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毎週、農園から野菜の詰め合わせを
個人の宅に送っている。
野菜おまかせ便だ。(詳しくはこちらのリンクへ

ちょっと珍しい野菜が入ったりもするので、
時々手におえないとお叱りを受けることもある。
それでも
楽しい食と農のサイクルを
ポジティブに楽しんでもらいたくて、
ついつい変わった野菜も入れてしまう。

前回のおまかせ便もそんな気持ちが
むくむくと起きてきて、
ついついこんな野菜を入れてしまった。

それは、花ズッキーニ。
冒頭の写真にあるように、
ズッキーニの雌花のことだ。
大ぶりの花に詰め物をして揚げて食べるのが
一般的(?)な野菜。

花を食することが
あまり文化として定着していない日本では
珍しいかもしれないが、
ヨーロッパでは一般家庭でも
普通に食卓に上るらしい。

P1090098.jpg

我が家でも
今年はこの花ズッキーニをずいぶんと楽しんだ。
ひき肉やチーズ、ハムなどいろんなものを
詰め込んで揚げて食べた。
花びらの食感がとても新鮮で、
それが癖になる、そんな野菜だった。

ズッキーニは夏のイメージが強いが
実は暑さにあまり強くない。
暑さが本格的になる7月には、
ほとんど収穫できなくなってしまうのだ。
だから、この花ズッキーニも
初夏だけの楽しみといえよう。

さて、この野菜をおまかせ便に入れたら
またお叱りを受けるだろうか、と思っていたら
意外にも楽しめたという連絡を
いくつかいただいた。
レストランでしか食べたことなかった野菜を
気軽に家で調理できて楽しかったそうだ。
食卓が華やいだ、とか
家族で取り合いになった、とか
花ズッキーニ一つで
食卓の場ができたことがうれしかった。

こんなやり取りができるから
僕はおまかせ便のような直販が好きだ。
僕らの農のリズムが
それを食べてくれる人たちの
日々の食卓のリズムにつながる。
もちろん嫌いな野菜や
調理しにくい場合は、食べてくれる人には
がっかりさせてしまうかもしれない。
なるべく、それは避けるよう努力していこうと思うが、
季節によってその野菜が育つリズムがあるので、
人様の好みではなかなかうまい具合にはいかない。
そんなイレギュラーも楽しめるような
おまかせ便の関係だと素敵なんだけどな。



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夜の勉強会の記録をしようか。
今回(6/13)の発表者は、林君。
本はこれ。

大澤信一 著 『日本人のための儲かる農業』

大澤氏は、直売所関連の本を数冊書いている人で、
この本もそういう流れの一冊かな。
林君の本の解説は3枚にわたるレジュメが
物語っているように、
しっかりと準備をして臨んでくれたようだが、
多岐にわたる話題提供だったためか
議論が分散してしまった。
これは僕の力不足もある。

勉強会では、農協改革に焦点が当たっていた。
ちょうど安倍首相が農業改革を打ち出した後と
いうこともあり、
農協改革は僕らにとってどうなのかを
議論する場になった。

勉強会を終えてからいろいろと考えたのだが、
農業問題の議論がいつも分散してしまうことや、
この本のように、農業の問題が多岐にわたってしまうという
こういった特徴は、
僕ら農家の経営体が多岐にわたることから
派生するんだと思う。
兼業なのか専業なのかもあるし、
稲作なのか園芸(野菜なのか果樹なのか)なのか畜産なのか、
それともそれらの複合なのか、
そしてそれぞれの気候風土や地形(平場か中間山地か)、
所有面積とアクセスできる市場の多様さが
一つに括られては議論できない。
だから、どうしてもそれぞれの立場で
正しいと思うことをいうので
何が良いのか、よくわからないまま
議論がうまくかみ合わず流れていくんだろうな。

さて、
農協の話だが、
安倍さんの中央会制度廃止の話だが、
横並びの農協を単協で利益の出るように
競争させるというもので、
信用事業は農林中金などに一本化させるって
僕らは理解している。
つまりそれぞれの農協を専門農協にして
競争させて、
農家の所得を上げるようさせるってことだろうか?
ソンナヒツヨウアルノ???

というか、
そんなことが可能だろうか?
僕らが所属している農協は
園芸産地でもなければ、
米の価格が勝手に上がっていくような
ブランド米を生産している地域でもない。
それどころか特A評価を得たにもかかわらず、
米価は上がるどころか
市場の動向と一緒に下がっていっている。
農家では兼業農家がほとんどで、
それどころか農協の組合員は、
正組合員より準組合員のほうが
上回ってしまっている。
農協の売り上げのほとんどは信用事業で
農業事業は大赤字さ。
信用の黒字で農業の赤字を補てんしているような
そんな地域。
信用事業を中央で一本化して、
専門農協でがんばれって言われても、
そもそもそんなリスクを背負ってまでの
ニーズが地域には無いんですけど。
あっ、それは言い過ぎか。

この勉強会には
専業の農家が多く来ているが、
結構売り上げている農家は
農協だけに頼らず、
それぞれで売り先をしっかりと確保している。
仲間と生産組合を作っているか、
法人化しているか、
また個人でも販売ルートをしっかりと確保している。
つまり農家専業で行くのなら、
ただ作るだけではだめだってこと。
特別な栽培をして、個性を光らせ、
差別化やニッチを狙った栽培、大量生産による価格競争など
いろんな戦いにさらされながら、
独自のブランドを作り、販売ルートを確保する努力をしている。
他に収入がない専業の農家は、
それをしなければ
僕たち自体が存在できないのだから、
当たり前の努力といえば当たり前の努力だな。
もし安倍さんの議論が30年前くらいに
出てくるんであれば、それはそれで意味があったかもしれないが
今じゃ、僕ら専業の農家は、
とっくの昔から
努力して自分たちの売り先を探してきている。
農協同士を競争させても、
産地の農協同士でなければ
あまり関係のない話どころか、
地元農協がなくなってしまうことによる弊害ばかりを感じる。

農協はその地区の農業の上に立っていたのは
昔の話だ。
農村の構成員が農業とはまだ明確に分かれていない
そんな時代の話だ。
今は違う。
農村の構成員だって、ほとんど農業と関係を
持たない人もたくさんいる。
たとえその人が地権者だとしても。
そんな農村という場所に立脚して
運営している協同組合が、農協さ。
僕らの住む農村は
安倍さんが考えているような
儲け主義のルールに合わせて
より合理的に縦割りセクター別に変化したい、
と思うコミュニティじゃない。
僕らの生活や文化はセクター別の縦割りじゃない。

JA青壮年部でも
効率化によって農業セクターの中で活躍する
アクターの減少が、そのまま集落にかかわってくれる人の
減少につながっているような不安を
話し合ったりしている。
儲からないと、村の構成員は
農業に関心が持てなくなってくるが、
だからといって
JA単位で米価を上げようとしても
多様な生産者を一括りにしては
品質のばらつきや特色の出し方に鋭さを欠いてしまう。
武生のコウノトリ米の取り組みは面白いが、
品質面での問題やフリーライダー解消など
問題もあると聞いているし、
日本全国の全単協が、
そんな特色を差別化できるわけもない。
情報に情報を重ねまくっても、
それを受け取る側がウンザリしてしまうだけ。

そもそも
協同組合は、株式会社とは全く違い、
その性質上、競争すること自体がそぐわないように思える。

だから僕には、
安倍さんの狙いは、
農業のほうはどうなろうと知ったことないが、
農林中金かどこかに信用事業を一本化させて
大きな金融組織を一つ作りたいだけじゃないの?って
思えてしまうのである。

僕らは、もちろん、今より儲けたいと思っている。
でも同時に、減りゆく農業界のアクターと
それに連動した地域にかかわっていこうとする人たちの
減少も防ぎたいと思っている。
だって、儲け≠生活の質の向上であるが、
地域の福祉力向上は生活の質の向上には必要不可欠なのだから。

そんなこんなで、
まとまりのないまま
今回の夜の勉強会は終わった。
ただ、どこか世論誘導型の記事ばかりが並んでいるような、
そんな新聞には無い、
僕ら農家の生の議論ができたのは楽しかったな。




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6月11日の毎日新聞のトップに
こんな見出しが躍っていた。
「外国人実習生 最長5年に」
Web版リンクはこちら『外国人技能実習制度:「優秀な実習生は最長5年に延長」』

法相の私的懇談会の報告書なので
なにも5年に決定したわけじゃないが、
この記事を読んで、なんとも気持ちがおさまりつかない。
「実習」=「労働」なんだという事実は
僕もある程度はわかっていて、それを飲み込んでいるが、
こうも露骨に堂々と議論されると
気持ち悪いを通り越して
白昼に見てはいけない幽霊に出会ったような
そんな感覚だった。

3年の研修を5年に延長したらどうでしょう?
という話なんだが、
ここに実習生の声はみじんも感じられない。

この新聞を農園の実習生たちに見せ、
文面も訳して話をしてみた。
まず、新聞のタイトルを訳した段階で、
実習生たちの表情が固まった。
5年延長は決定したと勘違いしたらしい。

記事の内容に対して
4人中1名を除いて、皆5年への延長は
反対だった。
反対の理由は、皆同じだった。
外国生活はとてもストレスフルで
5年は耐えられない、ということだった。
もちろん仕事がつらい、ということもあろう。
でも本国の年収に比べたら格段に稼げるとしても、
やはり皆、3年で帰りたい、とのことだった。
3年生のダルスは、
「お金がたくさんもらえるのは良いのですが、それと自分の幸せはまた違います。ある程度お金がたまったら帰国してインドネシアでビジネスをしたいです」と話してくれた。
2年生のジャジャンは、
「日本語がわからないから、毎日ストレスが大きいです。言葉ができないから、どうしてもインドネシア人同士で固まって、日本人の友人ができないのが悩みです。日本をエンジョイしたくても、ぜんぜんそんな環境にしていけないのが、自分でももどかしいです」とのこと。
1年生のレンディも
言葉のストレスなどで
今の生活は我慢できても3年くらいじゃないか、
と言っていた。
やはり言葉か。

すべてを言葉にしてしまうのも
問題を単純化しすぎているが
その気持ちはよくわかる。
僕も青年海外協力隊のときに
言葉で毎日悩んだ。
留学してあっちの大学院でインドネシア語で学位を
取ったとしても、言葉は今でも
僕の行動を制限している。

言葉の理解のずれが
生活や仕事でのずれにつながる。
それがとてもストレスになる。
お金は必要だが、彼らも実習後の生活を
どう組み立てていくかが大事なのだ。
ずるずると長くいるよりも、
短期間である程度の資金と学習を得て、
故郷で活動をしたいという思いが強い。
だから2年生のジャジャンは
「長くいれば、それだけ勉強にはなるでしょうが、でも地元に戻って仕事をするのにそんなに長い時間の実習はいらないと思う。長期間の実習になると、帰国後に歳が行き過ぎてしまっているのも心配」と言っていた。
そう、彼らは実習=仕事の感覚でここに来てはいるが
(農園の研修プログラムがあるので、他の実習生よりもその感覚は弱いかもしれない)、
それでも実習後の人生をどう設計していくかが
もっとも大事になってくる。
安い労働力をもっと効率よく使おうというだけの
延長話は、まったく雇用側の事情に過ぎない。
その機会をとらえて、自分の人生を変えようと思ってくる
労働者の声は、まったく聞こえてこないのだ。
それは中途半端な実習生という待遇だからなんだろうか。
労働者としてみなされるのに、
労働ビザではない実習生たち。
いっそ、そんな回りくどい議論をしないで
きちんとした労働者として認めたらいいのに。

賛成の1名は、
ここにお付き合いしている女性がいるから、
ちょっとでも長くいたいらしい。
エンジョイしていれば、もっと長くいたい。
これもまた真なり。
僕ら社会が実習生とどうかかわっているのか、
実習生から見てどんな社会なのかが
よくわかる。
ジャジャンのいうエンジョイできない社会。
もちろんそれは言葉なのかもしれないが、
でもそれはもしかしたら
東南アジアや中国の人たちに対する眼差しだったり
僕らの社会の空気が
とても窮屈なんじゃないかって思う。
隣人の外国人と
僕らはどう付き合っていくか、
制度の延長やステータスの変更といったことではなく、
僕らの態度や眼差しが
これからの時代に求められる大事な課題のように思う。



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P1090014.jpg

ソラマメを収穫した。
今年は天気もよかったので、
いつもよりもたくさんのソラマメがとれた。
それでも、出荷できない一粒莢も多くあり、
それは自家用で楽しむことに。

まず莢をむいて、それから内皮もむく。
この時期は、家のテラスでの作業が気持ちいい。
久しぶりに妻と二人で莢むき作業を楽しんだ。

大量にとれたソラマメは、
その日のディナーとなった。

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まずはポタージュ。
新玉ねぎと一緒に潰してスープに。
何とも言えない舌触りと香り。
暑かっただけに冷たいスープが美味しかった。

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もう一品は、オムレツ。
豆の食感と味がオムレツという調理によく合う。
ワインが進む一品。

P1090020.jpg

ご飯ものもないとね。
で、ソラマメのリゾット。
チーズ多めがおいしいね。

P1090024.jpg

ソラマメの旬は短い。
今年もその旬を逃さず
みんなで楽しみました。


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僕の農園は無農薬ではない。
農薬散布はもちろん行う。
だが、皆さんが持っている「農薬=悪」という意識はない。
散布が常態化して、そういう感覚がなくなったわけじゃない。
積極的に農薬に向き合うことで、
一括りにされてきた「農薬=悪」に疑問を持っているだけだ。

ちょっと前のエントリーでゴッツAについて書いた。
農園の主流農薬である微生物農薬だ。
だが、微生物農薬だから安全って言いたいわけじゃない。
その農薬が人間に与える影響は、
化学合成だろうが微生物だろうが
大して変わらない。
場合によっては、
一本の煙草や一杯のコーヒーやお酒ほど
危険じゃない。

だが、ここで微生物にこだわる理由が
僕には少しだけある。
それは人に対してではなく、
虫に対してだ。

農薬はポジティブリストが導入されてからは、
使える農薬がぐっと減ってしまった。
リストになければ使えないし、
使用回数も制限を受ける。
ま、それは当然のことで、
ポジティブリストの議論以前が、
いい加減すぎたってことなんだけどね。
その頃は、結構有名な農薬の指南書でも
農薬の登録にない野菜にもで
こうこう判断してこうして使える、と
裏技的に書かれていたというのは余談。

さて、野菜の種類や回数制限を受けると
マイナー野菜をたくさん作っている僕は
やや防除に困る。
リストに載っていないマイナー野菜を
たくさん作っているからだ。
で、そんな時、微生物農薬は
とても重宝する。
なぜなら登録野菜がざっくり「野菜類」と
なっているものが多いからだ。
つまり野菜であれば、どれにでも使ってよい
ことになる。
ADI(1日の許容摂取量)やLD50(半数致死量)が
考慮されてのことなので、
人間様は大丈夫。
いらぬ心配はしないように。

で、ゴッツAもその一つ。
その効果は、
虫に菌が寄生して、体からカビが生えて死ぬ
というもの。
実際には、その条件をそろえないと効果が低いので、
これまでの化学合成農薬のように
散布するだけでOKというわけじゃないのが
やや面倒くさいのだが、
意外な効果も期待できる。
それは、害虫以外の他の虫への影響がすくないこと。
だから、この農薬を散布する圃場は
害虫を食べる天敵の昆虫が多い。

IMGP2461.jpg
これはアブラバチが
害虫のアブラムシに寄生した写真。
アブラバチがアブラムシの体内に卵を産み
その幼虫が薄皮一枚残して
アブラムシの体内を食べつくす。
金色のアブラムシが、その体内を食べつくされたやつだ。
食べつくすとエーリアンのようにその皮を破って
成虫になって、アブラムシに卵を産み付けていく。
1匹で300ほど卵を産むので、
いったんアブラバチが増えると、
アブラムシは僕が気付く前に、食べつくされていることが多い。

IMGP2466.jpg
もう一つが、この虫。
ヒラタアブの幼虫。
こいつらは貪欲な食欲で
コロニーを形成したアブラムシをすべて食い尽くしてしまう。
いったんコロニーを形成すると
増えていくスピードが速すぎて
アブラバチではなかなか対抗できなくなるのだが、
そんな時に現れるのが
このヒラタアブの幼虫。
コロニー丸ごと食べてしまうほどの食欲の持ち主。
この虫にかかれば、アブラムシの繁栄の道は閉ざされてしまう。

これらの天敵はとても敏感だ。
一回でも化学合成農薬をまけば
アブラムシよりも先に姿を消してしまうほどだ。
ゴッツAのような微生物農薬は
それ自体の効果は、言うほどではない。
条件がそろわないとあまり効果ないし
何度も散布しないといけない。
だが、副産物として
こうした天敵が害虫をやっつけてくれる状況を
作り出してくれる。
副産物と書いたが、
こっちの効果のほうが
素晴らしい防除結果を生み出す時もあるほどだ。

もう一度言おう。
微生物農薬だろうが化学合成農薬だろうが
人様への影響はほとんど変わりない。
微生物だから安心というわけでもないし、
化学合成だから危険というわけでもない。
ただ、
人様ではない、ただの虫に少し意識をして
(ポジティブリスト導入のおかげなんだけど)
こうして微生物農薬を使うと
圃場で起きているダイナミックな自然のやり取りを
観察できる。
僕はこの光景がとても好きだ。
ただそれだけ。



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人的資源ってなんだろう?
それはインドネシア農業研修プログラムの座学での話。
農業構造論という、何ともセンスのない名前の授業なのだが、
農業という表象が成り立つその裏側に
いったいどういう構造があるのかを
そこに意識的になる授業。
僕の農業・農村への眼差しの基本で、
この研修プログラムの基本かつ
これが理解できれば、研修の目的はほぼ達成される。

で、その表象を支えている中に
もちろん「人」が存在しているわけだけど、
その人って誰?って話。
人口学的な要素もあるだろうし
リーダー論の要素もそこにはある。
今回は、僕の大好きなテーマ「行為能力」について
話をした。

人的資源っていうと
すぐに教育って結びつきたい気分になるけれど
その「教育」というスタートというか結論というか
その箇所に行くまでのプロセスをすっとばしすぎないか?
って思うことがある。
だから何を教育するのか、定まらなかったりもする。
僕はそれは行為能力のタガを外す作業だと思っている。

突飛もない考えや奇抜な発想・理解不能な行動とその論理、
そういったものが社会を作る原動力になるのだが、
そういったものが生まれる背景には
それぞれの行為能力を制限してきたモノのタガを外した
結果によることが多い。
何をその能力を制限するのか。
それは自己やその社会の常識・習慣・様式・お作法だったりする。
それはそれで簡便化され
いちいち議論や情報処理や許可といったプロセスを経なくても
社会がうまく回っていくための道具なのだが、
安定期の社会ではそれが機能的でも、
これがダイナミックに変容する社会では邪魔をすることも多い。

さらに行為能力は社会的な地位も関係する。
個人的な能力の有無というよりも
その地位の持つイメージや権力や差別が
その社会で創造されたものでしかないが、
その個人の行為能力を高めたり制限したりする。
で、それに意識的になることが
僕は教育だと思うのは余談。

そして3つ目に人的資源としてあげるのであれば、
知識・技術といった情報を有した人があるだろう。

それらがどのような関わり合いと役割を持って
その表象たる農業の実現に貢献しているかを
見る力を養っていかないといけないかな。

今回の座学では、ジャジャンが一番反応がよく、
昨年の地域発展論で議論した事例を
いくつか自分で出して、解説してくれた。
なかなかセンスいいね。




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今年研修1年目のレンディ。
なかなか研修の感覚がつかめないようで、
インドネシア語で指示を出しても、間違えることが多い。
異文化での作業は、それだけで混乱するものだ。
これに慣れるまでは、どうしても1年くらいはかかってしまう。
それは研修だけのことではなく、
青年海外協力隊の場合も、学業の場合も、仕事の場合も、
たいていそれくらいの時間がないと
その文化が持つ微妙なニュアンスを理解できずに
間違える・ミスすることが多くなる。
というのは、余談。

今回の本題は、なぜ最大を目指さないのか?について。
レンディの前回の月間報告書で、
お茶栽培が一番儲かるのに
なぜか野菜栽培も経営の一部に取り込みたいと書かれていた。
営利を最大に目指したいのであれば、
野菜栽培は合理的な選択ではない。
なぜ、彼はビジネスプランという空想の世界でも、
最大を目指さないのか?
次の月間レポートまで待てずに、
すこし彼にインタビューを個別でしてみた。

彼の地域では、
一般的な農家すべてがお茶と野菜の複合経営だという。
もちろん、お茶にとって条件不利地だけを
野菜栽培にしているわけでもなく、
お茶栽培に適していても野菜栽培を経営に含んでいる。
お茶は全量、国の認可を得た業者が
一定の値段で買い取る形式で、
たくさん取れたからと言って価格が暴落することもない。
その一方、野菜は市場価格が乱高下する。
野菜価格が高止まりしたとしても、
短期的に見てもお茶のほうが利益が大きいし
作業も楽だという。
じゃぁ、なんで野菜を作るのか?
全部、お茶栽培じゃダメなの?

レンディはいろいろと苦労して
この問いに答えようとしてくれた。
まずは雇用人を維持するためだとか。
お茶栽培だけだと雇用人の仕事を作るのが
大変だという。
レンディのお父さんの経営では
2名の雇用がある。
お茶収穫だけだと、作業の少ないときは
野菜の作業に入ってもらうのだとか。
でも、インドネシアでは
お茶はオールシーズンOKな作物で
圃場内で収穫をリレーしていけるように
区画別に管理していけば、
ある程度は常に一定の労働を確保できると思うのだが。
だから野菜栽培は不要では?
この問いに、
レンディは答えられなかった。
言われてみれば、その通り、とのことらしいが、
それでも野菜栽培はしたいらしい。

で、彼らの価値観を少しのぞいてみることに。
お茶栽培ばかりしている農家はいるのかと聞くと、
その地方では誰もいないという。
お茶栽培だけをしているのは、
国から認可をもらったお茶買取業者(Pengusaha)の直営農場だけで
いわゆる一般の「農家(Petani)」は
お茶と野菜栽培をしている。
規模が同じでお茶ばかりを作っている農家と
野菜とお茶の混合の農家とでは、
どちらが地域のリーダーにふさわしいか?との問いには、
野菜とお茶の混合の農家だという。
じゃ、同じ規模でお茶中心で野菜栽培も少ししている農家と
野菜中心でお茶栽培は少しの農家だった場合は、
どちらが地域のリーダーとしてふさわしいかと聞くと
お茶中心の農家だと即答してくれた。
その違いは、やはりお茶中心のほうが安定経営で
その地域で一番大事な作物だからだという。
お茶ばかりの農家は、
農家じゃない、と彼はいう。
でもその理由は明確に答えられなかった。

そんな問答を繰り返していたら
彼は、「野菜栽培は『Hobi』なんです」と答えてくれた。
Hobiとは、つまり趣味。
好きだから作っているというニュアンスか。
なぜ野菜栽培がHobiなのか、
農業を経営しているのに、作物選択がHobiで決まるのか、
などなど彼の価値観にもっと近づきたかったが、
ここでタイムアウト。
次回、月間レポートにそのHobiの中身について
書いてきてくれることになった。

彼の言っていることは、僕自身の感覚でも
同じようなことがある。
僕も野菜栽培の中で、一番儲かるものを
最大化させていない。
リスク分散なんてことも言えるけど、
それで他に栽培している野菜の種類は
別に市場的に優良でもなんでもない。
僕が好きだから栽培しているだけだ。
でも、レンディの話がこの感覚と同じかどうかは、
もっと慎重にならないといけない。
同じだと思ってしまえば、
そこに潜む大事な価値を見逃すことになる。
もう少し彼の価値に
その差異を探しながら近づいてみてみたい。



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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

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