今、ちょっとしたことを企画している。
それは、ここで研修を受けた子やインドネシアの農民、
そしてそれにかかわり続けようという人たちのネットワーク。
研修1期生のヘンドラ君の帰国に伴って、
どうやって彼ら卒業生をバックアップしていくかが
課題だったのだが、
何か団体を立ち上げて、いろんな人とつながりながら
彼らの活動や行動を応援していこうという方向になってきた。

団体の目的はまだ明文化していないが、
僕の農園での研修の質の向上や
インドネシアでの有機農業の推進、
そして、帰国後の研修卒業生に対する農業投資などである。
しかし、それだけにとどまらず、
はてには、彼らとのフェアートレード&事業提携、
インドネシアと日本の農民の交流&連帯なども
まぁ、夢物語として考えている。

今いる研修生たちと僕、そして妻を含めたメンバーで
とりあえず立ち上げようと準備している。
そこで、まずは名前を決めよう!と先月あたりから
盛り上がっていた。

今日の会合で、研修生はそれぞれ候補となる名前を
考えてきてくれた。
ヘンドラ君は、その性格からか、
とてもスタンダードな名前を考えてきてくれて
直訳すれば
「日イ地域発展の会」や
「日イ自立発展の会」と
ちょっと硬い感じの名前だった。
タタンもイルファンも同じような
どこにでもありそうな名前を考えてきたのだが、
彼らは一つずつ、とてもきれいなインドネシア語の名前を
一つずつ発表してくれた。
タタン君は
「Yayasan Sinar Sari Buana」。
そして、イルファン君は(彼は、この名前をずいぶんと恥ずかしそうに顔を赤らめながら発表してくれたのが印象的だった)、
「Yayasan Kuncup Harapan」。
どちらも、とてもインドネシアチックな名前で、
タタン君のを無理やり訳せば(かなり意訳だが)
「森羅万象すべての自然からの恵み」となり
イルファン君のは
「希望のつぼみ」となる。

これら候補の名前を投票でどれにするかを決めた。
しかし、上記の2つの名前で票が割れ、
なかなか決まらなかった。
そこで、話し合った結果、
イルファン君の考えてきた名前に
農民・農業を表す「Tani」という言葉を最後に着けて、
「Yayasan Kuncup Harapan Tani」(農民の希望のつぼみ)を
僕らの団体名にすることで決まった。

とても良い名前になったと
みんなで話し合っていると、
最後にタタン君が
「『Kuncup Harapan』は僕らがいた農業高校の前にある幼稚園の名前だったのですが、それでも良いのでしょうか?」と
すでに名前が決まってから、言ってきたのだが、
それに対して、ヘンドラ君が
「『Sari Buana Tani』は、バンドゥンにある中華系の農業資材屋の名前と一緒だから、それよりかは良いと思う」と言っていた。
良い名前だなぁ、と思って選んでいたのは僕だけで
どうやらみんなはそういう名前が既にあることを知った中で
選んでいたようである。

うーん、オリジナルの名前ってなかなか浮かばないものなのね。
まぁ、『農民の希望のつぼみ』という名前は
とても気に入っているので、良しとしようか。

この団体は3月中に立ち上げる予定でいる。
細かな規約や役割、活動計画、予算計画を
性急に準備せねば。
あっ、あとパンフレットも、だ。

こういう計画を練るのは、本当に楽しい作業である。



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農家組合で減反の取りまとめをする。
2月の上旬に各家に減反要請面積を振り分けていたのだが
それを回収し、過不足を計算して、村全体の減反を達成させるのが
農家組合の仕事。
例年、各家とも農家組合からの減反要請に対して
概ね協力的だったこともあり、
それほど難しい仕事でもなかった。
ただ、今年は少し違っていた。

うちの集落では、野菜栽培が盛んである。
ハウス施設も多く、露地の野菜も多い。
そのためか、減反と言っても
それほど目くじらを立てる必要もなく、
農家組合からの要請面積に対して、
少々オーバー気味でも、豊富な野菜面積があったので
村全体では、減反は簡単にクリアーしていた。
しかし、今年は、
減反の計画を各家から集めて計算してみると、
3反近くも村の中で減反が足りなかったのである。
それはなぜか?

答えは、今年の減反率にあった。
役所から通達された今年の減反率は30.3%。
それを集落で受ける加工用米でなんとか落として
実質28.2%で減反を要請していた。
昨年の実質減反率が26.4%だったので
今年の減反率は大幅にアップしたことがわかるだろう。

野菜との複合経営の農家なら、
これくらいのアップは大した問題にならない。
野菜面積を少し増やせばいい。
だが、米と麦で経営をしている農家は
そうはいかないのである。
麦の播種は、前年の晩秋。
そして収穫は今年の初夏。
さらに減反率が通達されるのが、新年が過ぎてから。
なので、麦を播くころは、まだ来年の減反率がわからないため
見当で播くしかない。
その見当が当たっていれば、問題はないのだが、
今年のように急に減反率が上がると
麦のみで減反をしてきた農家は、
ただただ米を作らないことで減反するしかないのだ。
たとえ噂で、「来年の減反はおおくなるらしい」と
解っていても、なるべく米を作った方が儲かるので
集落の米農家は、それぞれ、麦と米の率のぎりぎりを
見極めて、できるだけ得をするように耕作している。
だから、読みが外れると、
麦も作れない、米も作れない、ということなる。

そりゃ、その農家個人の問題だ、と
言ってしまえば、その通りなのだが、
そういう中で少しずるい農家が、これくらいならいいだろう、と
外れた読みをそのまま減反面積に反映させず
こちらの要請に対して、5畝や7畝ほどオーバーして
計画を上げてくるので、
集落全体を取りまとめると、
どうしても3反近くオーバーしてしまったのである。

農家組合としては、そういうフリーライダーを
許すわけにはいかず、
オーバーしている農家には、
計画通りに減反してもらえるようにお願いするのだが、
若年であったり、その農家から個人的に農地を借りていたりで
あまり強くは出られない。

出来るだけ低頭平身に構えて
計画を守ってもらえるようにお願いするしかない。
あれこれとややいちゃもんに近い文句を頂きながらも
なんとか、減反してもらうのである。
行政への提出日ぎりぎりまで、
こうした調整が続くのである。


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インドネシアより帰国。
今回は、それなりに下準備をして調査に臨んだため
今まで以上の話をあちらの農家から聞き取ることができた。

10数年前に一緒に仕事をした農家達は、
それぞれに自分の農の営みを見つけ
それぞれの集落の中で、その存在がひときわ輝いて見えた。

今の僕の営農の問題や考え方で重なることも多く、
多くのことを学ぶことができたと思う。

とりあえず、帰国の報告まで。
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今日からインドネシア。
毎年恒例の調査旅行。
しばらく、熱帯の空気の中で
地域の農業の発展と開発について
考えてみようかと思う。

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第57回JA全国青年大会で
青年の主張の部で発表をした。

結果は、新聞にも出ていたので
ご存知の方も多いかもしれないが、「優秀賞」だった。
全国から6人が勝ち上がってきて、
最優秀賞の1人を除いて、あとはみんな「優秀賞」。
まぁ、参加賞もしくは残念賞といったところだろうか。

結果がどうであれ、僕はベストの発表をした。
話していくうちに、原稿に沿ってしゃべっているのではなく
なんだかその場で、そのセリフを思いついて話しているような
そんな不思議な感覚だった。
1500人居たらしいが、それでも緊張はなかった。
ステージの上は、前回の富山と同じく
広く、見晴らしのいい、とても気持ちのいい場所だった。
ただ、その時と違ったのは、
僕に、もっとメッセージを伝えたいという
自分でもわからないそんな力と気持ちがあったことだろう。

時間は10分4秒。
発表時間は10分だったので、4秒オーバーだったのだが、
採点基準から言えば、10分5秒から減点とのことなので
ある意味、時間一杯一杯使って話をすることができた。
あれ以上の発表は、たぶん、もうできない。
(会場がさらに広くなれば、あれ以上の発表になる可能性はあるけど)
なので、あの発表で「優秀賞」というのであれば
それを受け入れるしかあるまい。

結果発表後の
応援に駆け付けてくれた方々の脱力した顔には
本当に、申し訳なかった。
みんな、1位を信じてくれていただけに
本当に残念そうだった。
「僕の力不足でした」とただただ申し訳なくて謝って回ったが
今でも、何が足りなかったのか、僕にはわからない。

いろんな方から、
「今までの青年の主張とは全く違っていた」と評価を頂いた。
それを僕は大切にしようと思う。

今まで応援してくださった皆様、
本当にありがとうございました。
最後の最後に、「優秀賞」という、
なんとも決まりの悪い賞になりましたが
自分の発表とその内容には、自信と誇りを今でも持っています。
これも皆様からたくさんの応援を頂き
叱咤激励があってこそ、実現したことだと思っています。
応援してくれたみんなに伝えたい、というそういう想いが
僕にあんな大層な場でも、落ち着いて発表できたのだと思います。
本当に、発表の時間もそうですが、
それに至るまでのすべてのプロセスの素晴らしい時間を
ありがとうございました。



最後に、発表原稿を載せておこう。

以下、発表原稿

『地域を創る「場」と風土』 田谷徹

僕は露地やハウス施設で多品目の野菜を作っています。経営は家族だけでなく、雇用もしており、10数名でにぎやかに農業をしています。本格的に就農して、今年で5年目になりますが、それまではあれこれと人生の道草をしていました。その道草で得た雑感を、今日の主題にかえて話したいと思います。しばらくですが、お付き合いください。

僕は農家の長男として生まれました。だからというわけではありませんが、大学では農学部に進学しました。しかし実は、家業の農業を継ぐことはあまり考えていませんでした。僕にはある夢がありました。それは青年海外協力隊に参加することです。外の世界を知りたい、という強い欲求と共に、父や母、祖父や祖母の労働の姿に尊敬はしつつも、土地に縛られ、つらい肉体労働が続く家業にあまり魅力を感じていませんでした。

大学卒業したその年に、僕は青年海外協力隊に参加しました。任地は、インドネシアのスラウェシ島でした。その島の田舎の県に配属されました。配属先からの要請は、貧困な地域で村おこしをしてくれということした。そこでは僕は、高く売れる新しい野菜の指導や直売などを推し進めていきました。失敗の連続でしたが、海外での地域開発の魅力に取りつかれました。海外で活躍できる人間になりたい、と強く思うようになったのです。
協力隊から帰国後、僕はインドネシアの大学院に入学しました。それは次の海外プロジェクトに参加するための準備でした。ですが卒業後、内定を頂いていたプロジェクトを断り、僕は地元に戻って農業を始めました。それは大学院の最後の課題である修士論文を書き上げる時、僕にある変化が生まれたからです。

修士論文の調査は、JICA(国際協力機構)がインドネシアで行っていた農村開発プロジェクトのある村で行いました。開発の政策や援助がどういった影響を及ぼしているのかを現地の住民目線で調べるのが目的でした。国家政策や海外からの大きな援助という影響を受けて、それらが主導で地域が変わっていくことを想像していたのですが、現実は違いました。住民はただ受身で流されているわけではなかったのです。そこでは、開発の影響を受けながらも、自分たちの地域を自分たちで作る姿がありました。こうした調査をしていて気がついたのですが、地域住民にとって、外からの援助や政策は、とても大きなインパクトです。でも、それを紡いで、自分たちの地域を創り上げてきたのは、そこに住む人々でした。調査のインタビューの時に、自分たちの地域の歩みを自慢げに語る農家の方々は、僕の目にはとても素敵に映りました。自分たちの地域を創り上げてきた自信と誇りに満ちていました。

そのことに気が付いた時、僕の生まれ育った福井にも目を向けてみると、やはり当然のことですが、僕の地元にも同じような人々の暮らしがあったのです。過酷な労働ばかりに見えていた農業と閉塞を感じていた地元の農村の風景が、実はまさに今、地域が創られようとしているダイナミックな場であることに気が付いたのです。僕も同じような農民として、地域を創り上げていく存在になりたい。そう思うようになり、地元に戻って農業を始めました。

地域を創り上げる、といっても、では創り上げる地域とは一体何でしょうか。主体ある地域を極めて鮮やかに表現するときに、「風土」という言葉を用いることがあります。風土とは、その地域の主体的な文化であり、社会であり、そこに暮らす人々の思想だと思っています。「風土」とは風と土の文字で成り立っています。つまり風と土で出来上がっているのが、その地域の主体と言うわけです。土とは、地元の人間のこと。僕ら農民のことです。土地に根を張り生きている存在です。そして風は、よそ者。風が吹くように外部からやってきて、違った視点でその地域に関わります。土だけでも、風だけでも風土は出来上がらない。この二つがあって、初めて風土が醸成されていきます。土である地元の人は、良く地元を知っているような気がしますが、長年住み慣れた地元を固定的に見る視点からは、新しい発想は余り生まれてきません。その地域の常識にとらわれないよそ者は、全く新しい視点で、その地域を見るので、奇抜な発想が生まれることがあります。ただそれがそのまま地元に合うかどうかは、かなり疑問もあります。地元の人間がそれを活かし、風と土の関係がうまく調和してはじめて、その地域の風土となるんだと思います。

地元に戻った時、それまで外ばかり見ていた僕を暖かく迎え入れてくれたのが、地元のJA青壮年部でした。そこでは、江堀などの共同作業をしたり、スポーツ大会などで懇親を深めたりしました。活動自体は、華やかなものではないかもしれませんが、それらを通して、上の世代の方々から村や農業のあゆみについて教えてもらいました。そこには、村や農業と関係を無くしてしまった僕ら若い世代を、再び村や農業に目を向けられるような交流がありました。そして同時に、上の世代の方々の語りの中には、僕がインドネシアで見た地域を創る土としての農民の姿がありました。

僕はまた、自分の地域に、風であるよそ者がたくさん来てくれるような場を自らも作ろうと思っています。2008年から、インドネシアの農業研修生を受け入れています。現在3名のインドネシア農民子弟が、僕の農園で研修しています。またアフリカのセネガルの青年を僕の農園のスタッフとして雇用しており、新規就農したいという日本人青年も3名受け入れています。彼らのよそ者の視点が、僕や地域の農業を強く刺激してくれます。そして日本人青年たちは、いずれこの地で独立し、一緒にこの地域を創り上げてくれる農民になってくれることを期待しています。

地域の農業発展の鍵は何なのか?
それは農業の技術的向上だけではなく、また経営的な改善だけでもなく、ましてや市場と言う限定的な取引の場の存在だけでもありません。当然それらも大切ですが、それ以上に、僕ら風土の「土」の人間が積極的に地域を創り上げていこうという想いと、そして、その想いを実現していける風と土が交差する『場』を作っていくことが大切なんだと思っています。その場とは、いろんな人々が訪れてくれる、また協働していける農業の現場であり、JA青壮年部のような、若い世代が再び村や農業と関係を創っていける活動の場なんだと思います。
外から吹く風をいっぱいに受け止め、それを地元の風土として還元していける、そんな農民を目指して、僕は土を耕し続けています。ご静聴ありがとうございました。




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今日、東京へ向かう。
JA青年部の全国大会に出るために。
その大会の青年の主張というスピーチコンテストで
自分の想いを思いっきり話してこようと思っている。

このコンテストにエントリーできるのは全国で
それぞれのブロックを勝ち上がった6名のみ。
その6名の中に入れただけでもうれしいのだが、
それ以上に、日比谷公会堂という大きな舞台で
地元の応援団を含む、多くの方々に自分の考えを
話す機会があることに、至極幸福を感じている。

ただ、友人に言わせると
「あれ?タヤって、青年?」
とのことだが、そこは気にしないでおこう。

では、いってきます。

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これも忘れないうちに記録しておこう。
インドネシアの研修生向けに行っている座学で
まだ1回もエントリーを書いていなかったものがある。
それは、
「生物多様性と総合的作物管理(ICM)論」。

この授業は、今年1月からなんとか開講し
4月で故郷に帰ってしまうヘンドラ君も
受講に間に合った。
準備不足で、研修生にはやきもきさせてしまったのだが
なんとか4月までに10回程度の授業を確保し
この知識をなんとか持ち帰ってもらいたい。

さて、総合的作物管理とはいったいなんだろうか。
簡単に言えば、農薬だけに頼らない防除法で
尚且つ、防除だけでなくクオリティの高い
農産物生産を目指す方法である。

これは僕の勝手な整理だが、
IPM(PはPest)と呼ばれていた一昔前は
総合防除と訳されていたように、
病害虫防除に中心をおいた考え方だった。
2003年に桐谷氏が出版した本では、
IBMという言葉を提唱しており、
これはBiologicalという言葉を使っていることから
総合的生物管理と訳され、
生態系の維持を目指した考え方であった。
ただ、農作物を生産している農家としては
副次的に自分たちの営みが
周りの自然を創り上げているのは解るが
それを積極的に行っているわけじゃない。
あくまでも、品質の高い農産物生産を行っているのだ。
その考えから、主眼を生物や防除ではなく
高品質の生産物に目をやり、
如何にして生産するかを考えているのが
ICM(CはCrops)ということになろう。

施肥や防除、土壌状態、品種選びが、その内容となるのだが、
インドネシアの現場では、やはり防除がその中心に来るだろう。
だからこの講座でも防除に中心を置きたい。

防除では、
化学的防除
生態的防除
行動的防除
(物理的防除)
耕種的防除
などに分けられる。
分け方は、それぞれ専門書によって若干の違いはある。
生態的防除と行動的防除と物理的防除の線引きは
やや曖昧な感はあるが、
農業の現場では
分類することに意味があるのではないので
この辺は、あまり突っ込まないでほしい。

化学的防除は、化学合成農薬を使用した慣行的防除法。
生態的防除は、天敵のすみかなどを積極的につくり
もしくは守り、害虫を防除する方法。
行動的防除は、害虫の行動を熟知し
その侵入を防いだり、トラップを設けて防除する方法。
耕種的防除は、品種を選び、耐病性のものや
害虫が好まない品種を選択したり、輪作や昆作を行う方法。

読んでわかると思うが、実はこれらは
これまで人間の長い歴史の中で、培われてきた方法ばかりなので
今更な感じもあるかもしれない。
ただもう少し体系的に整理をして
それらを積極的に活用することで
病害虫の抵抗性獲得を鈍らせたり
自然環境に対する配慮をしようというものである。

インドネシアの文脈では、
投入コストを抑えることで、
中間商人との従属的な関係を少しでも打破することも
その狙いとしては入ってくるだろう。

さて、どんな議論ができるのか、楽しみである。

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毎週日曜日、僕に時間さえあれば
勉強会を開くことにした。
名付けて、「田谷ゼミ」。

今までも、日本人研修生と一緒に
輪読をしてみたり、ディスカッションをしてみたりと
いろいろとやってきたのだが、
もう少し、いろんなものをシェアしたり
もう少し、突っ込んだ議論をできないか、
と思うようになり、
あるルールを決めて
勉強会をすることにした。

ルールは簡単。
自分の興味と一致する
農業関係の出版されている本(どんなに薄くてもOK)や
新聞&雑誌等の社説や論説(どんなに短くてもOK)を読み、
それに対して、1ページのレポートを書く。

発表者は毎回1名のみ。
順番で回す予定。
レポートの様式は、
A4で1枚。
フォントは11で、MS明朝もしくはArial。
行間は通常。

レポートの項目は、4つ。
①なぜその本(記事)を選んだのか?
②本(記事)の要約
③その本(記事)に対する自分の意見&考察
④その知識が自分の農業にどう活かせるのか?

それぞれの項目には
もう少し細かなルールもある。
②の要約は、全体の1/4以内に収めること。
また、全体の要約でなくてもよく、
①の選んだ理由とリンクしている部分のみでもよい。
そして④は、できるだけ具体的に。

ゼミでは、その1枚のレポートを簡単にプレゼンしてもらい
その後で、それについてディスカッションするのがメイン。
知識と興味を共有するのが目的だ。
参加は誰でもOK。
今のところ、日本人研修生とインドネシア研修生が
エントリー中。

さぁ、皆さん、知識と興味をシェアしましょう。


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P1000504.jpg

取材を受ける。
FBCという地元のテレビ。
ちょっとしたミニ番組を作るのだとか。
インドネシアの農業研修生について
フォーカスを置いたもの。

いつ放映されるのか、聞いてなかったのですが
きっとそのうち放映されると思いますので
皆さん、見てくださいねぇ。

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青年の主張の大会も近くなってきた。
県大会の時から、大会前になると
有志の方々が集まって
発表練習をある居酒屋で行ってきた。
居酒屋はいつも同じ場所。
県の大会でもそうだったし、
東海北陸大会の時もそうだった。
だから、験を担いで
今回の全国大会前にも、その居酒屋で
発表練習という名の飲み会をした。

その居酒屋は、特段うまいわけでもない。
どこにでもある安い居酒屋。
どうせなら、初めからどっか良い料亭で
発表練習をすればよかった、と
悔やんでも、仕方がない。

さて
全国大会ということで、
いろんなところで発表練習を
させてもらったのだが、
今回は、自分でも不思議なくらい
スピーチ原稿を言い間違えてしまう。
東海北陸大会では、そらんじて言えたのに。
どうやら周りが思ったよりも騒ぐので
自分も気負ってしまって、すこし緊張しているらしい。
全国から、日比谷公会堂に立てるのは
たったの6人。
その6人の一人になれただけでも
十分だとは思いながらも、
どうせなら、一番高い場所の景色も見てみようじゃないか、と
少し身の丈に合わない考えも
あるのも事実。

験担ぎの居酒屋での飲み会から
僕のラストスパートも始まった。

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02 08
2011

P1000495.jpg

父と温床を作る。
夏の野菜の種をまくための温床。
もみ殻を入れ、電熱線を入れ、
独自の配合で作った床土を入れる。

この作業が始まると、いつも
せわしない春が
すぐそこまで来ていることを実感する。

今年の夏、
何をどれだけ育てようか
そんな想像をしながら、温床を作る。

毎年のことだが
この時期は、なんだかとてもわくわくするのだ。

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ある啓発CMに出ることになった。
といっても、地方版なので
福井県外のお住まいの方は、ご覧いただけないので
あしからず。

もともとテレビは好きじゃない。
見るのもそうだし(映画は別)、
映るのはもってのほか。
だが、ある先輩からお願いをされて
仕方なく出ることにした。
今思えば、あの人が言ってこなかったら
絶対、うん、とは言わなかったのに・・・。

さて、その収録があるというので、
仕事が終わってから、スタジオまで行った。
小さなスタジオだったが、カメラと照明がセットされていて
なんとも不思議な空間だった。

僕以外に、数名の出演者がいた。
スタジオに着くと、すでに早くついていた方から
収録が開始されていて、僕はそれを横目で見ながら
担当の人から収録の説明を受けた。

アクションもほとんどなくセリフもない。
とても簡単な収録。
それはよかったのだが、
収録予定の絵コンテに
書き込まれていたテロップが
僕の目に留まる。
「農業 ○○さん(27才)」
というテロップ。
うん?

このCMはほかの業種の方も出演予定で
消防士と看護師さんがいた。
その人たちにも
「消防士 △△さん(25才)」や
「看護師 □□さん(23才)」という
テロップが絵コンテに書かれている。
「名前や年齢は絵コンテを制作した時に仮に着けたものです」
と説明を受けたのだが、
それが余計に僕の気に障った。

先輩から出演依頼を受けた時は、
「農業者の若手で出演依頼があったんだけど、2月上旬の収録で、畑で収録なので、その時期に収穫しているのは田谷君しかいないんだよ。だから受けてちょうだい」
と言われて、受けたのだが
ふたを開けてみれば、現場での収録はなく
スタジオのみ。
しかも、製作者の意図としては
若者の出演者でやる予定だったようで、
すべて20代の出演者で固められていた。
そんな中に、干支を一回り以上も上の僕が
一緒の画面に突っ立っているのは
なんとも喜劇を通り越して
悲劇としか言えないではないか!

たしかに、業界によって「若手」のとらえ方は違うかもしれない。
看護師も消防士も36歳のおっさんは
若手ではなく、中堅だろう。
下手するとベテランか???
だが、悲しいかな農業は
36歳は、ぴっちぴちの若手なのだ。
なんせ70歳や80歳の現役がごろごろいる業界だから。

スタジオで、
誰も聞いていないし、
誰も気にもしていないのに、
僕は周りの人に、
「若手のとらえ方は、業界ごとに差がありますよねぇ」
などと言い訳がましい軽口をたたいていた。
それがまた一層、悲壮感があり
言葉で繕えば繕うほど
僕は悲劇のピエロのようだった。

そんなテレビCMが、3月下旬から流れます。
みなさん、お楽しみに。


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大雪から、一転

雲一つない快晴


P1000472.jpg


外はまだまだま寒いが、
これだけ日差しがあると
ハウスの中は、春。

作物も勢いよく伸びだし
仕事も忙しくなりだす。
だがこの忙しさも心地よい。
春の忙しさは、昔から好きだ。

そんな春を待っているのは
なにも僕や野菜ばかりではない。
こいつらもずいぶんと我慢していたんだろう。

アブラムシ

そう、あぶらむし。
ハウスの中で越冬した連中が
1日、春の日差しを浴びただけで
ハウス内を飛び回りだした。
なんという生命力だろうか。

その生命力に関心をしつつも
さっそくこいつらとの戦いの準備も始めた。

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青山正和 著 『土壌団粒』:形成・崩壊のドラマと有機物利用.2010年.農文協.

デイビットモンゴメリーの『土の文明史』(まだ書評は書いていない)を読んで、表土の保護を意識するようになり、では、その表土はどう形成されていくのか、を知りたくてこの書を手にする。
土壌の団粒構造が、有機物を含みながらマクロな団粒を形成し、その団粒の中で糸状菌などによる有機物の分解により、また糸状菌の菌糸などでミクロの団粒が形成されて行く。そのミクロの団粒の内部に閉じ込められた有機物は、微生物などの分解を逃れ、長期的に安定する。耕起によって破壊される団粒は、マクロ団粒であり、ミクロ団粒は残る。ミクロな団粒を再び形成していくのは、植物残差による有機物により形成されていくマクロ団粒なのである。という形成と崩壊のプロセスをこの本では説明している。
100年以上の厩肥投入の土壌実験の結果などが紹介されており、化学肥料のみで栽培をしていたとしても、一定までは低下するのだが、ある時点で、土壌中の有機物総体量は安定するという結果は興味深かった。栽培されていた植物残差(根や茎)の量と、それを分解する微生物の働きが安定するからであろう。ただ120年続けて厩肥を投入され続けても、有機物の量は頭打ちにならず、緩やかながらも増え続けていくというデータも面白い。
耕起による団粒崩壊が、団粒の量と構造を変え、土壌中の有機物の量の減少にもつながるとして、著者は不耕起栽培を提言する。デイビットモンゴメリーもそうであったし、これまで読んだ土壌学の本でも、同じ提言だった。やはり、不耕起なのだろうか。
また土壌中に閉じ込められたカーボンが、気候変動(気温上昇)によって、微生物の分解が活発になり、二酸化炭素として空気中に放出されるという指摘もあった。
不耕起やカバープランツを利用して、表土を守る大切さと、その表土の形成で起こっているダイナミズムを知ることができた。薄い本だが、一読の価値あり。
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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

メールは
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