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ご支援をいただいた皆さま

先月の2月に福井を襲った30年豪雪では
農園や近隣の農家のハウスが多数倒壊いたしました。
その現状をSNSやブログ、ニュース等で拡散していただいた結果
俳句集団いつき組の方々をはじめ
友人・知人・野菜を買っていただいていたお客様から
多大なるご支援をいただきました。
本当に、本当にありがとうございます。
120名以上の方々からお見舞金として
852,425円をいただき、
またお酒やお菓子、みかん、ぽんかん、インドネシア食材、干し芋、句集、
そして励ましのお手紙など
本当に心温まるご支援をいただき
スタッフ一同感謝しております。

本来であれば、お一人お一人にお礼状を
お送りしたいところではございますが、
銀行振り込みでご支援いただいた方も多く
住所不明もしくはお名前が不明の方も多くおられ
ご支援のお礼ができないまま過ごしておりました。
また、災害時にはよく見受けられますが
被災したことが個人の不徳とするような
私個人への批判も多くネット上を飛び交っており、
いつき組をはじめ多くの友人が利用しているSNS上で
ご報告することで、皆さまにもご迷惑がかかるのではないかと
危惧して、どのように対応していくべきか迷いもありました。

しかし、いただいたご支援に返答しないは
あまりにも失礼だと思い、
このようにブログにてまずはお礼申し上げたいと思います。
住所のわかる方々には、また改めて
お礼や経過報告をしていこうと思います。
それに合わせてブログでもご支援をいただいた方々を念頭に
経過報告をしていこうと思っております。

雪による倒壊で、
農園は約7000万円以上(撤去+建て替えの費用+収入減)の
損害を被りました。
あまりの被害額の大きさに
心が折れそうになる日々でしたが、
次々と届くご支援に本当に支えられました。
経営的な危機はまだまだ続きますが
前を向いて、この難局に立ち向かっていこうと思っております。
本当に、本当にたくさんのご支援ありがとうございました。



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大雪から1カ月が過ぎた。
納税申告や海外出張や
ハウスの倒壊の処理など
あれこれ考えているうちに
すでに1カ月が過ぎた。
この間、何社かメディアの取材も受け
あの時の状況を語る機会を得た。
興味深いことに、人は経験したことを
その内面に貯めておくわけじゃなく
誰か(もしくは何か)とのインタラクションの中で
自分の経験を発見する。
だから、その発見したものを
僕はここに記しておこうと思う。
それはあの豪雪時の対応について。

経緯については
以前のエントリーが時系列で詳しい。
今回は、取材で良く聞かれたこととして
豪雪への対応は万全だったか?
次回への反省点はあるのか?
について記そう。

また、Yahooニュースや全国ネットのテレビで
僕自身が取り上げられたことで
2チャンネルなどの媒体で
「農業はすぐに行政からの支援を頼りにする」、
と僕個人や農業全体に対する対象は様々ではあるが
攻撃的な意見を多数いただいていることも
念頭に置いて、取材時に気が付いたことをまとめたい。

①経験からくる情報の共有不足
まず、この事項が不足していたことで
ハウスの雪かき作業を
その現場現場で思考することが難しくしていたように思う。
農園の施設は3か所に分かれている。
それぞれは何キロも離れているわけではないが、
地形などでばらつきがあり、
またそれぞれの場所でも何種類ものハウスが立っており
それぞれの強度や特徴、立ててからの年数も
まったく違う。
その立地や構造の違いから
降雪時における要注意のハウスは
たしかに存在していた。
その情報はほとんど僕と父のみに共有されていて
普段の降雪時の対応は、僕と父で対応していた。
それで37年は対応できていた。
さらに細かいことを言えば、
37年前の56豪雪の経験は
父のみが有しており、その経験はまったく明文化されず
僕は話で聞いているくらいでしかなかった。
なので、スタッフたちは
どのハウスがどのくらい危険なのかは
まったく知らされていなかった。
逆に言えば、知らなくても37年間は問題が無かった。
この情報共有が無かった分
同時多発的にハウスが倒壊する時、
それぞれの現場の判断で一番危ないハウスを
救い出すという行動ができなかった。

②ハウス雪かきのスキル不足
雪かきは、雪国に住んでいるのだから
誰でも身につけている。
ただハウスの雪かきは別だ。
ハウスのどの部分に雪があったらダメなのか、
どこへ降ろせばいいのか、
それはそれぞれのハウスの構造と
融雪の有無、立地によって変わる。

2/4の午後から本格的に雪が降り出したのだが
その対応は、ほぼ僕だけだった。
2/5のお昼頃からスタッフも雪かき対応に替えたが
どのように雪かきをしたらいいのか
その経験値が全くなかった。
僕と一緒に1棟1棟まわりながら、OJTをするといった具合だった。
事前に学習することは、これまで必要なかったので
ハウスの雪かきのスキルは
みんなには皆無だった。
僕だってそんなに知っていたわけじゃないのだから。
農園のハウスには融雪が完備されていたから
雪かきで雪を屋根から降ろす作業は
ほとんど必要のないことだった。
1月に少し降った時は(積雪70㎝)、
倒壊の恐れがあったハウスを
僕だけ一人で雪かきをして間に合っていた。
だが、数時間で50㎝以上積もるような
ゲリラ豪雪の場合、1人では無理だ。
農園は20代30代の若者が多いのだが
スキルの無い人材が多い中、
なかなか思うように作業ははかどらなかった。
豪雪の終盤である2/8ぐらいからは
スタッフはスキルを身につけ
みるみる雪下ろしをしてくれたが
初めからあれくらいできていれば
と思わないこともない。
事前の研修をこれからは怠らないようにしなければ。

③融雪設備の老朽化
ハウスに取り付けられている融雪装置は
井戸水を利用する。
ここらの井戸は、対岸に温泉が湧くように
硫黄などいろんなものを含んでいる。
そのため経年劣化で融雪の金属ノズルがどうしても
不純物が結晶化して出が悪くなる。
毎年、冬が来る前にチェックはするのだが
何か所もノズルから水が出ていない箇所があった。
交換すればいいのだが、
それはそれでかなりコスト高になる。
ノズルだけ交換できる仕組みではなく、
融雪のパイプごとすべて交換しないといけない。
交換しなかったことが怠慢だったかどうかは
東日本大震災を経験してもなお
津波の体制が万全にならないロジックに
似ているかもしれない。
いつか来るだろうの災害には
来ないかもしれないという考えによって
費用対効果という言葉で片付けられていた部分も
なきにしもあらず。
これは廉価で交換できるような新しい融雪装置の登場を期待したいが、
とりあえずは、老朽化しているものを
今回支出できる範囲で交換するしかないだろう。
交換費用を経費に入れて
年次交換計画を立てる必要もあるか。

④融雪装置の耐久性への疑問
今回の雪では
融雪装置が雪の重みに耐えられず
脱落するケースが多くみられた。
その脱落の多くは、新しいハウスの
新しい設計の融雪装置ほど脱落していた。
融雪装置を支える金具がのびきってしまうという
ゆゆしき問題が発生していた。
明らかにこれは設計上の欠陥と言える。
メーカーやハウス施行の会社に伝えて
新しい設計への変更をお願いしたい。
とりあえず自分らで出来ることとしては
融雪装置をささえる金具の数を増やし
すこしでも重量に耐えうるようにすることだろう。

⑤新規のハウスは耐雪の規格をさらに上げる
13棟のハウスはこれから立て直しになる。
それらは今まで以上に積雪に耐えられるような
構造体を目指す。
すでにハウス屋とも検討に入っている。
それ関連の情報を集め、自らも構造に詳しくなるよう
勉強を重ねていきたい。

次の冬は、
点検し交換して強度を上げた融雪装置を付けた
さらに耐雪構造のハウスで、
事前学習によるスキルアップしたスタッフと
弱点となるハウスの情報を共有し
初動を早くし
同じような、もしくはそれ以上の雪が来ても
もう1棟も倒壊させない。
そう強く思う。





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インドネシア出張の成果の記録、第2弾!
②スタッフ立崎の活動打ち合わせ

ちなみに、立崎はいつき組のたちこである。

さて
事細かに読んでくれている読者には
重複する説明で
眠たいことこの上ないが
これを理解していないと
なんのことなのか?となりかねないので、
くどいけど、立崎がインドネシアに居る説明させてほしい。

農園がインドネシアの農村開発を
ほとんど無償でおこなっていることはこれまでも
記録してきた通り。
その中で、2016年より
タ農に人を派遣しようと画策していた。
それがどのような形になるかは
様々な検討をおこない
青年海外協力隊が一番いいのでは、と
タ農の校長とも合意。
それから案件を形成し
協力隊の一般募集にあがってきたこの案件に
スタッフ立崎(若干当時24歳)がアプライして
見事その案件を手中に。
案件内容としては、
隊員はタ農の農業の先生として派遣され
インドネシアの農業教育の拡充と
和食ブームに沸くインドネシアにて日本野菜の紹介、
そして技能実習生の卒業生への営農指導(これは裏ミッション)
etc.
で、昨年の12月に派遣され
今年の1月よりタ農で農業の教員として
立崎は活動を開始していた。
彼女自身は大学生時代にインドネシア留学経験を持っていて
語学はすこぶる出来るので
いきなり教員として授業を担当させられている
まさにスーパー隊員と言っていい。

だが、その立崎からすこしS.O.Sが来ていた。
それは専門以外の授業も担当させられ
かなり負担が重いこと。
そして事前に時間割をもらうものの
担当先生の授業の補完的役割かと思いきや
まるまる1コマ授業を期待され、
しかもその準備にほとんど時間が無いこと。
正直、このレベルになってくると
僕でもできるかどうかかなり怪しい・・・。
ましてや留学経験1年で
農学が専門でない
25歳の経験がまだまだ足りない彼女が
まかりなりにその毎日をこなしていること自体が
すでに異次元に思えた。
環境が人を育てるとはこのことだね。

さて、
今回の僕の役割としては
立崎の役割について学校側と協議することだが、
それは
彼女に楽に活動をしてもらうことではなく、
学校の要望と
彼女のポテンシャルのぎりぎりと間を
見つけることにあった。

そもそも1か月ごとに時間割を渡されて
栽培だけでなく農産物加工からランドスケープ、農業機械などの
授業にまで彼女にまるまる一コマ任せてしまうという
その感覚が僕にはよく解らないし
それがこなせるスーパー先生は
たぶんタ農の先生にもいないんじゃないかなって思う。

で、さっそく教務担当のTuti先生と
タ農の校長、立崎と僕との4者会議を開催。
事前に立崎へのインタビューで
一コマ任されるのは嬉しいが準備に1か月欲しい事、
1つの授業を学年のすべてのクラスを横断的に行いたい事、
外国人の目線から見た異文化的農業について授業することで
単なる技術ではなく学生の見識を広めるような授業をしたい事、
などなどを聞いていた。
ちなみに、もうこの時点で
もうすぐ任期満了の隊員のような現状分析ができていることに
僕はこっそり舌を巻いていた。
どこまで成長する気だ?この子は・・・。

で、これをそのままタ農側にぶつけてみた。
その反応は、すこし意外だった。
困惑と言うか思惑と違うというか
まさに差異を見出せる瞬間と言うか。
僕はこの瞬間が好きだ。
校長からの返答はこうだった。
「農業というのは、土を見て、肥料を計算して、種を蒔いて、水管理し、病害虫を押さえ、収穫し、市場を見て、加工もして、農業機械も扱い、畑の周りの環境にも気を配り、そういう総合的なもので、その流れの中で立崎には全部を見てもらったうえで、どの部分を日本式で改善できるかを考えてほしい」と。
なるほど、こりゃズレテルワ。

農業の過程を農学的に切り分けて
そのどこかで日本的視点が活かされないかって
これ現場レベルだとあまり意味のない話。
農学栄えて農業滅びるってまさにこれかもね。
ただ農学的アプローチとしてはそれが真っ当なのも
問題をややこしくしている。
僕らは市場があって
それは顕在的か潜在的かの違いはあるだろうが
それに反応する形で商品を作り上げていく。
コストの面と質は市場のレベルによって変化もする。
栽培としてのベストではなく、お金が回る、そんな感じ。
それを農園たやで叩き込んできた立崎には
農学的なアプローチの農業への視点は
たしかにピンと来ないのは、当然だろう。
この視点と常識の差異を数時間の会議の場だけで埋めることは
たとえどんなファシリテーターだって無理だろうね。

で、
とりあえず、授業を作る時間が欲しいこと、
ある程度テーマを決めてその月はそのテーマの授業だけをすること、
農学というよりも生徒の見識が広がるような授業をすること、
の三つを了承してもらった。
あとは立崎がその授業を体現する中で
農業とはどういうことなのか、それを先生たちにも
分かってもらえたらいいと思う。
切り分けて細分化して分析する中に、
人々の息遣いを感じる農業はなく、
農業はあくまでも人の生業、営みなのだとそれを知ってほしい。
と書くと、敵を作るかな。
ま、僕も学部程度の農学しか齧って無い身なので
あんまり偉そうには言えないけどね。

で、校長先生たちには一応
立崎の要望は認めてもらった。
これからは立崎のテーマの中で
時間割についても出来るものと出来ないものを
立崎自身が選択し、
授業づくりにも時間をある程度見てもらうことになった。
そして、僕も彼女の授業作りに
ネットを介してだが手伝っていくことになった。

正直、話し合う内容が高度で
協力隊に来たばかりの人間について
話し合っているような感じが全くない。
環境は人を育てる。
本当にそうだと思う。
よかったね、立崎、
君の今の瞬間で
ここに協力隊として参加できて。

つづく




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雪害で農園が大変になっている。
普段通りの営農が続くかどうかの瀬戸際で
経営者としてはそちらに集中しないといけない。
普通なら。
でも、農園たやは、いわゆる「普通」の農園とは違う。
もともとが
インドネシアの地域開発に参加する
その手段としての農業という出発点を持っているので
自分たちの営農はもちろん
続けられるよう様々な手を打ち続けていくが
それに忙殺されて
インドネシアとの係わりを疎遠にするという
選択肢は、僕らには無い。
僕らの営農が順調で進む限り
インドネシアと日本のある局部にはなるが
それぞれの地域と農村は発展する。
そんな仕組みを作ってきたので
僕らはその歩みを
雪なんかで止めてはいけない。

ということで
僕は当初の年間計画の通り
仕事日としては三日間という
あいかわらず短期だが、
インドネシアに渡航した。

今回のインドネシア渡航の
主なミッションは以下の通りだ。

①タンジュンサリ農業高校と福井農林高校の交流活動の促進
②スタッフ立崎の活動の打ち合わせ
③実習卒業生グループの話し合い
④実習卒業生の営農相談

短い時間だったが
これらのミッションすべてで
思った以上の成果をあげられた。
出発前に豪雪の対応で
ほとんど準備らしい準備が出来ないなか、
卒業生グループの長であるタタンと
スタッフ立崎とが
それぞれに準備を進めておいてくれたおかげで
スムーズかつ有意義な議論ができた。
改めて両者に感謝したい。
そして、やはり現地に
調整してくれる人材がいることが
こういう活動の大きな支えになることを実感した。
豪雪の害で
農園の被害はとても抱えきれないほどではあるが
農園の存在意義は
インドネシアと日本の農村、両方の発展を
その交流から見出すことにあるので
これからも今の人材を雇用し続けられるよう
僕も全力を尽くそうと思う。というのは余談。

さて、まずは①。
タンジュンサリ農業高校(以下タ農)と
福井農林高校(以下福農)の交流事業。
実はここ数年、停滞気味だった。
インドネシアから日本には2年に1回のペースで
来日していたのだが、
ここ数年は、来る来ると言いながらも
実現していなかった。
しかも、数年前に友好提携の締結書も期限が切れてしまっていた。
この事態に、事前に福農側と僕とで話し合いを行い
できればどちらかが訪問して話し合いができればいいのだが
時間も予算もなかなか厳しい中で
せめてお互いが顔を合わせて話し合いができるよう
インターネットを使ったテレビ電話で会談をすることになった。

今回のインドネシア訪問は
僕の年間活動の一つでもあるので
このタイミングでテレビ電話を調整。
立崎がこの調整をしてくれたため
かなりスムーズに時間や機材の準備できていた。
ただ、やはりそこは海外とのやり取りのむずかしさか、
当日、日本との通信がなかなかうまくつながらない。
余裕をもって1時間前から準備したが
結局会談時間直前まで両国の機材の不具合で
上手くつながらないままだった。
試行錯誤の末、僕の持っていたipadで無事通信が可能に。
両校の機材でつながるよう、今後調整をする課題が残ったことは余談。

さて、会談はタ農校長と福農教頭によって行われた。
相互訪問を継続することを確認し、
今年の12月に福農側が学生を連れて
タ農を訪問することを約束した。
これでスタッフ立崎は今後
福農の団体を受け入れるための活動が一つ増えることになるだろう。
それに付帯して日本語教育や日本文化交流などの
活動もたぶん増えていくだろうな。
で、タ農側は
2019年に福農を訪問することを約束した。
後述もするが、予算的措置が厳しい中、
その約束が実行されるかどうかは不明。
期限切れとなっていた友好提携は
今年の12月に福農がタ農を訪問した時に
式典を行い、継続更新することでお互いが了解した。
また、相互訪問以外にインターネットを使って
両校の学生レベルの交流を促進する活動をしようと
取り決められた。
立崎の活動がどんどんかってに増えていく、そんな会談でもあった。
でもこれらの活動はかなり楽しい活動になるだろうから
増える分には歓迎だろうけどね。

約45分の会談はなごやかに進んだ。
やはりお互い顔をみて話すのは大事だ。
メールや電話でも良いのだけど
Face to Faceの力ってあるな、と実感。
厳しい感じの教頭先生の笑顔がやたらと素敵だったし、
やや弱気の発言が多かったタ農の校長先生の
対外的な強気の発言が、可愛らしかった。
こういう場を通訳と言う形で
参加できたことが嬉しかった。
交流の場がずいぶんと極小化していっていた中だったので
その場に温かな光がさしたような
そんな会談だった。

さて、
会談の前後にタ農の校長先生やその関係者と
これまで日本訪問が延期になっていた経緯についても話し合った。
数年前までは、タ農の来日に
予算的な問題は全くなかった。
それがここ数年は常に
決まり文句が「予算が無い」に。
これまでもインタビューして問題は解っていたが
もう一度それについてここでも整理しておきたい。
数年前までは、タ農は西ジャワ州の拠点農業高校という指定を受けており
西ジャワ州農業局直轄の高校だった。
そのような待遇を受けていたのは4校のみ。
この好待遇で日本行きの予算を優先してもらっていた。
しかし、ジョコウィが大統領になり(個人的にはこの大統領は大好き)
高校の規定がやや変更になり
すべての職業科高校はその関係省庁の管轄から、
直接県の教育局へ変更になった。
職業科高校は普通科高校と同列に
しかも専門性もなく、
それぞれの教育局一括で指導される立場になった。
それ以来、何百という高校と同じように
県の教育局を通じて
州の教育委員会へ日本との交流の予算の申請を出し続け
そして他の何百という高校と同列に均された
微々たる予算を受け取るだけに陥っている。
政治的な行動が必要な場面だろうと
僕のような素人でも思うのだが、
教育者の鏡のような今の校長には
正攻法以外の方法をよしとしない。
じつは、今回の訪問で
ごりごりの前の校長も突然ごりごりとやって来て
非公式に議論をしたのだが、
その前校長曰く
「私だったら、この学校出身の県議員2名と州議員4名に動いてもらって、前々州知事(タ農出身)の息のかかった官僚(派閥があるような感じ?)にも動いてもらって、成果をマスコミに流して、予算措置をせざるを得ないように外堀を埋めるがね」と
ごりごりと答えていた。
やりすぎだと批判を受けていた前校長だが
今のように正攻法でだめなら
ごりごりもありだろうな、と僕は思う。

ただ現校長は人間的に信頼がおけるので
その意味では、前の校長のように
僕がはらはらする場面はほとんどない。

ちなみに
インドネシアの農業高校の現状を言えば(西ジャワに限るが)
やはり農業系職業科高校の人気はあまりなく
ほとんどが定員割れの状況だ。
だが、タ農は日本人が常駐していたり
農園たやへの研修のつながりがあったり
福農とのこうりゅうじぎょうがあったりと
そういうこともあって、
300名の定員に500名以上が集まる異常事態になっているのだとか。
校舎が足りなくて
毎年毎年増設をし続けている
農業高校では稀有な存在になっている。
と現校長は自慢してやまない。
だったら、なぜ、日本行きの予算が取れない!
そこまで対外的評価が高いのなら
なぜ、それが予算措置に反映されないのだ?
まだまだ謎が潜むが
そこはうちから派遣した立崎の
状況報告によって今後推理していきたい。
腹の底を見せないという意味では
現校長も立派な政治家とはいえるが
だったら、ごりごりやって予算とってほしい。
というのも、余談か。

つづく

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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

俳句もしております。「雪解」「街」「いつき組」に所属しております。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

メールは
taya.tアットマークnifty.com
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