そろそろ白状しておこうか。
立夏が近づき、
夏の暑さの片りんを感じる日が
多くなってきたこの頃、
数件の業者から問い合わせがあった。
それは夏のメニューについて。
夏と言えば、主役はナス!
で、たぶん、ナスの中で一番おいしいと思う
吉川なすは、みんなメニューに入れたい。
で、そのなすを格安で作っている農家は
僕ということで、
ここのところそのなすについて
電話をいただくことが多くなった。
ので、この辺りで白状しておこうと思う。

えーっと、今年、吉川ナスの苗づくり・・・
失敗しました

自分でもびっくりなんですが、
昨年の1/3も準備できていないです

接ぎ木を他の農家仲間に依頼していたが、
そこで苗立ち枯れ病が発症し、
次から次へと枯れ、
でもその中で、なんとか大丈夫なものを
農園に持ち帰って、
さらに選抜してポットに移植したが
ここでもまた発病。
最終的に昨年の1/3以下の苗しかない。
しかもその苗たちも
まったく元気がない!
ヨレヨレの状況で、定植日も決まらないありさま。

あわてて一昨年前のタネを播き直し、
タネ取り用のナスは確保したが、
出荷用のナスはほとんどない状況となった。

このなすは病気に弱く、
こういう事態でナスのタネを無くしてしまう農家が
多くいたとは聞いていたが、
それが自分のところで起きてしまうとは。

昨年は、たくさん取材もしてもらって、
たくさんの方から美味しいと言われて、
自分でも少し舞い上がっていたのかもしれない。
技術がない者が、あるようにふるまえば、
こうなるのは自明の理だ。


大変申し訳ありませんが、
今年の吉川なすはほとんど出荷できません。
もしうちの農園が出荷した吉川なすを見かけたら、
それはとても貴重なものなので、
大切に食べてくださいませ。
これから多大なご迷惑をおかけするであろう
昨年たくさん買っていただいた業者様、
また直接謝りに行きます。
本当に申し訳ありませんでした

今年の栽培を通して、
もう一度、栽培と採種の基礎を
勉強しなおそうと思います。





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ちょっと紹介が遅れたが、
農園で行っているインドネシア研修事業も
この前の2月で第7期生を迎えることができた。
つまり7年目になるってことか。

さて、その7期生でやってきたのが、
レンディ・アグンという若者。
6期生のジャジャンと同級生で
長身のイケメンだ。
学校の成績も良く、
成績優秀者だけの特典である
学費免除も受けていたようである。

その彼、
実は一昨年の第6期生の選考にも応募していたようで、
その時は最終選考まで残ったのだが、
条件が合わず合格できなかった。
(ちなみにこの時の合格者はジャジャン)

普通はそこであきらめてしまうのだが、
彼は今回の7期生選考にも応募し、
2年越しでその夢をかなえた。
応募総数24名の中から1名だけが合格という
僕の研修も狭き門になりつつあるが
それだけやる気と能力が高い人材が
集まってくるという意味では、
僕にもとても良い緊張感がある。

さて、
この研修は現地でのポテンシャル調査を
僕の大学院の学友だったアニ女史にお願いしている。
レンディの農村の調査報告レポートも
約80ページの厚さで届いている。
そのレポートとレンディ自身のインタビューでも
わかっているのだが、
彼は、とても土地持ちの
中級クラス以上の農家だってこと。
これは今までになかったケースで、
これまでの研修生は、
大抵条件不利地の農家だったり
そもそも土地所有していない農家ばかりだったのが
今回は、彼個人ですでに1.5haの土地を所有しているばかりか
車の免許もあり、一族では大型のトラックも所有している。
そればかりか、彼の叔父が大きなお茶の加工場も所有している。
それなりに大きなお茶農園一族の御曹司と
言った感じで、
僕が目標として掲げるあちらの農家所得を
彼個人で、すでに2倍以上上回っている状況なのだ。
なぜこの研修に参加したのか、
なぜこの研修に参加する必要があるのか、
その辺が僕には正直理解できない。

だが、
こういう人材もいてこそ
また議論も深まると言えよう。
これまでになかった若者・レンディは
僕らの議論に新しい風を吹き込んでくれそうだ。
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まだまだ日の浅いPTA役員歴なので、
わかっていないことも多い。
だが、僕の目から眺めてみて、
これまで起きたちょっと僕の日常になかった
PTAにまつわる事柄と
それまで僕の「常識」だったことと、
そして、妻の姉の面白い記事との間に
とても面白い差異を見つけたので、
ここで記録しようと思う。
こういう差異が、
僕らの認識とその上に成り立つ社会の在り方を
鮮明に照らしてくれたりもする。


まず妻の姉の記事のリンクを貼ろう。

毎日新聞 2014年4月21日
『PTA:役員決めは罰ゲーム? やらない人はトイレ掃除も』

なるほど、都会のPTAは
新入学や進級したクラスに親たちが集まって、
そういう風に決めていたとは、
僕にはちょっと新鮮だった。

こういう決め方をすると、
ちょっとネガティブな感じになるよな~って
思うが、
だからと言って自分たちはどうかと言われれば、
そういうネガティブな空気はあるので、
同じと言えば同じの部分もある。
でも、違う部分も多い。

では何が違うか。
組織的なことでいえば、
僕らの小学校では、PTAと僕ら個人の間に
集落ごとの子供会があることだろう。
そしてPTA役員の枠は、
各集落の子供会に割り振られ、
その中で調整をつけるのが普通だ。
個人が全員直接集まって、その場で決めることはない。
集落も8集落あるが、そのうち2集落はとても小さいため
PTA会長といった大役は回さない決まりになっている。
ここでもPTAと子供会の間で調整が行われている。
町内の子供会での話し合いなので、
それなりに事情は加味されるし、
それぞれ知った間柄なので、
やらない人に罰ゲームなんてことはない。
たぶん。

では、話し合いで決まるかと言えば、
そういうときもある。
でも、今年の大役であるPTA会長職は
あみだくじで決められた。
ちなみにあみだくじにしようといったのは僕。
だって、話し合いだと全然決まらないというか、
始めっから、子供会メンバー全員が
僕に押し付けようというムードだったので、
あまりの不公平さに、あみだくじを提案したわけ。
結果、他の方がその大役を引き当て、
そしてその方から、それに続く大役・庶務(会長補佐役)を
頼まれて今年やっているというのが、今の構図。

義姉が書くように、
僕にとっても
PTA役員はやはり大きなプレッシャーになっている。
それがなんでだろうかって
最近よく考える。
一つには、仕事と生活のバランスが崩されることへの恐怖だろう。
平日は忙しくて、役員会なんて出席してられないし、
土日のイベントもなんだか億劫だっていうのも分かる。
平日会議に出れば、
その分生活と仕事の時間が奪われる。
土日のイベントも行ったら行ったで
結構楽しんでいたりするのだが、
休み返上だって感じてしまえば、やはり負担だろう。

もう一つのプレッシャーもある。
PTAという場は、これを発展させて何かをやろうという
雰囲気があるかないかは、
それぞれの組織体質があると思うが、
役員になったことで、大過なく過ごさねば、
といったプレッシャーがある。
決まった活動を決まった通り行うのだが、
そこにかかわる外部の団体や学校内の父母などから
過ちを指摘されるのが、
不思議と苦手な立場に追い込まれているような気がする。
慣れない役とその責任に押しつぶされるような
そんな圧迫感とでも言おうか。
そんなプレッシャーがある。

これら二つのプレッシャーはどちらも、
僕らの精神が自由を失う恐怖から来ている。

そしてそれは本質的に
PTAの活動と組織から抑圧を受けるから
生まれてくる恐怖ではないはずだ。
それらの状況で自分の精神が委縮することで
生まれる恐怖なのだ。
だから、僕は委縮する精神が
自由な広がりを感じられるよう意識しながら
これらの活動に取り組むことに決めているのは
また別の機会に書こう。

人が自由を体感する場面は、2つに分けられるべきだろう。
社会的なさまざまな束縛や抑圧から自由になることと、
人間の精神が自由なひろがりをもつことである。

どちらも同じように見えるが、そうでもない。
社会的な束縛と抑圧を取り除いても
人の精神の自由な広がりは自然とは生まれてこない。
また束縛と抑圧と思われる制度や組織があったとしても
それによって人の精神の自由は
損なわれない場合もある。

PTAにどのようなプロセスで
参加するか(参加させられるか)がまた
その組織の抑圧の感じ方に違いが生まれてくるし、
その中で自由な思考と行動を生み出せる場合もある。
僕らの例でいえば、
今年のPTA会長職は、
僕らの集落の子供会で決定している。
その時に、当時の子供会の会長さんが、
「○○さんに会長職をお願いした以上は、うちの集落挙げて○○さんをバックアップしていきましょう!」と力強い言葉をみんなにかけていた。
その言葉があったからこそ、会長から僕に
庶務という役を頼まれたとき
二つ返事で答えたのだ。

またこの前おこなった、地域の団体(公民館など)を含めての
PTA懇親会の話を例に出そうか。
その会は教職員歓送迎会も含まれており、
転出・転入の先生たちは、ご招待ということもあり、
一般参加の方の参加人数によっては、
赤字になることもある。
その場合は、PTA会長が自腹を切らないといけないらしい。
そんなバカなことあってはいけないので、
僕はこの会が行われる前から
自分の集落の子供会の方に話をして、
赤字が出た場合は集落の子供会の会員で
負担してくれるように頼んで、その了承を得ていた。

PTA総会でも
うちの集落の子供会から議長やお手伝いの方が出てくれて、
そういったことで頭を悩ますこともなかった。

仕事や生活の時間を奪われることによる
不便さは当然それで減りはしないが、
それでも個人が一人でその職責に立ち向かう必要はない。
これが義姉の書いた状況とは少し違うところだろうか。
だから、少なくとも僕は
PTAという組織とその職責から受ける
精神的な抑圧はあまりない。

またコミュニティに根差した小学校というのも
違うといえよう。
子供が通う小学校の親は、
その多くが小中学校時代の先輩だったり後輩だったり
同級生だったり。
地域の団体の長やお偉いさん方も
先輩や後輩や同級生の親だったりする。
閉鎖的にも見えるかもしれないこうした地縁は、
僕らに余計なプレッシャーを取り除く場合も
多くある。

個が自由にそこに立脚するために
多くの組織と制度を解体して
出入り自由な場をたくさん作ってきたが、
その反動で個が個としてその場に立ち向かう
プレッシャーもまた大きくなったともいえよう。
義姉が書いた記事は、
それがその社会が持つ精神的な習慣なんだろう。
だから僕には異質に見えたりもする。

だから記事にもあったが
PTAに積極的に参加されている方で
ボランティアや地域を巻き込んだ
新しくコミュニティを作る人も現れてくるんだと思う。
僕らにはそれが初めからあるのが当たり前だから、
それが不思議に見えたりする。

PTA懇親会である先生から
「普通PTAというと一所懸命やる方は2,3人だけですが、ここの地域は違いますね。地域挙げてやっている感じがします」と言っていた。
そう、それはもともと学校を中心として
それを支えていく集落の組織や連携してきた外部団体が
僕らの精神的な習慣で当たり前になっているからかもしれない。
そしてある先生からは、
「PTAの役職が生徒数に比べて多すぎますよね。街のPTAはもっと数が少ないですよ。やっぱり減らした方がいいですよね」
と懇親会で言われたが、
僕はそれを強く否定したい。
便利で自由さを増やしたいのなら
それは組織を無くしたり、減らしたりすることじゃない。
僕らの精神が自由な広がりを感じられる場を
それを支える人とのつながりを築き上げる中で
作っていくことに力を注ぐべきなのだ。
都会のPTAが先祖がえりのように
新たにコミュニティを作り上げて組織の有用性を向上しようと
しているのだから、
僕らが他の都会のPTAを真似することはない。
だって僕らの組織の在り方と
僕らの精神の習慣の方が
トップランナーなんだから。

僕は庶務という役を通して
今年1年、思い存分、
その自由な広がりを楽しもうと思う。




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ちょっとまえの勉強会(3/26)だけど記録しよう。
農園スタッフの大西が選んだ本はこれ。

田中 修 著 「タネのふしぎ」

今年の1月から3月にかけて
彼が担当していた野菜で、
発芽不良のため欠品が続いた。
かなり思い悩んでいたようで、
あれこれと調べたり勉強したり
していたようで、
勉強会でも種について発表していた。

あれこれと書いてあったようだが、
基本的なことは温度と水と空気と光だろうな。
これらの条件を
現在の設備で、
できる限り最適な条件に持っていけるかどうか
ということになる。

発芽不良の原因は
いろいろと考えられるが
どれがその主原因だったかは
まだ僕らにはよくわからないままだ。
だが、その中でその次にどういう
対応を取っていくべきか、
という意味では、この本は
その考えのタネを与えてくれたようにも思う。

来年のこの時期の
彼の栽培管理に注目したい。


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今年に入って、みんないろいろと動くようで、
勉強会に来てくれていたメンバーの4人が
一時お休みや勉強会を卒業していった。
それぞれの道で頑張る結果として
勉強会への出席ができなくなることは、
とてもいいことなので、僕はそれを祝いたい。

でも、ちょっと勉強会をこのまま続けるには
人数が少なくなってしまった。
一時は20名近い人数が来たこともあったが、
現在は7名ほど。
また、3年間今のスタイルを続けてきて、
ちょっとマンネリ化したかなぁ~という思いも
ないわけではないので、
少し変化をつけようと思う。

まず勉強会の開催を毎週から月2回へ変えてみよう。
そしてそのうち1回は、これまで通り水曜日のお昼にやるが
もう1回は、夜やろうかと思う。
これまで仕事で参加できなかった人も
もしかしたら来られるかもしれないしね。

勉強会の内容はこれまでどおり、
ゼミ形式で、
参加メンバーの順番で、
それぞれが読んできた本(映画・講演等も可)を
プレゼンしてもらおうと思う。

夜の勉強会は軽食&お酒ありで
今までとはまた違った議論をしてみよう。
参加希望者は、ぜひご連絡ください。

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P1080657.jpg

今日、クスワントが帰国する。
2011年4月に来日した彼は、
3年間の研修を終え、インドネシアに帰る。

4人目の研修生として来園した時は、
すでにある程度研修プログラムの中身や
学習のプロセスについて、
僕自身もしっかりと準備できていた。
それまでの3年の積み重ねの中で
研修生に必要だと思われる学習や
その習得に必要なツールや手法、組織も
この時までには出来上がっていた。

だが、
その研修自体を批判したのはクスワントだった。
彼は「研修」にやってきたのに
昼休みや休憩時間などに座学や学習するプログラムが
あることに疑問を呈してきたのだった。
これには「研修」にまつわる意識の違いがあろう。

インドネシアでは日本での「研修」は
Magang(マガン)と呼ばれている。
辞書には研修という意味で乗っているが、
社会通念的な認識では、「日本への出稼ぎ」という意味で
使われることが多い。
僕も当初はこの意識が醸成されている
日本の技能実習制度を強く批判する立場だった。
いや、今もそうだと思ってやっている。
なので、ここに来る研修生たちは、
その募集の段階で「Magang」への参加を
意識していて、
それが出稼ぎである以上は、
そこに座学や宿題やレポートなどの学習プロセスが
盛り込まれていることは
余計な労働に感じるのだろう。

クスワント以前にやってきた
研修生たちもある程度そういう意識はあったかもしれない。
だが、一緒に研修を作り上げていく中で、
たとえば一期生のヘンドラだと
座学をいつやるのか、何回くらいするかなど
話し合いながら作ってきたので、
そのプロセスの中で
研修(Magang)=出稼ぎは崩れていった。

タタンの頃になると
研修が労働ではないということ、
またみんなで学ぶんだという意識を明確にするために、
農園が座学を用意するのではなく、
耕志の会という任意団体を研修生と僕とで作り、
そこにみんなでお金を出し合って
座学や見学の予算にした。
一方的に学びを与えるのではなく、
僕らみんなで学ぶんだという意識も
この時から生まれてきた。
これらの変化も1期生から3期生のいる時に
みんなで決めた。

だから4期生のクスワントは
そのプロセスをまったく知らないまま
僕らの研修プログラムに参加したことになる。
その彼から見て、僕らの研修は、
座学など余計な学習が多く、
他の研修生のように自由ではない、
と感じてしまったのだろう。

座学や見学にかかわる経費を
みんなで支出し合うという学びの場も
彼にはなかなかなじめなかったのだろう。
彼は、
「事前にそういう説明を受けていません」と
反発していた。
その反発は、
僕にとってもかなりショックだったし、
僕らはとても動揺した。
でもその反発は、
僕らにとってもいい勉強になった。

彼には時間を多く費やして
僕たちのここに至ったプロセスを説明し、
最終的にはそれの良き理解者になってくれた。
賛同してからは、
授業の参加も積極的になり、
僕らは深い議論ができる関係になった。
ちなみに今は、募集段階から
ここの研修の特殊性を前面に出して説明するようにしているので
その部分でのミスコミュニケーションはない。

さて
クスワントは、当初、誰もがその道を通るように
トウガラシ栽培を帰国後のビジネスとして
プランニングしていた。
だが、みんながやるようなビジネスでは、
特殊な栽培技術がない限り、
とても競争に勝てない。
あれこれと栽培技術に特化して
考えてくれたが、
これでは未来があまりないと思ったのか、
この計画は断念していた。
ただ、複合的な経営の中で
トウガラシ栽培はありだと思っていたようで、
フレキシブルにその栽培には取り組んでいきたいとのことだった。

さて、次に考えたのがアグロフォレストリーだった。
林業と農業の複合型で、
南米で結構流行っているスタイルだ。
僕自身はこれを否定的には考えていないので、
とても面白いと思っていたが、
現実的にどう販売につなげていくかのところで
彼は行き詰ってしまっていた。
そうして2年の後半に差し掛かる頃には、
香辛料のクローブ栽培に特化し始め、
3年生の卒業研究もそのクローブの流通を題材にした。
この研究発表は、本当に素晴らしかった。

座学や学習の機会に疑問を呈した彼が、
最終的に素晴らしい成果を修めて
研修を修了したことが、僕にはとても感慨深かった。

帰国後はクローブ栽培だけでなく、
野菜(特にトウガラシ)にも力を入れていきたいと
語ってくれたクスワントは、とても自信に満ちていた。
そして、それ以上に彼が素晴らしかったのは、
言葉だけでなく、実際に質素な生活に耐え、
それで貯めたお金で研修1年目の時から
土地を少しずつ買い、生産基盤を整えてきたということだった。
帰国を控えて、彼にインタビューをしたときには、
すでにそれなりの経営基盤があることを説明してくれた。

彼は来る前から、
とても評価の高い新人だった。
そして、その評価にたがわない活躍をした。
もちろんそれは彼の能力に違いないのだが、
僕は彼の成長を邪魔することなく、
研修を終えることができたことに
とてもホッとしている。

当然、帰国後も活躍することは分かっているが、
きっとその想像以上に
僕をもっと驚かしてくれるに違いない。
別れはとても悲しいが、
彼の旅立ちは、僕にとっても楽しみの一つなのである。






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昨晩、PTAの合同委員会に出席。
合同委員会というのは、
各集落の評議員さんや学年委員さんすべてが
一堂に会して、
それぞれ割り振られた各部の活動について
話し合ってもらう場。
総務部ならばバザーだし、
教養部なら広報誌発行など
それぞれの年間活動を大まかに決めてもらう。
大抵は昨年通りなんだけど、
それぞれ部長さんのイニシアティブのもと
変更する活動もあったりもする。

さて、
そこに参加していての雑感。
娘の通う小学校は
一学年一クラスという小さな小学校。
で、集落から4人の評議員と
学年ごとに集落から一人の学年委員が
出てきて、そこにPTA役員を合わせると
実に、全保護者世帯の半分くらいが
この合同委員会の場にいることになる。
この状況を
皆さんはどう思うだろうか?

僕は以前、
子供の数が減っているのに
役の数が減らないのは異常だと思っていた。
今でもどこかでその想いはある。
だが、そう想う自分は、いったいどこに立って
物事を考えているかを冷静に見つめてみると、
すこしその想いも、僕には違って見えることもある。

保護者世帯の半分くらいがPTAの役につくというのは、
ちょっと他では異常かもしれない状況なんだろう。
合同委員会でもかつて役員をしていた方から、
「会則を変えて、PTAの人数を減らしたいね」と
言っていた。
確かに、なんやかんやと行事に駆り出されるのは
仕事やプライベートの時間を奪われるので
至極不快な時もある。

だが、かつて娘が通っていた保育園では、
保護者世帯全員が何らかの部会の役員を務めるという
変わった保育園だったので、
保護者と保育士といっしょになって
共同で保育を作り上げていくという実感があった。
ただその反面、参加が強要される場面も多く
なかなかタフな保育園だったが・・・。

PTAは子供のため、とかいうが、
なんだかそれは回りまわっての話かな。
確かに子供ためなんだけど、
もっと直球な感じでは、
学校運営に親も参加しようということなんじゃないかって思う。
行政からの運営費以外に
何百万というお金をPTAで動かして
それだけ子供の通う学校の運営を
手助けしている。
そしてそこで動く予算や活動に参加することで、
何が学校に必要なのか
その声もまた届けられる場でもあるんだな、と思う。
庶務なんてちょっと面倒だな、と思ってはいるが、
これはこれで面白いと思えるのは、
参加したいと思えば、それができる場がそこにあって、
自分の意思を伝えあえる場所があるってことだからだろう。

半分が役員だなんて素敵じゃないか、って
僕は思ったりもする。
どうせ、この後中学とか高校とかなれば
規模も大きくなって、だんだん手作り感のない
PTAになっていってしまうんだから、
今くらいこういう感じも悪くない。
しかも、そこに出てくる親は
昔の先輩だったり後輩だったり同級生だったり。
いいな~、こういうのって。
ネガティブな意見もたくさんあるんだろうけど、
それを引きずりながらも
なんだかんだ言っても
結構な参加率で合同委員会は無事終了した。

こういう場を大切にしたいな。
と思った夜だった。



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昨晩は、JA福井市の青壮年部役員会。
今年は、この部の副部長を仰せつかっている。
といっても、
別段、僕というパーソナリティで
何かをするわけではなく、
役員みんなでやっていくというスタイルなので、
若輩者の僕としては、いくらか気楽でもある。
そして何よりも、楽しい。
これが一番大事。

さて、楽しい理由の一つに、
4Hクラブで一緒にいろんなことをやってきた
仲間が今回、青壮年部の役員に入ってきたということも
関連している。
彼らを見ていると、
この場ももっと変化していくそんな期待感が
生まれてくるから不思議だ。

今回の役員会では
上半期の活動について話し合った。
その中で、
消費者交流事業という食育の活動があり、
今年は昨年から続いている活動を継続することになったのだが、
来年度はどうするか、を今のうちから話し合いもした。
まだまだ未定なのだが、
4Hクラブで一緒だった仲間が、
その時から僕らと一緒に温めてきた活動を
やりたいと言っていたのが僕は無性にうれしかった。

4Hの時は、
ある保育園と一緒にその活動をする予定で計画を立てていたのだが、
保育園側から、アレルギーもある作物だから、という理由で
断られて、そのままになっていた。
そのあと僕はその活動そのものを忘れ去ってしまっていたのだが、
昨晩、それがあの時の熱気を帯びて僕の中に
再浮上してきた。
やっぱり、みんなでやる活動は、こうでなきゃね。

仲間が提案した活動が
そのまま消費者交流事業になることはないかもしれないが、
たぶん、ここの場でも僕たちは
何か面白いことをするんだろうな、と
期待が膨らんだ夜でもあった。

と、いうことで、
昔のお仲間さんたちへ。
それぞれの地域で、早く役員になって
ここの場へ出てきてくださいねー。
じゃないと、面白いこと始まっちゃうよー。




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もうすぐ農園のセロリの季節が終わる。
今年は、たくさん作って、たくさん食べた。
気に入った食べ方は、オイル蒸し。
妻の得意料理の一つ。
過ぎてゆくセロリの季節に
別れを告げるように、
夜はこの料理を楽しんだ。

P1080492.jpg

この料理をつまみに赤ワインを飲むのが
僕の至福の時間。

P1080496.jpg

そしてその料理に
よく合う最近のお気に入りワインはこれ。
Bertaniはイタリア語だが、
インドネシア語でもこういう単語がある。
インドネシア語では「農業をする」という意味になる。
イタリア語での意味は分からないけど、
味も言葉もスタイルも
全部が気に入っているワイン。

自分で栽培したセロリを
Bertaniの赤ワインで流し込む。
これ以上の満足感はなかなかない。

と書いておけば、
遊びに来る人がこのワインを持ってきてくれるかもしれない、
と下心を込めて記録した。



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もう自分でもバカバカしくなるのだが、
6つ目の役が舞い込んできた。
今度は地区の公民館の運営審議会の委員。
たしかに、地域の活性化を眺めていこうと思うと
公民館は一つの拠点でもあるので
かかわることができるのなら、
望むところだと思っていた。

が、しかし、いくらなんでも6つは
役が重なりすぎだろう。
任期は2年。
来年は大きな役が待ち構えているだけに、
僕はこの役を不義理せずにこなせるのかどうか
かなり心配でもある。

とにかく、こうして公民館活動にも
エントリーすることができたというわけだ。
前向きに
そしてお気楽に
考えることにしようっと。



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今後の展開を期待して、
こういうことも記録しておこう。

今年で研修最終年度を迎える
カダルスマン(以後ダルス)がすこし大変だ。
たぶん、いろいろとここで勉強するうちに、
何がどうしたいのかわからなくなって
混乱しているところなのだろう。

ここでの農業研修は、
徹底して『地元』から考え、
もともとあった常識を疑ってみる癖をつけるのが
主な学習スタイルだ。
空中分解してしまいそうな抽象的で国家的な議論も
このスタイルから見つめてみると、
ちょっと違った風景に見えたりもする。

で、それを身に着けるために
座学では相手への同調よりも批判を大切にする。
ただ批判するのではなく、
それは建設的で
新しい視点や気づきを与えてくれるような批判で
なければならない。
なかなかそんな切れ味のよい批判が
できるわけじゃないが、訓練し続けている。

さて、ダルスの場合、
このスタイルが彼には合わないのかもしれない
と思うことがある。

研修生は3年目に
卒業研究を行う。
1年間かけて、それぞれが実際に実験や栽培
もしくは市場調査などを行って
それぞれの課題を明らかにする
とても大切な学習プロセスだ。
その準備に2年生の後期から
卒業研究の計画づくりに半年かけて行うのだが、
そのプロセスがなかなかタフだ。

卒業研究は、
月間レポートで書いてきた帰国後のビジネスプランと
リンクした実験を行わないといけない。
だから、その半年の計画づくりに入るまでに、
ある程度帰国後のビジネスプランを練っておく必要があるが、
ここが甘いと、計画づくりで
学友や僕からの“つっこみ”に耐えられなくなるのだ。
ダルスがまさにそうだった。
彼は、自分の地域には果樹が多いとして
果樹を加工するビジネスを考えていた。
最初は乾燥してドライフルーツを考えていたが、
卒業研究の計画づくりに入るころには、
果樹のチップス(ノンフライ)のビジネスを
やりたいと言い出していた。
だから卒業研究では果樹のチップスの研究だった。
しかし、実際に計画を立てる段階になると、
彼は学友からの集中砲火に耐えられなくなった。
ダルスの地域にはどのくらい果樹があるのか?
帰国までにためたお金でノンフライの機器は買えるのか?
その機器で生産できる量で、年間最低2400万ルピア稼げるのか?
(ビジネスプランは年間最低2400万ルピア稼げるように考えてもらっている)
販売先はバンドゥンの土産屋というが、どうアクセスするの?
などなどの批判をダルスはかわせず、
撃沈してしまった。
そこから迷走が始まった。
次に計画してきたのがジャムづくり。
これも理由がチップスより機器が安価という理由だったので、
またもや集中砲火を受け、撃沈してしまった。

撃沈してしまう必要はなく、
それらの批判はその事象について考える種を
与えてくれるものなので、真摯に受け止め
それについて思考をめぐらせばいいのだが、
いかんせん、彼はそこで行き詰ってしまうようだ。

そして提出期限の3月に入ってから、
彼はこれまでのプロセスをガラッと変えて
米の研究をすると言い出した。
これまで果樹の加工で考えを練ってきたのに
急な変化に驚いたが、
以前に彼の地域のポテンシャルとして
美田が多いので高品質米に特化しても
面白いかもしれない、というコメントは
僕もしたことがあった。
ダルスには、いろいろと葛藤もあったんだろう。
ただそうやって“研究のための計画書”は、
やはりその基盤となる考え方が脆かった。

彼の計画書での問題意識は
簡単に言うとこんな感じの論理展開だ。

「地元の農家は遅れた稲作を行っている。
それは同じ地区で収穫と田植えが同時期に
行われる行き当たりばったりの稲作だ。
だから害虫や病気が減らないで減収している」

そして彼の問題解決の提案が、次の通りだ。

「日本式の一斉に田植し一斉に刈り取る農法を
学んで普及させたい。
だから日本式の米の栽培方法を勉強したい」

ということだった。
まず問題提起の仮説がよくない。
本当に農家は遅れた稲作を行っているのだろうか?
僕は彼の地元の農家にインタビューはしたことがないが、
同時期に田植えや稲作がおこなわれる理由は
他の地区で聞いたことがある。
一番大きな理由は、
灌漑用の水が十分でないことが
その理由だ。
一斉に田植できるのは雨期だけで、
乾季は条件が揃った場所から田植が行われるので、
収穫時期はどうしてもばらける。
また用水路も未整備で田越しの灌漑が主流でもあり、
稲作が2回から3回できる気候だとしても
自分気ままには田作りもできない。

日本でも祖父母の時代には
5月から始まった田植は7月上旬まであり、
とても一斉とは言えない状況だった。
収穫も11月の霰が降る中で行われたこともあると
祖父がかつて語ってくれたように
2か月以上のズレがあった。
それは水も関係するが、もう一つが労働力だろう。
一斉の田作りは機械化してこそ可能になった風景で、
それで農家の考えが遅れていたり劣っているわけではない。
農家は、その条件下で最大かつ最適な方法を
常に探し求め行動する主体なのだ。
実はそんなことはすでにこの2年間
彼に叩き込んできたはずなのに、
いまだにダルスが、
「地元の農家は遅れている」
なんていうのには、力が抜けてしまった。

今少しダルスには時間を割いて
一つ一つ彼の頭にある偏見を一緒に見つめる作業が
必要のようだ。
このまま混乱させたまま研修を続けても、
彼の行為能力は解放されないどころか、
偏見の中で迷走を続けてしまいそうだから。

さて、ここから彼はどう化けるのだろうか?
ちょっと先は見えないけど、
それが出来なければ、この研修をやっている意味はないので
ここが僕の頑張りどころなんだろう。




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順番を飛ばして、申し訳ないが、
先にこれを記録しよう。
というのも、
今回の発表者の山本君は、
今月から岐阜に移るとのことで、
今回が最後の勉強会参加だったからだ。
いやはや、さみしくなるね。

さて、山本君の選んだ本はこれだ。
コリン・タッジ著 竹内久美子 訳『農業は人類の原罪である』

この本は、僕は確かインドネシア留学中に
読んだ記憶がある。
昔のブログを探したら、書評もあった。
なんとも懐かしい本じゃないか。

僕ら現代人は、
その祖先であるクロマニョン人が
採集生活から農耕生活に移行することで
環境変化(気候や食糧問題)に適応し、
というか適応せざるを得なかったのだろうけど、
ネアンデルタール人のように滅びず、
現代にまでその繁栄をつづける結果になった
というのが本の主張。
進化論の立場から、古代の人口と資源の関係を考察し、
農耕が生まれた経緯を説明している本で、
マルサス的問題を再認識させている現代では、
こういう論理が思考のタネになるかもしれない。

で、何が原罪なのか。
僕の書評でも、このタイトル自体は
訳者が付けたキャッチ―なタイトルで、
原著にはあまり記録されていないこともあり、
全体を通して読んでもよくわからないのが
正直なところだ。
でも、この際なので、
農業の何が原罪なのか、ちょっと考えてみようか。

この本の論理はマルサスの人口論をめぐる議論がベースにある。
人口圧があり、限りある資源が枯渇してくると
どうなるか、そんな議論だ。
もちろん、そのまま生産性を伸ばせない場合は
滅びゆくのだろうが、
人々は技術革新や新しい土地を切り開き、
今まで見向きもされなかったものが資源化され、
僕らの社会は
僕に言わせれば『延命』してきた。
そしてそれが延命にも関わらず、
無知な僕らは自己の利益を伸ばす競争を
いまだに止めることはない。

そんな現代人が生み出した生産様式は、
日本でも毎年2000万トンの食糧を捨て、
そして10億人が肥満になり、10億人が飢餓に苦しむ
とても変な社会を作り上げている。
食糧は余りあるほどあるのに、
分配は不均等、そんな社会だ。
で、どんどん人口は増えている。
食糧問題が言説化される場合、
新しい技術への投資への刺激欲求だったり
やや環境に配慮できていない
生産方法への承認だったりもする。
それらは飢餓をなくすというプロパガンダの元、
すべてが正当化されていく。
マルサスをめぐる議論の風景は
そんなところだろう。

僕らの祖先クロマニョン人が農耕に移行した時から
僕らは一方通行の道を延々と走っているというわけだ。
それが資本主義によって加速され、
IT革命によって世界中がつながりを得て
そのシステムに乗っかってグローバリゼーションが
加速し続ける中で、
膨大なエネルギーによって支えられている社会が
原発やGM技術を生み出している。
貧困解決にBOPビジネスなんていうのが
あまり批判を受けずに大手を振ってまかり通るのも
この一方通行のトップランナーにいるからだろうな。

そしてこの場所から改めて
本書を眺めれば、
やはり農業がその原罪になる、というわけだろうか。

マルサス的な議論自体が
すでに一方通行しか想定されておらず、
その論理に乗っかる以上は、
僕らに本当の意味でのオルタナティブは
存在しなくなる。
この議論自体が、いろんなものの隠れ蓑に
なっている気がする。
そしてそれが自然農だろうがクリーンなエネルギーだろうが、
この議論の前には
それらは一方通行の一部にすぎない。
だから、僕らはそれを超える理論を
見つけないといけないのだろうけど、
なかなかそれがないところに
もどかしさを感じる。

山本君、最後にとても面白い議論を
ありがとう。
僕ら一人一人がしっかりと考えないといけない
というメッセージを受けたように思います。
新天地で成功すること、お祈り申し上げます。



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庶務は大変だと言われたが、
はたしてそうだと言わざるを得ない。
だが、それを言ってしまえば、
なんだか負けになるので、
やはりよそう。

さて、今、僕の庶務の仕事は
PTA総会に向けて開かられる役員会や学年委員会や
合同委員会などの資料作りだ。
これは昨年の資料をもとに
そのデータの日付を変更するだけだと思っていたが、
どうも庶務担当の先生と親の庶務とで
持っているデータが違うようで、
会長から作成指示があっても
僕の手元にないデータがいくつかある。
そのたびに、データをあちこち探す羽目になり
なんだか効率が悪い。
ということで、役員さんには先生も含めて
全員宛のメールで情報共有を図ろうとしているところだ。
だが、なぜか皆さんからの返信は、
僕個人宛になっており、
情報が共有できず、再び僕からみんな宛に発信するという
至極非効率的な作業が続いている。
PTAはこういう文化なのだろうか???

さて、本題はそこではない。
総会後に開催予定の先生たちの歓送迎会&
各種団体の懇親会だ。
この歓送迎会はPTAが主催するようで、
先週から招待状作成やそれを送る人のリスト作り、
さらには一人一人に配って歩く作業と
やや忙しかった。
この作業を通じて感じたことだが、
学校を中心に地域のつながりがあるということ。
それは当たり前のことなのだが、
自分が思っているよりもそのつながりが
広範囲にわたっているということだった。
消防団や駐在所、公民館・老人会は妥当だが、
商工会や農協まで招待することになっており、
さらにはある農事法人組合までご招待になっていた。
昨年からの引き継ぎで、
これまで招待した役職のリストに沿って
招待状を配って歩いたのだが、
なぜ農協や農事法人組合まで入るのかは
やや理由が不明だった。

会長に聞いても
「昨年も呼んでるから」
との回答でよくわからないらしい。
農協の方も
「ほかの地区では呼ばれないんだけど」と
やや困惑した様子だった。
PTAや学校の費用を農協の口座から落とすからだろうか?

地区内には農業生産法人や任意組合はほかにもあるが、
なぜか一番大きいハーネスだけ招待状を送る。
推測だが、学校で取り組んでいる田んぼ体験の管理を
ハーネスが行っているからだろう。
だが、本当はその体験田んぼの主催は
農協青壮年部河合支部なので、
招待状は青壮年部の河合支部長宛なんじゃなかろうか?
と、僕なんかは思ってしまう。
(青年部がハーネスに依頼して田んぼの管理をお願いしてはいるけど)

まぁ、今度の歓送迎会の時に
歴代のPTA会長さんたちも来る予定なので、
そこで理由を聞いてみようと思う。

いずれにせよ
僕が昨年の資料から作った招待状のリストが
ある意味、この地域のカタチということだろう。
とても興味深い。

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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

メールは
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