もうすぐ11月。
農家組合も町内会も
いよいよ下期の盛(町内会費&農家組合費)の時期が来る。
その下期の盛を前にして、
ちょっとした問題が表面化してきている。
それは、村盛(町内会費)をどの世帯までかけるかということ。

近年、村では新築の家が多くみられるようになった。
そしてその多くが、親の家の敷地内に、
若夫婦だけの家を建てるケースが増えている。
田舎の家は敷地がやたらと広い。
手入れもあまりしていない庭や
婆さんの家庭菜園をつぶせば、
家の一軒や二軒は建ってしまう。
現に、そうやって若夫婦が家を建てることが多くなってきた。
むらにとっても、その家にとっても
若い夫婦が村に住んでくれることは、
とても良いことだ。
ただ、問題も出てきている。
それは親夫婦と同じ敷地内にいる若夫婦は
同じ世帯だといって、村盛を払わないのだ。

これまでこの問題はあまり表面化してこなかった。
実際には、敷地は法規上分筆されているので、
同じ敷地ともいえないし、法律上は別世帯なのだが
見た目に、一つの敷地内に家族が住んでいるので
同じ世帯だと言われれば、そう見えないこともない。
税金は当然別々に払っているだろうが、
村盛はこれまで眼をつむってきた。

だが、ある家が建った時、その問題が表面化することになった。
その家とは、何を隠そう、僕の家。

僕の家は、親の敷地のすぐそばに建っている。
だが、道一本隔てており、見た目にも同じ敷地とは言えない。
しかし、同じ世帯だといって、これまで村盛を払っていない。
払うことに抵抗は全くないのだが、
僕の家は長男の家であり、分家住宅ではないので、
ほかの敷地内にある長男の家と同じように
村盛を払っていなかった。
しかし、下期の盛が近くなってきて、
ある村の役員から、僕の家は村盛を払うべきだと
役員間の酒の席で指摘を受けた。

その人は、
「会議でいえば、角が立つ。こういうざっくばらんな席やから言わせてもらうけど、徹ちゃん(むらではそう呼ばれている)の家はぁ、村盛払わんといかんざ。あの位置やったら、同じ世帯とは言えんやろ?」と言う。
たしかに、同じ世帯かどうかは、見た目にも怪しい。
というか、完全に別世帯と言っていいだろう。
だが分家じゃない。
そう言うと、村の中でも長男が別の敷地に家を建てた人がおり
その人は村盛を払っているという。
村盛は、屋根にかかるもんや、とその人は言う。
だから、それぞれの「イエ」(親族という意味ではなく、この場合わかりやすいのが祭祀権を持つ系統)ではなく、
建ちもんの家にかかるというのである。
だから、僕は長男であっても
村盛を払うべきとなっている。

だとしたら、同じ敷地内だからといって
これまで村盛を勘弁してきた
若夫婦の家々はどうなるのだろうか。
酒の席で、その話題が盛り上がった。
論理上、すべての家にかけるべきではないか、という意見もあった。
見た目に同じかどうかで判断すべきなのか
それとも法規上の判断と同じにすべきなのか
その基準をつくらないといかん、という意見もあった。

そんな話をしていたら、ある村役から、
こんな意見があった。
「なんでぇ、そんな話をせなあかんの?若い人らが、せっかく村に戻ってきてくれるんやから、一軒一軒に目くじら立てて村盛とらんでもええんちゃうかな。分家ならとればええけど、いずれは一つの世帯になるかもしれんのやったら、そのままでええと思う。村の収入がそれで減るわけやないし。逆に、若い人らが戻ってきてくれるんやから、喜ばなあかんのちゃうの?役所みたいに基準と規定を決めて、それを持って細かく村盛とるのは、嫌やなぁ。そんなことは、村のすることやないと思う」。
ちなみにこの人は役所勤め。

この人のこの発言で、村盛をとるかどうかの議論は白み、
うやむやのまま終わってしまった。
ただ、解決したわけじゃないから
またいずれこの問題は表面化してくるだろう。
これまでむらが
こういった議論を散発的に繰り返して
いろんな問題を時間をかけて、どこかに落ち着けてきたように。


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インドネシア研修生の座学の話。
座学をやっていて
いろいろとおもしろいことは毎回あるのだが
早々書いている時間もなく、
よほど書きとめようと思わない限り、
このネタでエントリーを書かなくなってきている。
この活動が、僕の中心であるにもかかわらず・・・。
もう少し、意識を向けないと、と思いつつ
今回は記録しよう。

農業構造比較論の座学での話。
前々回に技術が生産様式に与える影響について考察し
その事例をインドネシアの農業の中から探し出し
プレゼンしなさいという宿題を出していた。
今年一年目のタタン(タン君:実名で書くことにしました)は
北スラウェシの地熱を利用した砂糖製造の事例を
インターネットで探し出し、
地熱利用技術が、そこの生産様式に大きく影響を与えていると
考察してくれた。
まぁ、事例としては、それでいいだろう。

次にイルファン(イル君)。
彼は2つの対照的な事例を持ち出してきた。
一つは、Sungai Baritoに住むある集団の農業様式。
その集団は、土に何かを加えると「毒」が出ると信じていて
化成肥料や農薬はもちろんのこと
有機肥料すらもほとんど投入しない。
植物残差も鋤き込むことはせず、当然、土を耕すこともしない。
雑草や稲わらは積み上げて、腐ったら、それを田圃に敷くだけ。
外部で品種改良された種は使わず、自分たちの集団の中で
継承されてきた品種だけを使う。
完全なる自然農法的な生活を、伝統的慣習の縛りの中で
行っている集団の事例。
もう一つは中部ジャワの生産組合の話。
野菜栽培の盛んな生産組合では、地元の農業企業とともに
品種改良を進め、さらに問題となっていた野菜の病気に対して
農薬会社とともに新薬を作り出し、
大いに生産性を向上させているという話。

イルファンの考察は、技術を受け入れるか受け入れないかで
ここまで様式が変わるという話であった。
考察はそれほど深くなかったのだが、
事例が面白く話が盛り上がった。

伝統的な自然農法を行っている集団は
はたして技術をつかっていないのか。
イルファンもタタンもヘンドラ(H君)も口をそろえて
受け入れていないという。
確かに外からの技術を受け入れてはいないが
自分たちが培ってきた技術を用いて
自然農法を行っているといえるだろう。
この両者の違いは、技術の方向性にある。

そこでヘンドラが次のような意見を言った。
伝統的な自然農法の集団の言う
投入することで出てくる土の「毒」の考え方は正しくないと思います、と。
彼はそれを迷信だ、と言った。
さらには、その迷信では世界にはびこる食糧難の解決にはならない、とも。
はたしてそうだろうか。
まずは迷信かどうかだが、
彼の意見が、今の自然科学に乗っ取って、
というのであれば、あるいはそうかもしれない。
しかし、その集団の持つ科学とは別の判断基準の中では
それは「毒」なのではないだろうか。
自分の持つ判断基準に対して無批判のまま
相手の価値を推し量ることはできない。

次に食糧難だが、それは農業の技術的な問題だろうか。
僕には分配の平等性の問題にしか見えないのだが。
たしかに今のようなモノカルチャー的大規模農業が進めば、
僕たちは、豊かな表土を失い
これまでの古代文明が滅びたように、今の生産様式では
世界を養えないかもしれない。
そういう意味でいうのであれば、
ヘンドラの言うことは実は真逆で、
不耕起で表土守っている自然農法的集団のほうが
より真実に近いと思う。
食糧不足と大量生産技術を結びつける考え方は
政治的ゲームでの駆け引きにしかすぎない。
若いヘンドラまでもが、そんなことを引き合いに出して
どこぞの国会議員の間抜けな答弁のような発言はしないほうがいい。

僕は以前、これらと似た事例を考察し
その生産様式の違いは、そこに住む人々の価値基準の違いであり
それを端的に言えば、最適か最大かの違いだと
書いたことがある。
伝統的自然農法の集団は、最適に過ごせることを目指し
中部ジャワの生産組合は、生産力が最大になることを目指した。
その違いだともいえるかもしれない。
しかし、中部ジャワの生産組合と農薬会社と開発した新薬が
もし、微生物農薬だった場合はどうなんだろうか。
現在農薬の開発は、より環境に配慮する形で行われており
天敵の利用や自然界に存在する菌を利用した微生物農薬も多く出回っている。
化学合成農薬と違い、その考え方の根本は
生態系的なバランスであり、害虫の全否定ではない。
自然科学が最大を目指す中で、
それが最適の中で得られることがわかってきており
その最適下で最大を目指すような科学技術に変わってきている。
僕らが目指すような最大の社会は
大きく回り道をしながら
伝統的自然農法を科学検証しつつ
その技術を普遍化させていくことで最大を求めていくのかもしれない。
もはや最適か最大かの議論は、不要な気もしてきている。

研修生が探してきた事例に刺激されて
とても面白い議論になったと思う。
こういう座学の日は、とても気分がいい。
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今日の雨はまだ冷たくないが、
いよいよ冬が来る。
そして、いよいよ薪ストーブの季節が来る。

薪ストーブは、
石油ファンヒーターのように
スイッチを入れれば、すぐに暖が取れるわけではなく
まず慣らし運転をしなければならない。
本格的に寒くなる前に
今日、薪ストーブの慣らし運転をした。
今シーズン初の火入れである。

何とかシーズンまでに、薪も準備できた。
焚き付けようの薪も作った。
今年も体や心が芯から温まる薪ストーブで暖を取ろう。

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今年は、例年よりも暑かったせいか、
いつまでもナスが楽しめる。
甘みや旨みが凝縮されている秋ナスは
とても絶品。
売るのも良いが、これは食べなきゃ損、損。
というわけで、
妻がこんなものを作ってくれた。

PA180003.jpg

ベトナム風焼き白ナスの料理。
白ナスを焼いて、
ベトナム風のタレをつけて食べる。
タレは、ニュクマム(ナンプラー)とお酢、砂糖、ニンニク、生姜を混ぜたもの。
それに大葉と干しエビをトッピングして出来上がり。

白ナスの締まった実と
ベトナム風のタレと
干しエビと大葉の絶妙な組み合わせ。
それに以前作ったサンバル(インドネシアチリソース)を添えると
もうビールがいくらでも飲めそうな一品に。

大葉も良いが、これにコリアンダーがあれば最高だろうなぁ。
そうだ。
これをイメージして、来年は、
ナスが美味い時期に合わせて、コリアンダーも作ろう。


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農園でよく使う箒がある。
それがこれ。
土や菜っ葉の屑などを掃くのにちょうどいい箒。
売っている箒じゃ、強度も弱いし、
それに上手く土や泥を掃くことは出来ない。

PA140016.jpg

ほうき草から作る手作りの箒。
昔からの手前種を使って、畑の隅に植えてあるほうき草を
秋になると収穫し、軒の下で乾かしておく。
それを今頃の天気の良い日に
祖母がしごいて、箒の材になるように下ごしらえしてくれる。
同時に来年の種も取る。

PA140014.jpg

そうして出来た箒の材を
冬の暇な時を見計らって、束ねて箒を作る。
3年前まで、この仕事は祖父の仕事だった。
祖父は箒を作るのが上手で、形の整った良い箒をたくさん作ってくれた。
しかし、その祖父ももう自分で箒を作れなくなった。
それを予期してかどうかはわからないが、
最後になってしまった3年前の箒作りの時、
祖父は僕に箒作りを指導してくれた。

祖母がほうき草を触り始めると
秋が深まってきたのを感じる。
今度の冬も、僕はストーブを背に
1年分の箒を作るだろう。
祖父のような立派な箒はまだまだ作れないけど、
祖父を真似て、祖父のように。

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若手農業者クラブと保育園の食農体験イベントの
今年最後となる、収穫祭を行った。
参加したのは、園児と父母、そして若手農業者で
総勢100名ほど。

小さな保育園の園庭に、
一昨年同様(一昨年のエントリーはこちら)、古い農具を持ちだし
脱穀から、選別、そして臼すりまでを行い、
手作業で精米したものを
その場で炊いて、おにぎりにして皆で食べた。

普段、米を栽培していても
お目にかかれないような
足踏み脱穀機や唐箕などを使っての
脱穀作業は、僕ら農業者にも刺激的なイベントだった。

それら手作業と機械作業に先人たちの苦労に想いを馳せると同時に
作業に人手がかかる分、様々な手間貸しと
共同作業が農業の関係を深めていただろうと
勝手な想像もついてくる。
今回のイベントを前に、
昔の話を年寄りから聞くと
臼すりは、近所で集まって皆でやっていたそうだ。
それは賑やかだった、と笑顔で振り返る年寄りの表情が
イベント中、やけに思い出された。

子供たちも珍しい機械に釘付けだった。
唐箕という、手回しのハンドルでプロペラを回し、
それで風を起こして風選するというとても単純な選別機。
米が分かれて出てくるのが、不思議なのか
いつまでも眺めていた。

今回の取り組みで以前には無かったものの一つに
すり鉢とソフトボールによる臼すり作業がある。
前回は、臼すりはすべて小型の機械を持ってきて
臼すりしていたのだが、
それも出来るだけ手作業で体験できるように、と
すり鉢に籾を入れて、ソフトボールで押し付けて
臼すりをしてみた。
保育園児の力でも、比較的簡単に臼すりが出来たので
それに夢中になる子もいたようだ。

最後に、皆で精米したコメをおにぎりにして食べた。
それはそれは、味わったことのない美味さだった。
天日干しが良いのか、
それとも心地よい作業の興奮が加味してくれたのか、
僕にはわからないが、
そのおにぎりは、本当に美味しかった。

イベント終了後、
いろんな父母や保育士、園児たちからお礼を言われたのだが
お礼を言いたいのはこちらの方だ。
こんなことでもなければ、
僕らは集まって、こんなことをやろうとは思わない。
お互いが参加できるイベントとして、
こうした相互作用の場が出来上がったからこそ、
僕らは、一緒にこういう体験を半年通じてやれたのである。
僕らだけじゃ、こんな体験をやろうとも思わなかっただろう。
だから、僕の方から言いたい。

とても貴重で、そしてとても大切な体験をさせていただき
皆さん、本当に、本当にありがとうございました。


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近所の人から
「あのナス、直売所で買ったけど、すごく美味しかった!」
と言ってもらえ、
さらに知り合いのシェフから
「あのナスは、もう『ナス』って名前にしちゃいけない。何か別のものだよ」
と絶賛を受けたナスがある。

昨年に試験栽培した西洋縞ナス。
幾つもある縞ナスの品種の中から、
作りやすく、かつ味が良いものを1つ選び
今年、少し多めに作った。
業者からの注文はほとんどない状況での
面積拡大だったから、売り先はかなり限定されていた。
が、販売に苦労は無かった。
どこに持っていっても、確実に売れたからだ。

“美味しいものが必ずしも売れるわけじゃない”という
持論は今も持ち続けているが、
例外もあるようだ。

妻が夏に、娘を連れてアメリカに渡航した。
ワシントンDCに住む姉を訪ねての旅だったのだが
彼女が撮ってきてくれた農場の直売所の写真やスーパーの写真には
必ず、このナスが写っていた。
「どこに行っても、あのナス、あったわよ」と
教えてくれた。
他のなすが駆逐されるほどの人気なのかどうかは解らないが
少なくとも、彼女が行った場所には
このナスだらけだったらしい。

クリーミーな果肉に、少し甘みのある味。
とてもフレーバーで、どんな調理でも美味い。
僕はこのクリーミーな果肉を使って
ポタージュにするのが好きだ。
今年は、これで収穫を終えようかと思う。
来年は、もう少し、このナスを増やしてみよう。


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10 14
2010

農業研修の新人2名(酒井&太田)を引き連れて、
大根を間引く。
宮重や総太りといった普通の大根だけでなく、
紅芯大根、青大、黒大根と
今年も懲りずに、いろいろと播いてある。

昨年、直売所で惨敗だった黒大根は
もう播かない方が良いのでは?と家族からも言われたのだが
あれは売りものじゃないのだ。
当然、売れれば嬉しいが、
こんな変わったものも作っているという意味の
自己主張なのである。
たしかに、黒大根は和食には合わない。
もそもそしていて、微妙な辛さもある。
これだ!という食べ方も見つけられていないのだが
今年こそ、美味しく食べてやろうと
目論んでいる。

新人の酒井君が
「田谷さん、これ間違って間引いたら取り返しはききませんよねぇ」
と、なんともこちらが心配になるような
発言を繰り返していたのだが、
なんとか無事終了。

間引いた大根葉は、持って帰って皆で分けた。
若い大根葉は、秋の深まりを感じさせてくれるような味だった。


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祭りの日に、村の役員会があり、
年末までのスケジュールを話し合った。
村の盛精算や班長会、総会などの流れを
順に日曜日に埋めていったのだが、
その作業をして気が付いたことが一つ。
僕の手帳に書かれた、僕の予定は
年が明けるまでのすべての日曜日と土曜日が
埋まってしまっていることに。

手帳の土日の欄には、
区の役員、農家組合長の日程が書き込まれ
その間に地域やJA青年部の行事が入り込み
さらには学会までが上手に重ならずに並んでいた。

妻からは、
「農家組合長は今年だけだから、来年はそんなに忙しくないわね」
と釘を刺されているのだが、
祭りの時、ある村の人から
「田谷さん、再来年、娘さん小学校ですよね。PTAお願いしますね。ちょうどその時にこの集落からPTA会長を出さないといけないんですよ」
などと、穏やかじゃないことを言われた。
そばにいたちょっと年配の方からは、
「そういえば、10数年前に農家組合長が終わってから、ずーっと毎年何かの役が回ってきてたなぁ」
と遠い目で言っていたのが印象的だった。
その人は、今年は農家組合の役をやりながら
むらの青年団の役をやっている。

村の中の若い人が少なくなり、
子供の数が減ってきているにもかかわらず、
行事や役だけは減らず
むしろ増えている。

むらや地域は、僕らをフル回転させながら
どういう方向に向かいたいのだろうか?


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村の祭り。
今年は村の役員として、神事にも参加する。
拝殿や社の飾りつけなどを早朝からするのだが、
今年は、一つだけ例年と違うことをした。
それはお供え物。
秋祭りは、収穫に感謝をするもの。
だのに、いつもお供え物で飾る野菜は
トマトやキュウリ、ニンジンといった
その辺のスーパーで買ってきたようなものばかりだった。
形式ばかりで、心がこもっていないのもどうかと思う。
農村の秋祭りなんだから、
その地で採れたものを供物にするほうがずっといい。
だから今年は、
村の役に僕以外にも農家の方がいたので
その人のブロッコリと、
僕の吉川なす、オクラ(赤・緑)、サツマイモなどを飾ることにした。

それでも供物の果物は
みかんとりんごとバナナだったけど・・・。
栗や柿ならば、そこらの家の庭にあるだろうに。

ちなみに
春祭り同様、供物のお神酒は無かったが、
子供神輿の大人用のビールにはありつけ、
その後、役員で飲み、
祭の店囃子で覚えていないくらい飲み
春祭りとは違って、この日は一日飲んだくれていた。

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インドネシアの研修生の座学。
今回は、毎月やっている月間レポートの発表。
それぞれの研修生が、その月に経験した農業のことを書きまとめ
そのことに不明な点を質問として書き残していく作業。
同時に、帰国後どうしたいかを毎月考えてもらい、
目標を常に持って、3年間を過ごすための月間レポート。

このレポートで僕が一番重要視しているのが、質問の項。
その月の座学や農業実習の中で湧いてきた質問を
それぞれの研修生が書いてくるのだが、
質問を練って鍛えなさい、と常々言っている。

質問が漠然としているということは、
知りたい事項自体が漠然としていることに他ならない。
意味のない質問や、適当でない質問は
何かわからないけど、そのわからないことをわからないまま
質問している時に起こることが多い。
そういった質問を100万回繰り返しても
前進はない。

口を酸っぱくして言ってきた「質問」だが、
なかなか解ってはもらえないようだ。
今日、3年生のH君の月間レポートの発表があった。
彼は、質問の段になった時に、
「ここにある園芸用のハウスはいくらですか?」
と質問してきた。

質問の意味は解る。
うちの農園のハウス1棟がいくらするのか?という質問だろう。
だが、意図が分からない。
彼は、この質問が明らかになることで、
何を知ろうとしているのだ?

彼から少し説明があった。
彼の地域では、竹で園芸用のハウスを建てる。
だが、竹ではすぐに虫や腐食にやられ
3年から5年でだめになってしまう。
僕の農園には、鉄パイプや鉄骨のハウスがあるが
それはずいぶんと長持ちするようなので、
そういったハウスを建てたいが、
いくらくらいで建つのか知りたかったとのことだった。

彼の質問に答えるのは簡単だ。
ハウスの価格を教えてあげればいい。
造作もないことなのだが、
その答えに、彼の知りたい答えは無い。
意地悪と言われれば、そうなんだろう。
僕もなかなか細かいな、と思う。
だが、この細かなことが、僕には大事に思えてならない。
だから、僕は彼の質問には答えなかった。
その代り、その答えを持っているのは
僕ではなく、君の地域のハウス建設業者だ、
と当たり前のことを教えた。

そのままでは、あまりにも意味のない座学なので、
その質問から、僕らはもう少し知りたい事項を
掘り下げてみることにした。
なぜ、ハウスが必要なのか、を。
本当は、この作業は彼自身がレポートを書くときに
行わなければいけない質問を練って鍛える作業なのだけど。

さて彼の話では、
ハウスの中の野菜と露地の野菜とでは、
ずいぶんと品質が違い、高品質の野菜を作るには
ハウス栽培が鍵だと思っているようだった。
ただ竹のハウスでは、何度も何度も作り直さないといけないので
大変だという。
そこでこちらからもう少し聞いてみた。
そっちの地域では、鉄パイプのハウスはあるのか?
あるのであれば、何を作っているのか?と。
彼の答えは、
鉄パイプのハウスはあり、切り花など高く売れる作物をつくっているが
野菜で鉄パイプを使っている農家はいない、とのこと。
それじゃ、野菜を鉄パイプのハウスでやっても計算が合わないってことなんじゃないか?と僕がいうと、
彼の経験では、以前竹のハウスで行ったレタスの試験栽培が
地元商人だけでなく、大きな市場でもとても人気だったらしい。
引き合いも多くて、注文も沢山来たという。
しかも、そういう野菜は年間の作付けの回転が良い。
そういった商品であれば、鉄パイプのハウスでも
勝負できるんじゃないか、と彼は話してくれた。

そこまで解っているのなら、
僕らの次の作業は簡単なことだ。
インドネシアの業者に問い合わせて、価格を聞けばいい。
それとレタスや葉菜類の地元価格と作付け回数を計算してみればいい。
鉄パイプのハウスで野菜栽培が合うかどうかの
ある程度の指標にはなるだろう。
僕のハウスの価格を聞いて、
うちの野菜の価格を知ったところで、
彼の知りたいことには近づけないのだ。

自分が知りたいことに対して
それに見合った質問をするというのは、
なかなか難しい。
だからこそ、それをおろそかにしないで
日々、質問を練って鍛える訓練が必要になってくる。
それが少しでも彼らに伝わってくれることを望む。



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9月に始めたさつまいも収穫作業を
先日、無事終了した。

今年は、雨が少なく、また借りた田圃も草が多く
芋自体は小ぶりばかりで
収量は昨年よりも減った感じ。

品種は、安納いもと紫芋。

安納いもは中がオレンジ色で、
甘みが強く、粘り気のある食感。
そのまま焼き芋で食べるのが一番うまい。
てんぷらも美味いけど
チップスにして揚げて食べると
焦げやすいので注意。

紫芋は、この品種の特性で
甘みは残念ならがあまり強くない。
ただ、色がきれいなこと、
ほくほくとした食感であることが
調理に向いている。
チップスにしても美味いし
てんぷらも美味い。
ペーストにしてお菓子にしても
舌触りがよく、美味い。

JAのAコープ堀の宮店・やしろ店
そして直売所の「きねや」に並べる予定なので
見かけたら買ってください。

直接ほしい方は、いつもと同じように連絡をいただければ
農園の方でお分けいたします。


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そういえば、10月からまた新人が農園に来ている。
以前、24歳のエントリーで紹介した、24歳の若者。
ちょうど、インドネシアの研修生が皆24歳と言うこともあってか
和気あいあいと作業をしてもらっている。

人を増やす方向で、これまでやって来たのだが
正直、こんなにすぐに人が集まるとは思わなかった。
今年だけで、日本人の農業を志す若者が3人、
僕の農園で研修することになった。
それぞれ、いずれはここを巣立ち
それぞれに農業をやっていくのだろうと思う。
そこには、停滞感など無い、活力ある農業の現場が
たとえそれが夢想だとしても
僕には見えてきている。

さて、人が集まるというのは不思議なもので、
なにやら力が生まれるのを感じる。
インドネシアの子には授業をしているが
それでは不公平なので、日本人研修生にも
授業と言うか、座学をやることにしている。
何か授業めいたことではなく、
皆で1冊の本を輪読することにしている。

今読んでいる本は、
「ピシャッと効かせる農薬選び便利帳」。
それの使用を助長する気はさらさらないが、
有機農業をするにしても、
農薬の特性は理解しておかねばならないし
使い方も解っていないといけない。
きちんと効かせて、低農薬を目指したり
有機認証でも使える農薬を
効果的に使うことで、たとえ農薬の使用を減らしても
また農薬を使わなくても
高品質の野菜を食べる側に届けることができるのだ。

その本の輪読だが、
今回、殺菌剤についてざっくりとだが、皆で読みあった。
研修生の一人から、これまで研修で、
ある野菜の生育過程で気になっている病気があり、
ある殺菌剤の使用を検討してみては、と提案を受けた。
それは、ずっと以前に、僕もその検討をあれこれとしていたのだが
いつしか、日々の忙しさに埋没してしまって
忘れ去っていたことだった。

提案のあった殺菌剤は、僕の農業と合わないこともあって
採用はしなかったのだが、それがきっかけとなって
自分なりにその病気について調べ、
安全性と僕の目指す農業とすり合わせて、
3つの殺菌剤を新たに試験使用しようかと検討している。

研修生から指摘を受けて、
自分で調べてみて感じたのだが、
なんでこれまでこれについて検討しなかったのだろうか、と
不思議だった。

日々の忙しさに振り回され、
そこから得るもので、ある程度満足を得てしまうと
人は前進する力を失ってしまうのかもしれない。

僕と研修生が生み出すインタラクションが
僕を前へ前へと押し出してくれるのを感じる。


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10月になった。
でも今年は吉川ナスが好調で
ここにきても、収量は落ちない。
品質も、朝夕の涼しさもあってか、夏場以上になっている。
当然、味も最高だ。

だが、売れ止んでいる。
レストランは10月からメニューが変わり
秋ナスと言っても、ナスは夏の野菜なので
そのメニューから外されてしまった。
そういうこともあり、
良いものがとれているのだが、
売れなくなっている。
ま、当然と言えば当然の結果か。

今週一杯は収穫を続けようと思う。
近くの直売所に並べるつもりなので、
(Aコープ堀の宮店・みゆき店、喜ね舎など)
欲しい方はお早めにどうぞ。


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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

メールは
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