ワインの飲み方に、「垂直」という言葉がある。
一つの産地、一つの地域、一つのワイナリーを
年代ごとに飲むというのが、この「垂直」。
ちなみに、これに対して、「平行」という言葉もある。
特定の年代を選び、その年代の様々なワインを飲むというもの。

僕は、この「垂直」という言葉が至極気に入っている。
特定の作り手のワインを年代ごとに飲む。
当然、良い年もあれば、悪い年もある。
それを併せ呑む。
良い年だけとか、出来の良かった産地だけ、ではなく、
気に入ったワイナリーや作り手を選び、
その地域と一緒に、出来不出来を一緒に飲むというスタイル。
良い年は、そのうまさに驚き、
悪い年は、生産者の苦労が香りや味のはざまにうかがえる。

僕ら農業界の生産者は、
自然の気ままで全く安定しない変化に、
しっかり向き合いながら、
食べてくれる側にモノを提供し続けている。
そして、そのモノの質は良い時もあれば、
当然、悪い時もある。
自然が人間の事情にそっぽを向くときなどは、
生半可な管理では、とても生産できない。
そんな悪い時でも、悪いなりに良いものを作る努力は、
僕たちは怠らない。
でも、良い時に比べたら、
どうしても見劣りはする。

それらを併せ呑もうというのが、
ワインの垂直。
それを解りながら、消費するという行為で
僕ら作り手に寄り添ってくれるのが、
「垂直」。

この「垂直」が、僕のそばにもあったらいいな。
そんな想いがここ数年あった。
そして今年の5月、あるきっかけで知人女性から
「野菜を送ってください」と連絡を受け、
僕にも、その「垂直」が始まった。

現在、毎週、野菜の詰め合わせセットを全国に発送している。
その発送の時に、美味しそうな野菜を、
旬で味がのってきた野菜を、
詰め合わせて送る。
当然、この先、悪い時もあるだろう。
でも、そんな時でも、
この自然に寄り添いながら生活している僕らに、
寄り添いながら消費してくれる人たちが、
傍にいてくれるという、その存在感が、
僕らをまっとうな農業に向かわせ、
そして、まっとうな取引関係を作っていけるような気がする。

良い時は、とても美味しく、
悪い時でも、悪いなりに、
僕は自然を食べながら楽しんでいく仲間の輪を
広げていきたいと思っている。


関連記事
P1010666.jpg

先週は、大根の間引きを行う。
予定よりずいぶんと遅くなってしまったので、
間引いた大根が、ずいぶんと大きくなっていた。

普通、間引いた大根は、
大根葉を楽しむものだけど、
大きくなりすぎてしまっていたので、
根の部分をサラダに。

黒大根、紫大根、紅芯大根、
いろいろな大根に、カボチャとサツマイモを加えて、
大根の温サラダに。

寒さが本格的じゃないので、
大根は甘くなく、苦みがやや強いのだが、
その苦みが、サラダにはちょうど良かった。

もうすぐ冬が来る。
そんなことを教えてくれる
温サラダだった。



関連記事
若手有志の勉強会。
今回は、うちの農園のエース(になってほしいと期待する)
大西くん。

選んだ本は、これ。
岩田 進午 著 「健康な土」「病んだ土」 新日本出版社

実はこれ、僕も読んでいてブログに書評も書いている本。
なかなかの名著で、この著者が
どんどん著作を出していくタイプの人だと、
土壌学への関心も高まるんじゃないか、
と思わせるほどの文章家でもある。

本書では、土というものを中心に
それがどの状態であれば健康なのか、
そして病んでいる状態とはどういうことなのかを
丁寧に解説している。
詳しくは、自分の書評に譲るとして、
勉強会で、大西君は堆肥の投入が一つのカギだと
話してくれた。
その上で多投入しなければならない堆肥が
健康な土を生んだとしても、経営的なコストがかかりすぎて、
元気のない有機栽培農家ばかりになるのではないかと、
指摘してくれた。

コスト削減という意味で、
堆肥の多投入をどう議論するかは、
なかなか難しい。
土壌分析を行い、必須元素にの過不足に沿って、
堆肥の投入をコントロールしたとしても、
実は、土壌の環境緩衝能力は非常に大きく、
不足分や過剰分をなかなかコントロールさせてもらえないのが
現実であろう。
そこで化成肥料との使い分けを行うのが
もっとも妥当な考え方なのかもしれない。

しかし、この著者に寄り添って考えてみれば、
土を器と考えない、ということが大前提にあり、
作物の生育中心ではなく、土の肥沃と多様性を主眼と置けば
そもそもそのコントロールすること自体、
浅はかと言えるのかもしれない。
土はそんなものじゃない。
と、この著者は言っているような気もする。

多投入自体もあまり推奨しないだろう。
岩田氏が本書の最後に薦めているのは、
不耕起栽培。
土壌流亡を防ぎ、物理的&生物的に
土壌の肥沃UPにつながる栽培法。
そして本当はこの先がとても重要で、
この不耕起栽培を確実に実現できる方法の一つが、
遺伝子組み換え技術なのである。
土と環境を真っ向から考えてみると、
僕らは、この議論を避けては通れない。
有機農業と地球規模での土壌保全を考えた時、
一つの方法論として浮上してくる、
遺伝子組み換え技術。
真っ先に感情的アレルギーが起こりそうなこの技術ではあるが、
土壌と生物多様性を学べば学ぶほど、
この正当性が、目の前をちらつく。

ちなみに、僕が書いた書評は今から3年も前。
置かれた立場に変化があると、
自分の書いたものでも、なかなか納得いかない個所も多くなる。
この本は、間違いなく
人間中心主義ではなく、ディープエコロジーの立場の話だろう。
だが、僕らは農の「業」を行い、
日々の稼ぎを得て、雇人にもお給料を払っている。
その「業」がはたして、土の立場で考えられるのだろうか。
少々、そちらの都合も考慮したとしても、
僕らはやはり、そこに住む人々を優先してしまいそうになる。
それら両方をウルトラCで着地点としているのが、
実は、遺伝子組み換え技術なのかもしれない。
ちょっと、降りたくない着地点ではあるけど。

そういうこともあって
不耕起にはなかなか移行できないが、
堆肥を多投できる体制は整えている。
それにコストがかかるというのであれば、
それを評価されるような農業にすればよい。
土を保全する農業をしている農家の農産物を
高く評価される市場。
それを創り上げないと、
関心のなさから、知らないうちに周りには
遺伝子組み換えによる不耕起栽培が
主流になりそうで怖い。
いずれにせよ、食べる側の不勉強と無関心が
ゆがんだ生産体制を生み出していることは、
間違いない。
僕らからの提案もより強くしていかなきゃならん、と
強く思った勉強会だった。


関連記事
タイトルのパネルディスカッションに、
パネラーとして参加。
基調講演を、元NHK記者の久米井彩子氏が行った。
『元気な日本を取り戻すために』という表題だった。

パネルディスカッションそのものは
久米井さんの内容をそのまま引き継がず(引き継げず?)
自由度の高いトークになったように思う。

日本&福井のここが変だ、や、ここが好き、が
異国人や異国社会を経験した日本人の視点から
話し合った。

メンバーは、アメリカの方、ロシアの方、韓国の方と
渡米経験者と僕の5人。
その中でも、途上国の農村部の立場で話すのは
僕だけだった。

僕の印象に残った話は、
アメリカの方の「福井は人がとても温かい」という言葉。
別に冷たい印象は僕もないが、
南国的なフレンドリーさには欠けると
常々僕自身も含め思っていたので、
この発言には驚いた。

面白いな、と思ったのは、
渡米経験者の方から、
社会認識から育児に解放されない日本人女性の
話があった。
ベビーシッターをうまく利用し
夫婦だけで旅行したり、休暇を楽しんだりできるのは
社会がそれを許容するからだという発言には
とても納得。
夫婦関係が良いから、よい家族ができてくる。
仕事のストレスもうまく発散できる。
無理のない家族のスタイル。
僕は賛成だな。
でも福井だったら、近所や舅や姑から何か言われそうだね。

会場からの質問では、
県外出身者の方から面白い質問があった。
「県外から転勤できましたが、福井の人は仕事に一所懸命で100点満点を目指しているように思えます」
と意見があり、
それに対して、福井歴15年のロシアの女性が
「福井の人は休むのが下手。ロシアではバカンスに1か月くらい出かけます」
と話していた。
これも社会認識なんだろう。
所属する社会が、そういう価値を許容していれば
僕らはもっと楽に暮らせると思うのだが、
それができない窮屈な空気、それが今、
僕の周りにとりついて離れない。
ロシアの方の意見に、僕はとても賛成である。

今回、壇上では深まらなかったのだが
久米井さんの個と集団の話がおもしろかった。
日本とアメリカに比較で
個人のポジティブ思考が強いアメリカでは
誰かを頼りにせず、問題を解決していけると
話していた。

今回の議論では、「地域」というキーワードが一切出てこなかったので
やや議論が深まらない結果だったのかなと思うのだが、
アジアの農村部において、
別に個のパフォーマンスがそれほど強くない場合でも
問題を解決していける力が、今の日本の集落以上にあるように思う。
欧米との比較だと
集団と個になりがちだが、
それよりももう少し広くとらえてみると、
もしかしたら、所属している地域とのかかわりあいの違いも
あるんじゃないかと、少し推測している。
寝るだけのベットタウン化している、
日本の地域や農村部には、
そもそもその地域に係わろうという意思を
持った人が少ない。
これもまた僕らの周りにべったりとまとわりつく
社会的な認識もあるんだと思う。

その当たりをもう少し海外の事例も合わせて
聞いてみたかったというのが本音。

とにかく、普段ならば議論し合わない人たちと
話を交わせたので、満足だった。


関連記事
インドネシア研修生の話。
前期の最終試験の真っ最中で、今回は3年生のイルファン。

彼の立てたビジネスプランは、タタンの地域。
タタンの地域は、それなりに街までのアクセスが良く、
果樹栽培がとても盛ん。
イルファンはそこに目をつけ、
加工後に廃材になっているヤシの実で
工芸細工の生産をしてはどうかというビジネスプランを立ててきた。

ヤシの実の工芸品は、バリやジョグジャの観光地、
または大都市のショッピングモールなどで簡単に手に入る。
しかし、それらの多くは、
お土産用もしくは金持ち層がターゲットで、
一般市民の間では、まだまだ使用頻度は少ない。
イルファンの計画では、
一般の市民や普通のレストランなどがターゲットとなっていた。

タタンの地域では、
タタン自身がヤシの実栽培を帰国後の計画として
挙げてきているように、ヤシの実の栽培が盛んである。
ヤシの実を加工した後に出るヤシがらは、
そのまま廃棄されることが多い。
昔は(タタンやクスワントの祖父時代)、そのヤシの実の殻を
お椀に加工して一般の家で使われていたという。
しかし、時代が近代化し、そういった食器は古臭いものとして
使用されなくなっていった。

イルファンはそれを復活させ、
再び市民権を与えようという試みだった。
ただ復活させるのではなく、デザインに凝り、
アートとしても十分通用するような工芸品にしたいとのことだった。

この工芸品の製作所を
タタンの地域を横断する、
街と街を結ぶ幹線道路沿いに建て、
体験でヤシ工芸品を作れるような施設にしたいという。
また、そこで直売もし、制作現場を見ながら
買い物も楽しめるようにしたいらしい。
併設で地元野菜の直売所もいいかも、と言っていた。

製作所で働くのは、
正規のスタッフ以外にも、
近くの住民グループ、というのがイルファンの案。
女性グループや若者グループがいくつかあり、
時間のある時に製作所で工芸品を作成するというもの。
また指導に当たる工芸芸術家も同時に募集し、
その地域にあった統一的なデザインも確立したいとか。

いやはや、
最近のイルファンには、驚かされる。
プレゼン時間も10分と言い渡してあるのだが、
イルファンだけがこの時間通りにプレゼンしてくれた。
彼は、ここ1年ほどで驚くほどに
学力を伸ばしてきている。
本当に楽しみな子だ。

試験後、みんなで今回の試験について話し合った。
自分以外の地域のビジネスプランを立てる方が、
みんな自由度が高く、面白いものが出来ていた。
さらに、その他人の立てたビジネスプランによって、
自分の地域のポテンシャルに新たに気が付いたという意見もあった。
とても小さな取り組みだが、
こうしてこちらが学んでほしいと思うことを
着実に身に着けていってくれている姿を見ると、
とてもうれしくなる。
忙しい中、時間を作ってやっている意味を
自分なりに再確認できた。

11月からは後期の授業が始まる。
まだまだ詰め込まないといけないことが多い。
タフな日々はまだまだ続きそうだ。


関連記事
インドネシアの研修生の話。
前期の授業の最終試験の真っ最中。
今回は、タタンのプレゼン。
タタンは、クスワントの地域でのポテンシャルレポートを元に、
ビジネスプランを立ててもらった。
授業でのポイントを踏まえつつ、
それでいて、そこから自由にはみ出しながら、
地域が発展していく社会的起業のプラン作り。

タタンは、クスワントの地域のポテンシャルレポートに加え、
独自にネットからの情報を得て、
クスワントの地域に3つの有力品目を挙げた。

サツマイモ
砂糖ヤシ
丁子
の3つ。

クスワントの地域では、もともとサツマイモが有名。
とても甘い品種があり、その栽培が盛んなのだ。
日本で言えば、糖度が普通のさつまいもの2倍ある「安納いも」に
良く似ているのだが、クスワントの地域のいもは、
それ以上の甘さをもつ。
そのイモを近くの幹線道路沿いで直売しようというのが
タタンのプラン。
インドネシアではよく、道路沿いに屋台を出して
野菜や果実の販売を目にすることがあるが、
タタンのプランは、それとは違っていた。
駐車場とトイレを完備した、ドライブイン型のお土産屋を建てて、
イモを入れる袋や竹籠などにもこだわって、
販売しようというプランだった。

次は、砂糖ヤシ。
インドネシアの砂糖のほとんどがサトウキビから作られている。
だが、一部、この砂糖ヤシ(aren)から取れる、
アレン砂糖というのが出回っている。
インドネシアの子たちに言わせると、
サトウキビから取れる砂糖は、「美味しくない」だそうだ。
だが、このアレン砂糖はとても美味いという。
たしかに、僕もインドネシアではお気に入りの砂糖で、
お土産にたくさん持って帰ってきたこともあった。
コクと香りが良く、料理にはもってこいの砂糖。
これで入れるコーヒーが好きで、
ボゴール農科大学に留学中は、そればっかり飲んでいた。
そのアレン砂糖、クスワントの村では
かつて生産が盛んだったとか。
それは元々、その村にたくさんの砂糖ヤシが自生していたことによる。
しかし、今では森林を畑に切り開いたり、
人の居住地が増えたりで、砂糖ヤシの植生が減り、
アレン砂糖の生産は衰退の一途なのだとか。
タタンはこれに目をつけて、
クスワントの村のアレン砂糖生産復活をプランとした。
このプランで大切なのは、砂糖ヤシの栽培だろう。
だが砂糖ヤシは、その実から発芽させることがかなり困難で、
その苗の大量生産は、無理だと他の研修生も思っていた。
だが、もともと森林の緑化に力を入れていた団体に
就職していたタタンは、この砂糖ヤシの育苗も
かつての会社で手掛けていたという。
クスワントの村に、砂糖ヤシの育苗所を建て、
苗の生産と販売を行うというのが、タタンのプランだった。
アレン砂糖で有名だったので、
砂糖ヤシの苗は売れるだろうという考えらしい。

最後が、丁子。
インドネシアでは、かなりポピュラーな香辛料。
クスワントの村では、一部丁子栽培もおこなわれているので
価格的に安定しているこの丁子栽培を推し進めるのが
地域発展のカギとタタンは言う。
インドネシアでは、たばこに丁子を混ぜたものが
主流で、丁子の消費量は意外に多い。
しかもクスワントの村の近くに、
たばこ生産の会社があるのだとか。
そこに丁子を卸せばいいという、ちょっと安易なプランを
最後にプレゼンしていた。

このてんこ盛りのプランを10分のプレゼン時間で
やるので、当然早口かつ上っ面の内容だった。
僕は始め、とてもわくわくしながらプレゼンを聞いていた。
タタンの選んだ3つの品目が、どう関係性をもって
地域発展のプランになるのだろうか、と。
しかし、中身はただ3つを並列したにすぎなかった。
それが有機的に相互補完することもなければ、
相乗効果を得ることもなかった。
まぁ、別にそうである必要性はないのだろうが、
3つである必要性も感じない。
なんとかく締りのないプレゼンというのが
率直な感想。

日本人有志の勉強会で得た知見から言えば、
地域ブランドに必要なのは独自性と統一性。
タタンのプレゼンには、その統一性がない。
そして3つも挙げることで、一つ一つの深さもなく、
どこかいい加減になってしまっていた。

また、アレン砂糖ではかなりいいセンスを見せてくれたのだが、
販売は、砂糖ではなく、ヤシの苗にとどまっているところも
とても残念。
砂糖ヤシの育苗所を建て、砂糖ヤシの里として
伝統的なアレン砂糖の販売に力を入れた方が、
僕には面白いと思えてしまう。
育苗所の存在は、砂糖ヤシの苗を売ることよりも
それがあることでアレン砂糖を
他よりも優位に販売することができるシンボルになるのである。
できないと思われている砂糖ヤシの育苗に成功し、
もともと昔から有名だったクスワントの村のアレン砂糖を
伝統的な製法で復活させ、統一イメージを創り上げ、
その販売に優位性を持たせる。
どこにでもある、といえば、どこにでもあるアレン砂糖。
古臭い昔の砂糖といえば、そういう砂糖。
でも、この砂糖の持つ良さは、ちっとも古臭くもないし
昔でもない。
今の文脈でも、十分すぎるほど魅力的だ。

そういったプレゼンをしてくれたなら、と
タタンに対する期待が大きかった分だけ、
すこしがっかりした結果だった。

こちらの教え方が悪いのだろうけど。


関連記事
もう1本!
若手有志の勉強会。
今週の発表は、酒井君。
彼の選んだ本はこれ。
金丸弘美 著 「地域ブランドを引き出す力」:トータルマネージメントが田舎を変える!

これはこれでとても気になるけど、
しっかし、どの発表もみんな
経営とかマーケティングとかばっかりだなぁ。

この本では、日本から海外までありとあらゆる地域ブランドを
創り上げてきた事例が、薄く広く紹介されている。
そのせいもあるのだろうが、
彼のプレゼンは、まとまりに欠けていた。
ただ僕が、彼が素晴らしいと思うことの一つに
物事を大雑把に掴み取るセンスがあること。
それをまとめて話せる力がないので
伝わりにくいのが残念至極。

さて、雑多な地域ブランド事例から
彼が導き出した共通の成功のカギは
「独自性」と「統一性」。
そしてこれはレジュメに記述されていなかったが
質問していくうちに
彼が答えてくれたのは、
「アイディアを出し合える場」だった。

彼の言う独自性や統一性とは異なるかもしれないが
僕なりに感じたことをここでは書こう。
その地域の資源をまず、独自的なものとしてみる
視点が必要という事だろうと思う。
これは大西君も大いに指摘してくれた。
資源化がいいのかどうかは、また別の議論としてあるのだが
どこにでもある、という視点からは
新しいことを生み出す力は生まれない。
独自なものは、何も特別なものじゃない。
普段から接しているものが大半なのだ。
それを独自だと感じる力、
そしてそれが独自だと感じさせられる力が
なければ始まらない。

統一性は、さらにその独自性を強化し
相手に伝える力が増す。
ブランド化のカギの一つは、
確かにこの統一的なイメージだろう。
その場の雰囲気を作る大事な要素でもあり、
その場を共有する人間のモティベーションも高める。

最後に彼が答えてくれた
「アイディアを出せる場」が、
この独自性と統一性を創り上げていく場となるんだろう。
それぞれの地域では、
それぞれが様々な取り組みをしているが
それを有機的に結び付け、意味づけをしながら資源化し、
統一的なイメージまで醸成することが出来たならば
それがその地域のブランドとして、発信する力を持つ。
それを創り上げていく「場」。

この三つが、地域ブランドを創設していく鍵なんだろうね。

海外で地域おこしに自らかかわった経験を持つ酒井君は、
やはりこの辺の大掴みのセンスはある。
ただ、酒井君、君のプレゼンは、
途中から単調になってしまうのでつまらんよ。
もうちょっと、まとまらんかなぁ。



関連記事
農業を志す有志の勉強会。
記録が、1週遅れになってしまった。
あわてて記録しよう。

先週の発表は林君。
選んだ本はこれ。
藤澤研二 著 「この手があった!農産物マーケティング」 家の光協会

林君は中小企業診断士の資格を持つ異色のファーマー。
その彼が、農業と他産業のマーケティングに違いがあるのかどうかを
確かめるために、この本を手にとった。

結論から言えば、そう大差はない、とのこと。
まぁ、そうだろう。
食べてくれる側のニーズ(潜在性も含めて)を把握し
多様化細分化する需要に、柔軟に対応し
生産のカタチや販売のカタチを変えていく。
たぶん、それがマーケティングなんだろう。

さて、彼がこの本を読んで一つ批判的だったので
記録したい。
この本では、様々な事例が書かれていたが、
その解説はどれも後付の理由にしか見えなかったとのこと。
この手があった!のこの手はいったい何なのか、
それが事前に解り、それに沿ってのマーケティングという感じで
記述されていなかったとのことだった。

成功事例を後付けで解説するのは
けっこう簡単な作業。
その作業の中から、すべての事例に通底する何かを
抽出してこそ、学問としての意味があるのだろう。
普遍化という意味では、
もろ手を挙げて乗っかれないけど、
時代の精神的習慣(その時代や集団の価値の感じ方)にまで
気を付けて、丁寧に読み解いたものには
僕もたまに出くわすが、そういうものはとても好感が得られる。
この本はそういうことではないという事だろう。

マーケティングの本は
成功のカギと称するものを小手先で解説してばかりいるが、
なぜ、その価値をその集団が、またその時代が、
共有したのか、そこが僕らには見えにくい。
天才の領域と言われれば身も蓋もないのだが、
そこが、この手があった!の「この手」を導き出す、
一つの明かりのように僕は思える。
まぁ、それは学問的な立場の違いからくる
不満かもしれないけど。

さて、彼の発表では
SWOT分析やポートフォリオ・マトリックスなどの解説もあり
今の市場の動向や自分の経営の分析に役立ちそうな
ツールを教えてもらえた。
これはかなり面白かった。
勉強会後に、普段はわからないことばかりで
ついてこられないインドネシアの研修生(3年生)が
僕にしきりとこのツールについて質問してきた。
機会を作って、研修生にもこういった授業をする必要がありそうだ。



関連記事
P1010584.jpg

今年は秋もズッキーニを栽培している。
夏とはやはり違った風味で、
味や香りも強いように感じる。
ズッキーニはやはりその食感と
一緒に料理するものを引き立てる力が
魅力なんだろう。

サーモンとのカルパッチョ。
焼きが入っている分、味が締まって美味かった。

関連記事
インドネシア研修生の話。
前期の授業が終わり、先週から試験に入っている。
試験は、2つの授業「農業構造論」と「地域発展論」を
合わせた試験で、他の研修生の地域を題材に
アグリビジネスプランを立てるというもの。
10分のプレゼンをしてもらい、20分間の質疑応答。
面白い企画を立て、質疑応答でもたじろがなければ
まぁ、とりあえずは合格という試験。

一番初めにプレゼンをしたのは
1年生のクスワント。
彼は、3年生のイルファンの地域での
ビジネスプラン作りだった。

イルファンの地域は、標高1500メートルを超える高原地帯で
インドネシアであるがとても涼しい地域。
お茶の大規模栽培が有名で、
近くに湖もあり、地元の観光客もある程度いる。
そんな地域で、クスワントの立てたビジネスプランはこうだった。

まず栽培作物は、お茶も続けるが、
新規としてコーヒー栽培にも力を入れる。
品種は、標高が高いほうが美味しいとされるアラビカ。
これを普通に販売して、その味や品質で高値を狙う努力もするが
観光地近くに、農家グループでコーヒーバーを建てて、
そこで観光客にも直接アピールする。
観光地は湖の近くで、
また観光客は、近くの川でラフティングやキャンプをするといった
アウトドアが目的ということもあって、
お茶畑を整備して、その間をサイクリングできるように整備したり、
馬に乗りながらお茶畑やコーヒー畑を
散策できるようなコースも作る。
体験農場を作り、収穫体験できるようにする。
それらイベント参加の予約もコーヒーバーで行えるようにするというもの。

コーヒーバーには、機械によるコーヒー抽出機を置き、
客自らがコーヒーを入れて飲める形式にするとか。
物珍しさに、お客が来る、とクスワントは説明していた。
客層が、都市部のビジネスマン家族になることから
無線のインターネットも整備する。

なかなかユニークなプラン。
質疑応答では、学友から厳しい質問が続いた。
なかでも集中したのが資金。
コーヒーバーの建設費やサイクリングコースの整備費など
農家がやるには少々重荷なプラン。
その資金はどうするのかという質問に、
クスワントは、BRIなどの地元銀行が行っている
貸し付け(KUR)などを紹介していた。
1グループに1億ルピアを上限に貸し付けてくれるという。
数件の農家でグループを組み、
研修生の貯めた資金を投入し、
銀行の融資が取れれば、可能じゃないか、とクスワント。
かなりリスキーだけど、
なかなか良い具合にはみ出した計画だった。

ただ、その観光地の雰囲気はどうなのかわからないが、
機械でコーヒーを入れるよりも、
ミルを使い、サイフォンやネルでゆっくりと入れるスタイルの方が
アウトドアを楽しもうという客には受けるような気もするのは
僕の個人的な意見。

近くの観光地に来るアウトドアの客を呼び込み、
農業の景観(美しい茶畑&コーヒー畑と自然)と体験を活かして、
自分たちの生産するコーヒーのブランドを立ち上げる。
それがクスワントのプランだった。

前期の授業の要点を良く押さえたプラン。
レポートの質は良くなかったが、まずは合格だろうか。



関連記事
P1010582.jpg

にんにくを植える。
ひと粒ひと粒、丁寧に。

来年の収穫に期待をはせながら。
今年の出来や味を思い出しながら。
去年の失敗を教訓にしながら。

まわり回る時間と季節の中で、
今年もにんにくを植える。

関連記事
P1010570.jpg

大根のなか打ちをする。
畝間を鍬で起こす作業。

起こすことで、余計な草が枯れ、
土に空気が入るので、
微生物の働きが良くなる。
それで有機物が分解されて、
大根がそれを吸う。

少しだけ、自然をかく乱すると
それに反応して、ある種の植物がよく育つ。
それが農の営み。

腰と腕がだるくなる。
それが農の営み。
関連記事
毎週水曜日の勉強会。
今回の発表は僕。
取り上げた本は、これ。

中谷内 一也 著 『安全。でも安心できない・・・』:信頼をめぐる心理学 筑摩書房

当初、今回の僕のプレゼンは別の本を考えていた。
だが勉強会のメンバーが、僕にネットに書き込まれていた
福島原発から漏れた放射能の危険性の議論を
読めと言わんばかりに渡してきたことがきっかけで、
この本を急きょ取り上げることに。

放射能が安全という気もないし、今の政府の態度で安心だと
思うこともないが、何に僕らは安心を得、何に僕らは信頼をするのか、
そして僕らはどうしれば信頼を失うのか、それを
一度整理しておく必要があると考えてこの本を選んだ。

僕らは生産者だ。
生産者である僕らが消費者から信頼されなければ
僕らの野菜は売れない。
まじめに取り組んでいれば、それでいい。
美味しいかどうかは食べればわかるから、それでいい。
という人もいるかもしれない。
でも、世の中、そんなことばかりでもない。
僕らがどんなに『良イモノ』を作っても、
売れないときは、全く認められないし、
僕らの目から見たら全然『良イモノ』でもないのに、
世の中から評価を受けて売れているものもある。

そこには、消費者の信頼をしっかりと把握していて
『良イモノ』が本当に良いものとしてシェアされている場合だろう。
だとしたら、僕らに必要なのは
何に信頼を置き、何を良いと思って消費者が手に取るのか
そこを理解することだろう。

ちなみに、これからの話は
なにも生産者と消費者との関係カテゴリだけの話ではない。
医者と患者もそうだし、政府と市民もそうだ。
政治家と有権者、開発援助側と途上国市民も当てはまるだろう。

さて、本題。
この本は、社会心理学の視点から人々の安心安全について解説。
いろんなことが科学的に安全と証明されても
時として人々は安心を感じない。
それはなぜか?
著者は、人々が信頼するそのシステムを解説し、
僕らが安心(信頼)するメカニズムを平易な文章で紹介している。

僕らの社会は、分業化が進み、多岐にわたる専門分野が存在する。
その多くの分野に、僕らは精通しなくとも
それを使いこなし、利便性を受けている。
車の構造を知らなくとも、車は運転できるし、
航空力学を理解していなくとも、飛行機を便利に利用している。
鉄道の運行状況などに不安を覚えながら
電車に乗ることもほとんどない(京福電車の場合は別)。
信号のシステムに懐疑的になることもなく、
その表示通りに、僕らは車を運転する。
危険か安全かを考えることもほとんどなく、
それらのシステムやそのものを信任して、
僕らは、それらを利用する。

現代は一瞬にして多くの物事の情報処理をしなければいけない。
その情報処理は、いちいちその学問やシステムを
自ら検証しながら行うことはない。
新型の飛行機に乗る前に、
その飛行機が航空力学的に正しいのか、を
その飛行機の設計図と照らし合わせて、いちいち僕らは検証しない。
僕らは、それを開発した会社とその認可をした政府機関を
信頼して、その検証をスルーしているに過ぎない。

中谷内氏は、その信頼のシステムに、
中心的ルート処理と周辺的ルート処理があるという。
中心的ルート処理は、新型飛行機が航空力学的に
正しいのかどうかを検証する処理であり、
周辺的ルート処理は、その新型飛行機を開発した会社や
認可を下した政府機関を信頼することで
その新型飛行機を信頼する処理である。

福島の原発事故後、
福島産の野菜が売れないのは、この周辺的ルート処理からだろう。
本当にその野菜一つ一つが危険かどうかの検証をせず、
周りの情報から
(そのほとんども、その野菜一つ一つが科学的に危険かどうかの検証もない)、
「福島産は危ない」と判断しているからである。
いろんな情報をスルーし、高速で処理をする僕らの思考の癖が
この場合、負の影響を及ぼしていると言えるだろう。

では、こんなあやふやで非科学的とも思える
思考の癖がある僕ら人間の信頼を得るには
どうしたらよいのだろうか。
中谷内氏は、3つの要素が信頼と強く結びついていると書いている。
それは、信頼を受けるリスク管理者の
「能力」「動機づけ」、そして「主要価値の類似性」である。

能力は、そのリスク管理者の能力であり、
そこもまた周辺的ルート処理であるが、
出身校やその機関での地位などがあるだろう。
受賞歴もあれば、それはまた能力として判断されるだろう。

動機づけは、そのリスク管理者が
どのくらいモティベーションを高く持って
その事象にあたっているかという姿勢である。
やる気のなさそうな顔や態度で判断されることもある。
役所の窓口でよくある光景とも言えよう。

そして最後は、主要価値の類似性である。
どんなに高い能力とモティベーションを認識しても、
価値が違えば、信頼はされない。
自然食品に関心のある消費者が
慣行栽培で栽培された野菜に興味が無いように。
たとえその生産者が、
生産組合長を務めていたり
品評会で1位を取ろうとも、である。
解りやすい事例では、裁判があるだろうか。
検事と弁護士、そして裁判官の3名は
優秀で、裁判に臨むモティベーションも高いとしよう。
この裁判を第3者の立場で見ている場合、
すべての権限を与えたいと思うのは、誰だろうか。
普通であれば、裁判官、ではないかと思う。
では、あなたが被害者の関係者だったらどうだろうか。
たぶん、罪を軽くしようとあれこれと言い訳を言う
弁護士を全く信頼せず、それどころかより悪質に思い、
ちょっとでも罪を重くするべく、
検察に権限を与えたい、と思うだろう。
これが主要価値の類似性である。

そして多くの信頼を失う場面で
この3つの要素のいずれか、それともすべての欠落が観察されるであろう。
まじめに業務に励み、
仕事に高いモティベーションを持っていても
所属する組織や機関への信頼度一つで、
安心が得られなかったりもする。

農薬が科学的に安全で、農水省と厚生労働省が
その安全基準を出して認可している、としても
人々が容易に安心をしないのも
そもそもこの主要価値の類似性の違いや
農水省や厚生労働省への信頼度などによって
揺らいでいるからだと考えられる。

そんな状況の中で、
僕ら生産者は、どうやって消費者から信任を得て
自分たちが栽培した野菜を安心して食べてもらえるのだろうか。

それは、まさに中谷内氏が指摘する上記の3要素にそった
情報の開示と発信に他ならない。
僕ら生産者と、消費者との接点は、
まさに“食べる”という行為とその価値だろう。
僕らは自分の農法について説明責任を負うが、
消費者からの信任を得るのは、
消費者本人が、その中身を精査することでは、たぶん無いのだろう。
そして、朴訥に、まじめに、良いものを作ってさえいれば、
いつかは気が付いてくれるだろう、ということでも
たぶん無いのだろう。
それもあるかもしれないが、
それ以上に、僕らの姿勢や態度、そして、
僕らが発信する価値に共感してくれる時なんだと思う。
僕らは、どう見られているのか。
その価値に敏感になることが、
信頼を得る方法の一つなんだと思った。



関連記事
P1010524.jpg

紫いもを出荷中。
あんまりおいしそうだったので、
妻がポタージュに。

もらい物の枝豆をそえて、
とても楽しくて美味しい一品が
我が家の食卓にのぼった。

秋を想い、そして感じる。
そして家族が楽しくなる、
そんな魔法のスープ。



関連記事
今回の勉強会(先週の水曜日)は
JA吉田郡の超新星☆小林君。

選んだ本はこれ。
川上康介 著 『五感で学べ』:ある農業学校の過酷で濃厚な365日

全寮制のタキイ研究農場付属園芸専門学校を舞台にした
1年間の訓練のノンフィクションもの。

研修生や若い仲間の多い僕の農園と
どこか一致するようで、彼はこの本を取り上げた。

彼がこの本を読んで、心に残ったのは、
チームワークだとか。
さまざまな過酷な作業にチームとして取り組んでいく
その姿に、自分も照らし合わせたのだろうか。

「作業中に声掛けし合っているようで、それはやってみたいです」と
話してくれた彼は、多分、僕の農園でのルーティンで
孤独な作業をなんとか明るく楽しいものにしたいと
思っているのだろう。
僕も常々、農業の暗い部分としてそれは
以前からの悩みでもあったので、
どんどん楽しく会話しながら、やってもらいたいとは思っている。

ただ、性格にもよるし
日本語をあまりわかっていない子も多いので
それはその人まかせなんだよねぇ~。
小林君は重なってないけど、
去年から今年の3月までいた林君は
そういう意味では、うるさいくらいに喋っていたよ。

この本では、1年間で成長していく様を記述されているのだが、
プレゼン後、勉強会参加者から
「小林君は、ここ(農園たや)で研修後の自分はどうなっていたいかイメージはある?」と
質問がとんだ。
彼は、まだ明確なイメージはなかったのだが
やはり研修で成長しようと思うのであれば
こういう自分になっていたいというイメージは
あった方がいいだろう。

そういうことを考えさせられたという意味でも
こういう集まりはとても意味があると思う。


関連記事
P1010513.jpg

フェンネルを間引きしたので、
その株を使って、妻が旬のサンマと一緒に
パスタを作ってくれた。

サンマのうま味が全体にしみわたっていて
それをフェンネルの爽快で甘い香りが包んでいる、
そんなパスタ。
贅沢、贅沢。



関連記事

田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

メールは
taya.tアットマークnifty.com
です。
(アットマークを@に置き換えて送信ください)

プロフィール
09 ≪│2011/10│≫ 11
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -
カレンダー(月別)
カテゴリ
月別アーカイブ
ブロとも申請フォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

メールフォーム

Page Top

Powered by FC2 Blog |

FC2Ad

| Template Design by スタンダード・デザインラボ