油断をするとすぐにたまるのが、
勉強会の記録。
11月21日の記録をしよう。
発表者は、
三国のジェラート屋カルナの店長でもある大和。
プレゼンの本はこれ。
「新しい農業の風はモクモクからやって来る」。

伊賀のモクモクファームの本。
農業をエンターテイメントまで引き上げて、
体験と加工品やレストランなどのサービスで
一歩も二歩も先をゆくモクモクファーム。
その始まりは、豚肉ブランドづくりと
それに付随した加工からだったようだ。

農産物のブランディング化から
いつしかエンターテイメントとしての農業、
つまり農業全体を消費物として
提供するサービスに変わっていくのが個人的には面白い。
6次産業化の旗手と言われるが、
1次産業を産業化せず、
それを土台に2次3次で稼ぐ形態という事だろう。
なんだかどっかの「農協」みたい、
と切り捨てるのは、僕がひねくれているからか?

大和のプレゼンで面白かったのは、
非農家スタッフが「農業」をサービスに再生産し直し、
一般の人たちが「楽しい」と思うモノとして
提供できているところが、モクモクの強みとしたところだろうか。
僕ら農家は、どうしても農業の辛さやきつさは
良く知っているが、この仕事のどこに一般の人が共感するような
「楽しさ」があるのかは皆目見当もつかない。
その「皆目見当もつかない」ところに、
ビジネスチャンスがあるというわけか。

さて、今回の勉強会では、
すでに加工を手掛けている富津の吉村くんも参加。
彼はサツマイモのペーストを作っているのだが、
それはあくまでも
「メインのイモ販売につなげるため」とのことだ。
一次産業の延長上での加工というわけか。
餅は餅屋とも昔から言われる中で、
農業の6次産業化が声高に叫ばれている。
原料となる農産物を作っていても、
以前、勉強会でも取り上げたとおり、
日本では規模の壁と人件費などの高コストに苛まれて、
それだけではとても競争には勝てない時代になっている。
だから2次産業・3次産業を取り込んだ6次産業なんだろう。
ただ安易な6次化は、
僕らの立ち位置すらも失うことになりかねない。
決断にスピードが必要なこの時代で、
僕らはころころ変わるトレンドと政策に翻弄されながら、
6次化を見つめている。

まぁ、どう生きたいか、そこがしっかりとあれば、
そういう声で心が揺らぐこともないのだろうけどね。

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週末は、温泉だった。
集落の農家組合班長会と班長慰労を加えての温泉宿泊。
毎年、総会でも議論になるこの慰労温泉。
今年は、僕は班長として参加。

班長会でも、慰労の温泉の経費が
やっぱりちょっと大きいのでは?と話題に上る。
その経費は、「盛」と呼ばれる組合費と
ずいぶん昔にミスがあり、
不必要に貯まってしまった預金を切り崩して
ねん出されている。

その預金ももうなくなるので、
そろそろ慰労の温泉自体も無くそうか、
という意見もでた。
確かに、預金が無くなれば、
盛は高くなるので、そうまでして
お金を使う慰労温泉をする必要はない、と
いう意見もなるほどと最近は思うようにもなっている。

温泉かどうかの議論とは別にして、
こうした集まりを大切にしたいと
僕は良く思う。
それは、班長となる人は、
それぞれの班で順番があって、
その家庭から代表者が出てくるのだが、
その代表者は、何も年寄りばかりじゃない。
最近は30代も多い。
70代くらいから30代までの老若が混在して、
1年間班長として農家組合の運営に関わる。

そして慰労会では、農家組合や村の昔の話や
今のいろいろを老若が話をする、
とても少ない機会でもある。

むらに住んでいると言っても、
職業が農業でなければ、普段顔なんてあわさない。
農業だとしても、畦で話し込む風景なんて、
ここいらじゃほとんど見かけない。
ただ「高屋」という集落に
住んでいるというだけで、
みんな「高屋」の今や昔なんて
良く解らないのだ。
活力のある地域とは、係り合う気のある主体が
世代を超えて集まって、
協働する場だと僕は思う。
だとしたら、同年代ばかりが集まるイベントや祭りなども
時には地域おこしのようにも見えるが、
本当は、そんなもんじゃなくて、
農家組合みたいな古臭くて面倒くさく思われがちな活動の中に
その本質があるようにも感じる

温泉がどうのこうのと語られる時、
やもすると慰労会という場そのものを排除してしまおうという
意見もたまにある。
そこには気を付けたい。
場が変化するのは良いが、
「経費削減」や「時代に合わせて」などと言って
場を削ってしまうのだけは、避けなければならない。


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寒さも厳しくなってきて、
農園の周りでも霰が降るようになってきた。
寒くなると、外仕事は本当につらい。
手足がかじかむし、
重ね着も重くて、肩もこる。

でもそんな寒さが、
野菜を美味しくする。
生長が極度に遅くなるので、
その分、味がぐっと濃くなるのだ。
特に根菜類が美味い。

素材がうまけりゃ、
手の込んだ調理は要らない。
お気に入りのストウブの鍋で、
塩漬けにした豚肉の塊と一緒に
無水調理で焼き蒸にすれば良いだけ。
塩以外の調味料は要らない。
要るのは、ゆっくりと蒸す時間と
料理に合わせる美味しいワイン。
そして、労働で適度に疲れて
お腹が空いていれば、尚よろし。


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ストウブの鍋は、
冬の野菜の味を上手に引き出す。
土と寒さが創り上げた奇跡の味を
魔法の鍋が、その調和をさらに高める。

今回は、ごんぼと緑大根・紅芯大根と
塩豚を放り込んで、蒸し焼き。
ちょっと飲みすぎてしまった夕食だった。


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あるワークショップに参加した。
金沢で行われた
海外経験×日本の地域づくりワークショップ。
「のとガール」主催のワークショップ。
海外での地域づくりの経験を
どう国内に活かしていけるのかを話し合った。
僕は、事例紹介として参加。

青年海外協力隊というと、
発展途上国で専門技術を現地の人たちに教える、
とイメージされる方が多いかもしれない。
だが、そんな場面は少なくとも僕にはほとんど無かった。
僕がやってきたことは、
農業指導というものではなく、
現地で、行政から知られていない人材を発掘したり、
個人の自慢話を聞いたり、
その人のやる気を引き出したり、
時にはマスコット的に振る舞って、みんなを盛り上げたり、
またみんなを挑発したり(ケンカを売ったり)、
そうやって見えてきた人たち同士をつなげたり、
そしてつながることでエンカレッジされたり、
つながることで新しい行動が生み出されたり、
そんなことばかりをやってきた。
たぶん、多くの協力隊がそんな経験を持っていることだろう。

これは、僕らがその地域では
「よそ者」だからというのがとても大きい。
その地域のしがらみに捕らわれることなく、
いろんなポジションの人たちに
フットワークを軽くしてどんどん会いに行くことで、
現状にある人間関係をさらに新しいモノへと変えていく力になる。
人と人とがつながると、
1人では解決できないと思っていた問題も
他の誰かのスキルで解決の糸口が見つかったりもする。
3人よれば文殊の知恵というが、
いろんな人がつながることで
生み出される新しいアイディアや実行力。
そんな化学反応を
僕らは現場でいくつも見てきた。

地域発展に必要なモノとして、
「若者」「よそ者」「ばか者」がある。
地域発展とは、変化を恐れず、
地域の常識に捕らわれない人たちが織りなす化学変化
だと僕は思う。
だから、この三者の存在が必要になる。
青年海外協力隊は、すでにその名前の中に
「若者」「よそ者」を備えている。
さらには、
仕事を辞めてまで参加する人が多い、という意味では
まさに「ばか者」までも備えた
地域発展をこれでもかと内包した団体と言える。
その能力が発揮されるかどうかは、
個々人の資質や任地の環境によるだろうけど、
多くの隊員が経験してきた
人と人をつなげていく関係づくりは、
何も途上国でばかり発揮されるわけじゃない。
日本の地域づくりにも活かせないのだろうか。
そんなことをここ数年前から良く考えるようになった。
というか、そういうシンポジウムが多くなり、
それらにゲストとして呼ばれる中で、
僕自身も良く考えるようになった、
と言った方が正解か。

今回のワークショップでも
やはり「人と人をつなげる」が主題だったように思う。
そしてそれは
よそ者や外の視点を持っているから出来ることでもある。
今回のゲストで小島さんと志野さんは、
まさに外部から地域おこしとしてやってきた人だった。
人と人をどうつなげるのか、
どう巻き込んでいけるのか、
そんな話が聴けた。
中でも、小島さんの
「スモールサクセスの積み重ね」というくだりは
まさに地域開発の妙だと感じた。

では、僕はどうだろうか。
僕は地元で農業をしている。
外部の人間ではなく、まさに地元民。
その僕の役割は、「場」づくりだろうか。
つなげるといったこととは少し違うが、
他所から来た人と地元の人たちが集まる「場」を
提供することだろう。
いろんな「場」を作ることに地元の人間として係る。
僕が協力隊の時に、また留学の時に、
こういう地元の人間が居たらいいなぁ、と
思う役を僕が演じればいい。
そう感じることが多くなった。
しがらみや元々の関係で
若干フットワークは悪くなっているが、
地元の人間だからこそ作れる「場」があるように思う。
そしてそれは農業という生産現場ともリンクする。
農業という、他業種から見たら未熟な産業は、
地域づくりと生産活動との境目が至極曖昧。
曖昧だからこそ、「場」を作ることができ、
地域づくりも内包した経済活動ができる。

外から来た人がその経験を活かす発表を聞いて、
僕には僕のポジションがあるんだろうと
感じることができたワークショップだった。

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僕らの農園で生産しているベビーリーフが、
今日から冬季限定バージョンになった。

いろんな幼葉を集めて、
サラダで楽しむベビーリーフ。
だいたい似たようなものが入っているが、
中身がその業界で決まっているわけじゃない。

農園では味や色・香りを考慮して、
7種類の葉っぱをミックスしてきた。
これまでの経験と食べてくれる人たちの
意見を集約して、その7種類になっていた。

しかし、それはまだまだ
ベビーリーフの一面に過ぎない。
うちのベビーリーフを通年食べている方なら
当然知っているだろうけど、
季節によって、味や色・香りが大きく変化する。
気温や水分・畑の土質によって、
その個性を際立たせたり、
自己主張したりする。

あまり個性の強い葉っぱは、
これまで入れられなかったのだが、
立冬が過ぎ、気温が落ちてくると、
ベビーリーフの葉っぱは、
苦味が風味に変わり、味わいと香りが
強くなってくる。

これに合わせて、
農園では夏季では個性が強すぎて
入らなかった葉っぱを入れて、
また色合いが良くなる葉っぱを増やして、
冬季限定のベビーリーフを出荷することにした。

葉っぱの種類は7種類から11種類に増える。
それだけ香りと味に深みと複雑さが増える。
当然、仕事量は増えるが、
値段は据え置き。
この時期限定の
プレミアムなベビーリーフを
味わってもらえたら、と思う。

販売は、立春ごろまで。
やや陰鬱な雪国の冬を
食卓で楽しんでもらえたら、
幸いである。







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もういっちょ!勉強会ネタ。
今回は、今週の水曜日(11/7)に行われた
勉強会の記録。
笑人堂の中川さんが初参加。
面白い面々が集まりつつある。

さて、発表はうちのエース大西。
本はこれ。
藤田康人 著 「どう伝わったら、買いたくなるか」。

著者は広告代理店の社長さん。
これまでのように、マス(大衆)に対しての
情報発信では上手くいかないという。
なぜなら10年前に比べて、
情報量が530倍にも膨れ上がっているからだとか。
これでは、どんなにキャッチーで凝った情報を流しても
人の心にはなかなか響かない。
というよりも、情報はすでに洪水のように溢れ、
その中でおぼれる人々にさらなる水(情報)をかけるようなものか。

そんな状況の中、どう伝わったらいいのか、
著者がまとめた4つのインサイトが面白い。
この4つのインサイトを捉えることで、
情報を“伝える”から“伝わる”に変えられる、という。


①消費者インサイト:
「企業が伝えたいこと」が中心だったメッセージ設計から
「消費者は何を聞きたいのか」への変換。
消費者のニーズというよりも、自社コンセプトが
受け手側に受け取りやすいカタチへの変換と
僕は受け止めた。

②メディアインサイト:
既存のメディアに発信してもらうためには、
メディアが発信したくなる情報のカタチになっていることが必要。
時流に合わせた情報は、メディアでも取り上げられやすくなる。

③ソーシャルインサイト:
社会の潮流や動向などを把握し、
専門家やブロガーといったタレント性をもった人々から
発信を得られるようにしていく必要性。
発信したくなる情報のカタチであれば、
インターネットでの口コミやSNSでシェアされていく。

④流通インサイト:
実際の売り場や流通の現場で、
その商品や情報を取り扱いたくなるような形にしていく。
そのモノのために、売り場を作りたくなるような
情報の出し方を求められているという事か。

この4つのインサイトと共に、
著者はトリプルメディアについて説明し、
既存のメディアよりもそれ以外の重要性を強調している。
①ペイドメディア
マスメディア。
お金をかけて大量に発信する。
お金をかけて雑多なニーズごとキャッチしていくので、
お金が尽きれば、その時点でお終い。

②アーンドメディア
インターネットの口コミやブログでの紹介、
SNSでシェアなどといった他人によって
勧められていくメディア。

③オウンドメディア
自社ホームページや本の出版など。

②と③で如何に伝わっていくような情報と
コンセプトをひねり出せるか、なんだろうかと感じた。

今回初参加してくれた中川さんからは、
コンセプトをしっかりと持つのが大事だ
という意見をもらった。
15文字くらいにまとまったような
コンセプトにする必要があるとか。
伝え方としては、インターネットでの動画配信が
重要だと言っていた。
そのコンセプトに合った動画を発信することらしい。

カルナの大和は、
農家や野菜のジェラートづくりにしていきたいという
面白コンセプトの意見が出た。

これらの話は、
大西のプレゼンの枠で言えば、
それらの情報をどう、扱いたくなるような、
また支持したくなるような形にするかが大事なのだろう。
それぞれ4つのインサイトを意識しながら、
口コミやSNSで情報シェアを獲得しつつ、
自社メディアもフル活用して、
情報を共有するようなイメージだろうか。

僕らの農業は、誰にも負けないような、
ここにしかないオリジナルがあると確信しているが、
それがコンセプトとして練られたものになっているのか、
といわれれば、甚だ疑わしい。
またそれらは、買い手や受け手にとって
解りやすい形に変換されているだろうか?
それも実に疑わしい。
僕がやってきた学問の経緯もあって、
複雑な事象は複雑なまま横たえておくのが
とても好きだったから、
ここまでこんな風に情報をブログで徒然と
書き連ねてきただけだった。
国際協力と地域づくりといった考え方自体が
まだまだ受け手側に浸透もしていないし、
そもそも、それが営農の理由にどうつながるのかも
受け手のもつイメージからはかけ離れすぎなのだろう。
僕の中では一つなんだけどな。

とりあえず、
僕らの雰囲気が伝わるような動画を
少しずつだが、
農園のFacebookページ
流していこうかな。
Facebookユーザーでない方も
農園たやのFacebookページは、
ご覧になれますので、どうぞお気軽に。




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ここ最近、勉強会が面白い。
先週になるが10月31日の記録をしよう。
酒井君の発表で、本はこれ。
日本雑草学発行 「ちょっと知りたい雑草学」。

農家にとって一番頭の痛いことは何ですか?
と聞かれれば、まちがいなく「雑草」は
上位に入る。
酒井君もうちで研修後に、自分で農業を始めたが、
他と同じようなことで頭を悩ましているようだ。

さて、この本では雑草と呼ばれる植物の生態や特徴、
そして歴史などが解説されている。
その中でも酒井君の関心はやはりコントロール。
どうすれば雑草をコントロールできるのか。
そこが僕ら農家にも肝心だ。

まったくの原生自然の中では
(というものが、あるんだろうかと疑問だが、あると仮定すると)、
僕らが慣れ親しんでいる(あるいは、戦い疲れている)
いわゆる「雑草」と呼ばれている植物は、
それほど見られない。
場合によっては探し出すのも困難だったりする。
逆に、人の手があまり入っていない国定公園などに
ひっそりと生えているような野草は、
畑の周りで見かけることは、ほとんどない。
ここには、人の手が加わることで、
進化を遂げてきた雑草の姿を見ることができる。
人による自然の攪乱に合わせて
生態を変化させ進化し、侵入性を獲得したものが
雑草という進化形になった。
人間による攪乱に合わせて、それらは生きているのだ。
そう思うと、なんとも感慨深い。
だからといって、除草する手は止まらないけど。

本書では、除草のエースはやはり除草剤となっていた。
除草剤は、その発祥がベトナム戦争の枯葉剤なので、
ベトちゃんドクちゃんのように胎児への影響を
目の当たりにした僕らやそれより上の世代の方々に、
やはり感覚的に根強い不信感はある。
科学の進歩で、あれとはそもそも別のモノだと
言っても、どこかやはりチープな感じの反論ではあるが、
現在使われている除草剤は(一部を除き)、
僕はおおむね安全を確保できているように思う。
除草剤として、枯草菌などのバクテリアや菌の利用も
今後拡大していくだろう。

労力の軽減という意味では、
除草剤の存在はあまりにも大きい。
ベトナム戦争時のアメリカ軍ほどの財力もない小農は、
自分の田畑に少量の除草剤をまくので精いっぱいだが、
それでも迫りくる雑草との戦いは楽ではない。
僕が3年の青春を埋めた
インドネシアのスラウェシ島の山奥では、
農業とは雑草との戦いだ、と学んだほど、
ひどく過酷な営農スタイルだった。
本書でも、除草剤による労力軽減は、
日本だけで1兆2700億円にも上るらしい。

除草剤以外にも除草の方法はある。
生えてくる雑草の種類を見分け、その生長点によっては、
草払い機の使用方法で、ある程度抑えられるときもある。
また雑草同士のアレロパシーを利用して、
夏草と冬草の植生の違いで抑える方法もある。
トラクターや鍬で耕起するのも一つの方法だ。
もちろん、手除草もある。
マルチ麦やヘアリーベッチの利用も有効だろう。
これらと除草剤を合わせた、
その場その場での複合的で戦略的な利用が
農業の現場では行われている。
やはり、農とは草との戦いだ。

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ただいま、
ごんぼを収穫中。
今年もなかなかの出来。
そして今年も収穫は、
なかなかしんどい作業。

このごんぼは、
九頭竜川の沖積土の畑と
そこで営まれる農とが生み出す奇跡だ。

香り高いごんぼは、
新米と豚肉とチーズと一緒に
リゾットになった。

P1040084.jpg

ごんぼのチップスが
香りと食感のアクセント。

今年のごんぼの出来に舌包みを打ちながら、
今日の労働をリゾットとワインとでねぎらう。
明日の労働につながる夕飯。
これも農家の食卓。

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インドネシア農業研修の座学。
後期の授業が始まり、また忙しい毎日。
今回は、「農業とグローバリゼーション」の記録。

記録はしていないが、
前年の授業と同じく、
まずハーディンの共有地の悲劇の要約文(英文)を
読んでもらい、みんなが最適ではなく、
最大を目指そうとする場合、
限りある資源の前に、僕らは共倒れになることを
自覚してもらった。

今回は、DVD「あぶない野菜」について。
2002年のDVDなのでやや古さは感じられるが、
農業生産のグローバルな構造は、根本的には変わっていない。
作る場所と食べる場所の距離は、
今も昔(2002年)も変わらず遠い。
DVDの中では、中国産の野菜に多量の農薬を使われている、
といったようなイメージが多数出てくる。
また海外から輸入された野菜のビタミンが
輸送途中で失われて少ないなどの指摘があった。
日本側から見れば、そういう映像になるんだろう。
これの現象を中国や東南アジアの農家側から
映像を組み立てるとどうなるのか、
そこに僕の関心はあった。

作る場所と食べる場所と距離が遠くなり
お互いのコミュニケーションが分断される場合、
その生産もまた食べる側の規格も
あまり真っ当なものにはならない。
僕らが毎日付き合っている市場の野菜の規格だって
(何センチの株丈、何株~何株入りetc.)
エンドユーザーには、あまり関係が無いようにも思う。
僕は技術は相対的だと思っている。
そこの国や地域の文化的な価値があって、
その価値に合わせての生活がある以上、
その生活を支える生産にもその相対的な文化が
影響しているのは当たり前。
だから生産技術は相対的だと思っているし、
これまでのインドネシアや日本での技術指導において
何度もこの壁にぶつかった。
だが、市場が日本となった場合、
日本の価値がその生産地域に土足で持ち込まれ、
その価値が生産現場で翻訳しきれずに、
規格として入り込んだ場合、
そこでの生産がどのように行われていくのかは、
火を見るより明らかだろう。
DVDが指摘したのは、まさにこの構図だったように思う。

問題は国と国ではなく、地域と地域でもない。
だから本当は、作る場所と食べる場所の距離の問題でもないのだ。
分断される情報が、問題なんだと思う。
溢れかえる情報の海の中、
これ以上に増えていく情報は迷惑千万だが、
僕らの生活は、あまりにも簡素化しすぎたという事なんだろうか。
だとしたら、DVDのタイトルは
「あぶない野菜」ではなく、
「あぶない関係」じゃないだろうか?

研修生たちとの議論では、
距離ではなく、個と個の関係が
この問題を乗り越える一歩になるんだと
行きついた。
だが、どう個と個をつなげていくかは、
暗中模索。
グローバル化した世界で、
僕らの農業生産は、今も苦悩している。


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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

メールは
taya.tアットマークnifty.com
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