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今年も暑い夏になっている。
そんな中で、
自宅や作業場を少しでも電気を使わず
涼しくしようと思い、
日差しの強い窓に
ゴーヤの緑カーテンを設置した。

野菜栽培が仕事なので
こういうのはすこぶる得意。
で、大量のゴーヤが取れるようになった。
初めは、ひき肉を詰めて蒸し焼きにしていたのだが、
それも飽きてきたし、
なんといっても娘がゴーヤの苦味が苦手のようで
食べてくれない。

娘も食べられるゴーヤ料理はできないか、
と妻があれこれと考えて
昨年から我が家のレシピに入っているのが
ゴーヤのサラダ。

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スライサーで薄切りにして
それを水にさらす。
何度も水を取り換えるのがポイントで
さらす時間は30分ほど。
それを沸騰したお湯でお好みの固さまで煮る。
水気をよく切って、
オリーブオイル&塩コショウ&マヨネーズなどで
味を調えて、
そこにツナを投入。
さらに大量の鰹節を入れて出来上がり。
苦味も消えて、
歯ごたえもよく、
さわやかな風味と鰹節の味がとてもなじむ
素敵なサラダになる。
それにこれだと大量にゴーヤが食べられるしね。
皆さんもお試しあれ。


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久しぶりに書評でも書こうか。
本を読み散らすのは楽なんだけど、
こういう作業をたまにやらないと
読んだことを忘れてしまいそうなので
記録しよう。

さて、本はこれ。

高橋 久仁子 著 『フードファディズム』:メディアに惑わされない食生活.2007.中央法規出版株式会社.

僕らの住む世界では、さまざまな健康食品があふれ、食の情報も大量に出回っている。安心安全を声高に叫べば叫ぶほど、それは一種の狂気を生み出し、僕らの意識は過剰な食の意識に捕らわれの身となる。毎日食べないと生きていけない僕らは、その行為の根源にある食に対して、いろんな不安を潜在的にも顕在的にも抱えているからだろう。その不安を煽って、「食べ物や栄養が健康や病気へ与える影響を過大に信奉したり評価すること」(p20)を著者はフードファディズムと定義している。それの状況を助長する社会は、飽食で大量の情報によって論理的思考を厭う人々がいる場合という指摘は、まさに僕らの社会を指している。膨大な情報をいちいち論理的に解決せずに聞き流してしまっている日常で、かつ、海外への食糧援助の2倍の食糧を廃棄している僕らの社会では、著者のいうフードファディズムがはびこっている。

あふれる食情報との付き合い方では、著者は玉石混淆の情報の中からまともな情報を選び出すのは現実的に難しいと指摘する。それは体に好・悪影響があるという物質にも、その情報に「量」を考慮しない場合があったり、経口摂取では吸収されない物質を注射で投与して好・悪影響があるように見せかけたり(その逆もある)、統計的には魚や野菜の消費が増えているにもかかわらず欧米化する食という肉食増加の逆のイメージを誇張したり、かなり専門的に注意深く情報を精査しない限り、僕らでは判断のつかない情報の提供があちこちで散見されるからだ。体に良い効果を期待して食べることを著者は、効能効果主義で食べると表現している。これを踏まえて、食品を良い悪いの二分で判断せず、個別の機能性情報はあくまでも話題として聞き置きながら、自身の食生活全体を俯瞰する情報に視点が移行することを進めている。機能的に悪いという食品を避け、良いものだけ摂取し続けても決して健康にはならない。まんべんなく、いろんなものをバランスよく食べる。それに尽きるのだろう。

では、どうやって僕らは効能効果主義に陥らず、論理的に食の情報を取捨選択できるのだろうか。それは情報の発信側の「薬事法」や「不当景品類及び不当表示防止法」に違反しないような巧みな「工夫」を見抜く必要がある。著者はよく使われる工夫を3つにまとめている。①キーワードはずし、②擬装「研究会」からの情報発信、③効果体験談、である。

①のキーワードはずしでは、ずばり「糖尿病に効く」などの表現は薬事法違反になるので使わない。そのため「糖尿でお悩みの方に」や「糖尿が気になる方に」という、いわゆる受け手に行間を読ませて、あたかもそれに効果があるように思わせる表現法を使っている場合である。②では、その健康食品などを売りたい業者が、研究会を名乗り情報を発信しているケースである。③は、TVやラジオショッピングでおなじみで、効果を数値化したものはなく、体験談で効果があるように見せかける手法だ。ひどいものでは、効果体験談すべてが架空だったこともあると著者は指摘している(1995年のクロレラ錠剤販売の事例より)。この手法で販売されているモノすべてが、効能効果主義だと判断してよいだろう。一つの論理的な情報処理の指針になるだろう。

本書の秀逸なところは、こうした情報判断だけではない。社会が持っている食領域のジェンダー問題まで踏み込んで、健康について議論している点だろう。「食事のことは女性の役割」という社会通念もジェンダーの産物と指摘し、健康の自己管理権を奪われているに等しいと批判する。その上で、食のことは両性の役割という意識を一般化させたい、という。男だろうが女だろうが、日々の食事への意識が、単純なそれぞれの単品での効能効果主義に陥らず、自己の食生活全体への目配りにもつながるのだろう。そこには、一緒に食べるのが大事ではなく、一緒に作れ、と著者の強いメッセージが込められていた。ジェンダー的食の意識のズレをさらに狙って、一人に一個の胃袋を標的に「これを買え、あれを食べろ、それは便利だから」という凄まじい商業戦略が、そこそこに健康を考えてほどほどに食べる、という当たり前の意識を失わせてきたのかもしれない。

何かが危なくて何かが効果的だという食の眼差しは、やはり健康とは直結しないという読後感がある。僕らは毎日の食べ物の中で偏りなくほどほどに食べることが最も健康的なんだろう。さまざまな健康食の情報にあふれているが、日本人の食事摂取基準が本書では紹介されており、多少の工夫はあっても、それを基準にしたそれぞれの食事実践が大事だという。僕としてはもう一歩踏み込んで、季節の旬を食べまわす工夫も本書の射程に入れてほしかったが、その記述がなかったのが残念。

最近FBなんかでも、食の情報が増えてきているように思う。そんな中にも単純な食品の機能だけに目を向けるような効能効果主義や、健全な食の情報を歪曲し過大評価したようなフードファディズムが散見される。さらにTPPなど社会情勢の変化によって、海外産に対する意識が顕在化し、これからますますフードファディズムが醸成されるような社会になっていくようにも思える。そんな中で、健全な思考を持って健康に暮らすためには、一度は目を通したい本。ちょっと前の本ですが、こんな時代だからこそ、おススメします。




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僕にはちょっとした野望がある。
それは
ここ福井の田舎に居ながらにして
インドネシアの農村開発と福井の地域づくりを
あわせてやってしまえないだろうか、
というちょっと空中戦のアクロバットのような
不器用な僕には少し(かなり?)背伸びを
しなければ出来ないような野望だ。

もともと
国際協力の現場で働きたかったのだが、
いろんな人からあれこれ話を聞いて
自分なりにあれこれ考えて
そんな時に周りの環境の変化と
そのタイミングがあって、
福井に戻ってきた。
その時のインドネシアからのお土産が
タンジュンサリ農業高校の卒業生を
農業技能実習生として受け入れる
という計画だった。
そして2008年第1期生が来日した。

あれから山あり谷ありだったが
2012年にボリビアの協力隊OBの佐藤が
農園の門を叩いたことで
僕の中で温めていたある計画が動き出した。
それは、福井の人たちを連れて、
技能実習生の地元を訪れる
農村スタディツアーを行おうっていうもの。

この計画はもともと2002年くらいに
当時の若手農業者クラブに持ちかけて以来
ずーっと僕の中で燻っていた。
ちなみにこの時は、メンバーのあまりにひどい反応に
挫かれてしまって、
せっかく資金を援助してくれる団体があったのに、
立ち消えてしまったのは余談。

あれから干支が一回りして
またこの計画が動き出した。
というか、あの時とは全く違った
いろんな人の想いが詰まった
とても素敵な計画に生まれ変わって。
「インドネシア農村スタディツアー2015」
の詳細は、リンク先に譲ろう。

そしてその計画をJICAが
後押ししてくれることになった(わーいヽ(^o^)丿)。
できるだけいろんな人に
農園に来ていた元技能実習生の生活を
のぞいてほしいと思っている。
その現場で思ったこと・感じたことを
帰ってきてそれぞれの場で実践してもらえたら
きっとここはもっといい場所になる。
と僕は信じている。
なので、みなさん、
興味のある方はぜひぜひご連絡くださいませ。





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ちょっとしたご縁で、
明治学院大学の学生さんを
農園で受け入れた。
頼先生のゼミの学生さん18名だ。

僕が主催する勉強会で
頼先生の著書を取り上げたのが
きっかけで知り合った。
そんなことってあるんだね。

さて、
せっかく学生さんが来てくれるというので
農業体験だけでなく
ぜひゼミをやりましょうということになって
3年生の学生さんたちが
TPPと農業についてプレゼンをしてくれた。
「何を選び どう生きるのか」というタイトルだった。
中身の詳細は割愛するが、
気になったのが、
国産と海外産の違いが
安心安全と値段の比較しか
彼ら彼女らに判断基準が与えられていないことだ。
それにまつわるイメージとして
いまだに
安心安全な食=無農薬という
安易な判断基準が
僕ら農家の未来を暗くする。

情報を受け取ってそれを正しく判断して
自分たちで選択していきたい、
と学生さんは言っていたが
上滑りしていく情報を
正しく取捨選択できるのだろうか。
ここ10年で500倍以上に膨れ上がった
膨大な情報の洪水を泳ぎ切れるのだろうか。
その信憑性をどういう判断の元で
信頼に変えて行動するのだろうか。
キャッチーなフレーズと
なんとなくのイメージに
判断を委ねていないだろうか。

ま、それを勝ち抜くための
より平易でわかりやすいフレーズを
僕ら自身も発信していかないといけないってことか。
ただ平易にする分
想いやこだわりが
そぎ落とされてしまう怖さもある。
有機農業や無農薬
といったキャッチーな言葉の範疇にない
僕らのこだわりは、
どうつたわったのだろうか?

ある学生は
「TPPで海外産か国産かって選べるのはまだ余裕があると思います。余裕がなくなれば、やっぱり安い方を選択してしまいます」
と正直に話してくれた。

これから一人前の大人になって
この社会を支えていく
学生さんたちの意識に
価格と安心安全以外に
売り場での判断基準がない以上
その土俵で戦う方策を
しっかり練らないとな、と思いつつ、
それ以外の土俵を
自ら作り出していかないと
こりゃ、やられるぞ、
と久しぶりに危機を感じたプレゼンだった。

明治学院大学のみなさん、
こちらもとても勉強になりました。
またこういう交流&ゼミやりましょうね。


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7月は福井では野菜が売れない。
それは2つの理由から。

まず一つ目。
それは暑いから。
暑いと食欲も減退するし、
台所で火を使って調理しようという気にならない。
だから、
外食や中食がこの時期は強い。

二つ目は、里山資本主義だから。
というのは、正当な評価かどうかは
わからないが、
とにかく家庭菜園がこの時期最盛期を迎える
というのは事実。
県民総家庭菜園といっても過言ではない
この田舎の県では、
この時期、自分の庭や畑で採れた野菜が
既存流通を超えて
まわりまくる。
取れすぎてどうにもならないキュウリや
トマトやナスやウリやその他もろもろの野菜が
近所へのおすそ分けという名を借りて
行ったり来たりする。
夏野菜のパワーはすさまじく
たとえ1本2本だけの苗しか植えていないとしても
とても食べ切れないほどの収穫があるのも
この時期。
だから、
7月の福井卸売市場の青果売り上げは落ち込む。
経済として発展しないが
里山資本主義という便利な言葉があるので
今はそういう主義の時期です、
と言い張れるようになった(半ばやけくそ)。

この時期は農家も辛い。
暑くて作業も大変だし
暑さと日射量から、農家の夏野菜も
半端なく収穫できる。
だのに、市場流通は鈍い。
だから値崩れする。
市場出荷に頼っている品種は
すでに半値を切って、
それでも底が見えない状況で、
どんどん値下がり中。

7月の福井で
市場を当てにしていたら
野菜農家はつぶれてしまう。
思い切ってこの時期は
夏休みにしてしまいたい気分なのだが、
そうもいかない。

だから農園では、
流通量が減る二つの理由を
逆手に取ることにしている。
一つ目の理由の暑さで食欲減退し
暑くて調理する気が失せるということならば、
火を使わなくても食べられる野菜にすればいい。
あと外食と中食ターゲットの野菜を増やす。
二つ目の県民総家庭菜園という状況ならば、
みんなが家庭菜園レベルでは作れない野菜を
この時期作ればいい。
それは貴重品種でもいいし、
プロらしくこの時期栽培が難しいものでも良い。

ということで、
7月の福井の状況は、
その環境がいい野菜農家を育ててくれるのだ。
と、やけくそで思うようにしている。




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6月最後の土曜日は、神戸にいた。
青年海外協力隊の同期の結婚式に
出席するために。
一緒にインドネシアに派遣された仲間なのだが、
同期といっても、僕よりもちょっと年上の方なので、
僕の意識としては先輩という意識すらも通り越して
なんだか偉い人なイメージ。

とても経験豊富で、
しかも知り合いが多いということでは、
彼の右に出る人はいないんじゃないか、と思うほど。
主賓あいさつで、
かつて隊員訓練所にお勤めされていて
今はまたその訓練所の所長で
僕もお世話になった方が、言っていたのだが、
人脈が彼の最大の武器だ、というのは
僕も本当にそう思う。
外務省からJICA、インドネシアやザンビアなど
さまざまな分野と組織と国・地域に
つながりを持っている。
本当に広い広い顔の持ち主だ。

訓練所時代から
本当にいろんなへまをやらかして
迷惑ばかりかけていた僕を
こうして結婚式に呼んでくれて本当にありがとう。
しょうちゃん、末永くお幸せに。








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「毒が入っているかもしれんわ」
と娘は友達に言われたらしい。
それは僕愛用の中国茶を
娘の水筒に入れて持たせたときのこと。
小学3年生は
思ったよりも社会を感じ取っているようだ。

僕はインドネシアが長かった。
インドネシアには華僑の方がたくさんおられて
国是でもある多様性の中の統一という言葉通り、
中国文化もたくさん取りこまれた文化が
インドネシアでは花咲いている。
そこで暮らすうちに、
僕は中国茶に目覚めた。
初めはインドネシアの国民的飲み物の
ジャスミン茶から始まり、
もっとおいしいジャスミン茶があるといわれて
アンボンの友人からジャカルタの華僑の方が
経営するお茶屋さんを紹介されて
そこに遊びに行くうちに
僕は中国茶にのめり込んだ。
イスラム教が8割近くいるインドネシアでは、
お酒を気軽に飲める場所が少なかったこともあり、
僕はますますお茶に目覚めた。
アンボン・華僑・イスラム。
そんな多文化と多様な人々が
それぞれに絡み合った環境の中で
僕は中国茶に出会った。

帰国して残念だったのは
少なくとも福井では気軽に楽しめる
中国茶専門店が無かった(僕が知らないだけだろうか?)。
そんなこともあってか
最近ではあまり中国茶を飲まなくなったが
インターネット経由で
中国から直接輸入している業者から
プーアル茶を定期的に購入している。
飲茶に欠かせなかったプーアル茶だけは
どうしても飲みたくなる時があるので。

で、そのお茶を好んで飲んでいたら、
娘はそれを学校に持っていく水筒に入れてほしいと言ってきた。
あまり濃いお茶は飲みにくかろうと、
少し薄めに入れて水筒に入れて持たせた。

そうしたら、学校で友達から
「毒が入っているかもしれんわ」
と言われてしまったらしい。
なんで中国茶だと毒が入っているんや?
と娘は聞く。
なんだか切ない。
このきな臭い世の中を
子供たちは敏感に感じ取っているのかもしれない。
集団的自衛権の行使が閣議決定され、
誰かを敵と想定した
とても嫌な空気が世の中に漂い始めている。

娘よ、お茶には毒なんて入っていないよ。
中国のお茶文化は素晴らしく、
僕らでもびっくりするようなお茶がたくさんあるんだよ。
もっともっと中国のお茶を楽しもうね。
寛大で懐の広いインドネシアのように、
多様な文化の中でパパが中国茶の文化に触れたように、
君にも、そんな自由で平和な空気の中で
いろんな文化に親しんでほしい。
本当にそう思う。




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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

メールは
taya.tアットマークnifty.com
です。
(アットマークを@に置き換えて送信ください)

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