今月、インドネシアから来ていた
タンジュンサリ農業高校(以下:タ農)一団は
無事帰国の途に就いた。
今回も微力であるが
通訳兼アドバイザーとして
福井農林高校(以下:福農)とタ農の
両校の交流を前に進めることができたと思う(自画自賛)。
これで殺人的に
忙しかった10月も終わる。

さて、今回の交流は
インドネシア側から農水省や西ジャワ州の
部長さんなども同行した。
インドネシアでもこうした高校レベルの友好提携は
とても珍しく
しかも、両校の交流がすでに18年という長期に
渡っていることを評価いただいた。
僕はそのうち12年間を関わらせてもらったのだが、
この出会いは僕にとっても大きなものだった。

僕が関わるようになってから、
18名のタ農の学生が福井を訪れたが、
そのほとんどが公務員や民間企業で
活躍する人材になっているらしい。
そのうちの一人は(イラ)、今、
僕が行っている農業研修事業に
技能実習生として参加していて、
僕の農園で毎日勉強に励んでもいる。
また18名の一人で、
イマンという少年もいた。
長身でメガネが良く似合う少年で、
年の割に落ち着いていて、
微笑みが印象的な少年だった。
福農に留学中は、農園で数日預かったこともあった。
実習生の授業にも混じって勉強したのだが、
なかなか優秀で一所懸命だったのを思い出す。
実はその彼、研修2年生のジャジャンの
同郷の先輩にあたる。
そしてそのイマンが、
ジャジャンがタ農に入るきっかけを作ったらしい。

長くやるといろんなことがいろんな風に、
ランダムに、イレギュラーに、
そしてダイナミックにつながってくる。
そんなダイナミズムがとても心地よい。

そしてそのダイナミズムに
もう一つ変化が生まれる点を打とうと
今、僕らの団体が主体となった
スタディツアーを計画している。
今回同行していた
タ農の先生とも
旅の内容についての打ち合わせも
無事終わった。
きっとこのスタディツアーからも
新しいつながりができてくるだろう。
どんなうねりを生み出すかは、
乞うご期待。



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読書の秋ということで、
書評でも書こうかな。

瀬戸口明久 著 『害虫の誕生』:虫からみた日本史.2009.筑摩書房.

一言で言ってしまえば、実際のただの虫が害虫化したという論理展開ではなく(これはこれでまた違う論点がある)、近代化の流れの中で、「害虫」という概念が浸透し、人と虫との付き合い方が変わった、というのがこの本の大枠であろう。
虫と人との付き合い方は、その時代時代の価値や技術の変容により、その時代を生きている人々の「精神の習慣」(内山節)の変化によって、その関係性が大きく変化した。本書の射程は、江戸期から戦後のDDT普及までであり、中心事例は明治期から戦前にかけてである。それは富国強兵と軍国主義に彩られた戦争の時代であり、その国民すべてを動員した総力戦において、昆虫学の主目的は分類ではなく食糧増産のために害虫を駆除することが求められていった。その過程の中で、実際に農作物や人に害を与える虫たちとの関係は大きく変わっていった。江戸期は虫害を天災やたたりと捉えて、虫送りや駆虫札などの宗教的な方法など虫を駆除対象とした方法ではなく、人々がその難を逃れるための活動であった。それが近代技術世によって「害虫」が発見され、駆除されるべき目標として位置づけられた。その流れは決して一方向ではなく、揺り返しもあった。本書の明治期の事例では、サーベル農政下で繰り広げられた害虫駆除に対して農民の反発が描かれているが、それは害虫を排除するという考え方自体が、農民たちが持つ自然観と生命観に相容れないものであったというくだりはとても興味深い。これらの事例をいくつか横断して、その史観を筆者は東洋的な自然観が西洋に比べてよりエコロジカルであったとは評価せず、そのオリエンタリズム的な視点を批判しつつ、エコロジカル対自然破壊的という単純な二分法そのものを批判しているのが秀逸だった。近代的視点が入り込む前の江戸期の農民にとっても虫害は忌み嫌われるものであり、その自然をそのまま受け入れていたわけではなく、それに対処できる方法が他にあまりなかったということであろう。戦前の害虫駆除の事例では、天敵による防除(生物的防除)や青色灯による物理的防除といった化学物質ではない防除研究が主流であったようだだが、それは日本がよりエコロジカルだったわけではなく、化学物質の生成に必要な原料が戦争によって供給されなかったという物理的な制限を受けたことによることが大きい。だとすれば、本書では取り上げていないが、社会変容論として物理的要因と精神的要因において、それらは相互補完的であり、精神的要因としてのその時代の精神の習慣としてその技術を受け入れる素地があったこそなれば(やや生命に対する生命観のギャップはあったにせよ)、その対象を駆除するという意味では、その技術をそれなりにすんなりと受け入れることができたのかもしれない。それらも含めて、エピローグで触れられている著者の視点こそ、本書の核のようにも思えるのだが、新書であるためか、その部分の記述は少ない。著者の考えや詳しい解説は、次回作に期待したい。


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今、福井農林高校(以下:福農)に
インドネシア・タンジュンサリ農業高校(以下:タ農)の
一団が来ている。
それに合わせて、
農水省の部長と西ジャワ州の部長、
そしてレンバン総合職業高校(以下:レ農)の校長も
一緒にやってきていた。

「やってきていた」と書いたのは、
彼ら彼女らはすでに福井を発ってしまったから。
たった一泊だけの滞在だった。
慌ただしい日程でも
わざわざ福井まで来たのは
理由があった。
それはただ単に
福井農林高校を視察しようというものではなかった。
もちろん、それも目的だっただろうけど。

主目的は、
タ農と福農のように、
レ農も福農と交流事業を行いたい
という申し入れだった。
というか、すでに友好提携書を携えて
しかもすでにその書類に
西ジャワの教育長のサイン入りで
持ってきていた。
僕は今回初めてレ農の校長に会ったのだが、
会って1時間も経っていないうちに、
「タヤ、この書類に福農の校長先生のサインをもらえるように頼んでね」
と何かのついでに小物の買い物でも頼むような
そんな気軽さで、レ農の校長から
そのサイン入りの友好提携書を手渡された。
なんだかその時のその雰囲気が、
とても懐かしく思う自分がそこにいた。
僕は珍しく動揺も怒りも焦りも
そんな感情が湧きあがることなく
その手渡された書類を
ノスタルジックに眺めている自分が
可笑しくて仕方なかった。

経済大国になりつつあり(というかすでになっているか)、
驚くような経済成長を続け、
とても民主的な手法で
普通の人が大統領になったりするインドネシア。
もう僕の知らないインドネシアに
なってしまったんだ、と
最近はそんな気持ちを抱いていた。
ちょっとさみしい気もしていたが、
こういう所は相変わらず変わらない国なんだなぁ。

で、その友好提携書、
当然、ハイ解りました、となるわけはない。
メンバー全員で会議を開き、話し合った。
福農からの説明は明快で、
タ農との交流事業は卒業生の寄付で行っており、
県や国から財源的な支援があるわけではないので、
レ農をさらに受け入れていく予算的余裕がない、
と当然の回答だった。
レ農ももっと事前根回ししたらよかったのに、
と思っていたら、
その場に居合わせた農水省と西ジャワの部長とが
「予算が無いのなら、こちらから予算を出せば可能ですか?」と
切り込んできた。
それに対して福農は異論は特になく、
レ農の学生が福井に滞在する費用を
インドネシア側で持ってくれるのなら
受け入れは可能で、
もちろん人員的な問題やスケジュール等
些細な障害はまだまだあるにせよ、
インドネシア側の県と国が予算化に向けて
努力することで、会議は終了した。
ここを起点にして、
タ農とレ農の西ジャワ州が教育強化校に
指定している2校と福農の新しい交流を
模索して行こうとなった。
さすがにこのスピード感には驚いた。
やっぱりインドネシアは大国なんだ。
いろんなことを目の前で決めてしまえる裁量もあるし
それだけの予算もあるってことなんだろう。
あっでも、僕はそういうのちょっと嫌いなので、
できれば事前に根回ししてほしかったなぁ。

日本の教育は国際化といえば
英語教育ばかりに目を向けていて、
その弊害で、外国と言えば英語圏(先進国の)ばかりな
雰囲気が最近特に感じるようになってきている。
その偏見に少しでもくさびを打ち込むような
タ農レ農と福農の交流事業が
これから成り立つように
とても微力だが、僕も協力していこう。

さぁ、だんだん面白くなってきましたよ~♪





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不思議な縁もあるものだ。
昨日から、
インドネシア・タンジュンサリ農業高校の一団が
福井農林高校にやってきていて、
その通訳のお手伝いをしている。

インドネシア大統領就任式直後の来日予定を
何も考えずにこちらが組んでしまったので、
ぎりぎりまでインドネシア側の日程が決まらず
とても焦った訪問だった。
ちなみにふたを開けてみたら、
予定していた人が来られなかったり(農水省の高官)、
1日だけの滞在になってしまったり(西ジャワ州の役人)
予定として知らされていた帰国の飛行機の時間が
まるで違っていたり。
まぁ、こういうことには特に驚いたり焦ったりはしない。

さて、不思議な縁というのは
今回の一団にくっついてきた農水省のお役人さんのことだ。
インドネシアの農水省でMagang(研修・技能実習)などの
農家の研修や教育を取りまとめる部署の
部長さんだったのだが、
雑談の中で、
僕が以前、南スラウェシのバルー県で
協力隊隊員として赴任していた話をすると、
「あああ、バルー県ならアクサンという人がいただろう」と
その彼が言うのである。
アクサン!アクサン!アクサン!
こんなタイミングで、こんな場所で、
またこの名前を聞こうとは!

僕の当時の仲間なら、
この名前を知らない人はいない。
僕らのプロジェクトに関わっていた農家の一人で
地域リーダー(当時は微妙)の一人だった。
彼の集落で活動するときには
必ずアクサンをキーマンにして
活動していた。
彼は、福井の畜産農家に1年間、
研修生として働いた経験がある(技能実習制度ではない)。
その時は牛小屋の2階に作られた
粗末な部屋で過ごした、と
ややつらい話もしてくれたが、
それ以上に日本の農家が如何にモティベーション高く
高品質な農産物を生産しているかを学んだと
とても熱く語ってくれたのを覚えている。

協力隊のプロジェクト終了後は
自分の肉牛の肥育事業が軌道に乗り、
また県や国の支援を受けて農家研修の施設を作ったりして、
経営だけでなく社会的な地位も得ていった。
そのアクサンの名前を農水省の部長さんから
聞くことになろうとは思いもしなかった。
部長さん曰く、
「彼を日本に送ったのは私だ」
とのことだった。

Magang(技能実習)は確かに問題も多い。
だが、そこから得られるものはとても大きい。
そう部長さんは話してくれた。
今回は日程がなく、僕の農園に来る予定はないまま
帰国されるのだが、
次回は必ず農園まで来てくれる約束を交わした。
いつか、僕が行いたいと思っている
インドネシアでの技能実習についてのシンポジウムにも
彼のような方に来てもらって
ディスカッションできたら良いな、と思えた日だった。







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これも記録しようと思う。
この前の日曜日は村の秋祭りだった。
朝から神事が執り行われ、
子供神輿が町内を練り歩く。
お昼前からは、青年会のメンバーで
祭りの会場を神社の境内に設営し、
少し日が傾いたころから出店が始まる。
そんな、小さな小さな村のお祭り。

そのお祭りには、
毎回、祭りの夜を盛り上げる
音楽のステージがある。
どっかの太鼓サークルの演奏だったり、
地域のロックバンドだったり、
はたまたセミプロの演歌歌手だったり。
盛り上がる年と盛り上がらない年の差が
けっこうある。
そして、昨年はひどかった。
三波春夫のそっくりさん、という触れが
町内会報の祭り行事予定に書かれていたのだが、
奇しくも東京オリンピック開催が
決定した年でもあったので、
ある意味、旬だとも思って楽しみにしていた。
きっと一番盛り上がる場面では
東京五輪音頭を歌うに違いない。
オリンピックの顔と顔♪
そんな節を口ずさみながら祭りを楽しみにしていたのだが、
やってきたのはちっとも似ていないおっさんだった。
三波春夫にも顔も似てないし、
歌い方も違う。
お弟子さんかな?とも思ったが、
知り合い程度のような話しぶりで、
自慢は三波春夫の奥さんからもらった
三波春夫の着物の帯で、
しきりに会場にいた僕らに
「いくらくらいだと思います?」などと
下世話な話題をする始末。
すっかり白けたステージだった。

そんな白けたステージの横で
焼き鳥を焼いていた僕に
「こんなステージするくらいなら、徹ちゃん(と集落の方からは呼ばれている)とこのインドネシアの子たちのバンドの演奏のほうがよっぽど面白いかもね」と
声をかけられたのが、始まりだった。
こういう声掛けを
僕はあまりその場の冗談には取らない。

ちょうどその年末の集落の青年会の総会で
来年の役員を打診されたのを好機と捉え、
祭りの音楽ステージに
農園のバンドが出場できないかを考え始めた。

インドネシア実習生の受け入れは今年で8年目に
入ろうとしている。
そして農園には、集落外からたくさんの人に
働きに来てもらっている。
一見、農業が主体となったにぎわう地域のようにも
話のイメージからは聞こえるかもしれないが
実際には日々の生産活動に追い回されて
また集落の住民も仕事は集落外で
大抵、平日は寝に帰るだけの場所でしかない。
農園のスタッフや実習生と
集落の方々とが交流する機会は
意外と乏しいのである。
前に働いていたセネガルのイブライは、
なぜかその壁をいとも簡単に打ち破り、
うちの集落のアイドルと化していたが、
それと同じようなインドネシア実習生は現れず、
僕の悩みの種にもなっていた。

お祭りの音楽ステージに出演すれば
もっとインドネシアの子や
日本人スタッフの子も楽しい集落ライフの
きっかけになるに違いない。
と、音楽を全くやらない僕は
本当に気軽に考えて、
そして農園の自主的なバンドサークルに
そんな話を持ちかけた。

どのくらいどんな苦労とプロセスがあって
そのステージは完成したのかは、
何も苦労を知らない僕が
言葉を綴ってもしょうがないので、
その部分は、バンマス佐藤のブログのリンクを
ここに貼っておくので、そちらを参照してほしい。

さて、そんなこんなで
なんとか農園のバンドが
今年の音楽ステージに出演した。
お祭り当日の演奏はとても完成度が高く、
エンターテイナーとしても十分どころか、
こんな小さなステージではもったいないくらいの出来だった。
実は、今年の4月にセネガルに旅立った
農園で研修をしていた北野が
このバンドのキーマンで、
その彼が抜けてからは、ややボリュームに欠ける
演奏が続いていて、僕自身も少し不安はあった。
だが、祭り当日の演奏は、
北野がいた頃よりもはるかに素晴らしく、
そして何よりも聴衆を引き込んでいた。
名も知らない外国人と日本人のバンドで
どちらかと言えば人見知りする集落のみんなが
すんなりと受け入れてくれないまま
白けたステージになることも覚悟していたが、
いやいや、みんな楽しんでくれていたのが
僕は何よりもうれしかった。
ジャジャンが歌ったヤングマンでは、
女性部のお母さんたちまで、
Y・M・C・Aと一緒に踊ってくれたし、
秀逸だった「お祭りマンボ」では、
その熱唱が会場に伝わったのか、
一緒に歌う人も多かった。

青年会のメンバーからも
「来年もやったら?」や
「もっと大きなステージでもやった方がいいよ」などと
声をかけてもらった。

農園のバンドのみんな、
村のみんなからも認められて
良かったね。
そしてありがとう。
とてもいい演奏でした。






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アンビシ勉強会で、ちょっとしたイベントがあった。
それは勉強会に福井市長が参加してくれたこと。
経緯はこうだ。

今年の1月、福井市農業水産奨励賞を
福井市からいただいた。
その受賞理由の一つが勉強会の開催で、
その受賞の広報が流れると
農業セクターではない課からお誘いがきた。
その勉強会で
福井市長と座談会をしませんか?と。

福井市長は、市民と座談会を不定期に行っていて
(それを「あじさいトーク」という)、
その座談会を勉強会のメンバーでどうだろうか?
というお誘いだった。
メンバーの答えは、即OK。
いろいろと夏前から調整を行い、
10月3日の金曜日に
市長を囲んでの勉強会が実現したというわけ。

勉強会のメンバーともテーマについて
簡単な打ち合わせを行い、
僕らがぜひ聞きたいテーマを4つに絞った。

・福井市の農業の展望について。
・福井市の地産地消について。
・県外に発信するには何をすべきか。
・若手就農者を増やすには、どうすればいいのか?

結論から言えば、
市長から明確な回答が得られたわけじゃない。
それは、たぶん僕がモデレーターを務めたのが、
一つの要因だろう。
力量不足で、しかも1時間という短時間ということもあって
それぞれ深い議論になったかどうかは
あまり自信がない。
ただ、市長の農業観は垣間見ることはできたと思う。

福井市の農業の展望として市長は
これからは園芸の振興が重要だと説明してくれた。
戦後の他産業の発展と農業の機械化、
そして農地改革で農地を1haずつ細かく分けあってしまったことが
それぞれの農家にとって、
農業を主産業から副業へとシフトさせてしまった。
兼業化が進む中で、
農地は生産の現場という意味は薄くなり、
市街化区域の拡大や工場誘致、道路拡張など
開発計画によって、それは転用することのできる
財産と化してしまった。
とりあえず続けられる稲作を続け、
転用期待をうかがう。
そんな農業の新しい構造が
産業として衰退させてしまったのだと
市長は認識しているようだった。
これに関しては、僕も同意見だった。
その結果、福井の農業は
8割が第2種兼業農家で
そのほとんどが稲作農家である。
そしてその農家のほとんどが高齢者で、
担い手がいないのも一緒だ。

この議論の結論として、市長は、
これまでの世代が農業を
魅力的な産業にできなかったことが大きい、
と言っていた。
これも大きく同意いしたい。
食の安全保障や環境保全などを盾にとって
農業保護の話をする方もいるが、
それに産業としての未来はほとんどない。
食の安全保障をいうのであれば、
平成の米騒動を思い出せば、
一国だけで自給率を高めることが
はたして食の安全保障につながるのかどうか
はなはだ疑問である。
環境保全としては水田のダム機能などあるが、
それはあくまでも副産物であって
それを主目的に農業を行うなんて
ありえない。
このロジックが独り歩きすると
土地改良費は治水のためなので
すべて行政負担ってことになるだろう。
どれだけ国の借金を増やせばいいんだ?と
思ってしまう。
そんな環境保全をいう割に、
市街化区域になれば
虫食い状態で田んぼを宅地として売買するような状況なのだ。
建前では誰も納得しないだろう。

やはり農業を主産業として魅力あるものにできるかどうか、
それにかかっていると思う。
地産地消という文脈は、市長から積極的な意見はなかった。
人口がどんどん少なくなっていく
地方都市の市場ではやはり主産業としての
成長は見込めないから、なのだろうか。
県外に売っていく、もしくは海外に売っていく、
そうした姿勢が求められる、ということだろう。
ただその場合も、県外の市場で単価が取れないのは
それだけの産地としてのボリュームが無いから
という話で、
ではたくさん作れば高単価になるかと言われても
その保証はなく、
勉強会のメンバーからは、単価が低いときは
「1日働いても儲けが1,000円くらいしかない日が年に何回かある」
と悲痛な意見もあった。
たくさん作ろうと思えば、
園芸の場合それなりの施設が必要だ。
となると、それだけ投資しないといけない。
だが、高単価が約束されていないので
その投資行動に移れない。
結局、傷口の少ない直売所を回る毎日になる。
それを続ける毎日が、農業を主産業として
魅力ある産業に発展させていく経済活動か?
と言われれば、答えは「No!」だ。

ちょっと奇特な、
もしくは都会に疲れた若者が
飛び込んでくる以外は
どんどん高齢化していく衰退産業でしかなくなってしまう。

市長とはここまで認識を同じにしたが、
では解決の秘策は?と問われても
正直見つからなかった。
でも、勉強会のメンバーは、
(少なくとも僕は)
とても満足いく勉強会だった。
行政のトップがどう考えているのか、
それが分かっただけでも勉強になった。
ノスタルジックな農業観でもなかったし、
意味ない安全保障論者でもなかった。
とても真っ当な考えだったと思う。
そして、その反対の極端な市場原理主義的でもなかった。

たぶん答えは行政のトップにあるわけじゃない。
衰退産業に新しい風を吹かせるのは、
行政の仕事じゃない。
それはこの勉強会に参加した
僕らの使命なんだと、
僕は改めて思った。

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大学生からの質問の続きに答えようか。
残っている質問は3つ。

③研修生の研修のためには大きな経費がかかると思うのですが、それは農業収入から全て賄うことができていますか?

④インターネットなどを見ていると、研修生を受け入れる農家さんと研修生の双方の目的が農業研修ですが、それは形骸化していて実際は労働力の確保、収入確保の目的だそうです。田谷さんの農業研修を行う目的はどのようなものでしょうか?
また、そのためにどのような活動をしていらっしゃいますか?

⑤日本の外国人農業研修生制度について考えていることなどがあれば意見をお願いします。

まず③だが、
当然、「YES」。
原稿執筆や講演などの謝礼として
微々たる収入は他にもあるが、
そんなもので賄える経費ではない。
農業収入で賄うしかない。
経営規模が大きくなったから人を雇ったのではなく、
研修をしたいから規模を大きくしたというのが
僕の農業経営の経緯。
経営内容は確かに僕の場合ずさんで
その方面の学問にはまったくの素人だが、
人を雇用するという前提なので、
季節に左右されない通年の仕事づくりと
それを支えてくれる市場の開拓と
経費がねん出できるだけの価格設定などのバランスは
常に気を使っているつもりだ。
たぶんそれが幸いしてか、
現在では10名以上の人を雇用できる規模と
市場と価格を得ているんだと思う。
確かに農業は労働が大変な割に薄利だが、
それでも工夫次第では未来が無いわけでもない。
なんでもやり方次第なんだ、と思う。

で、これらの話は④の答えにもつながるんだけど、
技能実習生は雇用の確保のためか、と言われれば
僕の場合はそんな経緯ではないのだが、
実習生が100%研修だけなのか、と言われれば
もちろんそんなこともない。
実習生らは、それなりに一所懸命働いてもらわないと
農園の野菜生産はおろそかになり、
売り上げも出てこない。
だから実習生にも給与や彼らにかかる経費が払えなくなる。
これは彼らともよく話をしている。
僕を儲けさせる必要はないが、
このやり方が今後も続くような
後輩たちもこのやり方によって
ここに運命を変えようとやって来られるように
彼らの給与と経費の分だけは仕事をしてほしいと
お願いしている。
給与以外にどのくらい経費がかかっているかも
彼らと一緒に毎年計算もしている。

そしてこれも肝心だが、
インドネシアで研修は「magang」(マガン)と言うが
それは研修という意味の単語だが
あちらの人は、それが出稼ぎだってことも良く知っている。
ただ単に会社や学校の研修の場合は他の単語を使うのだ。
だから「magang」というと労働が伴う、
研修というよりも出稼ぎという意識で言葉を使っている。
だから日本側が国際貢献だのなんだの言っても
あちらではそんな広報は全くなく、
先進国の最先端の技術を現場で見ながら
お金を稼げる制度というのがすでに一般的だ。
だから来る側は、出稼ぎ労働だってことはよくわかっている。
なので、この意識で僕らは時々もめる。
4期生のクスワントは
この出稼ぎ労働だと思って、僕のプログラムにやってきた。
もちろん、事前にここのプログラムは
他の技能実習と違って、本当に研修をする機会も多いと
説明してきたのだが、
彼はそれをただの文言だと思ってやってきた。
だから僕が用意する授業や宿題などが
初めは余計な活動と思ったようで
授業や宿題に労働としての対価が払われないことに
苦情をいった事を今でも良く覚えている。
授業時間や出された宿題を行う時間も
労働時間とすべきだと彼は言ったのだ。
その発言には
僕はずいぶんと動揺したし、
一緒にいた2期生と3期生も動揺した。

そこでいろいろと話し合いを行い
みんなでアイディアを出し合い、
授業などの活動は「農園たや」ではなく
僕とインドネシア人とそれを支援してくださる人とで作った
任意団体「Yayasan kuncup harapan tani耕志の会」で
行うことにした。
授業にかかる経費(プリンタのインク代など)は
僕も含めてメンバーの会費で会計をし、
僕が代表を務めるが
会の運営は、庶務と会計を
インドネシア実習生に任せて行っている。
現在では、卒業研究にかかる経費もここから出ていて、
また新しくやってくる実習候補生の
ビザ代やパスポート代などのお金も
この会計から貸付を行っている。
口座とお金の管理はインドネシア実習生の会計役が
行っていることを良く他の人から驚かれるが
一緒に組織を作り運営していくプロセスさえ
しっかりしていけば横領なんて起らない。

こうして研修を労働と切り離し、
それ自体は労働ではなく、
僕らに必要な研修・学業として独立させている。
この会に入るかどうかは任意ではなく、
ここに研修に来た人間は絶対に入ってもらうようにしているが
事前の候補者選考で、この説明は何度も行うようにしている。
クスワントも僕らとの話し合いと
会を一緒に立ち上げる作業を行う中で
僕らの意図を理解し、
それからはとてもよく勉強に励み、
最後にはとても素晴らしい卒業論文を残してくれた。
クスワントの卒業論文発表はYoutubeのリンクあり

だから技能実習生の制度が
形骸化しているかどうかは、
たぶん日本人向けのコマーシャル自体の問題かな
と思うことも多い。
実際に参加する側は、すでにそんな意識はほとんどないから。
もうそろそろ日本人向けの建前論を捨てて
移民を含めた議論をしっかりと行った方がいいと思う。
というのは⑤の答えにもつながるかな。

制度はなんでも使いようだと
僕は思う。
その意図がどのようなものであれ
その中身を充実させるのも
形骸化させるのも
それを使っている人たちということだろう。
僕は技能実習制度を利用しないと
個人で外国人のためのビザを取得できなかった。
だから農園独自のインドネシア人の農業研修も無理。
それが分かった時点で
この制度を使おうと決めた。
批判を受けるのは覚悟の上だった。
それ以前は僕もこの制度をブログ上で
何度も批判していたから、
僕自身も苦渋の決断だった。
でも、前に進むにはこれしかなかった。
そしてその一歩から今年で8年目になる。
走り出した当初は、
いろんな問題が起こっても10年間は
突っ走ろうと思っていたが、
もうすぐその10年になる。
思ったほど成果が上がりにくいという点と
とても地味で、とても根気のいる作業だというのが
今の感想だが、
人が驚くほど育つ場面に出会える、という意味では
とてもやりがいのある活動だと思っている。
技能実習制度がどうなっていくかはわからないが
本当に外国から来る人たちと関わって、
その人たちと一緒に成長しようという意識があれば、
この交流の場はとても素敵な場にかわるだろう、と
僕自身の事例から、僕は確信している。

大学生君、
これが今の僕の答えだ。




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以前、農園に受け入れた学生から
こんな質問が届いた。
質問の内容が
けっこうセンシティブなので
オープンに答えた方が
僕の答えが独り歩きしなくて済むだろうと判断して
ブログのエントリーという形で答えたい。

学生から届いた質問は
外国人技能実習生についての質問で、
以下のような内容だった。

①研修を行うにあたって
http://www.nca.or.jp/gaikokuzin/sikumi/gaiyou.php
このような制度を利用していますか?また田谷さんの独自のプログラムですか?

②ある研修生に対する基本時給の給料の明細書は112000円だそうです。しかし色々な経費(家賃や光熱費など…)を引くとむしろ雇い主に借金を作ってしまう状況だという記事がありました。http://www.actionpj.org/page2.html
失礼なことは承知でお聞きしますが、研修生への給料やそこから引かれる経費、そして研修生の手元に残るお金はどのくらいの額なのでしょうか?一年目、二年目、三年目でそれは違いますか?

③研修生の研修のためには大きな経費がかかると思うのですが、それは農業収入から全て賄うことができていますか?

④インターネットなどを見ていると、研修生を受け入れる農家さんと研修生の双方の目的が農業研修ですが、それは形骸化していて実際は労働力の確保、収入確保の目的だそうです。田谷さんの農業研修を行う目的はどのようなものでしょうか?
また、そのためにどのような活動をしていらっしゃいますか?

⑤日本の外国人農業研修生制度について考えていることなどがあれば意見をお願いします。


で、ここからは
現時点で僕が考えていること、と
農業の現状と現制度に
基づいての僕の答え。

①については紛れもなく
「YES」。
外国人技能実習制度を利用して
インドネシアのタンジュンサリ農業高校卒業生を
僕の農園に呼んで研修を行っている。
当初、
本当はこの制度を使いたくなかった。
2008年の段階で、とても評判の悪い制度だったし、
さまざまな問題もはらんでいたからだ。
労働力が足りないので
外国人を受け入れたのではなく、
僕が海外に行くことができないから
ここに呼ぼうと思った事と
それ以前からタンジュンサリ農業高校から
高校間の3か月の短期留学では
日本の農業が学べないという不満を受けて
受け入れを考え始めたという意味で
受け入れの文脈が全く違う点を強調したい。
ただ、この制度しか
この文脈で生まれてきた計画に合う
(ビザがとれる)
制度がなかったので、しかたなく使い始めた
というのがスタート時の思いだ。
ちなみにインドネシア人を受け入れる前の
2007年の時点で、その当時の農園の規模に対して
労働力は足りていたし、
受け入れ前から現在まで、
確定申告における僕の収入は
ほとんど伸びていない。
また、実習生のセレクションは
僕にその権限もなければ、
間に入っている協同組合にも実質的にはない。
タンジュンサリ農業高校側には
帰国後に地域リーダーになれる人材の選考をお願いします、
とそれに沿ったいくつかの条件を付けて
選考を任せている。
その条件にしても
農園の実習生OB&現役実習生と一緒に
考えた条件で、僕個人的な考えではない。
つまり
「24時間365日休まずに牛並みに働く人」
みたいな定規で選んでは全くない。

そういう意味では
制度は利用しているが
プログラムは独自といった方がいいか。
なんでも制度は使いようだ、ということを
僕は海外の現場で学んだが
またそれは別の項目で話そう。

②について。
現行制度になり技能実習生1号から
労働者として適応されるようになったのは
喜ばしいと思う。
これまでこの1号は労働者ではなく
研修者として扱われてきたので
最低賃金以下の労働が横行していた。
現行制度では
初めから労働者なので
1号も2号も経験による賃金格差を
つけている会社はあるかもしれないが
基本的にはどちらも労働者として
まっとうな報酬を得られるようになった。
だが、その反面、
給与からさまざまな経費が控除されるケースが
多くなったと言われている。
農園のインドネシア技能実習生も
農園の研修棟で生活しているため
家賃が発生しており、それはお互いの協議の上、
給与から控除する約束を結んでいる。
その書類も1次受け入れの協同組合だけでなく
それを監督するJITCOからも検査を受けて
正常と判断されている状況で行っている。
また実習生とは近くのアパート情報を共有し
その場所に二人暮らしをした場合を想定した
それぞれの生活費もオープンに計算して
研修棟ではない場所に生活するケースも
シミュレーションしている。
今年も女性の技能実習生を受け入れるかどうかを
現役技能実習生と一緒に生活面で検討した。
その結果、やはりアパートでは生活費が高くつく
という理由で、
タンジュンサリ農業高校の女性実習生の受け入れ要請について
回答を行っている。
これらのプロセスを経て、技能実習生の研修棟での生活が
現在のところ続いている。
研修棟では、電化製品つまり
テレビ・冷蔵庫・掃除機・洗濯機・電子レンジ・扇風機・エアコン・ストーブは
タダで貸与していて、
故障したりすれば、彼らが負担ではなく、
僕が修理もしくは買い換えている。
勉強用のデスクトップのパソコンと複合機プリンタは、
彼らと折半で買って彼ら専用で使っている。
使い方が悪かったりして故障するケースもあるが、
タダで貸与した電化製品の修理費の支払いは僕という約束。
ただ、その場合は僕から彼らに
ネチネチと文句を言う権利だけは認めてほしい。

灯油代と農園の新米1俵はタダ。
野菜はB品としてハネられたものを
僕やスタッフと一緒に分けている。
だから光熱費や家賃・通信費以外に
食費をある程度を差し引いても
あっそれと国民健康保険代を払ったとしても
毎月7万円くらいのお金、
つまり自由に使えるお金が手元に残ることになっている。
それが多いのか少ないのかは
それぞれ読み手によって感じ方も違うと思う。

また彼らもノートパソコンやスマートフォン
デジタルカメラなどの電化製品をこよなく愛しているため、
それらの購入費や
ここの友達との交際費・旅行費もあるし、
インドネシアにいる親に仕送りをしているため、
貯蓄としては3年間で150万円程度が
これまで僕がリサーチした結果だろう。
その多くが地元で農地を買うのに当てられている。
ただ親に使い込まれるケースもあるので
貯蓄がすべて彼らのものになるのかどうかは
家族関係やその生活レベルにも大きく影響される。

150万円で帰国後のビジネスとして何ができるのかは
まだまだ僕たちも挑戦の途中でしかないので
また別の機会に少しずつだが
紹介していきたいと思う。

ちなみに農園では
技能実習生は経験年数での給与変動はない。
1年目も3年目も同じ金額。
ただ日本語検定3級以上に合格すれば
インセンティブを用意してある。
が、現在のところ
その試験を誰も通過する者がいないのが残念。

あっ、あと渡航費や協同組合への監理費は
僕の支払いとなっている。
せめて協同組合の方が、
僕よりもインドネシアに精通していていたり、
僕よりもインドネシア語が堪能だと
監理費の支払いも価値があるのだろうが
現状はそうでないので
正直その支払いに不満もある。

質問には雇い主への借金とあったが、
僕は協力隊時代から他人にお金を貸さない主義でやってきた。
(銀行からはお金を借りてるけど・・・)
だから、実習生だろうがスタッフだろうが親友だろうが
個人的にお金は貸さない。
その代わりに
僕と実習生と有志で作った任意団体「耕志の会」では
その予算内で融資を行うことはある。
たとえば現在も検討中なのだが
来年来日する予定の実習候補生は
ビザやパスポート代などの費用を工面がやや難しいとのことで
借金の申し出が来ている。
お金の工面ができない場合、
家財や土地などの財産を処分してくる場合もあるので
金額を区切って(少額にはなるが)
会の予算から借金ができるようには制度を作っている。
借金の返済は、来日後無理のない期間で
実習生本人だけでなく、同僚の実習生、
会に参加していただいている有志と共に
相談して決めることにしている。
これは質問にある借金とはまた性格が違うことも
ここでは特に強調したい。

と②の質問まで答えたのだが、
ずいぶんと長文になってしまったので、
ここでいったん区切ろう。
続く・・・。


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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

メールは
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