米の検査。
うちの集落では、今年最後の米の検査。
農家組合長として、立ち会った。

前回同様、今回の検査も中心はコシヒカリ。
最近テレビや新聞を賑わしている新潟の米の品質だが、
9月20日の調査段階で、コシヒカリの1等米比率が
16%という恐ろしい数字になっているらしい。

米には等級がある。
品質の良さで、1等、2等、3等に分かれる。
これは生産者から買い取る時の等級で
小売りには反映されない。
米の卸や小売の段階で、この等級間を上手にブレンドすることで
さまざまな価格の米が出来上がるというのは余談。
さて、この等級。
1つ下がる度に、1袋(30キロ入り)500円価格が落ちる。
たった500円という事なかれ。
1町(1ha)ほど作っていれば、等級差で8万円程の差になる。

通常、1等米というと、
ここら辺では、だいたい9割以上の米がそれになる。
米の検査官の話でも、
こりゃ、ひどいなぁ、と思う地域でも
7割は1等米らしい。
だので、16%というと、
ずいぶんひどい、というか
前代未聞のことなのだ。

では、今回の検査。
うちの集落はどうだったか。
めでたく、すべて1等米でおさまった。
食味値も80スコア以上を連発し、
なかには84スコア、という惜しい人もいた。
85スコア以上で、さらに買い取り価格が500円アップする。
新潟とは全く違う検査風景だった。
なぜうちの集落の米はだいじょうぶだったのか。
いろいろと要因はあるだろうが、
今年から始めた福井のコシヒカリの遅植え効果もあるらしい。
近年、夏が暑い。
夏が暑いと、米が実る時に高温障害を受けやすい。
今回の新潟は、まさにそれだった。
夏が暑くて長く続いたため、高温障害を受け
ほとんどが2等米の格付けになってしまった。
福井は、ゴールデンウィークに植えていた米を
思いきって5月15日以降に変更した。
そういう効果もあってか、実の入る時期と高温期が
少しずれ、米の品質を保つことが出来たのかもしれない。
ちなみに新潟では、遅植えはせず、従来通りだったらしい。

新潟が2等米でこっちが1等米。
これでこっちの米が良く売れる、というわけじゃない。
その反対なのだ。
新潟の米がほとんど2等米ということは、
今年の新潟米は市場価格が安いことになる。
安い米が市場に大量に出回れば、
他の銘柄の売買がだぶつき、
その余波で全体の価格も当然落ちる。
米は、JAが検査後に支払ってくれるお金以外に
追加払いという形で、その後2回支払われる。
これは米が長期間かけて市場で売買されるため
価格変動の中で、さらに儲けが出た場合、
その差額を追加払いという形で
支払うシステムなのである。
近年、この追加払いの金額が減ってきているのだが
(その分、米の相場が安いという事でもある)
今年は、新潟などの産地の米が、安くなることから
相場がのびず、追加払いは雀の涙になるんじゃないか、と
米の検査の現場でも、うわさされていた。
ある農家は、今年は追加払いは無くて、
逆に検査時の価格は払いすぎたので
1袋につき200円ずつJAがお金を返してくれって言ってくるんじゃないか
と笑えない冗談を言っていた。

ちょっと前に、米は1俵15000円を切る時代が来る、と言っていたが
何のことはない。
今じゃ、1俵10000円を切りそうなのだ。
その分だけ、米がたくさんとれるわけでもなく
その分だけ、農業機械が安くなるわけでもなく
その分だけ、消費が伸びるわけでもない。
米の未来はどこにあるんだろう。
僕にもそれはなかなか見えてこない。

関連記事
ある用事で、夕方、
ある大手の新聞社の支局へ行った。
妻が出張中なので、
保育園に迎えに行って、娘を連れて訪ねた。

ちょっとしたご縁で、
地方欄のコラムを他の方々と持ち回りで書くことになり
その打ち合わせのためだった。
簡単に終わるはずだったのだが、
いかんせん、僕は話が長い。
いつも妻から窘められるのだが、その妻がいないものだから
ついつい話が長くなっていた。

いつものように協力隊時代から延々と
話をしようとしていた矢先に、
娘が、
僕の膝の上で、
放屁した。
ぶっぶっぶっぶっぶっぶっぶっぶっぶっぶっ。

それは長く、
そして大きな屁だった。
まさか、妻のように窘めているわけじゃあるまいが
あまりにもタイミングが良かったので
一同爆笑だった。

やはり娘は、お笑い系である。
どこでどう間違ってその道に転換したのか
いまでは思いだせない。

関連記事
気がつけば、1000エントリー。
2006年4月から書き始め、よく書いたものだ。
初めから全部読んでいる人は、多分、いないんじゃないだろうか。
僕も、何を書いてきたのか、あまり把握できていない。

農業のカテゴリで見れば、
書き始めの当初から比べれば、ずいぶんと違った視点で
農業をしているのが解る。
農薬を否定しつつも、妥協点を探っていた当初と違い
今は、そのどちらにもあまり関心が無い。
農薬そのものの理解が深まり、
それは手段の一つになり、
妥協して散布するのではなく、目的を持って散布するようになった。
虫や微生物の世界にも、少しだけ詳しくなった。
生態系が、そんなにヤワじゃないことへの感動と
それを育むことの素晴らしさを感じるようになった。
その中の一部にケミカルな面を持つ農業も
また僕の農業として存在するようになった。

研修事業は、当初夢のようなものだったが、
今では3人のインドネシア研修生がいる。
毎週、授業に追われ、それはそれで忙しい毎日になっている。
協力隊の時を含めて、やりたかったことの一部が
できるようになってきている。

経営は、家族経営から完全に雇用中心へと変化した。
20代~30代の若手が、僕を入れて7人。
日々の労働も様変わり。
にぎやかで楽しい。
そして何より、活力とエネルギーが詰まっている。
もうすぐ、そのエネルギーが爆発して
周りに影響を及ぼすに違いない。
農業は変わる。
そんな気概が、僕の中にも生まれている。

娘は、赤ちゃんから
今では、小さな母のようになっている。
妻のように、僕の行儀悪さを指摘するようになった。
小うるさいのが増え、ちょっと辟易。
親の予想と反して、
根性の使い方が変で、お笑い系に育ちつつある娘。
だから、子育てが面白い。

妻は、無職から大学教員になった。
プチ単身赴任の毎週だが、それにも慣れたようだ。
最近、自分が編者になって本を書いている。
ちょっと前までは、えらい先生の編著に
原稿を書いていたのに、いつの間にやら偉くなったものだ。

そして僕。
村の役をやり、むらの作法が見えるようになった。
思っていたよりもしたたかで、
思っていたよりも弱くて強い共同体の姿が
すこし解るようになった。

2006年から比べて、体重が5キロ増え、
お腹周りが気になるようになった。
ひげや頭に白髪が増え、
健康診断では、かならずどこかが引っかかるようになった。
怒りっぽくて、偉そうなのだけは
昔から変わらないのだが、
年をとると、その分インパクトも強くなるようで
もう少し謙虚に生きなければ、と
反省の日々。

1000回のエントリーの間に
ざっくりとだが、こんな変化があった。
こんなものを1000回書いたところで
阿闍梨のようにはなれないが、
俗物的な変化が、なんだか楽しい。
2000回は無いだろうけど、もう少し書いてみようと思う。
関連記事
妻が風邪をひいた。
出張先でのことだったので、
薬局で効きそうな薬を買ったらしい。

その箱を見せてもらったら、
せき・たんに「ブロムヘキシン塩酸塩」
のどの痛み・熱に「イブプロフェン」
くしゃみ・鼻水に「グレマスチンフマル酸塩」
と書いてあった。
なんだかとても効きそうに見えた。
風邪なんて一気に治りそうに見えた。

だが、これが
風邪薬の箱じゃなくて、農薬の箱に書いてあったら
これらの薬品名は、どんな印象になるのだろうか。
その認識に、農民の立場から不公平を感じる。

毒と薬は紙一重なのだが
そのカテゴリは、人々の認識の中では繋がっていないことも多い。
箱が変わるだけで、その薬品の印象が変わるのは
自分の認識の中でも感じる。
なんだか不公平だ。

関連記事
奇跡のリンゴ、と言えば
もうみんなが知っているような話なんだと思う。
木村秋則氏が手掛ける無農薬無肥料のリンゴ。
リンゴは病気にかかりやすいので
無農薬は不可能と言われてきた作物の一つ。

インドネシア研修生で3年生のH君。
自主研究に有機肥料を選んで、課題に取り組んできた。
いつか出会うだろうと思って、放っておいたら
やはり、現代農業の雑誌から木村秋則の記事をひろってきて
それをゼミで発表してくれた。
農業を志す者にとって、強い関心とあこがれがある農法。
それは自然農法。

僕は、それはある意味で毒だと思っているが
別の一面で、強いあこがれもあるのは事実。
僕のアプローチは、ある意味小乗仏教的な自然農法ではなく
慣行栽培が有機に近づいていく、
有機農業のコンベンショナル化といった方向なのだが
その目指す先は、あまり違わない。

H君が見つけ出してきたのだからしょうがない。
以前から買っておいたDVDを見ることにした。
それは、NHKでやっていた
プロフェッショナル仕事の流儀で、
木村秋則氏が出演していたもの。

ちょうど日本人の研修生やセネガルのイブライも見るというので
みんなで見てみた。
以前から買ってあったのだが、
実は僕も見るのは今回が初めて。

どんな内容だったかは、詳しくは書かない。
見た感想から、
「真面目に、手間を惜しまず、働け」
というメッセージを「愛」という言葉の中に
この人は持っているんだ、と感じた。
僕ら農家は、手を抜こうと思えば、いくらでも抜ける。
上手に抜くことが、時には僕らの技術だったりもする。
でもそれを真っ向に批判するのが
この木村秋則の言う「愛」だった。

僕らの仕事は僕らが一番わかっている。
それをやれば良いのも解っている。
そうすれば、出来ることもなんとなくわかっている。
でも、それをすれば、生活が成り立たない。
仕事に追われて(ただでさえ今でも仕事に追われているのに)
寝る間もなく、働き続ける覚悟が必要なのかもしれない。

無肥料と言うが、彼は県道のわきの雑草を20キロに渡って刈り
それを2haのリンゴ園に投入している。
その有機物量は、20トンではきくまい。
酢の散布は、スプレイヤーではなく手散布。
丁寧な仕事と重労働を厭わない精神。
それが、そのリンゴを作っている。
それは奇跡でも神話でもない。
それは、篤農の姿なのだ。

今年、僕は吉川ナスで化学合成農薬の無散布に挑戦し、
例年にない品質のナスを収穫した。
これまでの研究と観察の集大成と考えて
挑んだ今年の栽培は、それなりに成果はあった。
僕はそれなりに満足していた。
だが、このDVDを見て、その満足はかき消されてしまった。
僕は、化学合成農薬や化成肥料は使用していないが、
天敵製剤を利用したり、堆肥や有機肥料を投入していたのだ。

木村氏のリンゴとは、大きな隔たりを感じる。
それは、彼の言う「愛」、
つまり覚悟がまだ足りないという事なのだろうか。

手法や目指すプロセスが違うことを認識しつつも
「愛」が足りないと断言されると、なぜか自分が陳腐に見えてくる。
やはり、このDVDは毒だ。
昔、福岡正信を読んだ時のような、吐き気と葛藤が
その日一日、僕には残っていた。



関連記事
通訳3日目。
といっても、この日は農家組合長として
集落の米の検査に立ち会わないといけない。
福井大学に留学しているインドネシア人の子を
通訳に頼んだのだが、明日から来てくれる予定で、
今日だけはどうしても都合が付かない。
ということで、
米の検査場にインドネシアの一団を連れてきてもらって
農家組合長の職責を果たしつつ
米の検査の風景を通訳することにした。

検査はコシヒカリ。
検査官が、検査用の米を手順そってサンプルをとる作業から
インドネシアの一団には珍しかったようだ。
色や形を目視で確認し、
整粒歩合を見るために1.9ミリの検査用の網で振って、
さらに食味を計測できる機械で検査する。
そんな過程すべてが珍しかったようで、
しきりに写真をとっていた。
食味は、うちの村では概ね80以上だったが
500円アップの85のスコアを出す米はなかったのは残念だった。

検査官が、インドネシアの検査はどうかと尋ねてきたので
インドネシア一団の先生がそれに答えた。
「農家の庭先取引が多いので、共通の検査はほとんどないです。それもモミを見て買います。整粒歩合や色なんかで価格が変わるというよりかは、その農家への信頼度や前作の実績などで値段が変わります。あとは産地と銘柄。そしてその時の相場。これが一番大きいかもしれません。商人は損しない価格で取引をし、精米していろいろな米を上手に混ぜ合わせることで利鞘を稼ぎます」
まぁ、最後の「精米していろいろな米を~」というくだりは
日本でも同じだな。
網下米といって、農家の段で一旦はじかれた米を
米商人が安く買い取って、
小売りの段階では上手に混ぜ直して、
利鞘を稼いでいるんだもの。

日本の食味計では測れない美味しさが
インドネシアの米にはある。
それは「香り」。
食味計は、たんぱく質やアミロース、脂肪酸、水分で測っているのだが
そこには「香り」という概念はない。
インドネシアには、特に香りが高い品種があり
時に高値で取引されていた。
その話を聞いて検査官が
「そう言えば、あっちの米は独特の匂いがしますよねぇ」
とちょっと苦手そうに話していたのが印象的だった。
米の美味さは、普遍的ではなく、
それは文化なんだと改めて認識した。

関連記事
通訳2日目。
この日は、歓迎式や留学生へのオリエンテーションもあったが
メインは、インドネシアの先生と福農の先生とで
今後の交流事業の在り方をどうするか、の話し合いだった。

現在は、福農側が3年に1回10数名の一団で
1週間から10日までの日程でインドネシアに訪れ、
インドネシア側からは毎年2名の学生が
2ヶ月から3ヶ月福農で短期留学をしている。
友好提携を結んでから、9年。
交換留学が始まって、8年。
良いこともたくさんあったが、
当初は見えなかった問題もまたたくさん見えてきた。
そこで、交流のやり方にすこし変化をつけてみようという事で
今回の話し合いとなった。

今回の焦点は、訪問回数と期間。
福農側は、3年に1回という回数を2年に1回に変更したい。
またインドネシアから受け入れるのも2年に1回に変更したい。
つまり、隔年で交互に行きあう、というのはどうだろうか、
というものだった。
そこにはこんな理由があった。
3年に1回のインドネシア訪問では、
インドネシアに行った学生がすべて卒業してからしか
あちらに訪問できない。
そのためか、その学年間で交流の経験を共有できず
その交流の発展もあまり効果的でないのだ。

インドネシア側からも2年に1回に変更してほしい理由は
予算等の問題もあるのだが、
福農側の希望としては、インドネシア側も2年に1回にしてもらって
その分、2名の学生ではなく、
福農のように10数名の学生が、10日ほど滞在するような形に
してほしいというものだった。
2名の留学生が3ヶ月福農で過ごすのも、もちろん良いのだが
福農の学生にとっては、交流機会があまりなく
初めは学生の意識もインドネシアに少々向いていても
すぐにその存在を忘れてしまう。
400名の学生に2名の留学生のインパクトなんてそんなものなのだろう。
それが10数名で短期間来てくれれば
その間、インドネシアに集中して
いろんなイベントを一緒にやることで、
学生へのインパクトも大きいのではと考えていた。

さて、これらの提案。
インドネシア側(以降:イ側)の回答はどうだったか。
まず、隔年で行き合うことについては、賛同を得た。
単年度予算のなかで実現が難しいかとも思われたが
そのことに関しては、イ側の校長の裁量でどうにでもなるらしい。
イ側も3年に1回しか受け入れられないことよりも
2年に1回になる方が良いらしい。

次にイ側が派遣する人数と期間についてだが、
これには少々難色を示した。
県政府が予算を執行するので、
県政府の意向によるとイ側の校長は答えていたが
2名でも数カ月日本で勉強したという経験を重視したい感じであった。
生徒の交流というよりも、より勉学として有効な方を選びたい。
そんな姿勢を感じた。
人数と期間については、イ側の県政府の意向もあるため
2011年度中に答えをだすことで、両者一致した。

さて、この協議、これで福農側の要望は伝え
それなりに了承を得たのでこれで終わりかと思ったのだが
今度はイ側からの要望が伝えられた。
それは、共同活動を行ってほしいというものだった。
両校が一緒に行うプロジェクトを立ち上げようという提案である。
何かの作物を決めて共同栽培・研究で良いし、
一緒に加工品を開発するでも良い。
とにかく、お互い行き来するだけじゃなく、
この交流から、協働へと発展させたい、
そうイ側は強く思っているようだった。

イ側から提案された具体的な例として
2年に1回の訪問時に、福農の農業の先生が引率してきて
あちらの農業高校で特別講義を行ってほしい、と言うものがあった。
どちらかといえば、今までは
福農の農業の先生はあちらに訪問していない。
様々な諸事情があったのだが、
どうもそうは言っていられない状況になりつつあるようだ。

交流を超えて、協働への提案には、
福農側は少々面食らった感じではあったが
これも一緒にやっていくことで両者一致した。
来年度中に共同活動の案を出し合うこととなった。
とりあえずイ側は
福農が行っている構内の直売所(ふれあいマート)をまねて
構内に販売所を作る予定をしているようで、
そのノウハウや加工品でお互いのプロジェクトが
始まりそうな感触はあった。

2001年1月9日に友好提携を結んで
ほぼ9年の歳月が流れた。
よくここまで続いていると思うと同時に
ゆっくりではあるが、その関係が発展的に動いていることに
感動を覚える。
様々な問題を抱えながらも
それぞれの想いが発展的に向かっていれば
こうした素敵な交流と協働が実現していくのだと
目の前の光景が、僕に教えてくれる。
まったく微力でしかないが、
その手伝いをさせてもらえることが
自分の中でとても誇らしかった。


関連記事
連休の最終日。
といっても、農作業。
連休後の注文は、いつも多い。
だから、今日もいろんな野菜の注文でてんてこ舞い。
だのに、昼には福井北商工会の関係で
観光化事業の一環として、視察一団を受け入れ、
その30分後には、インドネシアから福井農林高校に
留学生が到着するということで、隣の県にある空港へ出迎えに走った。
まさに分刻みの日程。

さて
長旅の末にたどり着いたインドネシアの一団。
先生3名に
約2カ月の短期留学をする学生が2名。
あちらの校長先生の交代と
こちらの受け入れ担当の先生の交代があり、
さらに、あちらの農業高校が、出発1ヶ月前から
農業省所轄から教育省所轄にかわるということで
学校評価のごたごたもあり、
入念な準備と綿密な連絡が取れないままの来日となっていた。
最終的な連絡もなかったので、
本当にこの飛行機に乗ってくるのだろうかと心配もあったのだが
無事空港で出迎えることができた。
今回はインドネシア大使館の担当者まで代わったので
連絡が錯綜して、出発ぎりぎりまで
いつ来るのかよくわからない状況だったのである。

今日は休みだったのだが、農林高校の寮に学生も集まり
夕食会で一団をもてなした。
例年だと、学生とインドネシア一団とが別々に固まって
食事をしている風景なのだが、
今年は、昨年の12月にインドネシアへスタディーツアーで
訪れた学生が何人も学校に居るので、
とても自然な形で交流していた。
昨年のスタディーツアーに参加していたある女の子は
インドネシアから来た女子学生とさっそく仲良くなって
手をつないではしゃいでいる光景もあった。
その光景を目にしていると
交流事業がただ単に続いていくことよりも
3年間の学生のサイクルに合わせた交流こそが
本当に両者にとって得るものが多いという実感も湧いた。
これまでの交流は、福井農林高校側は
3年に1回のインドネシア訪問だったので
学生の経験としてはとぎれとぎれになってしまい
毎年受け入れているインドネシアの一団との関わりも
どこかよそよそしいものだったのだ。

明日も早朝から夕方まで通訳。
ちなみに夕方から、集落の米検査に向けて
米の出荷があり、その荷受を農家組合長の職責で
行う予定。
明日もタフな分刻みの一日になるだろう。

関連記事
稲刈り。
うちの田んぼを前日に終え、
今日は、保育園と一緒にやっている体験田んぼの稲刈り。
記録的な大雨の数日後という事もあり、
田んぼはぬかるんだまま。
多くの父母や保育士、そして子供たちが
足をとられながら、長靴を泥に取られながら、
それでも楽しそうにみんなで稲刈りをした。

保育園のカメラが、泥の中に落ちてしまうという
ハプニングもあり、
泥の中で動けなる人も続出したが
なんとか稲刈り終了。

刈った稲の一部は、
田んぼのわきのガードレールに天日干しをした。
その稲は、
10月におこなう収穫祭で
また一昨年のように、古い農具を用いて
昔さながら脱穀してみんなで食べようと企画中。

何かをみんなで創り上げていく作業は
とてもわくわくする。

関連記事
UASつづき。
地域開発論の最終試験。
研修生が、他の研修生の地域のポテンシャルレポートを読んで
その地域で農業的起業をしなさいというお題。
パワーポイントでプレゼンを20分して
質疑応答で20分。

H君は9月の1週目に試験が終わっており
イル君は2週目、そしてタン君は3週目に
試験を行った。
書いている間が無かったので、
時間がある今、
どんなものだったかを記録しておこう。

イル君の発表は、
H君の地域でのプレゼンだった。
イル君のビジネスプランもH君とあまり変わらない。
新種の野菜や果物をグループ栽培して
それを販売するというものだった。

タン君はイル君の地域でプレゼン。
彼も加工などを手掛ける内容が入っていたが
同じような発想。
新種野菜と果物のグループ栽培。
うーん。
それ自体は悪いアイディアではないけど
3人に共通するのは、市場ありきではないこと。
栽培グループを作って、栽培してから売り先との契約をする考え。
それと、これが一番問題なのだが
それぞれの地域の固有性とビジネスプランとの
関連性がほとんど見えない事だった。

H君の地域は山沿いであるが、2つの大きな市場の間あり
15分でアクセスできるという魅力的な地域。
水も豊富で、ポンプなしで稲作が出来るのも武器。
イル君は大規模お茶産地。
特定の商人とお茶工場がその地域を牛耳っているが
近くに避暑地もあり、高地であるため野菜栽培が盛ん。
タン君の地域は、大きな町の近くでインフラの整備が良い。
大きな国道沿いでもあるので、果樹の直売などが盛ん。

こうしてみれば、全く違う地域なので
それぞれのプランも自然と違ってくるだろうに
だのに、そのプランは似たり寄ったり。
それは別にその地域でなくても出来ることばかりで、
昔、協力隊時代や大学院時代に嫌というほど読んでいる
ブループリント型の開発計画を読んでいるみたいだった。
もしくはこういった方が解りやすいかもしれない。
どこを切っても同じである金太郎飴のような開発計画。
つまり、その時の役人とこの3人は
発想が同じということなのだろうか。
開発に関して、なにか固定観念でもあるような気がする。
全然、その土地の風土が反映されていない。
農業開発はこうあるべきという雛型でも
学校で教えているんだろうか?

とにかく、もう少し自由な発想と
奇抜なアイディアを楽しむ余裕、
そして、何よりもこれが一番大切なのだが
その地域の固有性、つまり風土を見抜き、それを活かす形での
ビジネスプランを作るという発想を
研修生に持ってもらうことを
この授業の次回の課題として記しておこう。

関連記事
今、シンクイムシの被害がひどい。
毎年、8月の下旬から虫との本格的な戦いが始まるのだが、
今年は、異常な夏だっただけに
虫の発生も少し異常に感じる。

その代表格が、シンクイムシ。
ここらではそう呼んでいるが、メイガのことで、
被害の代表格はマダラメイガである。

生長点を食害する虫で、
食われると、その生長点からの成長は絶望的になる。
外見ではすくすく育っているように見えるアブラナ科の野菜でも
良く見ると生長点だけを
このシンクイムシに食害されている場合があり
その場合、商品としての価値は全くない。

ブロッコリやキャベツのみならず
水菜、ルッコラ、ワサビ菜、そしてアブラナ科でもない金時草まで
幅広くやられているのである。
この虫の厄介なところは、
一旦生長点の中に入り込んでしまうと、
なかなか農薬が効かないことである。

8月の終わりから本格的に発生し始め
9月10日前後から2週間が最盛期。
今年は、例年以上の被害で
うちのあるハウスでは、水菜が半分以上やられてしまった。

農薬の防除だけでは、やはり限界があると感じる。
効果的な総合的な防除を
早々に探し出さないといけないのだが、
まだ決定打は見つかっていない。

関連記事
P9110012.jpg

土曜日の昼下がり。
ちょっと気だるいその時間に、
お気に入りの音楽を聞きながら、
妻と一緒に、
インドネシアのチリソース(サンバル)を
1年分作った。

自家菜園でとれたインドネシアのチリを
大量にとって、
1年分作った。

瓶詰にして、冷蔵庫でしばらく寝かせて
熟成したら出来上がり。
これで来年まで、
チリソース(サンバル)を楽しめる。

目も手も鼻の奥も喉も家も
すべてがヒリヒリと辛くなった
とても贅沢な時間だった。
関連記事
P9070001.jpg

カラフルジャガイモのチップス。

今年は、ジャガイモの収穫がずいぶんと遅れ、
生育も良くなかったから、出荷はほとんど出来ていない。
だから、家で楽しんでいる。

こういったジャガイモも
普通に家庭で調理されるようになると
食卓も楽しくなるに違いない。

なんとか栽培の工夫をして
みんなに食べてもらいたいものだ。
関連記事
1人の若者が、うちの門を叩いた。
福井出身で、青年海外協力隊でパラグアイに派遣されていた
その若者は、福井で農業がしたいらしい。
そのための研修先として、うちにお願いに来た。

研修希望者ばかりが増えて(いずれは独立を希望)、
将来的に僕と一緒に
この農園を切り盛りしてくれる人は一向にやって来ない。
なかなか良き相棒は見つからないものだ。
だが、こうして僕のところで研修を積んだ人たちが
仲間となって、将来、
みんなでここ福井の農業を盛り上げられたら素敵だとも正直思う。

個人の経営の話は別にして
ここは彼を受け入れようかと思う。
外から吹いてきた風を、この土地に埋め込んでいくために。
ここの風土を創り上げていくために。
関連記事
09 08
2010

台風一過。
強い風はなく、ただただ雨、雨、雨。
かなりの土砂降りもあったようだが、
風の被害はほとんどなかった。

台風が来ると解っていたのだが、
実は前日に、大根用の畑の畝立てをしていた。
畝立てのアタッチメントをつけて、畑に向かう途中、
近所の農家のおじいちゃんから
「おい、これから台風来るぞ」
と、からかわれたのだが、それでも畝立てを強行。
台風が過ぎてから確認すると
畝は大丈夫で、なんとかそのまま種まきできそうだった。

祖母が、
「大根は9月10日までに播く」と
昔から口を酸っぱくして言うので
どうやらそれが僕の体にも染みついているようだ。
その日にちの根拠はよくわからない。
ただこの集落では、年寄りはそういう。
だからどうしても一回目の播種は、9月10日までに済まさないと
なんだか気が収まらない。
経験上、9月10日じゃなくても
大根の出荷はそんなに遅れないのだけど。

台風直撃ということだったのだが
僕のむらでは、
大根の畝一つ崩れないような被害状況だったのである。
関連記事
今日、妻と娘が旅行から戻ってくる。
妻の姉家族がワシントンにいて、
8月の下旬から、妻と娘は遊びに行っていた。
しばしの独身気分も今日まで、というわけ。

さて、家族がいないというのは
なかなか面倒なことで、
まず食事が美味しくなくなった。
それは自分の料理の腕が悪いわけじゃない。
自炊はそれなりに出来るし、自分で美味いと思うものも
それなりに作れる。
だから、妻と娘が出かけていようが
とれたての野菜で美味しいものを作って
ワインと一緒に食べようと思って
いろんなものを作ったのだが、
どうも美味しくない。
いや、厳密には美味いのだが
食が進まないし、ワインも飲み残したまま。

まだまだ娘が小さいし
妻は相変わらずプチ単身赴任なので
毎日僕は生活に追われて暮らしているのだが
居なくなれば、居なくなったで
その暮らしそのものが空虚に感じる。

見たいビデオを見て
読みたい本をゆっくり読んで
飲みに行きたかった友人たちの飲みに行って
さんざんしたいことをやったのに
暮らしそのものが空虚に感じる。

野菜を作って、それを自分で調理して食べると言う贅沢も
一緒に喜ぶパートナーがいなければ、
そんなもの贅沢でも何でもない。
「食べる」と言う生理的行動が、生活の中で持つ本当の意味は、
そこにあるんだろうか、と
ぼんやりとだが、一人の食卓で思った。

関連記事
集落の米の初出荷。
農家組合長として、米の倉前検査に立ち会う。
倉庫の扉に張られていた今年の米の価格。
予想通り、昨年よりも下がっていた。
早生のハナエチゼンは1袋(30㎏)で4500円。
コシヒカリは1袋で5000円。
どちらも1等米だった場合である。
戸別補償制度で15,000円もらっているから
その分、安くしても良いだろうという流通業者の都合か
米が豊作で、米あまりしているからなのか
僕みたいな小物にはよくわからない。
ただ、JAの倉庫に張ってある米の買い取り価格は
昨年よりも1000円下がったことだけは、
僕でも解っている。

さて話はすこしずれるが
実はコシヒカリは
福井の農業試験場で生まれたことをご存じだろうか。
だから福井が本場だ、などと言う気はさらさらないのだが、
そう言われると、福井のコシヒカリはさぞうまいのだろう
という錯覚を抱く人もいるかもしれない。
福井のコシヒカリの評価は、「A’」。
北陸の中でも、評価は低く、近隣の県と比べても悪い。
南の方の米と評価は同じなのだ。
米の評価が低くなる要因としては
いろいろと構造上の問題(小面積の兼業農家の多さ等々)や
夏の暑さの変化と田植え時期のずれなど色々とあると思うのだが、
今年から改善しようとしてJA福井市が力を入れている取り組みとして
1.9ミリの網による米選がある。

福井コシヒカリ復活プロジェクトなどと称して、
米を個人で籾摺りする農家の米選機で使う網を
昨年、すべて1.9ミリに交換した。
交換だけでなく、それ以前に使っていた1.85ミリの網の回収も徹底した。
網目を大きくすれば、それだけ欠け米、割れ米、死米、未熟米などが
はじかれて、整粒歩合が良くなるのである。
品質が上がれば、それだけ評価が高くなる。
ただ1.9ミリに交換してくださいという説明会で
ある農家から
「それで米の価格は上がるんか?」
と質問が出たが、
JAからは、明快な回答は得られなかったのを覚えている。
このままでは評価は落ち続ける、と説明されただけだった。

1.9ミリで米選をすれば、
整粒歩合は良くなる。
が同時に、米が目減りする。
1.85ミリや1.8ミリで大丈夫だった米が
1.9ミリでははじき出されてしまうのだ。
でも、それで価格が上がるのなら、問題は無かった。
福井コシヒカリ復活プロジェクトで
価格が上がるのなら、農家は喜んでそれをやるだろう。

だが結果は、昨年よりも1000円のダウンだった。
今年は例年通りだ、と言う人もいれば、豊作だと言う人もいる。
先日JAから説明を受けた作況指数は、
今年は102くらいになるんじゃないか、とのことだったが
(正式には10月15日に決まるのであしからず)
うちの集落の米の出荷を見ていると
102なんてとんでもない。
早生のハナエチゼンで、1反7俵を切る農家も珍しくない状況なのだ。
観測史上最も暑い夏のおかげで、胴割れや乳白も多い。
そこに持ってきて1.9ミリの網目でふれば
くず米が多くなるばかりなのだ。
食料統計調査で使う網目は1.75ミリなので
1.9ミリでくず米になるようなコメも含まれるだろうから
だとすると、あるいは例年通りの作況なのかもしれないが
それは現場の実態からは、ずいぶんとかけ離れた数字でしかない。

勝手に降って湧いた戸別補償制度と
米価格も維持できない福井コシヒカリ復活プロジェクトの
板ばさみの中で、もがくにもがけず
農家は、ただただ安楽死するのを待っているだけなのか。

戸別補償制度と福井コシヒカリ復活プロジェクトは
僕らの希望ではなく、
僕らの墓標なのかもしれない。
そうでないことを、僕は望む。
関連記事
UAS。
Ujian Akhir Semester の略。
「期末試験」という意味のインドネシア語。
地域開発論の授業が終わったので、期末試験を行っている。
行っている、と書いたのは、現在進行中だからである。
試験の課題は、
他の研修生の地域ポテンシャルレポートを読んで
その地域で、農業ビジネスのプランを立てなさいというもの。
そしてそのプランには、必ず社会的企業の要因を入れること。
これが課題。
レポートは先週締め切りで、3人の研修生は何とか期日通りに提出出来た。
そして今週から、一人ずつパワーポイントを使って
プレゼンテーションをしてもらう。
時間は20分。
質問&討論も20分。
試験のクリア条件として、
面白いビジネスプランであること、
そして20分の討論(批判)に自分の論で耐えうること。
今日は、3年生のH君がさっそくプレゼンをしてくれた。

H君が選んだ地域は、1年生のタン君の地域。
平地で、町としてもひらけていて、主要道路沿いの村。
市場へのアクセスも容易で、比較的お金持ちの多い村。
その村で、H君のビジネスプランはこうだった。
まず、1haほどの土地を借りて
その村の近くの市場で優位に販売できる野菜と果樹に焦点を当て
有機肥料で栽培するというもの。
ちょっと平凡なのだが、
現実路線の彼らしい考え方。
野菜栽培では、通年出荷を目指し、
農閑期を作らないような工夫を説明してくれた。
H君がうちの農園に来てから、彼の頭にあったのは
この「通年出荷」だった。
「インドネシアの農家は、出荷を持続させていく考えはなく、たくさん取れれば、一気に出荷するので値が落ちたりします。数量は少なくても、通年で出荷できるようにしたいです」とのことだった。
通年で出荷できれば、商人と通年の契約がとれる。
値段も通年で決められる。
乱高下を続ける相場を見ながら、不安な経営をしなくてもいい。
それが彼の考えだった。
社会的要因はどこにあるんだ?という質問には
有機肥料の普及をあげていた。
畑のそばに、堆肥プラントを作って、有機肥料の販売もしたいという。

2年生のイル君から批判が出る。
「計画はよくわかったけど、Hはその土地ではよそ者だから、土地を借りるのも難しいだろうし、商人とのつながりも作りにくいんじゃないか?」。
H君は、このビジネスプランは、彼がその土地の人間だったら、
という想定で書いたようで、
よそ者だったら難しいかも、と批判に耐えきれなさそうだった。

だが、そのよそ者は、地域開発論でもやったが
とても大事な要素なのだ。
それを忘れちゃいけない。
H君がよそ者ならそれでいい。
土地を借りるのは、H君個人である必要はない。
その土地の人間と一緒にグループを作って土地を借りれば、
そんなに難しくはあるまい。
そして商人とのつながりも、その土地の人間のつながりで
見つけられるに違いない。
ここがポイントなのだが、グループを作ることで
H君の有機肥料の技術と通年出荷の技術、
そしてそこから出てくる市場に対するビジョンを
他のメンバーにも波及できるじゃないか。
そんな馬鹿げたことは、よそ者がいなくちゃ
出来ないことでもあるのだ。

確かに、現実にはうまくいくかどうか解らないような
絵に描いた餅のような計画なのだが、
こういう思案と討論は、おもしろい。

H君は、通年出荷の技術と有機肥料を武器に、
契約栽培を行うビジネスプランを立て、
そしてグループ栽培による技術移転も含めた計画となった。
この授業の期末試験は、合格判定。

来週は2年生のイル君。


関連記事

田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

メールは
taya.tアットマークnifty.com
です。
(アットマークを@に置き換えて送信ください)

プロフィール
08 ≪│2010/09│≫ 10
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -
カレンダー(月別)
カテゴリ
月別アーカイブ
ブロとも申請フォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

メールフォーム

Page Top

Powered by FC2 Blog |

FC2Ad

| Template Design by スタンダード・デザインラボ