ぎっくり腰。
今年の最後に、こんなに悩むとは。
11月の最後にやらかした後、
それなりに静養し、
ネットで調べた体操もして、
以外に治りが早いな、と思っていた。
ぎっくり腰をやった時は
もうお前は若くない、
と宣告されたようで、結構ブルーだった。
でも治りの速さが、僕を勇気づけた。

でも会う人会う人から
「癖になるよ」
「慢性化は避けたいよね」
「もうこれまで通りにはいかないよ」
なんて呪いの言霊をかけられた。
気遣ってくれたんだろうけど、
僕はこういう暗示に弱い。
他人から良い事も悪い事も
影響を受けやすいから。

で、その言霊の効果は絶大で、
12月の半ばに再び
腰に電撃が走った。
おめでとう、2回目です、慢性化です。
と、頭のどこかでファンファーレが鳴る。
腰は1回目に比べて大したことはなかったが
精神的ダメージは
1回目よりもひどかった。

冬場の農家の仕事はロクなものじゃない。
僕は重い物を持つような
ガチンコの肉体労働は嫌いだ。
だから、自分の経営ではとにかく重い野菜を
排除してきた。
大根もやっているけど
ミニ大根ばっかりだしね。
でもそれでも、
夏に比べたら、相対的に重い物を持つ仕事になる。
で、12月の半ばに大根を持ち上げた時に
腰に電気が走り、
その後、軽いセロリを持っても
ミニ大根1つを手にとっても
腰がピリピリと痛むようになってしまった。

このまま慢性化を受け入れる気はない。
僕にはまだやらないといけない仕事が
少しだけど残っている。
このままじゃ終れない。
ということで
こういう時は、SNSでみんなの意見を聞こうじゃないか。
この辺りがイマドキだよね。

さてそのSNS。
たくさんアドバイスをもらったのは
それだけでとても励みになった。
ありがとうございました。
腰痛体操、ヨガ、腹筋を鍛える、
柔軟体操、湿布でごまかす、
体操、コルセット、半身浴、
インナーマッスルを鍛える、
骨盤のゆがみを整える、
整体、鍼灸、ぶら下がり健康法、
果てには、四股を踏む、まで
いただきました。
今、それらのほとんどを試しています。

そして、はとこが開業している
カイロプラクティックにもお世話になっている。
すこし年上で
小さい時から良く知っている人で
農家組合や農協青壮年部でも
一緒に役をやったり、
はとこなんだけどお互いの家の祖父母が兄妹で
嫁交換で結婚している家でもあって、
血縁は強い。
そんな兄貴のような方なので、
もっと早くからそのカイロに行けばよかったのだけど、
どうも血縁が強いと
変な遠慮もでて、足が向かっていなかった。

でも今回行ってみて思った事は、
体が以前の自分の物とは違うってこと。
骨盤がゆがんでいたようで、
腰の高さも左右で違うし、
足の長さも左右で違っていた。
あと首の稼働も右側が悪く、
スムーズじゃないことも分かった。
猫背なんて無いと思っていたけど、
猫背ですこし背骨も曲がっているんだって。
とにかく、あちこちズレまくりの体だった。
それを少しずつほぐして、
ポキポキと骨を整えてもらった。
すると\(◎o◎)/!
自分の体が、自分のモノじゃない感じ。
バージョン2!って感じだろうか。
もやもやした腰の感覚は一発で消え、
不安感もない。
なんて素敵なカイロ。

でもその効果も3日ほどだった。
その間は、もうどんな仕事もできそうだったけど、
3日が過ぎると、やはり腰はもやもや。
バージョン2お終い。
で、昨日、もう一回カイロに行く。
ハトコ曰く、
骨が元に戻ろうとしているんだって。
長い年月をかけてゆがんだ骨格は
そんなにすぐには戻らないらしい。
昨日もじっくりとほぐしてもらった。
施術が終わるとやっぱり自分の体が
自分のモノじゃない感じだった。
今回は猫背も一気に直し、
肩甲骨から肩にかけても
一気に変化した感じだった。
あああ、これってバージョン3ですか!?

多分、また3日ほどなんだろうけど
でも、この感覚すごいです。
皆さん、ぜひ、カイロプラクティック試してみてください。
次行ったら
回数券買おうっと。

では、これで今年はブログは打ち止めってことで。
今年もたくさん書きました。
129エントリー書きました。
多分、全部付き合ってくれている人は
居ないだろうけど、
それでも読んでくれた皆さん、本当にありがとうございます。
来年はもっと書きます。
鬱屈すればするほど、
辛くなれば辛くなるほど、
ふてくされればふてくされるほど、
僕は生産的になれます。
という意味では、今年は結構鬱屈しました。
鬱屈を微妙な笑いに変えて、
結構書きました。
ではでは、また来年。
良いお年をお過ごしください。




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ちょっと面白い役をいただいた。
また何かもらったの?
だが断る、じゃなかったの?
と自分でも思うけど、
これはくじ引きで決まったので
しょうがない。
仏さまが
「おまえがやれ」と言うんだから、
しょうがない。

ま、厳密に言えば
僕じゃない。
僕の妻に来た役だ。
それはPTAの母親副代表。
で、再来年には代表という
2年の役。
で、その妻は
愛知の知多の大学に単身赴任。
それに国際開発学会の常任理事で、
研究会やら何やらで土日もあまりいない。
その話は、役が来る前から
同じ町内の親たちにも言っていたけど、
そこを考慮してくれる親は約1名だけで
妻(僕)もその役を決めるくじに入れられた。
1/8だったから当たるまい、
と高を括ってたのだが、
今年の僕はとにかく運が最強のようで、
見事、この母親代表の大役を引き当ててしまった。
ということで、
たぶん来年度、僕は妻の代わりに
母親副代表の役をやることになる。

前々からジェンダー差別の匂いが
プンプンするこの役に
僕は疑問があったので
どうして母親じゃないとダメなのか
それも含めてこの役を眺めてみようと思う。
あと、この役の理由で
PTA会長が常に男性だというロジックも
僕には異次元の話に写る。
いろんな意味で、知的刺激を受けられる
来年になりそうだね。
来年はジェンダー考察の年にしたい。




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腰の調子が良くない。
11月最後に壊した腰は
どうも治りきらないまま
慢性化の状況になりつつある。
ナントカシナキャイケナイネ。

さて12月の勉強会の記録をしようか。
アンビシ勉強会もこれで
丸6年となった。
エントリーの記録も108回目と
煩悩の数と同数に。
記録忘れもあるから実際の勉強会の数は
もっともっと多いだろうね。
そんなにやっても
賢くなった気がしないのは
僕だけだろうか?

さて、
今回の煩悩の数と
同数のエントリーの栄誉を得たのは
山崎大和だった。
彼の発表した本はこれ。

吉川直子 著 『人ひとり雇う時に読む本』

今年から大和のジェラート屋では
初めて家族以外の正社員を雇用した。
で、いろいろと考えるところがあったようで
この本を読んだのだとか。
他人を雇うって責任が大きくなるから
適当にはできないもんね。

社会保険や労働保険、
契約書や最低賃金、
果てには履歴書の見方や
面接の仕方、
雇用より解雇はもっと難しい、
なんてことをずらずらと話し合った。
僕にとっては特段珍しい情報はなかったが
過去にあたふたしたことを
勉強会のメンバーも
同じようにあたふたしていたのが
面白かった。
雇用に関する諸条件をそろえていく過程で
手間が足りないから人を雇うって
当たり前だともっていた考え方から、
そういう発想とは違った考えに
行きつくはずなんだけど
メンバーにはまだまだ
「手間が足りないから人を雇う」って
意識が強いようで
雇用の諸条件をそろえることに
億劫だったりびびっていたり。
でも、それそろえないとブラックだよ、皆さん。
という僕も
努力をしているけど
グレーゾーンが全く無いわけでもない。
そこはもう少し経営形態を変えないと
(つまりは法人化なんだけどね)
実現が難しい部分でもあるので
そこに向けて検討はしている。

さて、その「手間が足りないから雇う」とは
違う考え方って何だ?ってことだけど、
それは「その人の人生も背負ってもいいのか?」ってこと。
基本、手間が足りないや足りなくなる見込みや
業務が増えることを想定して雇うんだけど
ただ単にそれだけじゃないって
ここ数年は良く思う。
雇おうって思う人の
その人の人生を僕は半分くらい背負うのが
雇用ってことだと思う。
この人と一緒に歩んでいくための
モティベーションを維持できるかどうか。
定年や辞めたいって言うまで
しっかりと雇用を続ける覚悟が自分にあるのかどうか。
この人だったら
僕は苦労を惜しまないって思えるかどうか。

でもね。
面接なんて長くても30分程度。
きれいに書かれた履歴書からは
何も読み取れないし、
良くも分からん。
だから、
話している間にいつも自問するのが
こいつの人生を僕は背負う覚悟があるのかって
繰り返す。
人の面接をしておきながら
僕が問いかけるのは自分なんだ。
家族構成やそれまでやってきたこと。
何に情熱が持てたか、何に頑張ったか、
何に価値があると思っているのか、
そんな人柄を見ながら
僕は自問する。
こいつの人生背負えるか?って。

大和のプレゼンで
「もう一人自分がいたらって思う」
という言葉も僕には引っかかる。
同質の人間が集まることは、
僕は必要ないと思っている。
価値観があまりに違いすぎると
ちょっと大変だけど、
僕らの経営体にはインドネシアのスンダ人が
一定数組み込まれているので
その価値観以上にギャップが無ければ
とりあえずはOKだ。
だから僕はあえて
僕には無い物を持っている人を採用する。
僕から一番遠そうな人間。
農業の技術や知識の有無は関係ない。
若いのであれば、できればそれらは無い方が良い。
農業とは違う経験をたくさんした人、
そんな人が僕は好きだ。
農業が停滞して高齢化して、
ただ単にモノを多く作る以外のイノベーションを
起こせなくなって久しい。
それは農業を「農業」で固定化するからだ。
この業種はもっと懐が広いはずだ。
だから僕は農業以外の経験を
たくさん持っている人を採用したい。
それが農業界にとって大きな糧になると
思っている。

と立派なことを言っても
メンバーの入れ替わりは激しい。
5年前に農園のみんなで撮った写真には
10数名写っているけど
家族以外はみんなもういない顔ぶれ。
来年みんなで撮る写真も
今年の顔ぶれとはまた大きく違う。
僕と一緒に仕事をするのが嫌になって
辞めた人もいないわけでもないけど、
それよりも
みんなそれぞれに夢があり
その夢の途中下車で
この農園に立ち寄っている感じが
最近はある。
だから次の夢の列車が発車する時、
みんなその列車に乗って次に向かっていく。
僕はいつもホームでそれを見送る役。
元気でね、と笑顔で手を振るけど
結構しんどい。
その人の人生を半分でも背負えるか?と
問うて雇うのだから
別れはやっぱり尋常じゃない。
でも雇うのもエゴだから
しょうがないね。

僕も夢の列車に乗っていると思わないこともないけど
その列車にいつまでも一緒に乗ってくれる人は
少ない。
ま、でも一緒に乗ってくれる人が
居るだけでも今はとても幸せさ。
その人たちと一緒に
僕らは農業を農業で固定化しない
イノベーションを起こしていこうと思っている。
雇用はそういうことだと
僕は思うんだけど、
みんなはどう思う?




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やばたんピーナッツ。
娘が急に、
「○○ちゃんはよくこんな言葉を使うよ」
って話してくれた。
というのだから
たぶん娘も使ってるんだろう。
しらべてみると今どきの言葉らしく
「すっげーやばい」ときに
つかったりするらしい。

最初聞いた時は、
よく聞き取れなかった。
娘も「どんな意味か知ってる?」というので
聞き取れた範囲で考えたが、
どう考えてもラーメン屋の注文を通すときに使う
業界隠語としか聞こえない。
『山盛り・バターラーメン・単品を二つ。』
って意味じゃないか???
と本気で思うくらい
彼女たちとの文化に格差が生まれていた。
最近ジェネレーションギャップや
立場のギャップを感じることが多い。
そういう歳なんだろうか。
なんだかつまらん。



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今年の漢字は「安」だった。
安倍首相や安保法案、
パリのテロなど、
それらに僕らの安全が脅かされ、
不安な1年だったことを
象徴しているのだろう。

この漢字一字を見て
娘が、我が家の漢字一字も考えよう、と
言い出した。
大きくなると別の意味で面白いこと言うね。

娘の一字は「喜」。
いろんなことで喜んだ1年だったそうだ。
彼女のクラスはやや荒れ模様だが
毎日楽しいと感じていられるのなら
それはそれで良かった。
楽しくない日もあるだろうけど、
最後に「喜」という字が出てくるのなら
とても良い一年だったね。

妻には、僕が一字考えた。
彼女の一年は「感」だね。
今年、初めて彼女が学生を農園に連れてきて
ゼミ合宿を行った。
妻の巧みなファシリテートに
学生たちが「感」化されて思考を深めていく
そのプロセスに、僕は「感」心した。
そして今年、妻の共著
実践と「感」情が出版された。
いろんなことを感じて
それを発信し、
周りを感化させていく。
彼女の一年はそんな風に見えた。
だから「感」。

僕の一字は、妻が考えた。
「受」だそうだ。
いろんな役を引き「受」けて、
新卒の子を含めて、いろんな人を「受」け入れて、
健康診断に引っかかったり、ぎっくり腰などの
「受」難もあった1年。

来年は、どんな漢字なんだろうね。
もう少し良い漢字にしたいな。




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ちょっと早いけど、
年末年始はインドネシアに行くので、
早めに今年を振り返ろうかと思う。
ということで、
恒例の僕の周りの10大ニュース。

10位 燻製にはまる
ストウブの鍋で作る燻製にはまった一年。
事の発端は、加工肉のニュースだった。
年初めに疫学にはまった僕は
それ関連の本を読み漁ったが、
その中に加工肉の健康への懸念が記されており
ベーコンやハム、ウィンナーが大好きな僕としては
かなりショックだった。
そこでそれらを極力食べない代わりに
それを自分で作っちゃえ、ということで
今年は燻製にはまった。
ハムはほぼ1年間自家製で通した。
極端と言えば極端だけど
こういう性格が幸いして
美味しい食生活をまた一つ手に入れた。


9位 リトルワールド
もうこれに尽きるね。
2月、5月、9月の3回リトルワールドに行く。
何がそんなに面白かったかと言えば
一言でいえば、世界屋台村だったからだろうか。
その地域の家や展示された文化などを観ながら
その国の料理を食い、その国の酒を飲む。
これ以上の楽しみが人生にあるだろうか。
ということで、来年もたぶん
何度も行くと思う。


8位 登山始めました
外国人技能実習生のレンディとうちの家族と
この晩夏から山を登り始めた。
月1回程度のペースで
余裕のない日程を調整しながらの登山。
山を登るという作業が思った以上に楽しい。
レンディも高校時代から登山部だったようで
日本の山の景色を素直に楽しんでくれる。
あまり実習生とはプライベートには
行動を共にしないように心掛けているのだけど
登山は別だった。
人の潜在的な立場や意識の垣根も
この作業をするうちに取り払われていくようで、
(雇用主は孤独なのです)、
彼とも普段よりも少しだけだが、
素直に話せて楽しい時間となっている。
来年は泊りがけで白山か富士山に登りたいね。


7位 大学ゼミの受け入れ
今年も大学生を受け入れた。
龍谷大学・日本大学・早稲田大学・日本福祉大学etc.
海外の農村地域への協力と農業という
小さな農園の取り組みは
それなりに学びの場を与えることができるのか
たくさんの人に来てもらうことができた。
すこしJA青壮年部の活動で
僕自身が消耗していたこともあって
パフォーマンスの低下は見られたが
来年はもう少しキャパを広げて
充実した受け入れを行いたいね。


6位 福井県農協青壮年部協議会の会長
今年からJA福井市の青壮年部の部長になった。
そして福井県の農協青壮年部協議会の会長にもなった。
だから青壮年部のイベントが
僕の手帳を埋めるようになった。
いきなり増えたイベントに
戸惑いもあるが
楽しい仲間もたくさんできた。
来年もまだそれらのイベントが
手帳を埋めるだろうが
それはそれで楽しみたい。

ただ、福井県農協青壮年部協議会の会長。
これが今年の僕にとっての元凶。
この組織が悪いというわけじゃない。
僕のキャパが少なかったからだろう。
もうこの役を立派にこなせるほど、
仕事にも自分の活動にも
特にインドネシア研修事業だが、余裕はなかった。
あと情熱はあったんだけど、
その維持に消耗したかな。
力のかけ方やバランスのとり方
もう何もかもが不器用だった。
すべてにおいて最高のパフォーマンスはない
ということが分かった。


5位 イラ・カダルスマンの帰国&イマン来日
毎年一人ずつ受け入れてきたインドネシアの実習生。
なかなか卒業生の数が増えないし
そのボリュームとしての勢力もついていかないことに
僕は苛立っていたんだと思う。
だから2012年の2月に
イラとカダルスマンの2名を
受け入れてみた。
この活動を加速させようと思って。
でも待っていたのは、
彼らのレポートを読むのにさらに時間を取られる僕と
卒業研究の指導に2倍の時間が割かれている僕が
そこにいた。
イラもカダルスマンもとても良い子で
問題もちらほらあったけど
そんなのは全体では些細なことだった。
でも、2名は指導しきれなかった。
1人のリーダーを育てる、それに集中した方が良い。
そう思って、彼らを送り出してからは
2名の受け入れは辞めた。

今年はイマンがやってきた。
とても真面目な子で、初めて夏場の断食を
乗り越えた子だった。
精神力が強く意志も強い。
ただセンスが良いわけじゃないし、
やや頑固な感じもするので
そこに柔軟な視点を持ちえることができれば
彼はすごく伸びると思う。
ちょっと楽しみな子が来た。


4位 新卒の採用
これは自分個人としては
1位と言っても良い出来事だった。
いきなり飛び込んできた新卒の女の子と
僕はどう付き合えばいいのか
最初はそれでずいぶんと悩んだ。
ま、それは今も悩みでもあるけどね。
仕事をすることの意味や
1つの道をコツコツ歩むことで
自分を見出されていく素晴らしさ、
そんなことを伝えたいという想いが沸いてきて、
それが僕をまた成長させてくれたように思う。
あとこの子はとても行動力がある。
なので、それに影響を受けて
僕も何十年ぶりに再挑戦という
スポーツや趣味が出てきているのにも
自分で驚く。
登山や自転車やスキーがまさにそれだね。


3位 人生初のぎっくり腰
若くないと宣告された気がした。
もうそんなに先はないよ、と言われた気がした。
たかが、ぎっくり腰。
されど、ぎっくり腰。
健康は思考に大きく影響する。
だから僕は、
今のままじゃダメだと
ぎっくり腰で寝ている時に思った。
チャンスがまだ僕に残っているのなら、
僕にもう少し仕事をさせてくれるのなら、
僕は、僕に与えられたチャンスに
もっと全力投球しないといけないと気が付いた。
全部をやるなんて無理さ。
だから集中したい。


2位 インドネシア農村スタディーツアーの開催
インドネシアからの研修生を受け入れたら
これをやりたいと当初から考えていた。
あれから8年が経ち、
今年ようやく、
そのやろうとしていたことの一つが
実現した。
農園で受け入れている
外国人技能実習生の地元を訪ねる旅で、
呼びかけたのは福井の農家や学生たち。
ただ時期尚早だったのか
このスタディーツアーに限らず
僕らの取り組みの認知も限定的だったため
人数が予定ほどは集まらなかった。
参加した方々のモティベーションは
非常に高まったと言えるが、
広がりに期待していただけに
反省も残っている。
仕込みにもっと時間をかけるべきだし
単独での実行よりもどこかの団体と協力する必要も感じた。
とても勉強になったイベントだった。
ここでの敗因は、
次の糧にしたい。


1位 夫婦で雑誌に取り上げられる
これも長年の夢だった。
結婚した当初、
地元の情報誌に夫婦で取り上げられる企画があり、
いつかこれに出られたらいいね、
と冗談半分で話をしていた。
それがその雑誌の別の企画だったが
15年の時を経て
実現した。
こういうことってあるんだね。
僕らが夫婦で何かを創り上げたと言えるほど
そのプロセスはまだまだ途上で
できあがるはずであろうその成果物の
輪郭すら見えてこない道半ばだけども
こうしてもがいている僕らを
取り上げてくれたのは
とても嬉しかった。
これを出発点に
また僕らは一見別々の道を歩むが如く
でもいつかは収斂されて
どこかでクロスするであろうその道を
それぞれに真摯に
そして一所懸命、歩いていこうと思う。


番外編
○大学時代の親友と結婚式ぶりに再会
○新聞や業界雑誌の連載続く
○加藤秀明に出会う
○娘の学級崩壊
○妻は着実に共著を積み重ねる
○大西のベビーリーフ管理が完璧
○佐藤が菜っ葉の管理をスタート
○テレビ・ラジオ出演&取材&講演依頼をたくさんいただきました
○青年海外協力隊50周年記念誌への掲載
○なぜか今頃になってスピッツの音楽にはまる
○インドネシア農村開発にどうかかわるかを悩む
○10年ぶりに髭を剃る
○ベトナムを一緒に縦断した自転車を倉庫の奥から引っ張り出す

と、まぁ、
振り返ってみれば、
結構連敗続きの1年だったように思う。
ここ数年勝ち越しのような年ばかりだったので、
今年はさすがに堪えたね。
いろんなことが重なって、
自分の能力の限界も良くわかった。
そんな話をしていたら、
ある先輩からこういわれた。
「それは次の10年を作る年だからだ」
だってさ。
今年ぼくに仕事が集中したのは、そういうことだってさ。
だから、僕は来年
次の10年を創ろうと思う。
そういう年になるかどうかは
まだまだ未知数だけどスタートを切れたら良いな。

書き忘れていたことがあったので追記:
今年から俳句はじめました。
以上。

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ちょっと焦っている。
珍しく調整がつかない。
それは福農とタンジュンサリ農業高校の
交流事業。

僕が係ってから今年でもう
13年になるこの事業。
僕も両校もすでに慣れたもので
何がどう必要なのかは
阿吽の呼吸で分かっていた。
つもりだった。

今回、福農学生が
今度の日曜日にインドネシアに向けて発つ。
タンジュンサリ農業高校と交流するのが
主目的なのだが、
その内容がここに来て
うまく調整できていないのだ。
それは
昨日タンジュンサリ農業高校から
送られてきた日程表を見てのことだ。
さすがに我が目を疑った。
何度も電話連絡をして、
メールでも日程を送って、
で、出てきた日程が
こちらの意図と違う箇所が
いくつもあったからだ。
なんで?どうして?

急きょ責任者が集まって
本日国際電話会談の予定。

今回の顛末は
慣れ切っていた僕の見通しが
甘かったからだと思う。
この事業の本当の責任者も
僕はちゃんと確認していなかったし
僕はどこまで動くのかも
確認しなかった。
どこまで僕の責任で調整すればいいのかも
それも確認しなかった。
そして僕は部外者なのに
タンジュンサリ農業高校側から見れば
僕が最古参に見えるから
(学校の先生たちは人事異動があるので)
僕のあいまいな答えが
すべて正式なものになっていく。
僕の手元にすべての情報が集まっているのなら
これまでの交流の流れから
ある程度判断はついたことも
今回は、とにかく僕に情報が無かった。
というか知らされていない情報が
とにかく多かった。
というのは言い訳か。

ま、ウルトラCで
今日まとめるしかないね。
いい加減な仕事の仕方になっているなぁ。
クオリティが低いのは
僕のキャパを越えてしまっているから、と
もっと早くに認めないとな。
なんだかこういうのって
係る人みんなが辛いね。
自戒を込めて記録した。



関連記事
体調不良は
気持ちにも大きく影響を与える。
根本的に考え方が変わることも
まぁ、良くあることだろう。

僕は昔から体が弱い。
すぐに風邪をひくし、
扁桃腺を腫らして、数日寝込むのは
良くあることだった。
だからこれくらいの事では
あまり考え方には影響しない。

だが、今回のぎっくり腰は
まいった。
たかがぎっくり腰さ。
そんなの良くあることだ。
僕もそう思うんだけど、
片方で、
『もう若くないよ。そのままでいいのか?』と
誰かがささやく。
腰の痛みで寝込んでいる間、
四六時中
誰かが僕の心の中で
そうささやき続けていた。

ぎっくり腰にしては軽い症状だったようで
数日寝込んだだけで、
今はやや腰に不安感はあるものの
普通の生活に戻っている。
もうそのささやきはないけれど
その声は僕に突き刺さって抜けない。
そのままでいいのか?
そのままでも良い気もするし
もう十分だとも思うんだけど、
まだやれることがあるなら
まだチャンスが残っているのなら
やってみたいことはある。
ということで、来年に向けて
すこし動いてみようと思うけど
さてどうでしょうね。

というのが今の心境。
とりとめもないけど、ね。
ぎっくり腰が転機でしたなんて
なんだかドラマチックじゃない?



関連記事
久しぶりに、
夜にインドネシア実習生への授業をする。
夜は時間もたっぷりあるので
議論はもちろんあっち行ったりこっち行ったり。
こういううねうねと議論するの
僕は大好きだ。

今回の教材はこれ。
DVD
『お米が食べられなくなる日』

DVDの内容を簡略化すれば、
米の供給不足時代から過剰時代に入り
減反政策が敷かれ
米の消費は年々減っているのに
ガットウルグアイラウンドなどで
MA米の受け入れを決めたり
食管法で自由化し、価格下落を招き
今じゃ、米生産を時給にすると179円というありさま
というお話。
ちょっと針小棒大なところもありやすが、
ま、的は外れていないかな。

経済成長のけん引役である
輸出向け工業製品の関税と引き換えに
農産物の関税も下がる。
これは今のTPPにもそのまま当てはまるね。
ま、国内の製造業がそれで盛り上がることは
もうそんなにないかもしれないけど。

アメリカの占領下で
余っていた小麦によるパン給食は
よく語られる事象だけど、
どうなんだろうって最近思う。
インドネシアはそういう歴史的事件はないけど
年々パンの消費は伸びていて、
米の消費も徐々に落ちていくように見える。
美味しいから、とか
食べやすいから、とか
実習生はそんな理由を並べ立てていたけど、
多分それが『近代的』だからじゃないかな。
価値的な意味で、
その食べ物がみんなにとっての
富の象徴とまでは言わないけど、
それに近いものがあると思う。
だから近くの民族で
サゴヤシのでんぷんを主食にしていても
経済成長の恩恵を受けて
食べ物のバリエーションが広がる中で
それが選択肢に入ることはないと思う。
同等かそれ以下かと見ている価値を
拾い上げることはない。
だから1993年の米騒動で
タイ米を輸入した際に
みんなが『美味しくない』と言ったのは
そこにも近代的なものへの価値観は
あったようにも思える。

このDVDを受けて
インドネシアではこれから
経済成長を武器に
食の多様化がどんどん進むだろう。
その反面、それをけん引する工業部門を
支えるために
もしくは農業でも工業化された
もしくは換金作物たとえばパームオイルといった
産業としての大規模プランテーションを軸とした
分野を支えるためにも
一般的農作物の関税は引き下げられるだろうね。
山間の多い西ジャワでは
米の生産をしている場合じゃなくなる。
これは間違いない。
大規模化も機械化も進まないから。
その一方で、ピケティが言うように
資本の膨張よりも経済成長が低いという面と
経済をけん引する産業が国外に出ていかないためにも
チープレイバーは国策的に維持されるかも。
そして、それを食わしていくために
安い食糧への要求もまだまだ強くなるだろうね。
それが輸入で賄われるのか
インドネシアお得意の二重経済化で
行われるのかは、インドネシア実習生の肩越しに
注意深く見ていきたい。

で、インドネシア実習生。
今までの彼ら彼女らの農業モデルが
そのまま発展していって
いずれは裕福なるという幻想は
すぐに捨てた方が良い。
それが裕福になる発展を含んでいるのは、
そこに経済成長することで
選択してもらえる
『近代的』な価値やシステムを
含んでいるかどうかだ。
量を作るのならより安く提供し、
寡占的でないといけない。
価値あるモノにするのなら、
買い手が納得するだけの
説明力が無ければいけない。
そういったどれかが含まれていない
モデルなら、
このDVDにあったように
時代の流れの中で消えゆく農業に
なっていくだろう。



関連記事
12月になった。
この時期、妻から名言をいただくのが
昨年からの慣例。
昨年は、
「すべてにおいてクオリティが低い」だった。
役を引き受けすぎて
身動きが取れない僕をそう表現してくれた。

で、今年。
「あなたの見通しは常に甘い」
と本日いただきました。
今日は何時には帰れるよ、という日々の見通しから、
今週の会合は寝るまでには帰ってくるよ、
というスケジュールの見通しや、
もう大きな役はやならいよ、と将来に向けての見通しまで
すべてにおいて僕は甘いらしい。
というか、そう言う僕にイラッと来るという。
そりゃそうだろうな。
その時間に戻ってきたことないし、
会議に行けばその場の雰囲気で
午前様で飲んだりするし、
頼まれれば大きな役でも引き受けたりするからね。

僕は比較的楽観主義だし、
想像力の欠如と分析力のなさから、
自分の見通しもまったく立っていないまま、
ここまでやってきたような気もする。
その見通しの甘さが
今のぎっくり腰につながっていることを思えば、
さもありなん。

クオリティが低く、
そして見通しが甘い僕は、
それでも何とか師走を迎えたのであった。




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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

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