6月28日は、福井震災があった日。
1948年に、丸岡町を震源とするM7.1の直下型地震。
震源の深さがごく浅く、深度は6(当時は6が最高)。

多くの建物が倒壊し、火事が発生し、
多くの死者・負傷者を出した戦後最悪クラスの震災だったらしい。
祖父や祖母ももちろんこの地震を経験している。
2人とも田んぼで作業中で、事なきを得た。

さて、その経験を風化させないために、
毎年この日は、防災特番として、
地元のラジオ局では、福井震災や防災情報を
放送していた。

今年も例外ではなく、
防災意識を高めるために、その特番が組まれていた。

毎年何気なくそのラジオを聞いていたのだが、
今年は強い違和感を覚えた。
それは、地震による防災意識を高める話を
しているのに、
原発からどう避難すればいいのか、という情報は
全く盛り込まれていないからだった。

原発が稼働する、というなし崩し的な決定に
やきもきする毎日を送っているが、
それはそれとして、実際に動くのであれば、
その原発はゼロリスク神話が崩れてしまった
今では、僕らは実際に事故が起こった時に
どのようなマニュアルで避難すればいいのか、
それを考えておかなければいけないのだが、
原発稼働決定後でも、それらは、
全然話し合われていないのである。

今までは、原発なんて福井と言っても
嶺南地方のことで、あまり意識が無かったが、
フクシマで30キロ圏内の避難や
一時的でもその圏外でも高い放射線濃度だったことが、
僕の脳裏にしっかりと焼きついてしまっている。

原発は、嶺南地方のこと、といって、
僕らは無関心ではいられないのだ。

原発は絶対安全ではない。
それは野田さんも西川知事も、
そのリスクと比べて稼働させると言っているんだから、
みんなその認識はあるんだろう。

OK。それはそれでいいだろう。
僕は絶対反対だけど、動くのであれば、
僕らはそのリスクに対して、
どう避難して、どう被害を受けずに済むかを、
しっかりと話し合わないといけない。
だのに、ラジオの報道や新聞では、
防災意識を高めるというのに、
原発にはまったく触れようとはしない。

こんな意識が蔓延しているのに、
原発は動き出そうとしている。
それともこんな意識を蔓延させるような
情報操作でもあるんだろうかと勘繰ってしまう。
そんな社会が、
原発にちゃんと向き合っていけるのだろうか?
もっと僕らは真面目にリスクを語り合い、
ヒステリックにならずに、
そのリスクを理解する必要がある。

それがフェアな状況で話し合えるように、
社会や政治がもっともっと大人になってほしい。

野田総理、西川知事、
原発を動かすのであれば、
原発事故からの避難マニュアルを
もっとオープンにシェアできる場を
作ることと、
大規模な原発事故の避難訓練をするべきです。
これは火急的課題です!

もしそれが無く原発が稼働するのであれば、
あなたたちの政治姿勢は、
社会を守る意識に欠けています。


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毎日新聞・福井欄:2012年6月25日掲載


ちょっとした縁で、2年前から小さなコラムを
毎日新聞の福井欄に書いている。
月に1回まわってくるリレーコラム。
今回は、原発について。

幸福度ランキング1位になった時に、
知事はラジオで自分の県政を評価していたのを
僕は今でも覚えている。
「そんなものなのかなぁ~」とやや懐疑的だったが、
福祉や労働に関する指標が高かったことを考えると、
そういうこともあるのかもしれない、と思ったのを思い出す。

でも、
有効求人倍率が原発停止で2位に転落しそうになるなど、
県内経済と原発のつながりも、
原発停止をしてみると、
良く見えてきた。

電源三法などの交付金の額も
今までは関心もなかったし、
その存在自体もあまり解らなかったのだが、
これも良く見えるようになった。

その中で、僕ら福井の人々は、
幸福度ランキング1位になった、のも良く解った。
そして今、
本当に幸福なのか、もう一度考えるきっかけを
僕らは与えられたのだと思う。
僕らは何の上に乗っかって、「幸福」になったのかを。

僕ら農家は、持続的なことに幸福を感じる。
それは自然の営みと一緒に円環の時間を生きるからだ。
淀みなく、過ぎていく季節と
繰り返される自然の中で、
平衡を保ちながら、僕らは少し先の未来を
眺めながら生きている。
それが「農民」なのだ。

数万年以上も隔離しなければいけない使用済み燃料や、
一度汚染をすれば、エコシステムの中で、
汚染を広げていってしまうその原発の思想は、
とても僕ら「農民」は受け入れられない。
その上に乗っかっている「幸福」も、
ツケを未来に先送りするだけの
ただの「享楽」としか、僕らの目には写らない。


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6月20日の勉強会の記録。
今回は、大和のプレゼン。
本は、これ。

関根 眞一 著 『「苦情」対応力』

大和は、ジェラート屋の店長。
送ったアイスクリームが、解けて届いてしまい、
そのクレーム処理で丸2日潰してしまったことから、
もっとスマートに苦情対応できないかと考えて、
この本を選んだとのこと。

さて、その苦情対応なのだが、
著者の一番言いたいことは、
「人の話を良く聞く」につきるとのことだった。

苦情を言っている相手を良く知り、
迅速な対応で、期限を明確にして対応する必要があると
説明してくれた。

議論の中では、
クレームの対応事例を記録して、
全員が共有できるようにしておく必要がある、となったが、
米地にの業務に追われている中で、
いちいちその対応の事例を紐解くのだろうかと、
少し疑問に思わないこともない。

ただ、うちの場合、組織として農業をやっていこうというので、
電話に出た人が、そのクレーマーから見れば、
その農園の人になるため、担当が違っていようが、
その人間の対応がその農園の対応に写ってしまう。
ある程度、一律の対応が出来るようには
話し合っておく必要を感じた。

また、農業から随分離れた生活をしている人たちには、
農業界の常識なんて通用しないために
生じるクレームもあることを確認できた。
無農薬が良いと思っているのに、
虫食いや虫が混入していることにクレームを言う人たちは、
典型的なそれだろう。

巨大流通の中では、
サプライチェーンが長くのび、
その中で分断される情報も多いので、
最終的なお客さんに、農園が説明責任を果たせない時もある。
クレーム対応は、
僕らがどういう農業を志向するのかと関係も、
大いにあるのだろうと感じた。

少なくとも、うちはもっと食べてくれる人たちを
近くに感じた農業をしていこうと思っている。
その中でのクレーム対応と
農業の現場を情報発信することは、
基本的に同質だと、
僕には映る。




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6月13日の勉強会の記録。
発表者は、うちの農園の期待のエース・大西君。
プレゼンしてくれた本はこれ。

田中 進 著 「ぼくらは農業で幸せに生きる」

もともと農家出身だった著者が、
金融や生命保険などの業界を渡り歩き、
農業で起業をしたというような本。

農業のど素人だから出来る新しい農業のカタチを創り、
常識を疑い、非常識の中に価値を見出す、とあった。

農業は、変化がないなどと批判を受けることがある。
常識を疑わず、同じことをやっている。
だから、産業として後れを取っている、と言う人もいる。

確かに、農業は世襲の場合が多いし、
自然相手の円環の時間を営みにかえているので、
季節の巡りの中で、毎年同じようなことをしているようにも
見えるかもしれない。
でも、時代の流れの中で、
常に変化をし(変化させられても来た)、
大きく変わってきたのも事実。
集落営農がこんなに広がるなんて、
農業の株式会社化がこんなに広がるなんて、
10年前に想像した人は一握りだろう。

その時代に乞われて、
この本に出てくるサラダボウルのような会社が
生まれているのだと、僕は最近よく感じる。

そして、その時代に乞われて、
大西君や佐藤君のような人材が、
うちの農園へやってきたのだろう。
農業は変化し続ける。
農業や農村が停滞しているなんて、誰が言っているんだ?
どこにも停滞なんてない。

農業外の経験、国外の経験と眼差し、
それら様々な力が、僕らの常識を打ち破る力になる。
大西君が、サラダボウルの事例を
プレゼンするのも、それは時代に乞われてなのだろうと思う。

さぁ、一緒に新しい農業の地平を築こうじゃないか!



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インドネシア農業研修プログラムの話。
研修3年生には、卒業研究を課している。
タタン君の研究課題は、以前書いた通り(リンクはこちら)。
先週の6月16日に、福井の果樹農家さんを訪れて、
販売についていろいろと教えてもらったことを記録しておこう。

訪れたのは、あわらの朝倉梨栗園さん。
インターネット販売が有名な果樹農家さん。
栽培のこだわりをインターネットのツールに乗せて
上手に販売しているお話を聞くことができた。

インドネシアのコンテクストでは、インターネットによる情報が
日本のそれよりもより一層重みを増してくる。
情報の分断から、農民は辺境に追いやられ、
仲介商人との価格交渉力も無い。
情報がすべてじゃないけど、
少なくとも、自ら自由に情報を発信でき、
そして自由に情報を得られるツールとして、
販売にインターネットを利用しない手はない。

さて、朝倉梨栗園のインターネットでの販売では、
とにかく毎日更新と良い写真を撮る努力が必要とのことだった。
カメラもコンデジじゃなく、一眼じゃないといけない。
そしてどんなに小さくても良いので、毎日のように更新する。
それが検索上位に挙がってくるコツでもあるという。
そして、これが何より大切だが、
その情報を担保してくれる技術力。
朝倉さんは、加賀の梨づくり名人の農家さんに
何年と通って、その技術を教えてもらったとのこと。
「今では、この辺りで一番おいしい梨と言われるようになりました」と
さらっと言っていたけど、
これはなかなか言えるもんじゃない。

それだけのこだわりと技術力を担保に、
多彩な情報に彩られたホームページを作り、
ネット販売にも力を入れる朝倉さん。

タタン君はここから何を学んだのか。
彼のレポートが待ち遠しい。

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今年、初めて作付けしたズッキーニの品種に、
ロマネスコというやつがある。
見た目がウリのようで、
なんとも変わっている。
正直、あまり美味しそうじゃない。

でも、このズッキーニが美味しいらしい。
そんな話が耳に届き、
食い意地がむくむくと頭をもたげてきて、
売り先なんて考えずに、作ることに。

樹形も大きく、実もとてつもなく大きい。
だが、大味な感じでもなく、
実のしまりも良い。
なにより歯ごたえが最高に良いのだ。

そのズッキーニを炒めて、妻がパスタにしてくれた。
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ズッキーニは油と相性が良いが、
どうしてもへたってくる。
歯ごたえも無くなってくる。
だから生で食べることもおすすめしているのだが、
このロマネスコは、一般のズッキーニよりも
へたりが弱冠少ない。
生で食べても、歯ごたえがより良い。
漬物にしても、美味しい。

そして何より、切った断面が面白く、
そして美しい。

食べるのが楽しくなるズッキーニ・ロマネスコ。
売ることを考えれば、
あまり商売にはならないけど、
食べることから考えると、
これは来年も作り続けたい。

そんな楽しいズッキーニだった。


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有志による勉強会の記録をしよう。
参加者は毎回10名前後だが、
いろんな方々が来てくれるようになった。
初めは新規就農者ばかりだったが、
県内でもリーダーシップを発揮している若手農家も
ブログを見てか、参加してくれるようになっている。
農家だけでなく、大手仲卸の社員も参加して、
ますます議論に幅が出てきたように思う。
我こそは!と思う方、いつでもおいで。

今回は、6月6日の記録。
発表者は、酒井君。
読んだ本は、これ。

宇根 豊 著 『有機農業の技術思想』 農業と経済2009年4月号より


技術や科学には思想がある。
たまに、それらは道具としてとても中立で、
それを利用する者の社会的・経済的・政治的要因で、
中立性を失うと主張する者もいるが、
その技術と科学が生まれてきた文脈と意図があるかぎり、
それらには何らかの思想が、初めからまとわりついている。

さて、宇根氏は小論考の中で、
農業労働が近代化することへのアンチテーゼとして
有機農業というものが誕生したが、
その技術は認証化されて瑣末なテクニックの問題として
括られてしまったことを批判している。
その上で、近代化精神の中で有機農業を捉えることに異議を唱え、
自然を把握する技術として形成していくことを提唱している。

無農薬・無化学肥料といった方向への技術ではなく、
自然を捉え、理解するための眼差し。
それが宇根氏の言う有機農業の技術思想なのだろう。
有機農業が生まれてきた文脈からすれば、
僕も同感である。

だが、今の有機農業の技術は、
2000年に日本農林規格(JAS)の中で認証を
受ける必要が出てからは、
その思想が一変した。
近代思想への批判性は消え、
決められた規格をどう合格するかに焦点が変わった。
そして表示を受けて、有利に販売できる差別化と相まって、
完全に近代思想の中に組み込まれてしまった。
宇根氏が嘆くのはそこだろう。

でも、僕らの方向性は、
どこかの時点でガラッと変化するものなのだろうか。
多くの思想論を読んで、最近は疑問に思うことも多い。
大航海時代に資本主義が形作られ、
イギリスで産声を上げた産業革命から近代化思想が生まれ、
それまでの世界とは一変したような
イメージの本は多いが、そんなこともあるまい。
たしかに、そこにコモンズとしての価値だったものを
勝手に取ってきては売りに行った二宮金次郎は、
現代では偉人として語られるが、
その時代のその周りの人からは
理解しがたい変人でしかなかったのだろうけど。
(金次郎が里山から薪を取ってきては街に売りに行く話)

でも連続した歴史の中で、
人々の現状打破と問題解決の力が、
次のフェーズを作ったともいえる。
瑣末な認証技術論になってしまったと有機農業を嘆く一方で、
そのアンチテーゼのおかげで、
慣行農業がより自然に寄り添う、
より人体に危険の少ない資材を使う方向へ向かっているのも事実。
有機農業と慣行農業は、もはや2項対立的ではなく、
その境界は限りなく曖昧でしかない。
すべてをフラットに変えていく近代性(モダニティー)は、
ここでもしっかりと生きている。

宇根氏の情念は解る。
自然への眼差しだ、と言うが、
これを読んでプレゼンした酒井君は、
上手くそれを言葉で理解はできなかった。
今、必要なのは、有機農業が本来どういうモノかを
議論することではなく、
また、2項対立的に存在させるために
次の候補を立てることでもなく(たとえば自然農法)、
僕らは、その情念を練り込んだ新しい分野を
確立させることじゃないかと思う。
宇根氏の論考は、僕も共感するし、
多くの農業者やその関係者が共感するところだろう。
だのに、その力が発揮できないのは、
その想いを形にできないのは、
その情念を一つの新しい地平として開拓できていないからだと思う。

今後の宇根氏にそれを期待したい。

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5月30日の有志の勉強会の記録。
発表者は、林君。
プレゼンした本はこれ。

小川 欽也 ピーター・ウィツガル 著 『フェロモン利用の害虫防除』:基礎から失敗しない使い方まで


虫は匂いを出すことで、相手と交信している。
それは、虫対虫だけでなく、
植物対虫でも言える。
その「匂い」を逆手にとって、交信を管理できれば、
害虫と呼ばれる虫たちの管理につながるのではないか。
というのが、フェロモン資材の出現思想であろう。

エコシステムを利用した総合防除において、
ネックになるのは、選択性ではない農薬による防除。
害虫被害を最低限に抑えるために、やむなく使う場合もあるが、
そのことで、圃場内の天敵やただの虫をも殺してしまう。
非選択性農薬の利用を下げる工夫としても
フェロモン利用は有効かもしれないと林君はプレゼンしてくれた。

ただ問題なのが、
フェロモン資材を有効に使おうとすると、
どうしても大規模面積でなければ通用しないということだ。
僕もフェロモン資材を毎年活用しているが、
それでも50aがせいぜい。
でも、この本によると10ha(コンフューザーVの場合)以上でなければ、
期待するほどの効果が得られないらしい。
それはなぜか。

コンフューザーVの場合は、特定の害虫のオスとメスが
交信できないようにするフェロモン資材。
なので、そのエリア内では、オスとメスは出会えない。
しかし、エリア外では、オスとメスは交尾が可能。
そして
交尾してしまったメスが、産卵のために、
コンフューザーVを設置した畑に来ても、
何の混乱もなく、その作物に産卵が可能なのだ。

つまり、それらの虫が飛行可能な距離すべてのエリアに
このフェロモン剤を設置しなければ、
結果としては、エリア外からくるすでに産卵準備に入った
害虫を抑えることはできないのである。

ちなみにコンフューザーVを10ha設置しようとすると、
資材費で、100万円以上になる。
農家間で協力して設置と言う話も出たが、
たとえどっかの大きな産地だとしても、
連続した畑で10ha以上はなかなか無い。
福井のように園芸がほとんど発展していない地域では、
なおさら無理な話なのだろう。

もともと総合防除は、低投入の思想から生まれた。
といっても、偉そうな思想じゃなく、
作れば作るほど赤字になるのに、
それを無理やり補助金で黒字にしているアメリカ農業が、
70年代にむりくり編み出した思想。
だから、大規模農業における低投入と言う意味で、
大規模はなかなか外れない。
その括りの中で、遺伝子組換え作物も出現しているわけで。
その低投入によって生まれた総合防除は、
現在、それぞれの地域の農業の文脈で、
新たな地平が展開されているが、
そこで議論されている技術の多くが、
やはり大規模が前提となっていたりもする。
フェロモン資材も、その一つ。

そろそろ、フェロモン資材とも距離を置こうか、
と最近悩む。

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丸ズッキーニが取れると、
必ずつくるのがこれ。
ズッキーニの肉詰め。

中をくりぬいて、ハンバーグのタネを詰め込み、
肉面をフライパンで焼いて焦げ目をつける。
それを裏返しにして、
少し水分を足して、蒸し焼きに。
肉に串で穴をあけ、肉汁が赤くなければ
火が通っている。
簡単かつ見た目にも楽しい一品。

肉のうまみをその汁ごと
ズッキーニが受け止めてくれるので、
とても美味い!

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ぽこぽこと次から次へと出来る丸ズッキーニ。
まだまだ福井の人には浸透していないのだけど、
この楽しさを共有できたらいいなぁ、と
勝手に思っているので、
作り続けている野菜の一つ。
一度お試しあれ~♪

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5月23日の有志の勉強会の記録。
今回の発表は僕。
読んだ本はこれ。

ラウル・アダムシャ & パム・ロナルド 著  椎名 隆・石崎 陽子 監訳 『有機農業と遺伝子組換え食品』:明日の食卓.2011.丸善出版.

遺伝子組換え作物(GM作物)を有機農業で実践しようという、
何とも前衛的な本。
この本は、夫婦の共著で、
ラウルは20数年カリフォルニア大学で有機農業を
教えてきた講師。
そして、パムは遺伝子工学が専門で、カリフォルニア大学で
ラウルと同じように教鞭をとっている。

増大する世界の人口に対して、
生態学的にバランスのとれた食料提供が、
本書の目的としている。
GM(遺伝子組換え)技術が、
生態学的にバランスが取れているのかどうか?
という疑問を、
それなりにGMに対して知識を持っている人ならば思うだろう。
ある意味で生態学に対する冒涜とも言いかねないこのGM技術だが、
ラウルとパムの視線は、もっと現場に根差していた。

ラウルとパムの主張は明快だ。
実際に現場で多用される農薬に対するリスクを低減させること、
そして無理な耕起による表土流亡といった問題を低減させること、
それらが、
彼と彼女の言う「生態学的にバランスのとれた」食料提供なのだ。

確かに、農薬は人間に対して低毒化しているが、
昆虫や微生物・菌に対しては、依然として猛毒である。
農薬散布が天敵や他のただの虫(菌類・微生物類)たちまでも
傷つけてしまうケースは多い。
レイチェルカーソンが予想した沈黙の春は、
ただの妄想に終わってしまったが、
網の目のように係り合う生態学的なつながりの中で、
ある数種の害虫駆除のために、散布される農薬は、
どんなに低毒だと言っても、
それらの環境を汚すことには違いない。
(ただ、程度の問題として、リスクはかなり低いともいえるが)。

ラウルとパムは、また農薬による水質汚染や
農業従事者の農薬事故の例を出し、
GM技術はその危険性も避けることができると主張している。

さらに、ここがこの本の要なのだろうが、
GM技術による育種は、これまでの育種法とリスク的には変わらないのだと
主張している。
いずれの育種もある意味でミュータントを生み出す事であり、
遺伝子的にも以前の品種とは違うものを生み出す技術であることには
違いが無いとする。
その上で、世界中の科学者たちが、すでに
GM技術による作物は、従来の育種による想定外のリスクに対して、
同程度でしかないと結論付けられていることを
重要論文の引用をしっかりとつけて展開している。
さらには、GM育種によって生み出される品種は、
多くのアレルギーテストや発がん性テストをクリアーする必要があるが、
従来の育種法では、これらのテストは見逃されており、
それによるアレルギーが実際に起こっている事例も紹介し、
従来の育種法よりも、人間に対してより安全な食料を
作り出すことのできる技術としている。
さらには特定栄養の不足が原因で
途上国などで蔓延する子供の病気に対しても、
その栄養素を事前に組み込ませた作物の開発で
改善できる例も説明している。
その上で、現在GM技術に対する批判の多くが、
技術そのものよりも、社会的・政治的・経済的な問題だと
彼と彼女は言う。

その素晴らしきGM作物を有機農業で栽培することで、
農薬の使用と環境負荷を減らし、
人や生物すべてのリスクを軽減し、
有機物の投入による耕作土壌を豊かにし、
増える人口を支えていこうと言うのである。

なるほど、
これまで読んできた数あるGM批判の本とは、
まったく次元が異なる発想の本で、
久しぶりに脳みそに刺激を受けた。

さて、では批判。
GM作物は今、批判のオンパレードだ。
ラウルとパムは、それは社会的・政治的・経済的問題だとした。
GM科学技術に対するものじゃない、のだと言う。
たしかに、大企業によるGM技術独占と
それとセットでの農薬販売には問題がある。
緑の革命と同じような構造が、そこにはあり、
多投による農業様式で、
困窮する農民も世界的に増えるだろう。
遺伝子資源の独占とパテント問題もある。
生命の資源は、一体誰のモノなんだろうか。
これらすべてはラウルとパムの言うように
GM技術が問題ではなく、社会経済的な問題なんだろうか?
技術には思想がある。
その技術は、どの社会的・政治的・経済的コンテクストで
生まれたのかによって、
あらかじめ方向性がつけられている。
それが、その技術の思想だ。

ラウルとパムが目的意識している、
増大する人口を環境を保全しつつ支えるというのは、
GM技術の思想なんだろうか。
ひっ迫する食料争奪戦では、
GM技術は解決にならない。
なぜなら、作れば作るほど富のある人々に食い散らかされるだけなのだ。
肥満は蔓延しているのに、
飢餓はなくならない。
それらは確かに社会的・政治的な問題だろう。
だが、ラウルとパムのあまりにも無垢な提案は、
その社会と政治と経済の文脈では、
通用しないのではないだろうか。

GM技術の方向性は、
出来るだけ安価に、
さらに大規模に生産することを可能にする方を
向いている。
有機農業と言っても、
制度認証化の中で、モノカルチャーの大量生産ということになれば、
問題は同じだろう。

その社会と生産様式を支えることを可能にしたのが
GM技術だとすれば、
GM技術自体には問題が無いのだ、と言い切れるのだろうか?
そこには、科学を背負う者の無責任を感じてしまう。

もう二つだけ批判。
一つ目は、抵抗性の問題。
二つ目は、自然界への遺伝子汚染。

一つ目はラウルもパムも議論していない。
散布された農薬に害虫が抵抗性を持ちうるのは、
すでに明らかな事実。
では、殺虫成分を組み込まれた作物に対して、
害虫は抵抗性を持ちえないのかどうか。
大規模モノカルチャーを続けるならば、
たとえ組み込まれた殺虫成分だとしても、
それに対して害虫が抵抗性を獲得しないとは言い切れない。
農薬と害虫の抵抗性のいたちごっこから、
GM技術のそれに取って代わるだけのような気がする。

二つ目は、多くの批判が集中している部分でもある。
ラウルとパムは進入性という面で、
雑草と作物の違いを説明しており、
作物の遺伝子を組み替えても、侵入性の強い雑草がそれを獲得した場合、
これまでの事例はすべてその侵入性を失う、と観察されていると報告している。
だが、未来永劫、その抵抗性遺伝子と侵入性は
雑草に絶対に形質的に遺伝されて行かないと
証明出来てはいない。

意図をもって組み換えられた作物が、
意図せざる方向を絶対に持つことはないのか。
そのリスクとベネフィットを比べられるだけの
モノサシを僕らはまだ持ち得ていない。
ラウルとパムは、もしかしたら、
僕らよりも10年・20年進んでいるのかもしれないが、
もしもそれらすべてが杞憂だとしても、
リスクを図りえない状況では、もろ手を挙げては賛成できない。
なぜなら、安全神話の福島原発を僕らは体験してしまったのだから。

余談だが、勉強会では、もう少し応用的な話もした。
人の口に入るかどうかは別にして、
天敵やただの虫のすみかになるバンカープランツのGM化は、
穂が出ない時期を見据えて、それらは実用可能かもしれない。
また、僕らが持つ自然に対して情念と想いを
今回のような真っ当で正当性を誇示する科学は、
平然と踏みにじるのだが、
では、僕らの情念と想いは、
どこに着地点を見つければよいのだろうか、
という問題も話し合った。
もっと文学的に確立されてほしいと
僕は個人的に期待する。
ネイチャーライティングの分野が、
もっと人間をも含む自然として語られることを
僕は夢想している。


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たまには、
インドネシア研修座学の記録。
記録しないと、なんだか何もやっていないような
感じだけど、今年は、結構面白い座学になっている。

今回は農業構造論。
なんともややこしい題名、と我ながら思う。
この座学では、表象としての農業が、
一体どういう要素で成り立っているのかを知る授業。
自分たちの地域農業を腑分けするときのメソッドとなる。
そして、インドネシアの研修生たちにありがちな、
日本の農業から学び、
その技術をそのままインドネシアに移転しようとすることが、
なぜ無意味まのか、
かつ、なぜ自分たちの福祉(welfare)に直結しないか
を学んでもらうための座学。
それらを裏返せば、
僕らの農業はどう「発展」していけば、
僕らの福祉(welfare)につながっていくのかを
自分たちで考察できるようになってほしいという願いを
込めてこの座学を行っている。

さて
今年は、2名の研修生がやってきた。
人数も増えてきたので、座学も少し整理をし、
この農業構造論は、研修1年生だけの前期の座学とした。

まず、2名の1年生には、両国の「耕起」を比べてもらった。
彼らの故郷では、まだまだ牛による「牛耕」が一般的。
牛に鋤を引っ張らせて、田おこしをする風景は、
日常茶飯事。
ここでは、「トラクター耕」。
もはや動物による耕起をしている人は、居ない。
トラクターも大半が乗用で、
ハンドトラクターも特別な作業でない限り、
出番が少ない。

この耕起作業をインドネシアの研修生が見ると
いつも、
「日本は先進的で素晴らしい」と言う。
確かに、手や家畜による耕起は、労力も必要で、
作業も大変だ。
時間もかかるし、
畑の仕上がり具合にも差が出てしまう。

そんな現状を知っているからこその言葉なんだろうけど、
果たして、「先進的」なんだろうか。
ちなみに、インドネシアで牛耕(馬耕)と
大型ハンドトラクター耕を経験してきた僕としては、
それを羨ましいとは一切思っていない。
そのどちらでも僕は大変な失敗をし、
自分の体もずいぶんと傷つけてしまったのは余談。

研修生が、牛耕とトラクター耕を比べて、
日本とインドネシアの農業の違いの一番は、
技術力だった。
インドネシアには技術がなく、
日本にはある、とのこと。
では、インドネシアにはトラクターを導入するだけの
技術が無いのか?と聞くと、そんなことはない。
インドネシア界隈でもトラクターは販売されているし、
整備士も居て、ちゃんと稼働もしているよ。

次に研修生が挙げた違いは、資金力。
トラクターを買うお金が無いからだという。
本当???
ハンドトラクターは日本円で15万円ほどで、かなり高級だが、
同じくらいの値段のオートバイは、
農村でも新車が走り回っているし、
テレビや冷蔵庫、車なども揃っている裕福な家は、
村の中でも何軒も見受けられる。
最近では銀行の農業融資も充実しており、
トラクターの分割払いのクレジットもある。
でも裕福な農家は、トラクターにあまり目を向けない。
その代り、牛に投資する人が多い。
僕が居たスラウェシの村でも、
大学院時代に過ごしたボゴールの近郊の農村でも、
牛は「歩く財産」と呼ばれていた。
牛は子供を産めば増えていくし、
放牧しておけば、餌の世話もあまりない。
農繁期には近所に牛耕用の牛として貸し出すことも可能なのだ。
急なもの入りの時には、売却すれば良いし、
お祝いごとの時には屠殺して振る舞うこともできる。
そういって、僕に牛を自慢してくれた
インドネシアの友人も多かった。
協力隊の時にいたアレジャン集落では、
「だから、お前も牛を買え」と強引に進められたけど。
なので、
トラクターが、お金がないから買えないというのは嘘だ。

2人の研修生は全く答えに困ってしまったようで、
最後に絞り出すように、
「教育」を挙げていた。
インドネシアの農民は教育レベルが低いから牛耕で、
日本の農民は教育レベルが高いからトラクター耕だ、と
ノタマフのだ。
では、学校教育の中で、
トラクターの使い方を教えているのか?
農林高校ならばあるだろうが、普通科高校ではない。
ちなみに大学の農学部でもトラクターの使い方なんて講義は無いぞ。
研修生の子たちが言わんとしていることは解るが、
それは近代化論の単線的モデルという、
もっとも忌まわしきモノだ。

そんな議論をしていた時に、
研修生の1人、ダルス君が、
「インドネシアでトラクター耕にしたくても、畑までの農道が無いので、無理です」
と話してくれた。
そう、畦しか通れない場合、棚田が多いインドネシア(特にジャワ)では、
トラクターを畑に入れたくてもそもそも入れないのだ。
(アレジャン集落で無理やりトラクターをかけた話は、こちらのリンク)。
農道の整備と農地のリハビリテーションも必要だろう。
日本では、その多くが行政と農家の折半による
土地改良事業として、行われてきた。

しかも、自作農家が少ない社会では、
牛耕からトラクター耕に変われば、農業労働者もそれほど必要なくなる。
耕作面積も牛耕では間に合わなかった分も、
自作できることになるので、インドネシアで良くある小作への
耕作地の貸し付けも当然減る。
自分で作る方が、絶対儲かるからだ。
だから、その減ってしまった農業労働に対する
求人分を吸い上げてくれる他産業の発展も
同時に無ければ、失業者が増えるだけになる。
ただ、日本では減りすぎた農業人口が
コミュニティーを自立して維持していくことを困難にしてしまった。
自分の家の前すらも雪かきできない、
つまり冬は外出すら困難になる
一人暮らしの高齢者世帯は、僕の集落にもたくさんある状況だ。

だからトラクター耕が、
ただ単純に「先進的」と言って良いのかどうか、
その取り組みが、僕らの福祉(welfare)に直結しているのかどうか、
僕には疑問に思う時がある。

さぁ、この座学は始まったばかりだ。
これから半期をかけて、僕らの表象である農業は
どういった要素に支えられているのかを見ながら、
僕らの幸福な未来を想像してみようじゃないか。


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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

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