福井県JA青壮年部協議会(県青協)で
今年度作成したポリシーブックを
国会議員さんだけでなく
県庁にも持っていこう、と言い出したのは
僕だった。
一番身近な行政として
やはり福井県とも意見交換というか
農業の現状を伝えていかないといけない。
なんて、柄にもないことを考えてしまって、
今回、県庁に要請活動として訪問した。
対応してくれたのは
農林水産部の技幹さんと
精算振興課の課長さんと
政策推進グループの主任さん。

マスコミを入れる入れないで
ちょっとすったもんだがあったけど
腹を割って話そうという意味で
マスコミなしでの要請活動となった。
さて、その割られた腹はどんなんだったかというと、
兼業農家の位置づけによる
僕らの組織の弱さとそれを引きずることで
農業構造自体の発展性の不透明さ
だったような気がする。

福井県のJA青壮年部は
その単位組織の特色はあるが
基本的に兼業農家が多い。
というか土地持ちの家であるというだけで、
農業自体も兼業でやっていない構成員が多い。
青壮年部という男性中心の組織ということもあって
本来ならば農村の福祉という部分にも
その活動範囲はあるのだろうけど
女性部とのすみ分けなのか
それとも男女のジェンダー的偏見が
活動の構造に影響してなのかはわからないけど
僕らの活動範囲は、農業生産に限られている。
なので自然、
ポリシーブックを作れば
全体を潤してほしいような
ま、バラマキとか言われるような助成のお願いに
終始する。
それでも何とか農地の大規模集積なども
盛り込んだつもりだったんだけど
県からの発言の印象は
“専業の方は、本当にそれで良いんですか?”
と逆に切り込まれた感じだった。

僕らは専業農家かもしれない。
で、青壮年部活動で
集落の自治を夢見ても来た。
だけど、やればやるほど、
そんなものは幻想で、
言葉だけだと強く痛感するここ数年だった。
風土なんて言葉を使って
夢見た時期も結構長かった。
兆しもあったから、いろんな役職も引き受けたけど、
僕個人の力量の無さも相まって
通常の生活の範囲で
自分たちの楽しみの範囲も逸脱せず
面倒だと思えばやらなくても良い程度の緩い関係性と
固定メンバーのサークル活動程度で
ダイナミズムも少なければ
それを続けていく意味もあまり見いだせていない。
農村の自治や福祉向上の視点は
重要であるとは思うけど
その内容は文学的に深くはなるが
実際の関係性はそれに出てくるほどではなく
誇張されている部分も多いように思う。
で、そんな悶々とした想いの中で
逆に切り込まれたことに対して
僕は言葉を失った。

昔みたいに怒りにまかせて、
県も含めた行政が今の農業を創り上げたんだろ!と
吼えてもよかった。
技幹さんも課長さんも
その年代を県職に身を置いてきたわけなので。
現状として僕らは現場の最前線で
そこを切り離してやっていくすべを
組織的には、また農協としては良くわからない。
個々の経営では、それを考えて調整して
当然、やっている。
でもその指摘は
僕らの組織に向けて
あの要請の場でやられると
僕らは言葉を失う。
悲しくなる。
そういう自分に怒りが向けられる。

農業が方向転換する必要性は
もうずいぶん前から僕もここで言っている。
だのに、なぜかJA青壮年部のトップを
引き受けている。
自己矛盾だとは気が付かなかったけど
活動を鮮明に先鋭化すればするほど
その刃が僕に刺さる。

地縁と血縁と先輩後輩とあれこれと
居住空間を共にしながら
コミュニティみたいなオシャレにもなれず、
かといって自治なんて言えるほど
参加も得られない
今の農村部での農業生産は
どうあるべきなのか。
土地があってもそれを生産現場としての感心が
薄い世代が多く構成員として含まれる
福井県のJA青壮年部は浮遊する。

福井県への要請活動は、
それなりに長時間意見交換でき、
意味があったと思える話もできた。
だが、
僕は最初に指摘を受けたこと事柄から
その問題の檻にとじ込まってしまい、
自分を解放できずのまま
その時間を過ごしていた。



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今月も順化句会に参加。
前回は見学という立場だったが、
今回から正式に参加を表明。
俳句の師匠を加畑霜子先生と決めた。
どこまで行けるか分からないが、
納得した句を作りたい。

今月の句会は、
誰からも特選を得られなかった。
正直、前回のビギナーズラッキーが
自分を苦しめる1か月だった。
どんな句が、いったいそのルールに乗っ取っているのか
それが全く分からない。

今回の投句

①議事堂を遊び場にして河原鶸
②春めいて柱状節理波を抱く
③啓蟄や転作書にも判を押し
④父と子のはかま取る手のつくしんぼ

参加者の披講で名乗りは4回できたが、
ただ先生からの手直しが多かった。
①は遊び場がいけないとのこと。
議事堂なので遊び場ではない、との指摘で
僕としては皮肉ったつもりだったのだが
それが逆に要らないらしい。

議事堂にひなかきている河原鶸

②は褒められた。
波の寄せては帰るそのリズムがゆったりとする、
波がなかなか帰らない、
それが春めいての季語に良く表れている、と。
ちなみに柱状節理は東尋坊の岩々のこと。
で、この句は披講で皆さんに取っていただいた句。
硬く大きな岩が、柔らかく波を抱く。
ま、別の意味を込めてもいるんだけど、
それは内緒。

③は、にも、がいけないとのこと。
字数合わせに使った言葉を指摘され、
17文字のシビアに気が付く。
判もダメ。
判だと指でもいいんだって。
一字も意味の緩い音は、
やはり許されないのが俳句だね。
しびれる~。

啓蟄や転作の書に印を押す

④父と子のはかま取る手のつくしんぼ
これは披講で取っていただいたのだが、
先生の直しには入らなかった。
ま、ダメ句か。

それ以上に
自分の選句がやはりダメ。
他人の句をしっかりと理解できないのは
自分の世界観の浅さだろうね。

今回僕の選句は

潮騒を蘂に孕みて椿落つ
春風や鳥居の鳩の胸光る
起重機の春高々と持ち上げる
鳥帰り山湖くまなく水鏡
手習いの筆隆隆と春始む 特選句

僕が選んだ特選句は
誰も取らなかったし
先生の手直しにも入らなかった。
これがどうダメなのか
自分には良くわからない・・・。
だのに、みんなには解っている雰囲気で、
うーん、そのコツ所はどこなんだろう???
奥が深すぎて、まったく五里霧中だ。




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NHK俳句が面白い。
特に僕は池田澄子さんが好きだ。
彼女の視点は面白い。
とくに今回の句は素晴らしい。

まさか蛙になるとは尻尾なくなるとは  澄子

この句は2つの意味で面白い。
一つ目は俳句の形式に収めようという苦労を
飛び出したのにたぶん作者は十分しているんだろう
というところ。
池田さんの句はつぶやきがそのまま句になっているような
流れるような旋律が美しい句が多い。
5・7・5に収めようとすると
言い表せないことが多すぎて
あれこれと言葉をひねって
最後には駄作の5・7・5が出来上がるのが
僕の常なのだが、
それへの挑戦がなんとも面白い。
そしてその挑戦に大胆に展開したこの句が
また眩い。

二つ目がその中身。
一つ目が律の世界だとすれば、
二つ目は意味の世界だ。
オタマジャクシ自身が
自分の変化に驚く句だが、
ただ単に蛙になったことを言っているわけじゃないだろう。
春は、変化の季節。
受験、進学、就職、クラス替え、卒業式、入学式、入社式、異動、別れ、そして出会い。
そんな変化にあふれた季節。
その変化は自らが進んで得たものかもしれないが
そうじゃないものも多い。
なにかの因果とご縁が混ざり合い
君とここで出会う。
そんなことも起こる季節。
その季節を池田さんは「蛙」に閉じ込めた。
意図せず起きた変化に
わくわくする反面
どこか疎く感じる、まさに春愁。
それらすべてが季語の「蛙」の驚きの中に
閉じ込められている。

流れるような言葉の律と
その中に込められた世界観の広さ。
音と意味。
言葉を与えることで
その現象が生活世界の中で
キラキラとした意味を持ち始める。
池田澄子さんの俳句は
そんな句が多い。



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今年もインドネシア研修生の
3年生であるレンディは迷走中だ。
3年になると卒業研究をするのだが
その計画書をこの4月までに提出しないといけない。
毎年のことなので、10月くらいから準備をするようにと
言ってあるのだが、
どうしても卒業研究をすること自体が
目的化されていて
必要のない、それなりに研究に見える、
そんな計画書を出してくるから
ちょっとウンザリ。
特にここ数年はその傾向が強い。
1期生から4期生までの
あのクオリティが懐かしい・・・。

さてレンディ。
ジャガイモの産地ということで、
ジャガイモの栽培について研究することになっている。
で、大変なのはアブラムシによる
ウイルス病だという。
その防除方法の勉強をするとのことだった。
ま、そこまでは良かったんだけど、
アブラムシの被害は全体の5%程度だっていうから
それなら防除しなくてもいいんじゃないか?
とそもそもの前提が崩れてしまった。
アブラムシの防除はなかなか厄介で
レンディは
「天敵防除をしたい」と
言っていたが
正直露地栽培で、まったく農薬をかけていなかった
ジャガイモ畑は、
たぶんもうそれだけで十分天敵は生息しているはずで
その天敵がいるから5%の被害なんじゃないかって思う。

そんな話をしていると
レンディは
ジャガイモのウイルス被害は全体の70%くらいがやられます
だってさ。
だとすると、えっとレンディ君、
それってアブラムシじゃなくて
アザミウマがウイルスの媒介者なんじゃないの?
アザミウマの防除だと、
ジャガイモで登録とれているとしたら
合成ピレスロイドのアグロスリンかな。
有効成分はシペルメトリンだね。
たぶんインドネシアにもあるよ、これなら。
ま、散布するしかないね、アザミウマなら。

で、銀マルチでジャガイモ作っているっていうから
たぶん、アザミウマの防除のつもりなのかもね。
ただ株が繁茂すると
太陽光の反射効果は得られないから
マルチする手間の方が大変そう・・・。
栽培法が若干違うので
その違いをまずは精査してもらって
自分でその意味に気が付いてもらえたらって思う。
僕がその答えをすぐに言っても良いんだけど、
それじゃ、勉強にならないからね。

こうしてレンディ君も
ぎりぎりになって
迷走することになりました。



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デデユスフという男がやって来た。
2008年から受け入れを行ってきた
インドネシア農業研修もこれで9年目になる。
デデは、ちょうど10人目にあたる。
どんな結果になろうとも
目をつぶって10年は走り続ける。
そう決めての9年目。

デデは今回が来日初回ではない。
3年前に、福農とタンジュンサリ農業高校の
交換留学生として、福井に来ている。
僕もその時は通訳としてお世話した。
彼はその時から
「田谷さんの農業研修プログラムに期待です」と
異常なほどにアプローチを受けた記憶がある。
出稼ぎじゃないよ、勉強だよ、と
何度も言って聞かせた記憶も
まだ僕の中に残っている。
その彼が、来ることに決まった時、
正直、あまり嬉しくなかった。
高校生の時の彼の猛アプローチに
僕は辟易していたからだった。

ただ僕にどの子かを選ぶ権利はないので、
学校側が地域のリーダーになる人間だと思えば
僕はその子を受け入れるだけだ。
だから辟易しながらも
事務的に物事を進めた。

空港で久しぶりに合った彼は
やや長旅で疲れている様子だった。
笑顔は素敵だったが口数も少なく
僕と福井に向かう車の旅は
少し緊張もしている様子で
あまり話もしてくれなかった。

もうすぐ福井に着こうかという時に
彼はぽつぽつと身の上話を始めた。
彼が中学生の時、
同郷の人間が日本に研修に行くという話を聞いた。
それが2期生のイルファンの事だった。
苦労をして学校を進んだイルファンが
日本に農業研修に行くという話は
デデを魅了した。
彼の家もイルファン同様
とても貧しかった。
そして大抵貧しい家庭には
兄妹が多いのだが
彼の家もその例外ではなかった。
中学校が終了すると
彼の父親は高校に行くこと反対した。
すぐにお茶畑で働くことを強制した。
しかし彼は、どうしてもタンジュンサリ農業高校に行って
農園たやの農業研修プログラムに参加したい、
と意志を固めていた。
父や兄妹を説得し、
彼はタンジュンサリ農業高校に合格し
入学した。
成績優秀者でなければ研修参加資格はない。
彼は猛勉強をした。
生徒会長にもなり、
成績もトップクラスになった。
それもこれもすべて農業研修に
参加したい一心だった。
そして、念願かなって、
彼は僕の横に座って
福井を目指している。
もうすぐ福井に着く、
その高揚感が重い彼の口を開かせていた。
僕はただただ呆然とその話を
聞いていた。
長くやればいろんなことがある。
そんなことは想定内だったが、
こんなことは想定していただろうか。
僕らがやっていることは
それほどの事なのだろうか。
鳥肌が立った。

これから3年、
デデと一緒に僕も勉強をする。
彼の強い強い想いに
僕はどこまで応えられるのか
不安はあるが、
鍛えれば鍛えるだけ楽しみな若者かもしれない。
さあ、デデ、
君がその気なら、
僕も全力で行くよ。
覚悟しろよ。


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ちょっと前の事だけど
記録しようか。
忙しすぎて、記録が追い付かないのは
申し訳ない。

さて
ジャジャンが帰った。
送別会は、彼が来てから演奏した
農園のバンドの映像を流した。
これを編集していて気が付いたのだけど、
農園のバンドは
ジャジャンが来る前からあったけど
彼が来ることで花開いたんだなってこと。
農園開放のBBQや大学生の合宿での交流会、
村のお祭りのステージ。
それらを沸かせたのは、
ジャジャンの歌声だった。
そのジャジャンが帰った。
たぶん、バンドはこれでお終いだろうね。
次に誰かジャジャンのような奴が来たら
またやればいいさ。

彼が何を学んだのか、と
言われると
やや自信はない。
正直、研修の内容よりも
音楽のイメージが残っていて
そちらを一所懸命やっていたようにも見えた。
事実、彼を空港まで送っていったのだけど、
彼も
「最初の1年と2年目までは、どうしてこんな勉強をさせられるのだろうかって分かりませんでした」と言っていた。
だろうね。
君の眼、授業中、死んでたもの。
伸びる子の眼ってどんなんかは
僕みたいな鈍い人間でも良くわかるんだよ。
でも3年生になってからは変わった。
彼も
「3年目にはその意味がようやく解りました」
だってさ。
僕が授業でやっていることは
技術的なことはほとんどやらない。
技術を軽視するわけじゃないけど
多様で柔軟な視点を獲得すれば
その視点で技術は切り取っていけるからだ。
こうあるべきだっていう固い頭が
その産業をダメにする。
だから授業では、
多様な視点を確保するために
自分たちの常識を壊していくような座学をするから
それを受講する研修生たちには
かなりストレスになる。
自分の常識という安全地帯が
一番批判される場所だからね。

だからジャジャンは、
1年生の終わりに
「もう帰りたい。研修は続けたくない。お金が欲しかったから来ただけだ」
と言って、僕も彼を帰国させようとしていた。
当時の3年生のクスワントが
それをどうにか止めて、
ジャジャンは研修を続けた。
ま、それでも研修の意味が解るまで
1年以上時間を費やしたって事か。

さて
ジャジャンは帰り間際に
彼の帰国後のビジネス案について
少し実現が難しいことを話してくれた。
彼自身がこっちに来てから
ここでためた費用で購入した土地があり
そこでアブラナ科の周年栽培ビジネスを予定していたが、
その土地は彼の父が他の作物に使っていて
どうも自由には使えないようなのだ。
そう、そう、そう。
家族経営ってそうなるよな。
農家の子弟として、良くわかるよ、それ。
家族のヒエラルキーが
職場でも反映されて
全く身動きが取れないってやつだね。
これについては、日本であれこれ
議論してもしょうがない。
戻ってからの話だね。

彼は帰国したけど、
それで僕らは途切れるわけじゃない。
別れは、そりゃ、ちょっとは悲しいけど、
それどころじゃないのさ。
僕にはそれ以上に帰国後から始まる
彼との係り方への準備に忙しいのだ。
だから、
しみじみお別れなんて言わなかった。
さ、ジャジャン。
ここから僕らの真価を見せる時だ。
僕は君を僕から諦めることはないから、
君がやりたいっていう所まで
僕の力が及ぶ限り
君の背中を押し続けるよ。



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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

メールは
taya.tアットマークnifty.com
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