インドネシア研修生の座学。
10月より、後期の授業が始まった。
1年生は、「総合防除」。
単に農薬だけに頼る防除ではなく、
さまざまな方法で虫(益虫&害虫)と微生物・菌を
コントロールしていこうという学問。
もちろん植生もここのコントロール下に入り、
雑草と呼ばれる植物もただ単に邪魔なものとして
排除(刈り取る)するのではなく、
構成する自然の一部と理解しながら、
共存する道を探る。
古くて新しい地平。

2,3年生は、
スタッフの佐藤が受け持つ
野菜の栄養素や来歴についての勉強がある。
先日、野菜ソムリエを取得した佐藤は、
そこで学んだ野菜カルテなるものを利用して、
経験と学んだことを蓄積していくデータベース法を
手に入れた。
それをインドネシアの研修生と集積する座学。
僕はこの座学の時間は、1年生の受け持ちなので、
仲間に入れてもらえないのがとても残念。。。

全学年向けに、
「農業とグローバリゼーション」という
昨年もやった座学を今年もやる。
見るビデオや読む本を変えて、
現在地球上でおきている問題を考え合えたら
とても素敵だ。
途上国と先進国といった垣根を取っ払い、
グローバルに農民が意見し合える座学を目指す。
こういうのって、ゆくゆく、
もっともっと大きな集まりで
やれたら楽しいだろうなぁって、
授業を受け持っていて思うのは余談。

2年生には、卒業研究のプロポーザル作り。
この半期をかけて、来年一年間研究する課題を
それなりに明確にする予定。
2年生のクスワント君は、これまで
月間レポートの中で、帰国後の夢として、
アグロフォレストリや丁子栽培を挙げている。
これらと関連しながら、
来年の卒業研究を練り上げていくゼミ。
2年生がサンドバックになるゼミ。

3年生は、卒業研究のゼミ。
タタンが対象。
これまでやってきた研究の発表と
論文や本を読みこんで精査をおこなう。
まだまだデータが足りないので、
どう補強するかを考えながら、
彼の研究テーマと帰国後の夢が
ダイレクトにつながるように指導する。
一緒に未来を見つめながら
僕らも学ぶゼミ。

全学年対象に、
月間レポートの指導。
以前も書いたが夢が加速するレポート。
帰国後のビジョンを明確にし、
それが実現するために必要な課題を自らが設定し、
学習を繰り返していくレポート。
だんだん明確になる彼らのビジョンに
僕らもわくわくするレポート。
こういうのってなんだか、協力隊みたいで楽しい。

他にもスタッフの大西による
プレゼンテーションの極意を学ぶ座学も用意。
様々な業種で、その能力を発揮してきた大西の
ノウハウを学んじゃおうという企画。
たぶん僕が一番楽しみにしているんじゃないだろうか。
プレゼン、上手になりたいもんね。

といった座学が、
この10月からスタート。
忙しくも充実した日々が、今日も続いていく。


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大根の間引きをする。
腰の痛い仕事だが、
これをやらないと、
大根同士の株間が混み合いすぎて
大きくなれない。

今年は手間を省くために
種まきを少し改良したので、
間引きの手間は、昨年の1/3以下。

IMGP0831.jpg

さて、大根を間引くと
当然、間引き菜が沢山出る。
農家はこの時期の間引き菜で、
菜飯を作ったりする。
販売はしないので、農家だけの贅沢。

P1040044.jpg

僕らの大根は、カラフル大根。
だから間引いた大根葉についている
小さな大根もカラフル。
これをきざんでフライパンで炒める。

P1040063.jpg

酒と醤油(味噌でも美味しい)と塩で
味を調えて、
炊きあがったご飯を入れて、
かるく炒めながら混ぜ、
そこにごま油をひとさじ。

P1040068.jpg

たったこれだけで、
ご馳走できあがり。
これからの大根の季節に想いを馳せながら
その旬を
大根の間引きという
腰とひざの痛い作業と共に味わう。
これが農家の食卓。



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勉強会の記録。
今回は、うちで研修をした林君。
彼の発表は、毎回面白いので、
結構楽しみにしている。
今回も、期待に反しない発表だった。
本はこれ。
宇根豊 著 「天地有情の農学」。

宇根さんの本はいくつか読んだが、
この本は初めて。
だが、そこには通底した一つの眼差しがある。
それは、生産に重きを置きすぎた、
行き過ぎた近代的農業技術(農学)を否定し、
百姓の情念を大切にしたいという想い。
今回の林君のプレゼンでは、
その眼差しをビンビンに感じた。
氏が取り組んだ減農薬運動で、
農家が主体性を持ち得て、自分の田んぼに
どのくらいの生物がいるかを発見した話を例に、
近代化と対比させた技術を氏は主張する。
それは、近代的な技術で
生産に直結する「上部技術」と
生産には直結しないが、豊かな自然を育む
「土台技術」である。
普及員の指導などでマニュアル化され
効率よく生産することを目指した近代的技術は上部技術。
直接生産には直結しないが
堆肥による土づくり、田圃の見回り、畑の観察などが土台技術。
氏は、この土台技術によって育まれる
自然をもっと評価しようと
本書で、「環境デ・カップリング」という政策を提言している。
農業の多面的な機能を見直し、
生産オンリーになっている現状から、
情念に支えられて行われている土台技術を復権させ、
その行為に対して、補助を出すという政策。
林君の説明では、氏のそれは多岐にわたり
たとえば、田んぼの生き物目録を作ったり、
田んぼをどのくらい見回ったか、などによって
助成金を出すというものらしい。

林君は、概ねこの政策に賛同している様子で、
この勉強会のメンバーや
高志みどりクラブでも生き物目録をつくってみてはどうか、
と提案してくれた。

では、ここから僕の勝手な意見。
行き過ぎた経済や生産を憂うのは、
気分として解る。
また、百姓の情念が存在し、
それがとても大切なモノだということも賛成だ。
僕は、この情念を農民文学が何かに昇華させ、
それがもっと洒脱で現代風なアレンジを持って
登場してくれることを待っている1人でもある。

だが、環境デ・カップリングはいただけない。
補助は、何も生み出さないよ。
有意義な行為に対して、補助を出すという
とても崇高な政策なんだろうが、そういうのは
絶対フリーライダーのたまり場になる。
やったことの監視も出来なければ、
目録も焼き増しが可能だ。
計画書と実行書のアドミをこなせば、
みんな補助金がもらえるという政策になりかねない。
宇根さんは経済を否定しすぎる。
僕は、真っ当な評価が無いところに
真っ当な生き方は無いと思っている。
だから真っ当な評価(マーケット)を作るよう、
仕組みを組み替えないといけないんじゃないかと思う。
土台技術が育む天地有情を
評価するマーケットと仕組みがあれば、
僕らは、どう考えているにせよ、そう行動するだろう。
そして行動は、僕らの思考も左右する。
大事なのは経済的な刺激も伴う事。

林君、君が生き物リストを作る相手は
僕たちじゃない。
僕たちも入るかもしれないが、
君の作物を買ってくれるお客さんとやるべきだ。
それを評価してくれるニッチな市場は、
中小企業診断士の君ならできるだろう。
援助に頼らず、自分を信じろ。


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2012年に来た新研修生はもう一人いる。
それはカダルスマン君。

彼の家は、いわば第2種兼業農家だった。
父親はバスの運転手で、農業収入はそれほど多くなった。
農地は親からの贈与ではなく、バスの運転手の給料で、
小さな農地を3つ自ら購入した。
しかし、それら2つは、子供の進学や病気治療のため、
売り払ってしまって現在は小さな畑が一つのみ。

カダルスマン君が高校生の時のことだった。
頼みの綱だった父は、脳梗塞に倒れ、
一命はとりとめたものの、運転手の仕事は止めざるを得なかった。
無収入でカダルスマン君以下3人の幼い兄弟を
養育していくのは大変だった。
そこで母親がジャカルタへ家政婦として働きに出た。
それでも収入は少なく、生活は苦しかった。
こんな家庭事情も、彼を農業研修へと向かわせた、と
現地でポテンシャル調査をしてくれている
友人のA女史(インドネシア人)のレポートには書いてあった。

カダルスマン君は、高校在学中に
全国高校弁論大会で全国1位にもなり、
貧困の中でも勉学に励んでいた。
しかし卒業後は、なかなか仕事に恵まれなかった。
絵画のギャラリーや園芸店、
繊維製品の卸などを転々とした。
解雇されたり、会社が倒産したりで、
安定した仕事に就けなかった。
そんな時に、僕らの農業研修プログラムを知ったそうだ。

そんな経験からだろうか、彼は、
「人に雇われるのは嫌です。自分で仕事を作りたい」と
自立志向が高い。
僕らがやっている農業研修プログラムで、
野菜を中心とした自立した農業経営を
学びたい、と意欲を示している。
ただ彼は若干だが、受け身的で自らの殻に
閉じこもっているような時もある。
この研修中に、その殻を自ら破り、
彼がはばたくのを僕は期待する。
彼にとって、
ここが運命の転換点になることを祈る。
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来年のインドネシア農業研修生候補が決まった。
候補者とタンジュンサリ農業高校から
先週の土曜日にFAXがあった。
21歳の候補者は、履歴書を見る限り農家のようである。

さて、新しい候補者が決まったので
そのエントリーを書こうと思ったら、
あることに気が付いた。
僕としたことが、
今年の3月に来た研修生の紹介を
まだしていなかったのである。
研修をバックアップする団体「耕志の会」では、
ニューズレターなどで
今年の新研修生についてお知らせしてきたのだが、
ブログではまだだった。

ということで、
今更ながらだが、今年の新研修生の紹介。
まずは、イラ・ソバルナ君。
イラ君は、来日が2度目。
1度目は2009年に
福井農林高校とタンジュンサリ農業高校との
交流事業で福井に来ている。
その時に、僕は通訳として関わった。
その時は、2週間と言う短い期間だったが、
滞在中にうちの農園にも訪れ、
農園で研修生たちとディスカッションも行った。
日本の近代的な技術を学びたい!と意気込んできたのに、
文化や技術は相対的である、という僕の主張に
混乱して帰国した1人。

その彼にも、何かしらの種が播かれていた。
首席で高校卒業し、公務員試験を受けた。
試験は合格しなかったが、
県の農業事務所の非正規職員として
働き始めた。
でもその時に、彼の中の種は芽を出し始めていた。
その次の年、公務員試験に彼は受験しなかった。
年齢が21歳に達したら、農園たやの研修に参加しよう、
そう心に決めていたそうだ。
事前調査で、イラ君は、
「農園たやで勉強して、僕いつか同じようなトレーニングファームをやってみたいと思っています。地域みんなで発展できることを目指しています」
と語ってくれた。

複雑な家庭環境と、
父母にほとんど収入が無い現状で、
周りの反対を押し切る形で、
彼はこの研修プログラムに参加した。
帰国後の夢は、
農園たやのような園芸経営だと彼は言う。
「インドネシアでもベビーリーフ栽培をやってみたいです」
そう話す彼は、月間レポートの自己課題で
インドネシアにおけるベビーリーフ栽培の可能性と
その市場開拓を勉強している。
ハングリーで貪欲な勉強家。
それが今の彼の印象。
僕はこれから、
彼が成功する未来を眺めながら
しばらくの間だが、一緒に歩んでいこうと思う。


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先週から今週まで、変則的な日程で通訳をする。
インドネシアのタンジュンサリ農業高校の一団が、
福井農林高校を訪問するに合わせて、
僕が通訳を務めた。
僕にとっても、大切な地元での活動の一つ。
僕に地元で活動するきっかけをくれた、
いわば原点と言って良い活動。

今回は、タンジュンサリ農業高校の一団は、
1週間だけ福農に滞在した。
これまでは、引率の先生は数日だったが、
学生は3か月滞在していた。
その変更の話はまた、別の機会に記録しよう。
とにもかくにも
今回は1週間だった。

さて、2009年から隔年でお互いを訪問し合っているのだが、
今回はその成果がとても見て取れた。
前年(2011年)にインドネシアに訪問した
学生が主体となった寮の歓迎式。
太鼓などの芸能に触れる時間もあり、
数年前とは全く違う交流のように見えた。
タンジュンサリの一団もただ福農側の
日程についていくだけでなく、
いろいろな共同作業できそうなツールを
いくつも用意していた。

言葉の面では、常に僕が通訳でいたわけではないので、
いろいろと苦労があったようだ。
余談だが、先生たちの泊まった宿泊所の
お湯の出し方が解らず、
2日間は冷水でシャワーを浴びていたらしい。
3日目はあまりに寒くて、シャワーを断念。
いろんな操作を試みたところ、
4日目で温水の出し方が分かったのだとか。

そんな苦労をお互いしながらも、
言葉を超えた交流があったように思う。
特に若い学生たちには。

前回まではまったく見られなかったのだが、
今回は、一団が来校した時に
有志の生徒たちが沢山出てきて出迎えてくれた。
出発の時も、寸時も惜しむように
学生たちが通じないながらも会話をしていたのが
ほほえましかった。
特に前回タンジュンサリ農業高校を訪れた
芸能部と生徒会の生徒が中心となった
交流の盛り上げは、本当に良かった。
こういう主体性をもった若者が
沢山福井に居たら、これらかの僕らの地域の未来は明るい。

こうした主体性に支えられた交流は、
両校のそれぞれの生徒の心に、
いろんな種を播いたことだろう。
それはもちろん国際協力と言う道への種かもしれないし、
そうじゃないそれぞれの分野で小さく咲かす花かもしれない。

訪問団のあちらの先生が、
「十数年前にも、福農に来たがその時は、日本の食べ物なんて食べられなかった。でも交流が始まってから、よく日本を意識するようになり、インドネシアに居ても日本食をたまに食べてみたり、日本の文化を学ぶようになった。そんなこともあってか、今回は日本で食べた食事はどれも美味しかったです」と
福井を出発する前の懇談で話していた。
それは学生間にもみられる。
10年前の交流では、どこかよそよそしさがあり、
間に入る先生が苦労していた。
太鼓などの芸能も、留学生はやりたいと言っていたのだが、
あまり快く受け入れられていなかった。
学校主導の交流と言う感じが消えず、
それもどこか業務として「こなしている」感の
残る場合もあった。

だが、この10年の交流で
経験が学生間で、そして先生間で、
また学校に確実に蓄積したのだろう。
いつの間にか、よそよそしさは無くなり、
主体性を感じられる交流となっていた。
こういう活動に係らせていただいていることに
感謝しつつ、次の10年はさらなる進化を
出来るように、僕も微力ながら尽力していきたい。
そう思えた、今回の交流事業だった。


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勉強会での僕のプレゼンの続き。
本は、川島博之 著『「作りすぎ」が日本の農業をダメにする』

日本の農業をダメにしている、
もう一つの構造的な理由とは何か?

本書では、国際競争に対抗できない現在の
日本の国内農業構造が問題だとしている。
一番大きいのは、農地。
農地の流動化が実現せず、多くの兼業農家が足を引っ張る。
アジア型の農業は、
多くの人口を養ってきた素晴らしい生産様式だったが、
増えてしまった農業人口が、
逆に国際競争を無くしてしまった。
江戸時代には、100人を養うのに
85人の農家が必要だった。
しかし、現代では、1人でも多いくらいに
化学肥料と機械による効率的な農業が発展した。
本来ならば、残りの84人の農家は
農業の舞台から退場し、残った1人に
農地を集積しなければいけないのだが、
一部の人は兼業化し、農地集積は進まない。
農業に対して、また農地に対しては、
それぞれの農家がさまざまな想いがあるだろう。
だが、資産として農地を見る傾向も
この場合は大きく影響している。
農地の転用機会を伺っているというと
そんなことはない、と反論する人もいるかもしれないが、
結果的にそういう現実になっているのも
事実であろう。
だから、著者は「農業の担い手不足」を声高に叫ぶ農業行政にも、
それは予算確保の方策だと厳しい指摘をしている。
農業の担い手は不足しているのではなく、
逆に、まだまだ多すぎるというのが著者の意見。

著者は、日本農業の生き残り方を
オランダ農業の成功例を紹介して、
園芸と畜産の効率化&大規模化だと語る。
東アジアの経済圏をマーケットにした
高品質の付加価値を付けた園芸と畜産が、
日本の農業の未来だとしている。

本書は、
論理展開に無理はない。
若干、東アジア経済圏とEUを比べる時に、
近い将来の実現可能性と
輸送にかかるコストで、疑問は残る。

さらに、確かに担い手不足ではなく、
農業人口がまだまだ多いのかもしれない。
しかし、農業によって派生するコミュニティが
その特性を失いつつある問題もある。
それは変容と言うダイナミズムの過程だと
言い切ることは簡単だ。
だが、そこに身を置く僕ら農民は、
なかなか割り切れない。
僕の農園の経営診断で、
「人が多すぎて経営を圧迫しています」と
解りきった指摘をしたり顔でする診断士の方を
スルーしながら、僕は人が集まる場を
ここに作って行こうと、
腹に根性を入れて考えている。
構造的に正しいと思われる著者の指摘に
僕は逆行しているのだろうか?
今はそう見えるが、果たして僕らの未来は
この先、どうなっていくのか、
不安と期待が読後に広がった。

とても良い本。
皆さんにおススメします。
是非読んで、本の視点を得て、
現実と戦ってください!


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9月25日の勉強会の記録。
発表者は僕。
選んだ本は、
川島博之 著 『「作りすぎ」が日本の農業をダメにする』。

最近、とても痛感することは、
業種間の給与所得の格差。
ブルーカラーワーカーだから、
そもそも高所得はあり得ないのかもしれないが、
ちょっと格差が大きすぎる。

農業を本業としている方々や
そこでスタッフとして働いている方々の
所得は、みんなが思っている以上に低い。
大規模稲作の場合は、
補助金が大きいので、それを差っ引いて
考えてみてほしい。

マーケティングやブランディングの問題だと、
農業が流行だと囃し立てる雑誌の記事は言うが、
それで、この業界全体が、
他の業種にキャッチアップ出来るんだろうか?
それでみんなが食っていけるんだろうか?
と良く考える。

さて、そんな素朴な疑問に答えてくれたのが、
今回の勉強会で取り上げた本。
構造的な視点から、現代の農業の生産様式を分析し、
如何に農業が食えていないかを分析している本。

ざっくりとした本書の流れでは、
2つの構造的な理由で、日本の農業がダメになっているとしている。
一つは、世界中であふれる食糧。
廉価で大量生産されている今の生産様式が、
世界競争力のない日本の農業をダメにしていく。
2008年の食糧高騰から、
食糧危機を謳う本が世にあふれたが、
著者は、それでも食糧は余っており、
本質的な食糧危機は無いという立場だ。
たしかにバイオディーゼルなどの他の分野での
助成金が食糧の国際市場よりも高い場合、
食糧はバイオディーゼルマーケットに流れるだろう。
10億人が肥満になるのに、10億人が飢餓に
おちいっているのは、増産が間に合わないからじゃない。
そこには別の構造的問題があるからであって、
食糧が足りないわけじゃない。
日本政府が貧困地域に食糧援助している
2倍の量の食糧を
僕らはゴミとして捨てているという現実もある。

さて、ではその作りすぎの構造はどうなんだろうか?
広大な土地と化学肥料と機械化によって、
それは実現した。
本書では世界の農業を3つのタイプに分けて
説明している。
アジア型、ヨーロッパ型、新大陸型の3つだ。
アジアは肥沃な土地が多く、もっとも効率のよかった
稲作で栄え、有史以来もっとも多くの人口を
養ってきた。
一方、ヨーロッパは長らく多くの人を養えなかった。
三圃式と呼ばれる酪農と小麦と牧草地を組み合わせた農業は、
土地そのものが小麦の連作に耐えられないほど
痩せているからである。
これら生産様式が、化学肥料と機械力で一変してしまう。
ヨーロッパ型では、化学肥料のおかげで、
休閑と施肥を意味した牧草地と酪農が不必要になり、
小麦の連作が可能になった。
人口を養えず3回に1回しか小麦を作れない生産様式では、
必然的に個人の保有面積は広くなる。
そこに機械が加わり、耕作能力が格段に上がると
国際的な穀物市場で競争力がついてくる。
一方アジア型は、確かに化学肥料によって
同じように増産が可能になったが、
元々沢山の人口を農村で養ってきたため、
土地所有の構造が複雑かつ小規模で、
機械化による大規模化にはスムーズに移行できなかった。
さらに新大陸型は、
そもそもそこにいた住民から土地を奪うようにして
まったくゼロからの農業経営が出来たため、
この新しい技術(化学肥料と機械)による
生産様式をいち早く築くことができた。
これらの差が、現在の国際米穀市場において
競争力として顕著に表れることになる。
南北問題による格差から、
廉価に作れていた農産物も、新興後進国の例から言っても、
そのボーナスは間もなく無くなるだろう。
そう考えれば、この3つの様式のうち、
そう遠くない未来に勝者となるのは誰か、
自ずと答えが見えてくる。

成人が1日に必要なカロリーは2000cal。
そのカロリーは小麦粉価格で30円ほど。
1日1ドル以下の貧困ラインを割っている人でも、
豊かな食事かどうかは別にして、
十分食べていける価格まで、
国際市場では食糧の価格は落ちているのだ。
それを可能にしたのは、
化学肥料と機械化による生産様式なのだ。

そんな国際的事情が存在する中で、
兼業農家が多く、かつ雇用賃金が高く、
さらに大規模化が難しい日本の農業の発展の道は、
一体どこにあるというのだろうか?

長くなったので、後半に続く。
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早稲田大学のある授業で、
農村体験をするものがある。
その受け入れを、2008年からやっている。
毎年個性的な学生がやってきて、
受け入れる側も楽しい。
今年も夏休みに、19歳の男の子がやってきて、
インドネシアの子たちと共同生活を
味わってもらった。

さて、
その授業で数年前にやってきた子から、
夏前に突然、
「仕事を辞めて青年海外協力隊に行きたいので、田谷さんの農園で鍛えてください」
と連絡があった。
とても面白い子だったので、こちらも良く覚えている子。
優秀で、とても良い会社に入っていたのに、
その会社を辞めて、協力隊とノタマフ。
とても正気じゃない。

彼が学生として農園来た時のことを
今でもよく覚えている。
芯があって、誰とでも仲良くなれる
とても社交的で、頭の回転の速い子だった。
4年生で来たのだが、
その時には、すでに大手に就職も決まっていた。
外国人の多い環境の僕の農園で、
彼は、
「外国に行ったことが無いです。なぜって海外に全く興味が無いからです」
と話していたのを覚えている。

その彼が、海外へ展開している会社へ
就職したことも大きかったのだろうが、
この農園での体験が、彼にある種を植え付けていた。
その種が、今頃になって芽を出し始め、
彼は新しい一歩を踏み出そうとしている。

青年海外協力隊は、いわゆる
「キャリアアップ」ではない。
これはある意味、僕らを磨くための「試練」。
行ったからと言って、
食っていけるわけもなく、
むしろ、大半が大変な思いをその後もし続ける。
僕も、たぶんその一人。

でも、
行くと決めたなら、ぜひ、行った方が良い。
そうおススメできるだけの経験とチャンスは、
そこにある。

来年1月からうちの農園で
彼を鍛えることになった。
鍛えるからには、スーパー隊員に育てたい。
大きく羽ばたける翼を
ここで彼が身に付けてくれたらと思う。

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過分な賞を頂いた。
これまでのさまざまな活動を
評価していただいた結果の受賞だった。

でも、その「これまで」は、
僕にとっては全部「偶然」が積み重なっただけ。

まず、
97年に青年海外協力隊に参加した。
これは偶然じゃなく、自分の意志で。
赴任した場所は、「偶然」だが、素晴らしい仲間が集まる
協力隊員ばかりの村おこしのチームプロジェクトだった。
物見遊山な感じで赴任した僕には、
かなりハードルの高い職場だった。
諸先輩たちの妥協のない活動への姿勢が、
大学を出たばかりの僕に
プロフェッショナルな仕事の仕方を教えてくれた。
そして、ここでの経験が、
地域づくりへの僕の視点と情熱を作った。
00年に帰国。

丁度その時に、福井農林高校と
インドネシアのタンジュンサリ農業高校の
交流事業があり、全国高校文化祭(横浜開催)で
そのタンジュンサリ農業高校が招聘された。
その通訳として、僕は参加した。
当然、これも「偶然」。
福井でインドネシア語が出来て、
帰国したばかりで時間に余裕のある奴は、
僕しかいなかっただけの話。

そして、そのご縁で両校の交流事業に僕が関わり、
インドネシアからの短期留学のお手伝いを始めた。

03年、僕は「偶然」と「強運」を武器に、
自分でも無理だと思っていたボゴール農科大学大学院に
奨学金付きで留学した。
留学の理由はさまざまあったが、
地域づくりのチームプロジェクトに参加していたことと、
そこで「偶然」出会った
妻・小國和子に触発されたことも大きい。

05年、留学先で、
タンジュンサリ農業高校の校長と
福井農林高校への短期留学について議論をする。
「偶然」にも校長が遊びに来いと言うので、
行ったらそういう話題で盛り上がった。
「3か月の短い期間では、日本・福井の農業を深く理解できない」
と校長談。
その議論から、農業研修プログラムが生まれることになる。
留学から帰国後、再び農業を生業とし、
2年の準備期間を経て、
08年から受け入れを開始する。
ちなみに、留学での学問と妻からの影響が、
今の僕の地域開発への眼差しになっている。

そんな頃から、農業をしたいという
日本人の研修生も農園に来るようになった。
その研修生たちが、
「偶然」あまりにもモノを知らないわりには、
貪欲な勉強家だったので、
数人で勉強会を開いたら、
いつの間にか十数人の人が来るようになっていた。

インドネシアの研修卒業生も
自国で活躍し始め、そんなこんなで
僕もメディアに取り上げられる機会が多くなった。
そんな「偶然」から、優秀な若者が
スタッフとして農園を支えてくれるようにもなった。

今回の受賞で取材を受けたが、
これからどうしていきたいですか?と
今後の抱負について質問された。
答えにやや詰まった。
だって、「偶然」が次の活動を生み出して、
その積み重ねが今に至っているだけなのだ。
僕が「こうしたい!」と強く望んだこともあったが、
それが生まれてきたのは、僕のイメージではなくて、
周りの状況やそこにニーズがあったからだ。

だから、たぶん。
これからもこんな「偶然」を大切にして、
それを積み上げていこうと思っている。

これまで一緒に、
こんな素敵な「偶然」を積み上げてくださった皆様、
本当にありがとうございました。
そして、これからもこんな素敵な時間が続いていけるよう
努力していきますので、
ご支援とご指導を頂ければ幸いです。

本当にありがとうございました。

田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

メールは
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