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今月の月間レポート。
デデのが面白い。

これまで帰国後の
ビジネスプランを考えてきたが
ま、正直絵に描いた餅だった。
でもそれはそれで気概を育てるという意味で
とても大事だったのだが
それを本当に実行しようというのが
今の実習生たち。
特にイマンとデデは
その能力に長けている。

今回、あらかた見えてきたデデの事業は、
えっと、お茶とトウガラシ栽培を基軸として
農業研修まで出来るような経営体だが、
そのスタートに必要な資金が
荒いけど計算できた。
それの合計が230万円。

で、今の給与とこれまで貯めた分を見て
帰国までに貯められる金額が
180万円。

差額が50万。
これをどうするかが彼の課題だった。
銀行から借りるにしても
なかなか難しいので、
事業計画を縮小するか
中古資材や何とか工夫してお金のかからないものを
活用していくかと言う
その思考の方向性が見えてきたのが面白い。
デデは不安がっていたけど、
大丈夫、デデ、そういうのって
そういう方向性で考えて行けば何とかなるよ。


関連記事
農園を法人化しようか、と
前回書いた。
どこかのだれかが
コメントで主義思想と違うのでは?と
書いてくれたので、それに反応してのエントリー。

まず、なぜ法人化なのか。
常々農業の問題の一つに
一子相伝形の家族経営体だと
感じてきた。
もちろんコミュニティについて考えると
農家世帯が集まる農村という意味では
この「農家」は重要になってくるが
現実はもうその理想郷には戻らない。
毎日185の家族経営が
全国で消滅しているのが、現実だ。
青壮年部の部長を2年半務め、
農家子弟も見てきた。
新規就農者の数は統計的に増えているが、
法人への就職の割合も多くなっている。
農家世帯を生み出すより
農家世帯が減少が激しいのは
統計から見て明らかだ。
だから185経営体が消えているんだけどね。

もちろん定年帰農はあるだろうけど
それが農家世帯を増やす力には
もはやならない。
期待の星だった
団塊世代の定年は過ぎての
統計データがこれだからね。
僕ら団塊ジュニアはどうか?
それは僕らが良く知っている。
青壮年部の集まりで農業での熱い話題は
ほとんどないし、
江掘りなどの共同作業していても
農家子弟が40歳超えていても
自分の家の田んぼがどこにあるのかも
解らない人も多い。
中央会が今、躍起になって
事業継承を唱えるのもその一つだろう。
関心もない方が
親が亡くなった時点で
帰農を志しても
技術も資金も土地の管理も
そのどの方法も知りえないから
上手くいかない経営体が増え
そして消えていく。

農業で暮らす僕らは
満たされる日々の労働の充実感は
もちろんのそのモティベーションになるが
それだけじゃ暮らしてはいけない。
結婚もするだろうし、子供もできるだろうし、
そんな身の回りのことでお金も結構必要だ。
牧歌的な、もしくは達観した仙人のような
個人はそれで良いかもしれないが
生活を創るには
金銭的にも余裕が必要になる。
この部分が、農業は弱いと感じる。

では、なぜ弱いのか。
ま、これを書き出すと
かなり長文になるので
ここではその経営体について書くか。
一子相伝の家族経営の場合、
雇用の条件がどうしても弱い。
家長の意識も家族内の事なので
労働条件についてはそれほど強くなく、
その反面、意思決定の
権力のヒエラルキーは堅固。
この中に入り込んで仕事をする場合、
この条件で結構大変になる。
ま、時としてアットホームにはなるだろうけど。
朝ドラ「ひよっこ」の米屋の三男みたいなもんか。

地域づくりにおいて
大事なのは、外部の人間(外国人も含めて)が
たくさん入ってくることだと
僕は信じて実践中だ。
固定的な関係で突き進む家族経営は
どうも好かんし、
家の中はそれでいいかもしれないけど
農業の産業的構造と後継が現状のままだと
地域はそれでは衰退する。
新しい風の人を受け止める
その度量のある経営体が必要になる。
そのために
僕は法人化をしようと思っている。

で、農事法人組合では
なぜだめなのか。
それは業務が限定されるから。
農業全般は良いんだけど、
行政から規定された農業外の業務が
できなくなる。
今後僕らがどんな業務をするかは
まだ明確ではないけど
今やっている事の多くは
農業の枠で当てはまらないこともあるのは事実だ。
制度はその使い方だと思っているので
株式会社にしたらしたで
地域づくりや人づくりが出来なくなるわけでもあるまい。
組織が古くなり、また僕の頭がぼやけ
チャレンジを怖がるようになれば、
またそんな経営者が次に跡を継げば
認知学でいう制度や社会的規範を
受け止めるリアリティ次第では
株式会社という性格が
農園の志向する方向性を変える可能性はあるが
今はそんな心配よりも
外からの風をどんどん
ここに埋めていく作業を
185経営体が消えていくことへの抵抗として
進めていきたい。

今年、
農園のスタッフをインドネシアに派遣する。
これはこれで最終形じゃない。
これは、はじめの一歩なのだ。
法人化した農園は、
もしかしたらJICAなどの団体と業務提携して
独自のノウハウを活かして
インドネシアの農村発展に寄与できるかもしれない。
個人経営はできなかった業務が
株式会社としてなら
業務提携という形で業務になりえるという
想像はとても楽しいし、刺激的だと思わないかい?
フェアトレードだっていいし、
それ関係の加工だっていい。
毎年増加していくインドネシア旅行者の
受け入れだって面白い。

農業ってもともと作物を育てるだけじゃなかった。
それはあくまでも一部で
専業なんて考えもなかった。
それが農村を形成し
そのはみ出た部分や荒い部分が
コミュニティとしての活気だった。
同質化した農業をさらに同質化して
組織に押し付ける集落営農が
発展性を欠いでいるのは、
そういうことだろうと思う。
いろんな人や業務があって
そのコミュニティは伸びるし
そこに暮らす人々の福祉は向上する。

僕は農業が好きだから農業をしているわけじゃない。
農業の本来持っている荒い部分が
人づくり、地域づくりに良く合うから
僕は農業と言う手段を用いているだけだ。
その延長上で
雇用を考えながら
荒い部分、遊びの部分を
業務として盛り込んでしまうには
やはり株式会社しかないと
ここに来て確信している。




関連記事
法人化へ向けて
動き出す。
これまでちょっとねじまがった
経営体で
本領を100%発揮できずにいた。
父と自分の経営体を分けて
2006年に
実は2度目の就農をしたわけだが
一度目の失敗を教訓に、
また、技能実習制度を利用した
まさにその中身を埋めるプログラムを
誰に頼まれたわけでもない
そのプログラムを進めるために
経営を分けて出発した。
よく父もあんな無謀で
また失礼な条件を飲んでくれたと思う。
いくら感謝してもしきれないことも
ここに記しておこう。

で、その時は
その目的に沿った
たとえ力が分散されるとしても
スタートを切ることが大事だったから
経営を分けて進んだ。
だが、やはりねじれはどこかで解消すべきだ。
社員も増え、研修事業でも成果を出しつつあり
さらにいろんな意味で責任と
更なる発展を求められているようになり
ここら辺で父と僕とで新しい会社を
作ることにした。
かなりお金もかかる作業だし
本当にこれで良いのかとの疑問はあるが
ねじれが成長を妨げるような
そんなことを感じるようになった今だからこそ
次のステージに向かって進みたい。



関連記事
インドネシア技能実習生への
座学の記録。
今年の前期の座学は、
例年通り農業構造論と農村発展論を
中心に行った。
とくに農業構造論は
実習生にはかなり理解困難な授業で
毎年前期に行うが
3年生でもなかなかその内容を
理解するに至らない。
もっと簡単に伝えられればいいのだけど
どうしても簡素化できず、
みんなの頭を悩ます科目となっている。
では、なにが難しいのか?

簡単に言えば
農業と言う表象を
その成り立っている歴史や社会や自然環境や
テクノロジーや政策やトレンドや金融システムや
グローバリゼーションなどの構造から
より明確に掴み取ろうという科目。

農業における社会変容の在り方を
その構造から読み解くことで
その先の未来を予想しようというのが
この科目の目指すところだ。
というのも、
よくいう「考える農民」を目指すとき
その考える内容はいったいなんなのかの
議論は結構おざなりで
道筋もセオリーもない。
権威付けるわけじゃないし
何か一つのアイディアに固定するわけじゃないが
何か主となる考え方のひな型があれば
そこから派生する自己流(批判や肯定も含めて)が
たぶん考えるそれぞれの農民だと
僕は思う。

で、今回の最終試験。
現状の農業を形作る構造として何があるのかは
ひな形通りにみんな考察できるようになるが
それが農村の発展計画や未来予想図に
致命的につながらないという
いわゆる応用がきかない状況。
実は、これまで11人実習生を受け入れているが
ほぼみんなこの「応用」が出来ない。
そういう意味では、もはやこの科目は失敗と言うしかない。
うーん、なぜだ。
ちなみにこの科目は
僕がボゴール農科大学に留学中に
その大学院で教わった
農村開発論と社会変容論とを独自に組み合わせて
作ったオリジナル科目。
この視点で僕は
未来を予想し、そして今の経営の根本に
この考え方を採用している。
自分では上手くいくのは
それは僕の志向に沿った考え方だからかもしえない。

1年生のダニは、
農業資材屋が地域に無いことを問題にし、
自分がそのビジネスをするという
これまで月間レポートに書かれていたことを
発表したのだが
なぜ農業資材屋が地域にないのかを
結局構造的に読み解けず、
彼の農業構造分析はそれと乖離して
地域の人口や自然環境などを延々と
説明していた。もちろん評価は不可。

デデもイマンも少しはマシだったが
結局同じところにはまっていた。
地域の問題を
それらしく洗い出せるが
それがどうして存在しているのかを
構造的には見えてこない。
当然、その情報を得ることが難しいのは
僕も知っているが、
その構造として見えてこない部分こそ
まさに問題の中心点の場合もあり
その存在を知ることだけでも
大きな成果になる。

ま、今年もあまり出来は良くなかったなぁ。
教え方が悪いのかなぁ。


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白山市の加賀の千代女俳句全国大会に参加。
事前投句した句は
選にかすりもせずであったが
お目当ては夏井いつきさんの講演。
一句一遊で天をもらったばっかりだし
上手くいけば一言ご挨拶ができるかもと期待しつつも
でも有名人だから
そもそも壇上の組長を拝見するだけでもいいや
と思い参加。

吟行は白山比め神社。
境内に着くと
なんと!夏井いつき組長が目の前に。
組長!と呼びかけ、ラジオで投句している俳号を伝えると
一発で分かってくださりました。
で、さっそく写真撮影。
ちなみに
右側の子は句会仲間で農園スタッフの立崎。
IMG_0030.jpg

講演会では俳句100年計画の演題で
100年先も俳句を残していくには
というお話だった。
俳句愛好家は高齢者が多いが
その現状をなんとか打破するべく
俳句甲子園を企画し
若者に俳句の魅力を伝える
俳句の種まき運動に強く共感をした。
「逆風の中でこそ旗は美しい」と言う言葉が
心にのこった。

なぜ100年かと言うのは
分化と教育を育てるには100年かかるから、だそうだ。
余談だが
アグリカルチャーも文化なので
これも100年かけて育てていくものなのだろうかと
講演を聞いて考えたり。
突拍子もの無いと思われていたことが
どんどん実現していく
まさに旗を立てるその姿に
強く感動した。
僕も組長と一緒に俳句の種まきをしたい。
そう強く思う日だった。

ちなみに
吟行句も全敗。
俳句の種まきもしつつ
自分のクオリティーも
まだまだ上げなければなぁ。


関連記事
IMG_0365.jpg

これも記録しておこうか。
9月17日の敦賀の全国俳句大会に
雪解主催の古賀先生が
特別審査員としてご参加いただき、
その夜、福井市で大阪や東京の方々も含めて
雪解の懇親会があった。

順化でお世話になっている加畑先生と
村田さんからの強い勧めで
僕は
この懇親会に参加することになった。
まだまだ俳句のぺーぺーで
大阪や東京だけでなく
県内の素晴らしい俳人の方々に
囲まれてのパーティーには
かなり緊張した。
しかも、なぜだか
加畑先生から参加されている皆さんへ
僕の紹介もあり
僕も金屏風前で自己紹介とあいさつをさせられた。
なんとも恐縮至極。

古賀先生曰く
雪解で全国を見渡しても
僕が一番若いのだとか。
もういい年なんだけど、僕くらいの年代で
自ら俳句の世界に飛び込んでくるのは珍しいとのことで、
いろんな意味で期待を受けた。

ある意味
雪解の全国デビューらしいので
もっともっと精進をして
特別にご紹介いただいたことに
恥じないほどの俳句、
そしていつかは巻頭がとれるように頑張ろう。

追記:パーティーではカラオケとダンスが。
カラオケもっと鍛えておかないとな。
あと社交ダンスも覚えなきゃ。
なかなかハイソな遊びであるね。


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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

俳句もしております。「雪解」「街」「いつき組」に所属しております。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

メールは
taya.tアットマークnifty.com
です。
(アットマークを@に置き換えて送信ください)

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