「鳥の眼で考える」のその後。
上空からその地形を見ながら、
地域の農業を解釈するという訓練。
これが結構むずかしい。

2年生のカダルスマン君のプレゼンでも
前回のイラ君やジャジャン君のように
その自然的要因のみに囚われ、
そこから派生する自分の疑問に
答えが無いままになっていた。
上空から見ることで、
自分の囚われている常識から離れ、
なぜそこでそれを栽培しているのか、
なぜそこではそんな栽培法なのか、
と素直な疑問が浮かんでくることも多々あるのだが、
その疑問に耳を貸さないから(問いが立たないから)、
先に進めなくなっている感じだろう。

それを事例として打ち砕いてくれたのが、
やはり3年生のクスワント君。
僕が彼らとの座学でわくわくするのは、
それぞれの子が3年生の時には
それなりの成果あるプレゼンをする時だ。
今回は、クスワント君が見せてくれた。

彼の地域は山裾に位置するが、
これといった水源が無い。
なので、米は雨季の1回のみで、
後は、トウモロコシとサツマイモと
比較的雨が少なくても出来る作物を栽培し
生活している。
山間の狭い田んぼと水の無い地域は、
どこも貧しい。
彼の地域もそうだった。
山向こうでは、住民の生活林を切り開いて
たばこ栽培が盛んだった。
1年生のジャジャン君の地域もそこにあるのが余談。
だから、彼の村でも同じように、
生活林を開墾して農家グループを作って、
たばこで営農していたこともあったらしい。
クスワント君がプレゼンしてくれた
サテライト画像では、裏山の斜面に草地が広がっていたが、
そこがもともとはたばこ畑だったらしい。
「だったらしい」というのも、
今ではたばこ栽培は行われていない。
それは、彼の地域では雨が少なすぎること、
その畑で大規模な土壌流出が起こったこと、
そして良い品質のたばこがつくれなかったこと
などが原因で、今ではたばこ畑は
放置されているとのことだった。

彼は鳥の眼で自分の地域を見た時に、
その水の無い広大な斜面の畑が
地域のポテンシャルに見えてきたという。
山間の村なので、広い田畑は望めない。
水は無くとも、広い畑があるというだけで
そこには可能性があるように見えた。
そしてその畑から山の裏側に道が通じていて、
そこから比較的早く大きめの市場につながることもできる。
山の裏側からは、トラックも入ることが出来る。
そんな地形を眺めていた彼は、
ドラゴンフルーツなどの
水が少なくても栽培できる品目で
やっていけるのではないかと思うようになったらしい。
もともと香辛料の丁子栽培を帰国後に考えている彼だが、
丁子は肥沃な土地を好むため、
その土地は適さない。
でもドラゴンフルーツならば
やっていけるかもしれないとプレゼンを締めくくってくれた。

実際にそれが可能かどうかは
これから考えればいい。
大事なのは、そこにある疑問に気が付くことだろう
(問いが立つということ)。
ダメな土地として捨て去られた場所が、
再びポテンシャルを秘めた土地に見えてくる。
鳥の眼で考えることは、
僕らの常識を打ち破り、新しい農業の可能性を
僕らに示してくれるのだ。

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今年2回目の
農園開放イベントであるBBQを開催した。
消費者の方々を集めて、
一緒に農園の野菜を食べながら、
野菜について語ろうという会。

P1050517.jpg

今回は、ずいぶんと参加者が増えて
スタッフを入れて60名以上にもなった。
さらには県外から参加してくれた方もいた。

以前から農園では、
内々のBBQを楽しんできた。
スタッフやその友人たちでの小さなBBQ。
今年に入ってからは、
もっと輪を広げてみよう、という
僕個人の無謀な想いと
それを全く否定するどころか、
さらに加速させていったスタッフたちがいて、
実現した農園開放BBQ。
経営的には、「風が吹けば桶屋が儲かる」程にしか
プラスにならないかもしれないのだが
(BBQ自体は大赤字だけどね)、
それでも僕らがまっとうな生産と消費を
続けていくためにはどうしても必要な
連帯の一つのカタチとして、
こういうものを実現させたかった。

午前まで降っていた雨が
昼を過ぎると止み、一転して快晴の天気。
土曜日の昼下がり、
3時から始まるだるっこいBBQイベントらしく
参加者の集まりも時間通りではない。
ぽつぽつと人が集まりだし、
肉が焼ける頃には、
農園の前の小さな路地は人で埋め尽くされた。

集まってきてくれた人の想いは、
みんなそれぞれで、
環境保全型農業に関心のある人、
青年海外協力隊に行きたい人、
留学したい人、
インドネシア人と交流したい人、
などなど、雑多な想いが、
雑多に混ざり合って、
異様な空気感のBBQが実現した。

農園開放BBQの恒例である
スタッフのバンドによる演奏も良かった。
数曲演奏したのだが、
そのなかでもコーヒールンバは
少し趣向を凝らしてあった。
もともとベネズエラの歌らしく、
スペイン語の音楽とのこと。
それが日本に入ってきて流行し、
さらにはインドネシアでも
現地語に翻訳されて
大ヒットした曲。
スペイン語圏のボリビアで協力隊を終えて
農園のスタッフとなった佐藤と
僕ら農園の仲間と
インドネシアから来ている研修生すべてを
つなげる歌として、それぞれの言葉で
一つの歌を歌ってくれた。

P1050586.jpg


ボリビアの踊りも入り、
BBQの盛り上がりも頂点に。
ごった煮の異様な空気感は、
コーヒールンバの曲のように
一つの場で交わりを見つけながら、
僕ら野菜を作る側と食べてくれる側の
それぞれの心の中に、何かを沈殿させて、
閉会した。
こういうことに何か言葉で意味を
語ろうとすると、ややチープにもなるし、
もう少しこういう気持ちが
醗酵してきたときまで待ちたい。

今回、ご参加いただいた皆様、
本当にありがとうございました。
今年はもう1回
農園開放イベントを開催します。
その場が醸す雰囲気の一助として
ぜひぜひご参加くださいませ。


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勉強会の記録をしよう(6月5日分)。
この会の発表者は、北野君。
青年海外協力隊に行きたいと志を立てて、
農園で研修をしている若者。
本はこれ。

後久 博 著 「売れる商品はこうして創る」:6次産業化・農商工連携というビジネスモデル.2011.ぎょうせい.


今、北野君には新商品開発の
プロジェクトを与えている。
農園の野菜を使った加工品をつくるプロジェクトで、
そこにある資源を有効活用し、新しい市場を開くというのは、
結構協力隊の現場で求められる能力だったりもする。

さて本書は、その新商品開発についての
フレームワークを与えてくれる本。
本書が説明している思考フレームは3つある。
1つ目は、シーズ・ニーズ思考フレーム。
素材(シーズ)と需要(ニーズ)を上手くつなげて
商品開発するもので、事例として北海道の小麦・ハルユタカが
挙げられていた。
素材そのものに力がある場合は、
需要へのいくつかの条件をクリアーすることで、
商品化へ結び付けていくと言ったイメージだろうか。
2つ目は、付加価値化×関係づくり思考フレーム。
流通や消費者との接点を作り、その関係性の中から
新商品を生み出すというもの。
観光農園や農業イベントなどを通じて、
お客様の声を新商品へと昇華させたり、
流通のそれぞれのステップでの問題点や課題を共有しつつ
その解決が新商品につながるイメージか。
3つ目はブランド化思考フレーム。
その地域の特性をデフォルメ化してブランドを創り上げるというもの。

とまぁ、それなりに整理されていたが、
実際に僕らレベルで出来るのは一つ目ではないかと
北野君は言う。
なので、一つ目のシーズニーズ思考で、商品開発をするとのことだった。
今はそれで良いかもしれないが、
たぶん協力隊で求められるのは、
2つ目や3つ目の思考ではないかと思う。
いろんなステークホルダーがいて、
その間を新しい関係として有機的に取りまとめる役が、
「よそもの」には求められる。
というか、求められないとしても、
それをしていくのが仕事になる。

本書では、6次産業と農商工連携を
整理して説明してあり、
農家が2次3次産業まで踏み込んで行う6次産業化と、
それぞれの分野の人々が、ある資源を商品化するために
共同開発する農商工連携と分けている。
北野君は農商工連携にはあまりポジティブではなかった。
2次3次産業の企業が1次産業に参入しても、
地域活性化の部分では
地域の雇用を生み出している部分に限られ、
どちらかと言えば
良い企業イメージをアピールしているに過ぎない
と考えているようだ。
大きな商社に勤めていた彼の経験も
そういう考えに至っているのかもしれない。

これらの妥当性は、その程度の問題とは思うが、
ある資源に対して多くのステークホルダーが
係るような場を作り上げていくことこそ、
地域開発の原点ではないかと僕は思う。

だとしたら、その場をファシリテートすることが
実は君の仕事なのかもしれない。
それでもまだ
1次産業がマージナルに置かれてしまうこともある。
その理由はなんなのかは、もう少し勉強していこう。

さて、
新商品開発では、インドネシア研修の卒業生の生産物と
農園の野菜のコラボ商品を作ろう、
と僕らは画策している。
どんな商品が、どんな物語を含みながら、
そしてそれがどういう地域発展の要素を持って
出来上がっていくかは、
これからみんなであれこれと走りながら
考えていこうと思う。


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6月に入ってから、
農園の周りでは雨が降らない。
毎日晴天続きで、真夏日の連続。
ハウスなどの施設がある場所は、
井戸などの灌水設備でじゃんじゃん水をあげられるので、
特に問題は無いのだが、
そういった設備の無い露地の畑は
とても苦労する。
特に、河川敷の畑など。

北から張り出した高気圧での晴天なので、
幾ら台風や南からの低気圧が
湿った暑い空気を運んできたと言っても、
湿度はせいぜい60程度。
太平洋高気圧下に置かれる
8月ごろの湿度80%に比べれば、
まだまだからっとしたいい天気と言えよう。
こういう天気の場合、
水さえしっかりと与えることが出来れば、
作物は無限に生長していくようにも思える。
事実、吉川なすやベビーリーフの生育は良く、
じゃぶじゃぶ灌水しても、病気すら出ない。
なので、この天気は歓迎したいところだが、
そうも言えない場所もある。

河川敷の畑は、国の管轄になっていて
単年度契約で耕作権が与えられている畑。
そこでは、法律上、構造物をつくることが出来ない。
そのため、ハウス施設はおろか
灌水用の設備を作ることもできない。
まったくの天水だよりの畑。
インドネシアではさんざん辛酸をなめさせられた
天水だよりの畑は、
意外にも自分の地域にも多い。
水をコントロールできなければ、
たぶん、近代農業技術の9割以上が意味をなさない。
だから、その状況で
僕にできることはほとんどない。
インドネシアで味わった無力感とやや似ているが、
経営の面での本気度と言う意味では、
河川敷の畑はおまけなので、
気楽なのは気楽。

まぁ、これまで大量に生産して、
近くの直売所で最安値をけん引してきた
僕のズッキーニが
ほとんど取れなくなったことや、
6月の今頃から出荷しようと画策していた
赤色ソラマメが全滅したり、
県外の販路で好評だった
小粒に作ってきたジャガイモのインカの眼ざめが、
全部枯れたりはしたので、
それなりに萎えたりもする。
ちなみにこのまま雨が少なければ、
さつまいももダメになるだろう。

こういう場所がまだまだ日本には多いのだろうか。
最近、市場の果菜類の価格が上がり始め、
それに呼応する形で葉菜類の値も一気に上がり始めた。
好天で乾燥しているので、
水さえじゃぶじゃぶあげられたら、
どんな素人でも良いものが作れる気候なのに、
やや日照量が多いことと気温が高いため、
たとえ施設があるからと言っても、
どうも野菜が焼けているのかもしれない。
もしくは、生育コントロールがつけられないか。
値が上がるのは、僕ら農民には大歓迎だが、
値が上がる時に限って、野菜の量は取れない。
というか、取れないから値段が上がるのか。
だから、あまり得した気分もない。
河川敷の畑もひどいもんだしね。

まぁ、そんなこんなで、
底抜けの晴天が恨めしい毎日である。

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有志による勉強会の記録。
5月22日は、農園のスタッフ佐藤のプレゼンだった。
本はこれ。

小見 邦雄・山田 隆・西島 基弘 共著 「食品添加物を正しく理解する本 Q&Aファイル101」

自身もアレルギーに悩まされる佐藤は、
ここのところ、アレルギーに関連するような
本を選び勉強している。
今回は、食品添加物。

この本は日本食品添加物協会の顧問や
大学の先生によって書かれたもので、
食品添加物そのものに危険性は無く、
むしろ食品添加物のおかげで、
食中毒などの危険性を避けることが出来ると
主張している。

一方で、佐藤は阿部司著「食品の裏側」も読み、
それらを対比させてプレゼンをしてくれた。
ただ、阿部氏の本では、
食品添加物の実害については、書かれているわけじゃない。
一見食品に見えるものでも、
まったく想像していないものを原材料として、
食品添加物を多用することで、
食品に仕立てている、というのが阿部氏の指摘だ。

食中毒の患者数は、
平成24年度の統計で26,699人。
実際に病院に行かなくなった人数が、この数だとすると、
自分で治してしまったけど食中毒だった可能性が
ある人は、これの何十倍にもなるということだろう。
一方で、食品添加物が原因で
中毒を起こした患者数は、居ない。
そういう意味では、
食品添加物は食中毒を防止する、というプレゼンの著書は、
とても説得力があると思う。

だが一方で、
阿部司氏の著書にあるように、
さまざまな原料と工程を経たミートボールの存在は、
「それは人の食べる物じゃないでしょう」
という僕らの本能的な判断は、
否定されるものじゃない。

安全か?そうじゃないのか?と言う議論は、
いつも何かが抜け落ちている。
科学的なデータで理論武装した判断に、
自分の思考をゆだねてしまう暴挙を
僕らは無批判のまま受け入れすぎなんじゃないだろうか?

たぶんそれは、
もっとこういうことなんじゃないだろうか。
物事を文学的に捉える。
もっと情緒的に想う。
目の前の事象を、主観を無視せず記述する。
みんなが添加物が危険かどうかを
議論しているとき、僕はそんなことを考えていた。


ちなみに、
科学的な論点での危険かどうかの部分で言えば、
食品添加物の殺菌能力が、
僕らの腸内環境(腸内細菌の環境)にどう影響するのかは、
まだ解明されていないように思う。
アレルギーや精神疾患の一部は、
腸内環境が大きく影響しているように、
僕は考えている。
多く摂取することで
(もしくは無菌のモノを多く摂取することで)、
僕らの腸内環境を悪化させる可能性について、
もう少しまともな研究が進むことを祈る。
ゼロリスクの思想を僕らは否定し、
細菌を摂取する方が、より人間らしい生き方であると
微生物学による新しいフレームワークを
期待している。


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「ふくい夢チャレンジプラン」プレゼン大会に
審査員として参加した。
福井県が取り組む事業で、
35歳以下の若者の
地域活性につながる活動を支援するもの。
今年で3回目で、審査員も3年目。
さらにおまけがあって、
今年は審査員長だった。

さて、プレゼン大会では、
事前に事業のプロポーザルを読ませてもらい、
7分間のプレゼンを聞いて、
それぞれの事業の継続性や独創性、実現可能性などを
考慮して点数をつけていく形式。
7分間と言う限られた時間で
どう表現できるかが鍵なんだろうと臨んだ審査会だった。
プレゼンの上手い下手が勝敗を分けるとも
思っていたし、総評でもそんな話をする予定でいた。
しかし、実際にプレゼンを聞いて、
その予想は覆った。
プレゼンの上手い下手はやはりあったが、
表面的な表現の上手さよりも
地域活性化への想いが
その活動のコンセプトの中に、生の息遣いとして
感じられたかどうかが、勝敗を分けたようにも思う。
だから、プレゼンはあまり上手ではなかった団体でも、
こういう視点で地域活性化をしたいという
想いが感じられたところは、審査でも好評だった。
プレゼンテーションでは、
どうしても瑣末な技術論に陥ってしまうことがある。
しかし、それは表現の技術でしかなく、
やはり表現したいというその想いの深さがなければ、
技術をどんだけ上塗りしても、
僕らには届かない。

今回の審査会は僕にとっても、大変勉強になった。
審査員長という重い責任と共に、
それぞれの活動の想いの深さを
ガチンコで審査する貴重な体験を得て、
僕らは何を表現することが大切なのかを、
改めて考えさせられた一日だった。



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5月27日祖父清治が逝く。
享年88歳。
小柄だったが、体が強く、そして優しい祖父だった。

祖父は昭和元年生まれ。
小作農の長男として生まれた。
葬式で聞いた話では、祖父の父はあまり体が丈夫でなく、
仕事もあまりしなかったそうだ。
さらに祖父の祖父は、お菓子食いのぐうたらで、
田んぼの多くを失った。
そんな破綻状態だった農業を引き継ぎ、
農業一筋に打ち込んで田んぼを増やし、
今のうちの農園の基礎を
創り上げたのは、祖父だった。
僕や父が偉そうに農業をしていられるのも
祖父が頑張ったおかげなのだ。

そして僕にとって、
祖父は生きた証人だった。
ムラのこと、農業のこと、地域のこと、
いろんなことを昔話に交えて教えてくれた人だった。
その話から垣間見られた風景が、
僕の眼差しを作った。
書籍や文献で昔のことはある程度わかるし、
もしかしたら、その方がより「正確」なんだろう。
だが、その風景が感動や情念といった生の息遣いをもったモノとして
僕らの中に飛び込んでくることは、ほとんどない。
その時代を生きた人の想いが
削り取られていることが多いからだ。
よほど優れたエスノグラフィーでもなければ、
その生の息遣いなんてものは感じられないのだ。

野止め(農業の休日)を守らなかった家の大八車を
青年団で神社の木に吊るした、とか
田んぼの用水のために、柳の木で川を堰き止めた川せぎの話。
わざと大水が出たら壊れるように作った、という話は、
その背景にある思想と自然との付き合い方において、
とても考えさせられた。

堤防を区分けして、その草が
牛のエサや田んぼの肥料として利用する資源だった話では、
同じ風景を僕らは見ているにもかかわらず、
それがただの雑草なのか、
それともそれが資源なのか、という差異を
歴史と生活の変容から感じた大切な話だった。

戦前、小作の自立を目指した
共産系の日農運動については、
自分も小作であるにもかかわらず、
その理念よりも、それまでの地元の地主との関係を
一切無視して、地主対小作と言った構図での
闘争化に嫌気がさしていた話もしてくれた。
固定化して闘争化することよりも、
ムラとしてこれまでの関係の中で
緩やかな仕法を目指すその価値観が
僕は好きだった。

僕に村とは何か、人との付き合い方はどうだったか、
どう自然を見て、どう付き合ってきたのか、
そんなことを丸ごと教えてくれたのが
祖父の生き様だった。

その祖父が逝った。
僕があまりにだらしないフィールドワーカーだったため、
手元にある祖父の生き様は、わずかしかない。
でもこれを大切に胸にしまい、
祖父から受け継いだ土地で、
これからも農業を続けていこうと思う。


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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

メールは
taya.tアットマークnifty.com
です。
(アットマークを@に置き換えて送信ください)

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