いも感じられない!
壊れてしまいそうな
社会人のスタートを切ったばかりの
彼らに
僕は何ができるか。
それが何もなければ・・・
僕は何もないのかもしれないけど・・・
何か真剣に彼らと向き合えないのであれば、
もうこんな制度で
人間を簡単に連れてくるようなことは
止めたほうがいい。

アンギから
「帰りたい」と言われ
猛反省中な自分への訓戒としてエントリーを残す。


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30豪雪で、ハウスが倒壊してから
多品目の維持が難しくなっていた。
経営をスリム化する過程で
どうしても諦めなければいけない
品目が出てきたからだ。

ズッキーニ・バジル・トマト・パプリカ・セロリ
数え上げたらきりがない。
露地へ転換している品目もあるけど
その分、露地で作っていた野菜で
作らなくなったものも出ている。
再建の借金もかなり大きく
その分をこれまでと同じような面積で
なんとか取り戻さないといけないので
効率化は必至だ。
その一方で
これまでが
緩慢経営してたわけじゃないけど
この経験が
僕らをより強くしている手ごたえは感じる。

さて、
あれこれ野菜を作れなくなった影響で
2月から直接消費者に販売をしていた
おまかせ便を取りやめにしていた。
事務的負担も大きく
またさまざまなネットで
個別の野菜宅配が増えたこともあり
農園の野菜セットは
一時期よりもかなり減っていたし
それほど魅力的な市場でもなくなっていた。
効率化を考えれば
これを機に取りやめても良かった。

でもね。
思うんだ。
数字ばかり追いかけていても
そこに野菜を食べてくれる人たちを
感じることが無いってことを。

そこでやっぱりおまかせ便
再開することにした。
これまで定期的に買ってくれた方々もいたが
やはりしばらく休んでいたからなのか
ほとんどが戻ってくることはない。
でも、
ここからまたスタートを切ろうと思う。
お品書きが少し手抜きになって来ていて
その辺りが自分で自分の企画に飽きてたところなんだけど
まぁ、そのあたりはやりながら少しずつ変えていこうか。

再開するにあたって
数名の方から
「待ってました!」とメールいただいた。
その言葉だけで
もう十分推進力をいただきました。
本当にありがとうございます。

農園の一番美味しい野菜を
毎週毎週詰めて送ります!

さぁ、もう一回スタートだ。


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今年はどうも大変化の年なんだろうか。
一昨日の夜中に
インドネシアのタンジュンサリ農業高校に
派遣していたスタッフ立崎から連絡がある。
それは
カルディ校長先生が異動になった、
というものだった。

カルディ校長は、タンジュンサリ農業高校の卒業生で、
教職についてこの方
ずーっとタンジュンサリ農業高校で教鞭をとり、
次々替わる政治家校長と違って、たたき上げの
校長先生だった。
しかも来年が定年で
このままタンジュンサリ農業高校で定年を迎えることを
誰もが疑っていなかった。
そのカルディ先生が7月から別の高校へ異動になるなんて・・・。

僕や福井農業高校との関係も長い。
2002年にインドネシア・タンジュンサリ農業高校からの
招へい事業にもカルディ先生は関わっていて
当時は教務主任のような役職だった。
なんどかメールや電話でやりとりをした記憶がある。

2008年から始まった
農園たやでのインドネシア技能実習生受け入れの時も
副校長先生として関わり、
同僚のユスフ先生と一緒に
その当初から尽力いただいていた。
だから校長先生に昇格された時は
本当に嬉しかった。

農園のスタッフを青年海外協力隊枠で
タンジュンサリ農業高校の
農業教師として赴任する話も
カルディ先生との話し合いから始まった。

そんな一連の活動が
名門タンジュンサリ農業高校の名を
再び高めることになった。
交流当初は500名ほどだった学生も
年々増え、
今年は1000人をいよいよ超える予定で、
時代の流れに沿って
他の農業高校は軒並み前年度割れを
起こしているのに
タンジュンサリ農業高校だけは
どんどん入学希望者を増やしているのが現状だった。

すべては彼の理解と意欲が
これらの物事を進める原動力だったと
言っても過言じゃない。

僕も長年
高校間の相互派遣事業にかかわっているが
やはりトップの姿勢が一番
その事業に影響を与える。
もちろん、担当者の熱意も大事だけど、
それ以上にトップのやる気が大きい。
そういう意味では
カルディ先生はとても大切なパイプだったし
仕事相手としては最高だった。

立崎の情報は早かった。
異動が出たその日に、
仲良くしていた教員から連絡を得て
それを僕に送ってきてくれた。
たった半年しかいないのに
すでに中枢に係わっている先生と密になっているところが
素晴らしい。
その連絡を得て、こちらでもあれこれとさぐりを入れ
カルディ先生の異動が
降格や懲罰の人事ではなく
定期異動の範疇だということ
新しく来る校長先生の名前や前歴等の
情報は確保できた。
とりあえず、カルディ先生のやってきたことが
評価されなかったわけではないらしい。
よかった。

でもやはりタンジュンサリ農業高校のような
それぞれの分野の職業系高校が
法律の施行により
それぞれの管轄省庁から教育省に
移行した影響は大きい。
ちなみにタンジュンサリ農業高校は
農業省管轄から教育省管轄に移動。
これにより校内人事を含め
すべてが教育省の定例異動の対象となり
今回初めて校長先生がその対象となって異動した。
今後、2年1回校長先生の異動があり
たぶん他の先生の異動も起こるだろう。
ますます交流事業や研修事業の
引継ぎが難しくなっていくと想像する。

新しい校長の情報は
出来るだけ早く収集するつもりだが、
今はカルディ先生との思い出に
浸りたい。
16年間、本当にありがとうございました。



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5月から
結社雪解の福井の会の
若手勉強会が始まった。
僕と医者の梅田先生の日程に合わせてくれて
第四土曜日の開催。

これで句会は月に3回。
投句先を考えると
これ以上増えるのは大変だけど
句会はとにかく勉強になるから
頑張ろうと思う。

さて、その勉強会の第一回目に
雪解福井本会の会長である伊藤先生が
サプライズで参加していただいた。
僕は初めて伊藤先生と句会をご一緒したのだが
先生の選句6句中、3句取り上げていただいてしまった。
伊藤先生から
「徹さんは、太い句を作るんですね」と
お声掛けいただいて、とても嬉しかった。
そんな風に
自分に作風があるとは自分では思ってもいなかったし。
夏だから、思いっきり夏らしい句をと思って出したのが
良かったのだろうか。

太い句。
そのフレーズがとても気に入った。
これからも句会頑張っていこうっと。


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インドネシア語でTumpang sari(トゥンパンサリ)とは
日本語で混植を表す。

ダニ(実習2年生)の5月の月間レポートは
まさにその混植の勉強だった。
インドネシア、特にジャワのスンダ地方では
この混植農法が日常に浸透している。

混植とは二つ以上の種類の野菜(植物)を
混ぜて植えることを言う。
日本でも、家庭菜園レベルでは良く見かけるやり方でもある。
プロ農家もたまにだがこういう方法をとる方もいる。
ここでは特定の農法の
良し悪しを論ずるわけではないのであしからず。

ダニのレポートの面白いところは
(だとしても、たぶんネットのコピペだろうけどね)
インドネシアの混植を3つの種類に分けて
説明している点だ。

一つ目は、Tumpang sari(トゥンパンサリ)。
これはこのままで混植と訳されるように、一般的な混植。
二つ以上の種類の野菜を混ぜて栽培する。
必要な肥料養分が一緒だったり、
草型によっては日射で競合したり、
またアレロパシー等の物質を出して
お互いの生育を阻害したりもするので
混植する作物の相性は、よく見ないといけない。
コンパニオンプランツとして
病害虫の忌避や互いに生長を高め合う組み合わせがあるので
それで組み合わせることで資材やコストの投入を抑える
低投入型農業にもなる。
土地利用率も高まるし。

二つ目はTumpang Gilir(トゥンパンギリル)。
日本語で近いのは輪作だけど、
このTumpang Gilirは、もっと積極的に混植に近い。
輪作は、前作と後作で違う科の野菜を作ることで
連作障害を避ける目的で行われる。
なので、前作と後作があんまり重ならないというか
混植にはならない。
それがTumpang Gilirは輪作的発想だが
前作の後半と後作の前半が重なり合っているイメージだ。
例えばまずトウガラシとキャベツを
1つの畝に一緒に植える。
キャベツが先に収穫を迎え、
その後トウガラシが大きくなり収穫を迎える。
トウガラシがある程度収穫が始まったころに、
インゲン豆のタネをトウガラシの脇に蒔く。
トウガラシが収穫が終わりを迎えた頃
インゲン豆がトウガラシの支柱に絡みついて
次の収穫が始まる。
という、そんな感じ。
途切れず何かが生長し、何かを常に収穫する。
そんな感じ。
日本だと
エコロジストに人気になりそうな農法だよなぁ。
これだけを極めてレクチャーするだけで食べていけるかもなぁ、
とやや意地悪くも思うけど。

三つ目は、Tumpang Sela。
これはアグリフォレストの概念そのもの。
樹木等(果樹・コーヒー・お茶なども含む)を植栽して
その間で野菜などの短期で収穫できるものを
樹木が大きく生長するまで栽培する形式。
森林保全などの文脈でよく登場する農法。
野菜栽培ができるのは、木の種類にもよるけど
だいたい3年ほど。
その後はその木が果樹であれば
果樹園として利用する。

これらの利点は、
ダニはこうまとめていた。
①継続して収穫を得ることができる。
②耕作地の収穫を最大にできる。
③病害虫の防除に効果的
④低投入農業の実現
⑤土地保全
⑥地球温暖化回避
⑦人間の健康の維持

ま、⑤~⑦はややプロパガンダ調で
それがほんとにそうなるのかどうかは
科学的に実証されていないようにも思うけどね。
彼のプレゼンでは断然
①と②の意味が高いようである。
まさにスンダ的だ。
人口密集と耕作地の少ないジャワ、特にスンダ地方では
土地利用を高めることと
収穫に端境期があるとそれだけで
小農の家計がスタックするので
それを回避するための意味が強くなる。
さらにはPekarananganというスンダ人の
思想を自己菜園とした文化があり
その作り方と、この混植文化は
よくなじむ。というかそこから派生したのかも。
そこにヒンドゥー的自然観が入り
エコロジストよろしく
Tumpang Sari農法はまさに世紀の農法のように
評価を受けることになる。

でね、ダニさん。
20年後も30年後も
このTumpang Sariがインドネシアとは言わないけど
スンダ地方の農業を支える柱になると思うかい?

ま、福岡正信の自然農法の本などが
インドネシア語にも訳されていて
僕が通っていたボゴール農科大のエリートたちが
(みんな農業省の官僚か大学の先生になりました)
こぞって称賛していたことを考えると
有機農業や自然農業といった
エコロジカルな市場が今後形成されて
そこに供給する主な農法として
Tumpang Sariなんかも特化して残る可能性もある。
にしては、貧農の農法イメージを払しょくするカリスマが
時代によって何人か必要とされるだろうけど。
ま、ダニさんは今のままではそのカリスマには
ちょっと足りないかな。

混植を支えているのは
効率に発展できないインドネシア・スンダ地方の農業の
問題点のそれぞれであり、
その縮図が混植でしかない。
農業分野で高度成長を生き残ろうとするのなら、
都市近郊であれば、こうした農法を売りに
安全安心が商売に成り立つ。
癒しだったり、スピリチュアルなサービスとして
もしくは体験農園や市民農園の
サービスとして、生きていけるだろう。そりゃもう十分に。

だが、増え続けるインドネシア人口を
この農法が支えることは不可能だ。
と書くと批判を受けようか。
不可能じゃなくても、
他の可能性の高い方法に
競争で負けてしまうってこと。

ダニさんの住む地域は、
高原地帯の大規模野菜栽培産地であり
大規模お茶産地。
だが、二つの要素で
Tumpang Sariが幅を利かせているだけだ。
僕が教えている農業の構造授業をきちんと
理解していないから、
未来の農法としてTumpang Sariなんて言い出すんだよ。

いいかい、ダニさん。
二つの要素の一つ目は、
まずは農業機械だ。
耕起が機械化されていないから
自由に畑のレイアウトを簡便に変えることができない。
鍬だけでの耕起&畝たては大変だ。
手作業ならば、
一度作った畝は何度も使った方が、効率がいい。
でもトラクターがあれば、その作業はずっと楽になる。
そして収穫を機械化すれば
ごちゃごちゃして植わっている畑では機械は使えない。
機械の規格に合わせてモノカルチャー化しなければ
効率の競争で負けることを意味する。
ダニさんの地域では
大規模化して機械化する農業企業が
これからまだまだ増えてくるだろう。
都市からずいぶん離れているのを利用して
週末滞在型の農業観光地でも目指さないことには
機械化が遅れれば、この競争に負ける。

もう一つは、政府の森林保全政策だ。
プルフタニという森林公社が農民が
樹木(果樹・お茶・コーヒーなども含む)栽培をすることを前提に
国有地の耕作を認める政策を出している。
そこでダニさんの住む地域の農民の多くは、
プルフタニと契約をして
お茶栽培をしている。
お茶の樹間を大きくとって
その間で伝統種のトウガラシを栽培するのがポピュラー。
もともとはこのトウガラシが良く売れるということで
お茶とトウガラシの混植が無理やり生まれている。
政策がこのまま続くかどうかはかなり不透明だということもあるし
お茶とトウガラシの栽培の効率化を進めて行けば
とうぜん、別々に栽培を始めることになるだろう。
資本が農家にあれば
トウガラシとお茶は別々に栽培出来る土地を購入する方が
断然、収入は向上する。
お茶も機械化されると、間にトウガラシがあるのが邪魔にもなるしね。

だからダニさん。
君がその競争に勝つには
このTumpang Sariが大規模農業地で行われている
今こそ、その農業の構造を先に変化させて
自分の農業のカタチを変えることだと
僕は思う。

ちなみに
僕は環境は破壊すればいいとは思ていませんので
あしからず。
貧困はより環境も破壊するので
よりよい暮らしを皆が得て
質の高い教育を受け、それぞれが
他者のために考えられる社会を作ることが大事
(制度を利用して、特定の誰かだけが得するような
フリーライダーを許さない制度設計された社会ね、安倍さん)。

ダニさんも
規模を大きくし、低投入の効率よい農法を
(Tumpang Sariは低投入という意味では優れている)
故郷で展開して、
多くの農民の所得向上と
意識向上に貢献してほしいと思う。


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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

俳句もしております。「雪解」「街」「いつき組」に所属しております。

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メールは
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