こんな記事が新聞に載った。

伝統継承の夢“すくすく” 鯖江の野菜「吉川ナス」

おかげさまで、新聞に載った日から問い合わせの電話が
良くかかってくるようになった。
200本しか用意してなかったこともあり、
お1人様10本までの販売とさせてもらったのだが
早くも売り切れそうな勢いである。

何度も日記で書いてきたのだが、
吉川なすはとても作りにくい。
というのも、果皮が薄く、すぐに傷がついてしまうからである。
ただそんなものは、家庭菜園の中では、至極小さな事で
少々傷があろうが、見てくれが悪かろうが
味には関係ない。

伝統なすと言うと、なんだかそれだけで美味そうに聞こえるかもしれないが
(事実、そういうイメージと物語を食べる側が求めているから、今回の記事に対して問い合わせが多いのだろうけど)
僕も含めてだが、ほとんどの食べる側の人にとっては、
そんな伝統が存在した個人の歴史はほとんどなく、
みんなにとってこのナスは、新しいナスだと言うしかない。
ただこのナスが、伝統という言葉を冠に頂けるのは
記事にもあるように、このナスを末期がんの最後まで作り続けた方が
いるからこそ、その人と周囲にとっては伝統なんだと思うことがある。

本当ならば、僕だけが栽培をして販売した方が
近くの直売所も含めて、市場では断然優位に立てるのだが、
それでは、本来の意味が失われてしまう。
そこにあるのは、伝統の資源化・価値化であり、
それはまさしく、交換価値を最大限に向上させるという姿勢でしかない。

伝統なすという人類にとっての遺伝資源は
交換価値で測れるものじゃない。
ビジネスはビジネスであらねばならないのかもしれないが、
もう少し、農業の本来の意味の中で
(作って食べるという至極単純な行動)
みんなにとっての使用価値を高めることはできないだろうか。
そんなことを無い頭で考えて、
家庭菜園用に、このナスを普及させようと思い至った。

少し余談だが、
使用価値と交換価値は水とダイヤモンドをたとえに出すと解りやすい。
水は人間にとって必要不可欠なものであるが
それ自体が豊富にある場合は、その不可欠だという価値は下がりはしないが
交換することはできない。
だがダイヤモンドは、それ自身、人間にとって不可欠かと言われると
装飾品である以上、使用価値はほとんどないが
希少であるがゆえに、交換価値は高い。
ビジネスとして儲けたいというのなら
本当は交換価値を高める、いわゆる「付加価値をつける」などと表現されるが
そういう工夫が必要なんだろう。
だが、その先にあるのは何か。
その付加価値は、僕らに何を与えてくれるのだろうか。
僕らの生活の質が、
果たしてその交換価値の向上で、
必ずしも向上するわけではないという事実に目を向けると、
僕は諸手を挙げて、その考えには賛成はできない。

吉川なすは、当然、生産者として第一級品を生産し
約束いただいているレストランや業者に出荷する予定でいる。
それは僕の経営の中で、交換価値をそのナスの品質で高めようという
だけのことで、それとは別に
もっと吉川なすの使用価値を高めたくて
こうして苗を販売するにいたった。
当然、1本70円で、他のナスの苗と同じ値段。

前に書いたエントリーにもあるように
僕は勝手な思い込みと、多分それは他方から見たら
勘違いだと言われるのかもしれないが、
その思い込みで、伝統を背負い、その使用価値を高めようと考えている。
それぞれの家庭で、
数本の吉川なすを植えれば、それだけで家族がこの夏、
十分すぎるくらいこのナスを楽しむことが出来るだろう。
それが僕という偏見を通して見えてくる
このナスを末期がんのなかでも残してくれたある農家の希望なんだと
僕は今、勝手に信じている。
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APECエネルギー大臣会合が6月に福井で行われる。
それに合わせて、各国の大使たちが
福井の高校などで講演会を開いている。らしい。
インドネシアもその中に入っているようで、
先日、インドネシアと交流が深い福井農林高校で
インドネシアの在日全権大使が講演された。
一般聴者として、講演を聴く予定でいたのだが
急な注文と、仕事の量とスタッフの数の関係で
仕事を抜けだせなくなり、講演会には行けなかった。
ただ、福井農林高校の校長先生には事前に
インドネシアのタンジュンサリ農業高校との交流から派生した
研修事業をパンフレットにまとめ
それを手渡してもらえるようにお願いしていた。

講演会の後の食事会で、どうやら校長先生は
そのパンフを渡してくれたようで、
大使と一緒に来ていた参事官の方が大変興味を示してくれたそうだ。
ちょうど今、インドネシア語で研修生が年次報告書を
まとめていることを校長先生から伝えてもらったところ
是非、大使館にも送ってくれとのことで
そちらに送ることにもなった。

たとえそのレポートが大使館の資料室で積読になろうとも
(もしくは読まれずに破棄されようとも)
研修生の二人には至極刺激になったようで、
年次報告書をまとめる筆にも力が入りそうであった。
いろんな人から注目をされているという意識もまた
その人をエンカレッジし、高いモティベーションで研修を続ける動機もなる。
そればかりではいけないだろうけど、
そういったものも、出来るだけ多くのチャンネルから
引き出していきたい。
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先週までの天気がうそのように、
晴れた土日。
その晴れ間を待ってやってきたお客の対応で
1日中追われることになった。
お客の目当ては、野菜の苗。

この時期、数量としてはそれほどでもないが
農園では、野菜の苗を販売している。
園芸ブームもあるのだろうか、近年、お客が増えているような気もする。
特にどこかに広告を出したり、告知しているわけではないのだが
人伝に聞いて農園まで来る人が多い。
他では手に入らない苗もあるので
それ目当てのお客さんもいる。

今年は、鯖江の伝統野菜である吉川なすの苗を販売することにした。
昨年の暮れに、吉川なすをずーっと守って来た人が
最後に栽培した吉川なすの種ナスを頂いた。
その方は、昨年の夏に亡くなったのだが、
その方の奥さんから、新聞記者さんを通じて頂いたのだ。
生前から吉川なすの普及に力を入れていたとのことで
僕も吉川なす栽培を受け継ぐ者の一人としては、
なんとか普及にも力を入れたいと思っている。
今年は、200本ほどの苗を準備して販売する予定。

他にも緑色の埼玉の伝統ナスや食用ホオズキの苗なども
販売予定をしている。
こうした僕の主力でもある野菜を苗で販売することは
近くの市場や直売所でのライバルを作るようなものなのだが、
いろんなものを育てる楽しさを
少しでも普及できれば幸いである。

追記(4/27)
こちらのちょっとした手違いで、
埼玉の伝統ナスは少量のため、苗の販売は出来なくなりました・・・。
ただ上記以外にも丸ズッキーニなどの変わった野菜の苗も
販売しますので、一度ご見学にいらしてみてくださいませ。
苗の販売は、無くなり次第終了。
(例年ならばゴールデンウィーク中に終了)
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スーパーでの一幕。
お肉売り場で、娘が不思議そうに豚肉を見ながらつぶやいた。


「ねぇ、ねぇ、豚肉って、ぶたさんのどこから出てくるの?」と。


娘は、まさか絵本でも良く出てくる豚さんを
殺して豚肉を得ていることを知らない。
だから、
「どこから出てくるの?」
と、まるで豚さんが
どこから豚肉を生み出しているような
質問になる。

言葉に詰まって、上手く答えられなかった。
皆さんは、こういう時、どうやって教えていますか?
誰か良いアイディアがあれば教えてくださいませ。
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日記だけを見ていると、
インドネシア研修事業のエントリーばかりになっていて
なんだかボランティア事業をしているような観があるかもしれないが、
うちは歴とした販売がメインの農家で
とうぜん、農産物を生産して日々の糧を得ている。
(直接消費もするし、販売もする)

さて、ここ最近、低温が気になる。
気温が明らかに低く、出荷する農産物の生長速度も遅い。
来週にはゴールデンウィークが控えており
そのための大量注文を業者からすでに受けているので、
順調に野菜が生長しない現状を少々焦っている。

ゴールデンウィーク用のチラシに入れてもらっている農産物もあり
今更、「間に合いませんでした」なんて言い訳は言えない。
ある業者に、もしかしたら間に合わないかも、と
先手を打つように弱気な発言を言ったところ、
「ハウスを加温してでも間に合わせろ!」とのことだった。
そりゃそーだ。
注文はすでに受けてしまっているのだから。

年に3回大きな山場があり、その商戦をなんなく乗り切ることが
1年間安定して買ってくれる大きな要因となっている。
ゴールデンウィークとお盆とクリスマスから年末のこの3回。

今年は、低温による野菜の価格高騰と
ヨーロッパの空輸の乱れと
ガソリン価格のやや高騰傾向を
我が利として、業者から大量の注文を受けたのだが
(本当に大量の注文。昨年の倍以上)
はたして乗り切れるだろうか。
ここから先は運任せだな、こりゃ。
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インドネシアの研修生を受け入れている事業は、
もともとは、福井農林高校とタンジュンサリ農業高校との
交流から派生したものだった。
あちらの校長が、両校の交流に通訳でかかわっていた僕に
「タヤのところで農業研修できないか?」と
言われて始まった活動。
だから、新しい子が来るこの4月、
昨年度の報告も含めて、福井農林高校を表敬訪問した。

福井農林高校の校長先生との懇談の中で
今年で最終年になるH君が、自ら課題を決めて
卒業研究をすることにしたと伝えたところ、
発表は出来るだけ大勢に聞いてもらった方が良い、とのことで
校長先生の計らいで、
福井農林高校を会場に研究発表させてもらうことになった。
生徒たちのプロジェクト発表の機会があるそうで、
その会にジョイントさせてもらえるとか。
とてもありがたい話で、
H君の卒業研究への姿勢だけでなく
日本語での発表となるので、語学の勉強にも一層高いモティベーションで
取り組んでくれるに違いない。
H君も、少々緊張した面持ちだったが
福井農林高校で発表できることを喜んでいた。
とても有意義な表敬訪問となった。
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新たに1名のインドネシア研修生が来る。
名前は、タン君とでもしておこうか。
研修生は、毎年一人ずつ受け入れて、3人体制で考えていたので
これで揃ったわけだ。
新しく来た子は、2008年に来たH君の同級生。

インドネシア・スメダン県にある西ジャワ州でNo1の農業高校である
タンジュンサリ農業高校との提携で
卒業生を対象に行っているこの農業研修。
なので、同級生が来ることもある。
高校時代はH君とは同じクラスで、とても仲が良かったという。
イル君もよく知っているようで、
二人とも嬉しそうにしていた。

さて、タン君。
これから研修に入るわけだが、
彼の住んでいる地域や社会のポテンシャルを知っておく必要があるので
僕の大学院時代の親友A女史(大学講師)に
農村調査を行ってもらっていた。
報告書は、いつものことなのだが、70ページもある分厚いものを
送って来たので、辞書を片手に読む。

これまでの二人(H君・イル君)に比べて
タン君は裕福な家に生まれたといえよう。
いや、その表現はいささか誤解があるか。
正確に書けば、あまり裕福ではなかったのだが、
両親の頑張りで、いまはずいぶんと余裕のある暮らしをしている中で
タン君は育った、というのが妥当か。
基本的な社会的インフラも整った地域で、
その点も他の二人と大きく異なる。
A女史からも
「これまでの二人と大きく違って、彼は大きな農業ビジネスも起こせるポテンシャルを持っている」
とメールで伝えられた。
市場が近く、そこへのアクセス(交通手段)も容易で、
さらに父親が農業をしながらも、
村内で農産物集荷の仕事や養殖、果樹園なども手掛け
資金的にも独立している。
もっともランディング可能な青年というわけだ。

H君は、インフラの不備で市場へのアクセスがやや困難で
イル君は、資本家の大規模お茶農園と
数人の資金貸付商人が村を牛耳っているため
生産構造に自由度が低い。
この二人に比べたら、タン君は恵まれている、というわけだ。

僕はA女史に農村調査を依頼するときにはいつも宿題をだしている。
それは、
君の目で見て、その地域の発展のカギは何か?
というもの。
A女史は、今回の報告書で、いくつか挙げてくれたのだが
僕の目にとまった言葉は
「ただ適作というわけではなく、広い意味で文化を作り上げてきた代々受け継いできた地元の農業の形を大切にすること」
だった。

A女史が送ってきてくれた詳細な報告書を元に
その文化を作り上げている農の形と地域発展をこれから彼らと共に
ここで考えていこうと思う。
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たまには家ネタを。

我が家には、吹き抜けがある。
北陸という寒い地域に、吹き抜けはややNGとも思われるのだが、
どうしても取り入れたかった。
一つには、薪ストーブの煙突を垂直に立てるためであり、
ストーブ本体の熱が効率よく家全体にいきわたるようにと考えてだった。

設計士さんとの打ち合わせの時に、
「吹き抜けを作ると、キッチンの匂いが家中にいきますよ」と
心配してくださったのだが、
それはまったくかまわなかった。
というよりも、むしろ、その方が僕らの生活スタイルには
合っているような気がしていた。

新しい家に住んで、早10か月。
妻がキッチンでコーヒーを入れてくれれば、
お茶のお誘いの声よりも先に、コーヒーの香りがそれを伝えてくれる。
それはとても贅沢な瞬間。
匂いが、僕らの生活をより一層際立出せ
充実したものにしてくれているのだ。

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ちょっと前の話なのだが、
妻の研究会で、僕が尊敬してやまない人が発表した。
開発フィールドのファシリテーターで
とても有名な人。
その人が、妻の研究会で言ったことは
現場での質問の仕方として、事実確認の形式をとること、
だそうだ。

このことに関しての妻から聞いたたとえ話が、とても面白かった。
たとえば、ある農家に
農業という職業や農村というコミュニティが、
閉鎖的かどうか、人とあまり接しないかどうかを聞き出そうという
質問者の意図があって、
その質問者が
「田舎で農業をしていて、人と会う機会はありますか?」
と問えば、
僕であっても、たぶん
「あまりないですね」
と答えるだろう。
それは、質問をされた僕らも質問者の意図が解るからであり
その意図にしたがって、括弧つきで、町の人に比べたら、や、他の業種に比べたら、の
前提があって、そう答えるだろう。
それはお互いに共有されるカテゴリに押し込められたステレオタイプである。

では、農業と言う職業や農村と言うコミュニティが
どのくらいの頻度で人と接しているかを、
正確に知るにはどういう質問の仕方があるだろうか。
僕の尊敬する人は、事実確認だと、いう。
つまり
「今日、何人の人に会いましたか?」
と聞けばよい。
多分僕は、家族を挙げ、仕事のパートさんを挙げ、近所の人々を挙げ
市場の業者を挙げ、近所の農家たちを挙げ、資材の配達に来たJA職員を挙げ
巡回に来た普及員を挙げ、種屋を挙げ、農作物を直接買いに来た客を挙げ
農作業の途中でのどが渇いたので、
隣の集落にあるコンビニ(同級生の弟が経営)に寄ってコーヒーでも買えば
そこの店員としばらくは話をするだろうから、その人も挙げ
時々、そのコンビニで隣の集落の農家にも会うので
その人も挙げることもあるだろう。
さらには、娘を迎えに行った保育園で会った父母や保育士たちを挙げ
帰りに寄った近所のスーパーで会った知り合いも挙げるだろう。
さらには、そのスーパーの店長や青果担当者とも少し会話すれば
その人も挙げるだろう。
これが事実確認。
そこには質問者と回答者の間で形成されるステレオタイプが
入り込む余地は無い。
素晴らしい!まったく素晴らしいアドバイスじゃないか。
何かを問うのではなくて、事実確認をしろ。
この言葉が、ずーっと僕の心の中に響いていた。

さて、ここから本題。
H君が今年最終年度を迎えるにあたって、卒業研究をしようとしている。
有機肥料の有効性を調べたい、というのが彼の意志。
プロポーサルを出してもらったのだが、
どうも研究臭くていただけない、というところまでは前回書いた。
そこで僕は、質問の仕方を変えてみた。
事実確認。
この場合、この手法が適当かどうかは解らないが、
ただH君がもしかしたら研究とはこうあらねばならないという
ステレオタイプに陥っているとしたら、
そこから抜け出すための一助にはなるのではないか。
だから僕はこう尋ねた。
「君は、ここに来る前、地元で農業をしていた。その君が、実際にこれまで使っていた化成肥料をやめて、有機質肥料に切り替える場合、何が心配だ?」と。
彼が、プロポーサルで上げてきた有機質肥料の有効性を測る項目として
pH(土壌酸度)などの土壌分析値や
草丈、葉の色などであったのだが、
この質問の後、1週間後に彼が提出してきたプロポーサルに書かれていた項目は
収量、収穫物の品質、化成肥料と比べて経費はどうか、だった。
しかも収量の場合は
一時にたくさんとれるのではなくて、長い期間収穫できるかどうかが
肝心だとしていた。
だとしたら、H君の卒業研究は
それを中心に調べないと、彼にとって意味がないではないか。
僕と彼と、そして卒業研究という言葉で作り上げられていたステレオタイプからは
そういう項目は調べられない。

僕は到底ファシリテーターになれる様な人間ではないのだが
事実確認、というもっとも初歩的な手法を地道に積み上げていけば
僕にも見えてくる新たな事実があるのだと解った。
前提となるステレオタイプを払拭した世界の中で
事実を確認しながら見えてくる風景は、こんなにもすがすがしい。
かつて、僕が派遣されていたインドネシアの田舎で感じた感覚が
すこしだけ蘇ってくるのを覚えた。
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2年目に入ったイル君が主体の講義。
それは、日本の成功事例から学ぼう、というもの。
イル君は、まだまだ日本語が上手ではないのだが
日本語を読む訓練も含めて、
マンガで書かれた、農業の成功事例集をテキストに
ゼミ形式で発表してもらっている。
今回は、「レンタカウ」のお話。
昨年の同様の講義はこちらから

昨年のH君のように、イル君も同じ反応をしており
同じような発表だったのだが、H君と違うところが一つ。
それはある質問。
「レンタカウ制度はとても良いのですが、それは現状の問題を未来に先送りしただけじゃないでしょうか」というもの。
つまりは、耕作放棄地に放牧をするのは良いのだが、
だからといって、それは耕作放棄地が無くなっていくことへの
根本的な解決策ではなく、
農地がただ一時的に保全されるだけだ、とイル君は分析してきた。
確かに。

まんがからの情報なので至極限られているので
分析と言うよりも想像でしかないのだが、
放牧地として耕作放棄地が酪農家に貸し出されれば
それはそれで、その地域の酪農の発展にはつながりそうではある。
放牧されていることで、肉や乳に付加価値がつけば、
酪農の方は後継者ができやすい。

では、水田を耕作放棄してしまった米農家はどうか。
放棄してしまった水田を、再び水田と利用するのは
なかなか至難の業。
もしそこがクリアーできるのなら
(もしくはインドネシアのように、稲作後にしばらく放牧とか)
放牧米などと、もう少しネーミングは考えないといけないが
他の米と差別化して販売も可能かもしれない。

水田と酪農のシナジー効果で注目を浴びているレンタカウ制度は
その後のビジョンとして、どういう地域農業を作っていくつもりなのか
たしかに不明瞭な点がある。
久しぶりにインドネシア研修生から教えられた日だった。
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04 12
2010

今、僕が直売所に出しているある野菜が、よく売れている。
びっくりするくらいの量が、1日で売り切れてしまうのだ。
決して安売りしているわけじゃない。
他に比べたら、2倍くらいの値段で売っているにもかかわらずだ。
(僕は安売りは趣味じゃないのでやらない)

実はその野菜は、昨年からの取り組みだったのだが、
昨年は、大惨敗。
ほとんど売れずに、直売所で大量に廃棄された野菜。
なのに、今年は飛ぶように売れている。
なんで?

いろいろな理由が考えられるが、
昨年と今年とで大きな違いは、その野菜につけるラベルを変えたこと。
直売所に出している僕の野菜は、
すべてオリジナルのラベルを付けるようにしている。
それは直売所に来る客が、
生産者名で買う傾向がある、と人から聞いてのことだ。
僕の野菜だ、とひと目でわかるようにしておけば
それだけ売れるだろうと思って、オリジナルのラベルを自作して付けている。
ただ、今年からびっくりするくらい売れているその野菜には、
昨年もオリジナルラベルを付けていた。
が、あまり売れなかった。

そこで、今年はラベルを変えてみた。
大きくは変えずに、ただ商品名の冠に「春」という文字を使ってみた。
色もピンク色や淡い色を主体に作ってみた。
妻が、そうしろ、というのでそうしたのだが、
ただそれだけで、驚くくらい売れるようになった。
妻曰く
「主婦は毎日の食卓をどうするかで頭を悩ましている。そしてマンネリになっている食卓をどうかしたいとも思っている。だから、季節を感じられるものがあれば、必ず手に取る」
とのこと。
確か、妻は文化人類学を教えることで職を得ているのだが、
彼女のアドバイスで、飛ぶように売れるようになった商品が
他にもあることを考えれば、
どうも彼女は、自分の専門の道を間違えているんじゃないか、と
僕なんかは思ったりもするのだ。

まぁ、いずれにせよ、
ラベルを変えただけで、野菜がよく売れることが分かった。
ラベルの力、侮ることなかれ。
この小さなスペースが、野菜のイメージを作る一助になっているのだから。
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これまでに読んだ本で、読書記録を書いてないものがずいぶんある。
その中でもこの本は特に大切なので、記録しておこう。


福岡 伸一 著 「ロハスの思考」.2006年.木楽社.

分子生物学者である著者が、その科学の先に見出した生命への眼差しを記した著作。「動的平衡」や「生物と無生物のあいだ」などの著者でも有名。
ここではロハスの思考の書評ということしたが、その内容としては上記の2著も合わせて福岡氏の視点に近づいてみたい。

3つの著作に共通するのが、「動的平衡」という科学的事実に裏打ちされた思想である。動的平衡とは我々の身体を作っている分子の「流れ」の状態である。生命は行く川のごとく流れの中にあり、我々の体を構成する分子は、常に摂取された食料の分子と入れ替わり、そして廃棄されるというサステイナブルな平衡の秩序の中で成り立っている。「だから私たちの身体は分子的な実体としては、数か月前の自分とは全く別物になっている。分子は環境からやってきて、一時、淀みとしての私たちを作り出し、次の瞬間にはまた環境へと解き放たれていく」(「動的平衡」p231)。
この視点から、氏は「健康の幻想」を強く批判する。軟骨を構成材であるヒアウロン酸やコンドロイチン硫酸、皮膚に良いとされるコラーゲンなどは、それがそのまま軟骨や皮膚になるわけでなく、一度ばらばらに分解されて、その都度、違う物質へと変化し、それも一時的に体内にとどまるだけなのだ。「食べ物として摂取されたタンパク質が、身体のどこかに届けられ、そこで不足するたんぱく質を補う、という考え方はあまりに素人的な生命観」であり、「生命をミクロな部品が組み合わさった機械仕掛けと捉える発想が抜き差しがたく私たちの生命観を支配していることが見て取れる」(「動的平衡」p78-79)、と生命の機械論的生命観を強く批判している。
生命が、動的な平衡状態にあるとすれば、ルシャトリエの法則「一般に可逆反応が平衡状態にあるとき、その条件(濃度・温度・圧力など)を変化させると、条件変化の影響を和らげる向きに反応が進んで、平衡が移動する」もまた、その平衡に当てはまりはしないか。氏は、生命がミクロな分子パーツから成り立っている精巧なプラモデルとして捉えられ、それを操作対象として扱いうると考えている遺伝子工学に批判的である。「平衡状態にあるネットワークの一部を切り取って他の部分と入れ換えたり、局所的な加速を行うことは、一見効率を高めているかのように見えて、結局は平衡系に負荷を与え、流れを乱すことに帰結する。(中略)クローン羊ドリーが奇跡的に作出されるも早死にしてしまうといった数々の事例は、バイオテクノロジーの過渡期性を意味しているのではなく、動的な平衡系としての生命を機械論的に操作するという営為の不可能性を証明しているように私には思えてならない」(「ロハスの思考」p34-35)。
科学者がその自身の研究から導き出した科学への眼差しと、そこから生まれてくる機械論的思考への批判は説得力がある。フリッチョフ・カプラを初めて読んだ時の感覚が蘇ってくるのを覚えた。

上述の視点から、氏は食について考察を入れている。ベネフィットを得る者とコストを負わされる者が必ずしも同一でないという批判などもあるが、その中でも最も瞠目すべきはリスク論に対する時間の概念の欠如という批判だろう。遺伝子組み換えの技術が、従来人類が行ってきた品種改良と実質的に同じだとしても(ただその中でも、動物と植物の遺伝子が混ざり合うことはまずなかったのだが:自然界の中ではミトコンドリアという例も無きにしも非ずだが)、それが同じものであるという感覚にはなれないと氏は語る。それは時間軸の欠如。何世代にもわたって交配・交雑しながら品種を選別し、作り上げてきたこれまでの品種改良に対して、遺伝子操作はそれに比べれば時間は一瞬なのである。「「時間」だ。組み換え作物と品種改良が同じだとする議論には時間の概念が抜け落ちている。長い時間の中で自然はその平衡点を見出す。それを私たちは自然だと感じる、急いで部分を組み換えたものは平衡からはずれ、いずれ自然はそのズレを取り戻すために揺り戻しを行うだろう。だから私たちはそこに不自然を感じるのだ」(ロハスの思考 p76)。

僕が日々圃場で感じる自然界の平衡を豊かな言葉をもって説明してくれたこれらの著書。僕らを含めてすべての生き物は、動的平衡の中で、流れ行く分子の一時的な淀みとして存在している。だとしたら、その流れを無理に堰き止めない、無理に加速させないためにどうしたら良いか、そんなことを考えさせてくれる本だった。
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インドネシア研修生のH君は、
この4月からの年度が、研修の最終年度。
つまり3年目になる。
かねてからの研修計画として、
研修生の最終年度は、各自、農業に関してテーマを設定して
試験的に栽培や販売をしてもらう予定でいた。
いわゆる卒業研究と言ったところだろうか。

H君には、
3月から断続的にそのテーマに関して卒業研究のプロポーサルの草案を
提出してもらい、その内容について指導してきた。
H君が選んだテーマは有機肥料の有効性。
プロポーサルを書いてもらいつつも
こちらから関連の文献(インドネシア語・日本語)を渡し
読んでもらっていた。

卒業研究と題しているためか
H君の頭は至極固い
というか、何を何で測るのかがよくわかっていない。
「研究」なんていうから、何やら研究ぽくしないといけない
と思っているのだろうか。
有機肥料の有効性を実証する研究で、
オクラを栽培するのだが、
有効性を比較検討するデータが、
生長速度、草丈や土壌酸度、葉の色、
などなどをH君は挙げていた。
それらから何が解るのだろう。
それは僕ら農民が、圃場で必要なデータなのだろうか。
まぁ、実際に大学で研究するときにはそういうデータも重要だろう。
意地悪な言い方をすれば、後付け的な説明として。
だが、僕ら農民が欲しいものとはやや違う。

農民子弟が農民のところで研修をする、
その最終年度の研究なのだ。
だとしたら、農民の視点でもって調べないといけない。
何かを有機肥料で栽培するとき、農民は何を気にするだろうか。
収量、品質はもちろんのことだが、
それと同じくらい、病害虫に対してはどうか?肥料のコストは?
肥料散布は簡単か?味は?
などなど気になることは多い。
こういうデータを取らなきゃ、僕ら農民には意味がない。
ちなみにオクラの場合、葉の形容から肥料の効きがどうかを読み取れるので
その知識と判断能力もこの研究の中で身につけないといけない。

さらに、有機肥料の作り方もHくんの草案には盛り込まれていたので
それらの資材へのアクセスが簡単か、輸送はどうだろうか、製作コストは?
社会的に受け入れられるものかどうか?などの検討も必要だろう。

より実践的な研究こそが、彼がインドネシアに戻ってから活きてくるのだ。
僕らは農民で、その研究だということを忘れちゃいけない。
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自然界のシステムに何か手を入れれば、
必ず、それに対しての変化と跳ね返りがある。
つまり、作用があれば反動がある、というわけ。

先日、アブラムシを故意に発生させたハウスに
購入した天敵農薬、アブラバチを放したことはすでに書いた通り。
夜温が上がらないためか
天敵であるアブラバチはなかなか増えない感じではあるが
着実に、少しずつだが増えては来ている。
アブラムシの発生スピードとの競争だが、
今のところは、アブラムシの発生の方が多いように感じる。

P4080007.jpg


放したアブラバチはコレマンアブラバチという日本に居ない虫。
このあたりにも土着のアブラバチはいるのだが、
農薬登録されておらず、人の都合で、使いたい時期に使うことはできない。
その虫が寄りつくような工夫はできるのだが、
この時期のハウスのように外気温との差が激しい場合、
アブラムシはその内部でどんどん発生はするものの
アブラバチが発生するハウス外では、まだまだ低温であるため発生しない。
この時期のギャップを埋めたくて、
農薬登録されている外国のアブラバチをハウスに放ったというわけ。
人間の驕りもここまできわまったかと言う感じを受けないでもない。

外来の品種を意図的に放てば、
当然その自然界にも反動はあろう。
化学合成農薬による反動もあるが
天敵を利用しても、その反動もあるに違いない。
結局はどちらがまだ自然に対して少ない反動で済むのか、
と言うことなのかもしれない。
まぁ、アブラムシ防除は2項対立的なものじゃないけど。

そんな風にハウスを眺めていたら、
意図的にアブラムシを増やそうと思って植えた麦に
テントウムシがいた。
今季初のテントウムシ。
P4080008.jpg

これもまた、作用があれば反動がある、なのであろう。
意図的に増やしたアブラムシを
捕食するために、テントウムシがやってくる。
しばらくすれば、僕が意図的に放ったアブラバチを横目に
孵化したテントウムシの幼虫がアブラムシを食べ始めるのだろう。

どうやら
僕はただただ、謙虚に観察するしかなさそうだ。
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04 06
2010

晴天
僕の農園もいよいよ忙しくなってくる。
朝から、苗で販売するためのきゅうりやオクラの播種。
合間を見て、最近注文が多くなってきているベビーリーフも播種。
移植用の土が詰まったポットも運び、
昼休み前に
友人に頼んでおいた吉川なすの接ぎ木プラグ苗を受け取りに行く。

午後からは、フェンネルやセロリ、ハーブ類を露地の畑に定植。
本来の定植時期とは違うのだが、
この時期に地元で作る人が少ない野菜なので
業者によく売れる野菜たち。
もちろん定植前から、売り先はすでに決まっている。
大量には必要ない野菜だが、必ず売れるので外せない。

ごんぼ(ごぼう)を播く予定の畑にくず炭を入れる。
顔じゅう真っ黒になりながらの作業。
ごんぼは土が命。

ナスやトマトを育苗ポットに移植。
ほとんどが苗といて販売するものだが、自分の栽培用もある。
今年は業者と相談して、伝統ナス2種とイタリアのナス2種を販売予定。
販売先を先に確保するのは、常套手段なのだが
それだけ栽培の成否にプレッシャーがかかる。
自分の腕の見せ所でもある。

前日使用したマルチがけのアタッチメントを取り外し
ロータリーをつけてなおして、露地の畑を耕転。

夜、新人と独立する若者の歓送迎会。

そんな忙しない一日だった。
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04 05
2010

天気が良いので、露地の畑にマルチをする。
昨年の新規就農者定着促進事業で購入した
マルチがけができるトラクターのアタッチメントを取りつけて
さっそく作業。

今までは、ハンドトラクター式のものや手作業でマルチがけをしていたのだが
時間がかかることと、ハンドトラクターのマルチの機械は
仲間で所有していることもあって、使いたいときに使えないこともあり
思い切って昨年、購入した。
それは一つには、今後浮いてくるだろう集落の農地を
うちが作り手として受けていこうという、僕の意思でもある。

マルチのアタッチメントはとても良好で、
みるみるマルチがけができた。
今年は、露地の面積をさらに増やし、昨年の倍をやる予定でいる。
仕事ばかりが増えそうではあるが
そこは上手に手を抜きながら(自然の摂理に乗っかりながら)
良い物を作ろうと思っている。
それも農の技の一つ、だと僕は思う。


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ひさしぶりに書評なんぞ書いてみようか。



和田 哲夫 著 「天敵戦争への誘い」:小さな作物防衛隊の素顔とは?.2003年.誠文堂新光社.

本書は、月刊誌「農耕と園芸」で2000年から2002年まで連載された文章を中心に、天敵による害虫防除についてまとめた随筆形式の本。一般的な教科書のように、天敵利用について網羅されてはいないが、当時の天敵利用について世界的な現状を紹介している。といっても、紹介されている事例に古さは感じない。それだけ、天敵利用の防除体系が遅々として普及していないからであろう。

体系的に勉強したい方は、他の教科書を読むと良いだろうが、教科書に無いような現場でのちょっとした技術がそこかしこに紹介されているので、実践を考えている人には面白いだろう。たとえば、ワーゲニンゲン大学の教授から伝授されたオンシツツヤコバチの使い方(靴の空き箱利用;p34-36)や先進的な農家のバンカープランツの利用法(p63-65)などは、実践的ですぐにでも役に立ちそうである。

本書は、専門月刊誌の連載を本にまとめたこともあり、著者の主張が一貫性を持て読者に明示されてはいないのだが、各文章に通底するものは、天敵防除はただそれだけで防除として成り立つものではなく、さまざまな防除体系の一つとして総合的に扱われるべきだ、と読み取ることができる。有機農業に対する論考(p41‐42)では、一つのドグマに則っていくことは科学的でも、そして理知的な方法でもないとその姿勢を批判し、あらゆる可能性の一つとして天敵の普及を示唆している。もちろん、天敵防除が全てでもないことも、明確には記されてはいないが、紹介されている現場での事例からも読み取れる。この考えには、大いに賛同できる。確かに、有機的資材の有効性や、持続的で永続可能なエコシステムの優位性を僕も現場で実体験として認めてはいるが、現在はそれがすべてとも思っていない(施設内での肥料は、すべて有機肥料のみをしようしてはいるが)。

著者は、天敵農薬の利用によりある種の外来天敵による生態系への影響については、やや楽観的である。海洋島では絶滅あるいは絶滅危惧の種もあるとしているが、大陸島ではその心配は少ないという。すでに人の動きによって多くの微生物が世界的に行き来をしている中で、目に見える大きさのものだけをことさらに取り上げて批評することにいかにその甲斐がないかを説明している(p112-113)。だからといって、意図的にある種の危険性を持つ動物種の移動を安易に認めるべきではない、とも記してはいる。

天敵の現場での現状やその考え方を知りたい方にお薦め。特に自分のこれまでの害虫防除に疑問を感じた農業者は一読の価値あり。
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4月
新年度の始まり。
人が動き、色々なことが新しく始まる月。
そして、季節も動く。

アメリカやインドネシアへ転勤する友人も何人かおり
うちの農園を巣立って、自立する若者もいる。
そして、その若者が出ていくのと同時に、
他の若者がうちに研修にやってきた。

今月半ばには、またインドネシアの農民子弟が
研修生として、うちの農園に来る。
これで3人目となる。

そして僕は、
相変わらず、ここで泥にまみれる営みを繰り返すだけ。

就農をするときに、
生産能力をあげることに投資をせず、
ただただ人が集まるようにと考えて研修棟を建てたことを思い出す。
当時の僕には、ちょっと荷が重い借金のようにも感じた。
ただ、
人が集まる場所には力が生まれる
と僕は信じている。
インドネシアで村おこしをやってきた経験から
僕はそう思っている。
最近では、若手農業者クラブで行っている
食農活動の経験からも、同じようなことが言えるだろう。
人が集まる場所には力が生まれる。

ここに集まった人々からは、力はまだ醸成されてはいないが
明らかに、ここ数年で農園の雰囲気は変わった。
それぞれの目的意識は違えども
この力が、地域の力に結びついていかないかと
今年も夢想することになりそうだ。
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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

メールは
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です。
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