新しい家に引っ越してきて、娘に新しい友達ができた。
家向かいの一つ下の男の子。
なぜだか彼が痛く気にっており、
家の中から、向かいの家に向かって彼の名を連呼することもある。
父としては、やや不安な光景ではある。

さて、その彼と娘は、ときどき一緒にお散歩に出かける。
娘は、お気に入りの黄色い三輪車に乗って。
彼は、ミッキーの描かれた青い小さな自転車に乗って。
仲良く近所をツーリングしている。
しかし、それは初めだけで、
一つ年下の彼の方が、娘よりも速いスピードで
どんどん先に行ってしまうのである。
なぜなら、
彼は自転車に乗っており
娘は三輪車に乗っているから。
体も脚力もはるかに娘の方が上回っているのだが、
三輪車は自転車には勝てない。
小さなおむつも取れていない子に負けたのが悔しかったのか、
娘は「三輪車はいや!」と泣いていた。

その話を聞いた爺婆(僕の両親)は、これ幸いと
早速、農協を通じて孫のために自転車を購入してくれた。
ピンクのかわいらしい自転車だった。

その自転車が来た日、
娘は早速うれしそうに自転車にまたがった。
しかし、またがった娘からは笑顔が消え、次第に不安な顔になっていった。
そして、一度もこぐことなく、自転車から降りてしまった。
理由は、娘の身長と成長を考慮して買った自転車が、
家向かいの彼が乗る自転車よりも一回り大きく、
娘としては、その大きさに不安を感じたのだった。
「自転車、怖い」
そう言って、娘は一切自転車に近づくことがなくなった。
そうして真新しいピンクの自転車は
誰に乗られることもなく
小屋の中で布をかぶって保管されることになった。

それから僕は、事あるごとに自転車の練習をしようと娘を誘うのだが、
娘は頑として乗ろうとはしない。
先日、妻の父がやってきた時、
向かいの男の子と一緒に自転車と三輪車で散歩をしていた。
やはり男の子の方が、自転車に乗っている分、先を進んでいたのだが
娘は必死の形相で足を早く回転させて、何度か三輪車で自転車を追い抜いていた。
それが満足だったのか
「もう三輪車でも早くなったもーん!自転車なんかいらないもーん!」
と得意げに語るようになった。

彼女はどうやら早くて新しい乗り物に乗るという、
ある意味、自分の根性を試す行為よりも
今乗っている乗り物のスピードを根性で上げることにしたらしい。
きっとこれが彼女の性格なのだろう。
どこか自分と似ているその不器用な根性の使い方に
これからの彼女の生き方があるのだとしたら
やはり父としては、それは不安な光景でもあった。
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若手農業者クラブの打ち合わせに参加。
今年春から行ってきた保育園児との野菜作り。
すでに数度のイベントをやってきたのだが、
いよいよ最後のイベントが今度の週末にある。

収穫祭と銘打って、園児ともにスイカやトウモロコシを収穫し
クラブ員の野菜や新米を持ち寄って、バーベキューをする予定。

園児との野菜作り(スイカ・トウモロコシ)は、
無謀としか言えないのだが、ほぼ無農薬状態で栽培を続けている。
予想通りと言うか、当たり前というか、
やはりスイカはハダニにやられて枯死し
トウモロコシにはメイガが入りこんでいた。
「無農薬は難しい」というのが、クラブ員の意見でもあり
少量の農薬は使用しないといけないことが、園児の親に伝われば
という話し合いになった。

簡単に表現するのは難しいのだが、
“農薬使用=必要悪”
といったロジックには、あまりしたくない。
そもそも「農薬」が悪なのかどうなのかは、
僕なりに考えるところもあるのだが、
それが他の人に平易に伝わる言葉や表現法を
僕は持ち合わせていない。
体験圃場で、園児や父母、そしてクラブの仲間たちに
伝えたいことはたくさんあるのだが
それを伝える手段や言葉を僕は知らなさすぎる。


さて、そうはあっても、土曜日の収穫祭のイベント。
仲間で何事かを成す楽しみが、そこにはある。
帰属意識や仲間意識は、組織にただ入ることで得られるものではないだろう。
その中で、得られる活動の経験値が、
僕らを本当の仲間にするのだと思う。
今年もこうしたイベントを出来ることが
今、何よりもうれしく思う。
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08 25
2009

そういえば、
気が付けば断食月。
先週末からインドネシア研修生が断食に入った。
イスラームのビックイベント(と書くと何やら不謹慎でもあるのだが)の一つ
断食。
日の出から日の入りまで、食べないどころか、
一切、水分もとらない。
インドネシアで知り合った敬虔なイスラム教徒は
この断食月中は、“つば”さえも飲み込まず、吐き出していた。
まぁ、研修生はそこまではしていないのだが
それでも飲まず食わずで、日中の実習に励んでいる。
しかも日中50度を超えるハウスの中で・・・。

当然、体に変調がある場合はすぐに断食を中断しなさい、と
忠告はしてあるのだが、
信仰心からくる行事に、他宗教の僕がとやかく言う資格はない。
体調管理の責任上、ビタミン剤を渡し、
またインフルエンザが流行っているということで
うがい手洗いの薬やせっけんを常設して、
それらを励行するのが関の山。

他国の、しかもイスラームがマジョリティでない社会の中で
断食をおこなうのは並大抵ではないだろう。
ちなみに、僕がインドネシアにいたころは、
断食月になると、社会全体が停滞し、
地方の公務員などは、昼からは仕事もせずにお昼寝ばかりしていたのを思い出す。
日本でもそうさせてあげたいのだが、
そういうわけにもいかず、彼らはいつも通りの毎日を送っている。

断食明け(断食月は約1ヵ月間)に行われるお祝いを
せめて今年は盛大にやってあげようかと考えている。
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食べることから考える。
これは僕の農業のコンセプトの一つ。
就農したばかりの時は、まず流通と販売があってからの生産、と考え
現在の作物や農業の形態になってきていたのだが、
もう一歩踏み込んで、食べることから考えてみようと
ここ数年は思っている。
ただその多くは、なかなか経営の中では数字に結びつかないものばかりだった。

食べることから考えるのは、
なにも面白い野菜や珍しい野菜を栽培することじゃない。
作る側の手間や価値観以上に
食べる側の価値認識に近づき、美味しいと思うものを提供しようというもの。
だがこれが難しくて、美味しいと思ってもらえるものでも
流通と言う情報が分断されていく過程の経路を
農産物が通ることで、作る人と食べる人との間で
情報が共有できないでもいた。
その代表格が、食用ホオズキ。

ホオズキと聞いたらみなさんは何を連想しますか?
あの赤くて食べられない(食べてもおいしくない)実を
だいたいの人は思い浮かべるのだと思う。
だから、スーパーの売り場で、“フルーツ”などと
ちょっとした名前を冠したところで
僕の栽培しているフルーツホオズキは、あまり売れなかった。
僕の想いが、スーパーの売り場まで情報として届かないからである。
買い手の想像と認識で、僕のフルーツホオズキは
あの赤くて食べられない実の仲間だと思われていたのだから。

これまでの僕流のやり方でいけば
フルーツホオズキなんてさっさと作付けをあきらめて
もっと一般的に価値が認識できそうで、それでいて面白い野菜を探すのが
普通だったのだが、
なぜかこのフルーツホオズキにはこだわってしまった。
妻が、
「農家と結婚するのなら、どうせなら果樹農家の方が楽しかっただろうなぁ」
などと、結婚した当初に、無邪気に言ったのが
僕の心に残っているからかもしれない。
が、そんなことはどうでもいい。
売れないものを作らない主義で
売る農業と食べる農業をこれまで分けてきた僕だったのが
最近は、食べて美味しいものを提供すべきなんじゃないか、
情報の分断される流通であっても、それに挑戦し続けるべきじゃないか、
などと、身の丈に合わない考えで
ホオズキを作り続けてきた。
実は、これは食べる側の論理ではなく、
作る側の論理であることも、今は重々承知している。
食べることから考える、というコンセプトの主語が
微妙に自分の中で変化してきているのも感じる。

「石の上にも三年」という言葉がある。
僕はこの言葉が好きで、
協力隊も2年の任期だったのだが、1年延長し、
3年間インドネシアの僻地に過ごしていたのは余談だが、
何事も辛抱してやり続ければ、何かが見えてくる、というこの言葉が好きだった。
3年というは、本当に3年という意味ではなく長い期間と言うことなのだろうが
すでに丸3年挑戦し続けてきたフルーツホオズキに
少しは光が当たり始めたのも事実。

先日は新聞で取り上げられ
今週火曜日にはラジオでもほんの少しだが取り上げられる予定でいる。
ちょこちょこと注文も入り、
現在出荷在庫がほとんどない状況になってきた。

情報の伝達とイメージの醸成。
これは僕には到底できないことで、
石の上にも三年、といったように
我慢強くやり続けるしか能がないのだが、
情報やイメージを社会の中で醸成できる人間が、
新しい価値を生み出し続けられるのかもしれない。
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今日は、
インドネシア研修生の講義の日。
60分の授業を準備するために、2時間以上かけてパワーポイントを作成した。
忙しくて忙しくて、毎日、目が回りそうなのだが
これをやらねば、僕の平常心が保てない。

さて、今回の授業は
農業構造シリーズの市場的要因について。
今目の前に広がっている農業が、なぜそのように展開されているのかを
ただ単に「先進的」や「近代的」などといった
単線的な発展論の視点で捉えていては、
農業がなんたるかを見損じてしまうだろう。
今目の前にある農業を理解するには
それにかかわる要因を一つ一つ紐解いていく必要があるのだ。

長い前置きになったが、今回の授業は市場的要因。

現在、僕の経営体としてかかわりのある市場は
少々の差異はあるものの、だいたい5つに絞られるだろう。

市場(JAを通したり通さなかったり)への出荷
仲卸やスーパーとの直接契約
直売所や個人などへの直販
インターネットで販売
近所の住宅街での振り売り

「振り売り」は父や祖母が冬になると行っているので
正確には僕が直接かかわっているわけではないが
それでも販売の1つのチャンネルには変わりない。

現在の日本の流通において、
多様な販売経路と市場が存在しているが
だいたい、これら5つの市場に収まってしまうのではないだろうか。

今回の授業を行うに当たり
2回ばかり、実地見学を行った。
卸売市場の見学とスーパーと直売所の比較見学。
インドネシアでもpasar indukと呼ばれる中央市場が
比較的大きい都市に存在している。
農家もそこへ出荷するのだが、そこで競りがあって値段が決まるわけではない。
相対(あいたい)取り引きが主流で、農家と商人とが
一対一で価格交渉をして販売をしている。
農家では販売価格の交渉が難しい場合、
もしくは出荷量が多い場合は
市場に出入りしている中間業者に、
相対取り引きの間をマネージメントしてもらうこともある。
出荷量が多い農家を除いて
中間業者と農家の関係は
常に、農家がやや搾取されている関係が多いのも特徴的だろう。
値段交渉が競りでは行われないために
価格決定のプロセスがブラックボックス化しており
そのことがさらに農家への搾取を許しているように
僕には見えてしまう。

2人の研修生を福井の卸売市場へ連れて行き
競りを見学させたのだが、
やはり2人とも僕と同じように
「競りは農家も見ることができるので、価格がどうやって決まるのかも解りやすいです」
と言っていた。

直売所では、4月から来た研修生のイル君が
出荷物の価格を農家自身が決めていることに感動していた。
農家が価格を決められることは、インドネシアの市場において
ほとんど無いのである。

これらを踏まえて、今日の市場的要因の授業。
見学で見てきた市場とインドネシアの市場の違い、
とくに価格の決定におけるイニシアティブがどこにあるのかを
話しながら説明をした。

そしてここからが本番。
2枚の写真を見てもらった。
1枚目は、地平線の彼方まで広がっているレタス畑の写真。
2枚目は、転作田を利用して、数十種類もの野菜を栽培している数畝(数a)畑の写真。
この2枚の写真で展開されている農業の違いは何か、
それを答えなさい、というお題を出した。
4月から来たイル君が
「近代的な農業と伝統的な農業の違いでしょうか」
と、こちらの思惑にはまりこむような答えをしてくれた。
昨年から来ているH君は、僕の言おうとしていることが薄々分かっているようで
その答えを聞きながら、ニコニコしていた。

答えから言えば、大きな違いはその畑がつながっている『市場』なのである。
1枚目の地平線の彼方まで続くレタス畑は、
他県の知り合いの農家で、大手ハンバーガーチェーンと直接契約をして
出荷している畑であった。
2枚目の写真は、直売所付近に住んでいる老農の畑で
出荷物のすべてを直売所で販売している。
大手ハンバーガーチェーンとの契約では、
規格にそろったレタスを大量に出荷しなくてはならない。
その市場からの刺激を受けて、効率よく栽培している写真が1枚目と言うわけだ。
一方、直売所では規格がそろっている必要はあまりなく
また、レタスばかりが大量に売れるわけでもない。
そのため直売所という市場から受ける刺激で
その老農は、多いものでも20株程度しか1品目を栽培していなかった。
その代わり、何十もの品目を栽培していたのである。

どちらが儲かっているのか、は、
この場合、適切な指標にはならない。
それぞれの農家が、それぞれの経営体に合わせて満ち足りていれば
それでいい。
要は、畑だけを見て、その栽培法や技術・テクノロジー・規模などに圧倒されてしまって、
(伝統に対するノスタルジックな眼差しや美化された自然観もこれらと同じ視点)
先進的‐伝統的(もしくは後発的)といった
単線的にしか発展していかないような(もしくは2項対立的にとらえてしまうこと)
思考に陥っていては、目の前の農業のダイナミズムに気が付くことはできないのである。

マルクスには悪いが、
生産力が生産様式を生む、とは僕は思わない。
市場の刺激から新たな生産様式が生まれる、と僕は思うのである。

技術は十分条件であり
市場は必要条件なのだ。
農学を学んだ人間の多くが(また一般の人のステレオタイプとしても)
その学問で学ぶ技術的なものに目が行きがちであるが
それは僕に言わせれば瑣末なことに過ぎず、
もっと大きな視点に立てば、「市場」の存在に気がつくはずである。
僕らの生活は、ものを交換することがベースとなって社会を築いてきているのだ。
その交換する場が「市場」。
それぞれの地域に存在する市場を
資源として認識できるかどうかで、農業の形も変わってくるのである。
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うちの農園のスタッフであるセネガル人のI君から
「中古のポンプがほしいのだけど、どこで手に入る?」
と尋ねられた。

中古じゃなくても小さいものであれば、
ホームセンター等で廉価で手に入る。
しかし、I君がほしいのはそんなものじゃなかった。

I君夫妻がずいぶんとお世話になったという在日セネガル人が
母国に戻って農業をすることにしたという。
どういういきさつかは、詳しいことは僕にはわからないが
すでに農地10haは準備済みだとか。
その在日セネガル人は、母国セネガルに帰国するにあたって
性能がよい日本製の農器具を中古で安く手に入れて
それを大量に持って帰ろうというつもりだったらしい。
そこでI君にも、安いポンプが手に入らないか?と問い合わせがあったらしい。

中古のポンプを探すには、
関係する業者に電話して、そういうものがあるかどうか問い合わせれば、
あるいは手に入るかもしれないのだが、
僕はすぐにそれをする気にはなれなかった。

なぜか?
答えは、
日本製の農器具では、セネガルでメンテナンスができないから。

農器具は、買ってそれでお終いというわけじゃない。
農業という自然との格闘に使う器具は消耗が激しい。
その消耗部品を常に交換しないといけないのが、農器具なのだ。
だからI君に
セネガルには日本の農器具会社はあるかどうかを尋ねてみた。
答えは否だった。

中国とフランスの農器具会社はあるらしいが、日本のものはないとのこと。
それであれば、なにも日本の農器具を持って帰らなくてもいいんじゃないだろうか。
何時でもメンテナンスのきく、
現地で手に入る農器具のほうが、ずっと長持ちするはずだ。
それをI君に伝えると、I君は
「だいじょうぶ。セネガル人なんでも直す得意」
といって、聞く耳を貸さない。

かつて僕が住んでいたインドネシアでも同じような悲劇を
僕は何度も見てきた。
あるインドネシア人が日本から持ち帰ったというハンドトラクターが
交換部品が手に入らなくて、結局放置され畑のわきでオブジェ化していた。
たしかに日本製の農器具は、それなりに性能は良い。
使い方次第だが、比較的長持ちもする。
しかし、消耗部品はどんなに大事に使っていても
ある時期が来れば、交換しなければいけない。
その時に、その部品が手に入らなければ、
結局、I君の友人のセネガル人が買ったポンプも
いずれは畑のわきで、オブジェ化してしまうだろう。

お金があるのなら、セネガルで手に入るフランス製の農器具を買うと良いよ。
と、僕はアドバイスしたのだが、
I君はなんだか釈然としない様子だった。

日本製は性能がいい。
中古だと廉価でも手に入る。
なんとかそれをセネガルに持って帰って農業をしたい、
と考えているI君の友人は、
農業経営の初期投資の考え方に間違いがあることに気が付いていない。
彼がどういう農業を母国でしようと考えているのか知らないが
そんな勘定の仕方をしているようでは、
きっとうまくはいかないだろう。

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レポートが送られてきた。
誰から?
この前来た早稲田の大学生から。

農業農村体験と称して、毎年早稲田の学生が来るのだが
帰り際に宿題を出していた。
農村に来る前に持っていたイメージと実際体験したこととの
違いをレポートに書いてください。
それと、なぜ若者が農村・農業へ志向するのかも自分なりの意見を
書いてください。
と、宿題を出していた。

とても良い子で、そんな宿題のことなんて気にしなくても良いのだが
きちんと書いて送ってきてくれたのが、とてもうれしかった。

さて、その宿題。
農園が国際色豊かだということや、パート従業員などと一緒におこなう農作業が
彼には随分と奇異なものに見えたらしい。
イメージしていた農業は家族経営のなかでやっているものだったようで
従業員みんなで協力してやっていく、というのが
ほかの業種と何も変わらないことに驚いていたようだ。

また農業の後継者と言うと
高校を卒業したらずーっと農業、というイメージがあったようだが
僕を見て、そのイメージはなくなったようだ。
僕の周りを見渡しても、学校が終わったらすぐに農業という人は少ないように思う。
卒業後すぐに就農するのは、長く農業をやっているという利点もあるのだが、
それだけじゃなく、他の業種や他の場所で働いていたという経験が
農業に生きてくる場合もあろう。

都会の人の農業への志向については
「都会の慌ただしさから逃れて農村でのんびりと生活しようというような気持ちで就農しようとしている人もいると思います」
と書いてあった。
なるほどね。
そういう風潮は感じる。

このレポートを研修生の2名と一緒に読み説いたのだが
都会の慌ただしさを逃れて農村でのんびり、という行のところで
H君が、
「農村がのんびり???すごく忙しい場所なのに?」
としきりに首をかしげていた。
そうなのだ。
農村はのんびりなんてしていない。
農業は、無限の力を持つ自然を相手に格闘し続けるというもので
自分の無力を感じさせられる時も多い。
どんなに化石燃料を使い、機械を使っても
自然の大地から無限にわきあがってくる力を止めることはできない。
太陽が照り続ける限り、雨が降り続ける限り
その力は無限に、そして容易に再生産されていく。
その無限の力との格闘の連続が農作業であり農業であるのだ。
それがのんびりしているはずがない。
その無限の力は、僕らの持つカレンダーを無視して
日曜日であろうが、祝日であろうが、お盆だろうが
発揮され続けるのである。
だから僕は、お盆の休みでもこうして畑に出続けなければならない。

H君は、
「街に住んでいる人は、自然がなんたるかを忘れてしまったのかもしれませんね」
と言っていた。
僕もそう思う。
だから、村に住む若者は、自然との格闘を避けるために街を目指し、
街に住む者は、自然との格闘が何たるかを忘れてしまったために
村を目指すのかもしれない。

隣の芝生は青く見えるが
決して青くはないのだよ、大学生君。
それが解っただけでも、君の体験はとても貴重だと僕は思う。

風土は風と土という文字で出来ている。
土が僕ら農民なら、
風は外から吹いてくるものなので
今回の場合は、大学生ということになる。
外から吹いてくる風の価値を土が受け止めて
それをその土地に埋め続けるプロセスが風土ということになろう。
今回のレポートもまた、そのプロセスの一部になったことだろう。

街の人がどう農業を見ているのかを
その風を肌で感じながら、
実際目の前に広がっている僕らの感覚とのギャップを
「わかってないなぁ」とけなすのは簡単だが
実はそのギャップの中に僕らが変容し続けていける鍵があるのも事実。
研修生にも日本の農業がどうとらえられているかを
その一端にすぎなかったが、一緒に考察できる良い機会になった。

また来年も、早稲田から吹いてくる風をぜひ受け止めたい。
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盆前のこの忙しい時に
ハウスまで訪ねてきた人がいた。
その人は、開口一番
「外国人の研修生をお使いになられませんか?」
とノタマッタ。

石川県と福井県で外国人研修生の斡旋をしているその業者は
すでに両県で500名の研修生をかかえているのだとか。
農業部門ではまだまだ受け入れ数が少ないので、
大きくやっていそうな農園を訪ねているのだとか。

残念ながら、うちにはインドネシアの研修生がすでにいる。
それに、同じ制度を利用はしているが、
そもそもその人たちがやっている研修制度とは
根本的な考え方が違っているのだ。
普段ならば、適当に、慇懃に、あしらって帰ってもらうのだが
忙しい時に来るものだから、イライラついでに
ついつい余計なことまで言ってしまった。

あなた達のやっている研修は、
研修ではなく、安価な労働者の派遣と斡旋ではないか。
そもそも労働ビザを認めない国策が生み出した
もっとも醜い制度の一つにしか僕の眼には映らない。
そしてその醜い制度を利用しなければ、
ボランティア精神にあふれる個人が、これまでの関係の中で頼まれた
農業研修を実行することもできないのである。
そんなジレンマを抱えながらやっています、と言うと、
その業者は
「安価な労働でもないですよ。このご時世、最低賃金でも募集は多いですから。それにうちでは日本語の研修や通訳をつけてお互いのコミュニケーションをとれるよう努力しています。」と言った。
これがまた僕の怒りに火をつけた。

「つまりは、今は不景気だから相対的に研修生の賃金は安くないとおっしゃっているようですが、では景気が上向けば、研修生の賃金も上げるように企業に指導していますか?
それともう一つ、お互いのコミュニケーションを取れる努力をするのは、当たり前のことで、その先に研修があるのです。あなたの言っていることは研修ではなく交流を後押ししているにすぎない。なにか特別な研修プログラムはありますか?
それともう一点、研修と言うのは帰国してからその成果を発揮できて初めて効果があったと言えます。あなたの団体はすでに長年研修をしているようですが、帰国された研修生のフォローアップとして何かしていますか?」
とたたみかけてしまった。

その人は答えに窮して、
「貴重なご意見は帰ってから本部に伝えます」
と言い残して去って行った。

そう、これが外国人研修制度の実態なのだ。
僕はそんな醜い制度を利用しないと、僕がやろうと思うことが実現できないのだ。
醜い制度を利用しているということを
僕に直視させるその業者の訪問は至極不愉快であった。
だからこそ僕は、日々の研修の中で、
座学や実習を充実させていくことで自分の心のバランスをとっているのかもしれない。

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不思議な食べ物がある。
食べるとみんな
「美味しい!」
と大絶賛してくれるのだが、
八百屋や仲買に持っていっても
「売れないからいらない」
と言われる食べ物。

それは、食用ホオズキ。

7月の上旬から収穫が始まって、
取ろうと思えば、9月いっぱいは収穫できる作物。
日本の在来のホオズキと違って、色は黄色。
食用という名前だけあって、食べられるのだが
糖度の高い品種から、酸味の強い品種まで様々である。
ちなみに今年は、8品種栽培し
そのうちの3種を出荷している。

僕の農園に見学に来るお客さんは必ず
「これは美味い!これは売れますよ!」
と言ってくれるのだが、
流通の間を取り持ってくれる仲買や八百屋に持っていくと
「なかなか売るのが難しいよ」
と言われてしまう。
なんでだろう???

一つには、食べてみないと解らないというのがあろう。
日本在来のホオズキは、食べられるものではなく
ホオズキと聞けば、多くの人があの味を連想してしまうからであろう。
だから、一度試食でもしない限り、
食用ホオズキなんてものを買おうという消費者は少ないのである。

また仲買や八百屋が食用ホオズキを出荷している先は、
多くがレストランである。
肉料理やサラダの付け合わせに、1個か2個飾り付ける程度なのだ。
その程度の需要では、ぜんぜん消費量は拡大されない。
だからすぐに、供給が需要を上回ってしまって
「しばらくいらない」という八百屋のセリフにつながっているのだろう。

一度食べなきゃわからないのなら
対面販売で試食でもしてもらえればいいのだが、
今の僕にそんな時間なんてないのだ。

ワインを定期的に買っている酒屋(ワイン通)からも
「田谷さん、これはシャンパンに合いますねぇ」と言われる。
そんなこともあったかと思えば、
「先日レストランで食べて、びっくりしたので直接買いに来ちゃいました」
という主婦風の方も、わざわざ農園まで来てくれて、
キロ単位で買ってくれたりもする。
一昨年は1個も売れずに完敗してしまったスーパーの直売コーナーに
今年も試しに並べてみたら
1日で完売してしまった。
仲買は「売れない」って言っていたのに。
ここまでみんなの評価がまちまちなのも珍しい。
このギャップにこそ、
「ものを売る」という行為についての成功の鍵や
流通のツボが隠されているように
僕には感じられるのだが、
どんなにない頭をひねっても、
そのポイントがうまく絞れきれないのである。

とにかく、売れないと酷評されつつ、美味しいと絶賛を受けている
食用ホオズキの生産販売はこれからも続くのである。

みんな、見かけたら買って食べてね。
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大学生2日目。
今日はインドネシア研修生の座学の日でもあったので
夜に我が家で簡単なディスカッションをしてみようと思い
研修生、大学生ともども集まってもらった。

結果からいえば、ディスカッションにはならなかった。
大学生が授業で準備したという質問票にこたえる形で
ほとんどの時間を費やしてしまったため
インドネシアの子にはかなりつまらない思いをさせてしまったのだ。

だが
大学生君から発せられる質問にこそ
その質問を作る際に前提となっている彼らからみた農村像が
見え隠れしているのである。
「新規就農」や「補助事業」、「女性の地位」などの質問を受けたのだが
まさにそれがインドネシアとの農業観のギャップと言ってもいいだろう。
インドネシア研修生のH君は
「『新規就農』という言葉があることが、なんだか変です」
と言っていた。
さもあろう。
僕から見たインドネシアでは、
農業は、選択して選ぶ職業と同じようには語られていないように思う。
生きていく手法として、
兼業として、
生業として、
それらは存在しているようにも思う。
そして僕もまた、ここで農業をしているのだが
そんな気持ちで農業をしている。
だから、なぜ農業を選んだのですか?と聞かれると僕も至極困ってしまうし
跡取りだからですね、と言われても、それもなんだか違う気もしてしまう。

今の若者がなぜ農業に関心があるのか?
研修生たちはその質問を大学生君に発していた。
大学生君は、食料自給率などの低下によって関心が高いのでは
と言っていたのだが、そんな言葉では研修生たちには伝わらない。
研修生の疑問は、
「村に住んでいる若者は町に出ていってしまうというのに、街の若者はなぜ農業に関心をしめすのでしょうか」
というものなのだ。

「大学生君、君はここで農業を体験したけど、この後、農民になるかい?」
と研修生のイル君の質問に
大学生君は、はっきりと、
「それはないです」
と答えていた。
では君は何に興味があってここまで来て、しかも暑い中農作業をしているんだろう。
研修生の2人にはそんな疑問が漂う中
ディスカッションは時間切れとなった。

大学生は、とても良い子で
受け入れ側としてもそれなりに刺激も受けた。
明日、彼は帰る予定なのだが、
帰ってからでいいので、1つ宿題を出すことにした。

ここに来る前の農業・農村像とここで体験した後の農業・農村像のギャップについて
レポートをまとめてください。
それと、街の若者がどうして農業に関心があるのかあなたの意見を書いてください(A4で2枚から5枚)。

さて何が届くか楽しみである。

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今年も大学生がやってきた。
知人の農家に頼まれて、早稲田の大学生を2泊3日であずかるというもの。
早稲田の農業・農村体験の授業の一環だとか。

中学高校と吹奏楽部という根っからの文科系で、
1人暮らしや寮生活の経験がなく、
海外にも行ったことがないという若者だった。
日頃食べている農産物の生産の現場を知りたくて
農村の現状を知りたくて、その授業を選択したとか。

だから彼を迎えに行って、我が農園まで来る間に、一言だけことわっておいた。
これから君はショッキングな体験をすることになるけれども
それは君次第で、とても良い経験にもなるし、悪い経験にもなると思う、と。

そして彼は来園するやいなや、
外国人3名(国籍も複数)を含む、
下は23歳から上は81歳までの男女13名が忙しく作業する中で、
20種類以上の野菜の収穫と出荷に追われることになったのである。

1日目の彼はただただ呆然とした表情で、
目の前で起きていることが、理解しがたかったのかもしれない。
今日の印象を聞くと
「外国人までいるとは思いませんでした。それと、見たこともない野菜ばかりだったことや、大人数で協力し合ってチームプレイで作業しているのが驚きました」
と素直なコメントをしてくれた。

寝食はインドネシアの研修生と共にしてもらうことになっている。
研修生のH君が早速歓迎の意を表して
大学生君に、とっておきの面白いDVDを見せていた。
ただ言語がインドネシア語だったこともあり、
大学生君は、
「あああ、ここで笑うんだろうなぁ、というタイミングはなんとかわかりました」
と微妙なコメントをしていた。

なんにせよ、彼にとってショッキングな体験は今も続いているのである。
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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

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