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初物。
吉川なす、と、妙金なす。
どちらも福井の伝統なす。
どちらがうまいのか、田楽で食べ比べをしてみた。
ちょっと贅沢な対決。

妙金なすは小なすで、漬物などに合うということだったので
田楽という食べ方が、合っていなかったこともあったのだが
軍配は圧倒的に吉川なすの勝ち。
とろけるような皮としまった実。
やはりこのナスはただものじゃない。

このままじゃ、妙金なすには不利なので
今度は漬物で試してみることにしよう。

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娘を保育園まで迎えに行ったその帰り道。
娘が車の中でこんなことをつぶやいていた。
「あ~あ、クワガタムシやカブトムシが捕まえられたらなぁ」と。
ほほう、娘はそれを所望か。
それならば、パパは捕まえるのが得意だよ、
昔、たくさん捕まえたことがあるよ、
と娘に話すと、とても喜んで
「えっ!パパ、捕まえられるの!すごいねぇ!!」
「じゃぁ、さっそく捕まえて!」
というので、
得意になり、今年の夏に捕まえてやろう、と約束をした。
が、
それも、その後の娘のつぶやきで
気が変わった。

娘は
「○ちゃん(娘のお気に入りの男の子の友達の名)、欲しがっていたから、クワガタムシとカブトムシあげられるから良かった」
と言うではないか。
よくよく聞いたら、娘は
クワガタムシもカブトムシもどうでも良いらしい。
その男の子が欲しがっていたから、捕まえてほしかったのだとか。

その話を妻にすると、
「もうそんな年なのねぇ~。パパはそろそろ心の準備が必要ね」
とノタマフ。
心の準備って!???何!???
娘はまだ4歳なのに!?

世の中の娘を持つお父さんたちは
こんなにも切なくはかない存在なのだろうか。
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区の本盛の日。
と書いても、解らない人も多いか。
町内会の会費を役員で計算し確定する日。
ここらでは、町内会を区と呼び
会費を盛という。

今年、農家組合長を仰せつかっている僕は
自動的に町内会の役員もすることになっている。
今日はその町内会で、上半期の会費をいくらにするかを
役員で計算し、チェックする日だった。
1週間ほど前にすでに会長などの数名の役員で
町内会費(盛)をいくらにするかは
決まっており、
僕のような末席に居る役員は、今日はその確認をするだけ。

読み上げられた会の収入に
毎年0円なのに項目があるものがある。
それは
「石の金」。

川の近くの村なので
かつては区の土地で採石でもして、
その収入かと思われるかもしれないが
そうじゃないらしい。
これは他所からこの村に入って来た人が
区に対して「よろしくお願いします」といって
もってくるお金だとか。
昔は、村のメインストリートは石畳だった。
その石を踏ませてもらいます、
これからは村の道の石を踏むのでご迷惑をおかけします、
という意味で、
他所から嫁に来たり、婿に来たり、
はたまた家族ごと引っ越してきた人が
区に対して僅かばかりではあるが
心配りを持ってきたのが
「石の金」。

つまりは、村の敷石は
昔はその村で補修していたということなのだろう。
だからこそ、その迷惑料で石の金があったのだろう。
それがアスファルトに変わり
行政が管理するようになり
区は、その補修や工事を行政に
陳情するだけになってしまった。
慣例と自治への変化をこの石の金から
ほんの少しだが垣間見ることができた。

石の金。
最近は、これを持ってくる人はほとんどいないのだが
この項目自体を削ってしまうのも如何なものか、ということで
そのまま残っている項目。

そんな面白い項目が残っているのなら、
僕らが新築を建てて
この村に住居を構えた時に持っていけばよかった。
と本盛をしながら、少し悔やんだ。

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安田 弘法・城所 隆・田中 幸一 編 「生物間相互作用と害虫管理」2009年.京都大学学術出版会.

本書は、作物を中心として、そこも寄ってくる害虫や天敵、果てにはただの虫や微生物などの相互作用を読み解き、天敵による害虫防除という狭い範囲だけをフォーカスするのではなく、よりダイナミックな生物間での相互作用を紹介している本。
天敵による害虫防除に特化した本はこれまでも多数あった。しかし本書では、ある意味、総合的に教科書的に天敵による害虫防除については紹介していないものの、これまで生物の相互作用を狭義的に利用した天敵と害虫と言う関係だけでなく、本当に我々の視点を照射しなければいけないのは、そこに広がっている生物間の相互的な作用によって生み出されている、いわゆる「網」であることを思い知らされる本。
本書の構成は、3つにわかれている。第1部では、昆虫・菌・ミクロな生物そして植物間の相互作用がミクロな視点で論じられている。捕食者である天敵であっても、お互いに食べ合う関係であったり、アブラムシを守る蟻の存在が、反対にアブラバチにとっては他の捕食者から身を守りながらアブラムシを捕食できる存在であることを説明している。それは天敵や非捕食者、またはただの虫にみえるような生物はすべてはそれらのカテゴリの中でそれぞれの役割を持っているわけではなく、それぞれの作用と関係の中で、それぞれの役割がダイナミックに変化していくことを説明している。腐食との関係で生物相の関係性の変化などは、防除というカテゴリにおいて有機質肥料の新たな展開になるようにも思う。またある種の天敵においても、そのグループがそれまでどのような経験を積んだかによって、その能力の違いや嗜好の違いがあることを第5章で紹介している。これは種がおなじであれば、その昆虫の特性が全て同じだと思っていた私にとって、かなりショッキングな内容だった。
第2部では、実際に総合防除を行っている現場の事例紹介。土着天敵の利用や、雑草も含むインセクタリープラントの紹介もあり興味深い。様々な植物の花粉や花蜜が天敵の寿命や産卵能力を向上させてくれるという実践的な報告もあり、作物の栽培だけでなくこうした雑草の管理やコンパニオンプランツの導入の重要性も示唆している。
第3部では、マクロな視点で田んぼ1枚・畑1枚での総合管理ではなく、ランドスケープ的な視点で、地域の生態系全体を考えていくことの重要性を示唆している。最終章を書いている桐谷氏のIBMの論には刮目に値する(IBM論を詳しく知りたい人は同氏の「ただの虫を無視しない農業」を参照のこと)。
ミクロからマクロまで、生物間の相互作用を横断的に見ていくことで、実は天敵―害虫といった関係や、また種によってその役割や機能が一定的であると見ていた機能主義的機械論的な視点だったことに気づかされる。この新たなパラダイムは、生物間の相互作用を網として捉え、防除という範囲では到底捉えられるものではないことを表している。そしてそれは新たな視点をもって臨むことを我々に強いてくる。その心地よい脅威と驚きと感動が、農業というダイナミックな作用の中でこれまでも育まれてきた本当の関係を我々に気がつかせてくれるだろう。私たち農民は、パラダイムが換わったことを、本書を持って知るべきである。



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黄色ランプ

夜の圃場に黄色く浮かび上がる光。
妻は
「なんだか幻想的ねぇ」
とうっとりして言うのだが、
近所のおばちゃんは
「夜中トイレに起きたら、黄色い光が見えて気持ち悪かった」
とおばけか未知との遭遇のように言われる光。

黄色ランプを吉川なすの圃場で使用している。
目的は、害虫となる蛾の行動抑制のため。
この辺りでは、ハスモンヨトウやオオタバコガ、イチモンジハマダラメイガなど
難防除の害虫が多い。
なかでもオオタバコガは、ナスの実を食害するので
これの防除が大切になる。

いろんな化学合成農薬をしようして防除してもいいのだが
最近、その薬剤に対する抵抗性も見られ、
またハウス内で使用している天敵農薬にも悪影響があり、
今年は、このハウス内では
化学合成農薬いわゆる皆殺し系の農薬は一切使わないことにした。
圃場内の生態系保持にも気をつけ
様々な仕掛けをして、防除を試みることに。
この光は、その仕掛けの一つ。

化学合成農薬だけに頼らない防除。
それは作物を中心とした栽培環境のトータルなマネージメント(ICM)を目指して。
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丸ズッキーニのつめもの

昨年までは、丸ズッキーニは要らないと言っていた妻。
普通の長いズッキーニの代わりだと思って
調理すると、長いズッキーニ比べて
この丸いやつは水分が多く、あまりうまくいかないのが
その理由だった。

それが、
これはどうも普通のズッキーニとして考えちゃいけない、
と思うようになり
器として、なかに何かを詰める料理として考えるようになってから
その特徴と旨みを引き出すことが
できたようである。

写真は砂肝を軽く挽いて、セロリと一緒に炒めたものを
丸ズッキーニに詰めて、
とろけるチーズを乗せてグリルしたもの。

ズッキーニが具の味を受け止めて
見た目にも美味しい一品ができた。
食感もすこぶる良い。

丸ズッキーニの可能性は
普通のズッキーニの代わりではなく、
それにはできない器としてみることで
無限に広がっているように見える。
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フェンネルが今、美味しい。
出荷は思ったほど伸びないのだが
食べると、とてもうまい。

妻が作ってくれるレシピは
とても簡単で美味い。
フェンネルの株を切り分け
それを生ハムでくるんでグリルする。
仕上げにパルメザンチーズを振りかけて
軽く焼いたら出来上がり。
他に味付けは何もない。
これだけで、ワインが何杯でもすすむつまみになる。

フェンネルの清涼感ある風味を楽しみつつ
生ハムの塩加減とパルメザンチーズが
フェンネルの持つ独特の甘さを引き出してくれる。
みんなもこんな食べ方をすればいいのに。
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露地の畑に植えたフルーツホオズキ。
今年はどの畑でもアブラムシの発生が多くて
フルーツホオズキの畑でも、それは例外ではない。
白のマルチが、アブラムシのススで
黒く汚れるほど、発生しているのが解る。
こうなる前に、これまでは防除してきた。
単に忙しすぎて、手が回らなかったのでは?
と言われれば、身も蓋もないのだが
あえて防除せず、観察を続けてきた。

その結果・・・
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葉の裏に金色に輝くアブラムシのようなものは
寄生蜂に寄生されたアブラムシのマミー。
この畑には、購入した天敵を放ってはいない。
土着の天敵昆虫が勝手にやってきて
勝手にアブラムシに寄生し
勝手に駆除してくれている。
アブラムシもまだまだ発生しているが
天敵昆虫の密度が、すでに
アブラムシの発生スピードを抑えるほどなので
ここの畑のアブラムシ防除は
化学合成農薬による防除を必要としない。

天敵昆虫が増えるような仕掛けは
ほんの少しだが、この畑にしてある。
野菜の苗を定植する前に
雑草のコントロールと合わせて
麦のマルチをしたり、ソルゴーを播いたりして
天敵の住みかを作って来た。

全体からみれば、そんな仕掛けは
限定的で、あまり効果はないのかもしれない。
いつもならば、農薬を散布するタイミングだったのだが
周りの植生に天敵の存在を確認できたので
散布をぐっと我慢して、観察を続けてきた。
アブラバチ以外に
ヒメハナカメムシ
ヒラタアブ
テントウ虫(成虫・幼虫)
そしてカゲロウの成虫を観察できた。

自然というやつは良くできている。
耕起をし、マルチをして、特定の種だけを栽培するといった
畑づくりをしても、
それを包み込むように自然はすべてを覆ってくれる。
そんな感覚だ。
農耕という、その撹乱が
ある一定の範囲を飛び出しさえしなければ
こうして自然は包み込んでくれる。

同じように
ハウス施設の中でも観察を続けているが
そちらは意図的に天敵昆虫を放ち続けても
その効果は、限定的となっている。
露地の畑以上に天敵の住処や餌を提供しているにもかかわらず。
一つには、ハウス内の温度が、天敵にとって高すぎるのだろう。
たったそれだけなのだが
露地のようなファンタスティックな働きは
ハウスでは見られない。
人為的な囲い込みが
ある一定の撹乱を飛び出してしまっているということなんだろうか。

人間の感覚では
到底
そこまでは解らない。

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煙突とスズメのその後。
一大決心で、スズメを取り出した後、
煙突はストーブにつなげず、外したままにし、
そこにビニール袋をかぶせて、上から落ちてくるスズメを
キャッチできるようにした。

これをしてから、スズメの捕獲率が格段に上がったような気がする。
すでに3羽のスズメと巣を捕獲し、
さらにこれを書いている現在も
1羽のスズメがビニール袋の中で暴れている状態。

妻は、
「これがスズメ捕獲機だったら、とても高性能で効率よく捕獲する機械ね」
と皮肉をこめてつぶやいている。
僕も長く伸びた煙突が、そういう風に見えてきた。

スズメが巣作りを終える季節まで、
毎日、この煙突は効率よくスズメを捕獲し続けるだろう。
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今日の座学は、H君の卒業研究のゼミ。
H君が読んだ日本語の農業雑誌の記事を
発表してもらい、議論をする。
今回のお題は、未熟・中熟・完熟の堆肥について。

インドネシアで農業指導をしていて感じたことの一つに
堆肥は必ず完熟じゃないといけない、と
農家だけでなく現地の県の普及員も
そう考えていたわりに
良質の完熟堆肥の製造はままならず
使用法の間違いから、堆肥の悪い面ばかりが現場で出てしまい
堆肥=まゆつば物、と思われていたこと。

みんながみんなそうではなかったが
どういう堆肥を作って、どういう目的で土に投入するかが
はっきりしていなかったことが一番の問題。

H君やイル君・タン君も同じような考え方で
なんでもいいから堆肥を作って
土に入れれば、それで良くなると考えていた。
それは堆肥を否定した僕のかつての任地の農民と
実はあまり変わらない視点。
有機質肥料をふんだんに使う僕の農園で研修している3人は
否が応でも、有機質肥料の有効性を目の当たりにする。
だから、彼らは有機肥料が良いと思い込む。
僕がいた任地では、化成肥料の実用性は経験上もっとも効果的だった。
そして熟度と土壌条件を無視して、
さらに使用法を間違って、使用された堆肥に対し
良い印象で、「あまり効果が無い」と思われ
最悪の場合、「あれを使うと作物が枯れる」とまで思われていた。

しかし、肥料という存在は、植物中心に有機か無機か(有機肥料か化成肥料か)の
しかも断片的でトータルでない至極情報不足の中で
得られている経験からくる二分論ではない。
肥料の熟度と投入する土の状態、そして農の作付けサイクルという流れ、
それらの情報をトータルした中で、
農民が自らその使用を決定することなのである。

今回のゼミは、その意味でとても有意義だった。
H君が発表してくれたのは、堆肥の熟度とその使用法。
情報源は、例のごとく、「現代農業」と言う雑誌。
堆肥の熟度を未熟・中熟・完熟に分けて説明してくれた。
よく思い違いされるのだが、窒素成分が一番多いのは、未熟のもの。
そして完熟のものが、一番少ない。
有機物を分解する菌の数量は、中熟が一番多くて
未熟と完熟のものは少ない。
だから、これらを使用する場合
未熟と中熟の堆肥は、浅く施肥し、
土の中で分解させるイメージで使用する。
未熟のものは投入から1カ月以上は畑を休ませ、
中熟のものは3週間から1カ月は休ませる。
その反対に完熟のものは、深く耕して入れることができ
すぐにでも作付けが可能で
追肥としても使用可能なのだ。
完熟の堆肥は肥料成分は少ないが
多投できるので、ゆっくり長く肥効が得られるので
なかなかのすぐれもの。
土壌条件にもよるが、僕の経験上、
中熟と完熟の間くらいを入れるのが
菌の量と肥料成分を考える上では、良いのかな、と思う。

土が疲弊している場合は
完熟よりも未熟に近いものを浅く入れて
土を休ませながら、土の中の菌を増やす。
安定した土壌なら、完熟のものを深く入れて
長くゆっくりと肥料の効果を得られるような土を維持していく。

H君の発表を受けて
ほかの2名も、
堆肥は必ず完熟しか使えないと思っていた、や
堆肥は完熟であればあるほど肥料成分が多いと思っていた、と
これまでのステレオタイプが、少しは払しょくできたようだ。

肥料の使い方を見ていけば、
肥料とは何か、肥えた土とは何か、が見えてくる。
研修生3人は、それぞれに何か感じ取っている風であった。
その感じ取ったものが、それぞれを「考える農民」へと導いてくれると
僕は信じたい。
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この時期、
スズメはせっせと巣作りをする。
それは良いのだが、うちの薪ストーブの煙突のトップに
巣作りをされるのは少し迷惑。
煙突が詰まるからというわけではない。
まぁ、それもあるが、一番困るのは、
スズメが巣ごとストーブに落ちてくることである。

昨年も新築の家に入った当初、
多くのスズメがストーブの中に落ちてきた。
多い日で5羽ほど。
それも7月に入れば、ぴたりと止まった。

今年も5月に入って、ストーブをつけなくなるとすぐに
スズメたちは煙突に巣を作り始めた。
作っては、煙突の中に落ち、
それをストーブ本体からとりだしていた。
初めのうちは、生きているスズメは逃がしていたのだが、
余りの憎々しさと、
害鳥駆除のトレーニングとして
うちの圃場で飼っている猫に与えるようにしている
のは余談。

6月に入ると、その頻度は多くなった。
頻繁に煙突の中でバサバサ騒ぐ音が聞こえるようになったのである。
煙突のどこかで引っかかっているようで、
ストーブ本体を開け放っておいても、出てこない。
まぁ、どうせ、まだまだ落ちてくるだろうからと
そのままにしていたら、
この暑さと湿気で、だんだんと煙突から腐敗臭が・・・。
そこで意を決して、
煙突をはずして、中をのぞくと
市の指定ごみ袋の「中」の大きさいっぱいの草や麦わらが詰まっており
その中に、折り重なるように5羽のスズメの姿があった。
そういえば、以前1羽はストーブの本体からとり出したのに
もう一羽が煙突に引っかかったようで出てこなかった。
そこから数えると、6羽のスズメが煙突の中に落ちたことになる。
ということは、どうやら3組のスズメのつがいが順々に
巣ごと煙突の中に落ちたようである。

とりだす作業は腐敗と煙突の煤とで困難を極めたが
なんとか1時間ほどで終了。
薪ストーブは、本当に自然との格闘だ、と感じた。
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夏本番のような暑さ。
朝から水やお茶を飲み続け、
気が付けば仕事中だけで3ℓは飲んでいた。
それでもおしっこがあまり出ない。
なぜなら、滝のような汗ですべて発散してしまうから。
いよいよ体が絞れてくる季節になった。

さてさて。
その暑さとは関係ないのだが
最近、娘が「しりとり」にはまっている。
ご飯を食べていても、保育園の送り迎えの車の中でも
お風呂の中でも、とにかくしりとりをしたがる。
彼女とのしりとりがあまりにもオモシロいので
僕もよく付き合っている。

何が面白いのかというと、その単語や語彙の捉え方。
たとえば、
ラッパ→パンツ、と続くと
娘は迷わず
「ツンバリ!」と答える。
ツンバリと言われてもよくわからないのだが
彼女にとっては、存在する言葉らしい。
何を指しているのかは、不明。

次に、しりとりと言えば、「ん」で終わってはいけない。
なのだが、彼女は良く「ん」で終わってしまう。
シマウマ、と僕が言うと
彼女は元気よく「マカロン!」と答える。
それだと「ん」がついて終わっちゃうよ、というと
娘は
「え~!ま・か・ろ、で「ま」だよ~」
と「ん」を曖昧な音でごまかす。
お父さん
お母さん
という言葉も一緒で、
彼女に言わせると最後の言葉は「さ」なのだとか。
ひらがなが書けないし読めないし
言葉を表記するすべを知らない娘は
耳に残っている音だけでしりとりをする。

言葉と文字に、ものすごく関心が出てきているので
言葉を表記することを、そのうち覚えてしまうのだろう。
そうすれば、しりとりは普通のしりとりになってしまうのだろう。
それまで短い間だろうが、
僕は娘とのこの「しりとり」を堪能しようと思う。

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僕の野菜を買ってくれる業者が来園。
スーパーなどに卸している業者と
レストランを中心に販売している業者。

「昨年は田谷さんに翻弄されたので、今年はこちらから来ました」
とのこと。
この2社とは以前から取引があったのだが
この2社をから紹介されて
僕の農園までわざわざやってきたスーパーの担当者や
レストランのシェフが昨年、それなりにいた。
そのたびに、僕が作っている野菜を見せてきたのだが
なにせ僕が作っている野菜の種類は多い。
取引があるからと言って、そのすべての種類を
それら2社の業者に対して販売しているわけじゃない。
だから、その2社が知らない野菜も
僕は多く作っていて、他の業者や市場と取引している。
そんな状況下で
見学に来たシェフやスーパーの担当者から
「田谷さんのところに行ったら、こんな野菜があったから欲しい」
と、それらの2社の業者に連絡が入ったりして
買い手から突き上げられるのも癪、ということで
今年は先手を打って、その2社は
夏が始まる前に、夏野菜のラインナップを把握しよう、
という事で、圃場まで来たというわけ。

ベビーリーフ
金時草
バジル
ズッキーニ
ナス
食用ホオズキ
フェンネル
根セロリ
セロリ
レタス
ルバーブ
オクラ
Etc.

これらを見学して
さっそくその場でも、お買い上げいただいた。
スーパー向けに栽培をしていた物でも
業者の目から見れば、
すこし収穫の形を変えれば、レストラン向けになるものもあり
またその逆で、レストラン向けに作っている野菜でも
量販店向けになる野菜もある。
そんな意見交換が畑で出来き、
さらに食べ方や、その野菜の特徴など
販売の面やレストランでの使われ方なども教えてもらえた。
トータルでその野菜がどう食べられるか、どう買われているかを
知ることで、どう売っていくべきかが見えてくる。
食べ方や売り方、そして作っている側のこだわり。
それが、うまく醸成されて、
一つの商品となっていく。
そんなプロセスが見学者を通じて見えてきた。

それらの業者と話していて、
シーズン毎にシェフやスーパーの担当者などを呼んで
畑の見学会と称して直接販売&商談会なんてどうだろうか
と盛り上がった。

どんな野菜かを畑で見てもらう事で
どう食べるか、どう調理するか、どういう規格で販売するか、などなどを
意見交換し、それがまた、僕の農に反映される。
そんなことが出来たら、面白いだろうなぁ。
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立て続けに収穫情報。
その第3弾。

露地の野菜が充実してきて、
いよいよ忙しい季節になって来た。

さて、ズッキーニの収穫が始まる。
この野菜が露地で取れ出すと、
あああ、夏だなぁ、と感じる。
煮てよし、焼いてよし、揚げてよしの万能野菜。

今年も懲りずに丸型ズッキーニを栽培。
調理の幅も広がるかなぁ、と勝手に想像しながら。

秋まで途切れずに収穫する予定でいるので
どんどん飽きるまで食べてください。
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今年もフェンネルの収穫が始まった。
イタリアの2品種に絞って栽培。
どちらも株が大きくて、ふくらみのある品種。

新玉ねぎが出回る季節に収穫できるようにと
今年は栽培していた。
新玉ねぎと採れたてのフェンネルを一緒に
ピクルスにして食べてもらいたくて。
フェンネルの香りが最高の一品。

ちなみに赤玉ねぎと一緒にピクルスにすると
ピンクのピクルスになって、
見た目にも美味しい一品になる。

見かけたら
試してみてください。



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収穫物が増えてきたこの頃。
こんな豆を収穫。

ピンクのそら豆。
火を通すと、紫色になる。
(手前が普通のそら豆)
来年の春から、販売する予定。
今年は試験栽培。
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今日、三本目のズボンが破けた。

4月にユニクロのカーゴパンツを四本買った。
農作業着として。
それが4月の終わりに一本。
5月下旬に一本。
そして今日、また一本。
どれも同じような破け方。
おしりのポケットの横の縫い目に沿って
縦に太ももまで裂ける。
まさに
「ユニクロ栄えて国滅ぶ」か。
(エコノミストの浜氏が2009年の文芸春秋10月号でそんな記事を書いていたのは余談)

仕事着には、それなりにこだわりがある。
今まで丈夫で安価なものを買っていた。
ユニクロもその一つ。
ただ、ユニクロのYシャツは背中が狭く、作業時に窮屈なので
上着はアウトドアメーカーのものを愛用している。

ユニクロに限らないのだが、
最近、安価なものは増えたが、丈夫なものが消えた。
それなりに安くても、そこそこ丈夫なものがあったのだが、
最近は見つけることが困難。

数年前に買ったユニクロのカーゴパンツは丈夫だった。
実は先のシーズンまではそのパンツを愛用していた。
ただ今年のインドネシア調査の時に持っていき、
帰国間近の荷物整理の時に、
買ったお土産がかばんに入らない、という理由で、
宿泊していたホテルにやむなく捨ててきたのだ。
その時は、また買えばいい、と思っていた。

そして4月に入り、
薄手の同じようなカーゴパンツがユニクロに並ぶようになり
さっそくそれを四本購入。
しかし、結果は上記の通り。
残り一本も、たぶん間もなく裂けるだろう。
安売り競争の中、家計を助けるように書きたてられているが
“見てくれ”ばかりは、商品の形をしているが
全く実用的ではない物ばかりになっているような気がする。
このカーゴパンツも、価格競争の中で
どこかが削られ、そのどこかが削られたことで
以前買ったものならば、数年は大丈夫だったのに
今の物は、数カ月ももたない。

安値競争の中身なんて、所詮そんなもんだろう。
野菜のスーパーとの企画なんかも
最近は、店売りで98円になるようにしてくれ、と、
そればかり言われる。
市場で価格が決まって、
それから店の価格が決まっていた時代とは大違いで
今では店の広告に載せる値段から先に決まり
それに合わせて、農産物の買い取り価格が決まるという
矛盾だらけ。
良いもの作っても、市場では高くは売れない。
だって数週間前に印刷に出したスーパーの広告に合わせて
すでに仕入れ値が決まってしまっているのだから。
そのスーパーも産地を把握して値段を決めてはいない。
僕の感触だと、ほとんどその担当者の第六感。
良いものが高く評価される仕組みなんて
今の市場にはすでに無い。

スーパーの企画に合わせて
98円のものを作るようになれば
それだけ質か量を落とさざるを得ない。
質は落としたくないが
量を落とすと、1ロットの見かけがずいぶんと貧相で
こんなもの誰が買うのだろうか?と疑問に思うことも多い。
一時的に取引量が増え、
見た目に売上げは増えるかもしれない。
でも、その先にはあまり明るい未来はないような気もしている。
作り手にとっても、買い手にとっても、だ。
だから、今のところはその98円企画には
手を出さず、距離を置いてはいるのだが。
(とは言いつつも、すでに一部ではそういう形態で販売を始めてしまっているという自己矛盾)

もしかしたら、ユニクロの下請け縫製工場では
同じようなことが起きているのかもしれない。
形ばかりは今まで通りのカーゴパンツで
店頭価格から先に決まっている商品。
そうなると質を落とすしか方法はない。
質を落とすには、原料を落として材料費を安くし
職人の質を落として人件費を安くする。
在庫コストや流通革命でコスト削減などと言うが、
そんなことじゃないだろう。
だって、それだったら僕のカーゴパンツは裂けたりしない。

どんどんと安売りの競争が進む。
抜けられない泥沼の競争。
無駄を省くのじゃなくて、
買い手をだましてまで、安くする方向に流れていく。
それは店頭価格から先に決まる商品の全体像。
それを見極められず称賛する消費者(まさに消費する存在)。
そして作り手のこだわりは消えていく。
僕の裂けたカーゴパンツから
そんな素敵な世界が見えた。
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お札を圃場に立てる。
害虫が寄り付きませんように、と願いを込めて。

というのは嘘で、
これは粘着シート。
黄色に反応して、虫が寄ってきて、補殺するシート。

以前からこのシートは知っていたのだが、
効果が不明で、そんなもので防除できれば苦労はない、と
あまり導入する気はなかった。
だが、収穫間近のベビーリーフに
難防除のキスジノミハムシが大量発生してしまい、
防除できる農薬は、収穫間近では使用できないので
仕方なく、鰯の頭も信心から、ということで
個人的には、食害がこれ以上進みませんように、という願いを込めて
お札を立てるごとく
このシートを圃場に立てた。


すると・・・
キスジノミハムシ補殺

この通り。
びっくりするくらいキスジノミハムシがびっしりと補殺されていた。
こんなに効果があるものなのだろうか。
そこそこいい値段もするが
収穫が近くなってから発生する虫に対しては
農薬以外でそれなりに防除できるので
このお札、いや失礼、このシートは思った以上に
役立つことが分かった。

なんでもやってみないとわからんもんである。
農薬だけに頼らない防除法として、
今後、どんどん導入しようと思う。
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減反の現地確認の日。
市役所から来た役人とJA職員と
うちの集落の農家組合長である僕の3人で
うちの集落の減反が、計画通り行われているかの
現地確認。

水稲共済の申請書という形で、あらかじめ減反の計画を出しており
それに沿って市役所が作ってきた台帳を元に
田んぼの一筆一筆を確認して歩くのが現地確認の作業。

うちの集落は約90町歩(90ha)の水田があり
しかも減反は、各家がそれぞれの耕作田んぼで減反をする
いわゆる「バラテン」と呼ばれる減反をする集落。
それぞれがそれぞれの田んぼで
バラバラに転作をするので、そう呼ばれている。
バラテンの場合、確認の田んぼの筆数も増え、
また虫食いのように転作田が点在するので、
いちいち確認するにも時間がかかる。
これに対して、ブロックローテーションと言われるように
集落の減反面積を一括して、その集落の一か所に集めて
効率よく減反をしようという地域もある。
集落営農でやっているところや
農家組合でやっているところや、
それは様々。

うちの集落が面倒な点は、まだある。
それは転作が、麦だけでなく、野菜なども盛んに作っており
秋・冬作として野菜を予定している場合、
ぱっと見てもそれが自己保全なのか
野菜なのかが解らないということである。
それも農家組合長が説明しないといけない。

うちの集落は、昔はブロックローテーションで
転作を行っていたとか。
農家組合で減反面積を預かり、
集落の東手の田んぼを6か所に分けて
ブロックを組み、
毎年その6か所で場所を移動しながら
ローテーションで、一括して転作をしていた。
20年くらい前の話。

その頃は、そのブロックの田んぼを持っている地権者に
田んぼを作らなかった分として、各戸から補償金を集めて
払ったとのことだが、
その金額が大きく、一軒で10数万円にもなったのだとか。
それでもその分、減反しなくて米を作れたり
減反分で割り当てられたローテーションの田んぼで
野菜などを作れたので、それぞれの家には
それなりに増産分の収益があったはずなのだが、
一旦口座に入ってしまったお金は、すべて自分のものに見えるようで
後から来る、この補償金の金額に難色を示す人も多かったようである。
そして、その補償金の大きさでもめて
ブロックローテーションは立ち消えになったとか。

ブロックローテーションでやる利点は多い。
まず減反面積が明確で、個人に任せた場合よりも
確実に減反が達成できる。
つぎに、一か所もしくは数か所のある程度の面積で転作をするので
共同作業や機械の共有化などで生産効率を上げることが出来る。
共同出荷などにも結び付き、市場での優位性も確保できる。
だが、これを準備する側は大変だ。
補償金の計算などで矢面に立たされるし
一括した転作田でも、誰がどの場所を転作するかでもめたり。

うちの村では、補償金の金額でもめて
それが決定的な要因だったのだが
もう1つには、その村の気質もあるだろう。
共同作業や共同販売の小さな組織が出ては来るが
フリーライダーの問題や、抜け駆けする者がいて
長続きしなかったり、うまくいかなかったり。
僕の所感だが、共同で何かをやるという行為が
あまりうまく機能しない、
良く言えば、それぞれが独立心を強く持っていて
それぞれにやっていく方がうまくいく集落のようにも見える。
うちのむらの歴史的経緯も見ると
そんな感じがする。

だから、うちでは転作は「バラテン」。
確認に時間はかかるし
なかには、農家組合から支持した転作面積を守らない家もある。
集落トータルでは転作面積は守れているので
現地確認時に、問題はないのだが、
こういうフリーライダーが多いのも
ブロックローテーションがうまくいかなかったことの
要因の一つのようにも見える。

ただ現地確認が面倒というだけで
まぁ、個人的にはバラテンで転作する方が良いのだけどね。
そう考えてしまう僕も
やはりこの村の気質を受け継いでいるんだろう。
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そんな言葉を得意になって使っていた時期があった。
地元の、同じ集落の人をパートタイムとして雇い入れている僕の農園。
勝手知ったる近所のおばちゃんと
にぎやかに農作業をする。
風土を共にしていて、文化的共有もある。
小さいころからの知り合いだし
ここの農業(農作業)にもある一定の理解がある。
そんな人を雇い入れる素晴らしさ。
その意味を込めて、
コミュニティーベースドパートタイム
なんて、横文字で言っていたことがあった。

確かに、それなりに賑やかに
楽しくやって来たのだが、
最近、少しずつ変わりつつある。
たぶん、変わってしまったのは僕なのだろう。
借金をして、規模を拡大して、
インドネシア研修事業を維持するために
売り上げをのばさないといけない、
そう考え始めたころから、
どうも歯車が狂いだしていたのかもしれない。

少し前の農業経営のセミナーで
同じような規模で1億円以上売り上げのある農家の講演を
聞きに行ったのだが、
その時に、僕の雇用状況・労務状況を相談したことがあった。
その農家曰く
「ありえないでしょう」
とのことだった。
その人も初めは、近所のおばちゃんを多く雇用していたそうだ。
やはり農作業にも慣れていて、
その地域の農業にも精通しているから、というのが理由だった。
それは僕と同じだった。
しかし、やはり企業として売り上げを伸ばしていく過程で
どうしても、言わないといけない事柄も出てくる。
そんな時、近所の人や近い人ばかりだとやりにくい、
とその講師はいっていた。
雇い側と雇われ側、双方に「甘えが出る」のだとか。
たしかに。
僕も事細かに説明しなくても、近所のおばちゃんたちだし解ってくれる
と思っていた節もある。
おばちゃんたちが、農園の仕事が忙しくても
比較的気軽に休むのも、そういうところがあるのかもしれない。
近い存在だからこそ、コミュニケーションがおろそかになる。
だから、誤解が生まれる。
これくらいは解ってくれるだろう、という甘えがあるから
だから、苛立ちも生まれる。

講師の農家は、現在、出来るだけ外の人を
雇い入れるようにしているのだとか。
仕事として割り切って付き合えるように。
たぶんそれは、そうしないと、売り上げを伸ばそうとなった時に
考えの相違で、うまくいかないときが出てくるからだろう。
今の僕の雇用状況を見ればわかる。

5時までが就労時間なのだが、
農作業はその日その日で状況が変わる。
時間通りに終わるなんて不可能だ。
なんせ相手は自然そのものなんだから。
だのに、コミュニティーベースドパートタイムの方々は
残業どころか、4時には家に戻って台所の事をしたい、と言いだしたり、
配偶者控除されないと年金や税金が高くなるから、と
それ以上の時間は働かない、と言いだしたり。
そんな状況下で、売り上げを僕一人が伸ばしたいと思っていても
とても実現できそうもない。

労働とは、その個人を満たすものでなければならない。
と、僕は思っている。
日々の労働を時間によって切り売りする現実の中で
その満足をいかにして得るか、それはそれぞれの価値観にも大きく左右する。
以前、知り合いの学校の先生が1週間ほど僕の農園で
研修したことがあった。
その先生には、近所のおばちゃんと一緒に
ベビーリーフを切ってもらったり、菜っ葉を詰めてもらったりしたのだが
研修が終わってから
「この労働にどういうやりがいがあるのか、私には見えませんでした」
と正直に言ってもらった。
とてもありがたく、そしてとてもショックな言葉だった。
たしかにルーティンな収穫作業に
その楽しみを見出すことは難しい。
僕もかつて、自分で始めたはずのベビーリーフの作業が
まったく面白味のない、工業的な作業に見えていた時期もあった。
では、今はどうか。
売り上げと言う意味でのモティベーションはある。
そして、インドネシア研修生への研修事業や
天敵や有機質資材を使った農業から見えてくる自然に対する眼差し、
農業を支える農村や人のかかわり、などなどが
僕にもようやく見えてくるようになり
それが僕が農の営みで生計を立てるモティベーションとなっている。
そしてその中で行われる労働のすべてが
僕を満たしてくれる。

では、コミュニティーベースドパートタイムの方々はどうだったのだろうか。
もしかしたら、研修に来た教師のように考えていたのだろうか。
ただ、それでもある程度の甘えがきくというので
ここで働いていたというだけだろうか。
同じ視点で、農の営みを感じる必要もない。
多分、おばちゃんたちはそれぞれに菜園を持っているので
その喜びは、それぞれがそれぞれの菜園で感じているのだろう。
だとしたら、僕の農園での労働は、一体なんなんだろうか。

一方に、すべてを見渡せる、ある意味経営者だけが見える地平に
全体的な農の営みにある労働の満足を感じてるが、
その一方には、雇用する側・される側という
労働を時間で切り売りする契約で成り立つ関係がある。
そこでは経営的な数値と雇用人費との関係で
労働時間がお金に換金される。
その関係の中で、全体的な農の営みにある労働の満足はあるのだろうか。
僕には解らない。
だから、講師できた農家は、
仕事として割り切って働きに来てくれる人を選ぶために
外の人に向かって求人をだしているのだろう。
コミュニティーベースドパートタイム。
地域に根差した人を雇用する。
既存の関係と照れくささと甘えとがある限り
それは、一方では素敵な関係にも思えるが
他方では、売り上げを重視する経営体の中では
必ずしも目的をまっとうできない関係に陥ってしまうこともある。

僕はどうすればいいのだろうか。
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週末に、協力隊の時の友人が来る。
その人と会うのは、多分、7~8年ぶりだろうか。
農業の隊員で、僕よりもいろんなことを知っていて
僕よりもいろんな経験をしていた人。
何度となく
「一緒に福井で農業しませんか?」
と、誘ったのに、やんわりと断られてばかりの人。

今は農業とはちょっと距離を置いた仕事をしているようだったが
圃場を見たいということで、すこし見せてまわると
幾つかの質問の中に
やはりかつての彼の姿がそこにはあった。

とても礼儀正しくて、
ゆったりとした空気をまとった人で
それでいて情熱的で、
そしてお酒をこよなく愛している人。
こういう人が、ここにいると、
ここももう少し変わってくるんだろうなぁ、と思える人。

今回も、一緒に農業しましょう、と野暮な僕は誘ったのだが
やはり、やんわりと断られてしまった。
とても楽しい夜だった。
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地域開発論という題目で
それぞれの地域発展に寄与している
アグリビジネスの成功事例を検証する授業。
成功への鍵は何か、をインドネシア研修生と共に考える座学。
テキストはマンガで書かれた
農業ビジネス列伝、というもの。
マンガ家の卵が書いたようで、
内容構成や画力に力不足を感じるものの、
マンガで書かれているので
日本語があまり上手ではない研修生でもなんとか読めるので
使用している。
何か他に良いテキストがあれば、そっちにしたいのだが。

さて、昨年はH君に対してのこの授業カリキュラムだったのだが
今年は、イル君が対象。
すでに上勝町のいろどりや山口のレンタカウ制度のマンガは読んでもらって
何が成功のカギかを話し合った。
今回は、直売所「からり」の事例。

考察の中身としては、
H君の時とほぼ同様。(そのエントリーはこちらを参照されたい)
ただイル君のプレゼンテーションでは
直売所のシステムそのものが、自分の地域とは合わない、としていた。

まずは彼の地域が辺境に位置していること。
近くの町まで、車で1時間以上離れており、
村人の多くが車を持ち合わせていない。
つまり、直売所を自分のむらに建てても、
集客が見込めないし、
集客が見込める一番近くの町に直売所を建てた場合、
そこに自由にアクセスできない、という問題があるという。

次に、買い取り商人の存在。
これはイル君の場合、毎回と言っていいほど
ネックになる問題。
巨大な資本と移動力を武器に
むらの数名の商人が、村全体の収穫物をその影響力下に置いている。
そのむらの農民が生産を始める場合、
その商人から資金を借り、
そして収穫物はその商人に売ることが約束されている。
それは、一見すると貧困の輪に落ち込んでしまった農民像にも見えるが
その商人とは血縁関係であることも多く
栽培の致命的な失敗があっても
借金帳消しなどの事例もあるように
ある一面からみると、相互に助け合うソーシャルネットワークにも見える。
ただこの関係、なかなか抜け出せないという意味では
少々厄介。
直売所に出荷したくても
生産費をその商人から得ているので
農民が自由に価格を決められるような
直売所と言う市場に対してアクセスはほぼできない、と
イル君は半ばあきらめ気味に言う。

これに対して、H君やタン君が反論。
というか、いろいろなアイディアを出してくれた。

まず立地の問題。
イル君の村人でもアクセスできる距離で
大きな幹線道路に面している村は無いか、とのH君の問いから始まり
血縁関係の多いあるむらが浮上。
その場所に直売所を作って、その村と共同で販売は出来ないか
と議論がつづいた。
その方向性にはイル君も可能性を見出したようで
出来ないこともないらしい。

次に買い取り商人。
これはいくら議論を尽くしても、やはり買い取り商人を無視しては
そこの農業が成り立たないらしい。
いきなり、すべての収穫物を買い取り商人から他の市場へと
考えるから議論に無理が出るのであって、
日々食べているもの、採集して得られるもの
そういったものを「商品化」することは、あるいは可能かもしれない。
それが直売所の特性でもあるから。
ただそういうものは、「商品化」することが
至極難しく、きれいに包装して並べたらそれで商品になるわけでもない。
ここまで議論が進んで、時間切れ。

研修生の人数が増えたことで
議論が深まるのは面白いが、
イル君の問題は、議論で解決するようなことでもない。
それでもこれを議論し続けなければいけないだろう。
絵に描いた餅でも、それを書き続けることに
机上の空論でも、それを議論し続けることに
その意味があると僕は思っているから。

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P6010004.jpg

アーティチョークが美味しそうだったので、
昼休みのうちに、下処理をしておいたら、
夕方に、
フェンネルの葉ってある?と妻。
急いで畑から取ってくると
オイル漬けにしたアーティチョークにフェンネルをまぶして
ワインと相性抜群の一品を作ってくれた(薄オレンジの鉢)。

フェンネルは、収穫してすぐは
なんとも言えない甘さがあり、とても美味い。
この甘さは、たとえ冷蔵庫に保存しておいても、
翌日には消えてしまうので、フェンネルの甘さを味わえるのは
作っている農家か、その近所の人だけだろう。


緑は、自家菜園で夕方採ったスナップエンドウ。
採ってすぐだから、変に料理するよりも
そのまま食べる方がうまい。
娘の大好物でもある。

タコとヒラメの刺身は、もらい物のミョウガダケと一緒にマリネ。

なんでもスーパーでイカが安かったと妻。
なので、イカのパスタ。

それらをワインで流し込むと
今日一日の疲れも、心地よい充実感へと変わっていく。
食卓と畑がつながっている実感は
こんなにも贅沢。
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06 01
2010

土曜日の夜、JAZZのコンサートがあった。
地区の有志で集まる
「さつきあげコンサート実行委員」
の一員として、このJAZZのコンサートのお手伝い。

ピアノ:板橋文夫
ベース:瀬尾高志
ドラム:竹村一哲
のセッション。

板橋さんとは、16年前、ある団体が主催する
タイの農村ステイツアーで一緒になったのがご縁の始まり。
そして、さつきあげコンサートとして、福井に呼ぶのは3回目。
ちなみに過去2回は、僕は実行委員ではなく、
ただ単にお手伝いをしていただけなのだが、
今回は実行委員としてかかわっていた。

そのタイ旅行を通じて、僕はすっかりJAZZに魅了され
一時、JAZZばかりを聞いていた時期もあったのだが
最近では、日々の生活に追われるようになり、
音楽そのものを聞かなくなっていた。

板橋さんの演奏は、とても情熱的。
ピアノが壊れてしまうのじゃないか?と思うほど
力を入れて、まさに全身全霊を込めて音を出す。
今回来られた他のメンバーも
それの触発されているのか、
同じように、気持ちのこもった演奏だった。
僕は久しぶりに、音楽に圧倒された。
そして、16年前のあの熱いタイの夜を思い出した。

コンサート後、演奏者を含めて、実行委員で打ち上げをした。
板橋さんは、
「今度は、田谷君の畑でコンサートをしよう」と言っていた。
まるで夢のような話だけど、
そんなことが実現できたら、どんなに素敵だろうか。

そして、
その夜以来、僕の日常に音楽が戻って来た。

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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

メールは
taya.tアットマークnifty.com
です。
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