今年もこれを書く日がやってきた。
今年最後のエントリー、今年の10大ニュース!

まずは、10位
『セネガルのイブライが農園を去る』
3月、これまで4年間農園に貢献してくれた
セネガル人のイブライが退職した。
ムードメーカーの彼がいなくなったのは、
やはりさみしい。
イブライ、今まで本当にありがとう。

9位
『農園開放BBQ食べよう会の開催』
今年は、3回農園を開放して一般のお客さんを呼んで
みんなで野菜のBBQを楽しんだ。
県外からも来ていただき、本当ににぎやかな会だった。
食べてくれる人とつながっているという意識が、
僕らの農業を健全にする。
距離や農法の問題じゃないんだ、と僕は感じた。

8位
『地上で執筆開始』
いつかは全国に発行される刊行物に執筆したい
と思っていたが、今年そのチャンスが回ってきた。
農業の業界紙『地上』に連載を開始。
3か月に1回掲載されるリレー連載で、
今年は3回掲載された。
農業の現場でのリアルな思いを書いてください、
と編集の方に言われ、
勝手気ままに、好きなことを書いた。
これほど幸せな時間はないだろうな。
これからも
もっともっと書いて記録して発信していこうと思う。

7位
『大ちゃんの結婚式の主賓』
こんな役が自分に回ってくるとは考えたこともなかった。
誰かの結婚式の主賓はたいていは
上司やお世話になった先生や
とにかく人生経験に厚みがあって偉い人、
というイメージだった。
だから、それをお願いされたとき、本当に驚いた。
当日の主賓挨拶では
これまでのどの講演やスピーチよりも緊張した。
2年前の東京の日比谷公会堂でのスピーチの方が
まだ緊張しなかった。
とにかく重責を果たせてよかった。

6位
『テレビ収録のダブルヘッター』
今をときめく人たちならば、そんなのは慣れっこなんだろうけど、
たぶん、ぼくは人生で最初で最後の出来事だろう。
1日に午前と午後に分かれて、
別々のテレビの収録を経験した。
午前は、日テレで関東と関西限定で放送された
あぐりんの家という番組の収録。
午後は、福井テレビというローカル局。
でもやってきたタレントさんは、
なんとあのルイルイの太川陽介さんだった。
テレビで見ていた有名人が目の前までやってくるのは
なんとも不思議な光景だった。

5位
『タタンの帰国&ジャジャンの来日』
2010年にやってきたタタンが3年の研修を終え
無事に帰国した。
彼はとても控えめの性格だったが、
芯が強く、とても勉強熱心だった。
彼の卒業研究はとても素晴らしい出来だった。
彼との別れは涙々だった。
皆、彼が大好きで、彼もみんなが大好きだった。
ありがとう、タタン。

そして、その一方で
今度はジャジャンという青年がやってきた。
音楽が好きで、とても陽気な青年。
さぁ、悲しんでる暇なんてない。
ジャジャン、一緒に勉強を始めようじゃないか。

4位
『協力隊に行きたいという若者を受け入れる』
青年海外協力隊にいきたいという若者・北野君を受け入れる。
彼は2010年に大学生の時、農園に体験で遊びに来たことがあった。
海外には全く興味がないと言っていた彼が、
何がどう変化したのか、2年後に農園に
青年海外協力隊に参加したいので研修させてください、
とやってきたのだ。
なんとか試験にも合格し、来年4月から訓練に入り、
7月には任地・セネガルに赴く。
僕はもう長期で海外に行けないけど、
こうして後に続いてくれる人を
これからも送りだしていけたらいいなと思う。

3位
『大西の新築・佐藤の野菜ソムリエ』
スタッフの大西が集落に土地を買い、
一戸建てを新築した。
住民の高齢化がすすむ小さな集落では、
これほどの珍事はなく、
間違いなく村では今年一番のニュースだった。
彼が住まいを集落に構えたことで、
僕らの営農もずいぶんと発展してくるんだと思う。
これからもよろしくです。

そして、もう一人のスタッフの佐藤は、
難関の野菜ソムリエ中級に一発合格した。
僕らはもっと食べてくれる人たちを意識して
発信していこうと思っていたのだが、
それを大きく発展してくれそうな資格取得だった。

二人のスタッフを迎えてから、
僕の営農は大きく変わった。もはや僕の範疇にあるのではなく、
僕らみんなの間に僕らの農業がある、そんな感じなのだ。
このカタチを来年ももっともっと発展できたら素敵だな。

2位
『研修卒業生を訪ねる』
今年の正月に、研修卒業生を訪ねて回った。
彼らのたくましい営農ぶりに本当に感動した。
研修の目的は常々
新しい技術の習得ではなく、
そして僕らの社会に存在する技術を移転することでもない
と書いてきた。
目的はただ一つ。
考える農民を育てること。
僕らのまわりすべてに対し意識化して
個人にとって、そして社会にとって必要だと思う
学習をどんどん自らで進めていく、
そんな農民像を僕は思い描いて
この研修を行っている。
まだまだビジネス的には成功していない様子だったが、
彼らは間違いなく『考える農民』だった。
物理的・資金的・政治的制約に
文句を垂れて何もしない農家ではなく、
できるところから解決し、
問題全体の一部にでも風穴を開けていける
そんな突破力をもった農家になっていた。
社会を変える力とは
こんな人々から生まれてくるんだと
僕は信じている。
だから、僕も立ち止まらず
このまま前のめりで駆け抜けていこうと思った。

1位
『アカペラコンサートの開催』
もうこれしかないでしょ、というくらい
脳内のアドレナリンが出た活動はない。
地域というのが一つになったという体感を味わう瞬間は
たぶん人生でもそうないだろう。
その一つが、今年、実現した。
JA青壮年部河合支部が中心になって、
JA福井市河合支店の新築オープンを祝って
アカペラコンサートを企画・開催した。
ここでいろいろ書いても、
その時の感動は再現できないので、
以前書いたエントリーを参考していただけたら幸いだ。

そして、順位をつけようのない出来事が一つ。
『祖父・清治の死去』
享年88歳。
いろんな昔話や逸話を通じて、
ムラや農ある暮らしの意味を僕に教えてくれた
僕の偉大な先生だった。
その本当の価値に気が付くまでに、
僕はずいぶん遠回りをしてしまったけど。
これも詳細は以前書いたエントリーに譲りたい。

他にも
福井若者チャレンジの審査委員長を務めたり、
講演の機会をいただいたり、
ハウスを増設して借金が増えたり、
新聞の小さなコラムの連載を続けさせていただいたり、
いろんなお客さんが国内外からやってきていただいたり、
勉強会を毎週やって(今年も30回程度開催)みんなで勉強したり、
研修生の座学でお互いに学びあったり、
家族みんなが忙しくも楽しく過ごしたり、
本当にいろんなことがあった1年だった。

関わってくださった、そしてご縁のあった
皆様、本当にありがとうございました。
そして、こんなブログに1年間付き合っていただいた皆様
本当にありがとうございました。
読んでくださる人がいるからこそ、
ブログを続けていけるんだと思います。
また来年もつまらないと言われようと
書き続けていくつもりですので、
よろしくお付き合いの程、お願いいたします。
では、よいお年を。


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ちょっと親バカ&自慢。

娘が書いた詩が、
福井市の小学校の詩集に載った。

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大掃除真っ最中のこの時期に、
僕の誕生日を迎える。
台所の大掃除を行っていた妻は
それでも豪勢な料理をしてくれた。
いつも愛用していたオーブンレンジが
前日に壊れてしまったが、
蒸し器とフライパンを駆使して
僕の好物の
チーズケーキを焼いてくれた。

プレゼントも娘と一緒に内緒で
用意してくれた。

いつもありがとう。
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今年も、もうすぐ暮れる。
その前に、研修2年目のイラのことも
記録しておこう。

以前のエントリーでも紹介したように
彼は羊の飼育ビジネスを目指している。
来日当初から1年目が終わるころまでは、
ベビーリーフ栽培を夢見ていたのだが、
彼の住む地域では、乾季にどうしても水の確保が難しく、
野菜栽培にはなかなかハードルが高いと
判断したようだ。

井戸でも掘ればあるんじゃないか?
と僕も思ったのだが、そんな簡単でもなさそうだった。
どれほど水に不便なのかは、こんな話がイラの村にはある。
数年前の事、彼の集落の女性が、
マレーシアに出稼ぎに行った時に、
ドイツ人実業家に見初められて結婚した。
その実業家は、イラの集落に広い土地を買い、
大きな家を建てた。
「10億ルピアの家」と呼ばれるほどの御殿だった。
水が不便だったということで、
大金をかけてその実業家は井戸を何本も掘ったそうだが、
どこからも水は出なかった。
家が建った当初は、妻と二人でバイクに乗り、
近くの川まで水をくみをする姿が目撃されたが、
今ではその家にはだれも住んでおらず、
家は4億ルピアで売りに出されているとか。
以上は、余談である。

さて、
ではなぜ羊なのか。
それは彼の集落では、もともと羊の飼育が盛んだったからだ。
ただそれは肉食用の羊ではない。
闘鶏や闘犬のように羊同士を戦わせる闘羊が
彼の集落では盛んで、
その闘羊用に羊を飼育しているのだとか。
ちなみに賭け事を含む闘羊は、法律では禁止されているが、
集落に住む軍人のえらさんの家で
インフォーマルにだが、大々的に行われているらしい。
勝った羊の血統はもてはやされ、
ブリーダーとして名声を得るとか。

イラの計画では、
闘羊用に数頭飼育し、
大多数は食肉用に飼育するとのことだった。
闘羊で勝利し、ブリーダーとして名声を得ると、
その家の羊は食肉用だとしても
価格がよくなると彼は言う。
たとえそれが品種的に全く違うものであっても
そのブリーダーの飼育技術が高く評価されるとのことだった。

すでに飼育用の土地も購入し、
兄弟が彼の資金を元手に飼育を開始しているとのことだった。
彼は帰国後に20頭ほど羊を購入し
年に3回ほど全頭を出荷する計画を立てている。
彼の試算では、
年間に1億5000万ルピアの売り上げになるとのことだった。
結構な売上金額だ。

ただ、問題がないわけではない。
彼の地域は水がほとんどない。
ということは、飼育に必要な飼料の確保が
むずかしいということだ。
雨季は、その辺の草を刈りこんで与えればいいが、
乾季は、その草さえも枯れてしまう。
村人が自由に餌になる草をとってもいい土地があるらしいが、
今の状況にイラが年間延べ60頭も増やせば、
そのキャパシティは超えてしまうだろう。
そこでここ数か月は
飼料の必要量とそれを確保するために必要な面積などを
計算し、その土地を確保することを彼は考えていた。
なんとか目途はたったが、
土地があってもやはり水のない乾季は草がなくなってしまう。
そこで、来年3年生の卒業研究では、
日本で飼料づくりについて学びたいと考えているようだ。
最近は、飼料に関係する文献も読み始めている。

少しずつだが、でも確実に彼は
自分の目指すビジネスに向かって歩みを進めている。
まさにこれこそが
僕がこの研修で目指す「考える農民」に他ならない。
僕も家畜飼育は門外漢ではあるが、
できる限りサポートしていきたい。


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といったのは僕の娘。
冬休みに入り、児童クラブに通っている。
妻が仕事でいないので、
児童クラブへ持っていくお弁当は僕の担当だ。

最近覚えた手抜き技で、
野菜をシリコンスチーマーで蒸して、
それをお弁当に詰めていた時、
それを横で見ていた娘が、
「これはみんなびっくりするわ」
とノタマッタ。

シリコンスチーマーの技ではなく、
その野菜についてのコメントだった。
何がそんなに驚くのだろうかと不思議に思っていたら、
彼女は、
「だって、白いブロッコリーなんてびっくりやもの」
という。
いやいや、それはただの白いカリフラワーだよ。
というと、彼女は、
「えっ、白のカリフラワーってあるんか?」
だってさ。

我が家では、カリフラワーは、
ムラサキだったりオレンジだったり。
ダイコンは赤だったりミドリだったり。
さつまいものオレンジだったりムラサキだったり。
ブロッコリーは緑だけど、
茎の長いスティックブロッコリーだ。
そんな環境で育つと
たまに普通の野菜を入れると
それだけで彼女は驚いてしまうらしい。



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今回はインドネシア農業研修2年目の
カダルスマン君を記録しよう。

土地がほとんどない彼は
集落の庭先で取れたバナナを加工して(チップス)、
生計を立てようと考えていた。
今年度の前期の授業でビジネスプランを
みんなで立てる試験を行ったのだが、
その時にカダルスマンの地域をモデルにクスワントが
立てたビジネスモデルが、彼に大きな影響を与えた。
そのエントリーの詳細はこちらから

単一の作物を加工するのではなく、
いろいろな野菜をチップスにするというプランで、
このプレゼンの後、
カダルスマンの帰国後の夢は
バナナ単品の加工から地域で取れる果樹全般の加工へと
切り替わっていった。
そしてチップスをどう生産していくか、
その問題もあるのだが、最近はもっぱら
どこへ売るのかがテーマになっている。

カダルスマンのアイディアは、
地域内にある市場(伝統的な)や小中高などの学校の売店、
そして少し先の将来として、
エリアを広げて、バンドンのお土産屋街に売るなどを
考えていた。

モノを売る時、
2つの考え方が基本的にはあるだろう。
まず、どんなモノを生産するのか、実際の技術的な部分や
個人的なこだわりや地域のこだわりなどを考えて
販売する市場を選択するやり方がある。
結構生産者はこの考え方が多い。
その反対に、実際にアクセスできる市場を特定して、
その市場の特性に合わせて生産を考える
やり方もある。
カダルスマンは2番目のアプローチで
販売をちょっとぼんやりとだけど考えていた。

地域の市場や小中高の売店で販売するのなら
(特に学校がメインらしい)、
価格は安くないといけない。
小中高の子たちが毎日いくらくらい自由なお金を
もっているのかが、価格に反映されなければいけないだろう。
スメダン県付近の高校生の実情としては、
お小遣いは毎日5000ルピアくらいが相場らしい。
この中にはミニバスなどの通学に必要な交通費も含まれている。
だいたい行き返りで4000ルピアくらい使ってしまうので、
毎日買ってもらおうと思うと
1000ルピア以下の価格に設定しないといけないが、
まぁ、あまり現実的な金額じゃない。
それが2000ルピアだとしても、
売店への手数料もあるので、やはり薄利は
間違いない。
となると、出来るだけ大量に、
しかも安く生産する方法を見つけないといけないだろう。

そんな議論をみんなでしていたのだが、
当の本人であるカダルスマンは
どうもそこまで考えていなかったようで
やや困惑気味だった。
もしカダルスマンにこんな商品で勝負するんだという
こだわりがあるのなら、そのこだわりを解ってくれる
市場を探す必要があるが、
その質問に彼は、やはり学校など
現実的にアクセスできる市場に販売したいという。
ある意味、彼は自分と周りの状況を良く理解している。
彼は土地を持たず、生産から考えることが
ほとんど難しい状況だ。
だから村で良く栽培されている果樹、
目的は自家用+お小遣い程度の収入期待程度の果樹を
買い集めて、それを加工しようとしている。
それを販売するエリアも
初めは地域の学校がターゲットにしている。
それはそれでとても面白い。
なんでもかんでも高品質で
高級レストランなどに売るんだ、
というよりもとても現実的で面白い。

そうなると次の問題は、
どう安く、そしてある程度儲けが出るだけの量を
どう生産していくかが問題だろう。
凄く儲かるのならそれにこしたことはないが、
最低限カダルスマンの世帯が暮らせるだけの儲けは
必要だろう。

そしてその売店でも多様な商品は存在しているわけで、
そこでどうやって勝ち残るかが鍵だろう。
子供、スナック菓子と連想すると、
やはり「健康」というキーワードは外せないだろうなぁ。
でもカダルスマンはまだまだそこまでは思い至らないようで、
FacebookやラジオでCMします、と答えてくれた。
君の周りの子供たちがラジオを聞いたりFacebookをしているのか?
と聞くと、どうもそんなことはないようで、
なかなかターゲットになる消費者に対するアプローチはまだまだだ。

本当は健康みたいなキーワードから発していけば、
佐藤君と一緒にやっているような食べ方や栄養の勉強が
もっと活きてきて、
課外授業として学校で健康と食について
彼が教えて回るなんていうのも
その地域の問題を解決するビジネスになったりもするのだが、
まぁ、それは僕の先走りか。

とにかく、現実的に販路を考えている彼に
このまま寄り添って、
僕の先走ったアイディアも埋め込んでみようか。
たぶん、すこし時間がかかるだろうけど、
また想像もしなかった化学反応が
起きることを楽しみにしてゆっくり取り組んでみよう。


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日曜日は、むらの総会の1日。
昼の1時から夕方5時まで、
村の3つの団体が立て続けに
活動報告と収支報告を行った。

その内、今回記録しようと思うのは、
農家組合。
農家組合が何をするところかと言えば、
行政から下りてくる田んぼに関する政策、
とくに生産調整(減反)に関して、
村の中で調整を行い、
それぞれがよりよい営農に向けて
環境を整えていく組織だと言えよう。

今回の総会も
例年通りややもめていた。
これまで何度かここでも書いたような
温泉旅行問題ではなく、
今回はもっと本質的な部分で
問題を提起する方が居た。
その問題とは、減反を軽減させるために
村全体で取り組んでいる加工用米に対する
各世帯に対する補てん金の存在だった。

村である程度の面積を作っている農家に
加工用米を作付けしてもらい、
それで各戸の減反率を数パーセント引き下げる。
そして、加工用米を作ってくれた農家に対して
損が出た分を田んぼを持っている世帯全体で
補てんしている。
加工用米はコシヒカリよりも
販売価格が低いからである。
そして、これを取りまとめしているのが農家組合。

この問題は、いくつかの部分で
この地権者と僕ら農家組合経験者とで、
認識のズレがある。

まず制度的な認識のズレだ。
減反は基本は個人に振り分けられるモノだ。
そしてその個人は地権者だ。
それを市役所から委託され、
農家組合が集落の減反を調整して、
市役所に報告している。
だから減反の現地確認には、
農家組合長が同行することになっている。

そして農家組合は地権者で成り立っているので
耕作者に対してだけに盛(組合費)を
請求することはしないし、
手間的に考えても出来ない。
耕作者はその時々で変化するし、
耕作面積も常に一定じゃない。
しかも、このご時世、
耕作者は決して集落内ではなく、
地区外の耕作者も多い。
そこに対して盛を請求することは難しい。
そもそもそれじゃ、農家組合ではなくなってしまう。
それだと耕作者が集まった生産組合だ。

次に歴史的にも考えてみよう。
減反はそれぞれの地権者に振り分けられるものなので、
問題を提起された方の意見を
さらに先鋭化させてしまえば、
いちいち農家組合が間に入らなくても良いのでは?
ということもあるだろう。
かつては、各家でそれぞれが減反をしていた。
それを「バラ転」といい、各家がバラバラに転作して
いたことからそういう言葉が生まれた。
だが、バラ転は区画整理された一定の大きさになった
田んぼでは効率が悪かった。
加工用米で拠出するにしても端数が出てしまい、
どうしても無駄が多かった。
それは、
効率の向上とより良い営農に向けて
多額の税金と個人の資金をかけて土地改良を
行ってきたこと自体を
否定してしまう営農スタイルなのだ。
だから、先人たちは
農家組合でまとめて転作をしようと総会で決めたのだ。
営農をどのような都合で辞めたにせよ
自己の都合で辞めたのだから、
それはそれでかまわないが、
その経緯と歴史を無視することはできないだろうし、
これからの営農は自分と関係ないから
切り離してほしいという身勝手な地権者の
思いは通らない。

こうした経緯と経験値が
僕らの中に“ムラ”を生み出した。
それは固定化された前近代的な関係ではなく、
個人ではとても太刀打ちできない問題に対して、
コミュニティとして能動的に対処する技として
僕らの中に存在している。
その地権者の方から見れば、
農家組合は自分と関係のない会費をたくさん取り
良く解らない宴会や会議に多額を使い、
無駄ばかりの多い組織に見えているのだろう。
だが、それはその方が
嫌がって逃げ回って、結局農家組合の役員を
しなかったから見えなかった世界なのだ。

その地権者の不条理な質問は、
農家組合長も
こんなご時世だから、決して間違っているとは言わなかった。
これから来るだろう減反の廃止や
すでに他の町内でも存在している
集落営農の組織化の中で、
地権者で成り立つ農家組合の意義自体が
問われ始めているのも事実だ。

今年の農家組合長の方も
地権者だが耕作者ではない。
農家組合の役員もやりたくない、と言っていた方だった。
でもこの役員を通じて、
その方にもこの組織の意味と
“ムラ”が心の中に沈殿したのだろうか、
その地権者の質問に
「ぼくは間違っているとは言いませんが、あなたの意見はズレている」と表現していたのが、とても印象的だった。
僕らにもっと言葉があれば、
そんな農業を一面的に見た、
また“ムラ”を前近代的なものと見ている方々に、
一言いってやりたいのだが、
それを表現する言葉が見つからないまま、
すこし不発感を持って、今年の総会は閉じられた。

その地権者は身勝手だと、その時は感じたが、
こういう議論が出来るのも
それはそれでその方に意義があったのだろうと思う。
ただ、もう少し、
僕らに言葉があれば、とも思った。

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グローバリゼーションなんて大層なことを
農園のインドネシア農業研修で議論している。
僕自身この言葉の意味も良く解らないが、
この現状のもとで、いろんなことが起きている事だけは
肌で感じている。
でも、その情報の多くは僕ら先進国にしか
ないということも、こうした議論をする中で
年々その想いを強くしている。

インドネシア農業研修プログラムでは、
いくつかの講座を用意しているが、
その中でも、インドネシアの子たちに
最も人気があるのが、
「農業とグローバリゼーション」だろう。
今年も9月からこの講座を始め、
これまでバナナやエビ・パームオイルなどの
商品を題材に授業してきた。
世界中に伸びきったサプライチェーンの中で
何が起きていて、誰がマージナルに置かれているのか、
それを途上国から来た零細農家の子弟たちと
一緒に見つめようという試み。

これらの中でも特にパームオイルが
みんなの関心が高かったので、
その問題の解決について少し議論を深めてみた。
まずパームオイルの構造的な問題はこうだ。
文化的に食用でないオイルヤシを
資金豊富な企業の開発によって大規模プランテーションで
栽培続けるインドネシアとマレーシア。
その周りには小規模ながらも、採油工場と取り巻くように
現地のパームオイル農家も無数に存在する。
無秩序に熱帯雨林を開発して
パームオイルの農地はさらに広がっていく。
パームオイルは加工され、
お菓子・インスタントラーメン・マーガリンなどの
廉価な食べ物を生み出し、
石鹸や洗剤などの生活必需品も生み出している。
パームオイルなしにはもはや生活が成り立たないところまで
僕らの生活に浸透しているのに、
その生産現場では、賃金・商品価格や環境などの問題が起きており、
それを見過ごせる状況ではなくなっている。
モノカルチャー的生産の効率化が独り歩きしだすと
そのゲームの中で人々はより多くの富を追い求め、
「持続可能性」などはどこかへ吹き飛んでしまう。
そして長く伸びきったサプライチェーンでは、
僕ら最終消費者には、生産現場で何が起きているのか
知らないまま、清潔感漂う店内で素敵なパッケージに包まれた
その商品を何のためらいもなく買い続けている。

この現状を解決するにはどうしたらいいのか。
途上国と言われる国から来た、
零細農家出身であるインドネシアの研修生と議論してみた。
まず問題を整理してみた。
ひとつは長く伸びきったサプライチェーン。
生産現場と消費の実情が全くお互いに想像がつかないまま
進行していくという問題。
こういった現状では、儲かるからとにかく拡大、
生産の効率化への特化といった
行動規範に陥りがちになる。
そのため環境にあまりよろしくない生産様式が
確立しても、それに対する批判は全体的にならないので、
とくに脅威にならず、継続される。

次にその効率化から生み出される
労働環境だろうか。
熟練した労働者による世代的な技術継承ではなく、
マニュアル化して誰でも簡単に労働が行え、
そして、出稼ぎや派遣などの
取り換え可能な安価な労働力に頼ろう
と考えるのは、たぶん今の健全な経営なんだろう。
パームオイルの現場もご多分に漏れず
そういう状況のようだ。
そこは低賃金で保障の少ない危険な労働現場だったりもする。
さらに僕らが見たDVDには無かったが、
インドネシアが政策として進めてきた
小規模なパームオイル農園支援から
構造調整政策に切り替わり、
今では中核農園に支援が厚く、
資本力で小規模農園を買い取り、大規模化へ向けて舵を切っている。
まさに農業労働者と大規模農業経営者の2極化の中でも、
こうした労働問題は今後拡大するだろう。

さてサプライチェーンから生み出された効率化は
持続可能性も無視する。
生産現場の環境が悪化して
生産が続けられなければ、またどこかほかへ行けばいい
程度の発想しかないのかもしれない。
ただこれは農家と企業の発想の違いではない。
小農であっても目の前の利に目がくらめば、
いくらでも環境破壊の主体になる。
いや、そっちの方が環境破壊につながっているのかもしれない。
程度の問題であって、
それぞれの生産様式の問題ではないところが
問題の複雑なところだろう。

これらの問題解決に
研修生の子たちは、とにかく国の規制が大切だと答えていた。
国家が開発を規制して、自然環境や労働環境を守る必要がある
というのである。
生産現場サイドの視点で言えば、
ある程度規制をかけていく必要はあるだろう。
購入者側から見ればどうだろうか。
3年生のクスワント君は、
有機農業といったラベルを作って、
環境に配慮したオイルにラベルを付けてはどうか、
と提案してくれた。
消費者はそのラベルを支持することで
健全な生産が続くというわけだ。
だが、フェアトレードの問題でも
認証を取るための知識やアドミ能力、そして資金が必要で
それらを小規模な農家が取れるかどうかは難しいところだろう。
大規模な農家は資本力があるので
その認証は取れても、小さな農家にも難しい。
それは淘汰される存在なんだ、と言われても
僕ら農家には、ああそうですか、と
感情的に納得は行かない。

そこでイラ君は、
生産農家で組合を作って、その組合が認証を取って、
小規模農家の自立に力を入れるという提案をしてくれた。
組合を作って大規模農家に対抗していこう、
という考えだ。
これは悪くない考えだが、
組合の運営はすこぶる難しく、
フリーライダーが出てくれば、
かならず商品の品質は低下する。
組合の運営に長けていて、
組合員への福祉も優先するような
ソーシャルビジネスの感覚に富む
リーダーや役員の存在は欠かせないだろう。

パームオイルではないが、
その存在として僕が期待するのが、
君たち研修生なんだけどね。

議論は、所詮、絵に描いた餅で
堂々巡りな観もあったが、
みんなと議論を通して、
持続可能で、小規模農家の組合として
地域全体で健全な生産をする方向へと
気持ちが向いていたのは、収穫があったと言えよう。

それを支えていく関係づくりとして、
僕にはまだやれることあると
確信している。
まずは、2015年のスタディーツアーだろうか。
食べる側と作る側が意見を交換できる場と関係、
それはとても素敵なことだと思う。
もう少しそれを意識して、
研修と農園の活動を広げていこう、
と僕も勉強になった。



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いつものことだが、
1年が過ぎる頃から
インドネシア研修生の成長が始まる。
僕の教え方が悪いからか、
それとも人の成長とはそんな期間が必要なのか、
僕にはわからないけど、
ここに来た子たちは、皆、
1年を過ぎる頃から、
成長し始める。
今年の2月に来たジャジャン君も例外じゃない。

彼は、ここに来た当初、
有機農業を志していた。
理由は、農薬は毒で、
癌や病気が蔓延するのはそのせいだと言っていた。
ただ、
僕にはその因果関係が
あるかどうかはいまだに不明で、
その根拠あるデータを
まずは一緒に探すことにした。
彼の持っていたデータの多くは、
地元の農家の話だったり
一部のWeb記事だった。

ジャジャンの地元の農家の話では、
農薬を使う前は寿命が長かったという話だったが、
国勢調査の統計データ(ちょっと怪しいけど)は
それを支持していない。
またWeb記事は出典元を明記しておらず、
検証が不可能だったが、
出所をはっきりさせない記事は信頼に値しない。
そんな作業を繰り返している内に、
彼はインドネシアの農業研修生が必ず
一度は通過する“トウガラシ栽培”を志向するようになる。
このころには特段『有機栽培』を
声高に言わなくなっていた。
まぁ、また有機栽培の意味は
まわり回ってもっと健康的に捉える機会が
この研修の中ではあるので、
この時はそのままにしておいた。

さて、そのトウガラシ。
確かにインドネシアでは消費量も多く、
需要が高い。
雨季のど真ん中や乾季で水が無い時は
どうしても高値がつく。
その反面、市場が乱高下して読みにくい作物でもある。
病気も多く、連作も出来ない。
だからこの栽培で成功すると
それなりに大きな富になる。
だが、大抵は、みんなが作りやすい時期にしか
作ることが出来ず、
低価格で販売することが多い。
天候と周りの作付け量による博打的要素が満載の品目で、
とても小規模での栽培で安定収入は得られそうもない。
やり方次第では面白いのだが、
大抵の農家はあまりそういったリスクを回避することが出来ず、
もしくは回避する方向に意識と技術が向かわず
(それは資金的限界かもしれないが)、
失敗に終わるケースが多い。

少なくとも村々を回って集荷する買取商人に
販売するだけの市場しか考えず、
適期にしか栽培できないトウガラシ栽培は、
ほとんど富を生み出さない。
ジャジャンはその点を
上級生から指摘を受けた。

要は、何をどう作るのか、ばかりに目が向いているが、
それと同じくらい、いやそれ以上に、
何をどう売るのか、を考慮しないといけないというわけだ。

彼はそこから少し変わり始めた。
あれこれとネットや友人に販売先の情報を集め、
ある野菜の卸会社に行きついた。
今、日本で農業の勉強している強みを
プレゼンしつつ、その会社にとって必要な野菜は
何かを訪ねるメールを出した。
いきなりのメールなので、
当然、返事はない。
でも彼は
『これからもこうやってメールを出していこうと思います』と
意欲的だ。
まぁ、これがスタートラインなので、
ここからいくらでも変化していく必要はあるだろうけどね。
少なくとも、自分よがりにどれが売れそうかとは考えず、
何が必要とされているのか、
何をどう売るのか、
何が自分の、自分の地域の武器になるのか、
そんな風に考え始めているのは確かだ。

1年経つと研修生の子たちは皆、
成長し始める。
ジャジャンは、どんな営農を目指すのか、
彼の肩越しに、一緒にその地平を見つめていきたい。

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国際開発学会で少し考えていたことと、
ちょうど農園で協力隊に行くべく研修をしている
北野君が技術補完訓練で
アジア学院において体験したことが
自分の中で少しつながったので、
それを記録しようかと思う。

今回の
国際開発学会の全国大会で
有機農業を推進するNGOが
その農法のトレーニングを現地で行っているが、
アフターケアが無く、
実際にその技術を習得しても
それを発揮できる場もなければ
その農産物を販売する市場もない、という
発表があった。

持続可能な農業として、
無計画な焼畑農業から循環型の有機農業への転換を目指す
といった事例は、農業開発の現場では
よく見かける事例だろう。
これだけを見ていると、
素晴らしい活動のようにも見えるし、
批判も特に湧いてこないかもしれない。
だからこそ、
いつまでたっても、
問題の本質が見えないまま、こういった活動が
継続し、再生産され続けるのだろう。

別に有機農業が悪いと言っているわけではない。
それ自体には、その技術を捉える社会的文脈の中で、
それぞれに意味があるとは思う。
しかしそれは逆に言えば、
それぞれの社会的文脈から外に広がっていくような
意味はないということでもある。
ここの読み違いが
上記のような問題の本質なんだ、と
僕は思う。
僕らが見つめている「有機農業」の意味は、
あくまでも僕らの社会の中で
ゆるやかに共有されている価値でしかなく、
それを超えて、その技術や農法が
他の社会において
社会構造的に同じ価値を持って
存在することはできない。
だからこそ、技術移転は
その元の社会的価値を持ち込む場合が多く、
現場で軋轢となる場合も生じるのである。

良く思うのだが、
必要なのはそこに住む人々にとって
“より良い明日”であって、
僕らが思う“より良い明日”ではないということだ。
だから本当は、
技術移転ありきの支援活動は
存在してはいけない。
たとえそれが有機農業だとしても。

だから農園の研修では、
何か特別な技術を移転することを目的にはしていない。
“より良い明日”をできるだけ広い視野で考えるための
学習機会とそれが加速するような仕掛けを
用意しているだけなのだ。
と偉そうに言っても、
まぁ、まだまだ成果らしきものは見えていないけどね。

最近、
有機農業というキーワードが
僕の周りにうごめいていて、
やたらと刺激してくるので、
ちょっとまとめとして記録したのでした。
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先週末は、国際開発学会の全国大会に参加した。
たまにはアカデミックな空気を吸いながら、
普段使わない脳みその部分に
刺激を与える必要がある。
そうしないと、僕らの活動も営農も
停滞してしまう気がするから。

さて、今回のエントリーは、
学会の話ではない。
恒例の全国大会開催地の農家見学について書こう。

今回お邪魔したのは、
かつて青年海外協力隊で同じ任地で、
活動していた「竜さん」が働いている
大阪は泉州の農業法人ツユグチさん。

竜さんとは彼の結婚式以来の
10年ぶりに再会をした。
同じ任地の農業隊員ということもあって、
けっこう意識した相手で、
誰よりも現地に馴染んでいるのが
当時から羨ましかった。
現地の方よりも色黒で、
それがまた羨ましかったりもした。
10年経って再会しても、
冬だというのにやはり肌は黒かった。

さて、ツユグチさん。
大阪の郊外で、水田中心に行い、
裏作で玉ねぎなどを作って経営している。
区画整理されていない
ぐにゃぐにゃに曲がった田んぼばかりを
40町ほど作っている。
1枚の田んぼが1反にも満たないものも
珍しくなく、
そんな場所で米農家で40町は
なかなか忙しそうだった。

面白いのは裏作。
泉州と言うこともあって、やはり玉ねぎが主力だった。
米を収穫した後の田んぼを起こして、
畝立てをして、そこに玉ねぎを植え付けていく。
11月まで稲刈りがあり、その後、
玉ねぎの畑を準備して、
11月下旬から2月まで玉ねぎを植え付けていくのだとか。
2月に植えた玉ねぎは
やはりそれほど大玉にはならないらしいが、
6月には収穫して、即その田んぼでは
田植えをするのだという。
そんな玉ねぎを6町ほど作っているとか。
そんなことに驚いていると、
社長の露口さんは、
「うちはまだ余裕のある方だ。近くの法人だと田んぼが終わった後で、その水田に急いでキャベツを植え付け、1月に収穫してから、その田んぼにすぐに玉ねぎを植えて、それを6月に収穫したら、その田んぼは7月には田植えをするんだ」と教えてくれた。

いやはや
太平洋側の農業は、
なんとも羨ましい。
曇天で積雪のある福井では、
とても冬の間に田んぼで
何かを作るといった発想には立てない。
どうしても物理的に無理だからだ。
ところ変われば、
こうも農業のカタチが変わるものなのだろうか。
天気の違いが、特急で2時間しか離れていない地域でも
こんなに生産様式の違いを生み出している。

大阪という巨大消費地の近くというのも
大きな特徴になっている。
それだけたくさんの米や玉ねぎを栽培しているのだが、
ほとんど直売所や給食でさばけてしまうらしい。
付き合いで卸にも出すようだが、
メインは直売と給食。
自社の直売所もあって、
小さなカーポートを改造して作った場所で、
おばあちゃん一人が店番をしている
小さな直売所だったが、
それでも毎月30万以上は売り上げるとか。

ただ良い事ばかりでもない。
都市化の波がすぐそばまで来ていて、
農地開発の圧力を感じるとか。
徐々に農業をやめていくお年寄りの農地を
引き受けつつも、
駅前再開発に伴う都市化によって
農地も同時に失っているらしい。
そういう意味では、
未来は決して明るいわけでもなさそうだった。

小面積でも利益が出せる園芸にも
一時は力を入れたこともあるようだが、
細かな作業になれないのと
最近の機械力の向上があって、
大規模の水田露地園芸を志向している。
これもこれまでの天候から生み出された生産様式の
習慣化によって、それぞれの作業で、
その気性に合う合わないが生み出されているのかもしれない。

そう思うと、
北陸のような曇天で積雪の多い
一見して園芸不利地に見えるような場所でも、
露地園芸になかなか活路を見いだせず、
しかも大規模稲作もTPPなどの時代の潮流から見たら
安定性を欠いでいるような状態を考えると、
天気が作り出した生産様式とその気性から、
僕らのような中規模園芸で多品目栽培の道は、
それほど的外れではないのかもしれないと
思う所もあった。

祖父などが、その農法がその人に合っている場合に
「手が向く」とよく表現したが、
生産の物理的な要因プラス
その人の気性がどこに向いているのかも
その農法につながっているのだろうと思う。
他を学ぶことで、
自分たちの本性も見えてくる。
これだから「農家から学ぶ」は
やめられないのだ。

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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

メールは
taya.tアットマークnifty.com
です。
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