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夏井いつき組長より
今回の雪害を受けた福井の第二まる安の
仲間たちに応援メッセージが届く。

組長!ありがとうございます!
逆風の中でこそ、旗はより美しくはためく。
組長のご講演にあったお言葉通り、
僕たちもこの逆風の中に復興の旗を立て
美しくはためける旗を支えていこうと思います。

ちなみに
組長の講演を聞いて、
その週の組長のラジオ番組一句一遊の兼題は「団」だったので、

黍嵐とほくに美しき団旗かな テツコ

と、詠んで送った。
放送ではお便りと共に木曜日に読まれたが、
まさか組長が僕の俳句を今も覚えていることはないだろうけど、
今回の句が、なんだかそれと呼応しているようで
とても嬉しかった。
また一つ人生の宝物が手に入った。



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今年に入って雪が
猛威を振るっている。
1月12、13日の大雪がことの始まりだった。
13日午前中で一気に積雪が増し、70㎝を越える雪となった。
この時点で平年の倍以上の雪だった。
この雪の時に、大型ハウスの融雪装置が被害を受け
その修理を福井ハウスの依頼したが、
手が回らないということで断られてしまう。
すこしやりとりがあって、
とりあえず1人だけ派遣してくれたが
被害を受けた施設が多く手が回らない。
そこで急きょ農園の営業を半分閉めて
スタッフで修理に回る。
これ本当にやっておいてよかった。
と後で思うことになる。

その後も断続的に雪。
1月30日にも大雪。
20㎝が一気に積もる。
ただこの程度なら、農園のハウスは
構造的にも設備的にも問題はない。

そして迎えた2月4日。
立春だったし、
降ってもそんなに積もらないだろうという予想を
僕たちはしていた。
大抵の年は1回くらい60㎝ほど積もってしまうと
あとはちらほらとしか降らない場合が多い。
もう2回もしっかり降ったし
今回はそれほどでもないかな、と
僕らにしてはとても気分的な判断を
してしまったことを今はかなり後悔している。
でもだからといって
融雪装置を動かさなかったり
見回りや警戒を怠ったわけでもない。
通常の考えられる警戒のMAXの対応は
当然していた。
それ以上の災害を受けるかもしれない
という気持ちはなかったというだけだ。

2月4日。
昼から降り方が激しくなり
夕方にはハウスへ車両で向えなくなっていた。
農園には3か所に分かれてハウスがある。
全部で37棟のハウスで、
自宅付近に9棟、
少し離れた堤防沿いに13棟、
そして隣の集落の山室町に15棟。
このうち、堤防沿いと山室のハウスは
農道なので行政による除雪はされない。
自分で雪かきをしないと、
ハウスにアクセスすることすらできなくなるのである。

2月5日。
4時45分に朝市に向かおうとすると
異変に気が付いた。
集落の中はまったく除雪されていなかった。
大抵は、こういう大雪の時は
夜の間に行政から依頼を受けた業者が
集落の大きな道の除雪をすましておいてくれるのだが
今回は違った。
これまでもこういうことはあった。
幹線道路優先で、集落の中の生活道は後回しになる。
降り方が激しいと、こうなることは
それほど稀ではない。
やっぱり昨晩はかなり降ったんだな、と実感するに留まる。
市場の業者へも電話し
集落内の除雪が終わったら納品すると
なんだか呑気にやり取りをしていた。

午前中にすこし集落内が除雪がされたので、
スタッフにお願いして市場へ納品に向かってもらった。
これが3時間ほどの配達になるとは思わなかった。

パートタイムの従業員はこの日はお休み。
フルタイムのスタッフは
乗り合わせて農園入りをしてもらった。
これが後でとても大きな力になる。

さて
メールやFAXで注文を受けて
この日農園は通常営業だった。
ただ収穫に向かう道が無い。
そこで数件の農家と協同で買った
堆肥作り用の重機を持ち出して、
堤防沿いのハウスと山室のハウスへアクセスする道を除雪。
午前中いっぱい除雪する。
この時に山室の田んぼに備え付けられている取水口を
重機でひっかけてしまい
あたふた。
地域の委員さんたちの力を借りて、
遠隔操作でパイプラインの水を止めてもらった。
夜、土地改良の委員さん(?)から
お叱りの電話の対応。
すこし凹む。

2月6日。
朝からホワイトアウト。
吹雪く中、重機で除雪。
昨日除雪した場所は雪で完全に埋まっていた。
どうも降り方がおかしい。
しかも8日まで大雪警報が続くという。
これは尋常な雪じゃないことに
この辺りから自覚。
スタッフの仕事を雪かきに変更し
全員でハウスの雪下しに向かう。
ただ、作業当初はまだ余裕はあった。
自宅付近の心配なハウスから手を付け初め
その一つの雪の滑りが悪い事に気が付く。
急いで、ハウスの中から確認すると
既に歪みはじめていた。
あっ!これはあかんやつや!
強くそう認識すると、スタッフには雪かき場所を指定して
僕はハウスの見回りに。
雪の積もり方があやしいハウスがいくつもあり
融雪も追いつかない感じだった。
ポンプの容量を超えてしまうかもしれない危機はあったが
(安全水量を確保できず、融雪全体が弱くなる危機)
融雪装置をフル稼働させるなど対応する。
夕方までに5棟の倒壊を確認。

2月7日。
朝から大雪。
前日の重機で雪かきをした場所が
どこかわからないくらいに積もっている。
テレビでは130㎝を越える積雪で
37年ぶりの豪雪だと連呼。
この日は朝からスタッフを3班に分けて
自宅付近と堤防沿いと山室の3か所の
雪かき同時作戦を決行。
これ以上潰さない。そのための作戦だった。
しかし、圧倒的に降り続ける雪に
僕らはあまりにも人が足りなかった。
5日に出社してくれたスタッフは
車が雪に埋もれてしまい
そのまま農園に泊まり、連日作業をしてくれたおかげで
20代30代を含む作業員9名を
確保できていたが
それでも37棟(前日に5棟倒壊したので、この時点で32棟)は
あまりにも多すぎた。
作業中も各班から随時連絡が入り
さらに7棟が倒壊した。
戦力を分散させれば、全棟倒壊しかねない。
1点に力を集中すべきだ、と悟る。

2月8日。
ようやく大雪警報は解除。
だがまだ雪は普通に降っていた。
朝にもう1棟の倒壊を確認。
このハウスは前日に全員で雪下ろししたにもかかわらず
持ちこたえられなかった。
みんなの落胆ぶりは大きかった。

この日は前日の状況を受け
山室に作業員全員を派遣。
全力で山室のハウスを死守することにした。
スタッフに異論はあったが
高性能で生産性の高く、
そしてまだ借金がおおく残っているハウスを
潰すわけにはいかない。
この日は、全員で山室に集中。
倒壊しそうだった山室のハウスを救い出すことに成功。

2月9日。
この日も朝から山室のハウスのみの除雪。
天気も良くなり、快晴。
作業するスタッフにも笑顔が戻る。
ただ10日の昼から雨予報で
雨が降れば雪は重みが増す。
一気に倒壊する危険性も高く
この日は、時間への焦りの中での作業となった。
昼から鮨十兵衛の大将がボランティアで
駈けつけてくれて、雪下ろしを手伝ってくれた。
本当に助かった。

さらにこの日は報道局が押しかけてくる1日だった。
潰れたハウスを報道しようと
朝から夕方にかけてTBS、NHK、テレ朝とが来園。
時間が惜しい中、断っても良かったのだが
地域全体が困っているこの状況を
全国の方に知ってもらい
1日も早い支援を漕ぎつけることこそ
大事だと思い
取材には積極的に対応した。

2月10日。
決戦日。
昼からの雨予報までに
雪下しが出来るかどうかだった。
山室のハウスは、連日の雪下しの経験値で
作業に慣れてきたスタッフが一気に雪を下す。
思った以上のスピードで
山室雪かき戦線に完全勝利。
山室15棟はすべて守り切った。
その勢いで、自宅の周りのハウス2棟も片付ける。
鉄骨ハウスの大屋根にかなり手こずるが
雨の降り初めには終えることができた。
自宅付近の9棟中4棟は死守。
昼休みを挟んで
雨が降っていたが
堤防沿いのハウス群の最後の鉄骨大屋根を除雪。
ここも一気に片づけて
堤防沿いの13棟中5棟を死守した。

これらの作業中、
夜はSNSで情報を流し、
知り合いの方に相談し、
取材を受け、
新聞へ投稿原稿を書いた。
ツイッターでは俳句仲間が力強いエールを送ってくれ
それが毎日の励みになった。
目の前でハウスがつぎつぎと倒壊する
そんな中でも気持ちが折れなかったのは
SNSを通じて皆さんからメッセージをいただけたからだと
今は強く思う。
農水省へ繋いでくれた方や
いろんな資金確保で相談に乗ってくれた方
アイディアを出してくれた方、
支援して下さった方、
募金活動を展開していただいた方、
短期間の間に本当にたくさんの方の
助けを得ることができた。本当にありがとうございます。

13棟が倒壊したが
面積の大きなハウスや高性能のハウスは
ほぼ守り切った。
それでも13棟は経営に大きなダメージを与えるだろう。
今後どうなるのかは
かなり不明で
でも雇用は絶対確保したいし
インドネシアの研修事業は
絶対にやめない。
その意志だけは変わらない。
そこを保つために
たぶん僕らは思ってもみない方向に
営農スタイルを変えないといけないのだと
頭の中の僕は僕に叫び続けているが
今は、乳酸が溜まりまくった筋肉を
休ませたい。
頭脳もすこし農業ではないことを考えて休ませたい。
今日だけでも
少し休むことにしよう。


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1月28日の総会をもって
JA福井市青壮年部の部長職を
退任した。
3年の任期だった。
3年前、青壮年部の一層の盛り上がりを目指して
部長職に着いたのだが
その成果は、定かではない。
足掻いたことは足掻いたし
それなりに新しい活動も盛り込んで
やれることはやった気もするが
自分が疲弊してしまった部分も多い。

1年目は本体活動を盛り上げて
それで全体を盛り上げようと思っていた。
だから本体での活動を増やし(会議も)
支部にも活動助成をたくさんつけたが
結果、支部と本体の関係が不明瞭のまま
どちらもあまり活性化せず終了。

2年目には支部活動を盛り上げるべきだと
おもったのだが
なかなか支部の活動までは、口出しもできず
結局支部活動を盛り上げるための予算をつけるだけだった。
全部の支部の総会におじゃましようか?
とも考えたが
そもそも部員さんにとって
青壮年部活動って何だ?というところで
温度差もあることだし、
トップダウンでうまくいく問題でもないと思い自粛。
本体の活動としてはうどんの販売や
餅つき体験の出店などで盛り上がるが
全体としては低調がつづく。

3年目は事務局が替わり
今までの勝手がうまくいかなくなった。
僕からの連絡が後手後手になったこともあり
ちぐはぐな1年になってしまった。
大きな活動が実行に移せなかったり
研修会の実施でとても良い内容だったが
周知徹底できず参加者が少なすぎたり。
JAにとって青壮年部ってどう見てるの?と
JAとの関係でも疑問に思うことが増えた。

社会はゆっくりと下り坂になる。
田舎はその下り坂が、急こう配なのだと
最近は良く思う。
転がるように悪くなる。
去年と同じ。これまでと同じ。前例通り。
これでは急こう配に踏みとどまることすらできない。
だから、それに対応したかった。
でもこの組織は大きすぎた。
25支部の支部長全員と
3年間の間にお会いできなかったという
僕の能力の無さもあるけど、
この組織としての体たらくもある。
ブロックのお金を削っても総会で文句も出ないのだから。
会費増やしてもきっと誰もわからないんじゃないかって。
それだけ組織疲労が来ているんだと思う。
僕は3年でそれを痛感した。

今後、まだまだ役員として青壮年部に残るので
新しい部長を支えて
すこしでもみんなが関心の持てる
組織作りに励みたいと思うが
さて、どうなんだろうね。
ここに力を割いていて良いのか?という疑問もある。
全青協の会長だった
僕の師匠の白石さんと以前話したときに
「地域はやはりどっかで捨てないといけないこともある」
そんな話をしたが
僕はまたその想いが一段と強まったような気がする、



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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

俳句もしております。「雪解」「街」「いつき組」に所属しております。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

メールは
taya.tアットマークnifty.com
です。
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