週末は国際開発学会に参加していた。
学会の内容はまた次回に譲るが、
毎年、学会に合わせて、開催地の農家訪問を
今年も行ったので、記録したい。

今回の開催地は名古屋。
愛知県は農業も盛んで、見学対象の農園も多い。
僕の関心がある先進的な経営の農家も何件もあったのだが、
今回は、知り合いの農園を訪問。
彼らは、自然農法を目指して無肥料・無農薬を目指して
農業をしている。

農業にはいろんな形がある。
慣行的農業でも売り方に工夫をし、
農業を一つの産業として成長させたいという方々もいれば、
農業そのものを人と自然の共同の営みと見立て、
哲学的に思想的に深く掘り下げていく生き方もある。

そんな中で最もラディカルなのが
自然農法だろう。

友人のHさんの農園は、豊田市にある。
数名のメンバーで農業法人を構成しているようで、
米が2ha、イチゴが16a、野菜が少々という内容。

もともとこの地のスーパーマーケットの社長が
発起人となって、立てた農業法人。
なので、自然と販売はそのスーパーも含まれる。

見学をさせてもらったのは、イチゴ。
昨年から、無肥料でやっているというハウス。
僕ら農業者から見れば、
無肥料はとても勇気がいることでもある。
というか、こういう畑に立つと、
なぜ肥料を入れないのか、
それを感覚的に理解できない自分の壁に気が付く。
それほどまでに、“肥料”は農業者にとって
当たり前の大前提のものなのだ。
それを投入しない農場、僕には戦慄でしかない。

無肥料のロジックをHさんのパートナーの方が、
丁寧に解説してくれた。
このパートナーさんは(仮にTさんとしよう)、もともと
秋田の自然農法をしている農家で稲作を研修していたのだとか。
なので、愛知と秋田の違いはあったものの、
少しの技術的な手直しだけで、愛知でも自然農法の稲作が可能だったとか。
実際、農園の主は稲作のようでもあった。
イチゴは、昨年から無農薬・無肥料で、
ハウス栽培で行っているという。
当初は有機農業で堆肥を中心にした土づくりをしていたのだが、
病害虫が蔓延するので、どうにもならず、
思い切って自然農法に切り替えたという。
イチゴの自然農法は独学だとか。

Tさんの病害虫の発生ロジックを、
簡単に要約するとこうだった。
土壌中に窒素(N)が多くなってくると、
植物体内も窒素過多になる。
そのため、
窒素を体内に取り入れて体を創る虫(害虫)が、
どうしても多くなる。
だから、土壌中の窒素を減らしていけば、
害虫そのものが発生しない。
なので、無肥料。

Tさんは、そのロジックを解りやすくアブラムシで教えてくれた。
有機農業でイチゴをやっていた時は、
アブラムシが大量に発生して困ったらしい。
アブラムシは、窒素過多になっている植物が好きだ。
なぜなら、アブラムシは窒素を吸うことで、
自分の体を作り、
さらに自分の子孫も作り出していくからである。
しかし、面白いことに窒素過多になっている植物から
アブラムシがある程度窒素を吸いだしてしまうと
その後、自然に消えてしまうのだとか。
『吸いたい窒素を吸いきってしまって、アブラムシは自然に居なくなってしまうのです』
とTさんは言う。
その言葉が正しいかどうかは、反論の余地もあり
なかなか鵜呑みできない僕なりの意識の壁もあるのだが、
彼の主観に寄り添えば、そういうことになる。

彼は、アブラムシを『自然界のドクター』と表現していた。
窒素過多になって、光合成の炭水化物代謝が上手くいかず
悲鳴を上げている植物を、
アブラムシがそれを吸い取ることで治療しているというのだ。
だから、アブラムシは害虫ではないのかもしれない、という。

僕は、アブラムシをかわいそうな害虫として
認識をしている。
吸い続けることでしか生きていけず、
あまり移動も出来ず、
甘い蜜と丸々太った体のため、
多くの天敵がアブラムシを好む。
そんな悲劇の虫だと僕は思っていた。
だから、僕はアブラムシの防除は、それを好む天敵を
増やす工夫でクリアーしてきた。
でも、それを自然界のドクターだとTさんはいう。
同じ農業者でも、
この世界観の違いはなんだろうか。

アブラムシは、窒素の少ない植物体には魅力を感じないので、
そもそも付きません、とTさん。
土壌中の窒素分を減らせば、植物体内の窒素も過多にならない。
植物体の窒素が減れば、光合成代謝の炭水化物比があがり、
それで植物が元気になると、Tさんは言う。
確かに、窒素と光合成による炭水化物の比率は
先行研究の中ですでに相関があると証明されている。

Tさんの土壌中の窒素を減らす(増やさない?)営農は、
徹底していた。
イチゴを生産しない夏場はハウス内に雑草が生える。
その草の地上部はすべて刈り取って、
ハウス外へ持ち出す。
決して土壌に鋤き込んだりしない。
鋤き込んでしまえば、土壌中に窒素がたまります、とTさんは言う。
残渣も決して鋤き込まない。
そして堆肥の投入もやめた。
Tさんは、
「それでも、土壌中には“根”が残ります。根を大きく育てるような栽培をしているので、根量もずいぶんあると思います。土壌の物理性を保つのは、この根だけで十分だと思います」と話してくれた。
根だけが唯一の有機物。
その根が土壌を作るという。
根量を多くし、その有機物の有効活用は、僕も同意見だが、
それでもそれ以外に一切堆肥や有機物を投入しないスタイルには
驚かされた。
はたして、それで何十年も何百年も土を維持できるのだろうか、と。

彼らは、とてもよく研究をしていた。
その話しぶりからは、経営者というよりも研究者に近い。
販路は、さまざまあるとのことだが、
法人の出資が地元のスーパーマーケットということもあり、
そのスーパーのイチゴ売り場で、
そのこだわりのイチゴは売られている。
安い慣行農法のイチゴが並ぶスーパーで、
一般の日々の買い物を行うお客さん相手に、
何も投入しないそのこだわりのイチゴは、
一体、いくらで売られるのだろうか?
そして、その値段で果たして経営的にやっていけるのだろうか。
そこに一抹の不安を感じた。

こだわりのある農法であるならば、
それが科学的にどう評価されるかは別として、
そのこだわりに共感してくれるお客さんを見つけないと
コストばかりがかかってしまい、
経営的には上手くいかなくなる可能性がある。
「なにも投入しないと、ゆっくり育つので、味だけは絶対おいしくなります!」
と自信満々に語っていただいたTさん。
その美味しさは、値段に跳ね返ってこなければ、
僕ら農業者はやっていけない。

真摯に自然に向き合うTさんの姿は、
僕の目には清々しく映ったが、
同時にその経営に一抹の不安も感じた。

今回の訪問で、僕らの立ち位置の違いから、
把握される世界の在り様が大きく変わることが
改めて意識させられた。
農業に対する世界観の違いは、
どちらが正しいわけでもないが、
少なくとも僕らがつつましく幸せに暮らしていくには、
その世界観を共有できるお客さんが
ある程度居なければ始まらないことだけは
解っている。
どう発信し、どう共感し合うか。
もはや農法うんぬんの問題じゃないのかもしれない。


追記:
忘備として少し書き加える。
植物体内の窒素が低下すれば光合成による炭水化物が多くなる、
というのは事実だが、それで植物体が元気になるのかどうかは、
疑問が残る。
過度な炭水化物の生産は、植物の老化を進め、
結果として植物体の健康を損なう。
植物内窒素量と炭水化物のバランスが
炭水化物に偏った場合、老化が発現するという研究結果もある。
極端な低窒素状況で植物の健康を保てるわけではないので、
Tさんが言うように植物の葉色を見ながら、
判断しないといけないのだろう(土壌分析をしても解りにくい)。



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インドネシア研修生の座学。
後期の授業が始まっている。
この後期予定しているのは、次の通り。

『農業とグローバリゼーション』(全学年対象)

『総合的作物栽培管理(ICM)』(全学年対象)

『卒業研究方法論』(2年生対象)

『卒業研究指導&ゼミ』(3年生対象)

以上、4つ。

昼休みの時間を利用しての座学で、
それ以外に昼休みの時間に、
直売所の配達が1日入っていて、
有志による勉強会とスタッフミーティングがあり、
さらにお客さん対応のとして時間を設けているので、
1週間が8日あれば、なんとかこなせる日程。
って、ぜんぜん回せてないのが現状か。

さて、今回は農業とグローバリゼーションの座学の話。
このグローバリゼーションをどう捉えるべきかは、
なかなか難しいところもあるのだが、
僕なりの理解で進めようと思っているので、
まず、研修生君たちには、
『共有地の悲劇』
『社会的ジレンマ』の2つの論文を読んでもらった。
適当な論文が英文でしかなかったので、
四苦八苦してもらいながら読んでもらった。

社会的ジレンマは、山岸俊男氏の論文が良いのだが、
日本語が難解すぎて、彼らには少し難しかったので、
こちらは解説のみ。

このどちらにも通底していることは、
個人の利益を最大にしようとすると、全体の最適が奪われるというもの。
結構単純なんだけど、それが世界規模で進んでしまうと、
僕らの全体の最適がなんなのかが
見えなくなってしまうので、大きな問題となる。

山岸俊男氏は、社会的ジレンマの研究の中で、
人間は利他的ではなく、利己的な利他主義だと説いているのだが、
まさにその通りで、
これまでも人類が直面してきた社会的ジレンマの経験から、
古人の言葉でいえば
『情けは人のためならず』という格言を
われわれに与えてくれた。
人に情けをかけるのは、人のためじゃなく、
自分のためだという、まわりまわって全体が最適になる方を
選択すべし、と僕らに説いているのだ。

この全体がとても小さな時代は、
その全体の最適をすぐに知覚でき、
その格言が力を持っていた。
だが、グローバル化が進み、世界が大きくなり、
知らないところで知らない関係ができあがり、
その中で知らないことから搾取が進み、
結果として、全体の最適を奪われようとしている。
みんな一所懸命、より良い明日を目指して、
つつましく生きているのに、
そのつつましい生活ですら、
グローバリゼーションの中では、
全体の最適を破壊し続けているのだ。

僕らは知覚しなければいけない。
今、世界で起きつつあることを。
そして、
全体の最適を壊さない
個人のより良い明日の姿を探さないといけない。

この授業では、
Think globally, act locallyを合言葉に
インドネシアの農民子弟と一緒に
この大きな世界の中で、
僕らの“より良い明日”を考えてみたい。



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水曜日の勉強会の記録。
といっても、先週の16日の記録。
ついに記録が周回遅れになってきた。

さて、今回の発表はクラトモ君。
彼は、本ではなく動画を取り上げて発表した。
この勉強会では、その出所がしっかりしているのであれば
書籍にこだわらない。
動画もOKだ。

さて、彼が取り上げたのはこれ。
中野剛志「TPPで日本が滅ぶ」
http://www.choujintairiku.com/nakano1.html

実際、この動画を流すだけに近いプレゼンを
クラトモ君がしてしまったので、
彼がTPPについてどう考え、
それに対して、どうしていきたいかが全く見えなかった。
彼のプレゼン時の論調としては、
TPPに反対していることと、
情報操作を行うマスコミを批判していたのだけは解った。

フリートレードをどう捉えるのかは、
かなりの知識を必要とし、僕らの頭では考えてもわからないことだらけ。
でも、僕らが今感じている不安や
自分たちの未来にのしかかってくる問題を
みんなでシェアするのがこの勉強会の意義でもあるので、
たとえ難しくても、
議論の俎上にのるようなプレゼンをしてもらいたかった。
なあに、難しいことを解説してくれというわけじゃない。
ただその事象について、
自分の不安や期待などを正直に話してくれればいいのだ。
僕らが今を生きる中で、
実感を得ているものに正解も不正解もないのだから。

次にヤマトがTPPを取り上げてくれることになった。
難しい解説は特にいらないので、
これが起きたら、自分はどうなる?世界はどうなる?など
自分の不安や期待をみんなにぶつけてほしい。



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毎週、野菜を個人宅に全国発送している。
『野菜おまかせ便』という名を付けて。
どの野菜がほしいか、という注文は一切聞いていない。
こちらで採れる旬の野菜を8~10種類チョイスして、
送料&税込で3,000円なり。

詳しくはこちら(http://www.facebook.com/nouentaya

使いにくいという人もあれば、
びっくり箱のようだ、と楽しんでくれる人もいる。
僕自身、損した、とだけは絶対思わせない内容で
送っている自負もある。

さて、今週送ったおまかせ便に
カリフラワーとフェンネルの葉が入っている。
それをうちではどう使っているかを紹介しておこう。

カリフラワーとフェンネルのサラダ。
カレー粉をまぶして、マヨネーズで味付け。
カレーとフェンネルは相性がいいので、
この食べ方は、とても気に入っている。

妻よ、
詳しいレシピをコメントにお願いね。

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急に寒くなる。
峠では、霰が降っているとか。
もういいだろう、と自分に言い聞かせて、
今年も薪ストーブに火を入れた。

大型のシガータイプの薪ストーブ。
こいつは熱量も大きく、
直径15センチ・長さ60センチの丸太が、
そのままストーブに投入できる。
これに屋根が高い我が家に、
断熱2重煙突がストレートに屋根を突き出ている。
家の周りに遮蔽物もなく、
煙突の引きは最高。
薪の状態がどうであれ、怖いものはない。
多少のことは気にしなくてもいいストーブ。

久しぶりに火を入れると
薪の燃える独特の匂いが、すこしだけ部屋に広がった。
薪ストーブは独特の温まり方をする。
体の表面よりも、体の芯から温まるのだ。
今年も豊かな冬が始まった。



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来年、研修プログラムの3年生になるタタン君。
この後期の座学から、3年生に行う
卒業研究の準備に取り掛かるのだが、
まずは何をやりたいかをプレゼンテーションしてもらった。

彼が挙げてきたのは2点。
1点目は、サツマイモのマルチ栽培について。
インドネシアでは通常、サツマイモ栽培にマルチ材(被覆材)を
使用することはほとんどない。
畝を立て、そこに直接サツマイモを定植する。
日本の場合、多くがマルチ栽培。
その違いを見たいという。

もう1点は、サツマイモの植え方。
サツマイモの植え方はいろいろあり、
船底植えや斜め植え、水平植えや垂直植えなどなど。
芋の量や大きさが植え方で多少違う。
大きな産地ではどうしているのかは分からないが、
僕は目下斜め植え。
タタンの地域では、船底植えとのことで、
その違いを実験したい、とのことだった。

これらの実験を行うのに、何の問題もないのだが、
この背景が良くわからない。
彼はこのプレゼンでレジュメも作らなかったし、
そもそもなぜこの実験なのかの
背景と目的も説明できなかった。

彼はただ、
「違いを見るのが目的です」とだけ答えてくれたのだが、
それじゃ、答えになっていない。
3年生の卒業研究は、
これまで月間レポートでも書いてきた
帰国後の夢にリンクさせてほしいと
何度も言ってきた。
帰国後の取り組みに続くような研究を
ここにいるうちに始めるのが目的で
卒業研究とその論文、そしてそれを発表する場を
こちらは用意している。

タタンが示した卒業研究の案は、
これまでの月間レポートに書かれていないモノばかりで
その背景も、
「僕の地域ではサツマイモがある程度作られています」
だけでは、
「やりやすい研究を探してきた」と思われても仕方がない。

サツマイモでの起業も考えているのならば、
詳細は無くても良いが、
彼が帰国後に目指す道筋を
ある程度示してほしい。
研究しなきゃいけないから、やりやすい研究を探してきた、
であってはならない。

タタンにマルチをするしないの違いについて聞いた。
彼は、
「たぶん、草が生えてこないようにするためと、保水ですよね」
とその役割もしっかりと知っていた。
芋の植え方の違いについても聞くと、
「芋の量や大きさが変わると思います」と
こちらも正解。
そしてその植え方を選択するのは、
農学的な技術的な違いというよりも、
その地域の市場がどういう芋を求めているかにもよるのだ。

彼らは農業高校を優秀な成績で卒業しており、
卒業後も農業に関係する仕事についていたり、
農学系の大学に通っていたりしているのだ。
そんな基礎的な違いを今さら知りたいということ自体、
おかしいではないか。

聞いてみると、何を研究していいのかわからない、という。
だから出来そうなことを自分なりに探してきたのだろう。
失敗すると大変だから、
正解が解っていることをやろうとしているのだ。
失敗はしてもかまわない。

でも自分がこれから進もうという道にそって
次の1年を大切に過ごしてほしい。
卒業研究は、そのために準備してあるのだから。


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フェンネル収穫中。
直売所には出していないし、
業者にもほとんど案内かけていないので、
ほしい方は、直接ご連絡ください。

今からクリスマスまで、
段階的に出荷しているこの野菜。
清涼感がある香りが特徴で、
僕はとても大好き。

お気に入りのレストラン
「サレポア」(福井市二ノ宮)では、
これを使ったデザートスープが楽しめます。
先日食べに行ったのですが、
本当もう、びっくりな味。
近くの方は、ぜひ、食べてみてください!

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そういえば、福井はいま
蟹が旬。

ちょっと前に食べました、蟹。
メスのセイコガニ。
外子と内子が何ともうまいこの蟹。

そのまま食べてもいいのですが、
ワインが飲みたくて、
こうしました。

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蟹とチーズのクリームリゾット。
なんとも怒られそうな食べ方だけど、
これが至極美味かった。

リゾットに使うブロードも
蟹の殻を煮出して作ったので、
十分蟹を堪能いたしました。

ああ、冬だなぁ。


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久しぶりにこういうことも記録しておこう。
それは集落の農家組合の話。
昨日、農家組合の下期本盛が行われた。
うちのスタッフやバイトに「盛」と言っても、
なんのことやらさっぱりわからない、と言った風だが、
「盛」はいわゆる組合費だと思えばいいだろう。

で、本盛とは、
下期にどれくらいお金を使って、
または、農家間の減反補てん分の調整が
いくら位になったのかを計算して、
どれくらいみんなから徴収すればよいかを
決める会議のこと。

この本盛自体は、問題なく終わった。
戸別補償制度と加工用米による減反の削減の計算などで、
すこしややこしくもあるが、
それも問題なく終了。

ただ、一つ懸案事項があった。
それは、次期の役員の選定。
農家組合は随分簡素化し、
盛の計算も、減反の調整もそれほど難しくない。
米の検査に立ち会うのも、回数も量も減り、
ほとんど仕事らしい仕事はない。
だが、やり手が居ない。
毎回、お願いして回るが、
どの人も
「いや~、その役が来るのを待ってました!」
などとは言わない。
大抵、嫌な顔をしながら、
あれこれと理由をつけて、断れるものなら断ろうという、
そういう空気でいっぱいなのである。

そしてそれは今年もそうだった。

うちの集落では、
農家組合の役員は、組合に所属していて、
農地を5反以上所有している家の者がやることになっている。
そして、みんながスムーズに役を受けられるようにと、
農協青年部の集落の役と連動して、
青年部の役が終わると同時に、農家組合長にスライドするという
暗黙の決まりも存在する。
みんなが嫌がってやりたがらない農家組合長を、
なんとか覚悟を決めて受けてもらうために、
そういう順番を先人たちが作ってくれた。
ここ数年は、その順番は守られ、
なんとかスムーズに役を回していけた。

ただこの順番、たまに壊す人がいる。
そういう暗黙の了解になっていても、
「嫌だ」という人は必ずいるわけで。
そうなると、いろんな人に迷惑がかかることになる。
実は、今回候補になった方もその一人だった。
ただ、少し事情もある。

その候補になった方の父親が、
5年前に農家組合長をやっている。
その頃は、農家組合長の順番が
慣例通りにいかなかった。
30代から40代にやるはずの農家組合長を
60代の方が立て続けに受けていた。
その候補の方の父親も、その時に組合長をやっている。
そのまま、年寄でやっていけばよかったのだが、
やはりやりたい人はいないということで、
再び順番は、青年部→農家組合の図式に戻ってしまった。

そして、その候補の方が青年部の役をやり、
順番で農家組合が回ってきたのだが、
「父が5年前にやっているので、早すぎる」と
異を唱え、受けてくれなかった。
農家組合長をやらないといけない組合員の家は、
約30件ほどある。
みんながきちんと組合長をやれば、
30年くらいに一度しか回ってこない計算だ。
30代で組合長をすれば、
その子供がまた、30代くらいに組合長になるという、
レヴィ=ストロースばりの隠された構造が、
自然と村のコミュニティに存在している。

しかし、集落に残る若い人は少なく、
年寄りばかりになり、それら30数件の家全部が
農家組合長を輩出できるような状況ではない。

農家組合は「家」で受ける。
と、ある年寄りは言う。
確かに、そうだろう。
あの家はこの前やった、
その家はしばらくやっていない、などと
会話になるのだから、そうなんだろう。
だから、今回の候補の方が、
「父が5年前にやりました」という異議は、
その意識の上に立てば、とても正しい。
次に回ってくるまでに、あと25年もあるのだから。

でも、もうそういう状況じゃない。
だから、僕はお願いに行ったその時に、
その候補の方に、
「もう家ではなく、今は『人』で受けるんです」と反論した。
「家」か「人」か、それぞれの意識は違う。
でも、今の村の状況がすでに「家」では、
立脚できないことはみんなわかっているはずだ。

家で受けるという伝統は、
すでに何十年も前に壊れている。
あの頃に、仕事を理由に
農家組合長をやらなかった人はたくさんいた。
そして今もいる。
それは、伝統が解体され、
村の縛りや家の縛りが解体され、
共同体から個の尊重という、
至極まっとうな世の中の流れの中で発生していることでもある。
個人の自由と権利を僕らはその時代の中で得たのだ。
だから、僕はそれに異は唱えない。
出来る時に、出来る人がやる。
それで良いと思う。
でも、それじゃ回らないものが多い。
個人の都合が過度に優先されることは
まかり通らない。
フリーライダーは許せないのだ。
解体しかかっていても、
まだその崩れかかった共同体自体は
機能しているばかりか、
その重要度もぜんぜん減りやしない状況で、
みんなで農家組合長を受けていかなきゃならないのだから。

僕らはあらゆるものから自由になった。
それを謳歌するのは良い。
でも、本当にとことん自由になったのだろうか。
いや、本当の「自由」とは、
個人の都合が加速するようなフリーライダーを
社会に作り上げることじゃないだろう。
都合の良い時だけ、古臭い「家」を持ち出すのは、
僕から見れば、すでにルール違反。
なぜなら、僕らはすでにそれが機能的でも
効果的でも、そして僕ら自身にとっても
有効的ではないことを知っているから。
僕らが手にした「自由」を
再び古き制度に返すのであれば、
「家」もまたありなんだろうが、
そんなことは、もうないだろう。

「家」を持ち出した彼が
何を考えていたのかは、僕にはわからないが、
僕らは、共同体に対し「家」ではなく、「個」で
向かい合うべきなのだ。
だから、農家組合長は、
「家」じゃなく「人」で受けてほしい。




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金曜日に、武生東高校で講義。
青年海外協力隊経験者が6人ほど集まり、
それぞれのクラスに分かれて、体験談を話すというもの。
武生東高校では、異文化理解の授業に
多くの時間を割いているようで、
この講義もその一環。

いろいろと事前の準備を生徒がしており、
インドネシアに対しての質問や
協力隊の質問が、2週間も前から僕の手元に届いていた。
それをもとに、僕なりに今回の講義の内容を決めたのだが、
題目は
「異文化理解と国際協力」。
毎回、講演ごとにその内容のテーマを3つに絞っている。
今回も3つあった。

①異文化理解って何を理解することなの?
②国際協力って何?
③異文化理解の果てにあるものとは?

この3つの問いに答えるように
僕の経験談が続いていき、最後にこの答えがみんなで
共有できれば、と思ってやっている。
初めに、何を話すかを言っておくので、
このやり方だと、聞いている方も集中しやすいし、
やる方も楽。

長くなるので、講義の内容は割愛しよう。
聴きたい方は、講師として呼んでくだされば、
スケジュールに余裕さえあれば、どこにでも行きます。

さて、
この3つのテーマ(問い?)の答えは、
それぞれが感じてもらえればいい。
僕は、異文化理解とは、その視点で地元を見直せば、
そこに地域変容の大きなダイナミクスが存在すると思っている。
海外に飛び出すのが目的じゃない。
その飛び出した行動力と、培った視点で、
生活としてかかわり続ける場に、
変容をもたらす存在になることが
その主題ではないかと感じている。

異文化理解は
オモシロ人類学じゃなく、
その視点で、自分や地域の常識を疑えるようなれば、
文化と地域の面白い化学変化を目の当たりにできるだろう。
という、そういうお話をした。



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11 11
2011

野田首相がTPP交渉に参加を表明した。
解りきっていた事だったけど、
表明されると、それなりに動揺もないわけでもない。

短期的に見て、「日本」がどうなるというのは
ここ最近でもいやというほど目にする。
農業界vs経済界なんて図式が、てんであてはまらないことが
最近ようやく認知されてきつつある。
なぜ参加が必要なのか?という議論も、ちらほら。
僕の無い頭では、あまり理解は進まないのだが、
TPPが良いかどうかは別として、
フリートレードはこれからも加速していくんだろうと
容易に想像はつく。

しかも、このフリートレードだと
なんだか「交易」が強調されていて
全体像がぼやけてしまうのだけど、
本当は、近代性に乗っかった
グローバリゼーションが進行する中で
いろんなものが平準化され、
解体され、再構築化されるプロセスなんだと思うと、
それらが経済がどうのこうの、の枠じゃないのことも
うっすらと見えてくる。

だのに議論が経済に寄っていくのは、
僕らの意識の問題なのか、それとも
やはり市場システムに巻き込まれながら
社会が形成されてきたという歴史がそうさせるのか。

僕の意識を市場システムに寄せてみると
実社会において、人口が減り、社会の高齢化が進み、
マーケットの縮小と
現在の社会を維持できない状況が目前に迫り、
だのに、
ゼロ成長と緩やかな後退を思想的に成熟できない僕らは
最後のあがきとして、
新しい市場システムに活路を見出そうとしているようにも
僕には見える。

そして僕らが社会や生活を市場システムとして捉える癖が
そうさせているのだろうけど、
実際にその市場システムが始まれば、
その中のプレイヤー(アクター)が自分たちではないかもしれないのだ。
それを知っているとしたら、
どこか楽天的もしくは退廃的な感もある。

首相は、
「世界に誇る医療制度、日本の伝統文化、美しい農村は断固として守り抜く」
と言ったが、それら自体を守る意味が
だんだんと薄れていくのは容易に想像しやすい。
なぜなら、新しい市場システムによって
構築される社会には、当然、新しいプレイヤーが居るわけで。
だから、それらは守るもんじゃなくて、
この次の社会に合わせて、その中のプレイヤーたちが
築いていくもんなんだよな。

ドラスティスな変化をさせない程度の首相の話よりも、
野田さんが何を見据えながら参加したいというのか、
それが少し聞きたい。

国家は超国際的な経済団体を自国の国家制度に取り込めず、
それを新しい市場システム圏という大枠で覆い尽くしつつ
それらの便益を図るための団体と化している。
民主主義は、プレイヤーたちが変われば、
そのプレイヤーたちで、新しい民主主義を創っていくので
この新しいシステム(自由貿易)とは、しばらく、
いざこざがあるだろうけど、その内落ち着くんだろう。
だけど、
政治・技術・文化・金融・市場・労働・家族・共同体などの
すべての仕組みや価値が組み変わるのも事実。

アジアの成長を取り込むという点で
従属論の新しい地平がそこには広がっているようにも見える。
国家としてではなく、マーケットとしての「日本」。
人と金と物と技術と思想が、
その関係の中で、吸い上げていくシステム。
そして、そこには「日本人」なんていうエスニシティの幻想はない。
それらさえも平準化され解体され再構築される。
お国柄、ちょっと右に振れるんじゃないかって、
心配もある。

これからくるビックウェーブは
僕らに変化を押し付けてくる。
試される時が近い。
それに備えよ。



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野菜を送っている東京のフレンチレストランから、
こんなFAXが届いた。

『金時草ですが、とても人気があります。
ランチ、ディナーでは、生のまま葉だけをちぎり、
グリンカール、サニーレタスと混ぜて上に
ブルーチーズをのせて
「金時草とブルーチーズのサラダ」
として出しています。』

なんとおいしそうな食べ方!
これはマネしないわけにはいかない。
ということで、妻が少々アレンジして
金時草のサラダを作ってくれた。
この季節、葉が柔らかくて、色も鮮やかでとても美味。
さらにドレッシングやチーズに負けない個性的な
金時草の味が、サラダ全体のハーモニーを
生み出していた。

金時草との出会いは、沖縄だった。
そこでサラダとして食べたのだが、
その感動が再びよみがえった。

しばらく我が家では
金時草のサラダが定番化しそうである。


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水曜日の勉強会の記録をしよう。
今回の発表は、ジェラート屋のカルナの店長である、大和。
彼の選んだ本はこれ。
船瀬俊介 著 『早く肉をやめないか?』 三五館

船瀬氏の本は、かなり曲者である。
僕も数冊付き合わされた経験がある。
彼はいわゆる、扇動家なのだ。
社会が抱えている不安を煽り、そこに火をつける。
その煽り方は、なかなかずるくて、
その対象に少し知識がある程度では
見破れないような論理展開をする人。
本当と嘘を上手に織り交ぜるため、
どこまでが嘘で、どこまでが本当かを
素人では判断し難いことも多い。
彼は、
社会心理学のいわゆる「信頼」の構造を
良く知っている確信犯なのだろう。

大和が取り上げたこの本は、BSEについてだった。
BSEが問題になった年に発行された本で、
当時の知識でこれを読めば、
肉は食えなくなるかもしれないような書きぶり。
大和のプレゼンでは、全10章ある内、
1~4章は権威ある有名なBSEの著作を丁寧に解りやすく解説してあり、
そこだけは読む価値ありとのこと。
ただ、それ以降になると自分の論理展開に有利な引用を繰り返し、
最後には意味不明な宗教的な価値まで織り交ぜながら
肉食の危険を煽りまくっているとのことだった。
前半部分で、良書を解りやすく解説しているため、
読者は船瀬ワールドに知らず知らずのうちに
はまってしまうのかもしれない。

こういう本との付き合い方は非常に難しい。
論理展開や引用の仕方、固有名詞が作為的にすり替わっていないか、
などなどをチェックしながら読まないと
どこで著者の罠にはまってしまうかわからない。
批判的に読む癖をつけないと、
読書は危ない。


さて、
本書とは別に、大和が帰農するきっかけが
BSEだったという話は、興味深かった。
農業番組の制作に携わっていた彼が、
BSEの取材を通して、自分の酪農への想いを強くして言った話は
僕の心にもしみるように伝わった。
だから、今、いろいろと悩むのだろう。
自分の想いと、今やっていることと、
その楽しみも知りつつもそれらが一致していく道が
一体どこにあるのかを模索しているのだろう。

僕も同じだ。
やっていることと、やりたいことが
少しずつズレていく。
それが僕だけの問題じゃなく、
僕の周囲の環境の変化もあって、
その中で喘いでいる。
(もちろん、僕の読みの甘さが問題の大方の原因だろうけど)。

だからこそ、原点に戻ろうと思うのだろうけど、
なんだか最近は、原点なんてそもそも幻想だったのかもしれない、
と思うことの方が多くなった。
ズレを抱えたまま、
僕らはその先を走りながら考える、しかないのかもしれない。
ねぇ、大和君よ。


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P1010689.jpg

落花生を収穫。
まだ乾燥させていないので、それを茹でて食す。
日本では、あまり見かけない食べ方だけど、
インドネシアでは、結構ポピュラー。
独特の香ばしさがあって美味い。

昔、この優良種をインドネシアの田舎で
躍起になって普及させていたころの自分を
すこし思い出した。
苦笑交じりのその思い出と同じく、
落花生の薄皮が、少し苦いくて、
それがまた良い。

そんな味のする、
そんな想いが詰まった、
僕には大切な豆。


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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

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メールは
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