村の米の出荷日。
村のコシヒカリの出荷がこれですべて終わる。
隣の集落にあるJAの米倉庫に、前日から入れておいた新米を
JAの検査官が来て、米の検査をしていく。
この検査で1等2等が付き、
それによって、JAの買い取り価格が決まる。

スーパーの米に1等も2等も混ざってしまっているから、
こんな検査はしなくても良い!という論調もあるが
かつて腐敗米や石などの混入米が横行していた時代からの流れを考えれば
こういった検査はある程度は必要だと感じる。
また、今でも質の悪いコメを出してくる人は集落内にもいるため
きれいな田作りを奨励するためにも、
1等2等による価格差のインセンティブは必要かな、と思うこともある。

ほとんどが1等なので、そんな検査ではなく、
1等のなかでさらにランクを分けたらどうだろうか、
という論調のブログもちらほら見受けられる。
だが、コシヒカリの場合
1等の上にS等というのがあり、むらの年寄りの話では
3年前に1パレット(42袋分)出たっきりで、
だれもそのあとは出ていないという。
その時は、S等の判子自体を検査官が持っていなくて
どこかへ取りに行っていて、しばらく検査が中断したのだとか。
それほど稀なことらしい。

では、なにを見てランクを分けるのか。
それは整粒歩合。
粒がきれいに整っていればいるほど、ランクが上がる。
食味はこの場合関係ない。
なぜか?
それは検査と米の近代史を見れば解る。
不純物を取り除き、米相場で決められる地域ごとの値段を少しでも釣り上げるには
出来るだけ整粒歩合が高くないといけない。
米相場での価値判断がそのまま検査に反映している形なのだ。
なので、ときどき食味と関係ない検査は不要!などと
消費者団体などが批判しているものを散見するが
その中には、これまでの歴史的な流れと市場の価値を無視した
ある意味、不勉強な批判としか言えないものもある。

確かに食べる側にとっては、美味しいかどうかなのだが
市場ではそうではないのだろう。
ある時期から、魚沼産などがもてはやされるようになったことから
食味に対する意識が強くなってきているのは確かだが
それでも生産現場では整粒歩合をあげることに、
まだまだ神経をつかっているのが現状だ。
それが消費者のニーズに合わないというのもある意味事実だろう。
食管法の変遷などをみると
消費者の意識やそれに合わせた生産や流通の変化が見えてくるのは余談。

さて、食味。
はたしてそれは無視されたままなのだろうか。
そんなことはない。
検査ではコシヒカリの場合、食味検査も行われる。
食味値85以上で、1袋につき買い取り価格500円UPとなる。
(うちの村の平均は79。一番高い人で82だった)

では、その食味値。
何を測っているのかと言うと
水分、アミロース、たんぱく質、脂肪酸の4点。
水分含有量が適当で
アミロース、たんぱく質が少なく、脂肪酸が低い方が美味いコメとなる。
・・・らしい。

たんぱく質が少ないと、ふっくらと炊きあがって
アミロースが低ければパサパサせず、
脂肪酸が低い方が、鮮度が高いというわけなのだ。

つまり、ふっくら炊きあがってパサパサしない新米は美味いというわけか。
みなさん、そう思いますか?
僕はどちらかといえば、炊きたてに関して言えば、
すこしアミロースが高い方が美味しいと感じるし
それ以上に、米の香りが大事だと感じている。
だがこの食味値では、そんなことはお構いなし。

インドネシアの話で申し訳ないのだが、
あちらの米の品種はバライティに富んでおり
香り米や甘く感じるコメなど様々な米が市場に出回っている。
食味値を、以上の数値に限定してしまえば
ある意味、そういった米になるようにしか改良されていかなくなったりもするのだ。
基準を決めるのは、判断材料のひとつを手に入れることだが
同時にそれは、多様な米の在り方を否定することでもある。

むらの人たちと検査を見守る中、
食味値85のインセンティブが到底手の届かない数値なように感じられて
なんだか自分たちの米がけなされているようで、
食味値なんて当てになんねーよ、とみんなで言い合っていた。

ある人は
「おかずが何かで変わるよな」と言い
ある人は
「腹が減っているかどうかだろ」と言い
ある人は
「べっぴんなねーちゃんと食べりゃ、なんでも美味いんじゃ」と言っていた。
どれもその通りだと僕も思う。

消費者のニーズを市場を通して指標にするというこの試みは
検査の現場で見ている限り、あまり妥当性を感じない。

市場を通して米を買っているくせに、整粒歩合の検査にケチをつけている人は、
そんなにうまいコメを食べたければ、農家から直接コメを買い取るといい。
その関係性もコメの味についてきて、
どの指標でも測れなかった豊かな味を味わえるはずだから。

あっ、ちなみに自分で作ればもっと美味いよ。
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またまたまたまたたま(?)またまた来客あり。
今度は妻の師匠と大学の同じ研究室だった先輩夫婦と後輩夫婦。
みなさん、インドネシア研究がご専門で
妻のお客さんながら、不躾な僕の質問や要望にも丁寧に応えてくれた。

お客さんとの夕食会の時
妻の師匠から、
「田谷さんは、今のインドネシア・ジャワの農業で何が問題だと感じていますか 」
と問われ、どぎまぎしてしまったのだが、
小農にとって耕作権が確立していないこと、
バーゲニングパワーを持ち合わせていないこと、
などを挙げた。

国家レベルでの制度の話には、不勉強であり、また苦手でもあるので
それらの実現にどのような政策や法律が必要で、
かつ実際にすでにある法令で実施不可能な点などは議論しても
僕には到底手に余ってしまうのだが、
ミクロなレベルで、農家と対等に商売をしようという商人の資質を備えた
研修生を多くここで育ててみたい、という旨は話した。

さすがにインドネシアに詳しい方々ばかりで
また人類学の研究者の方々だけあって
ジャワの文化的な配慮や
プサントレン(イスラム神学校)の農業普及事例や
コミュニティFMの事例などを紹介してくれ
とても勉強になった。
僕はどちらかというとFarmer to Farmerの知識伝達を
その体験やインドネシアでの経験から少し否定的に見ていたのだが
スンダ文化の意識の中では、それほど否定的なものではないのかもしれないと
その議論の必要性を強く感じることができた。

人類学の人々はいつもそうなのだ。
僕が考えている前提のものを意識的にか、それとも無意識的にか、
僕には解らないのだが、
いつも問いただしてくれる。
だから、質問を受けているうちに、自分もその前提となっているものの
危うさに気が付いたりもする。

議論が必要だということが解っただけでも
とても有意義な時間だった。
インドネシアにいるかつての学友や先生に、
これらの議論を吹っ掛けてみようかと今、思い付いているところである。

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またまたまたまた来客あり。
農園まで来てくれたのは、ボゴール留学前に
僕にインドネシア語を教えてくれたアリ君というインドネシア人とその家族。
彼から毎週1回から2回程度、10カ月ほどインドネシア語を学んだ。
彼は、当時、長期海外研修制度で福井の小さな工場で働いていた。
夜勤ばかりのシフトで肉体的にも精神的にもしんどかっただろうが、
昼の空いた時間に、彼は日本語のもう勉強をしており
その空いた時間に、僕にインドネシア語も教えてくれていた。

僕にとっても彼にとってもその10カ月の時期は
自分が何者であるかも見えてない時で、お互い、果てしない夢を語り合いながら
現実とそれに対する不安を抱えながら共に過ごした時期でもあった。
その時には、お互いの夢は、到底実現不可能なものに見えたのだが
なぜか、そんなに深刻にはならず、どこか楽天的でもあった。

そして、僕はボゴールに留学し
彼は、日本の大学に受験して合格した。
僕らは、それぞれが一歩進めるような形で別れた。

そして歳月が流れて、
数年ぶりに彼とその家族が農園まで遊びに来てくれた。
彼は、現在、大手化粧品メーカーに日本で採用され、
日本人の新人育成プログラムを任されている。
いつかは、インドネシア支社への転勤を望んでいるらしいが
いつになるかは解らないとのこと。
伊丹の自宅から、車で農園までやってきたのだが、
運転免許は、日本の教習所に通ってとったという。
彼はいつの間にか日本人よりもきれいで流暢な日本語を話す青年になっていた。

そして僕は、ボゴールの大学院を卒業して
インドネシアの農家子弟を2名、研修生として受け入れている。

彼はもう覚えていないかもしれないが
ボゴールに留学する前に僕が語った、あの実現不可能にみえた夢の一部が
ここで曲がり形ではあるが、実現しているのである。
それは彼にとっても同じことだった。

一通り農園と研修を見学して、彼は、
「それでタヤさんは、彼ら(研修生)がどういう農家になることを望んでるんですか?」
と尋ねてきた。
彼はいつもそうである。
その次をどうするのかを聞いてくる。
その先をどうするのかを僕に語らせる。

だから僕は
ものすごくミクロな部分での話でしかないが、
これまでの座学とインドネシアの経験から、
篤農的な農家が他の農家を引っ張るというモデルではなく、
商人と農家のコラボこそが
これかの農村・農業の発展の1つの形だと思っている
だから、研修生には農業をしつつも、自らが買い取り商人となり
市場の刺激を農家にダイレクトに伝えていける、
農家に提案できる人材になってほしいと思っていることも伝えた。
それがひいては、農家のバーゲニングパワーの獲得にもつながっていくのではなかろうか。
研修生がどういう農業と、商人としてどういう市場を見据えていくかは
これからも一緒に考えていかなければならないことではあるが
その実現の難しさよりも
その夢想する楽しみの方が先行してしまうのである。
彼と話すと、特にそれが強まっていくのが感じる。

短い滞在ではあったが、
お互いが、あのころに語り合っていたそれぞれの夢を
改めて確認できたような気がした。
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記念日が近いということで、
みんなで美味しいものを作って食べる。
結婚披露宴記念日という少しややこしい記念日。
結婚関係には、この他にも僕たちには結婚仏事記念日や
結婚を集落の人たちに披露した記念日もある。
あと気分が変わって、結婚届けでも出せば、その記念日も増えることになる。

さてさて。
連休に入ってすぐに、サツマイモの収穫をした。
それと、ごんぼ(ごぼう)の試し掘りもした。
なので、初物として、サツマイモとごんぼが我が家にはある。
さっそくそれを調理することに。

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サツマイモは、チップスにして油で素揚げして食べた。
チップスにしてから、数時間水に晒すのがコツ。
そうすることで、ふっくらパリッと揚がるのだ。
良く行くレストランのシェフから、そう教えてもらった。

ごんぼは、リゾットに。
豚肉とささがきにしたごんぼを少し焦げるまで炒めてから、
洗ってない生米を入れて、米が透き通るまで炒める。
そこにワインを入れて少し炒めたら、水をひたひたに入れて煮る。
全体がねっとりしてきて、米の芯がなくなってきたら出来上がり。
柔らかすぎず、硬すぎず、に作るのがコツ。
最後に、妻のアイディアとして
素揚げにしたごんぼをトッピングして出来上がり。
リゾットにすると、ごんぼの味を豊かに味わえるのだが
香りが消えてしまうのが難点だった。
だが、素揚げのごんぼチップスをトッピングすることで、
香りも楽しめて、味も楽しめるリゾットに!

記念日にぴったりの食卓となったのであった。

ちなみに、白の格皿に盛られている黒い食べ物は
とり肉とレンコンのバルサミコ酢炒め。
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土曜日で、イスラームの断食も明けた。
なので、9月上旬から福井農林高校に短期留学に来ている
インドネシア人の学生2名と
うちで研修をしているインドネシア人研修生2名
それにセネガル人の農園スタッフであるI君(イスラム教)家族を呼んで
みんなで断食明けのお祝いにと、新居で夕食会を開いた。

おかげで何ともにぎやかな夕食会になった。
数年前には考えもしなかった光景が
目の前に広がっていることに、我ながらしみじみしてしまった。

さて、短期留学の高校生。
連休ということもあり、21日(月)の朝までうちの農園に滞在することになっていた。
その間、留学生には
研修生が受けている僕の座学に参加し、
丸1日、圃場実習(労働)にも参加し、
そして早朝から中央卸売市場も見学してもらった。
かなり濃い2日間を経験してもらったのだが、
留学生の感想は、
「とても勉強になったので、また来たいです。出来れば研修生としても来たいです」
と言ってくれた。
この留学生の高校から、卒業生を対象に行っているのが
僕のインドネシア農業研修事業なので
先輩の研修生たちの姿を見て、自分も参加したい、
と思ってもらえたのは、うれしかった。

この留学生。
来月、福井農林高校が中間試験に入ると
試験機関の4日間は、僕の農園で実習をする予定となっている。
今回、留学生も参加した座学では「市場」をあつかったのだが、
次回は、 「技術」を予定している。
というのも、留学生は事あるごとに、
「日本の農業のテクノロジーは素晴らしいです」
と、やや盲目的にその技術を称賛していた。
技術と社会のどう影響し合って、1つの社会を築き上げたかを
歴史的経緯と社会的価値についての考察も入れつつ
解釈していく必要があろう。
それらを理解した先にある地平では、
決して日本の技術が進んだようには見えないはずだから。
そして技術だけを持ち帰ることの難しさにも直面するだろう。

次の4日間は、僕にとっても留学生にとってもタフな4日間になりそうだ。
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だんだんと大きくなっていくオクラ。
今では僕の身長よりも、はるかにでかい。
ここまで大きくなると、収穫も一苦労。

暑い盛りも過ぎ、
僕の農園では、そろそろオクラの収穫も終わりなのだが、
今年はあまり暑くなく、オクラの収量は全体的には少なかったので
少しでも、“とれるのならばとろう”という想いが
僕をこうまでさせてオクラの収穫にかりたたせている。

一見醜く見えるような姿とその思考だが、
それが農民の基本スタイルだと
最近、強く思う。
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二日前から娘が熱を出す。
峠は過ぎたものの、今日も保育園はお休みに。
昨日までは、妻が付きっきりの看病をしてくれていたのだが、
今日は妻が仕事で大学に行くので(愛知県)
僕が野どめ(農作業を休むこと)をして、
一日、病気の娘と付き合うことにした。

こうして看病をするために仕事を無理やり休んでみると、
こんな時期に仕事なんて休めるか!と思っていた自分でも
案外なんとかなるものだと、ふと気が付く。
会社勤めをしたことがないので
比べることはできないのだが、
休もうと思えば休める自営業の良さを感じたりもする。

娘は熱もなく元気いっぱいということもあり、
看病もそこそこにたまっていた伝票の整理などもしつつ
ラジオを聞いたりテレビを流し見したり。
それらから流れてくるのは新内閣のことばかり。
そんな中でタイムリーなものがあった。

新内閣に何を期待しますか?という町の声を拾ったものの中で
民主党らが掲げる育児の支援についてのものだった。
中学生くらいまで育児支援として月額2万数千円もらえるのだとか。
あと町の声の期待としては保育園の増設や
病児の保育サービスの拡充などがあった。
ちょうど病児を見ながら一日仕事を休んでいた僕にとっては
この話題はぴったりだった。

病児の保育は確かに核家族化した共働き家庭では
もっとも関心の高いことなのだろう。
当然、そういったサービスがあると便利だろうし
仕事に支障をきたさないだろう。
だが、できることならば、そうまでしてあくせくしなくとも
充実した労働とその対価を得られる社会であってほしいと願う。

育児支援でお金をくれるのならば、
なにも「いらない」と言って突っ返しはしないが
そんなことよりも、
できることならば、みんな一斉に申し合わせて
ゼロ成長の経済の中での個々の幸福を追求する方向に向かいたいと夢想したりする。

景気回復と経済成長が、なんだかみんなの幸せだとでも言いたいような
プロパガンダがメディアからも人々の口からも流れ出てくるのだが、
本当にそうなのだろうか。
病気の子供を預けなければ、その社会が回らないのであれば
ある意味、その社会自体が僕には病的にみえてしまうのである。
そうは言っても、そういった子供を持つ身としては
そういうサービスでもうけなければ、どうにもならないこともあるのだが。

幸せなんてものは、一体、どういうものなのだろうか。
単なる経済成長でも景気回復でもない、とは頭で分かっているのに
結局、毎日同じことをしていた自分に気が付く。

たまには、非日常的であるが、病気の娘を看病するのも悪くない。
その状況から、自分の生活がいかに病的なものなのかが
少し見えてきた気がする。
この感覚は大事にしたい。
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今日も来客。
今度はアフリカ人13名。
JICAと福井の団体が企画するアフリカ青年研修。
そのコースの一つに僕の農園が入っていた。

昨年もこの研修は企画実行されていたのだが
今年から、僕の農園もまわるようになった。
青年研修と銘打って行われる研修で
福井県内の各農家や農業関係施設を訪問する、いわゆる農業研修。
対象者はアフリカ各国の農家ということだったのだが
農家が来るわけもなく、
ほとんどが農水省のお役人さんなのである。
まぁ、人選を相手国に丸投げするのだろうから
仕方ないと言えば仕方ないか。

さて、そのアフリカ人。
うちの農園の時間は2時間ほどということで、
通訳をはさんでの会話ということもあり
メッセージは明確にしておいた方が良いだろうと考え、
ややこしいことは抜きにして
とにかく農業で一番大切な
「多様性」を伝えようとこちらでは考えていた。

生ごみ堆肥や稲わら堆肥、牛フン堆肥など
土の中の菌を否定するのではなく、種類を、多様性を維持するという視点から
土づくりをしている様子を紹介した。

また圃場では、フェロモン剤の使用や天敵が住みつくためのバンカープランツの導入、
さらには、農薬も使用するがそれがすべての虫を否定するものではなく
特定の虫だけを少しコントロールして、
全体的に多様性を保つ方法などを紹介した。

このブログでも何度か書いたが、
うちの村は、河川敷の沖積土とその河川を活かした流通で
野菜の産地として生きてきた。
その歴史が、今のうちの村のビニールハウス群を生み出しており
政府が計画して、大規模産地を作ったわけではないことを強調した。
そのような計画で立てられた産地がうまくいくこともあるかもしれないが
それはその自然的条件と市場的条件の両方を
たまたま(意図的であれば素晴らしい)兼ね備えたから成功しただけで、
途上国などで見られるような失敗例、
特に中心となった企業や工場などだけが大儲けして
それに付随して移住してきた農民がうまくいかないケースなどに
つながっている話も少しではあるが、出来たと思う。

見学に入る前に、ある宿題を見学者に出した。
“ここを見学して、あなた達の目線で僕の農業の改善点を必ず指摘してください”
というもの。
2時間の現場視察なんて、ぼーっとしていたら、何も残らないで終わってしまうのだ。
こうした課題があったためか、質問も良く出て
それなりに有意義な議論ができたと思う。
最後に、改善点としては
「ハウスの出入りが無防備。人も虫や病気や草の種を運ぶ媒介者となるので、そのための措置が必要だろう」
「鶏小屋とハウスが近すぎる。鶏のダニなどが影響はしないのか」
などなどの意見が寄せられた。

こうして無事にアフリカ人を見送ったのだが
見送ってから一つだけ話さないといけないことを忘れていたことに気が付いた。
それは、有機的農業をそれぞれの国で展開するためには
その農業を推し進める主体である農民の農地所有の意識である。
小農の多くが、農地を借りており、その権利があいまいであることや
また収穫物も地主に多くを納めないといけないケースが多い。
そういった中で、今日よりも明日を考えての有機的農業は発展し難いのである。
うちの農園を見学に来たアフリカの方から、
「ここでは簡単に有機農業ができそうですが、わが国では虫の害がひどいので出来ません」
と言われたのだが、
確かに虫の害も多いだろうが、だが、それだけではあるまい。
あいまいな権利としてか借りられない農地を
その期間内に、出来るだけ収奪しなければ今日を生きていけない。
小農がおかれている、そんな現状こそが
小農の生存戦略として有機的農業に向かわせないのであろう。
今回の研修で、各国のお役人さんが来ているのであれば、
自国の農民のために、法律的に土地の耕作権を確立し、
有機的農業をやろうという小農の農地を保証することこそ、
あなた達ができる最大の農民支援であり、
自国の持続可能な農業に寄与するものだろうと愚考する。

今回の受け入れの世話人である方に
夕方、この件だけをメールで伝えたのだが、
はたして、アフリカの方々に伝わっただろうか。

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名古屋大学から
協力隊時代からお世話になっている先生と
その学生さんたちが、僕の農園見学にやって来られた。
JICA’s World の7月号に、僕の記事が紹介されており
その記事がきっかけだったらしい。

当日はあいにくの雨だったが、
それでも農園をまわってもらい、
またこの地域を形作っている自然条件を見るために
河川敷の畑なども見てもらった。

また見学に来られた学生の皆さんは
海外での活動経験も豊富とのことで
インドネシア研修生に対しての座学もお願いし
研修生だけでなく、僕にとっても有意義な時間だった。

その座学の一幕。
学生さんから研修生に、
「日本で勉強していますが、逆に日本のここが変だ、というのがあれば教えてください」
と質問があり、
2年目になるH君は、これまでの座学を活かして
日本の農業の高齢化や
農業の機械化と耕作面積の問題などをあげていたが、
1年目のイル君は率直な意見を言っていた。
「コンビニなどで、大人の雑誌がオープンになっていて、子供の眼につくのがよくないです」
とのこと。
確かに。
僕らには当たり前になっていて、
気が付かないことも多いことを、彼らとのやり取りの中で気が付くことがある。

今回来られていた博士課程の方の座学で
ボリビアの農業を説明していただのだが、
ボリビア国内に存在する伝統的農業を行っている農家と
企業的農家の貧富の差を埋めるために
再び農地解放を行うための議論がされているのだとか。
農地の個人所有と耕作権とは分けて考えないといけない話で、
農地解放をして個人所有とすると
個人的都合で売買(耕作の放棄などもあるだろう)の可能性は否定できない。
神門氏が指摘する、農地の宝くじ化とはまさにそのことだろう。
農地がゆるやかなコミュニティの総有という考えのもとで
耕作者の権利が確立されていくことが、もっとも理想的ではないかと
最近では考えている。

その方の話で
「土地所有がしっかりしないと有機的な農業は行えないのでは?」
と問いがあり、
たしかに土地を永続的に使えない状況下では、
その土地に投資していくような有機農業の展開はありえない。
明日よりも今日の収量を優先する農業に
農民たちが走っても、それは生存戦略としては正しい選択なのだろう。

先生や学生さんたちは日曜日のお昼に帰ったのだが、
研修生のH君とイル君と、農作業をしながら
そんな話をとりとめもなく続けていた。
外から吹いてきた風は、いつまでも僕らの間をこだまして
夕暮れまで吹きやむことはなかった。
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09 10
2009

来客あり。
・・・今年はやけに来客が多い。

地元フレンチレストランのシェフで、
僕が作るフルーツホオズキをレストランで使用したのがきっかけで
農園まで来てくれたのだ。

なんでもそのレストランでは
この秋から地産地消のメニューを新しく作るらしく
それに合わせて、何の野菜があるのかを見に来られた。

いろいろとお見せしたのだが
ビビッときていたのは、根セロリだった。
県内で生産しているどころか、国産のものを初めてみたと言っておられ、
「これ全部予約したいです」
と言っていた。
が、さすがに1店舗でそんなには使えないだろう。
露地栽培のものが、良い具合に育ってくれれば
今年は大量に根セロリを出荷できる予定だ。
ただ市場の業者とも話していたのだが、
品薄感のある時は、どのレストランもその商品の引きがよく
バンバンと買ってくれるのだが、
一旦、潤沢に供給されるようになると
手のひらを返したように売れなくなるとか。
根セロリもそうなりそうだよ、とその業者は忠告してくれたので
場合によっては、常に品薄感を演出していくことになるかもしれない。

さて、フレンチのシェフ。
もう1つ目にとまったのが、フェンネルシード。
フェンネルの花についた小さな種の実で
乾燥させる前のやつは、やわらかくて美味しい。
うちではこれを自家製として、乾燥させたものを
次のフェンネルがとれることまで、代用品として保存するのだが
すっきりする味のこのフェンネルシードは
ときどき畑仕事の休憩中に食べたりもする。
それは売りものじゃないです、というと
至極残念そうにしていた。
そのシェフは、乾燥前のフェンネルシードを食べたことなかったようで
とても感激していた様子だった。

野菜を紹介するたびに
これはこうすると美味しいですよ、と丁寧に教えてくれるこのシェフは
本当に食べることが好きなんだろうなぁ、と感じることができた。
そういう人に野菜を見せて回るのは、とても贅沢で楽しい時間だった。

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そうそう、そういえば、
先週末にこんな電話が市役所からあった。

「新規就農定着促進事業の予算は凍結されました」。

この事業は、6月ごろの国の補正予算に盛り込まれた55億円の事業。
詳しくはここを参照してもらえれば良いのだが
簡単にいえば、
平成19年度以降に新規就農した人が対象で
農器具や農業用機械、農業用施設にかかったお金(上限800万円)の
半分(最大400万円)を国が助成しようというもの。

7月に僕もこの予算の申請をして
実はこの8月に内示を受けていた。

しかし、8月末の選挙で民主党が圧勝すると
国負担の事業、とりわけ経済対策関係は凍結となってしまった。
市役所からの説明では、
「内示を受けてすでに購入してしまった方は、最悪、自己負担になります」
とのこと。
内示を受けていれば、すでに購入してしまった人も結構いるだろう。
だが、政治の混乱によって、それが自己負担になるなんて
とても承服できない。
北陸農政局からは、
「総理大臣が指名されて、内閣が組閣されれば、新しい農水大臣の決定でその予算が動くか動かないかがわかります。あと2週間ほどで判明します」
とのことだった。

絶滅危惧種である新規就農者の予算くらいは
経済対策がらみであっても、子育て支援には回さず
そのまま執行してほしいものである。

ある知り合いが、今回のこういった政府の措置を受け、
「これから日本の若手農家は、日本政府なんか頼りにせず、絶滅危惧種としてWWFなんかに保護してもらった方が良いのかもしれないなぁ」
と、あまり笑えない冗談を言っていた。
まぁ、有機的な農業が自然を育んでいるという視点では、そういう保護もありえるか。
そのうち、上野動物園の檻の中で、農業することもあるのかもしれないなぁ、
などと、つまらない冗談を言い合って、
その場の憂さを晴らさないではいられなかった。

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通訳二日目。
インドネシアから来たご一行様は、大きく二つに分けられる。
1つは、例年通りの短期留学生とその引率の先生。
福井農林高校(福農)とタンジュンサリ農業高校(タ農)の友好提携により
毎年、この時期にやってくる。
そして、もう1つが、視察団。
インドネシア農水省の農業教育センター長を団長とした
インドネシア各島の農業高校の校長や農業大学の学長が5名ほど
福農とタ農の友好提携事業および
そこから派生した僕の農園で行っている農業研修事業の視察に来たというわけだ。
この視察団としては、
なんとか他の農業高校や農業大学でも
日本の高校などと友好関係を結んで、なんとか派遣事業を行いたい様子だった。

さて二日目。
福農で歓迎式典があった。
郷土芸能として、太鼓部の演奏があり
昨年の全国大会で最優秀賞をとるほどの実力を
皆で堪能した。
短期留学で来たタ農の学生2名も、さっそく
「太鼓部で太鼓をしてみたい」
と無邪気に話していた。

歓迎式典の後、ご一行様は二つに分かれて行動してもらうことに。
視察団には学校見学をしてもらい、
タ農の引率の先生と留学生は、福農側と会議になった。
議題は、12月の福農からの訪問団について、である。
何度か日記でも書いたが、この12月に福農からタ農へ訪問する予定になっている。
ただ今年の校長は、いつものようなまどろっこしい歓迎式典や
近くの観光地巡りは飽き飽きだと言っており
せっかく行くのだから、生徒が何か活動して学べることはないか
と以前から相談を受けていた。
そこで、思いついたのがタ農と福農の学生の混合グループを作り、
お互いの国の料理を一品ずつ作るというワークショップ。
買い物から調理までをグループで行うというもの。
誰がファシリテーターをするんだ?という問題もあったのだが、
福農の校長先生から
「田谷ちゃんがやってよ」
の一言で、タ農に訪問するであろう二日間だけ僕が引率することになった。
ほとんどトンボ帰りの状況なのだが、
いろいろと福農からはお世話になっているので
校長先生からお願いされれば、いやとは言えない。
ちなみに予算はないので、ワークショップなどの活動に関する
僕の日当はこれまでも出ていないし、これからも出ない。
まぁ、僕にとってこの活動は、
そういうのをもらってやるような活動でもないしね。

さて、そのインドネシア・タ農訪問に向けて、今回の引率の先生と
ワークショップを含めた議論を詰めておかねばならなかった。
文章のやり取りだけでは、絶対に勘違いが生まれて
お互いに、あまり建設的でないワークショップになる可能性があるからだ。

とりあえず打ち合わせではこちらのやりたい事や
イメージしていることを伝えることができた。
それほど難しいワークショップでもなく、
ワイワイと楽しく買い物から料理を一緒に出来れば問題はないので
あちらも、それくらいなら簡単だ、といった感じだった。
が、ただ今イスラムは断食中。
長距離移動で疲れもたまっていてか、
先生や生徒の集中力がほとんどない状況だった。
打ち合わせをしながらも、引率者の先生の1人は
たびたび白目をむいていたし
もう1人の先生も、打ち合わせ後半になると
「大丈夫、出来る、出来る」
しか、話さなくなっていた。
このご一行様は、福井訪問の後、群馬・茨城とまわって
東京を観光して来週にインドネシアに戻る予定となっている。
たぶんその旅程の間に、今回の打ち合わせ内容は忘れてしまうに違いない。
僕はひそかにそう思っている。

さて、打ち合わせや学校視察後、
ご一行様は福農を離れ、東京に向かうべく小松空港へ。
ただその途中で、僕の農園も視察してもらった。
農業研修事業と、生ごみ堆肥やバンカープランツなどを活用する
持続可能な農業の模索などを視察してもらった。
研修棟の視察では、視察団から
「これなら後、2~3人は受け入れられるのでは?」
と、他の農業高校からも受け入れてほしい旨を伝えられたが
僕としては、将来的には分からないが
今は福農とタ農の友好関係を大事にして
タ農卒業生だけを対象としたい、と思っている。
インドネシアの一部の地域に、うちで鍛えた研修生たちが
農民として結束をしながら、その地域おこしをしていく。
僕は今、そんなことを夢想しているのである。
地域をおこしていくには、「仲間」が必要なのだ。
1人の素晴らしいリーダーがいても、仲間がいなければ何もできない。
いや、僕に言わせれば、素晴らしいリーダーなんて絵に描いた餅でしかない。
そんなもの地域おこしがある程度進んだところで
後から付いてくる形容の1つでしかない。
一緒にやる仲間がいることこそ大事なのだ。
だとしたら、広く浅く、インドネシア各地から研修生を受け入れるよりも
何かの縁でつながったある地域から研修生を受け入れた方が良いだろう。

そんな議論をしながら、ご一行様を小松まで見送った。

こうして短い通訳の仕事を終えた。

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今年もインドネシアから留学生がやってきた。
福井農林高校とタンジュンサリ農業高校の友好提携によって行われている
交換留学プログラムの留学生である。
彼ら彼女らが来ると、その期間だけは僕も
「通訳」
というお仕事をすることになる。

さて今回のインドネシアからの一団。
留学生とその引率の先生だけではなく、
インドネシアの農水省のお偉い役人や
インドネシアのあちこちの農業高校の校長先生など
計5名も一緒に来福した。

事前にタンジュンサリ農業高校の校長先生からは
「友好提携に関わる資金を、一部農水省の予算で出してもらっているので、交換留学プログラムとタヤのところで受け入れてもらっている研修事業の組み合わせを一つのモデルケースとして紹介したい」
と説明があった。
なので、農水省のお役人や他の農業高校の校長先生は
その視察に来ているものだとばかり思っていた。
だが、思惑はそれだけではなかった。

今回、お偉い役人や校長先生がたくさん見えられるということで
普段は行わない県への“表敬訪問”を行うことにした。
表敬した相手は、県の教育長。
ちょっとした雑談を交わすだけの予定だったのだが、
終了間際に、農水省の農業教育センター長であり、今回の訪問団の団長さんから
教育長に対して1つ申し出があった。

「わが国は、大きな5つの島からなっています。ジャワ島、スマトラ島、カリマンタン島、スラウェシ島、そしてイリアンです。福井農林高校とタンジュンサリ農業高校の交流はとても素晴らしく、研修事業も合わせて発展的だと私たちは評価しています。このような交流・協力を他の島の農業高校とも結んでほしく、その可能性を教育長にお尋ねします」
とノタマッタ。

要するに、タンジュンサリ農業高校だけでなく
他の農業高校からも交換留学生を受け入れてくれ、という話なのだ。
それに対して教育長が福井農林高校の校長に
「他の高校とも交流事業をするのですか?」と尋ねられ、
その答えは、当然だが、“NO”だった。
福井農林高校としてはあくまでもタンジュンサリ農業高校一本で行きたいらしい。
僕もその方がいいと思っている。
訪問団の団長さん曰く、
福井には農業高校が、福井農林高校以外に2校あるので、
その2校とインドネシアのどこかの農業高校が提携を結びたいとのことだった。
突然の話でもあったので
教育長としては、また検討しておきます、と答えるだけにとどまった。
まぁ、当然の答えだろう。

僕らの取り組みが一つのモデルケースになるのは光栄だし
インドネシア側からも注目浴びるのは、とてもうれしいのだが、
今後、このようなケースが他でも生まれるかどうかと言われると、
ちょっと難しいような気もしている。
みんながみんな、「とても良い取り組みだ」とは言うけどね。
あとは、農林高校の先生方のやる気一つだろうな。
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今日は、もう1本書こう。
妻のお客さんが帰った次の日。つまりは昨日のこと。
うちの集落の初「米検査日」だった。
今年、集落の農家組合役員をしている僕は
前日から農協の倉庫に陣取って、農協に出荷される米をチェックしていた。

農協出荷の米は、検査日の前日から地域の米倉庫にて受け付けられ
倉庫に入らない分は、検査日当日に持ってきてもらう。
検査とは、米の品質をみるもので、この場で等級がつけられ
それによって買い取り価格が変わるのである。
S等が一番よく、その次が1等、2等、3等とつづく。
3等なんてただあるだけで、大抵は1等か2等かという判断。
ちなみに早生のハナエチゼンは、もともと食味値がよくないので
S等はつかない。

この等級による価格差は
1俵(60キロ)で1000円の差がある。
コシヒカリ1反で8俵とれた計算でいくと、
10町規模の農家で、等級が下がると80万円の損になるのである。

さて、農家組合。
何をしているかというと検査のお手伝いと荷受。
集落の米は、農協出荷にかかわる分は農家組合を通る。
検査日前日に出荷された米は、まだ農協が検査をしていないので
その荷受をした農家組合にその責任があるのである。
荷受して検査するまでが農家組合の責任ということなのだ。
今回は8軒の農家で約1000袋の出荷を荷受して検査してもらった。
検査印を押し、等級の印を押すのも農家組合の仕事。

昔は検査官に1等を押してもらうために、
前日からずいぶんと人には言えないこともしたらしいが、
今ではそんなこともなく、粛々と検査は進められた。

検査は無作為に選んだ米袋から、頭とおしりのところから米をとりだし行われる。
これは米袋の頭とおしりにくず米をいれる農家がいたことから
こうした検査になったのだとか。
このことからみても、どうやら検査官と農家とのせめぎあいの歴史は、
ずいぶんと過酷なものだったのだろう。
以前読んだ資料では、明治ごろの福井の米俵には重量をごまかすために
石を混ぜて詰め込んだり、水をかけて重くしたりしたこともあったらしい。
だから北陸の米は、石混じりのカビ臭い米として
全国でも最低の評価だったとか。

買い取り価格が県やJAごとに決められていくのだが、
そういった重量をごまかし、品質をごまかして、
なんとか得をしようというフリーライダーを許さないためにも
こうした検査があるのだろう。
最近の消費者関係の雑誌で、米の小売りでは等級なんて付いていないのに
出荷の時には等級をつけて検査するのは不当だという風潮のものを
見かけるのだが、それは今の米になるまでの検査官と農家のせめぎあいの歴史を
全く無視したような話であることをここに付け加えておきたい。

さて、含水率や未熟米がないかなどをみて等級をつけられるのだが、
モミの混合率が高くても等級を下げる理由になってしまう。
実際にはモミのまま貯蔵する方が、食味的には長持ちするのだが
米屋が見た目が悪いと敬遠することから、
こうした見た目重視の検査もあるのだとか。
カメムシによる斑点米は、食味に影響しないのだが
等級を落としてしまうのも、そういった理由なのだろう。

ある雑誌で、大々的にカメムシ防除は不要で、
斑点米でも美味しい!と喧伝していたのだが、
米はどうあるべきなのかの議論の一つとして、
これかも考えいかないといけないことでもあるのだろう。
農協や今の市場での価値のベクトルは、これをあまり評価はしない。
それよりも、今、福井の米で問題になっているのは
市場での評価の低さである。
歴史的経緯としては、石混じりのカビ臭い米を
なんとか日本でも美味しいと思われる産地に押し上げようという努力によって
今の北陸の米があるのだが、
昨今では、福井の米は九州の産地と評価がほとんど同じで
全国的にも下の評価を受けている。
その理由が、気候変動だろう。
温暖化のためか夏が暑く(今年は暑くなさすぎたのだけど)、
ゴールデンウィークに田植えしたのでは、美味しいコメがとれなくなっている。
そのため農協では来年からコシヒカリの稲の苗出荷を
ずいぶんと遅らす計画でいる。
また米粒の大きさも、福井のものは良くない。
選別機の網の目の大きさが、福井のものは細かいのだとか。
1.85ミリの網目が主流で、これを県と農協が助成金を出し合って
無料で1.9ミリの網と交換するらしい。
無料で交換されても、その分くず米が多く出るので
うちのむらの農家は敬遠気味だった。

市場の価値(米屋の価値)と高い評価を得ようという農協や行政、
そして消費者の言い分と農家の戦略的選択。
そんなものがカオス的に混ざり合って、せめぎ合って、今の米の市場を生み出している。
全体像が大きいだけに、見えにくく、分かりにくいのだが
この産業が大きくうちの村の農家を支えていることも事実。

農家組合の役員として、
実際に村の米の世話に関わっているという実感を大切にしながら、
これらもこの問題を、もう少し深く考察していきたい。
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シンポジウムから戻ってきた次の日、
来客あり。

妻が主催する勉強会のメンバーの方々で
大学院生から大学の先生、JICAの国内協力員まで5人の来客あり。
なんでも勉強会の合宿だとかで、
議論の内容は一向に解らなかったのだが、
朝から晩まで熱く議論をしていた。

せっかくこれだけの人材がここまで来てくれたので
昼食時の休みを利用して
そのうちの一人に、インドネシア研修生への座学をお願いした。
その人は(仮にPさんとでもしておこう)、青年海外協力隊で
セネガルで活動した人だった。

Pさんは村落開発普及員という職種で、セネガルの村に入っていた。
そこで主に行っていたのは、女性の収入向上の活動として
ビーズアクセサリー作りを紹介してもらった。
Pさんの説明は至極明快かつポイントが絞られており
センスのある人だと、その話しぶりや活動の形からもわかった。

まず活動対象となった村の状況。
乾季と雨季があり、雨季には農業で生計を立てられるのだが
乾季は、むらの井戸が一つしかないため、農業用水としての活用は乏しく
乾季の収入がほとんどなかった。
そのため男たちは、乾季になると街に出稼ぎに行き
村には女性だけが残されていたという。

Pさんは、初めは支出を抑える活動として
灰石鹸作りや自然農薬づくりのセミナーなどを行っていたらしい。
が、そこに参加していた女性から収入向上につながる活動はないかと
提案を受け、あれこれと模索したようである。

ビーズアクセサリーを選んだ理由は、明快だった。

まずは原料が安いこと。
もともとお金があまりない村なので、初期投資がかかっては
参加できる人が限られてしまう。

次に、輸送が楽であること。
村の人は、町まで車を利用することはなく、徒歩で行くことが多い。
十数キロ離れた町の市場で販売することが想定されており、
そのためには、輸送にかかる負担を考えなくてはならなかった。
その点、ビーズアクセサリーは、よほどの大作でもない限り、小さくて軽い。
(そんな大作は、アクセサリーとは呼べないだろうけど)
ちなみに、その町へは農産物の販売のためなどで
女性たちも良くアクセスする町なんだとか。

3つ目として、長持ちすること。
作ってから販売までに時間がかかっても
破損したり腐ったりしないことが重要だった。
その点、ビーズアクセサリーは保管も楽で、長期に保存しても大丈夫。

4つ目、作り直しがきくこと。
モチーフがいまいちで売れなくても、容易に別のアクセサリーに作り直せることで
制作にかかるコスト軽減できるのだ。
研修生のHくんはこの点に痛く感心していた。

販売の仕方もなかなか工夫があって、
作ったら、予想販売金額の半分を初めに受け取れるようにしたらしい。
残りの半分は販売後にグループの資金としてプールするお金を差し引いて
製作者に渡されるとか。
販売前に半額を渡されることで
政策に対するインセンティブを持続できたとPさんは言っていた。

また手工芸のコンテストを、省庁をも巻き込んで企画したり
地元のホテルなどでお土産物として販売するルートを模索したりと
なかなかのアイディアマンだった。

研修生にとっても良い刺激だったようで
H君は、Pさんの手工芸に至るまでの経緯に興味を示し
また手工芸としてビーズアクセサリーを選んだ理由に関心を示していた。
イル君は、Pさんの活動と政府との協力関係をずいぶんと意識していた。
ちょうど彼にはチェンバースを読ませていたところなので
そういう視点になっていたのかもしれない。

いずれにせよ、
在来の市場の刺激を敏感に受け取り
そこへのアクセスと現場の状況をしっかりと把握した企画は
Pさんのセンスがいかに優れているかを示していた。
生産から始まらない活動として、とてもよい事例を一緒に考察できるでき
とても有意義な時間だった。
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ここ1週間ばかり、かなり濃い時間を過ごさせてもらった。
日記にアップできないスピードで通り過ぎていく毎日だったが
なんとかここに少しでも記録したい。

まずは、シンポジウム前日の若手農業者クラブでのイベント。
昨年から取り組んでいる食農活動で、
今年は野菜作り体験と称して、スイカやトウモロコシに挑戦していた。
しかも無農薬で。

前回の日記でも触れたのだが、
8月の中頃からハダニが発生して、スイカの株がずいぶんとやられてしまった。
企画段階では、どう盛り上げたら良いものかと
僕にも皆目見当もつかない状況で収穫祭の当日を迎えたのだが
そんな心配は、全くの杞憂だった。

イベントの内容としては至極シンプル。
子供たちがすいか畑に入って、思い思いのスイカを収穫するというもの。
実は僕はこれで終わりだと思っていた。
あとはバーベキューをしてみんなで楽しく食べたら終わりだと思っていた。
収穫したスイカはほとんど実が入ってないだろうから、
食べられるスイカもあまりないだろうと思っていた。
だが、違っていた。

今年のクラブの会長は、なかなか子供の心をつかむのがうまい。
子供を一列に並べて、収穫したスイカを1個1個割って品評会を始めたのである。
大きくても実が入ってないスイカもあれば
小さくても真っ赤になっているスイカもある。
大きければ良いというわけじゃないことが
子供たちにも実感できたようで、
品評会では自分のお気に入りのスイカの中身がどうなのか
みんな必死にのぞいていた。
そのためか、実の入りが悪い子の中で、泣き出す子も結構いたように見えた。

こういう実体験が大切なんだと思う。
本の知識なんかとちがって
現実に目の前で起こっていることから得る知識とそれを感じる心。
虚無感と閉そく感がただよう社会において
もっとも必要なことの一つ、だと僕は考えている。
それを僕らの会を通して行えたことを誇りに思う。
そしてこの素晴らしい企画を実行した仲間を誇りに思う。

来年もやるのかどうかは分からないが、
こういった取り組みの意義は、皆で共有したように感じられた。

最後にクラブ員だけで鉄板焼きを楽しんだらしい。
そのころ僕はシンポジウム出席のために東京へ向かう電車の中だった。
この日は、さぞやうまい酒をみんなで飲んだことだろう。
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JICAが主催するシンポジウム
「日本も元気にする海外ボランティア」
パネラーとして出席してきた。
5月に続いてのシンポジウム出席。

今回のシンポジウムの基調講演は、
あの中田前横浜市長。
しかも、この日は衆議院選挙&横浜市長選の投票日。
そういうこともあってか、会場は満員だった。

なぜ中田さんが基調講演で呼ばれているのかと言うと、
平成18年から青年海外協力隊や海外NGOなどのボランティアを
経験してきた人対象に、市役所職員としての採用試験を実施したからである。
これはなにも横浜市だけに限ったことではなく、
他の市や県でも、教員や職員の採用で協力隊枠があるところはある。

青年海外協力隊で問題になっている1つが
帰国後の進路である。
再就職先がなかなか見つからなかったという協力隊OB・OGは
僕の周りを見渡しても、そう珍しいことではない。
協力隊に参加したいけど、帰国後のことを考えると不安。
最近はそんな声も多いのだとか。
また、これまで何万人以上もの人を協力隊として海外に送り込んだのは良いのだが
その人たちが今どうしているのか、は
あまり目が向けられてこなかった。
そういうこともあってか
協力隊が途上国と呼ばれる国々を活性化させるだけでなく
帰国後も日本の地域の活性化に一役買っていることを
全面に押し出したかったのだろう。
5月のシンポジウムよりも、そのあたりがより強調された今回のシンポジウムだった。

さて、中田前市長。
協力隊OB・OGには、途上国での活動の中、
苦労の連続から培ってきた『人間力』がある、と講演されていた。
中田さんは、昔、日本でも人間力を磨く機会が多かったという。
地域の人々や大家族の人々の中で、また自然との関わりの中で
人間同士の間合いや人を敬うことなどを学びながら
それを磨いていったのだと。
そして、明言はしていなかったが
それを通して経験的に得られた社会に対する洞察力が
人間力なのだと話していた。
この人間力を持った人間の循環が、
つまりは、中田さんとしては市役所職員としての登用なのであろうが
大切だとも話していた。

中田さんの話が終わった後
パネルディスカッションがあり、僕も登壇することに。
パネラーは、
大阪で母子のケアを行っている助産師、
愛知で日系の子供たちに日本語教室を主宰している教師、
そして僕の3人だった。
朝日新聞論説員の方が、コーディネーターを務められていた。

分野の全く違う3人が
協力隊OB・OGという共通点だけで議論をするのは至極難しい作業だった。
閉そく感をふっ飛ばし、日本の地域を元気にすると銘を打ったシンポジウムなので
協力隊の経験から、分野を超えて、
地域おこしのキーポイントとなる「何か」を抽出するというのが
このパネルディスカッションの中での作業だった。

事前の打ち合わせでは、この「何か」は明確になってはおらず
コーディネーターの方は、パネルディスカッションのライブ感の中で
それを見つけようとしていたように、僕には見えた。
実際パネルディスカッションでは、
それぞれが活動の中で見えてくるある種の共通点があった。
助産師さんの話では、
離乳食や栄養、子育てが、こうでなければならないという考えが蔓延していて
隣の子供と比較して自分の子供を見るお母さんが多いことなどを話していた。
そこから来る不安感があるのだという。
日本語教師さんの話では、
自分も異文化の中で活動してきた経験があるために
言葉の通じない苦しみや不安といったものが実体験として理解でき
今の社会の外国人に対する思いこみとのギャップを感じると話していた。
僕も農業や農村において、
それを捉える価値基準が平準化されていきつつあり
その閉そく感の中でもがいている観が常にぬぐえない。
これらの不安や閉そく感を払しょくするものは何だろうか。
それは3人が共通するものでもある。
「広い世界観」、そしてそこから得られた新たな視点ということだろうか。
僕はそれをよそ者の視点として、
パネルディスカッションの中で話してきた。

これらの共通点と中田前市長の話を合わせて、
コーディネーターの方は3つのポイントとしてまとめていた。
1つ目は、問題に対峙する柔軟性
2つ目は、よそ者の視点
3つ目は、こういった力を活かすための政策。
つまりは、再就職先も含めて、協力隊OB・OGの力を
社会で活用していくような政策と言うことだろう。

こうして無事にシンポジウムは盛況のうちに終わった。
ただ、1つ話し足りなかったことがあるので、ここに書いておきたい。
それは、中田さんが言った『人間力』である。

人間力。
なんともあいまいな言葉ではないか。
なんとなく解ったようで解らないこの言葉。
僕はこの言葉をパネルディスカッションの中でも取り上げようかと
何度も考えていたのだが、
どうしても時間が足りず、これを取り上げるに至らなかった。
第一部の基調講演の内容を貶すのも、あまり褒められる行為でもない。
だが、なんとなくこの曖昧な言葉が
協力隊OB・OGが経験してきた日本社会と活動国の社会とのギャップを
まったく無視したような言葉だっただけに
僕は、みんながなんと言おうと(中田さんの講演を褒めちぎっている人が多かった)
我慢はできなかった。

僕ら協力隊は、途上国において、予算やステータス、その所属組織の大きさに
大きく影響を受け、日本社会ではありえない立場で活動することが多い。
それは自己の能力の高さと言う、個人的に備わったものではなく、
僕らがおかれた立場と、それを認識する相手(途上国側の人間)との
関係の中で、発揮される力であった。
若造が日本から来た専門家だと説明を受け
校長や研究所所長や県知事や病院長や省庁の役人などなどと
普段の日本の仕事ではまずアクセスできない人々に
簡単にアクセスしつつ、さまざまなプロジェクトを任されていく。
確かに、この経験は、その個人の能力を大きく伸ばすことであろう。
その意味で、人間力という表現はある程度、的を射ているのかもしれないが、
個人に備わった能力として、
その個人を登用すれば、それが発揮されるのだと考えるのは
やはり、その関係性の中で生まれてきたものであるということを無視していると
僕には思えてならない。

関係性の中で発揮されるような能力を、政策は後押し出来るのだろうか。
能力に目を向けていては、結局その関係性が出来上がっていないことに
ジレンマを感じている協力隊OB・OGを
活用することは、難しいように感じる。

よそ者の視点が存在するのは、
それは僕らがよそ者だからである。
よそ者は、内部の、地元の人々が居て、その関係性の中で初めて存在する。
それは個人的な能力ではなく、
経験的に体験的に得てきた「何か」が
それぞれの関係性の中で異なっている、ということなのだ。
そこに自覚的にならなければ、
閉そく感を払しょくして、日本の地域を元気にする原動力としての
協力隊OB・OG像は、見えてこないような気がする。
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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

メールは
taya.tアットマークnifty.com
です。
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