新聞に載った。
それは、こんな記事。
鯖江・「最後」の生産者 亡き加藤さん伝統の味 吉川ナス 受け継ぐ

受け継ごうと思って、受け継いだわけじゃない。
吉川なすを作ってくれ、という業者からの依頼と
妻が美味しいと言って喜んで食べるから、
いつの間にか、僕の生産品目の一つに
吉川なすが組み込まれていた。

加藤さんの存在は以前から知っていた。
周りからは
「習いに行くと良いよ」と言われることもあったが
なぜだか気が進まなかった。
忙しかった、といえば言い分けでしかないが
多分、僕が作っている吉川なすは、吉川で作っているなすではないので
ある意味ニセモノだと、自分でも思っているところがあるのかもしれない。
それは、後ろめたさのようなものか。
負い目を感じる必要性はまったくないのだが、
そういう性格なので、しょうがない。

そうこうしているうちに、加藤さんは亡くなられてしまった。

そして、この記事が載った次の日。
取材してくれた記者さんが、あるものを持ってきてくれた。
それは吉川なすの種なすだった。
今年、加藤さんが最後に植えた吉川なすから採った種なすだった。
記者さんが言うには
「加藤さんの奥さんが、若い人が作っていると言ったらすごく喜んでいて、この種なすをその人に渡してくれと頼まれたんです」とのこと。
大きな種なすは、傷一つついていなくて、立派ななすだった。
加藤さんが先代から受け継いできた吉川なすの種を
僕は受け取った。
全身から冷や汗が流れ出たような
そんな緊張と電撃に似たものが体を流れる一瞬があった。

どこで作っても、吉川なすは吉川なす。
伝統種だろうが、新しい野菜だろうが、西洋の野菜だろうが
僕にはそれがうまいかどうかが大事だ、と何度もこの日記で書いていた。
今もそう思っている。
僕らは、作って食べる、という単純な行為の連続を生活の中心にしている農民なのだ。
なんでも鑑定団的な、わけのわからん付加価値などとは無縁の世界観の中で、
交換価値よりも使用価値を尊む。
それは変わらない。
だから、外部からつけられていくレッテルの一つに
「伝統」というものが最近横行しているが、
それも僕に言わせれば、交換価値でしかなかった。

それがどうだ。
この手にある種ナスは。
一体何なんだ。
僕の中に、電撃に近いものが流れたのだ。
感動といえば、そうなんだろう。
あったこともない人の、人伝に聞いただけの伝統の話を
僕は勝手にそれを内面化して、あたかも、その伝統の旗手にでもなったような
まるで僕がこれからこの伝統を紡いでいくような、
ちゃんちゃらおかしくて、へそが茶を沸かしそうなのだが、
そんな気概が、僕の中に生まれてくるのだ。


そうか、これが伝統なんだ。

そうか、これはこれで、僕にとってだが、使用価値なんだ。


僕は、その種なすを手にすることで
伝統が、ある種の電撃と共に体をつきつ抜ける感動と
勝手な思い込みの連続であることを知った。
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先週の連休、国際開発学会に夫婦で参加。
毎年のことなのだが、学会が地方で行われるごとに
その地方の農家を視察して歩いてもいる。
そして、今回は大分。

地元の農業改良普及員に
“大分で面白そうな農家を紹介して”
と頼んだら、
ある若手の農家を紹介された(T氏とでもしておこうか)。

そのT氏。
この2009年から、とある農業法人でベビーリーフ事業のすべてを任されて就農した人。
経験年数こそ少ないが、農業に対する眼差しは鋭く
とても研究熱心な方だった。

年は僕よりも一つ下の34歳。
もともと建築業界で働いていたのだが、大学の友人に誘われて
農業界に飛び込んできた人。
その大学時代の友人だった人は、2004年より農業法人を立ち上げ
主に米や麦などの栽培と作業受託をしていたのだが、
このT氏を加えるにあたって、新しく施設園芸部門を立ち上げて
ベビーリーフ栽培に乗り出したのだとか。

まず驚いたのが、ベビーリーフの圃場が完全無農薬で
栽培がおこなわれているということだった。
僕もそれを目指してはいるが、
虫の生物相をコントロールすることの難しさにぶつかったままで
なかなか抜け出せないでいる。
彼らの圃場が、それまでアブラナ科(ベビーリーフの主となる野菜の科)の
栽培履歴が少なかったこともあるのだろうが
それでも害虫発生を農薬に頼らないその姿勢と視点は
学ぶべきものが多かった。

T氏が言うには
「トラクターで耕起されるのは、せいぜい10cm程度。その10cm程度にしかいきわたらない量の肥料しか投入しないことです。多投になれば、必ず虫や病気が出ます。そうならないために、徹底した土壌分析と一作一作ごとに太陽熱による土壌消毒を行います」
とのことだった。
一作一作ごとに土壌分析を行い、足りない分だけを足す。
そして徹底した土壌消毒。
この二つが、病害虫の発生を抑えると氏は言う。
栽培年数がまだ1年程度なので、
今後もそのやり方で病害虫の発生を押さえ続けられるのかどうか
また生物多様性の方向を目指している僕としては
1作ごとの土壌消毒の在り方にも少し疑問も残ったのだが、
彼の話からは、研究熱心な姿勢がうかがえることができた。

肥料も様々なものを試していた。
豚糞を4年寝かせた堆肥や竹パウダーの使用、
生ぬかを投入して土ごと発酵など、様々な取り組みをされていた。
「土壌の物理的構造も気になるんです」と氏。
土の団粒化にも気を配り、
徹底的に土づくりに励んでいた。
その多くを小岩井農法から学んだという。

ここ最近、僕は土壌分析を少し軽視してきた。
土壌中の化学的な分析を行ったとしても、それで生物相の多さは測れないことから
どちらかといえば、化学よりも生物学的に土壌を捉えたいという想いが
強かったことも背景にあった。
一作ごとの土壌の化学性よりも
輪作による多様性を重視したかったのだが、
T氏の姿勢に、僕は、やもすると
生物多様性などという言葉でお茶を濁しがちになる
どこか詩的で情緒的な農業観に支配されていたのかもしれないと
改めて、自分の姿勢を正された思いであった。
何かを捉えようと試みるとき
人はもっともっと真摯になるべきなのだ。

確かに、最近は農を取り巻く僕らの生活すべてを
文学的・詩的に捉えることの方が、僕には重要だった。
作って食べる、という単純な行為を中心とした生活の中に
ややこしい議論が入り込んできて(地産地消・安心安全etc.)
その議論を徹底的に突き詰めようとすると、
化学的に、また人間と昆虫の神経経路などの生理学的世界に
陥っていく自分がいた。
その議論に、自分の中で軟着陸点を設けるためにも、
食べるという行為や、畑での生物相の捉え方、
また農村という社会そのものに焦点を置いて
もっと農業全体を文学的に捉えたい、と思っていた。

しかし、繰り返しになるが、
何かを捉えようと試みるとき
人はもっともっと真摯になるべきなのだろう。
土壌分析の果てに何があるのか、結局多様な生物相を捉えきれない
などと、ほとんど初学者にも関わらず、あきらめきっていた面もあったのだが
T氏の姿勢に、大いに触発された。
土を、農を捉えようとするならば
たとえ、その手法が、ある一方向しか照らさないやり方であっても
それによって掴みとれるものはあるはずなのだ。
僕も初心に戻ろう。
そんな気にさせる方との出会いだった。

T氏のベビーリーフは、機械刈りで、
1時間に刈ろうと思えば100キロは刈れるとのこと。
1年ほどしか作っていないにもかかわらず、生産は安定していて
今年の売り上げ見込みは、3000万ほどだとか。
市場は、農業法人の社長が地元の人間だということもあって
販路としていろんなところにつなげてくれた、と話してくれた。
僕も地元の人間だが、そこまで一気には販路を広げられはしない。
その社長も人間的に周りから随分と認められた存在なのだろう。

「休日なんかも飛び込みで営業に行きますよ。うちのベビーリーフ使ってくださいって。だいたい3割くらいの人は買ってくれるようになりますね」と話すT氏。
そう、こういう営業が農民には難しいのだよ。
良いもの作ってりゃ、そのうち誰かが認めてくれる的な
職人気質が多く(最近の僕はこれになりつつある)、
飛び込みで、7割だめだという営業はなかなか出来やしない。
農民の持つ1つの習慣的行為として共有されてしまっている
「良いもの作ってりゃ、いつかは誰かが認めてくれるさ」は
T氏は、共有していなかった。
売る、という姿勢も勉強になった。
なんだかかつての僕が、そこにいるような気がして
長居をする気はなかったのだが、ついつい話し込んでしまった。
僕の失いつつあるいろいろな情熱のすべてを
ふんだんに持っていたT氏との出会いは
僕には刺激的だった。
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前々から、
いろんな方から
こんな要望があった。

「収穫情報をネットで見れないか」

僕は怠け者なので、
情報を更新する手間を考えると、面倒だなぁと思っていたが
ブログ内で、何を収穫始めたかは
書くことができそうなので、
新カテゴリ「収穫情報」なるものを作ってみた。

まずは第一弾
赤セロリ、今が旬です。

PB180004.jpg

セロリ好きもセロリ嫌いになるという赤セロリ。
味も濃く、塩味がやや強い。
見学に来てくれたレストランのシェフは絶賛してくれる野菜の一つ。
気が向いたら、注文ください。
一般の方は、福井市のAコープ堀の宮店とやしろ店の直売コーナーに出していますので
そちらでお求めください。
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僕たちが2008年に取り組んだプロジェクトが
今年の2月に福井大会を勝ち上がり、
そして今日行われた北陸大会でも2位に輝いた。
さらに、来年3月、東京で行われる全国大会で発表するチャンスも得た。

エントリーをさかのぼって読んでもらわないといけないのだが
2008年に
ゆきんこ共同保育園と高志みどりクラブ(若手農業者クラブ)が共同で
田んぼ体験の活動を約半年にわたって行った。
その活動の記録を
若手農業者クラブの発表コンペで
発表してきたのだが、
それがあれよあれよと勝ち上がり、いよいよ全国大会に行くことになった。
収穫祭のあの時、手にした小さなおにぎりの感動には
全国大会という場で発表しても遜色ないほどのものが詰まっていたと
今、再び思い返している。

北陸大会では僅差で1位は逃したものの
全国大会では、何か賞をもらって来たいものだ。
それ以上に、あの時の僕たちの感動が伝えられたら、と思う。
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高橋がなり氏が来園。
あの国立ファームのがなり氏である。
マネーの虎(僕はテレビをほとんど見ないので、この番組を知らない)に
出ていた、元AV社長といえば、わかるだろうか。
AV界を引退後、農業分野に参入してきて
現在、国立ファームを主宰している。

僕の農園が目当てというわけではなく、
明日、福井で氏の講演会が予定されており、
その講演会を主催するのが
若手農業者クラブの福井県連絡協議会(って名前だったっけ???)。
で、1日早く福井入りをしたがなり氏は、
「おもしろい奴を見たい」と所望。
A農家とB農家の面白い奴の間に
ちょうど、僕の農園があったから、寄ったという感じなので
僕はメインというわけではまったくないので、あしからず。

僕の農園では、ベビーリーフをやってます、と説明して
現場を見せると、がなり氏は
「若くて成功しているやつのほとんどがベビーリーフだけど、ここは変だよ。ベビーリーフのハウスに、玉ねぎの苗が植わっていたり、パプリカが植わっていたり」
と言っていた。
そう。
それが僕の農の形。
他のベビーリーフ農家のほとんどが、
栽培品目は多少あっても、ベビーリーフを栽培しているハウスでは
ほとんどがベビーリーフというが普通だろう。
だが、僕はそうしていない。
いや、そうできない、と言った方が正解かもしれない。
多品目でハウスを作りまわしていくと
生育期間の違う野菜ばかりなので、土地の利用が複雑に入り組んでくる。
だから、1つのハウスに、幾つもの野菜が入り組んで栽培されている。
「作りまわす」という農の形は、ちと面倒なことが多いのだが
それをやる価値はある。
がなり氏は野菜の硝酸濃度を気にしていると言っていたが
うちではあまり気にならない。
軟弱野菜(葉物)が中心ではあるが、他の科の野菜も多く
特定の濃度が上がることは少ない(リン酸はたまるけど)。

土壌消毒はしないの?と聞かれたが
うちではほとんどやらない。
やる手間が無い、と言ってしまえばそれまでだが、
僕としては、土は生き物だと考えている。
リセットしてしまう土壌消毒は、僕はできるだけやりたくない。
農地的な問題もあって、うちではほとんどハウスの土を休ませないのだが
その代わり、いろんな生育タームの野菜を作りまわすことで、
土を疲れさせることなく、それどころかより良い土になるようにしている。
土は、肥料養分のなになにが足りないから、それを足す、
といった機械的なイメージでは捉えきれない。
足りないから足す、のではなく、土は育むものなのだ。
生育期間の長い作物、たとえばうちではキンジソウがそうなのだが
その畑は面白くて、キンジソウの畝間や株間は、無数の名もなき虫が徘徊した跡が
容易に見つけられる。
その長いタームが無数の名もなき生物を育んでいるのだ。
そして、こういった畑を整理して、次の作物を作ると、
土の表面に細かな穴と土の盛り上がりが無数に観察できる。
これはその土にすむ生物相の豊かさを表している。
土壌分析で何が足りない、という診断もそれなりには大切だが
こういった生きた土を作り上げていくことが、何よりも大切だと感じている。
鶏と卵じゃないが、どちらが先だったか、
僕ももう定かではないが(このブログをさかのぼって読めば、あるいは解るかも)
多品目と輪作、そして生きている土を育む、
これが僕の農業なのである。

短い時間だったが、がなり氏の観察力はなかなか大したもので
他の方が普通に見学に来ても、僕はここまでは説明しない。
だが、大きく叩かれると、大きく響きたくなる。
がなり氏はそんな人だった。

海外からの研修生の話や
(出稼ぎで来てもらうのじゃなくて、あちらで農場を運営させて、その野菜を輸入したい)
後発を育てる方法などでも、
(兵隊(社員)は褒めて育てるけど、士官(幹部)はつぶそうとしてつぶれなかったやつがなる)
面白い意見を交わすことができた。
短い時間だったが
とても有意義な時間だった。
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インドネシアの子たちにやっている座学の話。
今回は、「資金」。
これまで、自然、人的、社会、市場、技術、と議論をしてきたのだが
今回は資金的要因。
この資金的要因は、その人の農業を大きく形作るのであり、
貧困の輪と呼ばれる構造が、つねにこの資金の構造と共にあることを考えると
とても重要なファクターでもある。

さて授業に当たって、
H君とイル君の両君に、それぞれの村での資金源について
書き出してきなさいと、宿題を出した。
両君は同じ高校の卒業生でもあるので、地域は比較的近い。
だが、これまで自然、市場、社会において大きな差があることが解っている。
そして今回の資金源も、大きく異なっていた。

まずH君が挙げた資金源は
自己資金(農外セクターで得た資金を農業に投資)
政府からの作付け支援資金(KPK)
銀行からの貸し付け
協同組合(KUD)からの貸し付け
質屋(Penggadaian)、
そして、買い取り商人による貸し付け、である。

では、イル君はどうか。
自己資金(H君と同じ)
協同組合(KUD)からの貸し付け
銀行
そして、買い取り商人による貸し付け、である。

まず自己資金についてだが、
H君の村では農外セクターでの就労機会が多くはない。
ちかくにアディダスの工場があるので、そこに働きに出る人はいるものの
その他には、野菜売りやミニバスの運転手、輪たくのような労働で
収入を得て、それを農業資金としている場合もある。
だが、イル君の地域には、大きなお茶農園があり、そのお茶農園が直営している工場で
村人の多くが働いている。
何度も書いたが、A女史の調査で、イル君のお父さんは
お茶農園で働いて、一定の収入を得るのを主とし
副業としてやるのが農業だと認識していた。
たぶん、その村の多くの人は、そういう意識なのだろうと想像される。
イル君の話からもそれはうかがえた。

協同組合は、政府組織で全国にある。
僕が協力隊の時にいた村では、この協同組合は、その担当官の汚職などで
ほとんど機能不全に陥っていたのだが、
H君とイル君の村は、そうでもないらしい。
ただ、一つ大きな違いとして、
H君の協同組合では、貸し付けは物品化されており
イル君のところでは、お金で貸し付けてくれるとのことだった。
僕の記憶では、H君の村のようにKUDの貸し付けは
物で貸し付けされていたように思うのだが、地域によって差があるのだろうか。
実は、この物で貸与というのが曲者で
市場価格より高く見積もられていたり、
またその物(肥料など)の質が悪かったりして、
担当官の汚職の原因にもなっている。
もしイル君のところのように現金で貸し付けてくれるのなら
協同組合もある程度は信頼できるか。

両者も挙げていた銀行であるが
これはなかなかの曲者で
資産の見積もりがあり、それに応じて貸し付けされるのだが
審査のプロセスが長く、また返済は毎月で
収穫後に一括返済というわけではないらしく、
農業資金としての活用は、至極難しいとのことだった。
その点、汚職の可能性が高いKUDであるが、
審査プロセスは簡素化されており、経歴書や村長の推薦状さえあれば
すぐにでも借り受けられるという手軽さはある。

イル君のところになくてH君のところにあったのは
質屋と政府からの作付け支援金。
H君のところは質屋を利用する農家も多いらしい。
反対にイル君のところは、町からも遠いこともあって
質屋が近くにないことからも、それを利用することはない。
政府からの作付け支援金は、いつの時代も行われており
名前と作付け品目だけは時代によって変わるのだが
システムとその考え方は、ほとんど変化がないような気がする。
つまりは、農家をグループ化して、その1人にまず種子を貸与し
収穫後、収穫物からその種子分を返却してもらい、
それを次の人に貸し付けるというもの。
次々と貸し付けていくことで、最後にはみんなに行きわたるというシステム。
乏しい政府の資金を効率的に普及事業にむけるものとして
出てくる度に注目されるのだが、いつも同じ理由で破たんしていく。
このシステムは如何に破たんしやすいものであるかは
僕が協力隊1年目(1997年)に行った「落花生優良品種普及事業」の報告書を
見てもらえれば解るのだが、
このブログでも機会を見て、その話を書こうと思う。

さて、ここからが本題。
最後に残っているのは、買い取り商人による貸し付け。
実はこれが貧困の構造を作っている場合が多い。
なぜなら、資金を貸し付けてもらったら、
その収穫物は必ずその商人に販売しないといけない、
という関係が出来上がるからである。
さらには、その関係が一度出来上がっていくと
そこから抜け出すことが容易ではなく
買い取り価格も市場のよりも安く買い取られるのが常なのだ。
まぁ、その差額で儲けているのだから、ある程度差額があるのはしょうがないのだが
その程度が問題になる。
インドネシアの大学院でも、農村での買い取り商人との関係構造に
注目している人は多く、
貧困の構造だと指摘する人もいれば
それは時にはソーシャルセーフティーネットの役割があると
逆にポジティブに評価する人もいた。
これはそのシステムを見てというよりも
当事者たちの考え方も含めて、
ケースバイケースで判断しないといけないのだろうとは思う。

さて、イル君とH君の場合はどうだろうか。
これまでイル君に関しては、この買い取り商人の存在について
さんざん書いてきた。
というのも、A女史から送られてきたイル君の村のポテンシャル調査で
彼女は、極端な貧富の差が村内にあるとして
その差が生まれる原因として、
この買い取り商人とそこから貸し付けを受ける零細農家の関係を指摘していた。

個々の農家での市場へのアクセスが困難なため(距離と移動手段の確保)
1人で100軒以上の農家に貸し出しを行う買い取り商人が何人も存在し、
その少数の買い取り商人が、それらの近隣の村々の収穫物を
市場へと運ぶ役割を担っている。
資金と市場をこの買い取り商人が握り
価格決定のイニシアティブは、全く農民側にはない。
そういうこともあってか、
前に書いたエントリーでは、イル君はどうやってこの関係から抜け出そうかを
思案していた。

しかし、議論を進めていくうちに
少し違う風景が今回は見えてきた。

H君のところの買い取り商人とイル君のところの買い取り商人を
少し比較しながら、今回は授業を進めてみた。

H君のところの買い取り商人は、
個々の農家が市場にアクセスしやすいこともあってか
資金難に陥ってない限り、あまり買い取り商人から貸し付けを得ることはないらしい。
つまり、ほとんどの農家は、自分たちで作物を市場まで運ぶことができるのだ。
車やバイクを所有しているのではなく
バスの通る道へのアクセスが容易で、市場までの距離が10キロ程度しか離れていない。
そういうこともあって、農家は村まで買い取りに来た商人を選んでも良いし
自ら市場まで運んでも良い。
そういう関係もあってか、
買い取り商人による囲い込みは、特定の作物に限定もされている。
つまりトウガラシだけを扱う専門的な商人が
ある程度の収穫量を確保するために、資金提供をして、農家にトウガラシを作らせる
といったことのようだ。
そしてこれも重要なのだが、H君のところの買い取り商人のほとんどは
町からやってくる。
資金の返済には、栽培が失敗した場合ある程度待ってくれる点で
それほど阿漕な商売はしていないらしい。

ではイル君のところはどうか。
そこの買い取り商人は、作物の特定は行っていない。
何を作っても自由なのだとか。
ただし、貸し付けを受けている場合は、販売はすべてその商人にしなければいけない。
決まっているのは、販売先(商人)のみで、作付けは自由。
そして、その買い取り商人のほとんどは、同じ村に住んでいるのである。
だから、その買い取り商人とのつながりは、家族だったり親戚だったりする。
そういうこともあってか、
資金の融通は随分ときくようで、返済問題や急な物入りの時にも
貸し付けを増やしてくれたり、返済をまってくれたりもするらしい。
買い取り価格に難があると、A女史は指摘していたが
それ以外の要素としては、どちらかといえば
個々の農家がアクセスできない大きな市場へのアクセスを可能にする存在として
買い取り商人がいて、
さらにそのネットは、どちらかといえばセーフティネットとも言えなくもない。

さらに大事なことなのだが、
そういう中で、
買い取り商人との関係を切るということはどういう感情なのかを
二人に聞いてみた。
どちらも即答だった。
「malu(はずかしい)」だった。
これまで借りてきてお世話になったのに、富を得たら急に独りよがりになった、と
周りから評価されるので、恥ずかしいことなのだとか。
こういった社会的感情はとても大切だ。
僕らにもそれに似た感情はあっても、
イル君やH君のようにその感情の深度は、それほど深くないかもしれない。
合理的に考えれば、自分で移動手段を持ち、資金があれば
その関係から抜けて、自分で販売を始めた方が良いようにも思うのだが、
一足飛びに、それをすることは、
「不義理な奴」としての汚名と制裁を社会から受けることにもなりかねないようだ。

そういうこともあって、やはり一度できたこの関係を
断つことは、難しいようだ。
だが、イル君の場合は、
もっとポジティブに評価しても良いのかもしれないと議論になった。
一つには、その関係から来る融通性であろう。
そして、これが大きいのだが
作付け作物が特定されていないこと、である。
この指摘をしたのはH君である。
「僕なら、高く売れる野菜ばかりつくるけどな」の一言で
議論がネガティブからポジティブへと変わった。

買い取り価格にある程度の差額があることには、これからの課題でもあるのだが
大きな市場にアクセスしているようなので、農家の判断さえ間違えなければ
高い価格で売買される作物を、農家自身で選びだせれば、
それだけ農家のもうけが増えるのだ。
イル君のとこは標高も高いので、その自然条件を活かせば、
イル君の地域じゃないと栽培できないという野菜もあるだろう。
珍しい品種や、普段では栽培できなさそうな野菜、または現在あるものよりも
至極立派に作れそうな野菜を選び出し、それらの市場価格の変動を掴みとれれば
買い取り商人と共に、大きくなっていくことも可能のように思える。

やってみる価値はあると思います。
イル君は、そう言っていた。
あとは君が市場を見つめる目と作物栽培に欠かせない観察力を
ここで身につけられるかどうかだろう。

こうして、資金的要素の授業は終わった。
最後にイル君が、
「こうやって自分の村について分析したことがなかったので、とても面白いです。自分の村のことなのに、やっているうちに新たに解ることも多いですね」と言っていた。
忙しい中、座学を続けていくのはなかなかの苦労だが
それが少し報われたような気がした。
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年に一回のことだが、
毎年、ある高校へ講演に行く。
その高校には国際科があり、1年生を対象に行われている国際理解セミナーに
毎年、協力隊OVが7~8名を派遣されている。
僕も毎年、その1人として参加している。

何を話すのかと言えば、
協力隊の時の体験談。
異文化の中でどうやって活動してきたかをヒントに
国際社会で活躍するには何が必要なのかを
高校生は学ぶらしい。
僕の馬鹿話にそんなヒントがあるのかどうかは、怪しいものだが。

さてさて、
すでに協力隊から戻ってきて10年が経とうとしている今、
10年前の話をしてもあまり面白くはない。
だれが?
それは、僕がだ。
この10年間、幾度となく協力隊の時の話をあちらこちらでやってきたので
今じゃ、全く原稿を作らなくても、全く同じ話をすることができる。
いろんな時間配分で後援会の依頼を受けてきたこともあって
30分から1時間30分の講演時間であれば、準備の原稿もいらないし
講演に使うパワーポイントも、その時間に合わせたバージョンが
すべて揃っているくらいだ。
だから、最近は協力隊だけの話はしないようにしている。

今年は、昨年同様に
僕が今やっている農業研修事業について話をした。
異文化を理解するということは、どういうことなのかを表題に
協力隊の経験と研修事業を行っている中で
自分が気付かされることは何なのかを話している。

話のあんこを言えば、
異文化との交流は、自分が前提としていた「常識」の再構築化なのだと
僕は思っている。
オモシロ人類学のように、相手の風習や習慣などの違いを笑いにする方が
講演としては簡単なのだが、
それを笑う自分の基準が、
交流の現場では、実は不安と批判にさらされているのである。
こうして自分の常識を疑うようになりだすと
世の中のことが少し違って見えてきたりもする。
だから異文化交流や異文化理解は何のためかと言われれば
実は、自分が関わっている社会の変容に大きく寄与しているのだと
最近は感じることが多い。

高校1年生にここまで話をすると、大抵は質問なんて出ないのだが
今年は珍しく、質問が続いた。
なかなか真面目な学生が多いみたいで、
国際社会の中で日本が果たす役割は何ですか?などと質問する学生もいた。
僕の頭のどこをどう叩いても、その答えは出てこないし、
僕としては、その「日本」って何なのかを疑えと言ってしまいたくもなるのだが
そこは優しく(?)、お茶を濁して終わった。

講演の自己紹介で、ベビーリーフを作っています、と話すと
良く食べると言う子が何人かいて、とても気分良く話せたのは余談。

人前で何かを話すのは、いつもと違う頭の使い方をするので
刺激があっても面白い。
ただ、今年を最後に、この高校での講演はもうやめようと思っている。
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PB110008.jpg

曇天の冬型の天気。

北陸特有の冬の気配を感じる今朝、

雨の中で、もくもくとカリフラワーを収穫していた。

11月の上旬が思った以上に暖かく、予定よりも大きくなってしまったカリフラワーを見ながら

これ以上大きくなる前にとりきらなければ、と焦っていた。

雨が冷たいことも、僕の気持ちを下降気味にさせていた。



そんなカリフラワー収穫作業中、ある株にトンボが必死につかまっているのを見つけた。

どうやら、この雨でずいぶん濡れてしまったようだ。

その株につかまりながら、トンボは雨宿りをしているようだった。

収穫適期が少し過ぎて、大きくなり過ぎているそのカリフラワーを

本当は焦って取らないといけないのだが、

僕はとる気にはなれず、そのまま放置した。



いいよ、その株はお前にやろう。



焦って張り詰めていた気持ちが、少し緩んだ気がした。

僕とトンボの間に、優しい時間が流れた。
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最近、出荷で困っていることがある。
それは野菜を入れる箱の問題。
普通、野菜の出荷には専用の段ボール箱を使用するのだが、
業者の都合上、そうでない場合もある。
その“そうでない場合”で、ちょっと困ったことが起きている。

僕の野菜の多くは、栽培前からすでに販売ルートが決まっている。
市場の業者(仲卸)やレストランに卸している業者などなど。
その中でも一番大きい業者の大○青果に出荷する野菜で
ちょっと困ったことが起きている。

この大○青果に出荷している僕の野菜の一部は、担当者の仕分けの関係上
この会社が所有するコンテナに詰めて出荷する。
imagesCANA77FR.jpg
写真は、イメージ図だが、
この側面に、『福井大○』と印刷さえすれば、
まさに今回話をしようと思っているコンテナになる。

もともとは細かく仕分けして各社スーパーなどに配送する手間上
このコンテナを使用してくれ、と業者から頼まれたのだが
このコンテナ、しっかりしていて軽量で扱いやすくて便利。
なおかつ、箱代が浮くので
僕としてもこのコンテナ出荷は、利点が多かった。
しかし、そのコンテナが、最近手に入らないのである。

大○青果では、各スーパーへの商品の配送に、
このコンテナを使用しているのは書いた。
スーパーだけでなく、他の業者にもこのコンテナで配送している。
そうやって配送で使用されたコンテナは、
配送に行った担当者なりが回収してくるそうだが、
担当者の話では、
「配送で出しているコンテナ数と戻ってくるコンテナ数が明らかに違うんだよ。ぜんぜん戻って来ない」
とのこと。
それはなぜか。

その担当者の読みでは、そのコンテナに入れられて配送した商品(野菜など)を
受け取った業者が、その商品がダブついて売れない場合、
そのコンテナごと他の業者に転売しているのが問題じゃないか、と見ている。
その転売を受けた業者が、この大○青果と直接取引のない業者の場合
大○青果の担当者が配送時にコンテナを回収するという作業はできないことになる。
「多くが県外に流れているんだと思う」
と担当者は話してくれた。

以前からこのコンテナ失踪事件は問題になっていたのだが、
大○青果は、回収システムを見直すこともなく
足りなくなれば、このコンテナを作り足していた。
数年前にも6000ケースを作ったらしいのだが、
現在、担当者が確認している数は、1000ケースに満たないらしい。
数年で5000ケースも無くなってしまったのだ。
コンテナが回らなければ、業務(商品配送)にも支障をきたす。
だからといって、戻ってくる当てのないコンテナを作り続ければ
経営が圧迫される。
しっかりしていて、軽量で、扱いやすいこのコンテナは
決して生産コストは安くはないだろう。
そして、その“しっかりしていて軽量で扱いやすい”がうえに、
このコンテナはみんなから重宝され、他の業者が自分の業務に使うのである。
ははは、フリーライダーに支配されたジレンマの事例のようだ。

そういえば、市場の中を見渡せば、
全く関係のない様々な県外の農協や生産組合のコンテナが
整頓もされず、そのまま山積みになっているのを見かける。
大○青果のコンテナも、こんな風に他県の市場や業者で山積みになっているのだろうか。

しかし、笑い事じゃないのだ。
そのコンテナで、大○青果に出荷している僕としては、
そのコンテナが手に入らないと、困るのだ。
担当者からは
「今後はコンテナを田谷君には十分回せないかも」と言われている。
会社としては、もうコンテナを追加では作らないらしい。
だから、出荷用として農家にコンテナは回せないというのだ。
うーん、こまった。
それだけ箱代が高くついてしまうじゃないか。

他の担当者が話していたのだが、
コンテナの問題は、どうも県外の他の業者だけじゃないらしい。
地元のスーパーでも、陳列台の土台として使用していたり、
そのコンテナごと陳列してあったりするのだとか。

しかし、それだけじゃないことを、僕は知っている。
県内のイベントに出かけた時に、
地場野菜や地元の工芸品販売のブースで
その台として使われていたり、
たこ焼き屋などの屋台の台としても使用されているのを見かけたことがある。
農家の小屋に行けば、
そのコンテナがテレビ台になっていることもあり、
ある農家のハウスでは、育苗用の台になっているのも見かけたことがある。

しっかりしていて軽量で扱いやすい、大○青果のコンテナは
その利点がゆえに
多様な場面で、多様な使われ方をしているのである。

みなさん、このコンテナを見かけたら、
大○青果まで返すように言ってやってください。
そのコンテナは、テレビ台でも陳列用の台でもなく、
出荷と配送用のものですよ、と声掛けをお願いします。

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神門 善久 著 『偽装農家』.2009年.飛鳥新社.

なんともすさまじいタイトルの本ではないか。
このタイトルにつられて、読むことに。
本書は、90ページ程度の薄い本で、内容としては、同著『日本の食と農』を簡単に分かりやすくした感じの本という印象を受けた。ページを薄くした分、議論の内容も薄くなり、その分論調も極端になっているように思う。
さて、氏が言う偽装農家とは何か。
それは、収入は農外産業への就労で賄いつつ、各種助成金や農業政策の恩恵にあずかりながら細々と農業をしつつも、生産性が低く、農地の転用機会がやってくれば、さっさと農地を売り払ってしまうような農家のことを指しているようである。
こういう事例は、何も特別な農家ではない。
表面的にこの言葉を捉えて、それに当てはまるような農家を僕の周りで探すのは、そうむずかしいことではない。
ただし。
ただし、である。
はたして、この言葉は正確に現在の農家を捉えているのだろうか。
本書の中では、ある農事法人の事例が紹介されていた。そこでは、ある企業による、農地を倉庫として転用する機会に、賃借料の高い倉庫へ次々と農地を転用していく土地持ち非農家の姿と、それによってその農地を借りうけていた農事法人が大きな損害を受けた話が、簡単にだが紹介されていた。同じ農家として、またここでもそういう事がおこらないとも限らないだけに、背筋の凍る話であった。
しかし、この場合においても、この事例に関わっている土地持ち非農家のほとんどが、その転用機会を期待して、言わば本当に農業をやっているように装っていた農家として存在していたわけでもあるまい。
問題は、神門氏も指摘しているように、雑な都市計画と虫食いに農地転用を許可する農業委員会であろう。それは僕も同意見だ。
だからといって、農地の売買における、農地としての利用価値と転用された時の価格に圧倒的な差があり、それによって農地転用をしようという農家(もしくは非農家)を僕は偽装農家とはとても呼ぶ気にはなれない。
なぜなら偽装農家という言葉の場合、積極的に、主体的に、その個人が、言わば農家のように装っているという印象を受けるからである。そうではないだろう。そういう転用機会が発生してしまう制度上の不備が問題なのではないだろうか。そういう制度上の不備を抜け穴としている農業員会や都市計画の頭に偽装という言葉をつけるのであれば、まだ納得できる。

神門氏は、日本の食と農でもそうであったが、どうやらフリーライダーを絶対に許すことができない性質なのであろう。僕もそういう輩は許せない。が、だからといって、市民参加型で土地利用の計画を立てるのはどうなんだろうか。オープンに都市計画や農地計画を立てるは良いような気もするが、日本の食と農の読書記録でも書いたが、市民の持つ農業に対する眼差しに僕らの農的営みが左右されるのは、正直不安でもある。各種メディアで最近賑わっているような農業の捉え方(ノスタルジック・企業的あり方)で、僕らの農業が規定されていくようで、そうした眼差しが僕ら農民の中に越境してくるのを感じることが多い。僕ら農民は、農地によってその農の形が決まっていく。そういうした言わば自分たちの営みを、同じ眼差しで見ることができないかもしれない人々と一緒に作り上げていけるのかどうか、とても不安だという点で、氏の論には同調できなのである。
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最近、ごんぼ(ごぼう)の収穫で忙しい。
トレンチャーで穴を掘りつつ、一本一本手掘りするのだが
そのだだっ広い露地のごんぼ畑で、
携帯がけたたましくなった。
インドネシアからの国際電話だった。

電話をかけてきたのは、タンジュンサリ農業高校の副校長。
先月上旬に頼んでおいたはずの
来年の研修生の選考が、メールの手違い(?)で今月に入って
ようやく候補者を探すという、なんともやっつけ仕事になってしまったことは
先日のエントリーでも書いたとおり。
その選考が終わったとの連絡だった。

畑のど真ん中で、農作業をしながら
インドネシアからの国際電話を受け取るという
すこし異様な風景かもしれないが、
それが僕の日常の一コマでもある。

さて、家路につくと
さっそく、タンジュンサリ農業高校からFAXが入っていた。
それは候補者の履歴書だった。
農業高校を卒業後、5年間、種苗関係の会社に勤めていたことになっていたのだが
この11月で退社、となっていた。
まさか、この研修のために仕事を辞めたんじゃぁ・・・。

年齢がH君と同じだったので、H君にその候補者について聞くと、
やはり同級生で、1年生と3年生の時、同じクラスだった親友らしい。
H君曰く
「彼は頭がすごく良くて、僕よりも成績が上位でした」
とのこと。
H君でも十分賢いと僕は思うのだが、今度の候補者はそれ以上ということか。
とりあえず、大学院時代の同級生・A女史(インドネシア人で大学の講師)に連絡をして
さっそく、その候補者の農村環境調査とポテンシャル調査を依頼するとしよう。

兎にも角にも、来年の候補者が決まった。
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11 04
2009

最近、とてつもなく忙しい。
作物に追い回されるとは、このことだろう。
真夏に2反の田んぼでナスやオクラを作っていたとき以上に
忙しいように思う。
いや、あの時とはまた違う質の忙しさ。
あの時も作物に追い回されていたのだが、
どこか陽気だった。
今は、刻々と忍び寄る冬の気配にも追い回されて
気持ちもせわしない。

朝晩がぐっと冷えるようになると
アブラナ科の菜っ葉は、ぐんぐんと勢いよくのびだす。
水菜・ルッコラ・ワサビ菜などをかごいっぱいに収穫する。
そのあとは、夏の名残りでまだハウスの中に残っている
モロヘイヤ・つる紫・空心菜の収穫がある。
それが終わるとようやく露地野菜。
レッドキャベツ・サボイキャベツ・スティックブロッコリ・カリフラワー etc。
これらの合間に、僕の趣味で作っている(割には量が多い)
セロリ3種とキンジソウ、ズッキーニなどの収穫もある。
これをとりきるかどうかのころ
ようやく午前中が終わる。

週に2回は、昼休みの時間にインドネシアの研修生の座学が入る。
それが無い日でも、この時間帯に接客の応対が入ってくる。

昼休みも早々に仕事に出ると、
収穫した菜っ葉の袋詰めが待っている。
そういう仕事はスタッフに任せて、僕は種をまく。
そろそろクリスマス用のベリーリーフをまかなくてはいけないので
平均気温、天気図、季節予報や3か月予報、など活用できる気象情報を並べて
カレンダーとにらめっこしながら種をまく。
菜っ葉の袋詰めが一段落したら、
今度はつまみ菜の収穫である。
大根葉の子葉を収穫する野菜で、カイワレとはまた違う。
鎌で刈り取る野菜で、熟練の技術が要求される。
インドネシアの研修生もセネガル人のI君も
すでに上手になっており、
研修生のH君に限って言えば、僕よりもいつの間にか上手になっているくらいなのだ。

この収穫作業の合間に、播種した場所に水をやり
温度が下がるに合わせて、ハウスを閉めて回る。

この収穫が終わった後に、ようやくごんぼ(ごぼう)の収穫がある。
ごんぼは、遅ければ12月の上旬まで収穫は続く。
朝から、ごんぼだけを掘っていられるのであれば、
多分、2週間とかからないのだろうけど、
これだけ収穫物が重なってくると、せいぜい掘れても1日1畝もしくは2畝。
疲れた体に鞭を打って
最後の最後にこの肉体労働をこなす。
大抵のアルバイトは、このごんぼのころに辞めて言ったような気がする。
そんな大変な仕事なのだが
セネガルのI君は、ごんぼを掘る前になると
冗談で
「今日は、5畝掘るよ」
とありえない目標数字を言っては、まわりの笑いを誘う。
その陽気さに助けられて
僕は、日暮れまで黙々とごんぼを掘るのである。

日が暮れて、外気が寒くなると気分もせわしない。
冬が来る前に取りきらないといけない露地野菜が多いのだ。
冷え切って疲れ切った体で、気分だけがせわしくなりつつ、家路につく。
せめて薪ストーブにあたって
冷えて疲れた体を温め、とげとげにせわしくなった気持ちを
まあるく、まあるくさせよう。

これが最近の僕である。
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研修生には母国語であるインドネシア語で
毎月、研修で学んだことなどをレポートにまとめて提出してもらっている。
月に1~2回は、座学でそのレポートを元に話し合うようにしている。
昨日はその日。

レポートには、その月に学んだことや
疑問点、要望などを書いてもらうと同時に
研修後の夢も毎月書いてもらっている。

目標を持って、それに向かって邁進するという
効率性とそこに潜むある種の近代性を
無批判なわけではないのだが、
実際の現場での問題として、
研修の短い3年間を、それぞれがある程度イメージを持って取り組んでもらいたい
と思って、毎月、これを書いてもらっている。

毎月同じような夢を書いてきていたのだが、
今回は、H君とイル君の夢は随分と様変わりしていた。

まずはH君。
これまでは簡単に、
「研修後は大学に進み、もっと勉強したい」
「ここで学んだ技術や農法を活かす農業をしたい」
と書いていた。
だが今回は、前に書いたエントリーにもあったように
「近くの市場に売り場を確保し、生産販売グループを作り、自分たちで有機的農業を中心に栽培していきたい」
に変わっていた。

イル君も同様で、
まずは土地探しから始めたいとのこと。
彼は兄弟も多く、またその兄弟もほとんどが農業をしており
さらにジャワの相続の慣習として
“兄弟全員に均等に分ける”というのがあり、
父の遺産としての農地がほとんど期待できないのである。
H君は幼い弟が1人なので、あまりその問題はないと言っていたが
イル君は4人兄弟の2番目。
ただでさえ少ない父の農地なのに、その1/4しかまわってこないのでは
農業では食べていけなくなる、とのこと。
彼の土地探しは、まずは市場だとか。
自らが関わることのできる市場に近い場所で土地を探すのだとか。
イル君はこれまで、どちらかと言えば栽培技術に関心が高かったのだが、
先月に行った授業の効果なのか
栽培から考えるのではなく、
販売から、市場から考えるようになったのは、
大きな一歩だと思う。

両者にとって、たとえその夢が絵に描いた餅であっても
その餅を描き続ける意味は、僕にはあるように思う。
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求人用の募集票を書く。
この前のエントリーでも書いたが、今、農園のスタッフを募集している。
誰でも良いというわけではなく、
それなりに刺激的な人が良い。
というわけで、青年海外協力隊OVを対象に
募集をかけてみようかと考えている。

今年、いろんな縁があって
5月と8月に東京であったシンポジウムにパネラーとして登壇した。
そのどちらのシンポジウムも
青年海外協力隊OVの帰国後の活躍に焦点をあてたもので
それに僕の活動が当てはまるのかどうか、一抹の不安はあるものの
呼ばれれば、出ないと断る理由もなく、
ある種の所信表明のつもりで登壇した。

この2つのシンポジウム。
事前にそれなりに準備したので(させられた?)、
その作業過程と、
一緒に登壇した方々からの素敵な話が刺激になって
僕にとって、“地域おこしとは”を
しっかりと再考するきっかけを与えてくれたような気がする。

そしてそれは、
「ちょっとまともじゃない、ものの見方」じゃないか、と最近良く思うのである。
農村というと、どちらかといえば
停滞した社会・閉鎖的な社会というイメージをもたれるかもしれないが、
史実から検証しても、そうだった試しがない。
農村は停滞しているどころか、
つねにダイナミックな変容を繰り返してきているのである。
そしてその変容の中に
ちょっとまともじゃない、ものの見方をする輩が必ず関わっている。
その関わりがなければ、外圧によってなし崩し的な変化はあっても、
農村が主体となるような変容は生まれない。
(いや、その場合でも外圧を自分たちの都合に合わせて「翻訳」する輩はからなず出てくるだろうけど)

2つのシンポジウムに出て、
そこに登壇されている方々を見て
やはり「ちょっとまともじゃない、ものの見方」をする人たちだと
僕は思った(褒め言葉のつもり)。

日本の社会から飛び出し、現地の社会に単身で乗り込んでいき
少なくともその視点においては、すでに
「ちょっとまともじゃない、ものの見方」を身につけているであろう
協力隊OVをスタッフとして招けないか、
今、そう考えている。
僕とこの村とこの地域の農業が大きく変化していくために必要な力を、
この僕に貸してほしいと願っている。
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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

メールは
taya.tアットマークnifty.com
です。
(アットマークを@に置き換えて送信ください)

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