インドネシア研修事業の話。
8月は暑すぎて、
授業をしても実が入らない。
というか、
お昼休み返上で授業をしていると
僕だけじゃなくて授業を受ける研修生も
さすがに体力的に参ってしまうこの季節。
だから8月は夏休みになる。

でも勉強の手を緩めてしまえば
人間堕落する。
ので、この時期は課題を出して
休み明けに試験をすることにしている。

課題は簡単。
それぞれの研修生には来日前に
僕が信頼するアニ女史による農村調査があり、
それは分厚い地域のポテンシャルレポートとして
僕の手元に届く。
そのレポートをそれぞれの研修生が、
自分以外の地域のものを読んで
よそ者として新しいアグリビジネスのモデルを
提案するというもの。
もちろん、無理難題のモデルでも構わない。
採点基準はおもしろいかどうか。
プレゼンの発表の仕方も
採点基準に入る。
どれだけ人を魅了できるか、そこに鍵があるからね。

8月いっぱいはそれぞれが
そのレポートを元に
自分の中にたくさんため込んだはずの
アイディアの種を発芽させる作業をしてもらおうと思っている。
自分で考えた試験とは言え、
ちょっと面白いので、
今回は僕もこの課題に参戦しようかと思っている。
それと
農園の新人のすーちゃんにも
やってもらいたいね。

日程が詰まっていて
今年の僕は
めちゃくちゃ忙しいけど、
こういうのはたまらなく好きなので、
9月の発表会までに
僕も気合を入れて
課題に取り組もうと思う。
って馬鹿か?やっぱり。



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先週の土曜日は
地区の夏祭りだった。
公民館が主導して
関係団体が30ほど(だったと思う)が
参加しての夏祭り。
毎年恒例の夏祭りで
地元のJA青壮年部も
もちろん毎年参加していた。

例年だとポン菓子を作って販売していたのだが、
今年はもうちょっと儲けたい!という
想いを形にしようと
近所の農事法人が所有するフライヤーを借りて
フライドポテトと
僕の農園が提供しての吉川ナスの天ぷらも
販売した。
もちろん、ポン菓子も作ったさ。
昨年は、ポン菓子の音がうるさいと言われて
祭り会場の裏手でさみしく作っていたのだが、
今年は堂々とメインステージ目の前に設置し
祭り中に何度もポン菓子を作った。
苦情が来れば説き伏せようと思っていたのだが、
その苦情もなく、
逆に「祭りらしくていいね」と声をかけてもらったのが
嬉しかったね。

さて
その祭りは朝から晴天で、猛暑日となった。
お祭りの開始は夕方5時からで、
全く気温が下がらない中
部員たちは汗だくでフライドポテトとナスの天ぷら、
そしてポン菓子をどんどん作った。
暑さが幸いしてか
ビールのつまみになるフライドポテトと天ぷらは良く売れ、
ポン菓子も祭り会場の前面に置いたので
インパクトもあったのか
すべて完売だった。

今回良かったと思うことに
僕らのユニフォームがある。
また来週に予定されている
ドラゴンボートの参加に合わせて
青壮年部のユニフォームを作成していたのだが、
そのユニフォームが祭り当日に間に合い
みんなでそれを来て祭りに参加したのだ。
きれいなオレンジのポロシャツで
背中に独自のロゴが入っている。
出店にも統一感が出てたし、
それよりも若い部員がたくさん集まってくれて
今までの青壮年部のイメージとは
全く違った出店だったように思う。
たぶん、祭りの中で一番活気のあったブースだったろうね。
(自画自賛)。

最後の民謡も
僕ら部員全員で参加して
僕らも祭りも盛り上がった。
新しい風というか新しい流れというか
そんなパワーを感じることができた夜だった。
おかげで正体不明になるくらい飲んで
家にどうやって帰ったのかも
そしてなぞの寝姿で脱衣所に倒れていたことも
なにもかもが思い出せないほど
気分が高揚した夜だった。

古いイメージがどうしても払しょくできない
農協青壮年部も
僕らの取り組み1つで
大きく変わるんだと確信した夜でもあった。


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日曜日はJA青壮年部の
県の協議会のイベントだった。
青年の主張・活動実績大会という
それぞれの想いと
各支部の活動をプレゼンする大会だった。

僕はこの大会がとても好きだ。
それぞれ、普段は話し合わないようなことも
この場を通じて発信できる。
そしてこの場に来て発表するまでに
青壮年部の盟友間やJA職員と
たぶん多くのインタラクションを生み出し
作り上げてきているからだ。
こういうプロセスを踏むことで
普段は活動をするばかりで
それに対してあまり考察も入れないで、
流れていってしまうことも意識化できる。
その意識化から
自分の立ち位置や地域を理解する助けになり、
そこから盟友との結束が強まったりする。
熱い思いをぶつければぶつけるほど
人の想いは研磨される。
僕はそう信じている。

大会で発表されたことは
どれも素晴らしい発表だったが
それに優劣をつけないといけないのは
作業としては難しいし、つらい。
しかし、ここを勝ち上がれば
次は東海北陸ブロックの大会で
そこを勝てば、
いよいよ全国ということの運びになっている。
福井から全国に行くことで
地域が一気にまとまる力を
僕は5年前に見ていた。
今回の発表で
最優秀賞に輝いた方々には
ぜひとも次も勝って
全国にコマを進めてほしい。

インタラクションをたくさん生み出す
この活動は本当に楽しいね。
来年はぜひとも
僕のいる支部から
発表者を出したいものだ。










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たまには
インドネシアの農業研修座学の話をしようか。
ブログに全く顔を出さなくなった話題だが、
ちゃんと毎週、3回の座学をやってきている。
今年は農園の新人・すーちゃんも
インドネシア語が理解できるので
オブザーバーとして参加している。

さて、今回記録したいのは
地域開発論の最終回で議論した内容だ。
教材として
プロフェッショナル仕事の流儀のDVD
『公務員木村俊昭の仕事』を観て
議論をした。
この最終回の前に
内子町のからりができるまでのDVDを観て
議論したのだが、
その時の成功のカギはやっぱり
地元の人たちや行政の人といった
アクターをそろえての勉強会の開催に
あるんだろうと思う。
だが、ただ勉強会を開けばいいわけでもない。
そこでの議論がどのように展開すれば、
それが成功のタネにかわるのか。
そこに関心が強くなっていた。
そこで、上記のDVDとなったわけだ。

難解な日本語の連続と
今風の細切れな編集に
インドネシアの子たちは苦戦した。
2週間の猶予を与えたけど、
あちこち話が飛ぶような編集では
やはり伝わりにくいね。
画像はかっこいいんだけど、
雰囲気だけだからね。
でも、それでも肝は掴んでいたように思う。
3年生のジャジャン君は
大筋を掴みつつ
木村俊昭さんの
「小さなことでもいいから、できることから始めましょうよ」
という言葉が印象的だったと答えた。
そう、たぶんそれが僕も答えだと思う。
会議である問題解決を話し合う時
そこで提案されるソリューションに
出来ない言い訳をつけるのは
誰でもできる。
頭が良い人ほど
そのもっともらしい答えを見つけ
失敗を事前に予測してしまう。
出来ないことの理由づけばかりの会議で
消耗戦に入ってしまえば、
どんだけ回数を重ねても
前には進まない。
進まないことを正当化する会議になってしまう。

地元の人間は
問題点を整理はできていないなりにも
いろいろと挙げることができる。
だから人によっては
問題から話し合うこと自体を
やめようというやり方を提案する場合もあるね。
それらは会議やその場のファシリテーション的な
テクニックの問題になるんだろうけど、
そこの場の問題から入っても
意識的にできることから入れば
アクションは起きやすいと思っている。
この場合木村氏の存在は
ヨソモノなので
常識から見たら『それ無理』を
次々に提案しているのだろう。
で、その『それ無理』を
出来ないという理由探しにならないように
出来ることは何か?から入っているのが
彼の力なんだろうと思う。
これを観ていて、
僕は、
あの時インドネシアにいた協力隊のみんなを
想い出した。
そう、こういうのが大事だよな、てね。

出来ない理由を探さないで、
やらなきゃいけない、
やりたいこと、
そのことに向かってそれぞれができることを
その地域でステッキを握る
アクターみんなが共有できたら、
もうそれで半分以上は成功だね。

それが勉強会の中で
成功のタネが生まれるプロセスなんだけど、
研修生のみんなにはそれが伝わったかなぁ~。
こうして今学期の地域開発論の最終座学は終了した。


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3日ほど前に、
あんまり暑かったので
髭を剃った。
体感的には3℃ほどは涼しく感じる。
これはいい。

19歳の時に
タイへバックパッカーとして
旅行へ行った。
その時髭剃りを持っていくのを忘れて
そのまま髭をはやし始めた。

その後、
協力隊に行っていた23歳の時、
顔面右半分の運動神経がマヒし
電気療法をするために
顔に電極をくっつけ無ければならなくなった。
医者が髭面では電極が付かない、というので
髭を剃った。

それから一時的に口ひげをはやしたりはしたが、
留学が終わる2005年まで髭はまめに剃っていた。
それが、2006年から福井で営農する段になり
今、ブログを読み返してもその理由が
わからないのだが、
3日前まで髭面で通した。

と前置きが長くなったが、
髭を剃って分かったことは
体感温度もあるが、
人がどのようにその人を印象付けていたか?
ということ。
なぜなら髭を剃っても
それに気が付かない人も
結構いたのだ。
それも毎日顔を合わせる人でも
すぐには気が付かない場合もあった。
これには驚きだった。
というか、
それだけ関心がないということも
あるのだろうけどね。

顔の変化に関心がないという意味でも
人をどう認知しているのかが
やっぱり面白い。

もう3日この顔で
出歩いているが
その人が他者のどの部分でその他者を
認知しているのか
簡単ではあるけど
その人の傾向なるものが見えてくるから面白い。

というわけで、
これからお会いする方々、
僕は今そういう目で貴方を分析中なので
気を付けてくださいね。





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龍谷大学の西川先生から
面白い提案をいただき、
先日の連休にアフリカの留学生3名を
農園で受け入れた。

留学生はエチオピアとタンザニアから来た学生で
龍谷大学の修士課程で勉学に
励んでいる方たちだった。

数年前まで農園には
セネガルのイブライが勤めていたので、
そんな感覚で受け入れたのだが、
雰囲気は全然違っていた。
あたりまえか。

農園では、福井の農業の特徴として
高齢化が著しく進んでいることや
米作兼業農家の割合が多く
集落営農化に向かっていることなどを説明し
その対応として
僕らがどんな農業を展開しているかを説明した。
野菜専一の周年出荷と
若手の農への雇用の実現が
僕らの答えなんだけど、
東アフリカのエリート官僚の方々に
それを実感ある問題として
感じてもらうのはちょっと難しかったように思う。

体験として
ジャガイモを掘る作業を
してもらったのだが、
僕の知っている官僚と違って
肉体労働に積極的だったことが驚きだった。
インドネシアの官僚だと
ポーズばかりで適当に手を抜いちゃうんだけど、
彼らは違っていたのが面白い。

僕が英語さっぱりできないから
直接の議論が深まるほどには
僕から見せたアジェンダに応えはなかったけど、
少しずつ出てくる質問のずれに
異文化を強く感じた。

アフリカなんて全く興味がなかったけど、
いつかは彼らが見据えるその視点を
その現場で眺めてみたいな。

西川先生、面白いご提案ありがとうございました。
また来てくださいませ。



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群馬に行く。
全青協(全国農協青年組織協議会)の会議のためなのだが、
どうしても会いたい人が居て
急きょ前日にアポイントを取って
会ってもらえることになった。
とても忙しい人だのに
二つ返事でOKしてくれた。

その方は、自然塾寺子屋の理事長・矢島氏。
青年海外協力隊に参加し、
帰国後に地域おこしと海外に飛び出していく
若者育成を一挙につなげてやってしまうという
離れ業を実現させた人物だ。
僕はあまり付き合いが深くないから
それらのプロセスが
どんなに大変だったかは人伝の話の域を出ないが、
実際にそれに近づけるように日々
農園で格闘している僕としては
到底出来もしない事柄に思えることを
次々にこなしている
矢島さんは偉大な存在だ。
風の人間として、甘楽町にやってきて
地元の人間を巻き込んで
海外に飛び出していく協力隊候補生の研修や
海外からやってきた研修員の受入れなど、
さらには飛び出していった協力隊OB・OGが
彼の元にまた集まり、
しかもその地域にIターンまでしている。
まさに、規格外の人物と言って良いだろう。

さて、そんな人物に会いに行ったのは
訳がある。
僕にもそのパワーを分けてもらいたいからだった。
最近、自分の周りの環境も大きく変化しようとしている。
独自に進めてきたインドネシアの農業研修事業は
今年卒業生を訪ねるスタディーツアーを実施し
1つの区切りを迎えた。
そして、その時の失敗と、
そこから見える次の未来への行動に
僕は迷いを感じていた。
先日の開発教育全国大会でも話したように
疲弊する農村と農業に足りないモノは
インタラクションなのだが、
それを生み出す仕掛けを作っても
なかなかその力は収斂されず、
常に分散し、単発的・散発的になり
運動力学的に方向性を見失ってしまう。
『地域』という言葉でくくる場が
常にぼやけてしまうことと、そこにいるアクターが
多すぎて、僕の手には負えないことが
その要因だけど、
ま、その辺りは地域を考える準備ノートのカテゴリで
考察していこうと思うので、ここでは省きたい。

さて、そんな僕らが
これからやらなきゃならないことに
立ち向かっていく覚悟を決めるために
僕は『東の矢島』に会いに行った。

その東の矢島は前回にお会いした時のごとく
「もうフェードアウトするんだよ」とぬかしつつも
最近の協力隊研修の様子や
新しく入ってきた子たちの活躍の場についてや
さらには新企画のゲストハウスの案まで
力強く話してくれた。
矢島さんの言葉には力があって
そこにはやり遂げる意欲と覚悟が
隅々まで含まれているからこそ
突破力となっているんだと思う。

ちょうど矢島さんに会う数日前に
妻と行動に言葉を付けていくことが大事だ、と
議論をしたことがあった。
人の行動そのものにしっかりとした意思が
あったとしても
それに言葉を付けていくことで、
改めて意識化されることも多く、
行動や考えに一つの一貫性というか
方向性のような
そんな力を与えてくれる。
矢島さんとの会話にそれを感じた僕は
ぼんやりそんな話をすると
「それは言霊ですね」と彼は答えた。
そう、そう、それそれ!
会話というインタラクションを通じて
お互いのこれまでの話をしていただけなのに
これからの行動になにか言葉が付け足されて
本当に自分がやらないといけないことが
言葉として浮かび上がってきて
それがその空間ではチープな単語ではなく
何かを突破できる力を秘めた
そんな言葉になっていく感じだった。
まさに言霊。
こういう人と話をするのは本当に楽しい。
さすがは『東の矢島』だと思った。

ちなみに東の矢島は
佐藤寛氏との雑談から生まれた言葉で
「矢島と田谷で『東の矢島・西の田谷』と呼ばれるようにならないといけない」
と発破をかけられたことがあった。
そのころから矢島さんはすでに
経験&実績ともに優れており
多分にその言葉は自分の不甲斐なさに
かけられたものだと思って
これまでやってきたのだが
まぁ、いまだに突破できない自分が
やはり不甲斐ないな。

今の僕に足りないものを
矢島さんとの会話で
たくさんいただいた。
多忙を極める彼が
直前のアポで会ってくれただけでも
感謝感激なのだが、
いろんな意味で力までいただいて
本当に行ってよかった。

矢島さん、また行きます。
僕も次の展開をお話ししに行きたいです。
また再会を楽しみに
それぞれの場でやりきりましょうね。




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久しぶりに
週末に福井の青年海外協力隊OB会の
総会に出席した。

顔ぶれもずいぶんとフレッシュになり、
平成一けた台の隊員OBには
ちょっと出席しにくい感じがないでもない。
だが、
日頃いろいろとJICAにはお世話になっているし
1人でも協力隊を輩出したいと最近は強く思うので、
そういう意味でも
OB会が少しでも盛んになるようにと思って
家族で参加した。

これまでは、
日々の仕事の忙しさを言い訳に
OB会の日々の活動には
ほとんど参加してこなかった。
総会で活動報告を聞いていて
そんな自分に少し反省。

さて、
その総会でJICAやJOCAの方々が
来賓として出席されており、
その方々からちょっとした提案をいただいた。
僕が今やっている
インドネシア・タンジュンサリ農業高校との
交流事業や研修事業を
より発展的に行わないのか?という
提案というよりも「そそのかし」と
言ったほうがいいだろうな。

実際、あちらの高校に
僕らが研修を行っている団体「耕志の会」の
事務所を作らないか、と
あちらの高校から提案を受けていて、
というよりも、受けたけどこちらが煮え切らないから
かなり浮遊してしまっている案件だけど、
そういう話がないわけでもない。

これまでは事務所を作っても
その目的も機能もはっきりしなかったし
これ以上自己資金で
農村開発に首を突っ込むほど
お金に余裕がないということもあって
すこし距離を置いていたが、
タンジュンサリ農業高校とは
全く関係もない別の方向から
そそのかされると
僕も少しその気になってしまうから怖い。

やりたいことはある。
たくさんある。
いっそ、自分があっちに出向いて
やってしまいたいことだらけだ。
少なくとも資金があれば、
あれもこれもと思い浮かぶが
そんなお金はなかったし余裕もない。
先日職場内でサマードリームジャンボの話で
盛り上がった時、
「徹さんは7億円当たったら何に使いますか?」
と聞かれて
迷いなく、
「インドネシアのタンジュンサリに事務所開いて、今の団体をNGO登録して、職員を数名配置して農村開発プロジェクトを行いたいね」と答えたところだった。

時間的に全く余裕はないのだが、
自前で行ってきた
インドネシアの農業研修が今年で8年目になり、
そろそろ10年という節目を迎えるにあたって
次のステップに進みたいと
前々から本気で考えてきた。
もしそういうことが可能なタイミングが
来るのであれば、
そういう風が吹いてくるのであれば、
僕もここでもうひと奮起しようか。
ちょっといろいろと検討してみようと思う。







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土曜日にJA福井市の青壮年部で
消費者交流事業の活動があった。
先月に植えた枝豆の土寄せ作業の予定だったが、
雨が降ってしまい、
土寄せ作業は中止。
ただ盟友の作業場を借りて
予定通りBBQは実行した。

ただ、やはり悪天候というのもあってか
消費者の参加者は少なく
ちょっと残念だったが、
それでも青壮年部と指導員さんと
みんなでBBQを楽しんだ。

こういう活動は
これまで農園でも行ってきているが
いつも問題だな、と感じることは
「交流」がうまく醸成できないということ。
BBQは参加しやすい活動なんだろうけど、
鉄板の周りを囲む人間が固定化されてしまって
どうしても流動性に欠けてしまうということ。

うまくその場をファシリテートして
参加者同士の交流が醸成できればいいのだが
うーん、僕にはその能力はない。
だからいつも発案だけで
あとはなるようになれ、と
ややさじを投げた感じになる。
僕がそんな調子だから
逆に場もそうなるんだろうね。

今回はそういう固定化もあったが
消費者の方が少なかったことが
幸いしてか
その場に僕や副部長や
他のメンバーも入って
楽しく交流は出来た。
人は共食する生き物だから
一緒にものを食べるというのは
それだけで関係性が作られていく。
だから食べるというのは
イベントにしやすいよね。
なにかを一緒に食べるその動作に
たぶんもう少し考察を入れて
取り組まないと、
共食する習慣を当てにしても
そこから先へは進めないのだろう。
もう少し勉強しようっと。




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石川で行われた
開発教育の全国大会に
パネラーとして登壇した。
15分間という短いプレゼン時間だったが
協力隊の経験を
実際にどう現在の仕事に活かしているか、
そういう発表をしてきた。

キーワードは
インタラクションの加速と
行為能力(エージェンシー)の向上。
協力隊の数々の失敗や
その後、僕が大学院で見て回った開発現場では、
この二つの現象が起きていた。
よそ者としての他者が係ることで、
地域で固定化されていた関係が崩れていく。
出来ないと思っていたことも
想いもつかなかったことも
その関係性の変化の中から生まれてきたりもする。
それが行為能力の向上につながる。

その変化を無数に生み出すことが
開発現場で行われていることだとすると、
地域創生や農業再生と言われている
今、僕らが係っている現場では、
なぜそれが創生や再生の対象になるのかを
見つめてみれば、
そこにはインタラクションの欠如が
見受けられるだろう。
だとしたら、答えはそんなに難しくない。
インタラクションを加速させればいいのだ。
勉強会を開き、若手を集め、
その中から農業を志向する連中を見出し、
食べよう会でみんなでBBQをして
作り手と食べる側の関係を良くし、
海外から研修生を受け入れ、
いろんな地元の行事にも研修生たちを巻き込み、
自分たちもスタディーツアーとして
研修卒業生たちの地元を訪れたり、
海外と地元の高校間の交流を促進させ、
大学のゼミごと農園で受け入れ、
そして協力隊に参加したいという候補者を育てる。
そんなことを
遮二無二やり続ければ、
たぶん、インタラクションの加速から
係るすべての人たちの行為能力が向上し、
そのエリアと業界が創生し再生するんじゃないか。
そんな風に思って
ここ15年ほどの活動を
一気に15分にまとめて話してきた。
こういう機会があったからこそ
自分の考えもよりまとまったように思う。
こういう機会をくれた関係者に
感謝したい。


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こういう批判は
このプログラムの闇をよくついていると思う。

外国人技能実習制度の大義名分は破たんしている、母国に帰って就く仕事は「実習生の送り出しビジネス」!

もう誰も大義名分なんて信じていないし、
名ばかり研修生だって知っているし、
それどころか
送り出しの国では、これが出稼ぎだって
もうそういう単語で話されているのに、
受け入れの国では
みんなで知らない&見ないふりをして
安い労働力にぶら下がる
生産体制を続けている。
それもその先行き怪しい
零細な中小企業の製造業だったり
農業だったり
介護の現場だったり。

この記事では家族単位で受け入れを
ってあるけど、
当然そうあるべきだし、
そしてさらに言えば地域ぐるみで
お付き合いできるような
そんな仕組みも面白いんじゃないかな。

労働者の永住だけでなく、
いくつかの特定の地域とのつながりから
自分たちの地域とあちらの地域と
まとめて活性化するような
そんな風にならないかなぁ~。
もちろん、そこには受け入れるだけでなく、
僕らもあちらに住むような交流がさ。
そしたら、僕はあちらに住みたいね。

農村から都市じゃなくて、
グローバルに農村から異国の農村へって
そんなのも良いじゃない?
そしたら僕は、だんぜんあっちに行くね。

今年で僕らの研修プログラムも
8年が経過した。
あと2年で10年。
10年は成果や闇を気にせず、
とにかくやり続けて事例を貯めようって
思ってきた。
そして貯まった事例から、
僕らのやってきたことの意味と
そこから見える未来を考えようと
思っている。
その10年も2年後に迫る。
さて、その先、僕らの取り組みは、
僕らが夢想するような
世界をどう実現できるだろうか。



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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

メールは
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