今年の10大ニュース。
昨年は、大晦日に書こうと思っていたのだが
むらの役で、神社の初もうでの準備に駆り出されて
そのまま書かず終い。
ということで、今年は、早めに振り返っちゃおうかと思う。


第10位 毎日新聞福井欄のコラム執筆スタート

毎日新聞福井支局長との出会いがあり、執筆を依頼される。
月1回の短文なのだが、何かこういった書き物を
連載したいと常々思っていたので、
そういう機会を得られ、とてもうれしかった。
自分の農の想いを書いていきますので、皆様、読んでくださいませ。



第9位 園芸用ハウス面積の拡大&露地面積の拡大

ハウス面積をさらに50a拡大し、全部で1.5haとなった。
露地も50a増やし、夏野菜の露地栽培を本格化。
忙しさは、昨年の数倍に・・・。
でも、不思議と売り上げは数倍にはならない。
なぜ???



第8位 化学合成農薬に頼らない防除を本格的にスタート

今年は、猛暑で害虫にとってパラダイスな年だった。
そんな病害虫が例年よりも蔓延する中、
福井の伝統なすである「吉川なす」で、
化学合成農薬を一切使わないで、6月から10月まで
良品を出荷してみせた。
天敵の導入と黄色灯やフェロモントラップによって
ほぼ害虫を経済的被害域以下におさえることに成功。
ポイントは、欲張らない、ことなのかもしれない
と、すこしだけ悟った。
他にも、金時草や露地オクラ、ズッキーニなどで
土着天敵による防除を実現。
バンカープランツやフェロモントラップの利用で
生態系の多様性を実現できれば、
もしかしたら、近い将来、
すべての作物で無散布も不可能じゃないかもしれない、と
手ごたえを得られた年だった。



第7位 寅々ルーキー

長年勤めてくれたベテランのパートさんが家庭の事情で辞め、
またまた長年、勤めてくれた研修の子が独立した。
それらに代わって、今年は、
新規就農希望の多彩な日本人若者が3名入り、
そのうちの一人はうちの農園に
就職をすることになった。
僕のスタッフとしては、日本人初!
(これまでインドネシア人とセネガル人しかいなかったので・・・)。
僕よりも干支がひと回り下の青年。
寅年に寅の干支の子がくるのも何かの縁だろう。

それと、インドネシアからバレーボールが
セミプロ並みの新人研修生も来園。
頭もすこぶる良く、力持ちで、優しい性格。
期待の新人の一人!
実は、この子も寅年。
うちの農園、これで12人中、干支が寅の人が6人!



第6位 ラエチュの死

愛しのアレジャン集落でも紹介したが、
僕のインドネシアでの父、ラエチュが死んだ。
詳しくはこちらのエントリーで。

愛しのアレジャン集落 第40話
ご冥福を祈ります。



第5位 ゆきんこでんでん

昨年4Hクラブの発表コンペで、北陸大会2位で通過し
今年の3月、
我がクラブ始まって以来初めて
全国大会(東京)に出場!
保育園との父母&保育士参加型で行われた食農教育活動は
中央で賞こそもらえなかったが高く評価された。
その感動が今年の会長に受け継がれ
今年も保育園との体験田んぼが実現できた。
一昨年から始まったクラブでの食農活動の取り組みは、
当然、豊かな感性を子供にも与えているのだろうけれど
それ以上に、僕ら若手農業者が、
地域を創る仲間として育っていることを
僕は実感している。



第4位 むらの農家組合長就任

むらの農家組合長に就任。
1年の任期だったが、雑務に追われ忙しい1年になった。
ただ、むらの仕組みやこれまで見えてなかった取り組みに
僕自身が関われたのは大きな成果だった。
よりむらが見えるようになった。

それ以外には、戸別保障制度と減反のはざまで
いろいろと農家組合長として頭を悩ませることも多かった。
国家制度と個人の間に
むらという緩衝材としての役割を持つ組織の必要性を
強く感じた1年だった。
こうした組織の存在が、僕らの自治を支えていると同時に
関わり合う気のある主体があって初めて
むらの人々にとっての福祉が向上するという
とても単純で、あまりにも当然のことを
強く感じた1年だった。



第3位 ふくい人の力大賞

この賞を頂いたのは、
中島みゆきじゃないが、
棚から牡丹餅、といって良い。
知り合いの人から推薦されてノミネートしていただいたのだが
その中でもトップの得票でこの賞を頂いた(らしい)。
インドネシア研修生とのかかわりや
若手農業者との活動などが高く評価されて受賞。
福井青年会議所の主催するこの賞。
とても励みになりました。



第2位 毎日農業記録賞の優良賞

ちょっとしたご縁で、毎日農業記録賞に作文を応募した。
狙ったのは、最優秀賞だったのだけど、
結果は、それよりも数段下の優良賞だった。
まぁ、今の自分の活動の評価はそんなもんなのだろう。
この作文を機会に、自分の経営と地域への眼差しを
確認できた方が、僕には成果だったと思う。
単に、規模拡大を続け、売り上げだけを伸ばすんじゃなく、
地域の農業を支える存在として、
むらの自治と
そこに住む人々の福祉を支える存在としての
農民を増やしていける、そんな農園を目指そうと
今は思っている。
それがいかに甘い考えだと批判されても。

福井の支局長から、表彰式の際に
「農業界でドラフトがあれば、僕は彼がドラフト1位だと思う」
と言っていただいた言葉が、とても励みになっている。
新聞で全文掲載されたが
ネット版は、すでに閲覧できないので、
こちらのエントリーに優良賞をとった作文を
全文載せたので、読んでください。



第1位 青年の主張 東海北陸大会を突破

なんといっても、今年はこれに尽きるんじゃないだろうか。
JA青年部が全国規模で行っている青年の主張。
そのスピーチコンテストに今年参加した。
いわゆる、若手農業者のスピーチの甲子園。
7月下旬の福井県大会を勝ち上がり、
11月に行われた東海北陸大会(7県の代表)を勝ち上がった。
来年の2月に、東京の日比谷公会堂で
全国の6ブロックの代表を集めて
全国大会がある。
福井県から青年の主張の代表として
全国大会に出場するのは、僕が初めてらしい。
スピーチの内容は
まだ全国大会が控えているので、公表できないのだが
地域を創っていく主体としての農民、という
僕なりのメッセージがその中心となっている。
できるだけ大きな会場で、
できるだけ沢山の人に
聞いてもらいたいと思っている。

東京近辺にお住まいの方、
来年の2月15日、日比谷公会堂で発表しますので
お時間がありましたら聞きに来てください。


他にも、今年はいろんなことがありました。
妻からも文句が出るくらい、忙しい年でした。
新しく始めた野菜も数種類あり、
例年にない猛暑で、良かった野菜もあれば
悪かった野菜もありました。
農業関係の仕事だけでなく、
いろんな話が舞い込み、
いろんな人と出会い、いろんな人を受け入れました。
忙しさで目がまわりそうな時もありましたが、
そういう方々とのご縁が、僕の農を、そして地域の農を
創っていくのだと信じています。

来年は、いよいよインドネシア研修生第1期生の帰国があります。
ついに、インドネシアでの農村開発活動にも
彼ら研修卒業生を通して、
身を投じていくことになるかと思います。
この活動と、地元の地域づくりとがどうリンクしていくのか
それが、目下の課題でもあります。

そして、日本人スタッフを受け入れたこともあり
来年に向けて
経営としても、もう少し幅のあることをやろうと思っています。
来年もまたもう一人、日本人スタッフを募集する予定ですので
我こそは!と思われる方、ご連絡ください。

皆さんは、どんな1年でしたか?
また来年も、この無駄に長くて、読みづらいブログにも
お付き合いいただけたら、幸いです。
それでは、皆さん、良いお年を。


関連記事
雪、雪、雪の毎日。
写真は、数日前に撮ったものだが、
このまま年明けまで、天気予報は雪だるまマークのまま。

P1000198.jpg

農園の周りもすっかり冬景色。

P1000199.jpg

28日で農園は仕事納め。
これから大掃除と年賀状書きに勤しむ予定。
関連記事
娘がインフルエンザに罹ったのは22日。
39度近い熱にうなされてはいたが、24日の朝には治っていた。
そして、その24日から38度の熱を出した僕。
即検査に行ったが、陰性とのこと。
発熱してすぐに検査すると、偽陰性になりやすいとか。
タミフルは処方されず、医者からは
「しばらく様子を見てください」
と言われ、昨日まで仕事を休んだ。
このくそ忙しい時期に。

そして今朝。なんとか熱や倦怠感は落ち着く。
こうして今年のクリスマスは過ぎた。
このまま妻にリレーしなければいいが。。。
皆さんも気を付けてください。


関連記事
12 21
2010

P1000188.jpg

そういえば、昨日から、
蕪の収穫が始まる。
この作業が始まると、年の瀬を感じる。
今年ももうあとわずか。
皆さんは、どんな1年でしたか?

関連記事
日曜日に
村の農家組合の総会があった。
今年、組合長を受けていた僕は、
この日を超えれば、その職責をすべて果たしたことになる。

総会は、村の集会所で行われる。
内容は、
今年の活動報告と収支報告をし、
毎年決議される事項を決議する。
その後、次年度の組合長と役員を選挙で選出するというもの。
毎年、特に異論も出ず、淡々と進む。
次年度の組合長も役員も選挙前に
すでに内々に頼んでいる人がおり、
その人を選挙で当選させるという出来レース。
特に難しい総会じゃない。

年寄に話を聞くと、昔はこんなんじゃなかったらしい。
というのも、その頃は集落全体で減反をしており、
ブロックローテーションで減反をしていたので
盛金(組合費)が今みたいに安くなく、
一軒当たり10数万円の盛金徴収があったので
総会は、よくもめたらしい。
ブロックローテーなので、毎年、畑作をする場所も変わり
その場所の良し悪しも、もめる原因だったとか。

そのころから、総会のお土産は「柔らかいもの」という
伝統が出来たらしい。
総会に参加すると、参加者にお土産を渡すのだが、
それが、固くないものが良い、と年寄は言う。
なぜなら、もめた時、固いお土産が
役員めがけて飛んでくる凶器になるからである。
だから、今でも、お土産は手袋やホッカイロのような
ものにしている。
洗濯洗剤の箱なんて、それに耐えられる頭の固さがない限り
お土産にはできない。

今回の総会、一つ、僕なりに変更したことがあった。
とても小さいことだが、
その小さいことにこだわる意味が僕にはあった。
それは総会の時のお茶出し。
これまでは、組合長の奥さんが、
総会の会場である集会所の台所で一人で詰めて
来る人来る人にお茶を出していた。
総会は、農家組合の後に
町内会の総会もあるので、
それらすべてが済んで、
みんなに酒を飲んでもらって
その後、区長さんの奥さんと一緒に
会場の片付けもしないといけない。
僕は、この光景がおかしいと以前から思っていた。
どうして半日もの長い間
お茶出しと後片付けだけのために
女性が、集会所の寒い台所に
つめてないといけないんだろうか、と。
だから、今回、
農家組合長の妻による
お茶出しをやめ、
出席者に総会資料と共に
ペットボトルのお茶を配布することにした。
酒肴の給仕や後片付けは、
区長さんの奥さんも来ていたが
せめて農家組合の分だけでもと
僕や新組合長とでやった。

細かいことを言う人があろうかと
思われたのだが、
概ね、すんなりとその状況を受け入れてもらえたので
少しほっとしている。

こうして、僕の農家組合長としての
長くて短い1年が終わった。

関連記事
たまに、とてつもなく、料理がしたくなる時がある。
すっごーく、たまに、だが。。。
そして昨日は、どうもそういう日だったらしい。

収穫してきたセロリの葉が
あまりにもおいしそうだったので
てんぷらにしてみた。

P1000162.jpg

見た目はあまりよくないが、
赤セロリの葉を使ったので、
揚げても、しっかりと味があり美味。

紅芯大根はよくはじけてしまい、
出荷できなくなる。
そんな大根は捨てるのがもったいないので
みんなで食べている。
今回は、ベビーリーフがあまりにも
カラフルでおいしそうだったので
それと合わせて、大根のサラダを作ってみた。
生ハムを上にのせて
あああ、しあわせ。

P1000165.jpg


そしてメインは、フェンネル。
なんでみんなこれを食べないのだろうか?
とても不思議。
フェンネルは、独特の爽涼感ある香りが持ち味だが
冬はさらに甘みも増して、
味も一押しの野菜。
いつかブレイクすると信じて
作り続けているが、コアなファンにしか受けない。。。
そのフェンネルが、あまりに丸々太って
うまそうだったので、
生ハムと一緒にグリルした。
チェダーチーズのオレンジ色が
なかなか素敵で、見た目にも
香りも、そして甘みのあるその味も
すべてが最高。

P1000167.jpg

ちなみにご飯は、
ベビーリーフの間に生えてきた
大根の若葉を使って
ハムと一緒に洋風菜飯にした。

どっかのテレビの料理番組に出しても
恥ずかしくないと自負している
うちのごぼうでかき揚げも作って
料理をしたいという欲求は
満たされ、
お腹も料理とワインで満たされた。
げぷっ。
関連記事
P1000161.jpg

直売所で、セロリを販売中。
業務用では、株ごと出荷しているのだが、
直売所では、数本ごとにバラにして、販売していた。

たまには違った荷姿で出荷してみようかと
ふと、思い立って、
ひと株セロリを直売所で販売してみることに。

セロリをガッツリと使いたい人向けです。
セロリの煮込み料理や漬物で食べたい人のために
試験販売してみました。
JA福井市の直売所「きねや」で今日、販売します。
数に限りがありますので
ほしい方は、お早めにどうぞ。


関連記事
以前書いたブログで、
友人がもう少し詳しく聞き取りをしてくれ
というリクエストがあったので、
情報をさらに聞き取り、ここにアップしよう。
それは、米アリサンについて。

アリサンとは、頼母子講であり、
一般庶民が、気軽に参加できる民間金融の一つ。
多くは、現金で行われているが、
タタン君の地域では、籾米を掛け金として
このアリサン(頼母子講)を行っている。
タタン君の地域では、米の収穫が終わると
アリサンに参加しているメンバーが集まり、
くじ引きをする。
くじ引きで当たった人は、それらメンバーから
それぞれ100kgずつの米をもらうことできる。
メンバー数は、タタン君の参加していたグループでは
12人とのことなので、1回につき
自分の拠出分も含めて、1.2トンの籾米を
得ることになる。
すべてのメンバーが、等しく、くじに当たるまで続け、
一巡したら、また全員が参加してくじ引きをする。

米の収穫は、タタン君の地域では年に2回あるので
アリサンも年に2回行われる。
1回のあたりで得られる分は、自分の拠出分を含めて1.2トンだが
その籾米は、毎年同じ価格ではない。
米相場の変動が激しいので、くじ引きに初めにあたったとしても
金利分得になるという考え方は発生しにくいし
後からあたったから、その分貯蓄になっているという
考え方も、この場合は、あまり妥当ではないかもしれない。
米の場合、作柄も毎年違うので、
豊作の年や不作の年などあって、
(個人的な豊作・不作もあるだろう)
拠出する米がたとえ毎回100kgだとしても
その100kgの持つ意味が、ずいぶんと違う気もする。
ちなみに、アリサンの参加者は
ほとんどが男性。
中には、夫婦や親子で
それぞれがメンバーになっている家もあるのだとか。

当たった時は
みんなから籾米でもらうので、価格がある程度上がるまで
保存しておくのだそうだが、
高温多湿のインドネシアでは、長く籾米を持っていても
あまり良いことはないだろう。
相場を見ながらのアリサンに、
どこか博打に近いものも感じる。
このアリサンで得た籾米は、
すべて現金化され、食用になることはないらしい。
使用目的は、タタン君は農業資材や機械の購入や
土地の購入借金の返済にあてるとも言っていた。
博打な要素が満載な割に、
まっとうな使われ方をしているのも
少し驚いた。

この米アリサン。
バンドンの近郊やヘンドラ君の地域では、無いという。
潤沢な水が得られる地域では、
いつでも個人単位で田圃に水を引けるので(井戸・灌漑など)、
隣の田圃が米を収穫していても、
その隣では田植えをしているようなケースも多くみられる。
ある程度の水利を同じくしている地域で
無ければ、米の収穫期が同時期にならず
米アリサンは、発生し難い。
そこでは社会の関わり方にも違いがあるのだろうか。
(より共同性が強いとか)

以上、友人への報告終わり。

関連記事
県が主催するある研修会に参加した。
「園芸経営の発展と人材育成研修会」という
タイトルからは、何をやるのかちょっと想像がつかない研修会。
平易に言えば、
参加者同士が、
農業の研修生を受け入れてはいるが、
実際に、その研修生をどう育てていけばいいのか?
そんなことを話し合うような会を
想定していたのかもしれない。
「想定していたのかもしれない」と書いたのは、
事実、研修会に参加して、農業の経営体の中で
如何にして人材を育成していくべきかを
考えることができたのだが、
僕としては、この会を通して
一つの疑問と矛盾、
そしてこれから進むべき道を
考えさせられることになったからだ。
なんだか最近、そんなことが多いような気がする。。。

福井の県行政は人材育成として
認定農家の里親制度というものを始めている。
新規就農をしたいという若者を
里親の農家のもとで、何年か研修させるという制度で
研修にかかる費用の一部を県行政が補助してくれるというもの。
実はこの制度を使って、
僕の農園でも(父が里親農家として)、
現在、2名の研修生(日本人)を
受け入れている。
ただ研修といっても、その多くが
毎日の農作業に費やされ
果たしてこれで研修なのか?と
疑問がわかないこともない。
インドネシア研修生は
この枠とは別に、僕自身が勝手に
プログラムを組み、研修を行っており、
週に3回の座学(前期後期15回ずつの講座が4つ)と
大量の宿題とレポート(月間・年間レポート及び卒論)を課して
ぎゅうぎゅうに知識と経験を詰め込んでいるが、
日本人研修生には特にプログラムはない。
週に1回、勉強会を開いているが
なんだか子供だまし程度にしかできないことに
僕自身もジレンマを感じていた。

さて研修会。
2部構成で、
第1部では、県内外の事例として2名の農業経営者が
プレゼンを行い、
第2部では、その2名に新規就農希望者代表と
県内の法人で活躍するかつては新規就農者だった若者の
4名でのパネルディスカッションだった。
事例として登壇したのは、
岐阜県で日本農業賞大賞を受賞したこともある篤農
橋場農園の橋場氏と
県内でベビーリーフを栽培する若き新星
インスフィアファームの松井君だった。

橋場氏のモデルは、
これまで僕も多く見てきた篤農のモデルで
規模が大きく、従業員もおり
片腕的存在もいて、独自の販売ルートを持っており
その余裕の中で、いわば庇護的な雰囲気の中で
研修を行っていた。
橋場氏の地域貢献という言葉通り、
何名かの研修生はその土地に根付き、
氏は、地域の牽引役でもあるのだろう。

それに対して、松井君のモデルは異質だった。
いや、僕らの業界が、彼から見れば異質なのかもしれない。
彼は農業とは関係のない業界からやってきて
しかも福井の人間でもない立場で
福井に就農・・とは表現が正しくないか、
正しく言えば、福井で農業ビジネスを起業した、だろう。
ベビーリーフを単作し、それを効率的に作り、
レストランに直売する方式で
3年で5000万を売り上げるまでに急成長した。

彼はのっけから、やや喧嘩腰調に
「研修生を受け入れるなんて理解できません」
と言い切っていた。
彼が言うには、
就農希望者に好き勝手にスパイさせて、
独立したら自分のライバルになる研修制度なんて
農業界以外では、普通考えられない、とのことだ。
研修制度は、師弟制度の名残が残る業界では
そう珍しいことではない制度なんだろうけど
経営学を学んできた彼からは、異質にうつるらしい。
「スーパーマーケットを経営したいからと言って、近所のスーパーに独立目的で研修したいと言えば、そこの店長から座っている椅子ごと蹴飛ばされます」
とたとえ話をしていたが、
寿司屋や料理人の世界では、
この研修という制度は、そう奇異でもない。
ただ、ライバルを生み出す研修制度に
なぜ自分が受け入れなきゃいけないのか、という
主張ははっきりしていて、それなりに清々しい。
(師弟制度が労働の搾取的側面を持っているのだとしたら
この後議論する地域開発の文脈での正当性は
今後課題になるのは余談)。

さて、これでは議論がかみ合わない。
そこで彼は社員教育を例にとり
人材づくりについてプレゼンをしていた。
そして最後に、ここが重要な点なのだが、
農業法人という受け皿をしっかりさせ
就農希望者が大きなリスク(初期投資費)を請け負うことなく
希望する農業界での仕事を作っていくという道もあることを
強調していた。

この論調には、僕も異論は少ない。
事実、うちの研修生の一人は、
農地もなければ、施設もなく、農業機械もなく、技術もないの
ないないづくし。
そんな彼でも、農業界での仕事が実現できる道として
農業法人での就職というのがあろう。
松井君のプレゼンでは、組合型法人とビジネス型の法人に分け
単純な作業ばかりが続く組合型法人に比べ、
より高度な経営を体験できるビジネス型法人として
自分の経営体の説明をしていた。
松井君のような経営体であれば、
新規就農者たちは
大きな投資のリスクを回避しながら、
自分が体現したかった農業のカタチを
その経営体の中で実現できるのかもしれない。
松井君も、
「独立したいと社員に思わせないような経営が大切」
と言っていた点は、とても論理的に正しいと思う。

彼の最後の結論は、
社員教育と研修生教育と同時にいくつもの考えを持った組織は
無理が生じるので、組織文化は単一にすべし、
とのことだった。

さて、ここまで書いて、勘のいい読者は
もう気が付いているかもしれない。
そう、松井君の視点と僕の視点は
まったく対極にあるということだ。
そして彼のプレゼンが、
僕が今、直面している日本人研修生が
自分の経営体としての発展と地域づくりの間での正誤性を
ことごとく批判しているのである。
彼は、独立は認めないという。
それは自分が儲けたいからだ、と
あまりにもストレートに表現していたが、
農園を経営をしている以上、それが非営利団体とは言えないだろうから
彼の言い分は論理的に正しい。
だが、同時に前回のエントリーでも書いたように
「むら」がその住民たちにとって福祉を提供できる主体で
あり続けるためには、生業である農業の発展と
それを支える農民の存在は、当然ながら外せない。
国家がそれらすべてを肩代わりしてくれないことは
はっきりとしている。
そんな事例をいちいち枚挙していてはきりがないくらいあるのだ。
僕ら農民は、ある程度の自治を養いながら
コミュニティを支える主要なアクターとして
存在する必要がある。
むらが地縁によって形作られる自治の形だとすれば
そこに農民の存在を無くしては、
その存在自体が考えられないのだ。
僕はこの考えに基づいて
地域づくりとして、新規就農者を定着させるべく
研修生を受け入れようと考えてきた。

では、それが松井君の言うビジネス型だろうが組合だろうが
何でもいいのだが、法人がその主体となれるのだろうか?
それは、以前に
株式会社六星のエントリーで書いたように
はたして適しているのかは、
それは僕がただ単に未熟なだけなのかもしれないが、
疑問を感じる。

だから、彼の指摘通り
研修生を受け入れつつも
研修内容は、経営よりも技術に偏り、
肝心な自分の販売ルートを紹介してもやれず、
のれん分けも出来ず、
今日に至っている。
インドネシア研修生の場合、
こういったライバルになることはなく、
むしろ、今後の農村開発の現場で、
彼らを通して、僕自身もその活動に身を投じることを
考えているので、
この研修でしっかり仕込んでおこうという方向に
自分もモチベートしやすい。
が、自分のライバルになるかもしれない若者を
しかも、育成しても自分の片腕になるわけでもない若者を
研修し続けることに、
たとえ地域づくりのアクターづくりだと思っていても
経営的に不利になるかもしれない不安は
ついてまわるのは事実だ。

生産活動とその利潤を追求する組織体は
当然、そんな不安なファクターを抱え込むような
研修制度なんて、労働の搾取でもできない限り
なんの旨みもないのだろう。
でも、やはり僕は「地域」から、そして「むら」から
目を背けては、農の営みを想像できない。
内発的発展モデルを考えるに
僕らの自治の向上は絶対なのだ。
この点が、彼からしてみれば(経営学からしてみれば)
とても未熟な産業モデルにみえるのだろう。
でもその未熟に見える部分こそが
僕にはとても重要な地域の福祉を担う部分じゃないかと
夢想している。

僕の目指しているものが
そのまったく対極にいる存在のおかげで
とても明確になった。
そして、その弱点も。
彼がどう思っているのかは知らないが、
彼の分野が、僕の弱点を補完してくれることは
あるかもしれないと思えたことが
この研修会の最大の収穫だった。
(それで僕の視点がぶれることはないが)

少し余談だが、この研修会、
通知をもらってきたときは
「園芸経営の発展と農業後継者の育成」という名だったのに
研修会に行くと
「園芸経営の発展と人材育成」と名前がすり替わっていた。
県の担当者が、松井君のプレゼンを入れる中で
そこに出てくる問題点に気が付いて
こっそりと入れ替えたのだろうか。
このタイトルの持つ視点は、表現の違いでは
言い訳できないくらい違うものである。
県行政は、一体どういった定見を持って
これら研修会と制度を運営しているのだろうか。
それがとても不安である。


関連記事
週末は、国際開発学会に参加したことは
もう書いた。
ただ、そこで僕が得た雑感を
忘れないうちに、ここに記録しよう。

僕が参加したセッションは2つ。
「開発とビジネス」
そして、「地域開発」。

娘の託児に時間がかかり、開発とビジネスの
一番聞きたかった発表者は聞けなかったのだが、
このセッションの視点が面白かった。

電通の平野氏の発表は
「日本企業が再び世界をリードするために」という題で
大量生産大量消費の20世紀ビジネスモデルの限界を提示し
それに代わって、新たなビジネスモデルを創出するべきという
意欲的な内容だった。
最後のプレゼンシートで、
カーボンフリーを掲げた企業を中心としたスマートシティ構想と
有機的につながるエコビレッジ構想が一つのモデルとして
紹介されており、生ごみたい肥を実践している僕としては
とても興味深い内容だった。
BOPビジネスやCRM(コーズリレーテッドマーケティング)に
見られるように、新しいビジネスモデルは
ただ単に何かを大量に生産して、
それを大量に消費するというモデルではない。
購買そのものが社会への貢献につながっていたり、
品物を購入する満足度にさらにプラスワンつけられる
ビジネスが新たに台頭してきている。
セッションの中では、BOPについて
技術優位型(イノベーション)と市場獲得型に
わかれていると議論もあり、
ある種の優位な技術が貧困層の福祉向上に
つながるイノベーション型もあるが、
ネクストマーケットでも紹介されているような
ただ単に消費する存在としての貧困層をターゲットにおいて、
包装や分量など工夫することで、
新たな市場獲得をするモデルがあることが議論された。
この場合、大量生産大量消費のビジネスモデルを
少々手直ししただけで、根本的なことに変化はない。

このセッションで僕自身が確認したことは、
日本のものづくりを活かした
新たなイノベーション型ビジネスの展開と
都市と農村との有機的な関連付けによる
CRM型のビジネスモデルの構築である。

開発とビジネスのセッション内では
フェアートレード認証が、大規模農園内では
雇用主と労働者の間の
パトロン=クライアント関係を強化する方向に働く発表や
大規模企業によるグローバルギャップやCSRが
企業内のジェンダー格差を是正していないという問題点、
などがあった。
先進国の店舗で販売されている商品が
途上国の原産地まで長いバリューチェーンで
結ばれていること考えれば、
そこで起きている労働や資源の搾取に加担するような
ビジネスのモデルには、倫理的な消費者が今後増えていく中
発展的な未来はない。
しかし、それらを克服するはずの諸制度も
貧困の構造を根本的に作り変える力に
なっていないのかもしれない。
とても考えさせられるセッションだった。

さて、もう一つの地域開発セッション。
妻が発表することもあって参加した。
人類学的見地からの発表が妻を含めて2例あり、
フィールドワークでの今を問う姿勢から
長期的なフィールドワークの意味や
何かのプロジェクトモデルと地域を摺合せするために
人類学的視点を補完的なものとして
捉えることに意味があまりないことが確認できた。
それは人類学を貶めることでしかなく、
何か主たる学問の補助的役割として考えるなら
大間違いだと言いたい。
人類学が持つ地域開発への長期的フィールドワークの視点。
これが答えであり、
これから積み上げていく必要のある研究なんだろうと思う。

そのセッションで、面白い発表があった。
インドのPURA農村計画の事例発表だったのだが
その内容自体は、システムダイナミクスを応用した
農村計画の発展モデルの検証だったように思えたが
専門外なため、ほとんど理解はできなかった。
ただ、この「農村計画」という発想がとても面白かった。
都市計画は、都市化していくことであり
それらインフラの整備から、生業が農業から
工業・サービス業へと変化していく過程を計画したものであり、
それに対して、農村に対してよく使う言葉として
農村開発とあるが、それは農村住民の
教育・福祉・医療などに焦点が当てられ、
その分野の充実が目的化されている。
一方で、農業開発という言葉もあり、
これは農業インフラの整備をおこない生産性向上を
目的としている。
では、農村計画とは何か。
それは、農村住民が生業を農業におきながら
都市アメニティを享受できるようなインフラの整備なのである。
この考えの根底には、
コミュニティ開発として、生業の農業が生み出す地縁や関係を
重視する姿勢であり、都市化することで増え続ける
スラムや貧困の解消にもつながるだろう。

今回発表された内容では、
村と村を環状道路とバスでつなぎ、
地域全体で、都市アメニティを分散させて
整備するというものだった。
どこか宮本常一が提案した
田中角栄の日本改造論に対する反対案と似ている気がする。
都市と都市を大きな幹線道路でつなぎ
村からその都市への道路を整備する日本改造論に対し
宮本常一は、村と村と有機的につなげてきた生活道路の
整備こそが大切、と言っていた。
過疎化や農村空洞化、地域格差の根本的問題は
そこにあることを思えば、
この農村計画の思想は、今でもその力を失っていない、
古くて新しい考えと言えよう。

都市化はしない。
でも都市のアメニティは享受する。
生業である農業が作り出すコミュニティを活かし続けながら
そこから生み出される文化をも
僕らは享受できる世界があるのではないか、と
久しぶりに高揚をもって、僕は夢想した。

そして実は、これらのセッションには
通底したものがあり、それが学会参加前に
訪問した東京の農家Sさんの話と
とてもかぶることが多かった。
地域開発を見ていくうえで、現在
農業に新たに参入していくる若者や
農外起業家、団体が増えた。
ある種のブームなんだろうと思う。
そしてそれらの成功が、多く語られるようになった。
僕ら農民が考えもしなかった手法で
経営学的にビジネスとしての農業を展開している事例も多い。
僕は、それらを否定的には見ておらず
むしろ、好意的な立場でありたいと思っている。
それらとの相互作用は
今後、僕ら農民に大きな示唆を与えてくれるだろうから。
ただ、これらの事例やSさん、そして開発学会のセッションを
通して、少し見えてきたことがある。
それは、農業発展の農民の中抜きモデルである。
農業が都市の消費に合わせて
テーマパーク化したり、CRMに基づいたCSRのような
古くて新しいビジネスモデルが、その意味合いを変えて
登場しつつある。
そこにはコミュニティを支えていた農民が居なくても
ビジネスとして成り立つビジネスモデルなのだ。
ここだけははっきりさせなきゃいけない。
経営学的に見れば、農民のような存在自体は余計なのかもしれない。
でも、農村が都市化するわけでもなく、
そこでコミュニティとして、住民が福祉を得続けるためには
農業ビジネスモデルの農民の中抜きは、
僕のように地域開発や農村社会学の立場からは
ありえないのだ。
それが、今、ごっちゃになりながら
農業というあいまいなカテゴリーで
成功事例だけをちやほやしすぎている。
開発学会でも、
今僕らが直面している農業・農村の構造的な問題を
取り上げて研究していくべきだろう。

関連記事
PB240019.jpg

市内のフレンチのシェフが来園。
事前に電話で注文をいただいており、
その注文通り、ごぼうや大根(黒大根)を用意した。

電話の時に、ほかに何かおすすめの野菜はありますか?と
聞かれたので、
今は、フェンネルがおいしいですよ、と言ったのだが、
反応はいまいちだった。
その人曰く、国内フェンネルは、品質がいまいちだという。

今年、僕はここの気候に合うフェンネルの品種に出会ってからは
誰もが納得するようなフェンネルを出荷できるようになった。
ただ、フェンネル自体の認知度は低く、
夏前に出荷した分は、
半分も売れなかった。
八百屋や業者からは、
一級品の太鼓判をいただいているのだが・・・。

さて、そのシェフ。
来園していただいて、直接フェンネルを見ていただいた。
一緒に来られたシェフともども、
長い間海外で活躍された方々で、
圃場に行くまで何度も
「日本のフェンネルはいまいち」と
繰り返していたのだが、
圃場でフェンネルを直接見ると
それは絶賛に変わった。

「海外からのものと同じくらい良いですね」
「あっちで見たものと同じものです」
などなど。
気候の違いはあるが、品種を選び、
時期を合わせて
焦らずゆっくりと栽培すれば、
西洋野菜で、
ここではできないものはないと思っている。
結局、6株を買っていただいた。

写真のフェンネルは先月に撮ったもの。
今は、その株の一回り大きいものが取れます。
すでに予約が入り、
今年の出荷分は、ほとんど残りわずかになりました。
どうしてもほしい方は、ご連絡ください。
次回は6月下旬から7月上旬に向けて出荷します。




関連記事
週末は、国際開発学会に参加。
そして、僕が勝手に1人で毎年恒例にしている、
学会開催地の農家見学。
今回は、東京都で市民農園を営むSさんを訪問。
今や都市農業の第一人者的存在で、
普通なら、なかなかあってもらえないのだろうが、
実はSさんとは、
かれこれ15年以上前から付き合いがあり、
忙しい中、時間を作ってもらい、訪問が実現した。

Sさんは、僕が大学生のころ、度々遊びに行った農家の一人。
僕が師匠と勝手にあがめている人の一人。
協力隊から帰国後は、少々疎遠になっていたが、
今回10年ぶりに、農園にお邪魔をした。

Sさんは、市民農園がまだまだ市民権を得る前から
農地を整備し、市民に貸し出してきた。
ただ単に貸すだけじゃなく、
年間15回の座学を設け、栽培技術等の指導もしている。
現在、200名の市民が、Sさんの農園を利用している。
さらに、その市民の一人として参加していたシェフが
Sさんの農園の一角にレストランを建て、
毎日とれたての野菜を使った料理を提供している。
35人がMaxの小さなレストランだが、
3年経った今でも、昼夜問わず、予約なしでは入れないほどの人気ぶり。

農園では、鶏や牛(1頭)まで飼っている。
食農教育として毎年1000名を超える学生を受け入れているのだとか。
Sさんは、
「食農教育を行うことは、こういった都市での農業の一つの役割なんじゃないかと思っている」
と語ってくれた。

これらの取り組みが認められて、
平成20年度には、日本農業賞の大賞を受賞している。
さすがはわが師匠。

そんなSさんから、今回、面白い話を聞けた。
都市での体験農業の会長をしているらしいのだが、
最近、遊休地を第3者が借り受けて、それを市民に貸し出すという
新しいモデルの市民農園が出てきていることについて
意見を交わした。
そのモデル自体は、新たな農業の可能性として
今の農業に対する文脈の中では、とても好意的にとられている。
だが、それに対するSさんの考えは
世間で受け止められているのとは、少し温度差があった。
それは、たぶんSさんが目指している農業の発展と
少々食い違っている点があるからであろう。

Sさんの目指す地域全体の農業のカタチを
僕なりに要約すれば、それは
個々の農家がそれぞれ独立して
市民農園を運営していくことであり、
それら個別の運営の緩やかな連帯の実現
なのではないだろうか。
それは取りも直さず、地域を創り上げていく主体的アクターとしての
農民の存在を重視していることに他ならない。

「どういった団体でもいいんだけど、遊休地を一括で借りて、それが事業として行っていくよりも、個々の農家がそれぞれに集まってやる方がいいと思っている。その地域や場所が持つ雰囲気というか、そういうものも大切だと思う。個々でやっている方が、ぎすぎすしないし、ある種の余裕が生まれると思う。その余裕が、人をひきつけたり、個々の農かも地域のことも考えられるんだと思う」
とSさんは話してくれた。
たとえ、利益追求が最重要ではないことをうたっていても
会社という経営体は体質上
利益を追求し続けなくてはいけない。
個人農家でもそれは経営体である以上
その点は変わらないのだろうが、
それでも生活に軸を置いた農の営みの中に
会社にはない余裕と時間があるのは僕も認める。
僕の経営体が、雇用を中心として考えている以上
地域づくりのような活動の部分で
自給・給与を払いながら、社員や研修生を
その活動に投入しようとは、なかなか考え難い。
うちの経営体が、人を抱え込めば抱え込むだけ
僕の思う理想とは違ってくることが
薄々とはわかり始めていたのだが、
師匠とのやり取りで、その点が明確になった。

農業外企業や団体の農業界への参入は、
農業界への刺激として、当然歓迎すべきだろうし、
農家の減少に伴って、個々の農家の緩やかな連帯による
地域づくりが非常に困難になっている地域もあり、
その部分での、そういった団体による
農業振興は、今後、僕ら農民との相互補完的な関係を
作っていくのかもしれない。
また集落営農や農業の法人化によって、
それら空洞化の問題を、農地利用や農業生産の面で
解決できるかもしれない。
しかし、それだけでは、空洞化した農村と地域の文化を
新たに生み出す力にはならないのじゃないだろうか。
農外企業や団体の参加で、「風土」の風ばかりが強くなり、
また小農をまとめて、集落営農化や法人の一人勝ちで
「風土」の土の生産性が上がったとしても
土の人(農民)の数が絶対的に減るのは目に見えている。
コミュニティを支えるものは、地縁なのだ。
地縁とは、農地という土地に縛られた生産環境と
その生産環境に居住する特殊な形態、
つまりむらの関係から生み出されるものである。
その地縁はかかわり続ける人々で支えられてきたのだが、
それを支えてきた人そのものが減り、
地縁関係が希薄になったむら社会に、
あたらしい社会への変容と独自の文化を生み出す力はない。
待っているのは、都市に飲み込まれるか、
自然消滅するか、
はたまた新興住宅のようなただ食う寝る所と化すか、
いずれにせよ、むらの安楽死でしかない。

Sさんとのやり取りの中で
見えてきた地域開発のある一つのモデルを
僕は大切にしたいと思う。
それは独立した自作農家(限りなく農の営みに重点を置いた)の
ゆるやかな連帯。
個人的な農業経営だから、生産面では余裕は少ないかもしれない。
でも、個々の経営だからこそ
自分の労働の投入を
かならずしもすべてを生産性アップに注ぎ込む必要もない。
それが、Sさんのいう「余裕」なんだと思う。

研修生や雇人が増えて、
僕の農園は格段に生産性を上げた。
だが、その生活になってから、妻から
「余裕がなくなった」と指摘されるようになった。
僕は、雇用人の仕事をつくる仕事に追われるようになった。
給与を払い続けることに、その力の多くをそがれるようになった。
僕らがかかわる産業(農業)は、確かに他の産業に比べて
とても未熟に見える時もある。
だから、農外企業や団体が入ってくると、
一気に利益を上げたりもする。
それを僕は凄いと羨望のまなざしで見る時もあるが
今は、あまりそれはない。
僕らの産業は未熟なんかじゃない。
僕らの産業は、他産業では図りえない
とても遠大な地域と文化を生み出す活動に
自分たちの時間と生産力を投入するからこそ
時には、経営学から見れば、未熟にうつるのだろうと思う。
農外企業や団体が、都市の消費に合わせた
農業のサービスを展開するが、
地域の文化にどれほど力を注いでくれているだろうか。
むら自体が消費社会に陥っている状況下では
なかなかその差は見えにくいかもしれないが
少なくとも僕ら農民は、
むらの文化をつくり続ける主体として
生産外活動に、多くの時間を割いている。

10年ぶりに師匠のSさんに会うことで、
雇用をしながら
そうした経営体が、むらをつくり続ける主体になれるのかどうか
僕は、ある種の方向転換を迫られたような気がした。


関連記事
12 03
2010

P1000057.jpg

セロリ出荷しています。
直売にも出しますが、
多くは、レストラン向けです。
味や香りの強いヨーロッパの品種が主で
煮込みやスープなどに合います。
見かけたら、食べてみてください。
直接買いに来られるでもOKです。

関連記事
12 02
2010

農園の忘年会。
みんな集まると、やはり壮観だ。
数年前までは、考えられなかったようなメンバーが
目の前にずらりと座っている。
20代が、インドネシア研修生の3名を入れて5人。
30代も3人。
今回、短期で研修したいと、
東京から飛び込んできた人も加わり、
にぎやかに飲食をした。

とにかく、いろんな人が来る1年だった。
この忘年会に出ている若者で、
今年から農園で働きだしている人が4人。
見学者が多かった昨年に比べて
その人数や頻度は減ったが、
実際に働きたい、という人は増えた。
この日も昼に、農園で働きたいという学生から電話をもらった。
求人情報を出していないにもかかわらず、だ。
残念ながら現状では、人数がいっぱいなので
申し訳ないが、その方はお断りをした。
農業に関心が高まる昨今の世の中の事情が
反映しているのか、
多くの若者が、農業と向き合おうとしている。
あとは、僕らがどこまで受け止めていけるか
なのかもしれない。

ルーキーばかりで、なかなか仕事にならないところもあるが
ワイワイとにぎやかに農作業をするのは楽しい。
僕が見てきた
活気あるインドネシアの農村の風景のようでもある。

少しずつ、本当に少しずつだが、
自分がやろうとしていることが
実現していくのを、
周りから認められるのを、感じる一年だった。


関連記事
P1000022.jpg

いろんな方から指摘を受けていた紅芯大根。
「中が赤くないよ」とのことだったが
寒さが、一段と厳しくなってきたこの頃、
ようやく全体に赤さが回るようになってきた。

いろいろとご迷惑をおかけいたしましたが、
今後は、それなりに赤いものが出荷できると思いますので
見かけたら、買ってやってください。
関連記事

田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

メールは
taya.tアットマークnifty.com
です。
(アットマークを@に置き換えて送信ください)

プロフィール
11 ≪│2010/12│≫ 01
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -
カレンダー(月別)
カテゴリ
月別アーカイブ
ブロとも申請フォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

メールフォーム

Page Top

Powered by FC2 Blog |

FC2Ad

| Template Design by スタンダード・デザインラボ