耕志の会のニューズレターを編集&発行。

リンクは以下の通り

https://docs.com/NC7O

2012年度の前期の活動内容が
主に記録の内容。

9月からまた後期の研修が始まる。
また忙しくなりそうだ。
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08 27
2012


IMGP0635.jpg

春先の野菜苗の販売で、
スイカの苗が、6本ほど余った。
いつもなら、処分してしまうのだが、
かぼちゃの畑に余裕があったので、
その隅にあまったスイカを植えておいた。
当然、栽培する気もほとんどなく、
いつしかスイカを植えたこと自体
忘れていた。

そして、かぼちゃを収穫した時に
そのスイカを思い出し、見てみると
10個ほど勝手に育っていた。

全くかまわなかったのが幸いしたのか、
いつもならカラスや雉にやられるのだが、
草むらになって、忘れ去られた畑では、
その草がスイカを隠してくれていたのだった。
手間をかけても失敗することもある。
手間をかけなくても自然となることもある。
またその逆も然り。


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そのスイカは、僕らの休憩時に
みんなで食べることにした。
大玉のスイカなので、みんなで
毎日食べてもなかなか減らない。
しかも、
今年は雨もほとんど降らなかったので、
スイカはすこぶる甘い。
こういうのも農業の醍醐味の一つだろう。


今年の夏は、
とても贅沢な休憩になった。


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今年、ミニパプリカを試験的に栽培している。
これが実に面白い食材。
味は当然良いのだが、
その形と色が面白い。

小さいので、中に詰め物をしても良いし、
輪切りにしてもきれい。

そのミニパプリカとハムを散らして
ピザを妻が朝食に作ってくれた。

P1030776.jpg

その配置ぐあいで、娘が
「お顔みたい!」と喜んでいた。
ミニだから、輪切りにしてもそれが
そのままピザやトーストに乗る。
ただそれだけのことなんだけど、
それだけのことが、とても面白い。

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自分のおもちゃとして、
この冬、乾燥機を買った。

これが実に良い。
野菜が本当に美味しくなる。
低温(40~50℃)でじっくりと乾燥させると、
本来の味をしのぐような風味が出てきて、
野菜をぐっと美味しくさせる。

知り合いのシェフが、
「美味しい調理のコツは、如何に水を抜くかなんだよ」
と言っていたのを思い出す。
干し野菜と言うと、どこか古臭い感じだが、
それを新しい文脈で、オシャレにとらえ直す。
それがこの遊びの目的。


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今はまっているのは、
「干しかぼちゃ」。
この時期、かぼちゃのシーズンなんだから
それをそのまま楽しめばいいのだろうけど、
それを片っ端から干している。

干すと甘みや風味が増し、
とにかく濃厚なかぼちゃの味を楽しめるのだ。

そしてその干しかぼちゃで
かぼちゃのプディングを
妻が作ってくれた。

作り方は、妻に任せることにして、
とりあえず写真だけアップしよう。

P1030708.jpg

P1030710.jpg

P1030718.jpg

スープにしても美味しい、
この干しかぼちゃ。
乾燥野菜の可能性に魅入られた僕は、
次から次へと野菜を乾燥してまわるだろう。

さて、次はなにを乾燥させようか。


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インドネシア研修の記録をしよう。
2012年前期は、地域開発論以外にも農業構造論という
座学を行っていた。
生産様式を含めた農業の風景という表象を支える
さまざまな要因を一つ一つ腑分けしながら、
インドネシアと日本を対比させつつ、
近代化論的な単線的発展モデルを克服する座学。
文化相対主義的に個々の農業の価値に気が付けば、合格。
研修1年生の必修科目。

最終試験では、1年生のそれぞれが自分たちの地域の営農スタイルを
解説し、どのような要因によってそれぞれのスタイルが
形成されているかをプレゼンしてもらった。

カダルスマン君(以後:ダルス)の地域は、
やや開けた土地で、川が多く水源に困らない。
そのため、米作りが盛んで、水の入る土地では年に3回、
米が作付けされる。
土地が開けていると言っても、そこは西ジャワ。
でこぼこで水の入らない土地も多い。
そんな土地では、タバコ栽培が盛んだという。
タバコの買い取り商人も多く、
そこから資金を借りて栽培する農家も少なくない。
そんな営農スタイルの中に、
政府が砂糖ヤシの栽培プログラムを持ち込んだ。
緑化政策の一つということらしいが、
タバコ栽培があまり向かない山間の斜面の畑などで
砂糖ヤシの栽培が盛んになりつつあるという。
ダルス君の家は、水田をもたず、
タバコ栽培に適した農地もない。
山間の斜面の畑は、今は果樹を粗放栽培しているのみで
ほとんど管理らしいことは行っていないらしい。
彼は、
「いずれは資金をためて田んぼを買い、斜面の畑では高く売れる果樹を栽培したいです」と締めくくってくれた。

もう一人の1年生のイラ君。
彼の故郷は、前回のエントリーでも書いた
2年生のクスワント君の村に近い。
中学校は同じだったとか。

さてイラ君。
彼の地域では、実に多様な生産をしている。
トマト・トウガラシ・キャベツなどの野菜類、
バナナ・マンゴー・アボガド・マンゴスチンなどの果実類、
また香辛料類や養殖、鶏・牛・羊・ヤギなどの家畜などなど。
西ジャワのどこの農村でも見受けられるような、
販売と自給の曖昧な細かな生産を行っている。

その中でも、彼は米とイモと羊を大きく取り上げていた。
クスワント君同様、水の入る土地では米を作り、
そうでない土地ではサツマイモを栽培するのが主流らしい。
近くにチレンブというサツマイモの産地があるのだが、
その産地の影響で、サツマイモも高値で取引されることもあり、
イモの栽培も盛んとのこと。
そして最近流行なのが、羊。
彼はここに来る前に、スメダン県の農業事務所で働いていたのだが、
その時に羊普及のプロジェクトがあり、
彼の村に、2頭ずつ羊の貸与があったらしい。
羊の子供が増えれば、それを返すシステムで、
彼も2頭のメス羊を貸与されたという。
彼の話によれば、村では羊の繁殖ブームとのことで、
今後とも行政の後押しが続くのであれば、
どんどん発展していくのではないか、と分析してくれた。

また、近くの市場をあれこれと解説してくれたのだが、
街の市場に、農民自身が細かな生産物を
持っていくことはほとんどないという。
ほとんどが自給用で栽培されているため、
生産物が少ないことと、運搬手段を持たないため、
たとえ車を手配しても、儲けが出ないとのことだった。
果樹は、自給用の場合もあるが、多くが買い取り商人との
庭先取引で販売してしまうという。
生産規模も小規模とのこと。

換金目的としてはサツマイモと羊が、
もっとも有効だという。
そんなイラ君は、施設園芸に興味を持って研修に励んでいる。
「タヤさんのように、ハウス施設で野菜をたくさん作りたいです」と
プレゼンを締めくくってくれた。
なんでもベビーリーフをインドネシアでも栽培したいのだとか。

彼ら1年生が自分の地域を
自分で分析するのは初めてとのことで
やや難しい課題だった、と感想を述べてくれた。
ただ同じスメダン県と言っても、
少し離れているだけで、こんなにも風景が違うことに、
僕も含めて、研修生たちとその新鮮な驚きを
共有できた。

その驚きが、差異に気が付くきっかけであればと願う。
相対化して生まれる差異に気が付くから、
自分たちの個性が、ひときわ輝きだす。
何が輝きだしているのかは、
僕は研修生たちの肩越しに、彼らとこれから見つめていこうと思う。
さぁ、1年生諸君の準備は整った。
次の後期の座学から、
一緒に未来の良き営農のスタイルを
探していこうじゃないか。

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インドネシア研修生の座学
「地域発展論」の続きを記録しよう。
最終試験では、
クスワント君(以後:ワント君)の帰国後の営農スタイルを
発表してもらった。

ただ単に農業を行うのだけでなく、
その営みが、その地域の問題解決につながっている事。
それがこの試験の条件。
ワント君が考えている営農スタイルは、
「アグロフォレストリー」。
農林複合経営とか、森林農業などと言われているスタイル。
その概念自体の詳しい説明は省略するが、
ここでは彼のプランを中心に書いていこう。

彼の住む地域は、西ジャワ州スメダン県の県都スメダンから
西に1時間ほど山に入ったところにある。
山間地だが、水源が少ない。
水の入る土地では田んぼをし
そうでない土地ではサツマイモを栽培している。
ワント君曰く、
「父が若かった頃は水も多く、水田が沢山あったのですが、今ではかつて水田だった土地もサツマイモ栽培に変わっています」とのこと。
確かに近くにサツマイモの有名な産地があるので、
それなりにサツマイモ栽培への関心が
高まっていることもあるだろうが、
それが変化の主要因ではなく、
彼は水源の枯渇がそれを招いたと考えている。

彼はプレゼンで、自分の故郷の小さな山々を写真で見せてくれたが、
その多くが、木が一本も生えていないはげ山だった。
頂上まで耕されて、畑になっているのである。
人口が密集しているジャワでは、そう珍しい光景ではない。
ワント君の地域でも農地は3反もあれば広い方だという。
人口圧と貧困が農地の限界にチャレンジしている風景とも言えよう。

そのはげ山、困るのは保水力。
雨は雨季になればそれなりに降るらしいのだが、
水は一気に山を駆け下りてしまい、
こんこんと湧き出る水源を作ってはくれない。
森を切り開き、すべてを畑にしてしまったからだ。
しかも、作物を支える表土が流亡するのも大きな問題らしい。
そのため、それらの土地では年々生産量も減っていく。
そして水源がなくなるため、今まで田んぼだった土地も
畑へと変化していってしまっている。

この問題の解決に、彼が考えたのが
「アグロフォレストリー」。
木を植えて森へと戻しながら、
その間で耕作をするというスタイル。
ただ、ちょっと経営的には難しい時もある。
植林した当初は、その間でいろんなものを栽培できるが、
樹幹が大きくなってくれば、当然、光を遮るので難しい。
野菜や穀類と果樹の組み合わせが多いのは、
樹幹が低いうちは、野菜や穀類を販売し、
高くなれば、果樹経営に変えるというのが
アイディアの一般的なところだろうか。
だが農家の立場からしてみれば、
野菜や穀類と果樹の経営は、
同じ農業で括られてはいるが、
経営的にまったく違うもので、
数年の間にその変化がやってくるような経営は、
できればしたくないのが正直なところ。

ワント君のアイディアは、
はげ山でアグロフォレストリー経営をし、
下部の農地の水源確保にもつなげるという。
しかし、経営的に難しいアグロフォレストリーが
果たして、その地域の社会的起業になりうるのだろうか?
政府が多額の助成金を出しても(果樹による緑化政策など)、
あまり成功例を見ないのに、
理念は素晴らしいが経営的に広がりを見せるのかどうか、
すこし不安もある。
ワント君は、そこもしっかりと考えていて、
果樹として植える作物をバナナとし、
その加工まで見据えてのビジネスプランだった。

ワント君の案は、バナナチップス加工も含まれていた。
徹底したエコを意識してか、
乾燥機は電気や石油燃料を使わず、
太陽光のみで出来るものを選んだ。
全国の農業高校のコンペティションで、
加工分野で学校の代表になったこともある彼らしい案だった。
生のバナナでは有利に販売できないし、
田んぼなどの農繁期と重なると作業も大変になる。
加工であれば、時期を見定めて販売できる。
エコなチップスは、それだけでストーリーとなる。
それが彼の案だった。

なるほど、面白い。
でも、脇はまだ甘い。
そうであるなら、アグロフォレストリーなんて
持ち出さなくても良いじゃないか。
バナナが儲かるのなら、バナナのプランテーションにした方が、
経営はより有利だ。
それに対し、ワント君はアグロフォレストリーと
プランテーションを自然に対する負荷で反論したが、
貧困にあえぐ農民に、自然保護なんて
念仏ほどの価値もないだろう。
たぶん、自然保護を真っ向から反対する人はいない。
でも、なぜかそれを皆やらないのには、
それなりの訳がある。
それをやれば、今よりも生活がぐっと良くなるような
手ごたえがすぐには得られないからだ。
かつて、僕がボゴールで学生をしていた時に、
ある人から、
「環境保護は、経営的な話になるとどうしても弱い。それは義務としてやらないといけない時もある。やる方にとってすべてが楽しいことなんてないんだよ」と教えてくれた方が居たが、
僕はそれではやはり先には進めない気がする。
この社会的ジレンマを抜け出すには、
その営利活動を行うことで、全体の問題解決につながるような
社会的起業が必要なのだと思う。
だとしたら、倫理的な問題だけではなく
(たぶん、それはもう議論し尽くされている)、
それをやる人たちにとって、もっと活力ある営利活動でなければ
魅力的じゃないのだ。

だから、僕は彼に宿題を出した。
バナナのプランテーションにならずに、
ワント君の言うアグロフォレストリーになる道を
この夏休み(座学の前期と後期の間)中に
レポートにして出してもらうことにした。
何が出てきたかは、またその時に記録しよう。

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毎日新聞の特集ワイドで、
「原発呪縛・日本よ!」のリレー連載で、
内山節の意見が出ていた。
読んでいて、鳥肌がたった。
これからの未来の在り方を氏は、
「文学的に考えればいいんです」と答えていた。
彼の著書はこれまでもいろんな場面と文脈で読み、
そして、ある地点で、僕は内山節を読まなくなっていた。
自分では決別したつもりだった。
しかし、まわり回って、今、僕は氏の考え方に
近いところで、自然と営農と未来を見ている気がする。

これまで氏の著作で感銘を受けたのは、
やはりその時代の精神を描き出している事だろうか。
氏はそれを『精神の習慣』と呼んでいる。
それぞれの時代の考え方・正統性・価値などは、
その時代時代によって覆われている精神が違うため、
時代によって変化することを氏は、著作の中で指摘していた。
ただ、その方向がどこへ向かおうとしているのか、
僕には読み取れなかったため、
ある時点で、内山節を読まなくなった。
氏の本からは出口が見えなかったからだ。

そのころ、僕に明快な出口を示してくれたのが
自然科学者の著作だった。
科学が描く『本当』の世界の在り様に、
僕は現代を包む精神の習慣とのずれを見つけ、
そこに出口を見たような気がした。
分子生物学や土壌学・応用化学・昆虫学・生態学・食品リスク学・遺伝子工学などの
科学は、僕らの常識を打ち破るような
自然と僕らの生活にかかわる事象を説明してくれた。
危険だと一般的に認識されている『農薬』が、
どの程度のリスクなのかを解説してくれる良書もあった。
昆虫間の相互作用を利用した防除の在り方もあり、
僕の心の根っこにあった
『農薬』=悪という概念そのものを打ち砕いてしまった。
土づくりは、化学的な捉え方よりも(N・P・K的な)、
団粒構造のダイナミズムと微生物が構成する多様性といった
捉え方が、より僕を刺激した。
遺伝子組換え作物が、
耐農薬性について考えてみると、
総合的には、どのような問題があるのか、
良く解らなくなるくらい素晴らしい解説本もあった。
これらすべては、僕らを覆っていた『精神の習慣』を
打ち破るものばかりだった。
そこにはミュトスは無く、実在論的な科学によって裏打ちされた
世界の在り様を僕に見せてくれた。

僕ら生産者は、悩みが多い。
社会的な文脈を構成している精神の習慣によって、
農業の生産現場では、さまざまな意見が飛び回り、
そしてそれが本当かどうかなんて検証もあまりないまま
その方法を僕らに越境して、その価値に同意させようとする。
『有機農産物は栄養価が高い&安全』
『農薬は危険』
『遺伝子組換えは危ない』
『硝酸塩は危険』
『伝統種は美味しい』
などなど例を挙げればきりがない。
慣行農業の現場の多くが、まったくこの精神の習慣とは
逆の立場で生産に汗を流している。
それは悪意ある生産ではなく、
真っ当で真摯な姿で。
生産物を差別化でき、カリスマ性を帯びた農家の一部は、
精神の習慣に乗っかって、自然農や有機農業という
カテゴリーの中で生産をしているが、
価格が反映されないほとんどの農家には、
そのような精神が越境してきても対応はできない。

もちろん、
全ての消費者が上記のような精神を
積極的に持ち合わせているわけじゃないが、
それでも、上記を問われれば、
多くが同意をするだろう。
「農薬ってやっぱり必要悪だと思います」と
ある消費者は僕に話してくれたことがある。
2008年に僕が安心安全について、
当時所属していた4Hクラブの発表コンペに参加するために
多くの人から意見を集めていた時のことだ。
農薬の危険性の議論の中で、
たぶん僕に寄り添ってくれた答えだったのだろうが、
それでも、やはり『悪』という意識は消えない。
怖いけど規定通り使えば、『安全』なんだろう、
という意識は誰にでもあった。
その「怖いけど」の部分が、『安心』という感情に
つながっていて、
農薬の核心の部分についての安全性の処理は、
個人的に手におえない状況でも、
2次的な周辺ルート処理によって、
作り手を信頼することで成り立っていることも
この時のインタビューで感じた。

精神の習慣によって事実として認識されている
この必要悪が、本当に悪なのかどうか、検証することもできないまま、
僕らは生産をしながら、仕方なく、
そのネガティブな思考に
支えられたその行為をし続けなければならないのかどうか、
それに良く悩んでいた。
もっと、僕は自由になりたかったのだと思う。
出口を示さない内山節を読むよりも、
新しい世界の地平を僕は見たかった。
そして、それはもっと社会に共有してもらいたかった。

しかし、それにも転機が訪れる。
科学がこの世界を説明すればするほど、
僕らの情感を傷つける時がある。
汎用性が高く、素晴らしいその普遍性をもった科学は、
地域や個人の持つ価値の凸凹を考慮しない。
正しいとされた判断の前に、
時に僕らの情感と価値は、ミュトスとなる。
僕らの中に土足で越境してくるその力は、
まさに近代性が生み出した申し子として、
すべてをフラットにしていく。
だから、一時、僕は愉快だった。
僕らの営農を支持し、大多数の慣行農業の出口にも見えた。
慣行農業と有機農業を画する一線は、どこまでも曖昧になり、
ミュトスの無い、美しい地平だと思ったこともあった。
そして、今は、それが不愉快でしかない。

科学的に正しいことは、たぶん、ヒューマンエラーが無い限り、
それは正しいのだろう。
僕はもう実在論を疑わない。
世の中は斉一性富んでおり、帰納的に出来ているから、
僕らは帰納したくなるんだと、今は理解している。
ただ、それを前にした時、
僕の中で消えゆく情感を感じた。
自然をどう捉えるべきか、その部分で、僕は不満があった。

僕の妻は文化人類学者で、
彼女から日々多くの刺激を受けている。
カルチャーを書き続ける意味を
僕は大学院の講義よりも彼女から学んだ。
そしてその文脈の中では、
地域や個人の持つ価値と情感の凸凹は、
それ自体に価値がり、そして記述されるべきものとして
取り扱われる。
まさに、その地域の、その時代の『精神の習慣』を
書き表していく作業と言えよう。
そこには、僕ら介入者も社会的文脈の中で、
一緒に精神の習慣を築き上げていく存在として書かれ、
彼女の捉えた『開発』現象は、
その習慣を動的に捉えており、とてもダイナミックだった。

そんな風にして、僕らの情感で
自然を記述した分野が無いのだろうかと探してみると、
ネイチャーライティングという分野にぶち当たった。
やや自然回帰主義的で、
とても開発人類学が持つダイナミズムを持ち合わせているようには
思えない分野だが、
それでも僕らの持つ情感を拾い上げようとしている
数少ない分野には違いなかった。
反近代の思想をもち、その部分がやはりどうしてもチープで、
現実を反映していないので不満が残る。
開発人類学のように、開発を意味なく敵視せず、
そこで行われている相互作用に目を向ければ、
反近代といったもう僕らにはどうしようもない文脈に
陥らなくても済むのかもしれない、と思うのだが、
この辺は、僕ももう少し勉強しなければならない。

こういった思考を巡らせていくと、
最近よく思うのが、実は『安心安全』という僕らの
精神の習慣によって生み出された言葉は、
僕らにより良い未来を築くようには発揮されず、
逆に僕らを罠にかけてしまったようにも思う。
すべてを『安心』と『安全』で話をしようとすると、
そこに汎用性と普遍性をもった科学が、
この斉一性にとんだ世界の中で、力を発揮する。
安全は科学が語り、
安心はその科学を信じることで生まれる。
そんな文脈になっていやしないだろうか。
たぶん、それはこの時代では間違っていないのだろう。
なぜなら、僕らは社会をよりシステマティックに築き上げ、
多くの分断された情報の中で、何と何がつながっているかも
良く解らないまま、生活することを強いられているかだ。
だから、一つ一つのつながりに興味を示しても、
時間的・金銭的・空間的なさまざまな制約を受けて、
それを僕らの感覚が掴み取ることは難しい。
そしてそのすべての制約を取り払ってくれるのが、
『安心安全』という習慣のように思う。
そこには、僕らの情感はミュトスとあざ笑われ、
科学的に正しいことが、『正しい』とされる世界。
その窒息してしまいそうな世界で、
僕らが感じる自然への想いは、どこへ行くのだろうか。

これらを考えてみると、
安心安全というのが問題じゃない。
制約を受けて、僕らが生の感覚で触れられない社会の構造に
僕は問題を感じる。
ネイチャーライティングの著者・野田研一は、
人間の原理を絶えず相対化してきた自然という他者の存在に
その意義を唱えている。
その相対化されてきた自然が、遺伝子工学や応用化学や
分子生物学や生態学などによって、
相対化されず、その科学の原理だけが独り歩きを
しているのが、現状のように思う。

内山節が、
「文学的に捉えればいいんです」と答えたその中身は、
僕らはもっと生の感覚を取り戻し、
科学が前面に出てしまっている価値基準に、
僕らの情感をもっと練り上げたモノとして加えなければならない、
というメッセージだったと僕は捉えている。
原発の議論も、その安全性に特化するのではなく、
僕らの生の感覚がつながるこの世界との関係の中で、
それぞれの情感がかけがえのないモノとして、
扱われることを期待したい。

ますます社会は
分断された情報と関係の中で発展しようと試みるだろうが、
それらの中では、僕らの価値基準は『科学』や『国家』といった
とてもそれらだけに任せておけない論理で話が進んで行ってしまうことに
僕はもっと自覚的になるべきだ。

この世界は、生の感覚がつながるように
「文学的に捉えればいいんです」。
僕もそう思う。
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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

メールは
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