先週末は、農園のイベントだった。
農園では、一昨年から食べてくれる人たちと
交流できるようなイベントとして、
農園を解放してBBQイベントを開いている。
たぶん、僕一人だったらやろうなんて思わないのだけど、
(というか、思ってもなかなかできない)
ここに集った仲間に触発され(そそのかされ?)、
開催している。
こういったイベントは、
就農したころから描いていたことではあったのだけど、
まぁ、いつになるかわからんけど、できたらいいね的な
想いをずっと持ってはいた。

たぶんそこにイベント好きの大西と
ギター一本で場を変える佐藤が来なかったら、
いつになるかは本当にわからんかっただろうな。

さて、今回のBBQは
この時期にしか味わえない春と冬の境目の野菜を
たんまりとみんなで食べた。

前菜は、
ベビーリーフのサラダ
生スティックニンジン
茹でロマネスコ 
などをお好みのドレッシングで。

僕の自慢の特注9ミリ鉄板では、
フェンネル
根セロリ
セロリ
ニンジン
ごぼう
などを一種類ずつ蒸し焼きにして食べた。

メインは、
フェンネルと根セロリのホイル焼き&鴨ロースハム添え
お肉と野菜の炒め物・黒キャベツと春キャベツの雌雄対決バージョン。

サイドディッシュに
妻が前日から煮込んだミネストローネ
農園のコシヒカリでにぎったおにぎり。

と、結構な野菜の量を準備して
40名近いお客さんを待ち構えたのだが、
なんとすべて完食。
いつもは結構余るのだが、
今回は一つも余ることなくみんなで食べきった。

農園のイベントにはかならず音楽がつきもの。
今回はインドネシアの研修生と
佐藤&北野とで作る「農園たや~ず」のバンドが
フォーチュンクッキーを演奏してくれた。
映像はこちら

インドネシアはジャカルタにAKB48の支部である
JKT48がある。
なので、フォーチュンクッキーは
インドネシア語バージョンもあり、
今回の演奏では、日本語とインドネシア語を
交互に混ぜて演奏してくれた。
農園の今を表すのにぴったりな一曲だった。
ここに至るまでの過程や
この日の経験、
そしてそれぞれの記憶と印象が
僕らの新しい文化や考え方につながっていく。
一曲をいろんな言葉で、
それぞれが想い描きながら、
混乱し錯綜し、でも楽しみながら
演奏されたこの曲には、
うまく言えないけど何かが形づくられているように思う。
そしてそれは僕ら農園の日常だったりもする。
何かを議論するよりも
こうして何かをこれからも作り上げていこう、
とそんな気にさせてくれる一曲だった。

最後の曲は、
北野君が作ってくれた農園たやソング。
ずっと前から彼に依頼していたのだが、
ようやく彼がこの地を離れる直前になって
この歌は完成した。
映像はこちら

とても歌いやすく、楽しいこの歌は、
これからもずっと歌っていきたいな。
そしてたぶん、
僕らは常に
この歌を歌うときには、
北野君を思い出しながら歌うことになるだろうな。

食べてくれる人たちを呼んで
楽しく食べようと企画した会だったのだが、
いろんな人がいろんな風にかかわりあう中で、
僕らが意図したその範疇を超えて、
春の食べよう会はいろんな記憶を残してくれた。

何かを食べるという
とても単純な動物的な行動には、
僕らが人であることを証明するかのように
その行為にはいつも何かがついて回る。
だから、
たまにはこうしてみんなで集まって
一緒に食べたくなるんだと思った。

次は、夏野菜がたっくさんとれる時期に
開催する予定なので、
また皆さん関わってくださいませ。
何かまた新しいモノをみんなと一緒にその場で
生み出しましょう!



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3月12日の勉強会は
酒井君がプレゼンしてくれた。
彼はうちの農園で1年研修をした後
独立してホウレンソウとトマトを
栽培している。

さて、彼が選んだ本はこれ。

岩崎邦彦 著 『小さな会社を強くするブランドづくりの教科書』

農業を始めたばかりの酒井君は
なんとかして自分のブランドを確立して
優位に販売したいと思っているようだ。
まぁ、それはすべての農業者の願いでも
あるんだろうけれどね。

さて、ブランドについては
これまでも勉強会でいろんな人が
いろんな本を取り上げて発表してきた。
酒井君のプレゼンで僕の琴線に触れたのは、
価値について。
著者は価値に2つあるといい、
それを機能的価値(良い悪い)と情緒的価値(好き嫌い)が
あるという。
あまり洗練された分け方ではないけど、
僕もこの価値のうち、情緒的価値の重要性を
良く感じている。
ちなみにこの価値の分類で秀でているなと思ったのが
かつて大ちゃんがプレゼンしてくれた本だろうな。
(そのプレゼンのリンクはこちら)

情緒的に訴えるには、
些末な小手先の技術としては
デザインとその物のストーリーがあるが、
最近はそれ以上に
その物だけでなく、
全体を包む僕らの姿勢が問われることになるだろう、と
思っている。
小手先に訴えても
結局は小手先の付き合いにしかならないのだろうな。

あとこのプレゼンで面白かったのは、
脱平均、脱総合、いらないものを削って
より洗練されたものを作るってところか。
どこかで突出しなければ、
それはブランドにはなりえない。
本ではどこまでを突出と言っていたのか
よくわからなかったけど、僕は、それは
そして先の話と同じで、
小手先の技術的なものじゃだめだと思う。
やはり僕らの真摯な気持ちと行動が
それらを包み込み
強いイメージが付帯して、
より強いメッセージをその物が帯びることだと思う。

だから、一朝一夕でブランドは
できなんだろうね。
JAへの共販に頼って栽培をしている酒井君は、
その共販の中で1番を取るか、
共販を飛び出して突出するか、
なんせどの道を進もうが、
強い決意と覚悟が必要だろう。

それは僕らも一緒だろうけどね。





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えっと、今日はJA青壮年部の県青協の総会。
そこで、県青協の役員をいただいた。
これで今年5つ目の役。
この役は好まざるとも
今思っていることで
地域を盛り上げようと思っている限り、
避けて通れる道ではない。
であるなら、
そこに向かって自ら進もうと思って、
この役も半ば自分から志願して
受けた。

今年は本当に役が多い。
地区のJA青壮年部の副部長。
JA福井市の青壮年部の副部長。
JA青年部の県青協の委員。
町内の青年会の総務。
そして小学校のPTA三役の庶務。
さすがにスケジュールを調整するのが
難しくなりつつあるが、
どれもこれも地域の盛り上がりを考えたら
受けないといけない役ばかり。
ある人は、
「役なんて一文にもならない」というが、
僕に言わせれば、
損得で地域の福祉なんて
考えちゃいけない。

母方の家には、こういう言葉がある。
「学校とお寺はみんなが通る道だから、そのための役はなんでもやりなさい」と。
だとしたら、そのロジックでいえば、
JAも学校も地区の青年会も
みんなが通る道なんだから
その役は僕は引き受けよう、と考えている。

まぁ、体は一つだから
できることしかできないけどね。
兎にも角にも、
今日、今年5つ目の役をもらったことは
ここに記録しよう。




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みんなから、
「それは一番大変かもしれないよ」と
言われる。
そんな役につくことになった。
それはPTA役員の庶務。
もちろん一番大変なのは会長さんだと思うけど、
それを補佐するこの役も大変らしい。
まぁ、みんなPTA役員のことを
「大変」という冠詞をつけて話す風習があるようなので、
どれがどのくらい、本当に「大変」なのかは
やってみないとわからないけどね。

庶務は、PTAの役員会や会議の書類作りや司会進行、
そして会計の一部とお知らせづくりなど
まぁ、いわゆる事務運営一般すべてをやるってわけだ。

僕もなんでこの役をやることになったのかは
いまいち不明のままだが、
とにかく、こういう世界もまた
地域の一つなんだろうと思って、
たのしんでやっていこうと思う。
これでブログのネタも増えるしね。
そう思えば、「大変」も実は
ちょっと面白い程度かもしれないって
自分に言い聞かせて、
やっていこうと思う。




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中西 友子 著 『土壌汚染』:フクシマの放射性物質の行方.2013.NHK出版.

本書は、東京大学大学院農学生命科学研究科の調査チームによる、福島第一原発事故後の環境汚染についてまとめられたものである。本書の目的は、フクシマの放射性物質が自然環境の中でどのように循環し、そしてどのように蓄積し、環境と人体にどういった影響を与えていくのかを検証したものである。水俣病のように、自然界のエコシステムに乗っかって、次から次へと汚染を拡大していくのかどうか、そこに焦点が絞られているともいえよう。

放射性物質の種類によって半減期や生命にたいする影響が違うこと、またベクレルとシーベルトなどの放射線を表す単位にあるように、人体に対する影響を図る構造の違いなどが、放射性汚染の現状を理解するのを難解にしている向きがあるが、本書では平易な言葉で解説している。ベクレルとシーベルトの違いを蛍光灯を例にとったのはわかりやすかった(ベクレルを蛍光灯が発する光量に例え、シーベルトを人が実際に浴びる光の量に例えていた)。
本書で扱う放射性物質は、フクシマの事故で大量に放出された放射性セシウム137に主眼をおいている。

放射性物質の自然界での拡散・蓄積・循環を検討する前に、理解が必要なのが、その物質の物理的半減期と生物的半減期だろう。放射性物質は物理的に不安定な存在で、刻々と放射線を出しながら崩壊している。例えば放射性セシウム137の場合、30年でその量が半分になる。なので、放射性セシウム137の物理的半減期は30年となるわけだ。半減期を迎えても全部が無くなるわけではなく、半分になるだけ。
だからといって、もし放射性セシウム137が体内に入ってしまえば、30年経たないと体内のセシウム137は半減しないのか?といえば、そうじゃない。生命は代謝する。僕らの細胞は刻々と入れ替わる。だから取り込んだセシウム137も、その代謝と一緒に体外に放出される。物理的には減りはしないが、体の代謝によって体内から放出される。体内のセシウム137の量が代謝によって半減する時間を生物的半減期という。セシウム137の場合、筋肉などに取り込まれ、2~110日で生物的半減期を迎える。入り込んだ場所と代謝のスピードによって異なるってことか。ただ体内に取り込んでしまった放射性物質は、その場所で放射能を出し続け、その近くの遺伝子などを傷つけ続けるので危険なことに変わりはない。
ちなみに余談だが、放射性ヨウ素131の場合は、物理的半減期が8日だし、それに加えて生物的半減期なんてことがあるとなんだかちょっと安心してしまうが、いったん体に取り込むとヨウ素131は甲状腺に蓄積し、代謝によって半減される生物的半減期は80日もある。だから取り込んだヨウ素131は物理的にほぼ崩壊するまで体にとどまることを意味する。

本書の結論から言えば、降り注いだ放射性セシウム137はその場所の土壌に吸着されて、そこからほとんど動かない。自然界のエコシステムによって拡散することがあまりないとのことだった(海の場合は別なので注意)。吸着した土壌粒子や有機物などと一緒に懸濁液となって移動する場合もある。事故後原発から離れている場所で基準値を超える米が出てきたのも、これに由来する。
放射性セシウム137は、粘土土壌につよく吸着されるが、粘土土壌の種類によっても異なる。イライト・バーミキュライトでは強く吸着され、カオリナイトの粘土では吸着されにくい、とのこと。砂壌土の場合は、吸着されず水などと一緒に流れていく。いったん吸着されれば、イオン化して溶脱することはない。セシウム137はカリウムと形状が似ているため、カリウム欠乏の土壌では植物体に取り込まれやすい。稲の場合、取り込まれる時期と環境の違いで穂にセシウムがたまる場合もある。これまでは古い葉にセシウム137(過剰なカリウムは古い葉に貯蔵されるため)がたまるとされてきたが、二本松のケースでは新しい葉と穂にたまったケースもあった(夏の有機物分解と懸濁液と谷水灌漑による)とそのメカニズムを説明している。果樹の場合は、根から吸い上げられたことよりも、樹表面から転流で実に移行している。
物理学的半減期が30年のセシウム137でも、生物学的半減期は60~90日で(代謝で外部に放出される)、乳牛でも汚染されていない餌を与えれば、3か月後にはほとんど牛乳にセシウムが含まれることはない。魚の生物学的半減期は種類によって異なるが、大別すれば海水を多く飲む海水魚の場合で50日、ほとんど飲まない淡水魚は100日だった。陸上では吸着された土壌が風雨、もしくは有機物分解などで微量にしか移動しないが、海洋はやや事情が異なる。海に降り注いだセシウム137は海底の土壌に強く吸着されるが、海流とともに海底を土壌が動くため、吸着された汚染物質はダイナミックに移動を続けている。海流と共に、海底の土壌と一緒に拡散しているのが現状だ。この研究はほとんどされていないため、どのように汚染が広がっているのか正確な部分では不明らしい。

さて、本書では除染についても説明している。
畑での除去については、ひまわりなどの植物が有効だと言われてきたが、ひまわりは実際には土壌中のセシウム137全体の0.08%しか吸着できず、逆に汚染物質の総体(ひまわり残さ)が増えてしまうそうだ。その残さをどう処分するか、また別の問題に行き当たってしまうのだ。やはり表土除去が有効だとのことだが、数千年かけて培ってきた表土除去は農業の可能性を奪ってしまう。そこで深耕や天地返しといった方法がとられる場合がある。これはセシウム137が表土数センチの土壌に強く吸着されて、そこから放射線を出し続けているので、表土の下の層の土と撹拌することで、表土近くから人体に影響する放射線の量を減らそうという取り組みである。一定の効果があるが、土壌から完全にセシウム137がなくなるわけではない。またそこで作業する人などは、耕起の度に舞い上がる土煙を吸いこんでしまえば、体内汚染につながるため危険は高い。表土は剥がしたくないが、作業者の安全を考えると放射性物質の総量を減らさないといけないだろう。

本書ではセシウム137に主眼が置かれているが、ストロンチウム90などの他の放射能物質なども気になるところだ。ストロンチウム90は、フクシマの場合チェルノブイリと違って低温だったため放出量が少なかったそうだが、物理的半減期はセシウム137と同じ30年で、しかもカルシウムと構造が似ているため、体内に取り込まれる骨に蓄積し、生物的半減期が50年という長きにわたって体を傷つける物質でもある。作物にとってもカルシウムは必須微量要素であるため、どのように取り込まれるのか、解説が欲しいところだ。またセシウム137のように他の放射性物質も土壌粒子に吸着されるのかどうか、そのあたりの説明は少なかった。セシウム137がどのように自然界にとどまるのかを理解できた分、むやみやたらな恐怖は消えたが、同時にほかの放射性物質についても同様に解説の必要性を感じた。ぜひ、今後の研究で明らかにしてほしい。

福井は、世界一の原発立地地域だ。そして、原発は必ず事故が起こる。そんなところで農業をする身としては、来るかもしれない原発事故に備えて、できるだけ知識をためシミュレーションする必要がある。本書を読んで土壌が放射性物質を吸着してくれて、自然界での拡散もメカニズムがわかってきたのはよかった。だが、土壌が吸着してくれても、放射線が出なくなるわけじゃない。耕作者はその放射線が出る耕地で土をいじり、作業し、作物を育てなければいけない。表土をはぎ取れば、土づくりを命として考えてきた農業そのものが存続できない。そして作物に取り込まれていないといくら検査して、風評被害はあとをひかないだろう。

ここでのこの自然と一緒に歩む生活を、ほんとうに小さな幸せの連続の生活でまったく豪奢な生活でもなんでもないのだが、その生活そのものを奪う権利なんて誰にもないはずだ。それとも誰か原発が必要な人たちの発展のために、僕らはこの生活をいつでも投げだす覚悟を持っていないといけないのだろうか?いったい誰が、どんな権力で、そしてどんな信託を誰から受けて、この21世紀のデモクラシーの世界でそれを強要するのだろうか?
僕は願う。できるだけ早く原発をとめてほしい、と。



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映画「100,000年後の安全」を
インドネシアの研修生たちと観て
ディスカッションをする。
農業とグローバリゼーションの座学では、
さまざまな地球規模の問題を取り上げている。
とてもじゃないが、それらの問題に答えは
出せないけど、それを意識しながら
営農するスタイルを確立するために
この座学をやっている。
今回は原発。

日本の政権が原発を輸出するといって
あちこちに広めようとしているが、
そのうちの一つにインドネシアも挙げられている。
経済成長著しいインドネシアでは、
消費電力がうなぎ上り。
経済発展を下支えする電力供給は必須課題だ。
だが、中部ジャワの巨大火力発電計画は、
日本の商社の社員が誘拐されるほど混乱している。
しかもCO2排出量が増えるような発電方法は
もう温暖化の変化が急激になってきている昨今、
止めるべきだと思う。
では、水力発電は?
かつて建設したコタパンジャンダムのような
大型水力発電は、その後の社会混乱と訴訟の連続で、
今の日本では開発に手を出さない。
そしてその分野では、今や日本企業に代わって、
中国企業が頑張っている状況だ。
研修卒業生のタタンの地域の近くで
東南アジア最大の水力発電を建設中だ。
じゃぁ、小水力はどうだろう?
なんてことになっても僕は専門家じゃないので
答えられません。
ただ、日本でもそうだけど
開水路の場合、ごみがとてつもなく多いので、
それをどう解決するか、なかなかいい方法がない。
パイプラインなら可能だけど、
それを敷設する方が発電よりもエネルギーを使いそう。

とまぁ、発電方法についてはこのくらいにして
本題に入ろう。
100,000年後の安全の映画では、
使用済み燃料の問題を取り扱っている。
原発は様々な問題を抱えたまま動いているけど、
あまり議論になっていないのが、
使用済み燃料の安全な廃棄方法だろう。
最終処分場なんて言葉を聞いたことないだろうか。
使用済み燃料を最後に処分する場所のことだけど、
実は、これ世界中でまだ1ヵ所しかない。
あとは中間貯蔵施設というとても曖昧な
人を煙に巻くような言葉の場所に保管してある。
なんてことはない。
原発施設内のプールに行儀よく並べてあるだけだ。
だからフクシマのように
大きな地震と津波が襲えば、プールが壊れて水が抜け、
管理できなくなるというとても脆弱で危ない保管方法なのだ。
だから中間貯蔵施設なんて言葉を使うんだろうね。
で、地震のないところにプールを作れば?
と思った貴方、問題はそんな時間軸にないんですよ。
使用済み燃料が生命(人間)に無害になるまでの時間は
100,000年もかかるのだ。
ちょっと気が遠くなる話。
100,000年前というと、ネアンデルタール人が
洞窟に意味不明だけど芸術性の高い絵を描いている頃。
もはや100,000年後は、ホモサピエンスではなく
ほかの種の人間、もしくは知的生命体がいるかもしれない。
そんな時間軸での処理が必要なのが使用済み燃料というわけ。

映画ではオンカロという世界でたった一つの
フィンランドの最終処分場が舞台だ。
さまざまな専門家が、
100,000年先までその施設が安全かどうかを
淡々とインタビュー形式で話をしている映画だった。
オンカロですべての原発の廃棄物を処理できるのかと言えば、
答えはNO!
フィンランド分だけだそうだ。
原発の発電量がフィンランドの30倍あるアメリカの場合、
そういう場所を単純に考えれば30個は必要ということになるね。
ちなみに日本はフィンランドの17倍。
オンカロでは10億年も安定した岩盤に埋め込むそうだが、
そんな岩盤、日本領土内に17か所もあるんだろうか?

施設が地震や地割れや地殻変動で動けば、
損傷を受けることは間違いない。
1000年に1回は大地震に見舞われる日出づる国では、
最終処分場は無理だろう。

災害以外にも問題がある。
映画ではそれが一番の問題としていた。
それは僕たち人間。
好奇心旺盛で利にさとく、冒険心に溢れ、危険を顧みない。
そんな僕らは、
ご先祖たちが託した「開けてはいけない」という
メッセージを無視して、
すべての遺跡を開けてしまった。
いやいや、これから反省してもう開けません、と言っても
信用ならない。
そんな僕らが未来の人類に
「ここは危険だから決して開けてはいけない」と
メッセージを残しても、なんだか空しいだけだ。
みんなで覚えていたらいい、というが、
僕らの周りに100,000年なんて贅沢言わないから、
10,000年前の記憶や物語が受け継がれているかどうか
考えてみたらいい。
小学生だってわかるよ、無理だよね。

好奇心で開ける場合もあれば、
確信犯的に開ける場合もあるだろう。
原発の燃料になるウランは、
ビックバンの時に出来上がった物質で
当然崩壊し続けながら今日まで残っている分を
使っている。
そしてそれはほとんど残っていない。
今後100年ももつかどうかだ。
そして、その100年くらいを謳歌するために、
そのあとの100,000年を無駄にするのが
僕らの文明なんだ。
で、エネルギーが枯渇する未来にとって、
この使用済み燃料は膨大なエネルギーに見えたりする。
一時まことしやかに使用済み燃料はリサイクルできると
電力会社は広告していたが、
それは無理な話だ。
コントロールが格段に難しくなるし
事故率も高く、その施設の事故となると
フクシマどころの話ではない。
リサイクルはできない。

でもそれができると信じて
民にエネルギーを与えるんだ!という指導者が
現れたら大変だ。
その時代はエネルギーも不足しているだろうから、
その人の支持率もたぶん高いだろうな。
成功と失敗の可能性が半々だとしても
やってしまう指導者もいるかもしれないね。
それは歴史から僕らが考えれば、答えは明らかだ。

「そんなことは知らないよ、今が大事」という方も
いるかもしれないね。
エネルギーが供給されないと経済成長できないから。
トリクルダウンの論理で、世界隅々まで
資本主義で覆いつくし、限りなく生産性を高めるには、
地球は小さすぎた。
気候変動の原因になるCO2を排出しない
原子力発電は、まさにサタンだ。
僕らが欲しいリンゴをくれるが、
それは僕らの未来と引き換えだなんて。

インドネシアなどの海外で
そのサタンを進めようというのだから
正気じゃない。
電力確保は日系企業の緊急課題だろうし、
火力発電の失敗や大型水力発電に
手を出さないのなら、
原子力ってわけか?
それだけでなく、僕らはもう少し
意地悪に考えてしまう。

日本に使用済み燃料を捨てる場所が
ないのなら、海外に作ればいいって
政府は、原子力発電にかかわる人たちは
思っていないだろうか。
国際協力なんて言葉で、
海外の「安定した場所」と決めつけた場所に
使用済み燃料を資金援助と一緒に埋め込もうなんて
そんなこと考えていやしないだろうか。

海外にも原発を広めてしまえば、
当然、そこにも使用済み燃料が出てくる。
そしてそれも処分しないといけないだろう。
その処分する場所に、
日本が技術と資金を援助するから、その場所に一緒に
埋めようってなるかもしれない。

都市の産業廃棄物をどこで処理してきたか、
都市に電力を供給するためにどこに原発を建ててきたか、
それが世界規模で考えてみたら、
僕らの意地悪な想像図に行きつくだろう。

研修生たちとの議論では答えは出なかった。
反対はするけど、僕らは昔の生活には戻れない。
「100,000年後の安全」ぜひ見てほしい。
小泉さんが急に反原発になったのも
なんだかうなずけたのは余談。




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えっと、簡単な記録として
このエントリーを書こう。
今回はもうすぐ就農4年目になる林君。
本はこれ。
増田芳雄 監修 山本良一・櫻井直樹 著
「絵とき 植物生理学入門 」

光合成に特化してプレゼンしてくれた。
光合成が全光の1%しか使用していないとか、
水と二酸化炭素がどうしてエネルギーと酸素に変わるのか、
どういう条件でよく光合成が行われるのか、
などなど、植物生理学的に細かく説明してくれた。

なんとなく、
光が当たれば光合成するんじゃねーの?
みたいに思っていた僕らには、
とてもわかりやすい説明でよかった。
けど、ここで再現するのはしんどいので、
知りたい人は勉強会に来てくださーい。

さて所感。
光合成の条件が温度と湿度(水分)と光と二酸化炭素濃度なので
それを調整できればいいのだが、
意外に夏はそのコントロールができない。
気温が30度超えてくると、光合成量は減っていってしまうので。
促成栽培ならば、その理論を活かせるかもしれないけどね。
うちの農園では
4月~6月くらいまでの話かな。
オランダのように冬は加温・夏は冷房をする
完全に環境をコントロールするハウスならば
それも可能だけど、
北野君のプレゼンの「フェアな未来へ」の視点からすれば、
より資源を搾取した世界の貧困の上に成り立つ栽培法だよね。
どんどはれ。




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簡単な記録として、
このカテゴリを再開しよう。
ちなみに勉強会は毎週水曜日12:45から
農園の和室ミーティングルームにて行っている。

2月26日は研修生北野君の発表。
本は、これ。
ヴォルフガング・ザックス&ティルマン・ザンタリウス 著
「フェアな未来へ」:誰もが予想しながらも自分に責任があるとは考えない問題に私たちはどう向き合っていくべきか。
もうすぐ青年海外協力隊に参加する
彼らしい本のプレゼンだった。

グローバリゼーションが進むなか、
持続可能な世界のあり方に主に環境面から
切り込んでいる印象だ。

資源の分配はアンフェアだし、
インドの家族がドイツの世帯と同じだけ車を所有すると
酸素量から地球が1個では足りないのだから、
経済成長至上主義でいけば、
当然僕らはこの星に暮らせなくなるわけだ。

まぁ、この本では「国」を一つの単位として
国家間でのフェアについて話をしているが、
もはやそんなものは幻想に近い。
国と国を跨いで活動する
インターナショナル企業によって、
また広域の自由貿易エリアの出現によって、
国家の機能は、
そういったインターナショナル企業の番頭でしかない。
南北問題は今や国家間ではなく、国内問題と言った方が
いいかもしれない。

僕らの住むエリアで、僕らがどう暮らしたいか、
そんなことに多様な価値を生み出せたらいいのだけど、
毎年のように数千人と若者を都市に取られ続ける
ここ福井では、僕らが高齢化すればするほど
それは年寄りの世迷言になるのかもしれないな。
みんな、教えてほしい。都市のどこがいいんだ?
都市を憧れる君らの根底と
世界中のアンフェアは、僕にはつながって見えるんだけど。



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うちの農園で農業研修を受けた卒業生たちを訪ね歩く
営農調査2014はヘンドラの村を最後に終了したが、
そのあと、協力関係にあるタンジュンサリ農業高校に
表敬訪問したので、それもあとがきのように記録しておこう。

毎度のようにタンジュンサリ農業高校での
おもてなしは度が過ぎていて、
校長先生から教頭、教務主任の先生やら
えらいお役職のある方が次から次へと
校長室にやってきて挨拶を交わした。

この懇談の中で、研修卒業生たちの営農や
スメダン県ひいては西ジャワ州の農業についても
忌憚ない意見を交わすことができた。
流通網の未整備とオープンな卸売市場がないのは
小さな農家を食い物にしやすい社会の仕組みを
助長しているようにも見える。
新たな販路を、と先生たちは言うが、
そんな言葉は「マーケティング」といった
曖昧で中身が見えない呪文のようにしか、
僕の耳には届かなかった。
なぜなら僕はこの3日間で
農家がどのように生計を立て、
どのような戦略で立ち向かっているかをつぶさに
見てきたからだ。
僕もどこかで「マーケティング」という呪文を
信じていたし、もう少し具体的に輸送力の強化が
大切だとも思っていた。
でも、それは現場では絵空事に近かった。
僕も高校も、もっともっと現場で考えないといけない。

そんなやり取りの中で、
ちょっと想像していなかった提案を
農業高校側から受けた。
それは、耕志の会の事務所を学校内に設けないか?
という提案だった。
いつか、僕らがやっているこうした取り組みを
インドネシアで実際に還元していく活動を
行えたら素敵だな、と思っていたが、
日々の農作業と日常生活の忙しさで、
僕はその考えを実行に移そうとは
まったくもって思ったことはなかった。
だが、今回の視察で
やはり卒業生支援に向けて
何かやるのなら拠点が必要だなぁ、
とややぼんやりと思っていた。
そこへこうした具体的な提案を受け、
正直驚いた。
僕が知っているインドネシアの場合、
こうした申し出は僕らの方からお願いして
こちらのお金で開設するといった場合なのだが、
今回のようにあちらからこちらの活動を評価してくれて、
事務所開設にかかる経費とランニングコストの一部を
学校が負担するような形だなんて
本当に驚きだった。

卒業生のそれぞれの活動を
一つの組織としてまとめあげることに
実はそれほど僕は意味を感じていないが、
僕らのやっている活動を
広報しつつ、日本で行っているような研修の一部を
この事務所を通してこちらでやっても
面白いかもしれない。
拠点があれば、今までできなかった活動も
生まれてくるかもしれない。

ただ僕はこの事務所開設には
僕なりに金銭的には責任を持つつもりだが、
活動そのものは卒業生たちに任せたいと思う。
どういう拠点にしていくかは彼らが決めればいい。
その中で僕が手伝えることを、僕はやろうと思う。

こうして、
今年からタンジュンサリ農業高校内に
僕たちの事務所を開設することになった。

そしてもう一つ農業高校から提案があった。
それは、僕の授業をここで行ってほしいというものだった。
次に来たときは、必ず農業の授業をしてほしい、と
校長先生から強くお願いされた。
これもいつかはやりたいと思っていただけに、
嬉しい提案だった。

こうして予想もしない提案をたくさん受けて、
浮かれてしまった僕は、
ふわふわした気分で農業高校を後にした。
そして、そんな浮かれ気分の僕は、
農業高校に日本で使っている携帯電話を置き忘れてしまい、
飛行機のチェックイン直前に
農業高校の運転手が滑り込みセーフで
バンドゥンの空港まで届けてくれたのは余談。

こうして今回の調査旅行は終わった。
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さらに見学は続く。
次は谷を下り、
谷の向こう側の畑へ行った。
とこう書いてしまえば1行なのだが、
その畑までいくのはなかなかの困難が多く、
けもの道のような道を足を取られながら下り、
崖を少し削ったような細道を
おびえながら通り過ぎなければならない。
僕らは手ぶらで歩いていけばいいが、
ここに住む農民たちは、
肥料や農作業道具、そして収穫物を担いで、
毎日この道を行き来するのだ。
彼らの日常が、ただもうそれだけで
英雄譚のようにも感じられた。

3か所目の畑は、
そこは切り立った崖のような斜面を
テラス状に耕し畑にしていた。
ヘンドラが帰国した年(2011年)に親戚から購入した。
45aの畑で、結構な広さだった。

帰国してすぐにこの畑に、トウガラシ約1万本を
ヘンドラは植えつけたらしい。
新規就農者が一度はやる失敗ともいえるかもしれない。
育苗と定植のときは、結構作業が楽だし、
小さな苗を見ていると1000本でも2000本でも
楽勝で管理できる気がしてしまう。
そうやって植えつけた畑は、大抵、
収穫時期に地獄を見ることになる。
ヘンドラの場合は、
この時期にインドネシアでも最大手のABCケチャップ社と
契約栽培を検討している時期でもあり、
大規模のトウガラシ栽培が可能かどうか
冒険していたころだったので、
1万本という途方もない数を植え付けてしまったのだろう。
当然管理が行き届かず、
支柱と結束が十分でなかったこともあり、
十分大きく育ったトウガラシは、
谷風が強い日にその多くが折れてしまった。
そして残ったトウガラシも収穫が追い付かず
大量に廃棄になってしまった。
そしてグループによるABCケチャップ社との
有機トウガラシ栽培契約も
その他の要因もあって立ち消えた。
(詳しくは、2013年の調査エントリーを参照のこと)

この経験は彼に多くの学びを与えた。
自分たちが出来る営農の限界と販路の問題にぶち当たり、
彼が出した答えは、
如何にして高く売れるかを至上とするよりも、
確実に売れることを優先しようということだった。
そしてそれは、営農のモノカルチャー化を避け、
労働の分散とリスク回避の中で行われるべきだと
彼は考えていた。
だから彼の畑はどれもこれもその思想で溢れていた。

3番目の畑は
野菜には向かないし、労働の分散も考えて、
今はここに丁子とバナナを植え付けようと準備中だった。
毎日の収穫は集落近くの畑で賄い、
この畑のように少し遠い場所では果樹をするといった
デザインを彼は想い描いていた。

丁子は現在高値で取引されていた。
嘘か真か、農家との話では、
スメダンの丁子畑の多くが、
建設中の高速道路の用地や住宅地として売却されたという。
それで昨年の丁子の価格は一昨年の倍の価格で、
スメダン近辺ではにわかに丁子栽培のブームが起きていた。
スメダンの一部の畑が高速道路に変わっただけで、
そんなに価格変動するものだろうか?と
やや僕は懐疑的なのだが、
農家はそう認識していた。
そしてここが大事だが、
その認識に合わせて、農家の行動として
丁子を大量に植えつけていたということである。
丁子が収穫できる5年後、そして収穫が本格的になる10年後に
大量の丁子が収穫され、価格が一気に下落するんじゃないか?
そんな心配をしている。

そしてそれはヘンドラやタタンも認識していた。
周りの農家たちが丁子ブームに沸く中、
彼らもある意味冷めた目でそれを見てはいたが、
だからと言って、
そのブームを無視して独立独歩を貫くことはできず、
彼らも大量の丁子を植え付けていた。
もう少しこの丁子ブームの情報があれば、
その市場や高値を生み出している構造を分析でき、
将来どういう値段の推移をするのか、
考えることができるのだが、
そのあたりの多くは噂話で事が進んでいく危うさもあった。
そういうことは、
農業研修の
農業構造論とグローバリゼーションと農業の授業でもやるのだが、
彼ら農家の立場では、アクセスできる農業情報が
圧倒的に少ないため、まともに分析できないのが現状だろう。

ただヘンドラは、丁子が育つまでの間のタイムラグを
埋めるために、バナナとの混植をしていた。
バナナは植えつけ1年目から収穫可能で、
換金性も高い。
頻繁に管理しなくてもいいので、3番目の畑には
もってこいの作物でもあった。
ヘンドラたちの
現場でのこうした対応能力は非常に高いだけに、
農業を取り巻く全体像が
見えないことがやはり悔やまれる。

ヘンドラの営農は、畑ごとに
そのリズムは分かれていたが、
それは彼が導き出した農のカタチなのだろう。
1番目と2番目の畑では、
日々売れる野菜とやや高く買ってもらえる野菜を
組み合わせて、販路に合わせた作付けをしていた。
毎日少しずつの収穫と播種を繰り返す営農スタイルで、
確実に売れる野菜を作っていた。
選別を徹底しているヘンドラの野菜は、
商人から厚い信頼を得ているとのことだった。
またそれを担保している育苗技術も
素晴らしいものがあった。
日本で見た育苗技術を取り入れ、
個人で大量に野菜の苗を作る技術を確立していた。
そしてその一方で3番目の畑のように
手入れがほとんどいらず、
やや粗放型の果樹園も計画していた。
他にも羊を8頭飼い、
急な出費にも対応できるようにしていた。
労働とリスクを分散させ、
確実に売れる野菜とそれを支える技術、
現場で複雑に対応していた彼の背中は頼もしかった。

さらに驚くべきことは、
彼が若干27歳にして、集落長に選ばれていたことだった。
彼の父は集落長ではない。
だから世襲ではなく、住民から選ばれた集落長なのだ。
僕はこれまでいろんなインドネシアの農村で調査をしてきたが、
彼ほど若い世襲でない集落長を知らない。
住民の厚い信頼がなければ、ありえない役職だった。
さらに、今度の4月にインドネシアは大統領選挙と
国会議員選挙があるのだが、
彼は村の選挙管理委員会の委員長になっていた。
前年に行われたスメダンの知事選でも
村の選挙管理委員会の委員長だったらしい。
いつのまにか、ヘンドラは地域の有力者になっていた。

彼自身、
「農業はまだまだ成功とは言えません」と
言っていたように、畑には多くの苦悩を感じた。
だがそれと同じだけの、いやそれ以上の希望もまた僕は感じた。
こうしてヘンドラの村を後にした。



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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

メールは
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