セネガル人のイブライ。
昇給を兼ねて、日本語のテストをする。
彼は、母国で小学校2年生で学校教育から脱落させられた。
これはなにも特に珍しい特殊なケースではない。
僕が居たインドネシアでも、今でもある問題の一つ。
セネガルでは、それが一層ひどいのだとか。
初等教育の質の充実は、急務といえよう。

さて、そういう教育しか受けていないので
彼は、あまり文字が得意じゃない。
これまで昇給と称して、彼にテストをしていたのだが
100点満点のテストで、一ケタの点数しか取れていなかった。
レベルをいくら下げても、文法や語彙の問題は
彼にとって別の次元の問題になってしまうようなのだ。

その彼の日本語能力を、正しく判断するにはどうするのが一番なのだろうか。
一所懸命働く彼を正しく評価したい。
そこで、文字はあきらめることにした。
文字は文字で出来るようになってもらわなければ
仕事の指示や注文が書かれている表が読めないから困る。
だが、現時点では、文字での評価は酷なのかもしれない。
そこで、聴解問題だけを選び
その問題をネットでダウンロードして試験をすることにした。

問題は、日本語能力試験の4級程度。
音声が説明している絵を4択で選ぶというもの。
問題数は12問。時間は15分。
真剣に耳を傾け、試験に取り組んでくれたのだが、
途中、何番の問題をやっているのか解らなくなるハプニングもあったが
それは想定内。

結果は、12問中5問正解。
合格点は10問以上正解。
なので、今回も昇給はオジャンというわけ。
それでも、一緒に受けたインドネシアの子よりも点数が良く
それが励みになったのか、
「またやりたい!」とまさかの強い希望の発言。
良く聞けば、出来る。
問題の順番を間違えなければ、出来る。
そんな自信が、彼の中で芽生えたのは事実。
僕のこれまでの経験から、
こういう自信の積み重ねが、
人を変えることも事実。

そんなにやりたいのなら、またやってやろう。
ただ昇給に直結する試験は、規定通り年に2回だけだけど。

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結局、4000本近いオクラは
誰も取ってくれる人はおらず、
僕とセネガル人のイブライの仕事となっている。

他の野菜がしおれそうなお昼時でも
オクラは元気だ。
だから、他の野菜の収穫を終えて、最後のひと踏ん張りで
このオクラをとる。
時に12時の昼休みを過ぎても、この収穫作業は続く。
昨日もそんな日だった。

うだるような暑さの中で、
体をかがめて1つずつオクラを収穫する作業は、
一体、前世に僕はどんな悪いことをしたのだろうか、と
思うほどの修行のような作業で、
セネガル人のイブライでも、根をあげる。
そのイブライが、オクラの修行中・・・ではなく作業中に
突然顔をあげてこういった。
「なぜ、日本はボス、仕事する?セネガルは、ボス、仕事しない。」
とノタマフ。
セネガルにいるフランス人農場経営者のボスは
1日1回圃場を見回るだけで、
あとはパソコンと携帯電話を相手に、クーラーの効いた部屋で
仕事をしているのが普通だという。
だのに、ここじゃ、農場経営者はその労働者よりも働き
暑い中で汗だく泥まみれになっている。
それはボスじゃない、と言うのだ。

なんでだろう?
なんでだろう。
そりゃ、そんだけボスがセネガルを収奪するからだろうけど、
ここだって、びっくりするくらい低水準の給与しか
イブライには払えてない(法律には抵触しないのであしからず)。
もっと払いたくても、
こんなに汗まみれになって働いても
僕にはそのお金が無い。
僕のやり方が下手なんだろうか?
それとも農業なんて所詮そんなもんなのだろうか?
もっとスマートなやり方があるのだろうか?
もっとずるがしこいやり方があるのだろうか?
たとえそれを僕が知っていても
多分、僕はそれをしないだろう。

労働とは、貨幣で等価交換できるものじゃないし、
労働とは、疲労の中にある充実と満足だと思っている。
代替的に、時間によって労働を切り売りするか、
出来上がったものの価値をもって労働の評価にするしか
僕らには、まだその方策を見いだせていないが
だからといって、そんなものを主において
自分の労働を貶めたくもない。

だから今日も僕は
魂を削りながら、仕事をする。
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暑い日が続く。
この暑さで、畑で作業している人は
枯れてしまいそうなほどなのに
そこに生えているものたちは、
この暑さを楽しんでいるかのようにも思える。

暑くなればなるほど、その力を発揮するのは
何も夏野菜の王者・果菜類の野菜たちだけではなく
そのわきに生えてくる雑草もそうである。
カヤツリグサ
タデ
オヒシバ・メヒシバ
スベリヒユ
コニシキソウ
シロザ
etc.
書けばきりがない。
大地から湧き上がるように生え、
暑さの中で、人の力の無さを阿酒笑うかのように
それらは繁茂する。

草との格闘は
今年はすでにあきらめ気分。
転作田で露地野菜を作っているので
どうせ、畑地の草がひどくなっても
田んぼに戻せば、いいんだし。
などと、ずぼらな性格が頭をもたげ
除草もほどほどに、その繁茂する草むらを眺めていたりもする。
・・・のだが、
周りの田んぼが出穂しだすこの時期。
そういった草がカメムシの温床になるので
そんな悠長なことも言っておられず
僕は除草に追われる毎日を迎えるだろう。

農とは草との格闘だ、と
誰が言ったかわからないが、
まさにその通りだ、とこの時期は痛感する。
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ドミニカ共和国に青年海外協力隊として派遣されていた
このブログにもたびたびコメントをくれる
“ベジータ”さんが来福。
忙しい時期だから、今来ると仕事手伝わされるよ、と
来る前に伝えたのだが、
8月から職が決まっているようで、その前に来たいとのことで
農作業を手伝う覚悟で来ていただいた。
一泊二日で来られたのだが、こき使ってしまって
本当に申し訳なかった。

せっかく来られたので、是非、インドネシア研修生に座学を、
と、お願いしたら、快諾してくれ、
活動の最終報告で作ったパワーポイントを使いながら
ドミニカの農業と彼の活動を紹介してもらった。

ドミニカでは協同組合の考え方が農家に浸透していないらしい。
土地の分配や独裁政権の影響なのかどうか解らないのだが、
そういった考え方が希薄だという。
独裁政権時代に、農地すべてが一時国有化され、
その後独裁者の暗殺後に、国民に再分配されたこともあってか
大地主による支配や地主―小作の関係のようなものがほとんどない。
地理的にも共産主義に傾倒し難い状況でもあろうから
土地による農民の闘争なども少なかったのだろうか。
(日本では日農などの闘争があり、僕の集落でも、戦時中までそういう組織に属していた小作はたくさんいたのは余談)

彼の所属していたJICAプロジェクトでは
ドミニカ政府が建てて使用されなくなっていた有機肥料の工場の再建を中心に
農家の協同組合化を図り、
農業技術の向上と有機農業の推進を行っていたようだ。
協同組合の考え方が希薄だったこともあってか
農作物の出荷はすべて相対取り引きで、しかも資金や資材の面でも
中間業者が力を握っているとのことだった。
農家にネゴシエーションをする余地はほとんどなく
中間業者の言い値で、農作物が売買されるとのこと。
このあたりの話はインドネシアでも多い。
協同組合化を進めるメリットとして
中間業者とのネゴシエーション強化があったようである。
有機肥料を中心とした農業技術の強化と
協同組合化による交渉力とブランド力の強化。
彼の話からは、そんなプロジェクトの姿が見えてきた。

その中で、ベジータさんは
天敵利用による農業技術の確立に奮戦していたようだ。
自ら顕微鏡をのぞき、天敵を特定し、それをデータ化していた。
最終的にそれを1冊にまとめ、
ドミニカでは初めて体系的に書かれた天敵のデータ集を作り上げた。
これは是非、ドミニカで出版されることを祈りたい。

そのデータ集を見せてもらったのだが
豊富な写真に目がひかれる。
すべてオリジナルの写真で、
どの天敵研究機関でも特定できていない虫2種も含まれていた。
もし新種であれば、ものすごい発見だ。

そのデータ集には、ドミニカでポピュラーな農薬の一覧表もついていて
どの農薬が天敵に影響があるかどうかが示されていた。
こうしたデータは、途上国やインドネシアでもほとんどなく
また日本でもまだまだ少ないので、とても貴重な研究だったといえよう。
彼の地道な活動がこうした知識として形を得、
今後、協同組合の枠の中でこうした知識が共有されることを
心から願いたい。

僕がここで生態系利用の農業をやっていて思うのだが
個人と環境とがつながったとしても、
それは実現がとても難しい農業の形だと思う事がある。
仲間との情報共有だけでなく、
有効な土着天敵の発見・維持やそれの交換・繁殖まで含めて
ある程度の面積と仲間が必要だと感じることが多い。
もしドミニカで推し進められている協同組合の中で
ベジータさんのデータをもとに
土着の天敵をリレー的に農家間で利用できれば
こんな素晴らしいことはないだろう。

ベジータさんの貴重な講義を受け、
インドネシアの研修生たちは、来週にもレポートをまとめてくる予定。
その中で、座学の中では時間切れになって
十分に議論できなかった点を質問として書くようにも言ってある。
彼らが何に感動して、何を質問してくるかが楽しみであると同時に
今度はメールという形になるが
もうしばらく、ベジータさんと楽しい議論が出来そうで
楽しみである。
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どういう農業をしていくかは、
明確なビジョンがないまま
走りながら考えている状況だが、
就農した時から言えることは、
家族経営だけでやっていくつもりは全くなかったということ。
外から人をどんどん入れて、
それを受け止めていける場をここに作る。
そういう信念だけは持って、これまでやって来た。

ただ中小企業の悲しい性、
少人数がゆえに、一人でも欠けると、
途端に農園の仕事が回らなくなる。
雇用に頼っているので、各自の家の事情によって
様々なことがおきてくる。

先週、
長年勤めてくれた近所のおばちゃんの一人が
家庭の事情で、辞めることになった。
とても残念だったのだが、
これはどうしようもない。

先週から、夏野菜のメインであるオクラの収穫が始まっていた。
周りからも呆れられるほど、今年はオクラを定植したのだ。
その数は約4000本。
オクラ農家なら、なんてことない量だろうけど
20品目ほど管理・出荷している今、僕の農園で
4000本のオクラを誰が一体収穫する暇があるのか
僕でも良くわからない状況になっている。

今年の春から、2名のルーキーが農園に来ている。
一人は日本人で、新規就農を夢見る、とても良い奴。
もう一人は、インドネシアの研修生。
インドネシアでは珍しく長身で、運動神経も良く
頭もすこぶる良い。
この二人が加わるので、その分の給与をひねり出すためにも
作目を増やしたり、それぞれの量も増やしたのだが
ここに来て、それが裏目に出た感はある。

今月から急きょ、県立大学生を一人、
休日のバイトとして雇ったのだが、(とても良い子なのだが)
それだけでは、とても手が足りない・・・。

そこで、先週から再び
求人募集を始めることにした。
手始めに、青年海外協力隊の帰国隊員への求人票を提出。
他にもあちこちに募集をかけようかと思っている。

ピンチな時こそ、チャンスはある。
長年勤めてくれたおばちゃんの代わりを雇うのではなく、
この辺りで、うちの農園を一緒に切り盛りしてくれる
“幹部候補”を募集しようと思う。
そうそう見つかるものでもないだろうけど、
長い目で見て、一緒にやっていける人を受け入れたい。
ただ、目の前で、確実にこなせいない量の仕事があるのも現実。
今年は例年以上に厳しい夏になりそうだ。

ブログを見てくれている方の中で
我こそは!と志のある方、ご連絡くださいませ。
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P7130047.jpg

僕は、この光景を決して忘れはしない。
この話を記録しようかどうか随分と悩んだが
これは僕の反省でもあるので、
書き記すことにした。


日本は、米が作りたくても作れない国である。
米価維持のために、国家が主導で
減反政策を推し進めているからである。
だからといって、米農家がそれで食っていけるわけでもなく
じりじりと米価は下がり続けている現実がある。

そしてその減反政策は、
国家と個人が直接結びついて行うわけではなく、
間に「ムラ」が入り(地域も入り)調整している。
その「ムラ」の一つが、農家組合。

7月のある雨の日。
農家組合の役員会があった。
様々な議題があったが、
その中の一つに、「減反違反について」があった。
6月上旬に行われた減反の検査は、集落全体では問題なかった。
うちの村は減反を達成できていた。
だから、とりたてて減反違反者を
問題として取り上げる必要もなかったのかもしれないが
僕は、そのままに出来ず、
この日、役員会にかけた。

議論のプロセスは、今は明らかにはできないが
様々な情報と役員以外の意見とをトータルして
結果的に、違反者の中でも
目に見えて大きく違反している方に
その是正をお願いに行くことになった。
集落では減反は達成できているので
「来年は守ってください」という意味でのお願いだった。

農家組合長に一体どんな権限があるのかもよくわからず
僕は無邪気にお願いに行ったのだが、
それから1週間後、その農家が家まで訪ねてきて
「もううまいことしたから、これで勘弁願います」
と言いに来た。
何の事だか分らなかったのだが、
その人の説明では、
違反した減反面積分の稲をすべて
青刈りしたというのである。

減反の検査は、集落ではOKを頂いており
その人が、その米を作ろうがどうしようが
政策的には問題が無い。
ただ、むらの中でフリーライダーを
許すようなことはしたくなかったので
来年の違反は許しませんよ、と
釘をさしに行っただけだったのだが
結果として、「農家組合長」によって
その田んぼは、青刈りされたことになった。

僕が考えている以上に、
村の中では、農家組合長の権限は大きいようだ。
そして「ムラ」の存在も思っている以上に
各自に大きな存在として内面化されているのを感じた。
僕が強権を発動して、無理やりその人の田んぼを
青いまま刈ってまわったわけではないが
各自に内面化された農家組合長とムラの権力で
その田んぼは刈られたのである。

僕が農家組合長になった時に
いろんな年寄りの農家から、
「誰々の時はやりすぎやった」とか
「誰々はひどかった」と
昔の農家組合長の話を聞かされた。
それは暗に、おまえはそんなやりすぎることはないよな、と
釘を刺されているようだった。
そんなへまはしない、と自分でも思っていたし
ここまで農家組合長として
1俵でも多く、集落で米が作れるようにと
あれこれ自分なりに努力してきたわけではあるが
僕は結果として、強権を発動して
ムラとしては、作ってもらっては困る米ではあったが
政策としては問題ない米を青刈りさせ
農家の所得を減らしてしまったのである。

その数日後、
僕は、恐々とその田んぼを見に行った。
誰かに見られるのを恐れながら、
まるで盗み見するかのように。

僕はあの田んぼの光景を決して忘れはしないだろう。
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P7120013.jpg

妻が出してくれたそうめん。
だし汁に金時草をいれて
素早く冷やしたら、こんなにきれいな色が出たとか。

以前、知り合いのシェフが
金時草は悩む、と言っていたが
やはりこの色を活かすような調理が良いんだろうな。

今、金時草は旬。
赤紫の色も良く、美味い。
見かけたら、買ってね。
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もらいもののブルーベリーと
うちで採れたアイコトマト。
そして、フルーツホオズキ。
それをただ器に盛っただけなんだけど、
色どりがきれいで、面白い。

緑のトマトも採れ始めたので、
それも入れたら、もっと面白いかも。
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今年は天候不順。
いろんな野菜が失敗する中、
すべてが失敗するわけでもない。
悪い品目もあれば、良い品目もある。
だから農業は面白い。

さて、良い品目はこれ。


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宝石のような輝き。
今年の吉川なす。
天候不順であったにもかかわらず
ここ4年で1番の出来。
栽培のコツもようやくつかんだように思う。
出来もそうなのだが、
もうひとつ大きな成果が
農薬に関して。
今年はまだ一度も化学合成の殺虫剤を使用していない。
皆殺しの殺虫剤を一度も使わなくても
こうした良質のナスが採れるということが
知識としてだけでなく、実体験できたことが大きい。

どこまでいけるのかわからないが
この良品質を保ちながら、皆殺し系殺虫剤に頼らない
農業ができれば
素敵だと思う。
関連記事
草刈り違反のその後。
(前回のエントリーはこちら

あれから、なんとか草刈りをしていない家の息子に会い
草刈りをしてくれないかと、お願いした。
春のJA青年部での江堀でも、
草刈りの問題を息子に伝えてもいたからなのか
すんなりと了承してくれた。
会社勤めではあるが、体が悪い父に代わって
田植えや稲刈りをこなすこの青年。
「土曜日にはやります」
と答えてくれた。

はたして、その土曜日。
草刈りは行われるのかどうか気になっていたが、
夕方に
「草刈り、終わりました。遅れてすみませんでした。」
と電話があった。
その日、その光景を見ていた村の年寄りから
「父ちゃんと息子2人で田んぼに出て、体の悪い父ちゃんが畔に座って息子が草を刈るのを眺めていた」
と教えてくれた。
罰金を取るかどうか、
それを下請けするシステムを作るかどうか、
などという議論は、その光景の前では
やはり陳腐としか言いようがない。

農家組合の年寄役の人に草刈りが終わったことを伝えると、
「それが一番いい形や。それでいい。」
と言っていた。

ムラは、イエが集まってできている。
農の営みの形は、大きく変化してしまったが、
イエは、それぞれが田んぼや農地を受け継いで
そして農の営みも受け継いでいく。
たとえそれが兼業だろうが週末農業だろうがだ。

今回の件から見えてきたことは、
個人がムラと繋がっているわけでもなく
個人の集まりがムラでもない、ということ。
農の営みを受け継いでいくイエの集まりがムラだということ。
だとすれば、
用水路や農地を公共財だなんて言って、
一足飛びに議論を昇華させて
だからこそ地域で受け継いでいくべきだ的な論調で持続維持させていく、
いわゆる合理的で論理的なこれらの考え方と、
(まさにこれぞ越境してくる近代性の何者でもない)
ムラの仕法とは相いれないことが多いことが分かる。
罰金は決めても、決してとらない。
それぞれのイエが持続する形を、それぞれに合わせて模索する。
それがムラなんだろうか。

複雑な血縁と
認識された歴史と
抜き差しならない農地という地縁で結ばれているムラは
街のコミュニティとはやはり違う気がする。
その境目がどこにあるのかは解らないが、
少なくとも、
ここにはまだ
「ムラ」は生きている。
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07 08
2010

最近、いろんなものの栽培が安定しない。

ここ数年失敗がなかった根セロリは、
今年はほぼ全滅。
栽培が10年目に入り
失敗が無いようにも思えるはずのベビーリーフも不安定。
その反面、
注文量よりも大量に出来てしまった金時草は
廃棄の危機。
露地のセロリも、暑さのため廃棄が続く(一部は出荷)。
吉川ナスも出荷数量はそれなりに安定しているが
ハウス栽培のものに病気が出始めていて、
すでに10株程度廃棄している。
それでも病気はまだまだ止まらない様子。

この時期は本当に難しい。
天気が安定して、完全に夏型になれば、
夏野菜に完全に切り替えて、それらの栽培も安定してくるのだけども。
ホオズキと露地のナス、オクラは順調。
それがせめてもの救いか。

そういえば、今日、蝉が今年初めて鳴いた。
待ち遠しい夏は、もうすぐなのか。
関連記事
土曜日は雨降りにもかかわらず
農家組合で用水路と畔の草刈り検査。
6月上旬に、組合員に用水路の泥上げと
その畔の草刈りをお願いしていた。
公共財である用水路の排水機能の維持と
カメムシなどの害虫防除などがその主な理由。

その通知を受けて、
検査日までに、組合員は
各々の田んぼの排水路と畔の草むしりをすることになっている。
そして、この前の土曜日にその検査だったというわけ。

おおむね、草刈りや泥上げは行われていたが
それでも、なかにはやらない家もある。
そういう家にはどうするのか。
組合の決まりで、草刈りをするよう勧告をするが、
それでもやらない場合、罰金が科せられる。
用水路1メートルにつき500円という罰金。

実は、この罰金、
決められてはいるが、これまで徴収されたことが無い。
ということは、勧告すれば、
そういう家は皆草むしりをしているのかといえば
そういうことはない。
勧告はすれども、大抵泥上げと草むしりをしない家は
そんな勧告などどこ吹く風なのだ。
そう、罰金とは名ばかりで、今まで徴収したことが無いのである。

なぜ罰金が徴収できないのか。
理由はいろいろとある。
罰金をもらいに行っても、払ってくれない。
罰金をとると、あいつは傲慢だ、と陰口を叩かれる。
その家との関係が悪化する。
Etc.
地縁という環境に成り立っている村に居る限り
そういう悪いうわさや関係の悪化は出来るだけ避けたい。
でも、罰金が名ばかりで機能しなければ
草むしりや泥上げをしないフリーライダーが得をする社会になってしまう。
それだけは何としても避けないといけない。
フリーライダーは損をする。
そんな社会、そんな村でなければいけない。

今回の検査でも、
これまで草むしりにほとんどしたがってくれなかった家が
やはり今年も草むしりも泥上げもしていない状況だった。
役員で話し合い、どうするかを検討したが
勧告を出すことでは一致したものの
罰金の徴収では意見が分かれた。
1m500円ということは、3反田んぼで15000円の罰金になる。
そんな田んぼを4枚ほど持っていれば(平均としてそんなもの)
罰金は6万円にもなってしまう。
それじゃ、高すぎる、というのが罰金の反対意見。

僕の意見は、罰金をやめることだった。
罰金なんてネガティブな言葉を使うから、
角が立つのであって、
「除草・江堀協力金」という名前を付けて
1枚の田んぼにつき、5000円で請け負えば良い。
農家組合が請け負い、それを村の青年部に下請けしてもらえば
青年部で江堀と草むしりをして、その金でまた
定番であるとんちゃん(ホルモン)の焼肉でもして
その日に飲んで食って、使い切ってしまえば
だれも文句はないんじゃないだろうか。
青年部の活動自体も、3月の江堀と1月の新年会だけになっていて
さみしかったところでもあるので、夏場に
高齢化して大変な家の田んぼの草刈りと江堀を安く請け負って
それで1杯飲む。
そんなストーリーを考えていた。
罰金の云々は総会で決めないといけないらしいので
この案は、総会までにまた話し合うことになった。
ただ、年寄役の人は、この案にあまり賛同的ではなかった。

とりあえず今年は、そのやらない家の家主ではなく
その息子に連絡を取って、
そちらに直接草刈りの指導をした方が良いだろう、となった。
僕からはそんなに年の離れていないその息子に
昔の馴染みを活かして、草刈り・江堀をするように
それとなく勧告する、と言うことになったのである。

決まりで罰金は作ったものの
杓子定規で、罰金は取らない。
なんとかやっていける方法を、各家各家の事情を鑑みて
その結論を出していく。
それが村の仕法のようである。
地縁の中で暮らすということと、
今回の決定のプロセスに「村」を感じた。
それらに比べたら、
僕のアイディアは、なんと陳腐なんだろう。
関連記事
金曜日は半夏生だった。
この辺では、それを「はぎっしょ」と言う。
暦のうんちくは良くわからないが
うちの祖父祖母の昔話では、半夏生までに田植えを済ませ
この半夏生の時に、田植えの手間貸しの一部を
現金で受け取ったらしい。
だから、小作の家にとっては祭りのような1日だった。

僕が生まれたころには、すでに僕の家は小作ではなかった。
だから、この日に手間貸しの一部を現金で受け取ったり
祭りのような一日は見たことはなかったが、
その名残だけはあった。
それは安倍川もち。
半夏生になると、安倍川もちを作って
近所・親戚に配ったりとか、もらったりした。
(詳しくは以前書いた二つのエントリーを参照のこと。安倍川餅から焼き鯖半夏生つづき

それが最近は、ちょっと様子が違う。
半夏生というと焼きサバになってしまったのである。
なんでも大野のお殿様が、暑い夏を乗り切るために
半夏生の日に、民に焼きサバを食べることを奨励したらしい。
それは、その話で良いと思う。
そういうこともあるだろう。
だが、大野のお殿様の時代からすでに数百年とたっている今
降って湧いたように、半夏生に焼きサバを食べる習慣が
最近、僕の界隈では見かけるようになった。

実は、この焼きサバの習慣は、僕が協力隊から帰ってきて
農業をするまでは知らなかった。
農作業をしながら聞くラジオで連呼されるので
そんなものもあるのか、と思うだけだったのだが
それが最近はすっかり定着してしまい、
我が家まで、半夏生に焼きサバを食べている始末。

僕は焼きサバが好きなので、別段、不服はないのだが
半夏生になり、スーパーの焼き魚コーナーでは
山積みになった焼きサバが置かれ、
ローカルなメディアでは、そればかりを連呼する。
僕らの意識は、すでに農の循環的な生活サイクルから離れてしまい
半夏生まで田植えをする連中なんていない。
その頃に田植えをしているのは、
減反の検査後に違反して田植えしている連中くらいなものだ。
農地が解放され、機械化が進み、手間貸しの関係と必要性が無くなり
より自由なり、より解体された農村に住み
農業は目に入ってくる
特に意識しない風景の一部になってしまっている
現代の人々にとっては、半夏生といっても
それと農作業とが一致することはない。

小作が手間貸しの一部を現金で受け取る大事な日だった半夏生は
今では、大野のお殿様の民に対する夏バテ防止策の話の方が
今の社会では、受け入れやすいものなのだろう。

なんとなくローカルに見える中にも、
平準化の流れはいくらでもある。
農に関心が高い昨今、大野のお殿様の話は
なんとなく農業に関係しているようにも見えるので
それも受け入れられるのかもしれない。
何百年も前にやっていたこと(亡霊)が、
トレビア的な知識として復活し
それが、民衆知を脅かす。
僕らが耳を貸さなければいけないのは、そんなものではなく
もっと身近で、もっと目の前にある生活史ではないのだろうか。

乖離してしまった農の生活に想いを馳せることが愚かだと言うのなら
数百年前に言ったとされるお殿様の話に乗っかることもまた
同じことではないだろうか。

目を向ける先を間違っている。
そう思いながら、好物の焼きサバを突っついていた。
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名称未設定-1

セネガル人のイブライも
「このナス、皮が軟らかくて美味しい」
と大絶賛。

それは吉川なす。
宝石のように美しい色とつやで
今年は昨年よりも上手に作れたと思う。
整枝に少々工夫が必要で、試験栽培期間もいれて
4年目でなんとか自分でも納得いくものができた。

料理屋などを抱えている業者に販売予定。
福井市内のレストランで吉川なすを見たら
それはもしかしたら
僕が栽培したものかも。

スーパーでも売って
一般家庭でもどんどん食べてもらいたいけど、
どうしても値段が高くなってしまうので
どうするかは、今年も検討中。

春に販売した吉川なすの苗を購入した方は
もう吉川なすは食べられていますか?
これ読んだら、ご一報ください。
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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

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