ジャジャンはもうすぐ帰国する。
インドネシア実習生の彼は、
今年度が3年目だった。
農園たやの研修プログラムは
3年目に卒業研究を行う。
で、最後にそれをまとめて
福井農林高校で発表する機会を
毎回用意してもらっている。
もちろん日本語でのプレゼンだ。
今回もその機会を得て、
ジャジャンはプレゼンをした。

彼の卒業研究は
ソシンというアブラナ科の野菜に発生する
根こぶ病の防除方法だった。
薬剤による防除が難しいとのことで
それに頼らない他の防除方法を探すのが
彼の卒業研究のテーマだった。
あれこれと文献を調べ、
そこで出会ったのが太陽熱処理と
土壌のph調整による防除方法だった。
ということで透明マルチと石灰施肥の実験を
彼はこの1年行った。

結果から言えば、ま、失敗といえるだろう。
石灰施肥でphは上昇したので、
そちらは良かったのだが
太陽熱処理はうまくいかなかった。
透明マルチで土壌を被覆したが、
熱がうまくこもらず、
地温が45℃程度しか上がらなかった。
その結果、透明マルチ内は雑草だらけになり
たとえ根こぶ病が防除できていたとしても
とても作付けできるような状況ではなかった。
雑草が生えないようにするには
50度以上の温度が必要だという。
普及員に聞いたら
マルチの厚みが足りなかったようで、
それで熱がこもらなかったというわけだ。
インドネシアには
透明のマルチがそもそもなく
使用するとしたらビニール資材になるので
どのみち厚みはあるようなので
その資材の使用で熱はこもるから
雑草の発生もなく
根こぶ病の防除はできるだろうね。

発表はとても良かった。
かなり緊張していたようだが、
原稿を棒読みするのではなく
すべて覚えて発表していたのが良かった。
先輩たちが出来なかった発表スタイルだったので
とても評価に値する。

さて
そもそもこういう実験を行ったのは
ジャジャンが帰国後のビジネスとして描いていたのが
ソシンの周年栽培だったからだ。
毎日種を播いて毎日収穫する
僕らには当たり前のライフサイクルが
まだまだインドネシアでは珍しい。
脆弱な圃場の設備も影響しているのだろうけど
(特に給排水)
彼ら彼女らの農業は一時に作業が集中し、
一気に播種して一気に収穫して
そして当然だが、価格は下落する。
流通も脆弱だから、収穫物を遠くへ運べない。
だから近隣で採れる野菜がその季節になれば
その市場にあふれかえる。

ジャジャンは毎日少しずつでも良いので
ソシンを出し続けて
取引先から信頼を得たいと思っている。
ま、それは1つの真実だ。
「美味しい」や「特別な栽培」、「特別な野菜」よりも
「毎日切らすことなく出荷する」は
もっとも必要なスキルで
市場でもっとも信頼を獲得できるからね。
それを評価する市場が君の近くにあれば、だけど。
市場の聞こえざる声に反応できるような
敏感な感性が
君に備わっていることを
僕はただただ祈るのみだ。




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昨年の初夏。
僕は俳句を始めた。
といっても季語が無かったり。
季語が二つはいる「季重なり」だったり。
5・7・5の3行句だったり。
17音にも収まらない始末。
奥行きも面白味も何も感じられなかった。
ツイッターでつぶやいても
反応もないし、気の利いた句は当然詠めないし。
始めたけど
ちょっと脇にやっていた俳句。
でも、ここに来て
またその熱が一気に加速している。

加速の理由は二つ。

1つは長谷川櫂さんの本。
奥の細道の解説が素晴らしく、
実は芭蕉は伊賀の忍者で
奥の細道は隠密の旅だった、
なんて程度にしか考えていなかった自分を恥じた。
「不易流行」と「かるみ」の芭蕉ワールド。
ああ!俳句は宇宙だ!
と思ったのもこの辺りから。

もう一つは、新人スタッフのすーちゃん。
彼女はツボにはまると、
とにかく突破力がある。
そのツボに
若干のムラがあるのが若さだけどね。
で、そのツボにはまったらしく
なぜだか彼女も俳句をやると言い出した。
で、新しく農園に入ってきた江川君と
3人で句会をすることになった。
なので最近は必死に句を練り上げている。
というわけだ。

今回記録しようと思うのは
その句会の事。
句会の名前は、「さぼてん句会」。
名前の由来はまた別のエントリーで書こうか。
とにかくその句会を始めた。
俳句は一人でやっても
ぜんぜん面白くないけど
句会はライブ感覚でとても楽しいと知ったから
これはやらない手はない。
句会は大きく分けたら3つの流れになる。
投句・選句・披講だろうね。
投句は、メンバーそれぞれが作者を不明にして
俳句をいくつか提出する。
大抵お題があって
今回の句会では、「炬燵」がお題。
一句はこの季語で読んで提出する。
選句は、その句をシャッフルして
いくつかの組にわけ、
メンバーそれぞれが良いなと思う句を
1つの組から1つ選ぶ。
披講ではそれぞれが選んだ句を発表。
この時に選ばれた句の作者は
初めて名乗る。
この句の解釈を話したりもするのが
この段ってわけだ。
先生が居れば選評というのがあって
それぞれの句に講評を付けてもらう。
メンバーのだれからも選ばれない句でも
先生の特選が取れたりもするらしいので
この選評はドキドキだね。
たださぼてん句会には、まだ先生が居ないので
とりあえず選評はなし。

句会の妙は、
自分の想いを17音に託して詠み、
それをメンバーそれぞれが自由な解釈をして
その句を読み砕いていき選ぶ中で
つながったというか
情景や想いが届いたというか
さらには自分が思ってもみなかった
さらに深く読み込んで解釈してる場合もあって
ダイナミックなやり取りにある。
詠み手の想いも場合によっては越えて
それぞれの解釈の間を自由に行き来する。
それが俳句。
言葉の宇宙で、想いがつながった瞬間は
とてもキラキラする。
言葉が少なく窮屈だからこそ
そこにある言葉に想いを投影し託す。
それがつながるからキラキラする。
そんな素敵な文学が俳句。

今回のさぼてん句会で
僕が良いな、って思った句は次の二つ。

「手の平に落ちては消える雪の華」 翔平
「かまくらを拵へし祖母の偉大さや」 安寿香

僕が特選に選んだのはすーちゃんの句。
先日雪が降った中で、
きっと彼女は雪かきで往生したことだろう。
たぶんだが、その中でかつて祖母がこさえてくれたであろう
かまくらを思い出したのだろうな。
祖母というとどこか小さくて弱い存在だが、
そこに力強さと優しさを詠みこんだのが
僕にはじんと来た。

ちなみにこの句会の僕の句は3つ。


雪煙人にぎにぎし朝の市
空薫の森の香はぜる暖炉かな
空歩き子等はしゃぎ出て空炬燵


うーん、やっぱり俳句は宇宙だね。
句会はほっこりとした雰囲気と
ちょっとした緊張、
そしてキラキラとした感覚に包まれて終わった。
来月もまた句会を開く。
お題は「陽炎」。
参加希望の方はご連絡ください。



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この時期は
総会の季節。
JA青壮年部も女性部も
総会の度に呼ばれる。
事業活動報告、収支報告、
活動計画、予算案、
そして役員改選。
どれも大事な報告と内容なのだが、
ちょっと連続して続くと
満腹感はあるね。
ま、そういう役職なんだから
仕方ないか。

で、そんな状況なのに
農園のインドネシア実習生とスタッフ有志で
運営している「耕志の会」の総会も
今月末に予定されている。

先日、その総会資料を検討する
会議を開いた。
この会で僕は会長職なのだが、
会計や事務はすべてインドネシアの子が担当する。
数十万になる予算も
インドネシアの子が会計の一切を行う。
この話をすると驚かれる方も多いが、
お金はこの5年間で1円も合わないことは
一度もないのだ。
自主的な運営と
インドネシアのムシャワラ的な総意による決定と
民主主義が、運営を健全にする。
と信じている。

さて、その会議で
今年会計のレンディから会計報告があった。
きちっと記録された領収書の記録と
銀行の残金、そして手持ちの現金と
見せてもらい、
今年も良くできました、と思っていた。
が、収支と支出の合計が
違う数字になっているじゃないか???

みんなですべてを計算してみると
やはり合わない。
そもれ10万円以上も・・・。
これにはちょっと焦った。
で、各項目の数字を良く見てみると
消化しなかった余剰金を
繰越金として処理していないことが判明。
どうもレンディは「繰越金」の意味が
分からなかったらしい。
それが分かると
張りつめていた空気が緩んだ。
一同ホッとして、
もう一度計算しなおした。
これで合うだろうね~、と
和やかな空気も一時的だった。
計算すると、今度は2,858円合わない。
今度は足りないのじゃなくて、
現金がその分多いのだ。
このお金はどこから来たのだ????
会議の時間はここでタイムアップ。

しょうがないので、
昨夜、僕とレンディと
来年度会計役をやるイマンの3人が
すべての資料を持ち寄って
計算をし直すことに。
うー、他にやらないといけないことが
多くて忙しいのにぃぃ。

昨夜の会議までに
レンディは資料を作り直してきた。
2,858円の誤差まで計算していた前回だったのに
今回の資料では12万円も計算が合っていなかった。
もうレンディの頭は大混乱しているんだろう。
そこから始まった資料精査は
かなり時間がかかった。
結果、142円の領収書の計上漏れを発見。
繰越金の考え方も一から教えた。
インドネシアでは予算消化できなかったお金って
繰越金として計上しないのかしら???って
思うくらい二人ともその存在を知らなった。
どんな会計をやって来たんだ?きみらは。
僕が担当したインドネシアの農家グループは、
みんな余剰金を次年度に繰り越してたぞ。

で、計算しなおすと、2,858円は142円計上忘れで
合わない現金が増え、3,000円となってしまった。
おいおい増えてどうするんだ?という空気感の中、
レンディが突如叫ぶ。
「分かりました!忍者のコスプレ代です!」
12月に耕志の会で伊賀に視察旅行に行った。
その時にインドネシアの子3人が
忍者のコスプレをした。
その代金を当初はそれぞれの負担としていたのだが、
思ったよりも予算が余りそうだったので
コスプレ代は会の会計から出すことにした。
だが、それをレンディは計上したのに
現金を支払っていなかったのだ。
だから3,000円の現金が余分に
残った計算になったのだった。
こうして1時間にわたる
会計の監査は終了した。

個人的にだが
あの伊賀旅行の
忍者の忌まわしい記憶は
ここまでも僕にまとわりつくのか、と
ちょっと腹立たしくもあったが、
とにもかくにも計算が合って良かった。
今週金曜日の総会も
なんとか気分よく迎えられそうだ。



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この夜のミーティングの結果は
すぐにタンジュンサリ農業高校側に伝えられた。
というのも、
以前にも書いたが
こうした活動を作ってほしいというのが
タンジュンサリ農業高校からの要望だったからだ。
ただし、それは2年も前の事だったけど。

ネットワークの中心として
学校の施設の一部を事務所として
借りられないか、というのが
僕たちの要望だった。
そして
その要望はまったく問題なく
受け入れられた。
良かった。

が、それで終わりじゃなかった。
校長先生は、
「ネットワーク作りは分かったし、勉強会やスタディツアーも大事だろう。でも、もっと踏み込んで農業ビジネスの展開が欲しい。君らなら出来るはずだ」
と、ちょっとこれまでとは
違ったトーンの話を始めた。
学校の施設を自由に使って良いから
もっと大きな農業ビジネスを実践してほしい
というのが学校側の要望として
今回新たに突きつけられたのだった。

僕が知っている校長は
とても温厚で、
こちらの要望もできる限り汲んでくれる
そんな方だった。
だがこの日は、少し違っていた。
どこか焦りのある、そんな感じだった。

「私はヘンドラが帰国して来てから、ずっとこの話をしている。学校でも農産物の生産をしているが、それは授業のためであって販売のためじゃない。でも販売もその実践としては言っているが、学校の先生は教育は得意でも作物の管理と販売まではなかなか業務が忙しくて手が回らないのが現状なんだ。だからヘンドラに、圃場の管理と販売のマネージャーになってほしいと何度も懇願したが、ヘンドラは地元にも戻るの一点張り。今回のネットワーク作りは大賛成だが、その活動だけをただ単に続けるのでは、納得はいかない。もう一つ踏み込んで、学校のハウスや畑などの施設も使って、このメンバーでマネージャーを務めて、農産物の販売に大きく踏み出してほしい。卒業生の中で大きな農家として名をはせたものもいるが、その中に君らも入ってほしい」
そんなことを校長は話した。
それも繰り返し繰り返し。
しつこいくらいに。。。
その都度、僕らは答えを濁した。
それぞれがすでに始めている
農業や仕事があるからだ。
校長のいうことも分からないでもないが
それをやるには
今、それぞれがやっている事との
同時進行は無理だった。
場は重くなり、口数も減っていく。
そして校長と先生たちだけが
何度も何度もビジネスをしろ、と
口説き続けていた。
とても不思議な光景だった。
インドネシアは変わった。
目の前で展開されている光景は
僕の知っているインドネシアじゃない。

ここからはただの推測だ。
ここまで焦る校長には
何かのプレッシャーがあるんだろうって
僕らは見ている。
一般普通科高校と職業系高校の比率が
以前は断トツで普通科高校だったのだが
職業系高校がどんどん増えている。
そして校長も話してくれたが
予算も以前とは全く違い、潤沢に使用できるのだとか。
そのためか、ここ数年は
タンジュンサリ農業高校では新しい施設や校舎が
次から次へと建てられていく。
経済成長の恩恵かと思っていたけど
それ以上に職業系高校への予算が
ずいぶんと増えているからだった。
農業分野もずいぶんと見直されているようで
成長分野としての農業という捉えられ方もしていて
統計を見ても
主産業に占める割合も少し戻している。
そして、
西ジャワ州で一番という評判を持っている
タンジュンサリ農業高校。
外国との交流も盛んで
国家事業を通じて
オーストラリア・タイにも生徒を派遣している。
さらに独自路線で
福井農林高校との交流、
農園たやへの農業研修派遣、と
他の農業高校から見たら異次元の活躍だ。
だからここ数年、
インドネシア農水省や教育省から
福井の田舎まで視察に来ていたってわけか。
これらは学校の高評価につながる。
僕もそれを意識してやって来たし、
交流事業でもその場を作ってきた。
たぶんそれが功を奏してきたんだろう。
だからその次の成果を求められているのかもしれない。
そんだけやっているんだから
そこを卒業した研修卒業生の成果は?ってことか。
先生は、
「もうすぐ我々は定年だ。ここ数年で成果を見せてほしい」と
最後にその本音も見られた。

その反面、
卒業生たちの反応は悪かった。
後でみんなと話をしたのだが、
やはり学校と一緒にビジネスは難しいという。
校長が仕切る可能性も高いし、
小間使いにされるんじゃないか、という懸念もある。
あと教育機関の考え方じゃ
ビジネスにならん、というのもメンバーの意見だった。
さもありなん、だね。

ヘンドラが
「地域を盛り上げるために僕らは勉強した。だから地元に戻って、そこを盛り上げる。それが僕の役目だ。今さら学校には戻れない」
と言い切った。
それは
僕が彼に何度もたたき込んだ思想だった。
ボゴール農科大の留学を終え
当初の野望だった、
世界で勝負することから、
僕はあえて地域づくりとして地元を選んだ。
僕は地元に戻るときに
自分の想いを強い思想に変えて
その塊として戻った。
その一番熱い時に来たのが
一期生のヘンドラだった。
だからヘンドラを見ると
あの時の自分に会っているような気がする時がある。
この時もそうだった。
僕は、なんだか申し訳なくてしょうがなかった。
ヘンドラがそういえばいうほど
自分が小さくなってしまったような
そんな気がした。

そんな中で
先生と卒業生のやり取りは続いた。
早すぎて理解がついていかないインドネシア語と
思いもしなかった展開と
その場面に呑まれてファシリテートも
気の利いた提案も
棚上げにするような言葉も出てこない、
それどころか
目の前の光景がなんだかスクリーンに映し出されている
別世界のような感覚と
旅の疲れから来る睡魔に襲われ、
僕は置物のようにそこに座っているだけだった。
こんな僕に
一体何が出来るのだろうか?

そろそろが潮時かな。
僕のできることや
僕が居ても良い場所も
もうそれほどなく、
僕の価値もここではあまりなくなっているんだ。
なぜだか
それがさみしいのではなく、
反対に
それがとても心地よかった。

おしまい




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その夜は、本当に至福だった。
クスワントのプレゼンも良かったし、
他のメンバーの自分たちの予算で
やるんだという決意も良かった。
もう僕に手伝うことはないのかもしれない。
それはそれでいいのだろう。
でも少しさみしいね。
人間って贅沢だな。

と、しみじみしていたのだが、
クスワントが最後のプレゼンページに入ると
状況が変わった。
彼は今回のネットワークづくりにおいて
最終目的をただ単に懇親的な意味や
閉塞感のある村社会の中での
情報交換会といった意味だけではなかった。
彼は、このネットワークで目指すものとして
最後のプレゼンページで
「Inkubasi Agribisnis」
と名付けていた。
直訳だと農業ビジネスの培養とでもなるのだろうか。
そこで彼が提唱したのは
肥料や種・農薬などの資材の購入先と
農産物の販売先、
そして普及員などによる情報入手先を
一元化したビジネスの展開だった。
ま、ぱっとみたら農協だね、これは。
とにかくそういうビジネスを探っていく
勉強会とスタディツアーにしたいというのが
クスワントの目的でもあった。

これは卒業生たちの間でも
温度差があった。
一期生のヘンドラは明確にこれに反対をした。

僕の行っている研修でも
販売はとても大事な考察対象で
如何にして付加価値を付けていける販売にするのか、
また既存の流通のどこを中ぬけすればいいのか
などを話し合っているのだが、
帰国してもう5年も実践しているヘンドラには
それらの理論(僕の理論)が
少なくともスメダン近辺の小農には
あまり当てはまらないという実感があった。
市場への直接販売においては
無数の小売りが点在し、
それらへのマーケティングで消耗する。
しかもそれらの小売りも
ある程度大きいブローカーとつながっているので
そこに割って入る難しさも感じていた。
大きな企業との契約栽培は
価格は安定するが条件が厳しく
生産できなかった時のペナルティーが大きすぎて
小さな農家の集団では
手が出せなかった。
それらの経験からヘンドラが見つけた答えは、
「ある程度良識のあるブローカーに販売をする」
事だった。
小農はリスクは負えない。
販売に力を入れようと思っても
生産と販売のバランスが取れない。
僕が言う
君らが良識のあるブローカーになれ
という言葉も資金が無いので無理だし
小売りとの関係を築くのは一朝一夕にはいかないし
成功する見込みも立たない。
だから彼は
「ビジネスに手を出さず、良識のあるブローカーに販売をするのが一番いい」
という答えを導き出していた。
それまであがいて得た経験の言葉は
とても重かった。

だた彼にしても
現状の販売に満足はしていない。
だから、最終的には
どのような形態を目指すのかは別にして
農業の現状と問題点を洗い出して
新しいビジネスの展望を探す
という目的には賛同を得た。

このInkubasi Agribisnisという言葉には
僕のスイッチも入った。
ただ単に交流を目的としない勉強会ならば
ある程度時間を区切って
それぞれが協同してビジネスを展開できるかどうかを
考えた方が良い。
しかもそれにはすこしロケットエンジンも
必要になる。
現状では卒業生それぞれが
自分たちのビジネスを展開しているだけにすぎず、
それをただ単に統括しても
新しいものになるわけでもないし
グループとしての力を得るわけでもない。
その方向で考えるのならば
その方向でビジネスを志向する必要がある。
面白いじゃないか、クスワント。
君のアイディアに、僕は乗っかるよ。
時間を決めて、僕らはまた再び
一緒に考えていこうじゃないか。

その中でクスワントからの提案として、
僕の授業の一部をスカイプで受けられないか
というのがあった。
グローバリゼーションと農業の授業が
とても面白かったようなので
その流れで僕も彼らの勉強会の中で
授業をしようと思う。
この辺りの議論で
機材や授業に使う教材で
すこし予算が必要という話にもなった。

どこまで彼らのビジネスが
形となるのかはわからないが
僕は僕なりに協力を続けられる場所を見つけて
それはそれで嬉しかった。
もうしばらくは彼らから
一緒に歩んでも良いよって
言ってもらえたような
そんな気分の夜だった。




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たぶん都会にいる人は
こういうことには
もう少し悩みが少ないんじゃないだろうか。
アクセスできる資源が多いから
無限とも思える
都会の人的・物的資源の中で
もがくことはあっても
何かしらアクセスはできるだろうからだ。
ナンノハナシ?
それは、
インドネシアから帰国すると
その国で連続していた日常が
完全に遮断されるという感覚。

田舎にいると
インドネシア語にアクセスができない。
ネットはあるので何とか情報は得られるが、
日常的にインドネシアの人と
係ることは皆無になる。
別の田舎の日常が始まり、
それが主となり、
あちらの国にいた生の感覚は
どっかの隅に追いやられ、
いつしかそれは思い出となり
徐々に消え失せて、
フィクションが増え、物語になる。
それはそれで新しい生活が始まるのだから
良いのだけど、
あちらの国の生の感覚、
とくにそれを愛してやまなかった人間には
身を削られるように辛い時もある。

あちらの友達からのメールやSNSの会話も
流行や事件やトレンドが古くなり、
だんだんぎこちなくなる。
賀状の挨拶のごとく
元気ですか?いつか会いましょう!
そんな会話が反復されたころには、
自分の生の感覚は完全に失ったと
思っても良いだろう。

それが嫌で
僕はいろんなことを田舎でもやってきた。
おかげさまで、
僕はようやくその田舎とインドネシアの
パラレルワールドから脱し、
どちらも一つの世界になりつつある。
(が、まだ少し壁があるかな???)
ちなみにこの感覚を持った人が
ある一定の数、農業団体の中にいないと
農産物の輸出なんて出来ないぜ、農水省さん。

さて、そんな感覚は
何も僕らだけのモノじゃない。
インドネシア技能実習生だって同じだった。
日本での日常とあの空気感が
突然に遮断されるのは
僕ら以上に
情報アクセスが難しい彼らの方が
もっとひどかったように思う。

今回のネットワーク作りで
彼らが真っ先に挙げてきた活動は、
まさにそれを乗り越えようという
活動でもあるように見えた。
彼らだけの勉強会の開催と
そこに僕の授業をジョイントさせるというアイディア。
ま、若干ジョイントの件は
僕がしゃしゃり出たということは
ここに明記しようかな。
いいじゃん、その生の感覚の仲間に
僕も入れてくれてもね。

だから今回の話し合いのイニシアティブも
1期生や2期生よりも
3期生と4期生が中心だった。
もっと日本とのつながりを求めているようにも
僕の目には強く映った。

さて、
前置きが長くなったが
次に彼らが挙げた活動について書くか。
それはスタディツアーの実施だった。
1年間の勉強会を通じて
自分たちの課題を深く掘り下げたのち、
それを克服しているような先進地へ
スタディツアーに出かけようというものだった。
すばらしいじゃないか!
もうこの辺りのプレゼンを
ワント(4期生)がしていた時には、
僕はもっといろんな気の利いたアドバイスを
してやろうと思っていたのだけど、
ただただ茫然とそのプレゼンを眺めているだけだった。

そして、ま、
スタディツアーとなると
やはり予算がすこし気になる。
その予算は自分たちで賄うと言っていたが
タタンが概算をしたところ、
結構な金額になりそうだと分かった。
最初は外島(ジャワ島の外の島)も含めて
話をしていたが、
徐々に西ジャワ州のそれも近所の事例を
挙げるようになっていた。
僕も協力隊時代に
「研修は距離的に遠くに行くのが必要なんじゃなくて、その深度を深めることが必要だ」
といって近隣での研修を実行したので
それ自体にはとくに反論はない。
ただ先進地が限られてくるのは
ちょっと残念かな。
そんな話をしていたら、
ヘンドラ(1期生)から
「耕志の会の予算から、少し援助って出来ませんか?20万円でも30万円でも良いんです」
なんてさらりと冗談を言う。
おいおい、その金額は
僕らの福井の団体の1年分の活動費以上だよ!

お金の話になったので
ここらで僕は草の根の話を少しすることにした。
実はこのプレゼンを聞いていたら
僕からお金の話をするのは
まさに彼らをスポイルすることだと
気が付いていたのだけど、
僕はダメな人間で
僕も仲間に入れてほしくなっちゃって
ついついこの話を切り出してしまったのだった。

彼らの反応はあまりにもあっさりしていた。
別に必要ないんだってさ。
ちょっと使い難さもあって、
そこまでがっちりと予算を組んでやるよりも
自分たちで出来ることを
出来るだけでやりたいと言っていた。
そりゃあ、スタディツアーに関しては
少し援助がもらえたらいいが
その程度でしかない。
その援助にしても、
僕と実習生と有志で運営している
耕志の会の会計での話だった。
もちろん、それにしたって
20万円とか30万円という額じゃないけどね。
変わってね、インドネシアは。
昔はこんなんじゃなかった。
必要とも思えない援助をもらうために
自分たちをそれに合わせて
動けない組織を
要らない活動を
いくつもいくつも作っていた。
そんな姿をたくさん見てきたから
その場での
彼らの態度が
まぶしかった。
君らは僕の誇りだ。

つづく


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さて話が進まないので
一気に進めようか。
僕らはクスワント(第4期生)の家に
泊まることになっていたが、
そこにカダルスマン(第5期生)以外の
すべての卒業生が集まり
議論することになった。
しかもみんなも泊まり込みで。

そこでちょっと嬉しかったことは、
もちろんみんなが泊まり込みで
議論しようという意気込みもそうだったんだけど、
それと同じくらい、
いやそれ以上だったのは、
クスワントが今回の議論を
パワーポイントにまとめて
プレゼンを含みながら議論を
進めてくれたことだった。
そうそう、こういう訓練を
僕らはいっぱいやったんだから、
これくらいはやってもらいたかったんだよ。

卒業生のネットワーク作りは
みんなの総意でやろうということにはなったが
肝心の活動はどうするのか?
それが課題だった。
卒業生たちから上がってきた
活動は3つだった。
そのうちの2つは
すでにSNSを通じて議論されていたことだった。

まず
彼らが挙げた活動は、
勉強会の開催だった。
僕は勉強会を開くのが好きだ。
自分の知識は限界があるし
人間ひとりで学ぶことは無理だ。
本を読んでも
僕みたいに頭があんまりよくない人間は
すんなり内容が入ってこない。
だから学ぶ意思を持った
仲間と一緒に切磋琢磨してこそ
僕らは知識を肉体の血と肉に変えて
実践で役に立つものにできると思っている。
だからボゴールに留学していた時も
帰国してここで農業を始めた時も
いつも勉強会を開いていた。
それは今も続いている。
(詳しくはカテゴリーのアンビシ勉強会を参照されたし。)

で、その勉強会に
インドネシアの実習生も参加していた。
その時の雰囲気や熱気が
彼らにも感化したのだろう。
インドネシアに帰国して
それぞれの村で営農や日々の仕事に追われると
新しい知識や考えに触れる機会は
少なかった。
日本で僕らがやっているような
勉強会の熱気がとても大切なものに
思えるようになったのだという。
さもありなん。

そこで自分たちも勉強会を開きたいと
今回の活動に挙げることにした。
毎月最終の日曜日の午後に集まり、
メンバーが持ち回りで発表する。
自分たちの営農の現状や課題を発表したり
新しい技術や栽培法を話し合ったり
したいという。
自分たちだけでは
知識の限界もある。
だから年に1回は外部から
ゲストティーチャーを呼んで
講演も企画したいという。
参加者は研修卒業生だけに限らず
農業高校の先生や生徒(3年生に限る)、卒業生も
参加可能とした。

そこでクスワントから一つお願いがあった。
それは
僕が「グローバリゼーションと農業」という授業で
使用しているDVDをインドネシアにも送ってほしい
というのだ。
「田舎に戻って農業をしているとグローバルな動きをとても感じられなくなるんです。日本で徹さんのところで勉強していた時に感じた、ダイナミックなグローバルな視点を今も感じて営農したいんです。」
なんていうんだ。
この時は結構グッと来た。
あとちょっとで泣いてしまいそうなくらい
嬉しかった。
わかったよ、ワント。
DVDは君が帰ってからも新作を買い続けているから
それを送るよ。
で、それだけじゃ日本語だからわからないだろうから
僕はそれを元に教科書をインドネシア語で作るよ。
あと、日本のインドネシアを結んで
その授業をそっちでも受けられるようにするよ。
年間12回の君らの勉強会の1回は
僕が担当しようじゃないか。
という話になった。
授業していた時は、
宿題めんどくさそうだったし
僕の拙いインドネシア語も
理解しにくそうだったし
仕事で疲れているのに何でこんな勉強するんだ?
っていう雰囲気の時もあったし
僕も暖簾に腕押しな時に消耗して、
自分のモティベーションを維持できなくて
辞めてしまおうかなんて思ったこともあった。
でもそんなすべてが
このやり取りで吹き飛んでしまった。
こういうことがあるから
僕はこの活動をやめられない。
今回も事前にずいぶんと消耗し
(とくに腰の問題で・・・あと今の実習生とのやり取りでも)、
もうダメかな~、って思うことも多々あったんだけど
これでまたしばらくは僕の推進力は
保たれることになった。

つづく



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2年前に頼まれた
タンジュンサリ農業高校の
ネットワークは、
この時の印象を記憶の限り思い出せば、
それは研修卒業生たちと
交換留学経験者たちのネットワークで、
その中で何か活動できないか、という程度だった。
近況のやり取りだけでは
その会自体が存続する意味はあまりない。
会の事務所は学校の施設を使えばいい、
という破格の申し出だったが
この時は正直、乗り気はしなかった。
そんな会を作ってどうするんだ?というのが
率直な感想だった。

では、なぜ今になって
そんな前にスルーしてしまったアジェンダを
掘り起こすのか?
たしかにOB会の総会で「けしかけられた」というのも
あるけど、
それだけじゃない。
僕もうすうす気が付いていたことがある。
今やっていることの、その先をどうするのかってことを。

外国人技能実習生の本来あるべき姿と
それを真っ当な形で運用することができた場合
スンダの村の事情に詳しいというような
条件が揃えば
日本の福井という田舎に居ても
いや田舎だからこそ
農業という共通のカテゴリで
でもその社会・文化的ストラクチャーの
違いによって目に見える
その形の違いとギャップを包含しつつ、
だけど農業のもつ独特の生産様式から
影響を受ける生活や経営体や考え方を
すべてひっくるめて
一緒に考えることのできる土俵に立って、
何も後ろめたくもなく
農業というキーワードで
ここ福井の村とスンダの村の発展について
正々堂々と係れるんじゃないか?
と考えていた。
で、その野望は
それなりに形になり、
それなりに結果らしいものを
得ることができた。
といっても
まだまだみんなはその小さな結果の中で
躓いているんだけどね。
だから、僕らは、
その次を見たくなった。
その形になりつつある結果を
僕はどう背中を押せるのか?
そんな気分の中での
今回の訪問だった。

それに合わせて夏ごろから
SNSを駆使して、
研修の卒業生たちと
このアジェンダについて共有し
議論を繰り返してきた。
と書いたけど
その卒業生たちとの議論の結果は
僕を満足させることはなかった。
もう一歩踏み込んだ議論をしようとする僕の前に
彼らは必ず決まってこう答えた。
「田谷さんが来たら、僕らは議論を深めます」。
そのぬるい答えは
僕を失望させるのに十分だった。
その失望とそんなことに傷ついてやるものか!
という僕の気持ちの半分半分の中での
今回の訪問だった。

つづく



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年末年始はインドネシアにいた。
いろいろと交渉事や調査など
いくつかの用事が重なったので
年末年始にインドネシアに行くことにした。
パスポートをめくってみると、
今回のインドネシア行きは2年ぶりになる。
それももっと違う日程で行きたかったのだが、
一昨年から役が多くなり
そういう日程が組めなくなって
年末年始という絶対に会議が入らないだろうという
日程でインドネシアに行くことに。
決して、カウントダウンを海外で、
といった観光的なお気楽旅ではなかったことを
ここに明記したいね。

さて、いくつかミッションがあったが
このカテゴリではインドネシア実習生と
その後の農村開発について記そう。

前回のエントリーにもあったように
あるお誘いというかそそのかしというか
そういうモノがあって
もうすぐ10年を迎える
農園独自の農業研修事業も
次の展開が必要じゃないか?と
思うようなっていた。
ちょうど2年前に訪問した時に
実習生の人選を行っている
タンジュンサリ農業高校から
実習卒業生と福井農林高校との交換留学に参加した
卒業生を合わせて組織を作り
ネットワークを作ってほしいと
依頼を受けていた。
その答えとして
僕はJICAの「新・草の根パートナー型」事業の
提案を考えていた。
タンジュンサリ高校にネットワークとなる組織の
事務所を開設し
そこを起点にさまざまな活動をデザインしていく。
そんな話し合いに今回は臨んでいた。
ただし、草の根パートナー型事業の活用は
決定ではなく、
ただ単に個人的なアイディアにすぎないことは
ここに明記しておく。

つづく





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年末年始はインドネシアにいた。
約2年ぶりのインドネシアで
気が付いたのは、
思ったよりも錆びついた語学力と
辛い食べ物についていけない消化器官、
そしてやはりこの場所が好きだ、
という感覚だった。

旅のまとめは
またブログに書いていこうと思うが、
年始ということで、
ここではインドネシアで想った
今年の目標を書いてみようか。

今年はもっと発信力をつけよう、と思う。
実は昨年、
一昨年までブログのアップ数が減ってきていたので
毎月10エントリーはアップしようと心に決めていた。
で、何とか年間で129エントリーを書いたが、
それでも発信力は弱いと言わざるを得ない。
では、もっと発信する回数を増やすのか?
いや違う。
それは回数ではない。

今回の旅で思ったのは、
「農業」という生業の特徴というか、
特に野菜栽培においての事だが、
それがもつ経済的な活動の限界というか、
ある構造的な関係に陥りやすいというか、
国が変わっても、社会的・文化的構造が違っても
ある一定の問題を
その生産様式から共有しているんじゃないかって
思えた。
これまでもそれはぼんやりと思っていたけど
今回それを強く認識するようになり、
僕のこれまでのテーマだったことが
日本語でしか発信してこなかったことを
悔いた。
ということで、
もう少し、インドネシアを意識して
発信することにしたい。
元日に
ジョグジャのホテルのエレベーターの前で、
ばったりSofyanと出会ったのも、
2億4千分の一くらいの確率で
ばったりそこで彼に出会ったのも
きっとそんなことへのメタファーのようにも感じ
僕の想いを決定づけた。

どこまでできるか分からないけど
僕なりに見えてきた
農業(特に野菜栽培)による経済活動が持つ
構造的な問題をインドネシアの仲間とも
共有したい。

なので、
僕の今年の目標はこういうことになる。
「農業」に今まで以上に真面目に向き合い、
それをもっと掘り下げて議論をしたい。
そして、それをインドネシアにいる仲間とも
共有する機会を増やしたい。
そういう発信を増やせることができれば、
たぶん、次の10年が見えてくる気がする。

ということで
とりあえずは、これまでやってきた座学の
教科書というか、そんなものを作るところから
始めようと思う。
農村社会学を基礎として、
農業の構造を見る授業や
グローバリゼーションの影響など
それぞれの授業の教科書を
インドネシア語で作ろうと思う。
それが今年の僕の目標だ。



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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

メールは
taya.tアットマークnifty.com
です。
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