野菜に限らずだが、
なにか食べ物を楽しむのは
ひとそれぞれの理由があるだろう。
だから、これがいいとか
あれがだめだとか、は
あまり言いたくない。
それは栄養や栽培法もその一つ。
だけど他者よりも一歩先んじて
自分の野菜を営業したいという衝動は
常にある。
その営業には、「こだわり」をどうしても
デフォルメ化して、
他者との違いを強調する必要があったりもする。
だからなのか、
僕の情報(こだわり)の出し方は
すっきりしないんだと思う。
自分で見ていても迷いがあるというか。
中途半端な営業トークになるのは、
それを得意にしゃべっている自分を
どこかで否定しているからだろう。

2006年にある本に出会った。
原田 津 著「食の原理 農の原理」という本。
1997年出版で、それから約10年経って
僕はその本とご縁があった。

そこに書かれていた「食べごと」という
九州地方の方言の話が
僕にはいつまでも心に残っている。
ちょっとわかりにくいかもしれないが、
「食べさせたい人々に食べさせる役をしつづけることで自分も食べている」
というかたちでの共食だ、と原田はいう。
それは食を味や栄養だけで切り取らず、
その場にあった匂いや雰囲気や社会的な関係など
食を中心にしてつながっている共食の意識と記憶が
「食べごと」なんだと思う。
それを大切にしていくことが
僕らそれぞれの食を
本当に豊かにするんだと、
僕は信じて実践してきた。
そうしていたら
いつの間にか50品目以上の野菜を栽培していた。

僕が今、そしてかつて栽培していた野菜たちには、
僕の食べごとの記憶がまとわりついている。
それはそれで心に閉まっておいても
良い話ばかりなのだが、
けっこうあいまいになってくることも多く、
記憶あるうちに思い出そうと思い、
このカテゴリーを作って
ブログのエントリーとして記録しようかと思う。

そして、
この作業は、かつての僕の記憶をさかのぼるという
とても楽しくてしょうがない作業になりそうで、
特に気がめいるときにでも
このエントリーを少しずつ
書いていこうかと思う。




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直売所からのメール

何かのネタとして記録しようか。

ある直売所からの売り上げメール。
どうやら僕が315円で売れたらしい。

実は今月に入って、すでに『僕』が3つ売れている。

いったい何があったんだ!?
いくらなんでもちょっと安すぎるだろう!



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たぶん、それはそれで大事なことだとは思う。
本来なら、特に異論もない。
それどころか、今年に入って
集落の北側の国道沿いの田んぼに
ラブホテルの看板が立ったのは
ちょっと嫌だった。
だから
県のJA青壮年部のリーダー研修会で
『福井県野外広告物条例の規制内容の見直し』について
福井県から説明を受けたとき、
最初はそれはごもっともなことだと思った。

この前の金曜日、リーダー研修会で
県の都市計画課の方々が講師として来られ、
景観を著しく損ねている野立て看板について
28年度を目途に規制を強化していく
という趣旨の説明を受けた。

現行制度については、リンクを参照してもらいたい。
http://www.pref.fukui.lg.jp/doc/tokei/koukoku/jyourei.html

説明では、朝倉氏遺跡に向かう国道沿いに
乱立する野立て看板や
信号機の位置さえも分からなくなるほど
看板が乱立している交差点などを
事例に取り上げて説明いただいた。
また今後来るであろう北陸新幹線の沿線への規制強化
などの説明もあった。
それはそれでなるほどと思うこともあった。

が、しかし、県の職員が
「美しい田園風景を守りましょう」
と連呼すればするほど、
なんだか白けてしまった。

この研修会で僕たちは下落を続ける米価の状況にあって
どうやって個々の営農を維持していくかを
話し合っていた。
1俵あたり2000円も下落してしまった米価。
このままじゃ、米作りなんてやってられない。
看板を取り外そうがどうしようが、
美しい田園風景なんて守れない時代が
もう目の前までやってきている。
ある参加者の農家は、
「美しい田園風景というのなら、耕作放棄されない対策の方が大急ぎの課題じゃないか?看板撤去しても放棄された田んぼが広がる風景になるよ」
と言っていたが
それは、まさに僕らの考えを象徴していた。

撤去にかかる費用の問題もある。
もしかしてそんなもんに税金を投入しようなんて
無駄なお金を使う気じゃないだろうね。
また景観を損ねる広告物という
あいまいな言い回しも気になる。
2012年以前なら、そんなことも考えなかったけど
9条改正議論や特定秘密保護法などをめぐる
議論のプロセスがとても固定的で、
社会全体として
言論統制が風潮になりつつある
この雰囲気の中で
この議論に対してもやや怖さを覚えるのは
僕だけだろうか。

僕らは美しい田園風景を守るために
農業をしているわけじゃない。
日々の暮らしを少しでも良くしていこうと
営農活動を行っているに過ぎない。
美しく見せるためではなく、
篤農の技は、所作にリズムがあり、
それが効率化を生み出したり、
作業の負担が軽減されたり、
栽培により適した環境を生み出しているに過ぎない。
その一定のリズムを
門外漢から見れば
美しさとして映ることは、僕にも理解できるが、
それは営農のための業であり、
風景として見せるための業ではない。
僕らにとって農地は
収穫物を生み出す資源であり、
その風景は資源化されて消費されるものとは
ちょっと違う。
その違いが
「美しい田園風景を守りましょう」という
僕らには響かない言葉を生み出すことになるのだろう。

観光を促進するなら
規制強化は観光地だけでいいだろう。
看板広告費も地権者にとっては大事な収入源だろうしね。
看板が目印の場合も多々あるし。
外からやってくる人に合わせて
こんなことを続けていけば、
良かれと思っているうちに
僕らの文化や生活を
外の基準に合わせて規制してしまいかねない。
と、僕は思う。







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珍しく東京出張。
目的は、JA青壮年部の全国組織・全青協の
拡大合同会議に参加するため。
実は来年、
福井県の県青協の委員長を内々に仰せつかっており、
今回は全国の場に慣れるために参加。

すべての都道府県の県青協の委員長や副委員長といった
県を代表する方々が出席する会議を眺めて思ったのは、
やはりこの国の農業も
他の国のように多様だ、ということ。
もちろん地域差よりも個々の経営の方が
さらに多様なのだろうとは思うが、
すべての都道府県の代表者が集まると
そのグラデーションは地域間でよりデフォルメ化され
その会議の中身というよりは
そこに座っている各地方代表者の
それぞれの意見の方向性や考え方の多様さが
眺めているだけで楽しかった。
で、それが目的の会議なら
この上なく楽しいのだが、
なにか組織として意見の集約となると
その切り口がどうしてもあいまいになり
その良さもどこかに吹き飛んでしまうような
まとめ方だった。
まぁ、そういうことに力を置くのは
あまり意味もないのかな、なんて
初めて参加した僕には感じた。
自分たちの国の農業の多様さを
内部共有するための組織でもないしね。
たぶん、そこが中央会制度の問題点と
同じだということは、あまり自覚的ではないかな。

さて中央会制度なんて言葉が出たので
このエントリーの本題に入ろうか。
僕の興味と議題が一致したのは
農協改革とTPPに対する全青協の態度だ。
全体会議の前に
ブロック別会議といって
日本中を6地区に分けたまとまりでの
会議に参加した。
福井は東海北陸ブロック。
その後、部会があり
食農・水田・青果の部会に分かれての会議。
僕は野菜専科の農家なので青果部会に出席。
そこでは簡単な自己紹介と
自分たちの経営内容など
多様な自分たちの経営や地域色の話が多かったのだが、
全体会議ではそれは反映されない。
というか、そういう意図や必要は特段ないのだろう。
とくにそれに対する際立った発言はないのだが、
それを感じてしまうのは、
農協改革で自己改革案を認め、
中央会制度の維持を支持している点だろうか。
たしかに
政府の提案する改革案は
農家・農業抜きの改革案といった観があり、
解体のための議論のような気もする。
その点では、全青協のいうことも一理あるが、
僕らとしては全国組織の形状がどうであろうと
身近な単協がどうやりくりしていくかが
もっとも関心のあるところだ。
それは、その延長上というか
これまでの道のりに
僕らJA青壮年部が
地域を作り上げる主体としてやってきていて
そしてこれからもそれを担っていくのが前提だ。
そうでない組織なら、別に用はないからね。

グローバリゼーションと流動的な平準化を
推し進めていくモダニティの世界にあって、
それらの波はどの場所にも平等に訪れるわけはないが、
少なくともそれぞれの場所に地方分権の声は
届いているだろう。
僕はそれを信じているし、
それに抵抗する努力よりも
それをバネに先に進む地方を夢想する。
だから強権を持った中央会制度は要らないし、
組織改変で共済や信用事業の一本化も要らない。
これだけ多様な風土で繰り広げられている農業は、
その生産様式に合わせて多様な文化と生活があり
それに合った共済や信用・購買・販売事業が
あって当然だと思う。
だから、これまで一律だったサービスも
僕はこれからは要らないと思う。
だから準組合員は、
その地域がどんな地域によるのかも合わせて
単協で話し合いをすればいい。
一律に決める必要なんて無いよ。
多様性は支持するくせに、
それを認め合うことができない。
大きな組織はさらに大きな競争にさらされているからだろうか。
その余裕のなさが、
地域をつぶす原因だといい加減みんな気が付くべきなのに、
大きなロジックに乗せられて、
みんなの目は曇るばかりさ。
合併ばかりを繰り返す単協の流れを廃止して、
僕らに必要な活気をサービスとして、
僕ら自身がそれぞれの地域で作り出していく必要がある。
それを後押しする取りまとめ組織なら歓迎さ。
でも、やっぱり要らないかな。

TPPでは全青協の態度が、という意味ではなく
内部の議論が面白かった。
その根底にあるものも
また中央会制度の議論とつながる点もあった。

森山TPP対策委員長(衆議院議員)から
これまでのTPPの流れとこれからの説明があった時、
関税をしっかり守るの一本やりではなく、
セーフガードや政策としてどう農業を盛り上げていくか、
その3点セットで考えてほしい、という話があり、
それはそれで一理あった。
だが、それに対して宮崎の農家の方が、
「補助をもらって、農業を守ってほしいわけじゃなく、自分たちの力でやっていきたい。だからその環境を整えてほしいだけ」と言っていたのが印象的だった。
そう、僕らは補助がほしくて、
また補助を考えて農業がしたいわけじゃない。
やったらやっただけ
成果の上がる仕事がしたいだけだ。
その土壌が出来上がらないから
農業が斜陽産業と言われてしまうのも
とても口惜しい。
全体としてかぶさってくる『覆い』は
僕らにとってはとても窮屈で
僕らの創意工夫を削いでしまう。
競争はいつも決まった不公平なルールで
価格とコストと補助の間を
行ったり来たり。
その方の怒りは
僕の心にも響いた。

短い出張だったが、
いろんな縮図が詰まった
僕としてはとても面白い2日間だった。
来年からは
もっと関わり合いが多くなるので、
この激動の時期にその立場にいられることを
僕は幸運に思う。




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少子化の波は
どこにでも平等にやってくるわけじゃない。
そして、うちのむらには
その波がきちんと届いている。

日曜日。
近所の同級生が外出の予定があると、
娘はそれだけで遊び相手がいない。
僕のころには、
同級生の男の子だけで9人もいたので、
遊び相手がいない、というのが
ちょっと想像できないが、
今は、それが普通らしい。

で、手持ち無沙汰な娘。
ごぼう掘りの畑に連れて行くことにした。
農作業を手伝わせるためじゃない。
目的は、くるみ取り。
僕が仕事している間に
娘にはくるみを集めてもらおうってこと。

ごぼうの畑のすぐそばに
野生のくるみの木が生えている。
そのくるみを集める。
PB160478.jpg

昔、一度これを集めて食べたこともあったが
なかなか割れなくて、
それから諦めてしまっていたが、
娘が「食べてみたい!」というので
もう一度挑戦することに。
PB160476.jpg

すでに枯れてしまった
実を手で割ると
くるみの種が顔を出す。

PB160480.jpg
で、今回はこういう道具を用意した。

PB160482.jpg
くるみ割りの道具を使うと
簡単に割れて、
こうして中身が顔を出す。
これを掻き出せば
僕らが知っているくるみになる。

PB160494.jpg
それを薪ストーブで
ゆっくりと炒る。
香りが部屋中に広がる。
口中につばも広がる。

PB160495.jpg
種の中身は少ない野生のくるみだが、
脂分が多くて美味い。
甘味や風味も強いね。
たくさん取ったので
これでクッキーやくるみパンを作ることにしよう。
もうすぐクリスマスも来るしね。
冬は冬で楽しいもんだ。



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PB160473.jpg

急に寒くなった。
なので我が家の薪ストーブも
いよいよ本格始動だ。
今年で5年目になる薪ストーブライフ。
空気がゆっくりとあったまり、
体の芯からあったまる。
ゆらゆらとゆっくり燃える炎が、
僕らの意識を鈍くする。
そんな薪ストーブライフ。
やっぱりいいな、と思うが、
その反面、大変なことも多い。

当初、ある程度予想していたが、
やはり薪をどうするかは、
いまでも頭が痛い問題でもある。
山へ柴刈りに、といっても
簡単じゃない。
母方の祖父が山を持っているので
比較的山資源へのアクセスは楽だが、
何十年も手を入れていない森は、
素人をやさしく受け入れてはくれない。
直径40~50㎝クラスの立木が
急斜面に、密に、そしてランダムに
立ち並んでいて、
僕のチェーンソーとその技術では
手におえない。

だから
自分で立木を切ることは
最近はしなくなり、
その代りに庭木を切ったものや
端材をいただいて
薪にするようになった。
これだってかなりの量になる。

IMGP2616.jpg

放っておけばゴミにしかならない
それらの資源は
うちで引き取ることで
りっぱな燃料になる。
ただ、もらってきたままでは
燃料としていまいちだ。
そこから乾燥させるプロセスが
必要になる。

PB150468.jpg

乾燥を進めるには
やはり薪割が必要になる。
この作業がなかなか大変で、
年間大人二人で
どうしても1週間ほどの時間を
用意しないと
冬中、薪ストーブの全館暖房のための
薪量を確保できない。
最近、いろんな予定が入っていて
農園の休園日の土曜日も
毎週休みにならないのだが、
なんとか確保した休みも
薪割で消えていく・・・。

そんな労力をかけて
ともす炎は、それだけで贅沢だと思う。
スイッチ一つで快適に使える暖房機器が
世に溢れている中、
わざわざ冬の一時期のために
年間のある程度の時間と労力を
無理やりに付き合わされる
薪ストーブは
その炎がともるまでの過程も含めて
贅沢な暖房ツールといえよう。
生活そのもののサイクルと
冬への意識が変わる、
それを面倒だと言ってしまえば
それまでのことだが、
それで僕らの生活サイクルが
面白い方に変わると思えるなら、
これは
とても素敵な暖房ツールだ。

5年目の薪ストーブライフが
始まった。
ゆらゆら燃える炎でおもてなしいたしますので、
温まりたい人は、
どうそ遊びに来てくださいね。


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PB080380.jpg


JICA北陸のイベント
『JICA北陸キャンパス2014』
14名ほどの大学生を農園で受け入れた。
国際協力の将来設計ということで
僕らの農園での取り組みと
インドネシア実習生との研修プログラムについて
説明し、
みんなでディスカッションをした。
ラッカセイの掘り取り作業といった農業体験や
農園の野菜でのBBQと
なかなか盛り沢山な1日だった。

学生と話をしていて気が付いたことは、
今回受け入れた学生さんたちは、
なかなかまじめだということ。
「遊び」の部分が少ないような気がする。
ボランティアするにも
海外に行くにも
なにかもっと用意周到に準備しないといけないような
そんな雰囲気があった。
どうせ経験も知識もないのだから、
ある程度は持て余した時間を勢いよく使って、
どんどんいろんなことに遊んでほしいな。
百聞は一見にしかず。
百見は体験にしかず。

インドネシアの子たちにもいい刺激になったようだ。
普段僕らとしかディスカッションしない彼らに、
学生さん達から矢のように質問を浴びせられた1日で、
普段とは違う受け答えの連続だったようだ。
年が近い分、貧しい状況の中でも
将来設計をしっかりと組んでいこうとする
実習生たちの姿勢も
大学生には刺激的だったのだろう。
だから、ディスカッションでの質問の多くは、
実習生に向けられていたのが印象的出だった。
なぜ農業なのか?
そんな素朴な学生の質問に、
実習生たちは日々の労働の中で
見つける幸せについて語っていたのが印象的だった。
仕事って、労働ってなんだろうって
みんなで考えられたなら、
とても素敵な時間だったろう。

あと僕が発見したのは、
佐藤が意外にこういう場が上手いということ。
学生に対するメッセージも
とても素直で入ってきやすい言葉ばかりだった。
あんまりスタッフは褒めないことにしているのだけど、
学生さん達をまとめ上げていたのが
とても素晴らしかったので、記録しておこう。
僕は実はこういうのはちょっと苦手なので、
今度からは、こういうのは
彼が中心でやればいいんじゃないかな。

改めてディスカッションを通して
全体を眺めてみると、
僕らの農業って、
野菜の生産だけじゃないんだなぁ~と気が付く。
人も野菜も育てる農園。
たぶん、それが僕らの労働の目的。
そんな風に思えた1日だった。


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先週、娘と妻が図書館に行ったときのこと。
本が大好きな娘は、
両手から滑り落してしまいそうなほど
本を抱えて、貸出の係りの方に渡した。
その本の内容を見たのだろうか、
図書館の司書さんが、
「こんな本があるよ」と
娘に教えてくれたのが
『どろぼうのどろぼん』という本だった。

司書さんから本を紹介されるなんて
一度でもいいから体験したい!と
夫婦で盛り上がっていたのだが、
その本を読み聞かせてみると
はまってしまったのが
僕たちの方だった。
まずは妻がぺらぺらとめくっているうちに
そのまま深夜まで読み切ってしまったという。

そして次は僕だった。
昨晩、娘に読み聞かせていたら
いつの間にか娘は眠ってしまった。
いつもならそこで僕も眠りにつくのだが、
あろうことか、僕もその本を
途中でやめることができず
最後まで読み切ってしまった。

モノの声が聞こえるという、どろぼうのどろぼん。
用のなくなったモノが発する声に
導かれて盗み(救い?)繰り返す。
盗られた本人も
なくなったことに気が付かない。
そんなちょっと切ないどろぼうのお話。

娘のおかげで
またしても僕たちは出会わなかっただろう
物語に出会うことができた。
すこし大きい子向けの本だが、
この本から娘は何を感じ取ってくれるのだろう。
これからゆっくりと彼女に
読み聞かせたい。

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3年生のカダルスマン君(以下:ダルス)の
卒業研究は、コシヒカリの栽培法の研究だ。
ポット栽培を行い、
コシヒカリという品種のポテンシャルも研究し、
農園の水田でコシヒカリの栽培も体験した。
集落の作見会にも参加し、
日本での慣行栽培のデータも集めた。
病気や害虫、その防除法も勉強した(これはまだ足りないけどね)。
調整乾燥の施設も見学して、
網下米を大量に出しながらも
良い品質のコメ作りがどんなものかも
実際に見た。
そしてその真っ白で形の揃った米ばかりの
コシヒカリを食べて、美味しいとも思った。
で、そこまでやって
彼は初めて気が付いた。
これらすべての技術がその社会の価値に
合わせて存在していることに。

インドネシアでもコシヒカリは高く売れる。
通常のお米の3倍の値段だそうだ。
しかもあちらでは化粧品の原料にもなっているらしい。
だからダルスは、帰国後インドネシアで
コシヒカリを作りたいと思っている。
で、一所懸命日本での栽培技術を
集めてみた。
で、いろいろと比較してみた。

このあたりの一般的な水田では
コシヒカリの収量は10a500㎏。
インドネシアでも収量は同じくらいだと
ダルスは言うが、
日本は玄米の収量であり、
インドネシアはモミ収量。
それだけでも1割以上は重さが違う。
さらに、インドネシアは
調整時に網による選別がいい加減だ。
というより、してないと思う。
詳しくその構造を観察したことが無いが
調整乾燥施設で網下米が出ているところを
僕は知らない。
今の福井は1.9ミリの網で選別するから
割れたコメや未登熟粒などの網下米が
大量に出る。
インドネシアの収量は
もみ殻重+網下米+玄米ということになる。
もう2割くらいの違いでは収まらないくらい
その収量に差が出ることが分かった。

ここでダルスも気が付く。
なんで網で選別するのか?
インドネシアでは、少なくとも村では
そんな選別されたコメはない。
日本じゃ、網だけでなく
色選といって色の悪い米もはじく選別機械が
あるくらいで、
そのおかげで一般の方々は
白いお米が当たり前になっている。
当然インドネシアに色選はない。
そこには、異常なまでに
白くそして粒のそろった米に
固執する日本人の価値観が見えてくる。

そしてその白さと粒への固執が
カメムシ防除にもつながる。
斑点米は食味に関係しない。
だが見た目が悪くなるので敬遠される。
で、斑点米が多ければ
JAの蔵前検査で二等米になり
価格は安くなってしまう。
だからといって
カメムシ防除は必要ないのかと言えば、
その程度にもよろう。
かつて
僕が南スラウェシのバルー県に
青年海外協力隊隊員として赴任していたが、
ある年、カメムシが大発生し、
ほとんど収量が無かった、
ということもあったからだ。
ただ日本の現状として、
多少の食害も許さないというのは、
やや行き過ぎかな、と思わないでもない。

そんな議論をダルスとしていると
またまたダルスもあることに気が付いた。
それは販売。
農家から米商人に販売するのだが
(インドネシアには農協はない)
その時の販売は、
日本とはずいぶん違う。
収穫の前の田んぼごと販売することもある。
商人が田んぼの広さでその田んぼの収穫物を買い取り、
収穫の人足を商人が連れてきて収穫をする。
もちろん田んぼの持ち主が
収穫の人足を用意して収穫して、
その成果物を販売する場合も多い。
その場合は、未乾燥のモミでの販売だ。
つまりどちらにしても
もみ殻がついているので
中身の品質はわかりにくい。
斑点米があろうが乳白米があろうが
胴割れがあろうが、
そんなのお構いなしだ。
だから多少のカメムシが発生しても
その防除は農家にとって何の魅力もないことになる。
販売の時に、リスクを負うのは商人ということになる。
だから買い取り価格は驚くほどの低価格。
しかも品質を上げても
モミでの販売のため付加価値はつきにくい。
こうなってくると農家もできるだけ
手間を省いて、モミをたくさん取る方法の栽培法が
「良い栽培」となる。
社会の価値とそれをスケールにしたときの基準、
その違いで、良い栽培も変化する。

インドネシア市場向けとしてのコシヒカリなら
日本の技術がそのまま当てはまることはない。
もしダルスが、都市部にたくさん住んでいる
日本人向けにコシヒカリを栽培したいのなら、
異常なまでに白くて粒のそろった米が
当たり前になっている日本人には、
それなりの設備と手間が必要になるだろうけど。
いわんや日本向けなら、その手間と設備投資は
恐ろしく増えるだろうね。
良くあるアジアに同じ米文化だからといって
その違いに気が付かないまま
米栽培で進出する人たちが
そろいもそろって失敗するのは
そのあたりの浅はかさがあるんだろうと
見当しているのは余談。

さて、もう少し栽培の話を続けよう。
水管理でも日本とインドネシアではずいぶんと違う。
ダルスの地域では田越しに水を入れたりする。
だから間断潅水(入水後自然落水を繰り返す灌漑法)なんてありえない。
水が入らない時は何時まで経っても入らないし、
雨が降っても落水はスムーズじゃない。
無効分げつを止めるための中干しも
だからスムーズにはいかないだろうな。
さらに
肥料は上部の田んぼから水の流れと一緒に
どんどん流入してくるから施肥計算は大変だ。
下の田んぼではコシヒカリの倒伏は避けられないね。
これらすべてが日本と違うのだ。
それは、その品種とそれが栽培可能になる技術、
ひいてはそれを是とする社会の価値観の
違いとしか言いようがない。

同じアジアの同じ米文化。
なんてよく言ったものだ。
まったく別文化で別の食べ物なのさ。
やってみるとこうも違うのか、と
僕も改めて驚かされた。
その上で、ダルスは
インドネシアのコシヒカリに挑戦しようとしている。

高品質で勝負するのなら、
カダルスマン君、
君は米の買い取り商人と同じだけの施設を
用意しないと
君の努力は報われないよ。
もし日本人向けに勝負するのなら、
そこにさらに設備投資をしないといけないよ。
ただコシヒカリを作るだけじゃ、
商売にはならないんだよ。
それが少しでも君に伝わることを
僕は切に願う。



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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

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