3月中旬から農薬の散布を始めた。
物理的に虫の気門(呼吸口)を封鎖する農薬。
食品にも多く含まれているし、
食品加工の中で、添加物としても使われる脂肪酸が有効成分の農薬。
そして、3月26日より化学合成農薬も使用開始。
ネオニコチノイド系のモスピラン水和剤。
キスジノミハムシという小さな虫に、この散布以外に有効な手立てを
いまだに見つけられず、今年も散布。
熱水の土壌消毒も考えたが、コストと環境負荷の両面で折り合わず見送る。
物理的に補殺する粘着テープは試してみようかと思っているけど。

さて、それ以外に、
今年から大々的に導入しようと思っているのが、
これ↓

P3300030.jpg

これも農薬。
アブラバチというアブラムシに寄生する昆虫。
体長1ミリ程度の小さな虫が、1ボトルに250匹入っている。
これを本日、ハウスの中で放つ。

3年前から、ハウスの一部に麦を植え
このアブラバチが発生するようにしていたのだが
どうしても3月ごろに、アブラバチよりも先にアブラムシが大発生してしまうので
それを防除するために、アブラバチを買う。

この辺りにも、土着のアブラバチは豊富にいるのだが、
これまでの取り組みで実践してきた
ハウス内への麦の混作は、
その麦につくアブラムシ(ムギクビレアブラムシ)に
うまく土着のアブラバチが寄生してくれるかどうかは、
かなり運任せなところがあり、防除体系に組み込むにはやや不安定だった。
定期的に天敵を購入して放てば、それはそれで安定するとは思うのだが
コストの面と、天敵という特定の種を意図的に増やすという人為的操作は
やはり根っこの部分で、従来の農法となんらかわらない、と
やや批判的に考えていたため、今日まで導入をためらっていた。

そのためらいは、今も消えてはいない。

だが、
今年は導入しようと考えている。
昨年の露地で、大々的に麦とソルゴーを混作し
土着の天敵が多く発生したことが観察できた。
そして、それらが害虫防除の一役をかってくれたと高く評価している。
特定の昆虫だけを増やし続けることに、今も不安はあるが
化学的な防除だけからの脱却として、天敵の購入に踏み切った。

種を増やすという意味では、ハウス内にしても露地にしても
多品目の混作をこれまで通り続けていく予定をしているので、
それぞれに発生する害虫に合わせて、
さまざまな天敵を今後放していく予定でいる。
多種多様で、豊富な生物相の維持を目指して。


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先週、
ズッキーニとカボチャを播種。
両方合わせて10品種ほど播く。
どっちを何品種播いた、とは言えない(言いたくない?)のが
ズッキーニとカボチャの関係。

カボチャは、英語ではスクワッシュと呼ばれているが
若取りをして、ズッキーニのように食べるスクワッシュも
西洋には多くある。
だから、
日本でズッキーニと呼ばれている野菜と
カボチャと呼ばれている野菜の間に
品種的に、学術的には線引きは、はたして出来るのかもしれないが
「食べる」から見えてくる野菜像の間に
明確な線引きするのはちょっと難しい(と思う)。
そういう野菜は、僕の好みに合っている。

若いうちはズッキーニのように食べ
実が熟してくれば、カボチャのように食べる。
そんな品種も3品種ほど播く。

うちでは基本的に野菜はスーパーでは買わない。
娘の弁当の日で、どうしても色合いがほしくて、
真冬にミニトマトを妻が買ってきたりするのだが、
本当は、僕はそれはやめてほしいと思っている。
だから基本的にトマトは夏以外に口にすることはないし
オクラやナスも夏以外には食べられない。
逆に、夏にごんぼ(ごぼう)は食べられない。
ちなみに今は、ブロッコリのわき目、アブラナ科の葉野菜、菜の花、ネギが
うちの食卓の主流となっている。

そんな生活を始めて、2年。
季節の変化に身体が欲する野菜が
だんだんと感じるようになってきた。
暖かい日が多くなり、
ハウスの中では夏日になるような日が、幾日かあるこの3月下旬。
やたらとオクラやズッキーニなんかを食べたくなってくる。
そんな気持ちが高まってくるころに
ちょうど種まきになるようで、
種をまきながら、今年はどう食べようか、どう料理しようか、
そんなことを考えていた。

もちろん、売れ筋の品種も逃しはしないけど、
食べることから考える農業は面白い。
実践すればするほど、僕がもっていた固定概念が崩れていく。
経験を積めばつむほど、野菜という基準が解らなくなっていく。


・・・カボチャやズッキーニのことを書いていたら、無性に食べたくなってきた。
そうだ!今晩は昨年夏に収穫して保存しておいた
カボチャがまだあるから、今晩にでも食べるとしようか。
雪が少し舞うくらい寒い日なので、スープにして食べようか。
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若手農業者クラブの総会があった。
僕は仕事の関係上、出席ができなかったのだが
担当の普及員から
「来年度(22年度)も、クラブで食農活動を続けていくことになった」
と電話で知らされて、一瞬わが耳を疑った。

2008年(平成20年)に始めた体験田んぼで
僕を含めて、コアなクラブ員には、
何かを皆で一緒にやることの楽しさと大切さを共感できた。
準備や実行段階では、各自それぞれが自分の農業の忙しさの中で
時間をやりくりし、それでもその活動に参加することに
それぞれが意義を感じていた。

いろんな状況下で始めた食農活動だったのだが
2009年は、次に会長をした、僕の中学時代の先輩にあたる人が
「やりたい!」と強く意思表示をしたので、
僕らも「やろう!」と盛り上がって、勢いでその年の活動をやっていたような気がする。

この間、2008年の活動で
福井県大会、北陸大会と若手農業者クラブの発表コンペを勝ち上がり
今月の上旬、全国大会で発表するという栄誉もついてきた。

僕の中では、その時点でひと区切りついていたし
クラブ員の様子を見ていても、今年はやらないだろうな、と僕には見えていた。
しかし、ふたを開けてみると
今年会長をする奴が
「今年もやる」と言うではないか。

彼は、全国大会まで2008年の発表をしてくれた人で
勝ち上がるたびに、一回りずつ成長していくような感じだった。
全国大会では、賞こそはとれなかったものの
発表後の審査員のコメントに
「素晴らしい活動をしていますね。私も農業者として30年以上食農活動を続けてきましたが、こういう活動は続けていくことに意味があると思います。主宰する側も参加する側も大きく成長する活動ですので、是非、これからも続けていってください」
と激励を受けた。

僕はそのコメントに感動したのだが
どうやらその彼も、そのコメントが大きかったようだ。
「そう言われてうれしかったです」と
人伝にだが、今年も食農活動を続けようと思うきっかけになったと聞いた。

そして、もう1つ驚いたことに
今年の秋に行われる発表コンペでは、
この食農活動では参加しないというのだ。

発表のための活動というわけではないのだが、
皆のモティベーションを上げるために、僕はこの発表コンペで上に勝ち上がることを
常に意識してきた。
周りから、外部から評価されることもまた大切なのだ。
だから、2008年の発表は、そのために是が非でも全国まで行きたい、と思い
無い知恵を絞って、皆で作り上げ、全国まで行くことができた。

2009年の発表でも、
福井県大会ではなく、北陸大会を意識して
発表者のプレゼンをみんなで手直しした。
だが、2009年の発表は惜しくも福井県大会で2位となり
北陸大会へは勝ち上がれなかったのだが。。。

そういうこともあったので
今年はみんなのモティベーションはどうかと思っていたのだが
なんてことはない、
そんな仕掛けなんてもう必要なかったのである。

どこの保育園とやるかはまだ決まっていない。
が、今年も僕らは食農活動をやることだけは決まった。
感動を共感できる友人たちに囲まれる会は、
参加していても楽しい。
青年海外協力隊から帰国して、ずーっと感じてきた孤立感は
今はもうどこにも感じないのである。
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むらのJA青壮年部で江堀を行う。
集落での青壮年部の活動は、江堀と新年会の2回だけになっており
そういう意味で、集落内の重要な懇親の機会だったりもする。

むらの中の生活排水路を泥上げし、
空き缶やゴミを取り除く江堀作業。
当然、きちんと仕事もやるが
たまにしか集まらないこともあって、この日は朝から晩まで飲みっぱなし。

今年は無かったが
例年であれば、朝、皆が集まった段階で
むらの神社に飾られた新年のお神酒を
飲んで始まる。
膝近くまで泥で埋まっている場所もあるため
作業はなかなか大変で、休憩は長めにとるのだが、
その休憩でもビールを飲む。
実は、酒を飲まなきゃ仕事はもっと楽なのだろうけど。。。

昼は、焼肉を食う。
ここでも酒はいくら飲んでも良いように準備しておく。
肉が足りなければ、肉屋に配達を頼んで
とにかく全員が満腹になるまで、
五臓六腑を酒で満たすまで飲んで食べる。

こうなってくると、昼からの作業はやりたくなくなるのだが
重たい体に鞭を打って、作業を再開。
作業は、3時ごろには終了し、いったん解散。
夕方頃、集落の小料理屋に再び集まって、夕食会がある。
そこではコンパニオンまで呼んでのどんちゃん騒ぎ。
さすがに1日中飲んで、1日中重労働をした体では
体力的にきつくもあるのだが、
今年は若い人も多かったためか、
かなり盛り上がっていた。

むらでの奉仕活動に参加しない人が多い昨今。
他の集落では、その人たちに罰金を科すところもあるとか。
出てこなければ、金を払え、という論理らしいが
反対に見れば、金さえ払えば、面倒な集落の関係から自由になれる
ということでもある。
だから、そういう人が後を絶えない、とも聞いたことがある。
うちのむらでは、罰金はとらない。
義務化もしない。
ただ、出ないと損、と思わせるようにするだけ。
今回の集まりで、けっこう年配の人も、
「義務にするんじゃなくて、みんなの楽しみにならないといけない」
と言っていたのが僕の心に残った。

地縁なんて必要ない、と思われがちなのだが
住んでいる場所での、コミュニティ内でのwell-beingこそが
いま最も大切なように感じる。
それはうわべだけの言葉じゃなくて、
一人一人が顔を突き合わせての生の関係の構築なんだろうと僕は思う。
むらの関係は、たしかに面倒くさい面もあるが
面倒くさいよりも、それはそれで楽しみでもある、
と、楽しみの方が少しでも上回る、そういう関係にはならないだろうかと
常々思う。

その一助になるのであれば、
朝から晩まで飲み倒すうちの江堀の活動は、
他からみれば堕落だろうし、遊びすぎのようにも思われるだろうが
僕は真面目に、そして真剣に、
この日1日は、とことん皆で飲み倒して、
ばか騒ぎしてしまえば良いと、思っている。

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朝飯も食えないくらい忙しく
昼飯もとりあえず何かを口の中にかき込んだだけで済ませ
日暮れまで圃場で作業しっぱなしの日だったのだが
昼からしばらく、
味噌屋で行われる味噌作り教室に参加。

なんとも矛盾した行動だが
毎年通っている味噌作り教室が
今日で今年最後の教室だと先週知り、その時点で忙しさも顧みず
予約を入れてしまった。
月末までに仕上げないといけない原稿を
「ほとんど書いていない」と焦っている妻も引きずっての
味噌作り教室への参加。

3年目にもなると、味噌作りも手際が良い。
言われる前から、どんどん仕込んでいって
昨年の倍の量をお願いしていたのだが、
すでに豆もつぶされて用意されていたこともあって、
約1時間で終了。

いつもなら味噌のうんちく話を聞いてくるのだが、
今年はその余裕もないまま、帰って来た。
玄米麹が良い、と聞いたのでそれについて意見を聞きたかったのだが
それは来年になりそうだ。

味噌は寒の頃につくれ、というが
最近、読んだ雑誌では、味噌は風味が命なので
麹菌が活発に動く4月ごろから作り始めるのがおいしい
と書かれていた。
また長年、生改(生活改善普及員)を務めてきた叔母も
「味噌づくりは4月に」と言っていたので
どうも少し暖かくなってから作った方が、
風味としても麹としても良いようだ。
かつては衛生状況の悪さや農作業の分散化ができなかったこともあり
時間があって、水がもっとも澄み切る寒の頃に
味噌を作ったのだが、
状況と環境、労働の変容を受けて
最近では、寒の頃がベストでもないようだ。
誰にとって、何にとって、どうベストなのか、という価値の変化も
読み取れるだけあって、この話は面白い。
伝統や風習なんてそういう変化・変容にさらされている方が
なんとも実生活の中で息づいているように感じる。
「伝統」ばかりに目を取られ、変化や変容に気がつかない姿勢は
僕から見れば、それは堕落であり、
実生活から乖離してしまった遺物でしかない。

とにもかくにも、今年も味噌を仕込んだ。

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インドネシア研修生への座学。
カリキュラムも何も全く整備されていないのだが、
とりあえず「農業の構造」のシリーズは終了し、
農という表象を支えるそれぞれの構造を考察する座学は、
この1月で終了。
まず総合的な視点を養ってから、各論に入ろうかと思っているので
農業の勉強に来た研修生には、とっつきにくい授業だったともいえよう。

さて、それが終わってから、
しばらくは農業界のホットでグローバルな話題を取り上げたビデオを見ながら
議論を重ねてきたのだが、
この3月から、新しい授業に移る。
4月で2年目になるイル君が受ける授業。
3年目になるH君は、自由参加の授業となる。
「農業ビジネスの成功事例考察」。
昨年も、1月くらいからH君にこの授業はしている。
マンガで書かれた事例集を読み(日本語)、
プレゼンをして、成功のカギは何か、を議論する授業。
ゼミ形式で、授業に臨む研修生の宿題は格段に多くなる。

さて、昨年同様、(昨年のエントリーはこちら:その1その2
イル君に徳島県上勝町のいろどりの事例を手渡した。
2週間ほどで読み切り、内容の確認を先週行い、
今日、成功のカギについてのプレゼンをしてもらった。
イル君は、いろどりを手掛けた横石氏のリーダーシップだと評価し、
はっぱも様々な種類を出荷することで成功したのでは、と発表してくれた。
ただイル君は、ただのはっぱが売買されることに、
やはり疑問を持っているようだった。

確かにそうだろう。
はっぱはどこにでもある。
が、それが商品化するには、同種類では同じ大きさで同じ色合い
という均一性が必要だし、
その均一性がとれたはっぱの種類が多ければ多いほど魅力的になる。
それらは公園や庭先に落ちているはっぱとは違って
欠けていてもだめだし、汚れていてもだめだ。
ただのはっぱだと言うが、それは商品として評価に値する品質が必要なのである。

野菜も同じなのだ。
もともと植物の中から、人が勝手に、食べられそうなものを野菜と分類しているだけで
植物自身は、野菜という名前がつけられようが雑草と言われようが
そんなことは知ったことじゃない。
それらを人が選別して、畑で蒔くようになったのが野菜で、
その野菜にしても、畑という管理された状況下で収穫すれば
そのまま商品になるわけでもない。
収穫された野菜は、傷んでいる葉などをきれいに取り除き、
時には水洗いし、時にはきれいな布でふき、
そしてきれいに袋詰めにされて、初めて「商品」となるのである。
この手間と技術が、ただの植物を「商品」にしているのだ。

確かに、だれがどこにでもあるはっぱを買うのか?と
思わないこともない。
それはH君の時にも話したが、
潜在的な市場を横石氏が見極めた先進的な眼差しの
なせる技なのだろう。
こればかりは、どうすれば身につくのかは僕にも解らない。

ただ、もう一つ言えることは
横石氏は、上勝町の資源をポジティブにとらえていたということだろう。
何もない田舎、山ばかり、高齢者の住む町。
そんなどこにでもある田舎で
その資源をポジティブに捉えなおした時に
目には映っているのに、意識下に置かれていなかった資源が見えてくる。
その意識化と横石氏の潜在的市場への先進眼、
そしてはっぱを均一性と高いクウォリティーをもった「商品」へと
転じることができたことが、この事例の成功のカギと言えよう。

他の地域との比較の中で(とくに都市との比較)
そこに住む住民が、自分たちの資源を
「なにもないところ」と表現することがある。
近隣の田舎でどこにでもあるものがあるだけで、
都会や他の発展している地域に比べて
何もない、という意識。
目に見えている風景を、
たぶん普段は、そんな風には思ってはいないのだろうが、
調査者や外部からくる人たちとの関わりや関係性の中で
どちらかといえばネガティブな評価を下してしまうことがある。

外部の人からのポジティブな反応で
それらがポジティブにも変わったりもするのだが、
横石氏というよそ者がかかわることで、
確かに上勝の資源はネガティブなものからポジティブなものに変わったようにも見える。
ただ、一つ気をつけなければいけないのは
「資源化」についてだ。
この評価は、外部からの押し付けであってはならないし、
まっとうなかかわりの中でなら、
相互作用的に内部の人も外部の人も、それら目に見えている風景を
だんだんと資源化していくのだろうが
内部の人が、当たり前と思っている風景と、
それを見たときに湧き上がる情感、そして風景に埋め込まれた地元の生活史を
外部の人間が、ランドスケープ的に
自分たちの持つ価値と美的センスからくる情感との間に
大きな差異が存在していることを忘れてはならない。

まぁ、それを感じることがあるとすれば
イル君が地元に戻って、何をやり始めた時の話だろう。
それもそれに自分から気がつくかどうかは
かなりセンスに左右されるとは思う。
話してはおいたが、イル君自身はピンときてなかったようである。

次回は馬路村の考察である。
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快晴の1日。
3月、4月に畑に定植を予定している野菜たちがあり
こういう晴れ間は、とても助かる。
畑を起こし、定植準備をするのに、絶好の日和。

だったのだが、今日は1日中、むらの行事。

朝からむらの神社に集まり、春祭りの準備をする。
祭りは春と秋と2回だが、
春は、通常、簡素に行われる。
むらの役員だけが集まって、社に垂れ幕をつけ
掃き清め、神主さんを呼んで祝詞をあげてもらう。
役員で玉串を捧げて、それでおしまい。

例年であれば、春祭り後は自治会長さんのお宅で
昼過ぎまで酒を飲むのだが、
ここ数年でそれも簡素化したらしく、
酒を一滴も飲めず終い。
朝から、“今日は1日中酒が飲める”と張り切って
ウコンの力を飲んで臨んだのに
まったく、肩すかしをくらってしまった。

春祭りの後は、むらの役員会。
細々したことを細々と決める。
当然だが、これも酒は無し。

昼過ぎから、今度はむらの農家組合の用事。
調整水田の杭打ち。
減反を各戸で、どこでやるかを決めてもらうのだが
田んぼ一筆丸々減反する場合は、杭打ちは必要ない。
しかし、一筆の田んぼ、たとえば3反の田んぼで
7畝だけ減反をする場合、
その田んぼの7畝分は、農家組合で測って杭を打たなければならない。
事前に計算しておいた図面を見ながら
そういう一筆の全部を減反しない田んぼに
減反分の面積が解るように杭を打って歩いた。
なかなかの仕事で、役員4人で3時間ほどかかる。

こうして農作業に絶好な1日は過ぎた。
明日からは雨らしい。。。

ただ、杭打ちの後、役員で飲みに行った。
この日、ようやく、僕は酒にありつけたのだった。
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2,3日前の話。
何気なくつけたテレビで、地元のニュース。
どういう会議かは忘れたが、農業者や小売業、消費者、有識者なんかが集まって
食について話し合っている地元ニュース。
知り合いの農家が出ていたので、思わず手を止めて
テレビに見入る。

そのニュースでは、その会議で
農業の情報を消費者にダイレクトに伝えるために
QRコードを利用した情報開示を行っていこうという
具体的な取り組みを紹介していた。
なるほど。
そりゃ、良いことだ。

どんな情報を開示していくのかと言えば
いろいろとニュースで入っていたような気もするが
「使用農薬の履歴」という言葉が耳に入り
僕の中で残った。

使用農薬の履歴。
とても大切な情報。
その農産物を生産するのに、いったいどういう農薬を使用したのか、
それを記録したもの。
僕も毎回、農薬散布をするたびに、その記録はつけている。
それをスーパーや八百屋の店頭で
QRコードを通じて、携帯電話の画面を通じて
食べる側が見ながら、その農産物を買うかどうかを決めたりもするようになる、
ということか。

それは正しい情報開示の仕方だろうか。
僕は疑問に思わざるを得なかった。

数年前、早稲田の女子大学生が僕の農園で数日過ごした。
なかなかの勉強熱心な女の子で、
農業界の問題にもスバスバと質問されたのを今でも思い出す。
ちょうどその時、資材の業者から
「野菜の袋にQRコードを印字しませんか」
と誘いを受けていたので、
その学生とも、そんな話をした。
それをきっかけに、ネット上でアンケートを取り
使用農薬の情報までを、携帯サイトでお手軽に見えるようにするかどうかを
検討したことがあった。
まぁ、アンケートの取り方も量もまったく足りないものであったので
参考程度にやってみただけだったのだが、
サンプル数が少ない割に、面白い結果だった。

どういう結果だったかと言うと
農薬の是非を深く議論しているようなネットのサイトでは
使用農薬の情報はぜったい載せるべし、という意見がほとんどだったのだが、
幼児の育児で情報を交換し合っているようなお母さんたちのサイトでは
そういう情報は見ると怖くなるから載せないでほしい、
などの否定的な意見が多かった。
自分では農薬の是非を判断できない、ということからくる不安なのだろうか。
以前読んだリスクマネージメントの本や
安心と安全を考察した心理学の本では、
自らが判断できない情報は、
その情報発信元の信頼度を判断して
その自らは判断できない情報に対して2次的判断をもって
良し悪しの判断をする傾向があるという。
農薬の是非を議論しているようなサイトに書き込んでいるような人たちは
農薬の情報にも詳しく、
自ら判断できることから、使用農薬の情報開示は必要不可欠
と思うのだろう。
だがその一方で、自ら判断できない人たちは
その情報は、不安感を煽るだけで、
正確に物を選ぶ判断基準とはならない、ということである。
使用農薬の履歴が、野菜を選ぶ判断基準として
正しいか正しくないかは、個人の価値基準の話であり
価値観が違えば、判断基準は自ずと違っていて当然だろう。
そういう人たちは、見なきゃ良いんだ、とも言えるかもしれないが
作る側と食べる側を結ぶ小さな窓である
QRコードをもっと有効に使ってほしいと思う僕は
もっと記載すべき情報が他にあるんじゃなかろうかと
思ってしまうのだ。

これを読んでいるあなたは、どうだろうか。
店頭に並んでいるナスにQRコードが付いていて
それを携帯でのぞくと、次のように書いてあったとしよう。

農薬履歴
アドマイヤー水和剤 2回

というナス。生産者Aさんのナスとしよう。

その隣に生産者Bさんのナスあり、それにもQRコードが付いていたので
携帯で見てみると、

農薬履歴
アフィパール 1回
サンクリスタル 2回

とあったとする。

どちらのナスをあなたなら選びますか?
生産者Aさんのもの?それとも生産者Bさんのもの?

農薬の使用回数が少ないのは、生産者A。
それが判断基準となれば、AさんのナスはBさんよりよく売れるだろう。

だが、農薬の中身は実際にはどうか。
Aさん、Bさん、どちらもアブラムシに困っていたようで
防除暦で使われている農薬はアブラムシ対策のもの。
Aさんが使用したアドマイヤーは、ネオニコチノイド系農薬で
原体はイミダクプリド。
アブラムシの神経経路を阻害して死に至らしめる。
天敵に影響が少ない反面、
少々、ミツバチに対しての感受性が高いので、僕は使わない。
(ネオニコチノイド系の農薬が悪いわけではないのであしからず。これに関するエントリーはこちら

ではBさんはどうか。
アフィパールは天敵農薬の商品名。
アブラムシに寄生するアブラバチそのものが農薬登録されており
その商品名。
サンクリスタルは、食品加工にも使用される脂肪酸で
物理的にアブラムシを窒息させてしまう農薬。
Bさんは、環境配慮型の農業をしているといえよう。
これらの環境配慮型の農薬は作用点にむらがあるので、その分、
回数はどうしても増えざるを得ない。
ご苦労なことをしてまで、環境に配慮して物を作っても
もし、食べる側が使用回数だけで安易にAさんのナスを選べば
Bさんはやっていけない。

こだわりが通じるからこそ
作る側と食べる側をつなぐ意味があると僕は思う。
情報は羅列されることに意味があるのじゃなく
それが物語として形作っているから、意味があるのだと思いたい。
だとすれば、情報はどう開示されるべきか
自ずと見えてくるような気もする。

以上、雑感まで。
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03 10
2010

P3090048.jpg

春めいてきたかと思えば
また雪が降る。

だからといって、春が遠のいたわけじゃない。

春に畑に定植する野菜の種を播き
畑で使うマルチがけの機械を点検する。
資材屋に、そのマルチを注文し
種屋に、足りなかった種を追加注文する。
業者から、明日の注文に加えて
この春から栽培してほしい野菜の電話が鳴る。

雪が降ったので、外仕事はできないが
だからといって、わが農園の春が遠のいたわけじゃない。

春はすでに忙しさとともに
やってきているのである。
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農産物の配達の時、
いつもは急いでいて、ほとんど挨拶程度しか声を交わさないのだが
「今、時間ある?」と言われて、久しぶりに話をする。
その業者は、僕が協力隊から戻ってきて
地元で農業をするようになって、初めて僕から野菜を買ってくれた人。
そして、僕が今のような、友人が指摘してくれたような「オモシロ野菜」を
栽培するようになったのも、この人の影響と言っていいだろう。
(とはいっても、「オモシロ野菜」はあまり買ってくれないけど)

その人は日曜日に他県へ農家周りをしたようで
その写真を見せてくれた。
何十年もトマト一筋で栽培している農家や
ハーブや西洋野菜栽培を30年前から始めている先駆的な農家で
自家採種もして、固定種にこだわっている農家などなど。

その業者が買っているトマトやイチゴも
食べさせてもらったのだが、
トマトに関して言えば、まさに芸術品。
美味しい野菜を作る技術が乏しい今の僕には、
到底まねのできない代物だった。

その人と話している時間はとても楽しい。
レストラン相手の業者ということもあってか、
僕ら農民が考えているような切り口では
野菜を見ていない。
それが僕には刺激になる。

その刺激を今年の野菜にどう活かそうか。
それを考えるのは、また楽しい時間でもある。
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週末は東京だった。
若手農業者クラブのプロジェクト活動発表コンペの全国大会の応援のために。

僕が所属しているクラブでは、初めての全国大会。
県大会、北陸大会と勝ち進んでの全国大会。
発表者は緊張した面持ちではあったが、
きっちりと時間内で発表をしてくれた。

発表内容は、このブログを読んでくれている皆さんでは
すでに忘却の彼方へ押しやられてしまっているかもしれないが、
娘が通う保育園との体験田んぼの記録であった。
2008年の活動をなぜこの2010年に?
と思われるかもしれないが、
ちょっとした大会運営上の問題と、地方大会間のタイムラグで
2年も前の話を、今頃しないといけない状況だった。

当然、クラブ員もそれほどこの大会に対してのモティベーションは高くなく
応援と称して参加したのは、僕だけだった。
まぁ、しょうがないか。

結果だが、
やはり全国は広い、と感じさせられる結果だった。
賞は何も貰えず終い。
発表者のレベルも高く、内容も僕らの考察や手法ではとてもじゃないが
賞をもらえるような雰囲気ではなかった。

が、良い勉強にはなった。
上には上がいる、と解っただけでも。
この斜陽産業。
若手が居なくて、そこに居るだけで大事にしてもらえるような
こんな時代に農業を始めた僕は
すこし周りをなめていたのかもしれない。
もう少し真面目に、真剣に、考えてやらねばなるまい。

この夏、まわりまわって、僕が地区を代表して
再び発表コンペに参加することになっている。
今度は、若手農業者クラブではなく、
JAの青年部組織の発表コンペ。
賞はあまり気にしないが、
自分の所信表明という意味では、これ以上の会場はないので
なんとか一番大きな会場まで這いあがって
出来るだけ多くの人の前で話ができればと思っている。

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3月になった。
3月と言えば、年度末。
といっても、お役所ではないので、それで忙しくなるわけでもない。
ただ春めいてきたので、3月という数字に関係なく
農園は忙しくなってきている。

ただ、例外がある。
インドネシア農業研修の事業。
2008年に来たH君が、4月から最終年の3年目に突入する。
いままで通り、実習と座学を繰り返すだけでもいいのだが、
それではいまいち面白くない。
そこで、3年目は個人課題を決めてもらい、研究と文献精査をして
論文とまではいかないだろうが、簡単な書き物を残してもらおうと思っている。
とはいっても、一応、学部生の卒論レベルを目指して指導するつもり。
そんな余裕が僕にあるのかどうかは、僕もよくわからない。

1月から断続的に個人課題の相談を受けていたのだが、
ようやく1本目のプロポーザルを書いてきた。
彼が選んだのは、有機質肥料の利用実験、だった。
ここに来てから、彼は、
自国インドネシアだと、農民から「ミトス」(神話)としか非難されない
有機質肥料の実際の効果を嫌というほど目にしてきた。
そこで、新しく販売にもつながると考えている作物「オクラ」を対象に
有機質肥料の効果をはかることを個人課題として提出してきた。
ちなみにインドネシアでは、オクラは一部の地域では
ずいぶん昔から親しまれてきた野菜だが、ジャワではまだまだマイナーな作物で
やり方次第では、まだまだ売れるとH君は睨んでいるようである。

余談だが、僕が知っているインドネシアの協力隊隊員で
比較的栽培が楽であるオクラを普及させようという隊員は何人もいたが
誰一人として普及に成功はしていない。

実験自体は、それほど難しくない。
対象区を設けて、施肥に差をつけて、生育の変化を見ればいい。
それに使用する有機肥料の一つは、H君自らが作成する予定である。
さらに、文献精査も行い、
日本での有機肥料に関する記事や
インドネシアの有機肥料の論文等を読んで、
最終的には、普及を踏まえての社会的要因等も考察してもらいたい、と思っている。

課題を自ら決めるプロセスは、
とても面白い。
彼のやる気が前面に感じられ、この事業を
一文にもならない、この事業を
やっていて良かったと感じる。
と、同時に、僕の奥のどこかに沈殿してしまった探究心も
再び頭をもたげてくるのを感じる。
こういう相互作用は、実に心地がいいものである。
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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

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