先週は天気も良く、外仕事がはかどった。
余りにも天気が良かったので、
野菜の出荷の合間を見て、山仕事もする。
次の冬に備えて、薪を集めるために。

今シーズンの薪ストーブもそろそろ終わりを迎えている。
まだまだ寒い日もあるのだが、
我が家は蓄熱暖房と薪ストーブの2つの暖房を使用しているので
春を感じられるようになってきた頃には
薪ストーブもその役割を終える。

薪ストーブは、つまりはONとOFFしかない暖房だと思えばいい。
一度つけると、燃焼効率や煙突がつまりやすい等の問題で
常に運行温度を250度位に保たねばならない。
気温が比較的高いからといって、運行温度を下げて薪を燃やすことは
あまりしない方がいい代物なのだ。
そうなってくると、少し暖かいが暖房がほしいような日は、
薪ストーブをつけると、室温が30度近くになることもある。

なので、うちでは、秋や春に対応するために、蓄熱暖房も入れている。
ちょっと贅沢な暖房設備といえるだろう。

そうはいっても、極寒期は薪ストーブが大活躍する。
蓄熱暖房は、部屋の体積と暖房効率から計算されて、大型のものを2機入れたのだが、
とてもじゃないが、それだけで冬はしのげそうもない。
そういう時期は、薪ストーブを24時間フル稼働させて
暖をとっていた。

薪ストーブを24時間フル稼働で使い続けると、
使用する薪の量は、半端じゃない。
今シーズンすでに、2トントラック3杯分の薪を使用してしまった。
3月いっぱいまでは、薪ストーブを使用するだろうから
少なくともシーズン初めには、
2トントラックで4杯分の薪を用意する必要があるだろう。
なので、天気のいい日を見つけては
仕事の合間をぬぐって、山に入るのである。

先週は、コナラの立木(直径40㎝位)を2本伐倒。
6mほどの崖の斜面に立っている木で、
丁度、崖に橋を渡したような形で寄りかかったため、
切り倒してから後の始末にずいぶんとてこずる。
祖父が山仕事の指南をしてくれるのだが、
腕くらいの太さの幹は、しいたけの原木にするからと言って
半分くらいは持って行ってしまった。
近くに直売所ができてから、
売るのが面白くなったようで、近頃は下手な野菜作りに精を出しているようである。
薪にしようとした原木を持っていかれるのは、ちょっと癪だが
まぁ、祖父の山なので、それもしょうがあるまい。

来シーズンに向けて、
これまで何とか2トントラック2杯半くらいの薪はため込むことができた。
農作業の合間を見て、あともう1回くらいは山仕事をする必要がありそうだ。

それにしても、
人が冬場に暖をとるというのは、
こうも重労働だとは思わなかった。
化石燃料に頼らない暮らしは、
言葉やどこぞに書かれたような思想ではなく、
その労働と技、そして、それを実行可能な肉体にこそ宿るのであろう、と最近は思う。
関連記事
インドネシア研修生への座学の話。
ここ4回ばかり、遺伝子組み換え技術に対して授業と議論をしてみた。
まずは、イメージを持ってもらうために
「食の未来」という映画を見てもらった。

なかなかショッキングな映画で
遺伝子組み換え作物による環境汚染、
人類のもっとも共有すべき財産である種子に、
パテントを取った遺伝子を組み込むことで、種子に対してパテントが取れるという話、
などなど、なかなか考察に値する映画だった。

モンサントが持つ遺伝子組み換え作物で
除草剤に耐性のある作物があるのだが、
その作物が、他の作物との交雑で、除草剤に耐性を持つ植物が発生している
という印象を受けるようなフレーズがあったのだが、
除草剤に耐性を持つ遺伝子が
他の植物に移ったのか、それとも除草剤の使用頻度が多くなり
そのために除草剤に耐性を持つ植物が発生したのかは
説明が曖昧で、やや不満が残ったのは余談。
もし耐性遺伝子が、他の植物との交雑の中で移りえたとすれば
これほど忌々しき問題はない。

さて、
遺伝子組み換え技術は、どこから生まれたのか。
その技術自体の話ではなく、その技術は何を目的にしてきたのか、という話。
60年代、全世界をある革命が覆った。
赤の革命ならぬ、緑の革命である。
恒常的な食糧不足を解決するための方策として
化学肥料と農薬を使用することを前提として
高収量が約束されている品種の導入(麦・米など)のことである。
種子と化学資材がパッケージになって一体型の普及法であった。
インドネシアでいえば、稲の栽培期間がぐっと短くなり
このパッケージにさらに灌漑設備が投入され、
1年に3回の米作りが可能になった。
この普及によって、インドネシアは80年代に一度だけ
米の自給100%を達成できた。
(植民地時代からインドネシアは米の輸入国であり、現在も変わらない)

恒常的な飢餓は解消されるはずだったのだが、
現在、我々が見ている世界は、それとは大きくかけ離れてしまっている。
緑の革命は、ある面からみれば成功したといわれる。
事実、緑の革命の推進者であった科学者は、
この前、日本大学からその功績を称えられ、表彰を受けていた。
が、しかし、
少なくとも僕が学んだインドネシアの大学院では
この緑の革命は、多くの問題をはらんだ、
失敗の政策であると、今でも議論されている。

ノーベル賞受賞者のアマルティアセンが、
貧困は生産性の低さからではなく、分配の問題であると述べているように
たとえ生産性が高くなったとしても、
それは搾取する側のパイが大きくなるだけで
搾取される側の手には、いかほども残らないのである。
構造的な搾取(土地所有・借金・ジェンダー・階層・民族差別など)の中で
富の分配が平等に行われないというのが貧困の理由なのである。

だから、いかに生産性を上げたとしても
問題の解決ならないばかりか、さらに貧富の差が広がるケースがでてくるのである。

だのに、である。
緑の革命の失敗は、
生産性の向上が今一つにあったとする論文も見受けら、
それが病害虫の発生と関連があるように書かれているものもある。
その流れを受けて、登場してくるのが
遺伝子組み換え作物(GMOs)である。
病害虫に耐性をもつ遺伝子を
作物に組み込むことで、農薬のコストを減らし、
モノカルチャー(単一作物栽培)で効率的な栽培を可能にし
この生産性向上を持って
世界の飢餓を救う、というのである。
へそが茶を沸かしそうな論理展開。

緑の革命も
遺伝子組み換え作物も
その登場は、裏に何があるにせよ、世界の貧困を救う、という主旨なのだ。
この「世界の貧困を救う」というフレーズこそ、
僕には、とても危なっかしく聞こえてくる。

さて、その貧困を救うだが、
はたして救えるのかどうかは、すでに上述した通りで
分配が公平に行われていない社会的構造の中では
やはり結果は同じである。
そればかりか、世界の貧困を救う、という隠れ蓑をかぶり
モンサント社をはじめとするGMOsを作り続けている会社は
特定の遺伝子を発見する度に、
この生命体の壮大な歴史によって作り続けられてきた
もっとも単純で美しい螺旋の構造に
パテントを取るという暴挙にでているのである。
そしてそのパテントを取った遺伝子を
種子に組み込むことで、その種子のパテントも取ってしまうという
まさにこれこそが、アマルティアセンが指摘した貧困を生む構造の一つなのだが
それを作り上げてしまっているのである。

世界を救う技術という隠れ蓑を着て
貧困を生む構造(自分だけが利益を得る構造)を着実に自分のものにしてしまう
したたかさには、僕には到底理解できない。

緑の革命から遺伝子組み換え作物に至るまでの路線で
パラダイムシフトはどこにあるのか。
それはモノカルチャーを否定するサステイナブルな農の営み、ということになろう。
しかし、この「持続可能な」という言葉も最近では
モノカルチャー的な農業で持続可能なやり方を指示している場合も多く
今一つ、いただけない。
じゃぁ、「有機農業」はどうか?
これも同じである。
モノカルチャー的な農業なのに、有機認証制度さえとれれば
有機農業といえてしまうあたり、本末転倒とかいえない。
ロハスにしても、マクロビにしても、
一度言葉として発せられれば、
それは、消費を喚起するだけに使われることが目に付きだす。
それのスタイルに反対することで発せられた言葉なのに
言葉が独り歩きするというか、言葉を上手に解釈し直して
結局は、モノカルチャー的構造の中で
消費を喚起する、もしくは新たな健康オタクを作るだけの
チープな言葉になり果てることが多い。

そこで最近僕が目を付けているのが
IPM。
何も新しい取り組みじゃない。
病害虫総合防除のこと。
これ自体では、まだまだ弱く、この言葉の中だけを考えると
モノカルチャー的農業にも当てはまってしまうことが多い。
そこで桐谷圭治氏らが提唱している、
「IBM」に心が魅かれている。
IBMは、多分に概念的な言葉で
生物多様性管理の意味。
IPMでは、害虫と天敵のみに焦点が当たってしまっているが
名も知らない、ただの虫との共存も大切にしようというもの。
この考えから、僕なりにもう少し発展させて、
人が食する作物だけではなく、ほかの「ただの草」にも
同じような焦点を当てることができるのじゃないか、とも思っている。
つまり、モノカルチャー的な農のデザインじゃなく
複合的、生物多様性的な農のデザインを考える概念が
この言葉にあるのではないかと思っている。

ただの草だと思っているものでも
スベリヒユのように文化が違えば、それは野菜になるものもある。
スカンポ・スイバと呼ばれる、僕らにとっては雑草でしかないが
民族が変われば、それは立派な野菜にもなる。
ただ、すべての雑草がそうではないので、
少なくとも僕らにとって利用価値のある植物を
複合的に栽培することを目的としたい。
(この「利用価値」という価値観も、認識を新たにする柔軟性が必要なのだが)

ヴァンダナ・シヴァが言うように
多様性を大切にした有機農業は、モノカルチャーよりも生産性が高いのである。
それは、僕も畑での実践を通して痛感している。
流通に乗らない、また乗せられない品数が増えるので
必ずしも個々人の財布が潤うことはないが
構造的搾取の中で、比較的、富の分配を得ることが可能なのではないかと
思うこともあるのだが、以上は余談。

さて、
この映画と僕の解説だけでは、間違いなく、研修生君たちは
考えなければいけない、目の前の課題に気がつかないままになり
かつ、フェアではないので、ある論文を読んでもらった。

僕の母校(ボゴール農科大学)の先生が書いた論文で
GMOsの開発をインドネシア独自に行うことの大切さを説いているものである。
農産物輸入の多いインドネシアでは、
近隣諸国の農業と自国の農業との競争が激しい。
遺伝子的に資源の多いインドネシアでは
他国の研究にその多くを提供してきたが(もしくは勝手に持って行かれたが)
それを自国の資源として認識して、
GMOsの開発に乗り出すべきだという。
海外から遺伝子組み換えで作られた品質が優良な果物や農産物が
インドネシアに入ってくれば、自国の農業の崩壊になるというのである。
さもあろう。
たぶん、そうなることはまちがいない。
今でも、タイやマレーシアのマンゴやドゥリアンの品種の方が
品質も良く、高値で売買され、
自国産はそれらに対いて、いまいち競争力がない。
大量に食べ物を輸入しているインドネシアでは、
近隣諸国がいち早く遺伝子組み換え技術を導入し、品種改良を行えば
いまのままでは、自国の農業は吹っ飛んでしまうだろう。

それらを読んでもらって
両者に尋ねた。
あなたは、GMOsに対してどういう態度か、と。
H君イル君ともに、遺伝子組み換え技術には反対だった。
動物の遺伝子を混ぜ合わせたりもできる遺伝子組み換え技術で生まれた作物は
やはり、植物に見えても植物ではない生命体、ということらしい。
外国からの遺伝子組み換えによる優良(?)品種の輸入作物との競争については
議論の結果、
一般の市場でも、表示の義務化に向けて活動を起こすしかない、という
まぁ、ありがちだが、それでも大切な結論となった。
表示という意味では
うちで研修をするようになってから研修生たちのラベルや包装資材に対する
意識が変わってきているように思うことがある。
ただ単に野菜を束ねる手段ではなく、それらに情報を載せていくことの大切さ、
商品に物語を付け加えていくことの大切さを感じているようでもあった。
畑と食べる側とをつなぐ、とても小さなスペースでしかないが
その中に、大きな可能性があることもまた事実。
食べる側との情報の共有をどうしていけばよいか、
それが、僕らの目指す農業で、僕らが生計を得る
もっとも大切なことになってくるに違いない。
見た目だけで選ばれれば、間違いなく遺伝子組み換え作物の方が上になるだろうから。

こうして、4回にわたる遺伝子組み換えの座学は
情報の共有と生物多様性的農業の推進という結末で終わった。
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実は今、プチ父子家庭。
先週の火曜日から妻がカンボジアに出張中。

4歳の娘、このくらいの間、母に会えないのが一番つらいようで
日に何度も
「今日は、ママ帰ってくる?」と聞くのである。

今回の出張を機に、
Skypeを利用することにした。
カンボジアにいる妻と、パソコンをつなげて、テレビ電話。
当初は、これをすると、娘のママ恋しさに我慢がきかなくなって
大変になるのでは??と思っていたのだが、
意外や意外、
娘は電話を終えると、妙に落ち着いていたりもした。

ママが帰ってこなくても、テレビ電話で顔が見えて
つながっていることが解ると、どうやら安心するようだ。
ママ恋しさが爆発して、手に負えなくなるかと思っていたのだが
僕が思っている以上に、娘は成長していた。

テレビ電話が終わると、娘は必ず
他愛もないことばかりなのだが、
お手伝いと称して、僕が喜ぶだろうと思う事をやってくれる。
娘は娘なりに考えて、そして頑張っているようである。

妻のカンボジア出張のおかげで
僕はまた1つ、娘の成長を見ることが出来た。
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先日、ある研修会に参加。
農業の研修会で、施設園芸で大規模にやられている
にいみ農園の新美康弘さんが講師として来られていた。

1.5haの施設(ハウス)で、ミニトマトの水耕プラント栽培のみを行っている。
売上げは、1億円。
そのうち、6000万円を直売(消費者との直接取引)でさばいている。
ミニトマトだけを年中作っていて、
その単品だけを直売して、
それで売上げの6割は、消費者との直接取引。
何もかもが、セオリーから外れていた。

父親の代からほそぼそとした水耕栽培はしていたという。
10a程しかなかった、その水耕のハウスを
大学を卒業後引き継いで、ミニトマトを始めたという。
ミニトマトを選んだ理由が
「大学の研究でミニトマトを使っていて、初めて作ったわりには上手に作れたから」
という、とても気軽な理由だった。
それから、ミニトマト専一で規模拡大をしてきた。

農業を始めて今の段階で20年という43歳の方なのだが
10年ほど前から、価格や雇用についていろいろと考えるようになったらしい。
それまでは、ただ単に市場出荷だけだったのが
韓国で安いミニトマトを作るようになってからは
市場価格が安定ぜず、赤字になることもあったとか。
雇用でいえば、規模拡大を続けていく中で
集落の人や知人・親戚の方にパートとしてお願いしていたのだが
こちらからお願いする分、仕事に関して強く言えなかったり
なあなあの関係の中で、仕事上のミスや管理が曖昧になっていたりしたという。
そこで、販売先を多角化し、
雇用は出来るだけ広告を出して広く募集するようにしたらしい。

他業種では当たり前の話かもしれないし
農業をやられている方にとっても、そんな当たり前の話、と思われるかもしれないが
この話が、僕には一番大きく響いていた。

販売の多角化は、書けば6文字程度の事で
もはやそれを強調して語る講師も少ないくらいに
当たり前になっているのだが、実際にやってみようとすると
これがなかなか難しい。
うちも父の代から、多角化を続けてきていて
僕もそれを受け継いでいる。
が、現実にはなかなか増えていかないものである。
少しは新しい取引先を探し、そのおかげで今こうして
安定して経営出来てはいるのだが、
新しい取引先を見つける難しさは、常に実感している。
新美氏は、その中でも、直売に目を付けた。

多品目な野菜のセットならば、あるいは直売は可能か、と
常人は考えがちなのだが、
新美氏はミニトマト一本で勝負しているところがすごい。
顧客は約6000人いるのだとか。
チラシをまめに作り
農園新聞を顧客に配るという。
大量生産をしている割に
販売が細かくて、まめに対応しているのが常人ではないと感じた。
話だけを聞いていれば、なんてことない、と思うような話しぶりなのだが
実際に考えてみれば、ミニトマトを6000万円分
しかも業者ではなく、消費者に直接売るという技は、
とても真似できない。

さらに重要なのが、新美氏が言う
「自分で価格を決めて売る」である。
決して安売りはしない、とも話していた。
直売が中心だから出来る芸当であり、
実はこの、農家自身が価格を決める、というのは
農業を産業として捉えた時に、もっとも重要な要素なのだと最近よく思う。
余談になってしまうのだが、
途上国においても、先進国においても
農民自身が生産コストと自分の生活に必要なお金と
そして次の生産にかかる資金を計算して、
自分の農産物の価格を、自分で決められることは
ほとんどない。
このことが、農民を貧民に追いやり、かつ
農業離れを生んでいる状況の1つなのだ。
当然、土地の所有問題、国家予算の分配問題、法整備の問題(労務・土地等)、
価格変動を大きく左右する投資の問題等々
それ以外にも大きな問題を含んでおり
その大小の差でいえば、
途上国と呼ばれている国では、価格を自分たちで決められない以上に
それ以外の構造的搾取も大きな問題にはなっているのだが、
それでも価格を自分たちで決めることができない農民は
世界中のほとんどの農民と言っていいだろう。
幸い、僕は自分の農産物の価格をある程度のイニシアティブを持って
自分で交渉することができる立場にあるが、
だからこそ、僕は農業をしているわけで、
これが出来ない立場に追いやられていれば、
僕は、僕の集落の他の若い人たちと同じように
今頃、農業以外に生活の糧を探していることだろう。
新美氏のいうことは至極まっとうであるが、
それがいかに難しいことか、日本の農業の現状だけならず、
世界の状況を見れば、良くわかるはずである。
ちなみに、自分で自分の農産物の価格を決めることさえできれば
多くの農民が、農の営みを捨てずに済むというわけなので、
今後も考えていかなければいけないことの一つだと思う。
以上は長い長い余談。

では、次に雇用。
外から広く応募するというのは、
普通の会社では、当たり前のことだろう。
だが、きつくてつらくて低賃金の割に、
最良の品質管理に適する手の器用さを持ち合わせている人を
雇用しようと思うと、ついつい僕らは近所で探してしまう。
というのも、もともと農作業に慣れ親しんできたお年寄りを雇用する方が
町の若い人を雇用するよりも確実だったりもするからだ。

農業は、特に園芸だが、手の器用さと農作業で作り上げた体が必要になる。
腰を曲げて長時間の作業に耐えることができ、
細かい作業を手早く行える手の器用さがないと務まらない。
これは特殊能力だと、僕は最近思うのだが
町の人でも数カ月がんばれば、なんとかそういう体が出来上がるのだが
うちに来た町の人は、その数カ月がきつくて辞めていく人も多かった。
そういうこともあり、近所で雇用を探すようになっていた。
近所での雇用を
Community based part-timer などと洒落で言っていたのだが
高い意識を共有して生産に励む、と言うわけにはいかず、
慣れ合いの関係の中で、目的意識は有耶無耶のままであった。
和気あいあいと仕事をするのは良いのだが、
それと慣れ合いの関係はまったく別ものでなければならない。
良い物を他人と一緒に作るには、
良い物を作る意味を共有していないといけない。
まぁ、近所の人だと、それが出来ないわけじゃないだろうが、
広く公募することで、
もう一段、プロ意識を強く持てる人を迎え入れたい、と
最近考えることが多くなっていた。
事実、最近まで青年海外協力隊OVを対象に
農園で働きたい人を募集していた。
新美氏だけでなく、これまで会ってきた篤農家のほとんどが
家族経営から抜け出し、
自分の右腕とも呼べる人材を抱えていたことを思えば
そういった人材を、呼び込めるかどうかが、
僕にとっても大きな通過点になるような気がしている。

また地域の、集落の、農業発展を考える上で
「よそ者」の存在は必要不可欠で、
自分の経営体が成長するというよりも
むしろ、自分の経営体にある程度体力をつけさせ
外部の人間、つまりは「よそ者」を受け止められるようにしたいと
常々思っている。
もともと、僕は規模拡大路線には大反対であったが
2008年に広島の中川農園を見学してからは
僕は、自分のポリシーに反する規模拡大路線に切り替えていた。
(ちなみに、今も規模拡大路線には反対で、個人として矛盾を抱えたままである)
それは、今後ういてくるであろう集落や地域の農地を
よそ者が入り込んでくることによって、
集落や地域の農業が、もう少しにぎやかになることを夢想してのことである。
そして今年、新たに外部から研修生(日本人)を受け入れることになっている。
そういうこともあり、
この時期に新美氏から労務管理や雇用について話を聞けたことの意味は
とても大きかった。

新美氏は
今、僕が付きぬけなければいけない目の前の壁を
すでに突き抜けた人であった。
僕は彼のような突き抜け方はできないかもしれないが
僕なりに、突き抜けてみようと思う。
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2月に入って、ショックなことが一つ。
それはH君が昨年の暮れに受けた日本語能力試験3級が
不合格だったこと。

外国人向けの日本語テストで、数年日本で暮らして居れば
3級くらいは取れると聞いていたので、
今回のテストは、彼のがんばりに任せていた。
周りの研修生たちも3級はとるらしく、
ましてや、H君の場合、毎週日本語を教えるプロにお願いしているので
まず、大丈夫だろうと思っていた。

だが、結果は不合格。
僕の農業研修では、座学は全部インドネシア語で行っているし
実習でも、解らないことや、やや難解なことはインドネシア語で話しているので
その点で、彼らは日本語学習が甘かったのかもしれない。
また僕も日本語の先生にお願いするばかりで
自分では日本語を彼らに教えようとはしていなかった。
まぁ、僕がどれくらい日本語を教えるのに不適当なのかは
すでに5年の在インドネシア経験で、自分ではよくわかってはいるのだが。

ただ、このままにしておいては
研修の最終目標の一つである、
日本語能力試験2級合格は危ぶまれる。
(2級資格があれば、インドネシアで日本語を教えることができるらしい)

日本語が出来なくても、うちでの農業研修にはあまり差し障りがないのだが
入ってくる情報量を考えれば、やはり日本語は自由に操れた方が良い。
それに帰国後、農業を主体としてやっていってもらう予定で
ここに来てもらってはいるが、人生なにがあるかは分からない。
万事塞翁が馬で、
ここで学んだことよりも、日本語が使えることが幸いするかもしれないのだ。
(少なくとも災いになることはないだろう)

そこで、僕も重い腰を上げ、
日本語を座学でやることにした。
ただ、「語学はただひたすら暗記である」、
と信じて、インドネシア語を習得した僕には、
「語学は人から教わるものじゃない」
と思っている僕には、懇切丁寧に教えてあげるのは不可能に近い。
なので、定期的に日本語能力試験の過去問で
試験をすることにした。

さっそく先日2日かけてテストをしたのだが
テストの結果、研修生のH君もイル君も
文法の中でも助詞、つまり「てにをは」が全然ダメと言うことが分かった。
それの勉強は、個々でやってもらうしかないが
(なぜなら、助詞は活用法をとにかく多く覚えれば自然に解る、というのが僕の考えだから)
定期的に試験をして、自分の弱点を明確にしようと思う。
あとテストと言うものは、「慣れ」が大切でもあるのだ。

ちなみに一緒にテストをしたセネガルのI君は
4級のテストだったのだが(イル君も4級)
ほとんど回答できなかった。
彼の場合、筆記で語学能力を測ること自体無理があるようにも思えるし
その必要性もあいまいなのだが、
とにかく基準が無ければ、昇給の時期が曖昧のままで
(日本語がある程度できれば昇給と言ってある)
さらには、それに向けての情熱も湧きあがって来ないだろうと思い
テストには参加してもらった。

もともと自国語でも読み書きができない彼は、
日本語のペーパー試験は随分と苦しそうだった。
彼にはもう少し、何か別の方法を考えなくてはいけないだろう。
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今年もこの時期が、またやって来た。
吉川なすの種をまく時期が。

今年の種は、僕にとって、とても特別なものだった。
昨年亡くなられた吉川なす農家から譲り受けた種ナスから、
昨年の初冬に種取りをしたもの。

吉川なすは、
鯖江の吉川地区で、ずいぶん昔から育てられてきたナスで
福井の「伝統野菜」にあげられている。
僕は恥ずかしい話なのだが、業者から紹介されるまで
このなすの存在を知らなかった。
それに僕はこの「伝統」というものを
斜交いに見ていて、
ただ単に、売れるようにするための小賢しい代名詞としか
見ていなかった。
ただ業者が作ってくれと言うので、
そこまで言うのならということで、始めたなすである。

しかし、これを作って食べてからは、その見方が一変した。
何度も書いたが、美味いのだ。
元来、僕はなすが好きじゃなかった。
だが、このなすに出会ってからは、なすのおいしさに目覚めて
それ以来、吉川なすに限らず、いろんななすを作っている。

廃れると思っていた吉川なすは
なにやら吉川地区で何人かが集まって作るらしい。
良かった。これで僕が伝統の旗手のように扱われなくなるから。
偽物かどうかは、僕にはわからないし
そういうことにもあまり興味がない。
それにそもそも「伝統」というやつには
まだまだ僕は斜交いにしか見ていない。
だから、僕以外の人が栽培して、その「伝統」というやつを
受け継いでくれれば、僕としては気が楽である。

ただ、昨年亡くなった方から譲り受けた種ナスは
僕にとって、まさに僕個人にとって、
とても特別なものという電撃にも似た実感があったので
これは大切にしていきたい。
僕にとって、伝統とはそういうものであり続ければいい。
そう思って、今年も種をまいた。
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むらの集会場で冬季営農座談会があった。
主に、地元農協の総代会に向けて、経営状況や営農活動の状況、
融資等の説明を組合員にする会。
ここの農協は総会がなく(ほとんどの農協でないはず)、組合員の代理者が
総代会に参加して総会と言う形をとっている。
なので、総代会に参加できない分、各集落でこうして冬季営農座談会と称して
農協の業務内容・実績・計画についての説明が行われる。

さて、この冬季営農座談会。
農協のある程度の説明が終わると、
僕ら農家組合の出番になる。
ここで、今年のむらの減反について報告し承認を得るからだ。

前回のエントリーでも書いたが、
今年、政権交替で農業を取り巻く環境も大きく変わってきている。
農業に主軸をいた人を支援する、
いわゆる「担い手」のみに支援してきたこれまでと変わって、
担い手の支援はそのまま継続で
あらたに、戸別補償制度と言うやつが始まる。
今年は米がモデル事業となっていて(来年以降は他の作物にも広めるらしい)
田んぼを作っていれば、10a当たり\15,000円もらえるというもの。
それとは別に価格の下落にも対応しているという
この財政難の中で、なかなか手厚い補償制度。

この制度が良いか悪いかは、選挙で各個人の判断で決めればいい。
とにかく農家組合としては、この制度の中で
むらが損をしないやり方をやるだけのことである。
いわゆる「翻訳」というやつだ。

「翻訳」といっても、何も制度を違法に捻じ曲げることじゃない。
むら全体の利益と個人の利益とを照らし合わせて
うちのむらにとって最適なポイントに合わせる、というもの。

ここですこし減反について説明しておこう。
減反とは米の供給量を調整するため、
国や地方自治体が農家に対し米の作付け面積を制限すること。
生産調整ともいう。
価格をある程度高く設定できるように、米の作付面積を減らすことなのである。
さて、その減反は、政府から直接個人にお達しがあるわけじゃない。
政府と個人の間に「むら」が入り、
この「むら」で減反面積のお達しがあり
「むら」内部で調整して、「むら」全体でその面積を達成できれば
減反できたことになる。
だから、戸別補償だろうと何だろうと
直接、農家に補償は払われるのだが、
間で減反の達成を調整しているのは
「むら」というわけなのだ(戸別補償は減反を達成した農家だけが得られる)。

大概どこの村にも、減反なんて知らないよ、っていう輩はいるもので
その調整なども「むら」、つまり農家組合がやるのである。

さて話は変わって、
今年、戸別補償制度と並列の制度として自給向上の政策もある。
水田で米以外の作物を作付けした場合の助成金である。
これは前からもあったのだが、
その米以外の作物の中に、加工用米も助成金が出ることとなった。
では、加工用米とは何か。
読んで字のごとくなのだが、
そのまま食さずに、麹などの加工用にまわす米のことである。
この加工用米。
米なのに、そのまま食すわけじゃないから、
これを作っても減反面積としてカウントしてくれるのである。
だから、遊休地(調整水田)として水田を放置するのではなく、
米を作って加工用に回せば、一見、減反していないように見えても
しっかりと減反しているというわけなのである。
ただ、加工用米の需要はそれほど多くなく、
みんなが作りたいといっても、地区で数量が決められている。

うちのむらでは、以前からこの加工用米を作って
むら全体の減反面積に当ててきた。
加工用米を作ってくれる農家は、むらの中でも大作りの稲作農家なのだが
その加工用米の面積は、むら全体の減反面積として
農家組合のもとで計算されている。
加工用米は、普通の米の半値で取引されるので
加工用米を出荷してもらう農家へは、むらの中の地主全員で
普通米との差額を支払う互助制をとっている。
こうして加工用米を作ることで、むら全体の減反面積を下げることができるのである。
実際に昨年は、減反要請が28.5%であったのだが、
加工用米を約300袋出荷することで
各戸の農家が実際に減反する面積は27%と
1.5%下げることが出来たのである。

たかが1.5%と言う事なかれ。
うちのむらは約90haの田んぼがあるので、1.5%となると
1.35haの水田が減反しなくても良くなるのである。
反当たり500㎏とれるとすると、6750㎏の米が
余分にとれるわけだ。
価格にすれば1,350,000円なのである。
面倒な加工用米の計算を止めて、
各戸に政府から要請のあった面積だけを振り分けていれば
この135万円の金は出てこない。
さらに、戸別補償となると、米を作っていないと出ないわけなので
+20万円となり、約150万円の差が出てくるのである。
これが、僕の言う「翻訳」の一部なのである。

だから、加工用米をたくさん作れば作るほど
今年の政策からいえば、むらの中が潤うという仕組みになっていた。
そこで、今年の地区の農家組合長会議では
地区で割り当てられている加工用米の数量をできるだけ
うちの集落でとりたい、と伝えていた。
これは僕の独断で、その場の会議で勝手に決めた。
会議で数量を確保しなければ、後で足すことは難しいようにも思われたからである。
だが、会議後にむらに戻って役員や大作りの農家と話し合ううちに
ある問題が加工用米の差額を補償し合う互助制の中で
出てきてしまった。
それは、加工用米をたくさん作れば、差額補償の金額も大きくなるということである。

単純な計算で、そうなることはわかってはいたのだが
補償金額が大きくなっても、その分、減反の実質面積を下げることができれば
1俵でも米が多く作れるのである。
その分儲かるわけなので、差額補償の金額が増えても
説明しきれると僕は読んでいた。
だが、現実にはもう少し複雑だった。

差額補償は、地主全員で行われる。
つまり、耕作していない地主も多く含まれており
その人たちは、実質減反率が下がろうが上がろうが
全く関係ない位置にいる。
だから、その人たちの関心事は、差額補償の金額だけであり
実質減反率が下がっても、その恩恵にあずかれないのである。

そこで僕は、この際なので互助制自体を見直して
耕作者だけで差額補償をしてはどうか、と提案し続けてきた。
むらの大作りの農家にも相談したし、年寄りにも相談してきた。
だが、そのほとんどが「否」という答えだった。

耕作者だけで、差額補償ができれば、
減反率が下がれば、その恩恵を受けることにもなるので
むら全体で、もっと積極的な農業経営ができるのである。
だが、地主全員での補償となると、非耕作者まで引きずることになり
その人たちの賛同を得られなければ、攻めの農業経営が出来ない。
うちのむらの約半分が非耕作者であることを考えれば、
このまま僕の案を押し通しても
今年の暮れの総会は乗り越えられないのだ。

では、なぜ非耕作者まで引きずらなければいけないのか。
年寄りや大作りの農家がいうには
一つには地代が高いのである。いわゆる小作料。(みんなは「年貢」といっているが)
耕作地代は、農業委員会である程度定められているが
結局は、地権者と耕作者の合意で決められる。
福井市の地代が約10,000円/10aであるのに対し、
うちのむらでは、地代の最も高い場合、25,000円というケースもあるのだ。
隣の集落で、組合を作って大きくやっている団体は
5000円しか払っていないのに。

昔からの付き合いやながれで、そういう値段になっているらしいのだが
耕作者の間では、互助制を耕作者だけにするのなら
高い地代を標準並みにしなければ、賛同しかねる、と言う意見もあった。
土地に絡む出費が、これを機会にこの先、耕作者だけの負担になることを
恐れての意見も多かった。

またむらのある年寄りは、
「むらで受ける減反なんだから、むら全体で引き受けなきゃいかん。土地をもっているみんなで受けるから、むらで受ける減反というんや」と諭されてしまった。
農業経営的観点と言うよりも
土地をめぐってのむら観、集落の在り方観から
加工用米の大量引き受けに釘を刺された格好となってしまった。

そういうすったもんだがあり、
結局は、地権者と耕作者の利害がぎりぎりで一致する点を
計算ではじき出し、加工用米の数量を昨年よりも大きくするが
差額補償の金額は、例年並みの水準に落ち着かせるという説明で
冬季営農座談会で、皆の了承を得ることができた。

制度が変わることで、その制度が良いのか悪いのかを良く
メディアでは議論されてはいるが、
そういうことはあまり重要じゃないような気がする。
今回に見られたような、現場での「翻訳」するプロセスの中で
政策転換によって、いままで潜在的だった問題が浮き彫りになり
結局は、経営的観点というよりもむらの在り方的な見方で
解決に向かうことになったことの方が
僕にとっては、とても衝撃的であり、かつ、むらの在り方について
僕なりに学ぶことになった。

僕は、この制度は、攻めの農業経営に出るチャンスと考えた。
僕自身は、ほとんど米を作っていないので、この政策がどうなろうと
ほとんど個人的に興味がないのだが、むらの農業経営全体を考えると
それは好機なのである。
しかし、経営的に合理的とは考えられない非耕作者を引きずったままの
互助制への価値観は、
それが今、このむらがまさに「むら」であることの証のようにも思える。
それは、ノスタルジックな相互扶助観ではなく
もっとドロドロしたものであり、綺麗で美しいものでは決してない。
そういった化け物に、僕は今回、あえて立ち向かってみたのだが
少しだけ波風を立たせただけで、終わってしまった。

ある農家から
「徹ちゃん(と、むらの中では呼ばれている)は、なんでまたそんなことに首をつっこむんや。やめときやめとき。あとで怪我するよ」と諭されたのが、僕には印象的だった。

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02 12
2010

P2110009.jpg

この時期、自給用の圃場はほとんど何もとれない。
冬の野菜が終わり、春の野菜が出てくるまでの、ちょうど端境期。

でもでもイベント好きの夫婦としては、
一足先にバレンタインディナーということで
家にあるもので作ってみた。

年末にとって土にいけておいた「ごんぼ」(ごぼう)と
小さかったり、割れたりで出荷できなくて畑に放置されている紅芯大根、
1月に雪の下から取った露地の赤セロリ、
自給用の畑で雪の下になり、ぼろぼろになりながらも、数枚葉を向くと
とてもきれいで甘いロメインレタス、
露地で作っている根セロリ、
少しだけ出荷している下仁田ネギ、
などを組あわ褪せて料理してみた。

パスタはごんぼのパスタ。
ごんぼをきんぴらにするくらい炒めて
香り付け程度に赤セロリを入れたシンプルなもの。
ごんぼの味と赤セロリの味がうまく合わさっての一品。

サラダは、紅芯大根とごんぼとハムのサラダ。
ロメインを下に敷いて、色のコントラストがとてもきれいだった。
自家栽培したゴマをすってかけると、香りも良く、美味い。

ピンクのスープは、紅芯大根のポタージュ。
下仁田ネギと紅芯大根で作った。
余ったごんぼも入れたら、他の2品となんだか味としては
良く似たものになってしまったのだが・・・

緑の皿は、タコと金時草と根セロリのマリネ。
ある料理本に、モロヘイヤやツルムラサキを洋風にアレンジしていたものがあり
それを見て、妻が金時草でやってみたいということで作った料理。
金時草のぬめりと根セロリの香りが
とてもマリネに合っていた。
ワインが美味しくなる一品。

スーパーでほとんど野菜を買わないことにしているので、
この時期、トマトやキュウリがスーパーに並んでいても、
それが食卓に並ぶことはない。
だから、うちの料理はいつもその時期の野菜ばかりになり
味がどうしてもかぶってくる。

それをどうバライティのある食卓にするか、で頭を悩ますのだが(主に妻が)
その悩ましさが、楽しい時も多い。

この晩も楽しくワインを飲むことができた。
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マミー

僕の圃場には、麦が植えてある。
麦を食べるためではない。
虫のバランスをとるために、麦を植えてある。

先日、金時草の圃場で収穫作業をしていると、
脇に植えてあった麦に
虫の卵のようなものがついていた。
これは、アブラバチに寄生されたアブラムシ。
これを「マミー」と呼ぶ。

麦はアブラムシがつきやすいので、
人によっては、他の作物の近くに播くな、と言うが
麦につくアブラムシは、ムギクビレアブラムシであり
他の野菜にはほとんどつかない。
金時草もアブラムシがつきやすいのだが
同じ圃場に麦を植えても、麦のアブラムシは金時草にはつかない。

そして、そのアブラムシを狙ってやってくるのが
アブラバチ。
アブラムシの体内に卵を産みつける寄生昆虫。
いわゆる「天敵」というやつ。
このアブラバチは、なにもムギクビレアブラムシだけを狙うわけじゃない。
アブラムシというアブラムシがターゲットになっている。

なので、もうすぐ暖かくなるとつくであろう金時草のアブラムシも
このアブラバチがやっつけてくれるというわけだ。

ただ、そのためには
圃場内で常にアブラムシとアブラバチの両方を
バランス良く生息してもらわないといけない。
低温や高温時にはアブラバチはあまり活動しないので
最近は圃場で確認できなかったのだが、
暖かくなってきた最近、
ようやく圃場でマミー(寄生されたアブラムシ)を確認できた。



自然というやつは、
本当によくできている。
僕らはその力に腰掛けているにすぎない。
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今日、若手農業者の発表コンペ福井県大会があった。
今年も、僕が所属するクラブでは、
保育園児との食農活動をしており、その発表も今日おこなわれた。

なかなか良い発表で、
福井県大会は勝ちあがれるような気がしていたのだが
とても残念なことに2位となり、北陸大会へは勝ちあがれなかった。

発表の結果は残念だったのだが
それで、2009年の半年続けてきた園児との畑の経験の価値が
下がってしまうわけじゃない。
あの畑を通して、交流し体験を分かち合えたことは
それぞれの血となり肉となっているはずなのだ。
来年は、クラブでの食農活動はないような感じだが
僕は個人的に、続けてやってみようかと思っていることがある。
大変なのは大変で、儲けなんて何もないのだが、
そういう交わり合いが、僕に新たなインスピレーションを与えてくれることもある。
というのは余談。

なにはともあれ、
クラブ員と一緒にやってきた食農活動も
これでひと区切りがついたようだ。
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山に入る。
野菜の市場出荷が無く、時間が取れたので、今日は山に入る。
もちろん、ストーブの薪集めのために。

一昨年に、農業の片手間に山仕事をしていた80過ぎの祖父から
いろいろと学びながら、薪ストーブの薪のために、
数本の木を伐倒した。
その薪を今シーズン、燃やして暖をとっているのだが、
そろそろ、来シーズンのための薪を考えないといけない時期に来た。

一昨年に伐倒した木が、まだ丸太のままであったので
今日は、それをトラックで運んで、玉切りにする作業をした。

丸太をトラックに乗せる時に、今シーズン切ろうと思う木を見て回ったのだが、
その時に、太ももより細い程度の丁度いい木があったので、
のこぎりのみで伐倒。
一度チェーンソー無しで、木を切り倒してみたかったのだが
なかなか汗のかく作業だった。

半日の作業で、1トンほどの丸太を運び、その一部を玉切りにした。
それでも、厳冬期ならば2週間ほどで燃やしつくしてしまいそうな量なのである。
薪を自分で作るというのは、なかなか、時間と汗をかく作業なのである。

ファンヒーターならば、
スイッチオンで、楽々点火でき、
灯油も買いに行く手間だけしかない。
それにくらべて、薪ストーブというやつは、火の面倒も見てやらねばならないし
それ以上に、薪を作る作業という至極大変で面倒な作業をしなければいけない。
薪を買ってきて炊けるほど、お金があるわけじゃないし
僕はそれにはあまり魅力を感じない。
汗をかきながら、背中の筋を痛めながら(山仕事をすると毎回必ず痛める)
自分の仕事を止めてまで、山仕事のために山に入る。
多分、人が暮らすということは
そういうことなんじゃないか、と僕は思うからだ。

薪ストーブの火は、とても暖かい。
輻射熱が、遠赤外線が、どーのこーのじゃぁなくて、
こうしたプロセスが生活の一部に入り込んでいるという
贅沢な感覚が、身も心も暖めてくれるのだ。

今シーズンは、あと2本ほど木を伐倒する予定。
山の状況と、自分の仕事と、冬に必要な薪の量との塩梅で
あと2本ほどは切ろう。
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ここ最近、自分の仕事ではなく、他のことで忙しい。
それは、農家組合長の仕事。

何度も書いたが、むらの役の一つに
農家組合長がある。
持ち回りで、毎年誰かがやることになるのだが
今年は僕にまわってきた。
偉くなったわけではなく、ただ順番と言うだけのこと。

この役がいつ頃からあって
もともとどこが主体となって作られたのか、
ずーっと気になっていた。
むらの自治にも関わってくる話でもあるので。
ただ最近は、実はそういうことはあまり関係ないのかもしれない
と思うようにもなっている。

今日、農林業センサスを市役所の方に提出した。
5年に1回行われる農林業センサス。
農家の一斉全戸調査で、国家の政策決定に大きく影響する調査。
この統計調査をもとに、いろんな政策が決定されていく。
この全戸調査にあたって、
市役所から調査員の候補者を推薦してください、
と、農家組合に連絡がきた。ことは以前も書いたか。
他の人に振れないので、僕と前農家組合長の二人で調査員を受け持った。
とても面倒な調査で、
また調査票も難解で、1回の訪問ですべてきちんと記入できた人は
うちの村には1人もいなかった。

さて、農家組合長。
各村に1人ずつ居るのだが、
先月1月の下旬に、JA福井市所轄の農家組合長すべてが集められて
農家組合長大会というものがあった。
農家組合長のこれからの仕事などの説明が行われ
大量の資料を頂いた。
その中に、委嘱状が入っていた。
それも4通。(あれ?5通だったっけ???)

福井市役所からの委嘱状。
JA福井市からの委嘱状。
NOSAI(農業共済)からの委嘱状。
農政連からの委嘱状。

つまり、農家組合というものが
どういう経緯で、どう作られたのかは知らないけれど
現在においては
市の農業行政の末端で連絡員として、
JA福井市とむらとを結ぶ連絡員として、
農業共済等のむらでの業務を遂行する雑務係として、
さらには、政治的にはJAの政治組織の一員として
存在しているのである。
だから、センサスが来れば、やらなければいけないし
減反政策も、村内の調整は任されるのである。
民主党の言う戸別補償も、
たぶん、実際に現場では僕らの仕事になるのだろう。

一見すると、村の自治とは程遠い、と思えてしまうのだが、
実はそうでもない。
最近思うのだが、自治とは独立独歩で行うのではなく
いろんな外圧(内圧も)をぼくらが主体的にその土地へ翻訳していくことだと
思っている。

トップダウンで作られた制度を批判し、
ボトムアップで実行しているプログラムを賞賛する、
というわけではなく、
自治とはそういうものの中にあるのではなくて、
それそれの状況下で、僕ら村人が自分たちの価値と照らし合わせて
都合の良いものに取り込んでいくプロセスに
僕は自治がある気がしている。

来週に迫っているむらの営農座談会で、
今年の減反をどうするかをむらで話し合う。
僕はある案があり、それで村の中ですったもんだが少しあるのだが、
それが、僕は自治だと思っている。
営農座談会が終われば、それもまた書こう。
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02 04
2010

立春。
といっても、外は雪、などとメディアでは言ってはいるが、
そうは言っても、農の営みでは、立派に立春。

今日、育苗用の苗床を作る。
春から畑に定植する野菜の苗を育てる温床。
いよいよ、農の営みも動き出す。
それに合わせて、種屋からも種が届きだす。
インターネットで購入した海外の珍しい野菜も
立春に合わせてなのか、届いた。

100種以上を栽培しているので
畑の中で滞りなく作りまわすためには、
それなりの計画を練らないといけないのだ。

昨年の実験圃場で成績の良かった野菜、
味の良かった野菜、
個人的に気に入った野菜など、
それらを新たに格上げ(?)して、販売のための計画に入れていく。
逆に、販売が厳しかったものを
再び実験圃場用にするものもある。
気に入らなくて、栽培自体をやめる野菜もある。
ネットや本、人伝に聞いて、新しく出会った野菜もある。
それらも全部、
種をいったん並べて、
あれこれ考える。
この作業ほど楽しいものはない。
作りまわす作業は、幾何学的な計算になりつつあるが
いろんな野菜・品種を作り続けていくその中にこそ
農の営みの実感と楽しみがあると
立春の今日、しみじみと思うのである。
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P2020010.jpg

年末から、金時草がつぼみをつけていた。
金時草は、種子で増やすのは難しい、と聞いていただけに
どんな花を咲かせるのか、ひそかに楽しみにしていた。

ネットで調べる限り、それはオレンジ色の素朴な花。
そして、今日、咲いた花は、それとは似ても似つかぬ花だった。
種子が採れるとは思えないが、しばらくは咲かせておこう。

金沢の試験場で、
「冬、霜が降りると金時草は枯れてしまいます」
と聞いていたのだが、
ハウスの中での話だが、こうして今でも収穫できている。
なんでもやってみなければわからないものだ。
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インドネシア研修生への講義の話。
今回は、「おいしいコーヒーの真実」という映画を見て
レポートを書いてもらった。

授業の準備が間に合わないときは、
やはり映画を見てもらうに限るなぁ、
という手抜きではないのであしからず。

この映画がどういうものかは、リンク先に譲るといて
レポートの課題では、
どうすれば、農家はコーヒーをめぐる貧困の構造から抜け出せるか
それを、H君やイル君に考えてもらった。

H君もイル君も置かれている状況は、
おいしいコーヒーの真実のエチオピア農民とは違うかもしれないが
見方によっては、彼らのおかれている状況も
貧困の構造として捉えられなくもない。
特に、イル君の場合は、コーヒーではなくお茶だというだけで
世界市場に直接リンクしているという意味では
エチオピアの農民と同じような苦しみがある。

さて、課題。
彼らの意見はとてもポジティブだった。
まず、コーヒーだけに目を向けてみれば、
マーケットでの評価を高めるために、技術向上、有用品種の導入などを挙げた。
これは普通誰でも思いつく。
市場開拓としては、映画ではフェアトレードこそが希望の星と
描かれていただけに、
その推進は必要とH君は言っていた。
ただ、それは買い手の都合でもあるので
生産者として、またそのような貧困の輪の中にいるイル君には
あまりピンとこなかったようで、
コーヒーの国内販路を独自に探す方が良い、と彼は言っていた。
また、講義で取り上げた馬路村の例をH君は覚えていて
「コーヒーを直接売るのじゃなくて、一部は加工していろんな商品として販売しても面白いかもしれません」と答えてくれた。
なるほど、なるほど。
具体的には何?と聞くと
「コピコ」(インドネシアで有名なコーヒー飴の名前)
と、恥ずかしそうに答えてくれた。
まぁ、何に加工するかは課題だが、路線としては面白い。

次に、コーヒー外での方策として、両者に答えてもらった。
映画の中では、コーヒー以外に何も育たない土地で
コーヒー栽培をやめた農家は、コカの栽培をしていると紹介されていた。
H君は、映画で出てきた畑の様子から
「あれだけ草の生えている場所なので、野菜が育たないとは思えません」
と言い、
換金性の高い野菜や他の加工作物栽培が大事だと答えてくれた。
また、イル君は、
「草はたくさん生えていたようだったので、家畜なんてどうでしょうか」
と畜産との複合経営を示唆した。
両者とも、エチオピア農家のコーヒーだけによるモノカルチャーを良しとしておらず
いろんな作物や畜産との複合経営をするべし、と答えを出してくれた。

この映画を僕ら(日本人)だけで見てしまえば
従属論的な論調とその中で虐げられているエチオピア農民に対して
一種の庇護の精神が生まれてきて、
少し醜いその視点で、フェアトレードなんて考えてしまうのだが、
H君とイル君は違っていた。
彼らは、コーヒーの販路としてフェアトレードには賛成するが
それでも、エチオピア農民に対してコーヒーだけのモノカルチャーは
否定していた。
やれる方策は他にもある。
従属論的な論調の映画を見事に否定して
彼らは力強く、その方策を答えてくれた。

こういう瞬間こそ、講義をしていて良かった、と思えるのである。
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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

メールは
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です。
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