読書記録を書きながら
年を越えるのも、一興。
で、今回の記録はこれ。

金子勝 武本俊彦 著 『儲かる農業論』:エネルギー兼業農家のすすめ.2014.集英社.

もともと昔から農業は兼業だったという話から、とんでもない論理的な飛躍をして、自分たちの思いついたキャッチーな「エネルギー兼業農家」なんてフレーズを埋めるために書かれた本。まじめに考える気が合ったのかどうかすら疑わしい。というのも、日本の農業構造の変化について、はじめにで触れているのだが、その中身は家族経営から3ちゃん農業への変化の中で機械化と第2種兼業化への道がその実態なのだが、なぜかその兼業が近くの工場ではなく、発電というエコエネルギーへとつながる辺りが、まったくロジックの飛躍としか言えない。そもそも、個人経営の経営体が、そのリスクを分散するために兼業化に発展したにもかかわらず、小規模といえども個人でどうになるわけがない巨額の発電施設を自前でそろえることなんて無理だ。

著者自身たちもおわりにで記しているが、本を出すにあたって6次産業化のオルタナティブを掲示したいという意欲と、「山林7割の国では兼業農家しか生き残れないけど、今さら工場誘致や公共事業獲得はないでしょ」「いや、この時代だから発電する農家でしょ」(p171)なんて、ちょっと小ばかにしたような話から始まって、その無理なコンセプトを埋めるように書いたために、全体として議論にまとまりがなく、とても醜い本の論理構造になってしまっている。一つ一つの議論、たとえば小規模発電や電力システムなどは、それぞれに的を射ているのだろうが、それが農家の兼業として発電に収斂すると、構造的な無理が生じてしまい、現実味が全くなくなり、これこそ机上の空論といえよう。農地を集積して、ある程度力をつけた法人とその規模とそして公共事業的な補助事業があって初めて成り立つのが、エネルギー兼業農業ではないだろうか。事例に出てくるモデル自体も、個人の兼業農家なんて一つも出てこない。どれも公共事業か補助事業なしでは成立しないものばかりじゃないか!ふざけるな!

どんな偉い先生か知らないが、もう少し真面目に本の構造を考えて書いてほしい。論理展開にここまで無理がある本は、久しぶりにであった。

年末の貴重な時間をこんな本に出会ってしまったのは、とても不運だった。これで今年の厄が落ちて、来年はもっとましな本に出会えることを期待したい。



関連記事
さて、大晦日。
なので、恒例のこのエントリーをアップしよう。
今年の僕の周りの10大ニュース!

意外にこのエントリーを楽しみにしている
コアな方がいるので
僕もしっかりと今年を振り返ってみよう。


10位 イラが日本人女性と付き合う

農園に来ている技能実習生の一人が
日本人女性とのお付き合いをしている。
それが始まったのは、今年からではないのだが、
お付き合いが本格的になったのは今年。
農業研修を長くやれば、
いつかこういうカップルも生まれるだろうと
想定内に入れていたが、
実際にカップル誕生となると驚いた。
いろんなことが上手くいくといいね。
温かく見守りたい。


9位 やたらと役を引き受けてしまう

妻から
「今年はすべてにおいてクオリティが低い」と
酷評されたのは、
まさにこれが原因だっただろう。
PTAの3役の一つ庶務。
町内の青年会の総務。
地元の公民館の運営審議委員。
JA福井市青壮年部河合支部の副部長。
JA福井市青壮年部の副部長。
JA県青協の委員。
と、まぁ、みごとに役が揃ったわけだ。
会議が重なると
平日でも毎週2回ほどは出席したし、
9月中旬から12月上旬まで
土日はかならずこれらの役のイベントか
またそれが無くても他のイベントで
つぶれてまったく休めなかった。
地域を創る主体になるなら、
新しい組織なんてナンセンス。
既存の組織を内側から眺めて、
微力ながら変化をつけていくのが
僕の地域づくりの信条。
とその信条に正直に従ったら、
こんなにもたくさんの役を引き受けることになってしまった。
さすがにキャパシティがオーバーし、
クオリティを確保できなかった反省はあるが、
地域がどんなつながりで動いているのか、
それを横断的に眺めることができた稀有な年だった。


8位 ベビーリーフとトウモロコシと吉川ナス

今年はスタッフが大きく育った年だった。
大西はベビーリーフの部門を
ほとんどまかせっきりになっているが、
その期待にきちんと応える素晴らしい仕事をしてくれた。
質も量も確保し、お客さんの満足度も高かった。
彼を受け入れたときは、
ここまでやってくれることなんて想像していなかったけど、
とても良い意味で期待を裏切ってくれた。
本当にありがとう。

佐藤はトウモロコシの
商業ベースにのる栽培に成功した。
ハウス栽培主体の農園だが、
今後力を入れていきたいのは露地栽培。
そこにはまだまだ僕らのポテンシャルを
延ばせる地平がある。
トウモロコシは、その第一弾と言ってもいいだろう。
虫や鳥の害がひどかったが
彼の研究と努力で
農園はまた一つ有力な品目を手に入れた。
本当に素晴らしい成果だと思う。

そして吉川ナス。
僕の手はナスに向いている、なんて
一時思っていた。
僕の所作がナスと気が合う、だから、
とても良いナスが作れていた。
と思っていた、これまでは。
でも今年、
吉川ナスの苗づくりに失敗してしまった。
だから今年はほとんど吉川ナスを出荷できなかった。
この悔しさを来年に活かすために
僕はまた基礎からナスづくりを勉強した。
成功に胡坐をかき、天狗になれば、
こういう結末になる。
農家は挑戦者だ。
王者・自然に挑む挑戦者だ。
その気持ちを忘れてはいけない。


7位 クスワント帰国、レンディ来日

技能実習生のクスワントが
任期満了で帰国した。
彼はとても頭がよく、僕は彼と議論をするのが楽しみだった。
たぶん、これまでで一番、
僕を刺激してくれた実習生だったろう。
卒業発表も、これまでとは毛色の違う
途上国と日本との間にある
サプライチェーンを
途上国の農家が突き詰めていくという
その視点が、僕を大いに刺激した。
君がいた3年間は、僕は幸せだった。
ありがとう、クスワント。

そして代わりにやってきたのはレンディ。
カメラを向けると女たらしな瞳をするのが
悪い癖だが、
これまでの実習生の中では
一番ギターが上手い。
彼の加入で農園たや~ずのレベルは
確実に上がったといえよう。
あと彼は、本格的なやや大きめの専業農家の御曹司。
これまでの小農の息子とは違う視点で、
かなりビジネスにこだわった発言が多い。
こういう刺激も僕は好きさ。
君のいる3年間も楽しくなりそうだ。


6位 大学のゼミを農園で受け入れる

こういうこともやってみたかった。
大学のゼミを受け入れて、
農園のメンバーと一緒に
地域開発や国際協力の議論をすること。
今年は明治学院大学とJICA北陸の大学生セミナーで
農園ゼミを開いて議論した。
こういうつながりを
来年以降もっと増やせたらいいなぁ~。
大学関係者の皆さま、
先生たちの学生さんと一緒に
僕たちの農園で農作業して、
地域づくりと国際協力の議論をして、
取れたて野菜でBBQをして
みんなで一緒に歌って踊りませんか?
BBQの実費のみで受け入れますよ。
ご検討よろしくお願いします。


5位 福井市農林水産奨励賞受賞

えっと、こんな賞をいただいてしまいました。
奨励賞ということなので、
まだまだ足りない!もっと頑張れ!
ということなんだろうと思う。
若手農家との勉強会や
インドネシア農業研修事業や
BBQイベントや
合間に農業や。
そんなことを評価いただき、
本当にうれしかった。
これを励みに、さらにがんばろうと思う。


4位 福井市長を囲んでの勉強会

僕が世話人を務める
若手農家の勉強会「アンビシ勉強会」に
福井市長が参加してくれた。
その回は、福井市長を発表者に据え、
今後の福井市の農業について議論できたのは
今年の大きな収穫だった。
農業は総合科学。
栽培学、土壌学、応用昆虫学、微生物学、分析化学、農薬学、育種学、環境工学、生態学、気象学、経済学、経営学、社会心理学、農村社会学、文化人類学、農業政策学、国際関係学など
僕らを覆う現象を
それぞれの学問で切り開かねばならない。
学びは尽きず、
時間も少ない。
これからも
立ち止まらず、勉強に励もう。


3位 北野が青年海外協力隊としてセネガルに赴任

農園で研修をしていた北野が
青年海外協力隊に合格し、
今年セネガルに赴任した。
預かった責任が大きく、
僕自身もそそのかした面もあったので、
協力隊に合格した時は、本当にほっとした。
でも、
僕のお気に入りの子だったので、
その別れはとても辛かった。
考えてみると、
僕らの営農から外に向かって発進する
若者が生まれたことは、とても意味深い。
地域を創る主体として
その覚悟と責任を持った人間が
ここから旅立っていくのは、
僕らにとっても、とても誇らしい。
北野君、セネガルでの活躍、
応援しています!


2位 妻が国際開発学会の常任理事に!

これが1位でも良いくらい
僕には衝撃的だったニュース。
家事もし、仕事もし、
毎週単身赴任でがんばり、
その分野で成果を出すことは
かなりハードルの高いことだと思う。
僕の学問の師でもあり、
人生のパートナーでもある彼女は、
それを達成しているように見える。
既存の学問のその次を生み出す場が
学会だと思うが、その学会の常任理事なんて、
そうなれるもんじゃない。
本当に素晴らしい。
尊敬します。


1位 お祭りマンボ!

農園のある集落・高屋の秋祭りに
農園のバンド「農園たや~ず」が出場した。
1時間の単独ライブ。
仕事をしていると
なかなか地域の人たちとの交流がないのが
悩みだったが、
こうして交流の一歩を踏み出せたのは大きかった。
日本語とインドネシア語が
交互にでてくる楽曲の選曲も良く、
演奏もまとまっていた。
特にボーカルを務めた
研修2年生のジャジャンがとても格好良かった。
君らの演奏は
きっと集落のみんなにも届いていたと思う。
君らを誇りに思います。


番外編 思い出のマーニー

これまで映画館で号泣なんてしたことがなかった。
同じ映画のために2回も映画館へ足を運ぶこともなかった。
でもこの映画との出会いで、
僕はそれを経験した。
そして、一緒に行った娘も号泣していた。
娘もその心情を大きく成長させたのだろう。
ただただ悲しいというよりも
切ない中にある温かいモノを
しっかりと理解していた。
児童文学の素晴らしさに
改めて気付かされた僕らは、
今年もたくさんの児童文学を
読みました。

他にも地域を盛り上げるようなJA青壮年部の活動や
テレビ出演、新聞や雑誌でコラムの執筆、
大学やセミナー等での講演もさせていただきました。
あと、ハウスも建て増し、規模も拡大しました。
新しいパートさんがとても素晴らしい方で
僕らの仕事の幅も広がりました。
インドネシアへのスタディツアーも計画しました。
そんなあわただしい1年だったので、
ブログの更新や読書量は減ってしまいましたが、
来年はもう少し改善したいと思います。
拙いブログに今年もお付き合いいただき
本当にありがとうございました。
では、良いお年をお迎えください。




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これまで、このブログには、
FacebookとTwitterのリンクボタンを付け、
広く読まれることを期待していたけど、
それをやめることにした。
SNSを眺めていて感じたことは、
その感情の偏りと
それを強調し強化する方向付け。
そして、それを支えるのが
思考の単純化とディフォルメ化。
だから、複雑で感情に響きにくいものは
情報の波に埋もれていく。
(もしくは意図的に埋もれさせてしまう)

まぁ、それはまた別の機会に
僕なりに考察して記録しようと思うけど、
そのような流れに
僕のブログを自動的にアップさせていくことが、
意味はないのかな、と思うようになり
つながりをあえて切ることにした。
SNSに載せたいと思うエントリーを
僕も含めて、読んでくれる人たちそれぞれが
それぞれのSNSにアップしてくれれば
それで十分だと思う。


40歳になった。
孔子のいう不惑の年。

一つ年を取ったからと言って
昨日までの自分と今日の自分に
ドラマチックな変化なんてあるわけはないので、
これで不惑になった、というわけでもないだろう。
だけど、
やはり区切りを迎えた、という意識は強い。

不惑なので
これで迷わなくなったというわけでもないのだが、
この道で行くんだな、という
ほかの選択肢を自由に選べる自分が
いなくなった感はある。
だが、
それはそれほどネガティブな感情ではない。
それは、
その道の先に見えるいろんなものへ対する責務であり
それに対する恐怖と緊張の感情もあるが、
それ以上にそれを楽しみにしている自分もいる。

そう、40代は責任のある仕事ができる年代。
ようやくこの年代に仲間入りできた。
この歳を
僕は楽しもうと思う。




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どんなに勉強をしても、
どんなに経験を積んだつもりでも、
僕は農村開発の素人だ、と
自覚させられる出来事が良くある。
イラの卒業研究でも
それが今頃になって
僕の中で意識させられた。

イラは研修3年生。
だからこの一年、
一所懸命卒業研究に力を注いだ。
彼のテーマはとてもシンプル。
羊のエサ不足の解消、というもの。
彼の地域では羊の飼育が盛んだ。
雨季は草が豊富でエサに困らないが、
乾季は雨が降らないので、草が生えない。
だから、乾季はエサが少なくなるので、
自然と飼育できる羊の頭数は限られてくる。
各家庭で5頭前後ならば、
少ない草をかき集めたり、落ち葉やバナナの葉や
近くの豆腐工場で出るおからなんかを集めて
なんとかエサにできるが、
近代的な畜産業として
ある程度のまとまった頭数を飼育しようとなると
エサの確保に困ってしまう。
それを何とか解消しようというのが
彼の研究テーマ。
日本の畜産を勉強して
エサの問題を克服するつもりだった。

イラは日本の畜産の現場を回って
サイレージや配合飼料などについて勉強を重ねた。
その結果は、
まだまとめている最中だが、
先日の発表で、どうもそのエサのコストが
かなり高くついてしまって、
羊の飼育で導入すると赤字になることが
次第に分かってきた。

研究を始める前、
今年の3月まで
僕らはイラと良くディスカッションをして
エサのコストと羊の値段についても
おおよそ予想を付けていた。
その段階では、羊を近代的な畜産業にすることで
かなり割のいい、つまり儲かる産業になると
思っていた。

だが研究を行っていく過程で、
しかも最近だが、
僕はあることに気が付いた。
それは、
エサのコストと羊の値段が合わないということ。
なぜだ?
事前の予想と大きく違うぞ?

それはとても単純なことだった。
イラの地域の羊の市場に対する
僕の常識のスキームがあまりに固定的だったということ。

イラの地域の羊の市場は、
非合法な闘羊イベントの会場だ。
といってもそう怪しい場ではない。
とてもオープンで、
その地域の人たちの楽しみでもある
伝統的な闘羊の会場である。
その場には、イラの地方で飼育盛んな
ガルット羊であれば、誰の羊だろうと
参加可能で、その日は大勢の人でにぎわう。
で、羊同士が戦い、
強い羊や走るのが早い羊、毛並、角の形などで
羊の値段が決まるらしい。
高い羊で1頭50万円もするというから、
インドネシアとしてはびっくりな値段だ。
で、戦いに敗れた羊は肉用として売買され、
高くても数万円くらいだという。

たぶんカンの良い方はすでにお気付きだろう。
そう、日本の畜産業は太らすための技術であって、
戦いに勝つための技術ではないということ。
だから肉用の羊の価格の計算でいくと
日本の畜産での給餌法だと赤字になってしまうのだ。
1頭50万円もするような羊は、
給餌法を変えたところで生まれるわけもなく、
それで効率よく太らせることはできても
強い羊にはならないということ。

市場のカタチが日本の畜産業のカタチとは
まったく違ったところに価値を置き、
そこに目が上手くむかないまま
僕らはこの時期になって
自分たちの間違いに気が付いた、
というわけだ。
いや、ちょっと言い訳をすれば、
その技術もインドネシア風にアレンジできないか?
と考えていたのだが、
それもまた産業が成り立つストラクチャーの違いに
挫折した。

イラの説明も
僕の指導も
どちらも最終の市場の価値を
取り違えたまま
今日まで来てしまっていたことを
僕らはこの1年かけて研究して
その気付きを得た。

こう書くと
なんて馬鹿げたことに時間をかけているんだ?
と思われるだろうな。
その批判は、それで正しい。
でも、そのくらい僕らの認識には
断絶があるのだ。
でも、ここまで長年インドネシアと関わってきたんだから、
もうそんな断絶には事前に僕も気が付くだろう、という
僕自身に対する過信があったんだろうと思う。
今回は、僕もイラも
そして他のインドネシアの子や
一緒に関わってくれているスタッフの佐藤にとっても
良い学びになった。
その産業において価値と認識を成り立たせている
ストラクチャーを読み解くのを
農業構造論でいやというほど
僕らは議論し合っていたのだが、
意識の断絶の前には
それもある意味無力なのだろうか。
とはいえ、
卒業研究はこれからまとめて発表するという
大詰めの段階に来ている。
最後までしっかりと指導しよう。




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我が家の今年のクリスマス。
妻が仕事だということと
僕がとてつもなく忙しいということで、
少し前から
クリスマスパーティーをすることに。

一日目

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娘と妻のケーキ。
やっぱりクリスマスは
こういうスタンダードなケーキだよな。

で、料理はこんな感じ。

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定番のチキンのチューリップ。
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プンタレラのサラダ。
我が家らしいね。
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紅芯大根も
クリスマスには大活躍だ。
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二日目

またもやケーキを焼いたらしい。
すごーい!
チョコレートケーキで、
中のクリームは栗の渋皮煮をつかったのだとか。
極旨のケーキでした。
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で、メインはこれ。
僕の手作りベーコンを使った
カルボナーラパスタ。
シャンパンががぶがぶ入ります。
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ただ、『ん?』と思ったのはこれ。
クリスマス仕様のサラダに見えるけど、
豆腐だった。
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三日目

スティックブロッコリーのツリーサラダ。
楽しいね~♪
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農園の魔法のセロリと
リンゴで作ったサンタサラダ。
美味しいね~♪
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ただ
前日の豆腐からその兆しはあったんだろう。
だから、これがメインだと言われても
驚いちゃいけない。

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そう、三日目のクリスマスパーティーは
メインがおでんだった。


四日目

もはや写真はないが、
この日のクリスマスパーティーは
お好み焼きだった。
いや、好きだよ、お好み焼きは。
で、妻のお好み焼きは美味しいよ。
作ってもらったのだから、
特に異論はない。はい。

ただ、娘と妻がこんなクッキーを作っていた。
抹茶のクリスマスツリークッキー。
これがサクサクで
すこぶるうまい!
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だから、お好み焼きでも
気分はクリスマス♪


五日目

妻は仕事で出張だったので
僕が頑張って鶏肉のスモークハムを手作り。
ロマネスコと一緒にツリーにして
食べた。
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たぶん、明日と明後日も
僕が何か手作りするだろうけど、
ここまでにしようか。
(明後日は蕪と手作りベーコンのリゾットを予定)

こうして、2014年も
楽しくクリスマスをしました。


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こんな本にも出会った。

浦島充佳 著 『ハーバード式 病気にならない生活術』:「疫学」の力でやせる、健康になる.2014.マキノ出版.

健康おたくではないので、
普段はこういう本に食指は動かないのだが、
ラジオのある番組に著者が出ていて
その話の内容がとても興味深くて
手に取ってしまった。
僕の興味を引いたのは、
「疫学」についてである。

著者の言葉を借りて言えば、
疫学とは、統計学的なリスク分析に留まらず、
これを実践して病気の発生を予防したり、
病気の治療を促進したりする学問、ということになる。
科学的医学的な根拠(つまりはここでいう統計的データ)に沿って、
そこにあるであろうリスクを知ることができるというわけだ。
まさに僕のこれまでの探求のテーマの一つだった
リスクをどのように測るか、に合致する学問だ。

この疫学が面白いのは、
因果関係がどうのこうのではなく、
因果ははっきりしないが
統計的にそのリスクがあることを示す点だ。
本書でも例として挙げられているのが
明治期の脚気が分かりやすい。
海軍では疫学的見地から(高木兼寛が軍医総監)
脚気と食べ物の統計的な関係を見出し
いち早くその予防を確立した。
その反面、陸軍では(森鴎外が軍医総監)
脚気菌が脚気を起こすとし、
その存在を究明することが優先された結果、
日清戦争では、陸軍の戦死者の4倍の兵隊が
脚気で死亡した。
原因究明よりも
目の前にあるリスクを予防する。
それが疫学らしい。

本書では食べ物や生活習慣と
それぞれの病気との関係を
科学的統計的な根拠(エビデンス)を元に
事例を羅列する形で進んでいく。
副題の通り、「やせる」「健康」がキーワードなので
どういう生活習慣がやせるのか
より健康的なのかを示している。
それ自体はあまり関心はなかったのだが、
加工肉を50g多く食べると
心筋梗塞の発症リスクは42%、
糖尿病のリスクは19%増えるというので、
これ以降、我が家では加工肉を
ほとんど食べないことになった。
で、おかげでベーコンや鶏肉ハムなどの
燻製品を手作りするようになったので
生活がより豊かになったという
副産物もあった。

詳しいそれぞれの事例は
本書を読まれたいが、
メッセージとしては
食事は量よりも質の改善を行うべし、
ということだった。
ただ単に量を減らすのではなく、
GI値といった食事後の血糖値の上昇度合いの値が
低い食品を選ぶことや
手軽に食べられる加工肉等を避けるなど
そういう改善に努めるというメッセージが
とても自分の志向と合っていた。

さて、
そのような内容でとても面白かったのだが、
承服できない点が2点ある。
まずは、農薬や遺伝子組み換え食品についての記述。
その題で章立てられていたので、
すわ、農薬や遺伝子組み換え食品はすでに
疫学的にエビデンスがあるのだろうか?
とかなり驚いたが、
そんなことはまったくなく、
エビデンスはないが、と断りを入れつつ
それらの食品が危ないかもしれないというかきぶりは、
「先生、疫学としてはそれで良いんですか?」
と問いただしたくなった。
たぶん、編集者の横やりか要らぬ入れ知恵だろう。
その方が本が売れます、とでも言ったのか?
他の章は、徹底して疫学的見地で書かれているのに、
農薬と遺伝子組み換え食品だけ
やたらと歯切れが悪い。

もう1点は、
それぞれの事例でエビデンスを得られた実験について
引用が書かれていないこと。
専門書じゃないからそこまではいらないかも、
というのは、もしかして編集者の提案なのだろうか?
本書の「はじめに」にも書かれていたが、
本来であれば、本のタイトルは
「病気になりがたい」とすべきかもしれない、
とのことだったが、
分かりやすさを重視したとのことだが、
分かりやすくするための作業というよりは
これら2点に関しては、
より売れ筋の本に仕立てるという
意味合いの方が強い気もする。

とても良い視点だと思うので、
ぜひぜひ疫学的視点をきちんと広める意味でも、
こうした一般書でも守らなければいけない点は
はしょらず、きちんと書いてほしいと思う。

多くの時間とたくさんの研究者の努力によって得られた
エビデンスを元に確率論的に
安全の物差しとして
僕らの周りにあるリスクを
きちんと測りえることができる
稀有な学問だけに
そういった記述がとても残念だった。
それ以外は、とても良い本。
今後も疫学について勉強しようと思う。





関連記事
今、ちょっとした流行が
農園にはあるようだ。
それは、「一眼レフカメラ」。
それを購入したいというブームというか
意識が今農園で顕在化している。
それはスタッフからインドネシア研修生までだ。
たぶん潜在的には以前から、
そういうモノに対するニーズはあったんだろう。
一眼レフカメラ自体、
何も今発明されたものでもないのだが、
ここ最近はみんなそれに憧れる
そんな空気が出来上がっている。
その言い出しっぺは
農園のスタッフだった。
それがどうこうというわけじゃない。
ただ、そのカメラを通して
僕はある目を背けたくなることを
目の前に突き付けられる結果になった。
それは別にカメラだったからじゃないだろうけどね。

スタッフ同士がカメラの話をしている分には
僕は何も思わなかっただろう。
それどころか、
僕もカメラは好きだ。
だから、みんなでカメラの話で盛り上がったろう。
というか、途中までは
その話で僕も盛り上がっていた。

だが、インドネシアの子たちも
買うことを考えている、ということを
聞いてから、僕のトーンは落ちた。
その時の反応は、
今思い返せば、
ある意味差別的だったのかもしれない。
そういう認識というか感情というか
そういう文脈というか関係というか
とにかく、僕はその中にいたことは確かだ。

3年生と1年生が一眼レフを欲しがっていると聞いたとき、
僕は
「そんなものは必要ないだろう」
と率直に彼らに言った。
なぜならそれはぜいたく品だし、
交換レンズの価格だけでも
彼らのインドネシアでの月収以上だ。
今は日本で研修しているから
インドネシアの月収の5~10倍の収入があるが
それは3年間という期限付きの話だ。
しかも、研修中に得たお金は
帰国後の自分たちのビジネスのためのお金だ。
一眼レフが、彼らのビジネスとして
お金を生み出すのなら、
それは必要な品として僕も同意するだろう、
みたいなことを僕は彼らに話した。
少しでもお金を有効に使ってほしい、
それが僕の願いだった。

ある意味それは正当な理由かもしれない。
だが、それを話しているときの
彼らの承服できない表情が
僕の脳裏から離れない。
そしてその表情から見た
僕の顔が僕にも見えてくるようで
話している間に
僕も気持ち悪くなってしまった。
そう、あまりにも真っ当な
そして正当な理由を出して
僕がしているのは差別だってことが
僕にも気が付いたからだ。
差別はいつも間違った考えの中にあるわけじゃない。
それどころかかなりの頻度で正当な理由や論理の中にある。

彼らはとても大変な境遇の子たちばかりだ。
お金がたくさんあって、
経済的に恵まれていれば、
どんな理由にせよ
そしてそれがどんなに素晴らしい研修だろうとも
海外実習制度に乗っかって
日本に来ることはなかっただろう。
事実、僕の農園に勉強に来たいという
知り合いのインドネシア人は多いが
それで彼ら彼女らがそのまま
僕の農園に技能実習生として来ることはない。

格差の平衡移動のように
その国から押し出されてやってきた彼らは
別にインドネシア人を代表しているわけじゃないが
ここでは彼らがその文化の象徴的な存在だ。
そしてそれぞれの分散もきわめて近似値に近い
個体が集まった
とても本国の母体から見れば
作為的なサンプル集団だが
それが僕の周りには
インドネシア人を代弁している場合も多い。
そしてその彼らが、
一眼レフカメラを買いたいと思っていることを
知った僕が起こした行動は、
まさに差別的だった。
欲しい物を欲しいと思うこともできない。
日本人には、それはあり得ても、
彼らにはそれはあってはいけない。
そんな化け物みたいな考えが
僕と彼らのインタラクションから
生み出されていた。

そしてその化け物は、
僕をどんどん追いつめる。
文化的な差異を認め合う
多文化共生こそ僕らの未来だ、と
僕は無垢な赤子のように信じていた。
だから、こうした研修を行う意義も
感じていた。
でも、その集団的な塊が
つねにその母体と同じような特色を有しているわけじゃなく、
その状況下に合わせてやってきている彼らのその特色が
まさに差別的でもあることに
僕は嫌でも自覚的にならざるを得ない。

たかが一眼レフ。
だが、そんなキーワードも
僕らにはこうした異質さを生み出す。
それが僕らの文化と格差の衝突だったりする。

何か答えがあるわけじゃないが
こういうこともあるという意味で
ここに記録しよう。







関連記事
今は冬。
北陸は猛吹雪。
こんな天気だが、今からが忙しいのが
僕らの農園。
今週末からクリスマス&年末商戦への
納品ラッシュだ。

さて、それはまた別の機会に書くとして、
たまにはインドネシア実習生ネタでも書こうか。
忙しいと言っても
夏の忙しさ&暑さに比べたら
今は体力的には余裕がある。
だから、この時期、
インドネシア実習生への授業は
宿題も課題のレベルも一気にあげて
詰め込んでいく。
ちょっとそれがストレスになるくらい
この時期はガツガツやることにしている。

夏ごろから1年生のレンディは
石灰の勉強と称して日本語文献を
たくさん与えていた。
それは彼が石灰を勉強したい
という意志があったからだ。
3年生も同様に
それぞれの卒業研究に沿って日本語文献を
与えて読ませてきたのだが、
2年生のジャジャンだけは
僕から無理には
それをしてこなかった。
というのも、
彼はとてもストレスに弱い。
と僕は思っていたから。

もう時効だと思うので書くけど、
1年生の冬、ジャジャンは一時
農園の研修を辞めたいと言ってきたことがある。
冬の厳しさと冬の時期に勉強量が多くなることが
ストレスになっていたんだと思う。
またあまりにもモティベーションが落ちていて
その分、仕事のミスも目立ち
僕や父から注意を受けることも多かった。
そんな中で、授業の一環で行った市場見学で
彼と僕のお互いへの不満が噴出してしまった。
市場見学に際して
事前準備をしておくようにと
伝えておいたにも関わらず、
ジャジャンは全く準備をしていなかった。
事前に座学で市場の仕組みや物の流れを
解説したのだが、
その時、彼はまったくメモを取らなかった。
それどころか携帯をいじっている始末で、
僕としては不満の伏線はあった。
市場見学と言っても、
僕らはそんな暇はなかなかないので、
僕が早朝に市場配達に出かけたときに行う。
急いで帰って朝の収穫の準備もある。
だから説明も細かくはできない。
そのために事前に座学を設けていたのだ。
そんな僕のイライラが彼に伝染し、
一気にお互いの不満が表に出てしまった。

その時、彼は
「もう農園の研修はやめます」
とはっきり言った。
長くやっていれば、
きっとそんな奴も現れるだろうとは思っていたが、
さすがに言われると狼狽する。
その時、間に入ってくれたのが
当時3年生だったクスワントだった。
市場から戻ってきて僕は
すぐにクスワントに相談した。
インドネシア人の感覚と判断を知りたかった。
ジャジャンはクスワントをすごく慕っていたのも
知っていたので、
彼はジャジャンを擁護するかと思ったのだが、
その逆だった。
このプログラムに悪影響があるなら
ジャジャンは辞めた方がいいと
彼も言い切ったのを覚えている。
とくに当時2年生のイラやカダルスマンに
悪影響を与えるから辞めてもらうのなら
早い方が良い、とも言った。
そしてクスワントは
「明日までにジャジャンと話し合って答えを出します」
というので一任した。
結果は、
ジャジャンは研修を続けることになった。
何を話し合ったのかはわからないが、
ジャジャンが変わったのはそれからだった。
授業中いじっていた携帯も持ち込まなくなったし、
メモも良くとるようになったし、
座学の事前の準備もしっかりやるようになった。
何がそうさせたのかは、
クスワントは笑うばかりで教えてくれず、
僕は、自分が全くの無力だ、ということを
思い知らされただけだった。

さて、そのジャジャン。
2年生になってもやはり僕は
腫物を扱うような態度になってしまう。
だから課題もそんなに厳しくして来なかった(つもり)。
それがこの秋口から
「3年生や1年生には日本語の文献の課題を与えてくれるのに、僕にはくれないのはなぜですか?僕はアブラナ科の難防除の根こぶ病について勉強したいので、その文献を下さい」
と、ジャジャンの方から申し出があった。
ジャジャンは、インドネシアに戻ったら
ソシンというアブラナ科の野菜の
通年栽培を考えている。
しかし、その野菜は根こぶ病という病気が
蔓延しやすく、その防除はかなり厄介だ。
その根こぶ病の文献を読みたいとのことだが、
病気についての文献は
かなり専門用語が多くなる。
はたして読みこなせるだろうか。
しかしそんな心配をよそに、
彼はそれを一所懸命読みこなし、
月間レポートで発表してくれた。
その出来がなかなか良く、
また彼自身も手ごたえがあったようで、
もっと専門的な文献がほしいと
意欲的だった。

今は冬。
夏よりも太陽が昇っている時間は短い。
だからこんな夜長は勉強に限る。
そんなふうに思っているから
僕は今、彼らへの課題を多くしている。
それがとてもストレスフルなのもわかっている。
だが、今、
伸びようとしている研修生たちの芽も
僕には見えている気がする。
だから、多少嫌われようとも
今はたくさん課題を与えることにしている。
ジャジャンのように
いつか芽がでて、
大きく伸びるときの姿が見たいから。





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昨晩、衝撃のニュースが流れた。
JA福井市と北陸に店舗展開をしているアルビスが
業務提携をし、JA福井市が運営する
Aコープ3店舗をアルビスに譲渡するというニュース。

JAの職員も昨日の会議まで
まったく知らされていなかったらしく、
まさに寝耳に水。
Aコープ内の直売所は
アルビスに譲渡されても
そのまま運営されるとのことで、
アルビスが福井市に店舗展開したいのと
直売所のシステムやノウハウを手に入れたいから
生まれた業務提携だろうと
今朝の直売所はそんな話で盛り上がっていた。

アルビスは富山や石川では
かなり店舗を展開しているが、
福井では3店舗とすくない。
JA福井市との業務提携で
直売所システムを他の店舗でも
展開するのかどうかは、まだまだ不透明だが、
この変化は僕らにとっても大きなものになるだろう。

直売所の売り上げは、もうばかにならないほど
全体の売り上げに対するウエイトが大きくなっており、
この業務提携の今後の行方は
僕らの営農も大きく左右する。
果たしてこの提携で
JA福井市は農産物を県外へ販売するルートを
得ることができるのかどうか。
それともただ単に経常赤字が続く
スーパー部門を売りとばしたかっただけだろうか。
米の未来に期待が持てない中、
園芸にその活路を見出そうという農家は多い。
その潮流の中で、
自ら販売のツールを一つ手放すことが、
JAにとってどんな意味があるのか。
またブランドイメージとして
直売所とアルビスは福井の人にとって
どういうイメージでとらえられるのだろうか。
生協が運営するハーツも直売に力を入れているなど、
今後直売所間の競争が激化するのは必至で、
そのブランドイメージが
買ってくれる側にどう受け止められるかも
気になるところだろう。
来年から今よりもJA運営にも
大きくかかわるかも知れない僕にとっては、
軽視できない、とても大きな事件だった。
これからも注視していきたい。


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あと3週間もしないうちに
今年も暮れる。
年末は農園が一番忙しい時期になるので、
今のうちに今年の反省をしようか。

今年の目標は
なんだかあいまいな立て方をしてしまったので、
それがそのまま1年続いた感じだった。
誰かの「こうしたい」に呼応する
僕とのインタラクションの帰結を
目標にしてしまったせいだろう。

そんな僕の1年を間近に見ていた妻は、
「すべてにおいてクオリティーが低い」と
強烈な批判をくれた。
たぶん、それが僕のこの1年。

その原因は分かっている。
誰かの「こうしたい」というものに
無制限に付き合おうとした結果だ。
だから、やたらと地域の役を引き受けてしまった。
当然、週末はほとんどイベントで埋まり、
平日も数回の会議が入ることも当たり前になっていた。
同時進行でいろんなことが進み、
僕自身、その活動がどの団体だったかを
覚え間違いするほどの混乱ぶりだった。
当然それは営農にも反映する。
が、そこは優秀なスタッフが
昨年以上の頑張りを見せて、
とても良い品質のものを次々と生み出してくれたおかげで
僕のミスは限定的なものになった。
それでも僕が担当する野菜の多くが
今年とても低いクオリティーだったことは
反省を込めて、ここに明記しておこう。

読書量も極端に減り、
自主的な勉強会の開催も毎週から
今は月に1回という有様。
料理にかける時間も減って、
新しいレシピや調理法を
ほとんどマスターできていない。
ブログのエントリーも減り、
1か月に10以上のエントリーを書いたのは
たった3回だけだった。

ただ、誰かとのインタラクションを
目標に置いたおかげで
今年は地域の中が今まで以上に良く見えた年だった。
集落組織、小学校、農協、公民館といった
地域の主体になるような団体の役員を
兼任することで
全体の進み方や方向やその中の問題や
面白い点が俯瞰的に見ることができたのは
初めてだった。
クオリティーが低いのは
僕がまだそれらのインタラクションを
自分の中に落とし込めていないからだろう。
来年もまだ、
今年の役がそのまま引き続いていくものもあるので、
そこで派生したモノを
自分の中に落とし込んで
クオリティーの高い形で
表現していきたいと思う。




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もうすぐ投票日。
皆さんは、投票先を決めただろうか?
というより、
投票に行くと決めているだろうか?
どこに入れるにせよ、
投票だけは行ってほしい。
僕はそれだけは決めている。

選挙が公示されたとき
ある新聞社から取材を受けた。
今回の選挙についてと
これまでの政権の農業政策について。
僕のような若輩者かつ不勉強者が
今の政策についてうんぬん言える立場かどうかは
とりあえず棚に上げるとして、
現場で農業と地域づくりに
命を張っている人間の一人として
所感を述べた。

まず、農業分野の政策について。
昨年の春、
自民党の農林部会で地域や担い手の所得が
倍増する10か年計画が立てられた。
そして今年の6月に首相官邸は
農政の重要な政策の柱として、
「農林水産業・地域の活力創造プラン」
(2014年6月24日改訂)の中で、
農業・農村全体の所得を今後10年間で倍増させると明記した。
それはそれで賛成さ。
僕らの所得が、増えるのであれば。
ただここでいう所得倍増は
本当に「僕ら」なのかどうか。
今年の県青協の夏の勉強会で
農水省の経営局長である奥原さんを
お呼びしてディスカッションをした。
その時のエントリーはこちら
その時の所感としては、
所得倍増のターゲットは
必ずしもそれが僕らではないかもしれない、
といった不安と恐怖だった。

現時点では、
この所得倍増の恩恵は感じられない。
たまたま石油価格の下落のおかげで
円安でも資材の価格が上昇しなかったので、
生産現場での混乱はまだない。
ただ4月には原油高と円安傾向の影響を受けて
宅配便などを含む輸送費の値上げに会い、
またその時に消費税が上がったタイミングもあり、
僕らの生産現場ではコストを価格に
上手く反映できなかった。
だから、その点については
所得は上がらず、その逆に
僕らは損を抱え込んだというわけだ。
今後原油価格が上昇するようなことがあれば、
今の円安ではかなり厳しくなる見通しだ。

それは倍増のプロセスの一環です、
と言われるかもしれない。
その一つが農協改革だろうか。
中央会制度については、
不勉強のため適切なコメントができないが、
要は、僕ら農業者や地域の人たちが利用している
単協組織をどう発展的なものに変えていけるか
という意味では、
僕らと政府は一致しているだろう。
ただ、その方策がまったく逆向きとしか言えない。
内閣が開いている規制改革会議の
農業ワーキンググループ(以下:農業WG)がやはり気に食わない。
政府の見解ではないと言いつつも
そのメンバーを集めて改革の既定路線を
作り上げようという意図は見え見えだ。
政府が人選をするんだから
まぁ、御用聞きの方ばかりが集まるのは当然か?
12月9日にアップされた
11月12日の19回目の農業WGの議事録では、
基本的な論点は中央会の監査権で、
これまでも一番の争点はそこなんだろう。
でもちらちらと姿がみえる
単協(僕らにとってはJA福井市)の信用や共済事業を
中央で一本化にまとめるという話題が
気にかかる。

11/29号の週刊ダイヤモンドは
農協改革が特集だった。
そこで農業分野へ力を入れている農協とそうでない農協の
トップとワースト20の単協の名前が挙がっていた。
あろうことか、いや、予想通りかもしれないが、
僕らが所属しているJA福井市は
ワースト14位と評価されており、
信用や共済の運用益でなんとか赤字農業事業を
支えている構造が明らかにされていた。
もし農業WGがいうように
信用や共済を中央一本化して
単協の支店を代理店化したとしたら、
JA福井市の農業事業は継続不可能になる。
農業協同組合という名前なんだから
農業でやっていかないとだめだ!と
批判があるかもしれないが、
それはあなたの問題ではなく、
これは僕らの問題だ!
僕ら組合員が出資して赤字部門への投資を続け
そしてそれを維持しているその経営構造は、
僕ら組合員こそが強く批判すべきだ。
それを何が農業WGだ。
その既定路線を作り上げようという政府も
それの先に本当に「僕ら」の
所得倍増が待っているのか?
それとも小さい規模の連中は
さっさと農業から退場して、
強い資本を持った外部の株式会社と
それと競争できるだけの経営体を持った農業法人だけで
農業をやってほしいってこと?
政府のカテゴリに合致する人は
それが上手くいくように援助しますってやつか?
それは奥原局長が言ったような
「全部が生き残れるわけじゃない」ってやつか?
すこし言葉が汚くなって申し訳ない。

単協の改革は
これから僕ら自主的な団体青壮年部も
強く批判的にかかわっていく必要がある。
奇しくもこのままいけば
僕は来年、JA福井市の部長になる。
これを読んで、こんな奴はダメだというのであれば
総会前だし、ぜひそうしてください。
組織部長は経営管理委員として
JA福井市の経営に
ど素人ながらもその組織の声を反映するために加わる。
だから今回の選挙で、
これまで自民党政権について
ほとんど成果らしいものがないので、
その先に見える未来を予測しながら、
青壮年部の声を単協の改革に反映するつもりで
その立場で投票することにしている。
だから今回、
農政連がなぜ自民党候補者を推薦したのか、
それが不思議でならない。
ここまで言われ放題やられて
まだ推薦するなんて・・・。

議論が一足飛びになり
わかりにくい部分もあるかもしれないが、
書きにくい部分もあるので、ここまでにしよう。
内部の人たちならこれで分かってもらえるかなと思う。
さあ、日曜日は選挙だ。
みんな選挙に行こう!





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まずはルッコラ。
この野菜とのかかわりが
ぼくらの農業を大きく変えたと言っても
過言じゃないだろうな。

この野菜は僕が協力隊に参加している間に
父が栽培を始めていた(たぶん1997年ごろ)。
西洋野菜のブームが起きつつあり、
そのはしりで栽培を開始していた。
ただホウレンソウや小松菜のように
袋詰めにしてスーパーに出荷するだけだった。
それに販促の文句も
「胡麻の香りのする野菜」なんて言葉で
ルッコラ本来の美味しさが
伝わるような感じでもなかった。
それでもずいぶん売れていたようだけどね。
ただ、あまりにも低価格で販売をしていたので
それを何とかしたいなぁ~と
思っていたのが協力隊から帰国してすぐのことだった。
帰国してすぐに結婚したのだが
その時の妻のお気に入りの野菜もまたルッコラだった。
ルッコラの苦みと風味は
当時ワインを飲み始めた僕らのライフスタイルに
とても良く合っていた。
当時作成していた個人のホームページでも
ルッコラの料理のレシピは
他の野菜よりも多く掲載していた。

NHKの地方枠の番組でも
うちのルッコラが取り上げられた。
たぶんそれが僕の初のテレビ出演だったかも。
番組のスタートで
堤防の草むらから僕とリポーターが
「食べルッコラ!」と言って飛び出すシーンがあったのだが、
僕があまりに恥ずかしがっていたので、
リポーターの方から
「恥ずかしがらず、3割増しのテンションでお願いします」と
ダメだしされながら、
何度も撮り直しをしたのが
今でも少しトラウマになっているかも、
というのは余談。

ルッコラに注目が集まる下地は、
その当時あった。
ワインがブームだったし、
気軽に行けるようなフレンチやイタリアンの
レストランも福井の中で増えていた時期だった。
プロセスチーズばかりを売っていた
チーズコーナーにも
僕らが知らない名前のチーズが置かれ始めていた。
そんな文脈でルッコラは
ちょっと癖のあるチーズや
ベーコンや肉料理にも良く合い、
レタスなんかでは演出できない
新しいサラダ野菜だった。
でもスーパーで販売し始めた時は、
胡麻の香りという文句もあってか、
お浸しなど和のイメージで食べるという
お客さんもけっこう居たらしい。
まったくミスマッチな販売だった。

そんな時に
佐藤久商店さんという八百屋さんと出会う。
そしてピノリというイタリアンレストランさんで
農園のルッコラを使ってもらうことになった。
その時、初めて佐藤久商店の専務からの注文を
僕は今でも覚えている。
「ルッコラを盛る皿は22㎝。外枠に2㎝模様があるので、それにかからない18㎝で収穫して欲しい」とのことだった。
野菜は生き物だから1日たてば、それだけ伸びる。
それを18㎝指定での注文に
かなりビビった覚えがある。
その時は30㎝定規を片手に
ルッコラを収穫していたっけ。
だから
単価の取れる仕事とはどういうものかを
学んだのもルッコラからだった。
そしてレストランなどの外食への出荷する機会を得て
僕らはたくさんのシェフと知り合うことになった。

季節によって味もよく変わる野菜だった。
ルッコラは夏にとても辛くなる。
とても辛くて食えたもんじゃない。
と思っていたら、あるシェフが
「甘酸っぱい酸味がその辛味と良く合う」
と教えてくれたりもした。
冬には葉に厚みがまし、
歯形が立体的にわかるくらいになり、
香りも豊かになる。
我が家では
妻が恩師から教わったという
鶏肉の紅茶煮と一緒に食べるのが
定番になっている。





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続けて、
もう一つ書こうか。
近畿大学農学部で講義をしたのは
前回のエントリーで書いた通り。
その感想をJOCAの友人が
その日のうちに送ってきてくれた!
いやいや仕事ができますねぇ。

で、おもしろい質問もあったので、
それに答える形で一つエントリーとしようか。

大学時代のバックパッカーの話もしたのだが
それについての質問も多かった。

「タイやインドネシアに行っている間、家族とは連絡は取れたのか?」

うーん、バックパッカーの時は
基本、日本との連絡は誰とも取れていない。
当時(1990年代の中頃)は
携帯電話は一部の金持ちの道具だったし、
インターネットもほとんど普及していなかった。
固定電話と手紙が連絡を取る主なツールだったし。
旅先から、自分が撮った写真(フイルム)を
はがきサイズで現像して、
その裏にメッセージを書き込んで日本の友人に
送ったりしていたかな。
連絡のツールが今みたいな携帯やラインなんて
無かったから、
そんなに頻繁に連絡取らなくても
別にだれも心配しなかった世の中だったしね。

「お金と時間に余裕がないとできないと思ったのですが、バイトしながらでも時間があったのか気になりました」

という質問は、たぶんバックパッカーで
最長2か月くらい海外を
ふらついていた話についてかな?
大学生時代バイトは結構していた。
車の工場でダクト清掃、
病院の夜間警備、
デパートのイベント催事場のセッティング
などが主なバイト。
全部、夜のバイト。
で、これらはシフト制で
みんながやりたがらない年末年始は
僕がかってでてやっていた。
工場のダクトの中や
病院の警備室で正月をなんども迎えたな。
その分、春休みはシフトを有利にしてもらって
その時期に海外に出ていた。
辛いバイトは、なり手も少なかったから、
けっこう融通もしてくれて、楽に外に出れたね。
バイト選ぶときも、まとめて休みが取れるやつを
中心に選んでいたし。

「旅行するときに必ず持って行っておくべきものを教えてほしい」

うーん、パスポートと現金かな。
ベトナムを自転車で縦断した時は、
悪路過ぎて自転車に着けていた荷物を載せるキャリーが
早々に割れてしまって、
たくさん持っていた荷物を手放さないといけなくなった。
その時、20㍑くらいのデイバッグに
下着1式とタオルと医薬品と自転車の修理道具だけを
詰め込んで、残り4週間くらいを過ごした記憶がある。
ズボンが1着しかなくて、
そのズボンが自転車のギアに引っかかって
ふとももの付け根まで破けてしまった時には、
かなり恥ずかしい恰好で走っていたけど、
泊まった地方の小さなホテルで
フロントのお姉さんから
裁縫セットを借りて
破れたズボンを自分で直したね。
持っていくのなら、そういう「技能」だな。

次に協力隊の時の質問も多かった。

「どのくらいの期間でインドネシア語が話せるようになったのか」

正直、今もそんなに上手じゃない。
いつも間違えてばかりだし。
言葉はただの道具。
上手に話せても中身のない話には
だれも耳を貸さない。
たどたどしい言葉でも、真実の語りには
みんなが耳を貸してくれる。
上手に話せる力があるのなら、それが一番だけど
肝心の語りの内容が幼稚ではいけないね。
僕は協力隊時代は
結局帰国間際になっても言葉をよく間違えた。
それをネタにして笑いをとるくらい
余裕も出たけどね。

「IMFの介入で赤玉ねぎの値段が落ちると、もっと早い段階で情報が入らなかったのか」

これは協力隊活動についてだね。
自分が指導していた作物が
通貨危機に陥ってIMFの介入を受け
その作物の関税が取り払われて
価格が1/75まで暴落したって話。

情報は、まったく入らなかったよ。
任地の県の職員(地方のエリート)とも
一緒に仕事をしていたけど、彼ら彼女らも全く知らなかった。
それが途上国だ、といえばそうなんだろうと思う。
JICAの専門家からもなんの情報もなかったし。
TPP交渉のように秘密裏に行われる
交渉なのかもしれないね。
ただそういう情勢によって
社会がどんな不安を受けるかを僕は身をもって知ったので、
今のTPPについては同意しかねる部分も多いな。

「インドネシアでのJICA協力隊で実際にどういうことをされていたのか?」

時間がなかったので、
協力隊の話はほとんど飛ばしてしまったね。
ごめんなさい。
詳しくは、
小國和子 著 『村落開発支援は誰のためか』を
参照してほしい。
そこに出てくる隊員Bが、僕なので。
この本は、協力隊に行きたいと思う人なら
読んでおいても損のない本。
ぜひ一冊お手元にどうぞ。

インドネシア研修生がらみの質問もあった。

「インドネシアの学生を受け入れるその原動力は?」

講義の前日にJOCAの友人と飲んでいて
こうした活動に自分が踏み進んでいくのは、
やっぱり「愛」なんだろうかね、と
飲んだくれのおやじ二人で話していた。
たぶん、いや確かに「愛」だと思う。

「研修を終えたインドネシアの学生のその後は?」

これは、ブログのエントリーにあるよ。
リンクを貼っておくので、どうぞ。
卒業生のそれから

農園の説明をほとんどしなかったので
こんな質問もあった。
「野菜作りや農業に対するこだわりは?」
「農園は儲かっているの?」

こだわりは、ホームページをご覧ください。
で、儲かっているかどうかは、
うーん、どういうのが儲かっているってことなんだろうね。
自分の欲しい物が全部買えるような状態?
でもそんなに欲しい物ないしね。
モノじゃなくて、技能と新しい考え方は欲しいけど。
それは手に入る状況に身を置いているつもりなので
満足はしている。
スタッフがとてもがんばっているので
もう少し高給を払いたいと思っている。
なので、
そういう意味では、売り上げの現状には
満足していないかな。

「将来の活動目標があれば教えていただきたいです」

あるよ。
でも内緒。
もう少し先が確定してきたら、
やってみようと思うことがある。
要は、インドネシアと僕らの地域を
もう少し強く結びつける仕掛け。
たぶんそれ以上に
新たに出てくる課題を解決していく中で
僕が思ってもみなかった方向に
すすんでいくんだろうなぁ、とも思っている。

では、みなさん、
一所懸命、全力で、
学生生活をエンジョイしてください。






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近畿大学農学部で1コマ授業をする。
思えば、大学で講義するのは久しぶり。
内容は、国際協力キャリアについて。
JOCAの知り合いが
青年海外協力隊の農業系OG・OBを
5人ピックアップしてリレー講義の一つを
僕が受け持ったというわけ。

朝いちの講義ということもあって
前日に大阪入りして、
そのJOCAの知り合いと久しぶりに会う。
差しで飲むのは、たぶん、1999年のスラバヤ以来だろうか。
あれから15年の歳月が流れて
お互いおっさんになって、
その時とは全く違った道を歩いてきて
またここで出会うというのは、
なんともご縁が深くて面白い。

さて講義では
国際協力キャリアについて
僕なりの積み方を話した。
つまり大学から今までの僕の道のりのダイジェスト。
英語力もなく、
欧米の大学院の学位もなく、
国際的な団体や組織にも所属していない僕が
国際協力のキャリアと言えるものがあるのかどうかは
やや自分でも不明だが、
少なくとも
農業と地域づくりと国際協力を意識して
福井とインドネシアの農業高校の交流のお手伝い、
インドネシアから実習生受け入れと
その卒業生への支援、
そして、農業に志のある人たちの受け入れ、
地域での勉強会、
協力隊隊員の育成、
あと地域でのさまざまな団体の役員を務めている。
それは一足飛びにここに来たわけではなく、
一歩踏み出すごとに
目の前に浮かび上がってくる問題を
自分やその仲間と一緒に解決していく中で
見えてくるほんのちょっとだけその先の道を
必死に歩いてきた道のりをダイジェストに話した。

あちこちに話が飛ぶ僕の悪い癖にも関わらず
思っていたよりも学生の反応がよかった。
質疑応答でちょっと印象に残る質問があった。
「地域づくりと言いますが、どんなことをしていくのが地域づくりなんでしょうか?」
という鋭い質問。
パワーポイントでは上滑りしていくような
きれいな言葉をちりばめて
煙に巻いているような
そんな印象があったのかもしれない。
それは僕もこの講義を構成していく中で
自分に対してそんな印象はあった。
そしてこの質問に対して
僕の答えはこうだ。
単発的なイベントの連続は
やはり地域づくりとは言えない。
農園のBBQなんかはそれだけで地域づくりなんてもんに
あまり寄与はしていないだろう。
では地域づくりとはどういうことか?
それは「場」を作ること。
地域の外部の人や内部の人(講義では風と土で表現した)が
それぞれ責任をもって関わり合える場を
作っていくことだと思っている。
僕の場合は、それが農園だったり、
勉強会の場だったり、
インドネシア実習生たちとの関わり合う場だったり、
福井とインドネシアの農業高校の交流の場だったり、
JA青壮年部の活動だったり、
娘の通う学校のPTAの役員だったり、
集落の青年団の集まりだったりする。
こういう場に積極的に参加して
それを盛り上げていくことが地域づくりなんだと
僕は思っている。

だから、学生さん達へのメッセージはこうだ。
あれこれ考えてから行動するよりも、
まず一歩踏み出してみるってこと。
歩きながら考えればいいのさ。
踏み出せば、新しい風景が見える。
そこから次の課題が生まれる。
たぶん、その連続だと思う。
ぜひ、学生の皆さんは
一歩踏み出して、外の世界と積極的につながってほしい。







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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

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