最近、ナスの収量が悪い。
とくに吉川なす。

果皮につやがなく、実が割れる玉も多い。
葉にはハダニやアブラムシがつき、木全体が疲れている。
花も少なく、実が付く率も低い。
これはまさに、最盛期を過ぎ去った9月下旬のナスの姿なのだ。

どうしてこんなことになったのか。
答えは簡単。
天気。

なかなか明けきらない梅雨にやられたとしか言いようがない。
日照不足と降雨の影響で、吉川なすの木が疲れてしまったのだ。
吉川なす以外に6種のなすを栽培しているのだが、
他のなすはそれほど疲れてはいない。
吉川なすだけが、この天気の影響を大きく受けている感じなのだ。

最近では5玉捨ててやっと1玉収穫、といった具合で
なるほど、この伝統種が美味しいのにどうして廃れていったかが
身を持って実感している。
天気のいい年ならば、他のなすより少しだけ収量が悪いくらいで済むのだが
天気の悪い年は、ほとんど収穫できないのだ。
それだけ「弱い」なすなのだろう。

今日、取引先の八百屋からの電話で
鯖江の吉川地域で、ずーっと吉川なすを守り
栽培してきたお爺さんが亡くなったと聞かされた。
あああ、なんてことだ。
今になって、吉川なすの権現のようなその爺さんに、
聞きたいことが山のようにあるというのに。

あの方なら、今年のような天気を何度も何度も経験していただろう。
そんなとき、どう乗り越えてきたのか
僕はそれが聞きたくてしょうがない。
だが、それはもうかなわない。
作り続ける気力がある限り、五感をフルに使って観察を続けるのみである。
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さて僕の村。
鳥の眼の座学のエントリーでも書いたと思うが、
自然資源として近くを流れる九頭竜川のインパクトは大きい。
その沖積土の土壌質は、田んぼにはあまり向いていないのだが
畑にはすこぶる向いている。
そういうこともあってか、昔からこの村は野菜の産地だった。

また大河の近く、ちょうど足羽川との合流地点だというのも幸いしたのだろう。
九頭竜川を下れば、三国湊につながっており、
北前船が三国湊につけば、その荷が九頭竜川を通って
一部の荷物がうちの村の近くで荷揚げされ、市が立ったともいう。
足羽川を上れば福井市内へ
九頭竜川を上れば勝山・大野へ
と続いていたのである。
その昔は海道よりも河川や海運の方がよほど重要であったことを考えれば
この村の果たしてきた役割というものが、少しは想像できる。
ちなみに、戦国時代、越前で勢力を誇っていた朝倉家も
初めに越前に入ってきたときは、うちの村の川向にある黒丸や大安寺のほうに
居城をかまえていたというのは余談。

そういうこともあってか、自給用に野菜を作るというよりも
市場に出す野菜作りがかなり昔から行われていたらしい。
その意識が今の代まで共有されており、
田んぼもそれなりに作るが、野菜栽培にも力を入れている家が多い。
ただそれは今の50代くらいまでの話。
僕ら世代や少し上の世代には、その意識は浸透していない。
自分の家の田んぼがどこにあるのかもわからない人ばかりなのである。
良くても田んぼの手伝いはするが、
野菜栽培に関しては
「あれは年寄りの『もたすび』(福井弁:あそびの意味)やろ?」
という人も少なくない。
では、僕ら世代やその少し上の世代は、どこで働いているのか。
それは近くの会社だったり、工場だったりする。
イル君やH君のように
農地が無いから、農業外で就労するというわけでもない。
農業では食っていけない、という意識があるから、
いや、というか、すでに農業で食っていくという選択肢そのものが、
その世代の意識から欠落しているようにも思え、
そういう人の意識の中では、
農業外で就労することが当たり前なのだろう。

だから、
「最近不景気でアルバイト始めたよ」
という少し上の世代の人がいても
それは、仕事が終わってから畑仕事をしたり
出勤前に野菜を出荷して小銭を稼ぐということはない。
別の農業外の職種のアルバイトの話なのだ。

最近では直売所も多くでき、
誰でも気軽に出荷できるそのシステムが、
他の集落ではぽつぽつと
出勤前に農作業をして、小銭を稼ぐ30代40代くらいの人を生み出しているが
うちの村では、まだまだその意識が醸成されてはいない。

市場を意識することで、それへのアクセスが
新しい生活と仕事のスタイルを生み出し、
それがイル君の村の個人経営のお茶畑だったり
H君の村の野菜栽培だったり、
またほかの集落で見られる、直売所向けに少量多品目を栽培する
会社員の姿だったりするのだろう。
しかし、人が意識しているようにしか世の中は見えてこないわけで
そういう意味では、近くに直売所があっても
他にアクセスできる市場があっても
農を意識しない人には、それが資源としては見えてこないのである。
だから他の職種のアルバイトということにもなるのだろうか。

歴史を共有するのは、
その村の年寄りや上の世代からの昔話だったりする。
各世代ごとに教育という名のもとに
学校へ割り振られてしまう現代では、
そういった村の意識を共有する機会は乏しいのだろう。
それでも村の役をやるなかで、そういう意識は再び醸成されていくのだが、
合理的に考えることを訓練されている僕らは
一文にもならない、苦労ばかりが多い村の役なんて
「馬鹿がすることだ」
と口外して憚らない人たちを生み出してもいる。
その断絶の連続が、むらを「むら」でなくさせ
いろんな資源によって成立してきた生業を失わせているのだ。

そこに資源があっても
それに向けるまなざしが、その人になければ
たとえ眼中には入っていても、
意識までは届いていない。
人々の意識が農業を作り上げていく、1つの事例として
この3つの考察はとても有意義だった。
おかげで僕の村の問題も、より明確になったような気がする。

誰よりも僕が勉強になっているインドネシア農業研修事業なのである。
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東京から来客あり。
8月に国際協力機構(JICA)が主催する
「日本も元気にする海外ボランティア」というシンポジウムに
パネラーとして参加することになった。
今日はそのための取材。

仲間がいたからこそ、やってこられた活動の中で
自分にスポットが当たってしまうのは
なんとも居心地が悪く、
また活動の全容がぼやけてしまうのではないかと
危惧しながらの取材だった。

若手農業者クラブにおいても
福井農林高校との事業においても
僕は、それほど主たる役割を担っているわけではない。
強いて言えば、インドネシアの子を農業研修生として
受け入れている活動は、
まさに僕がやっていることなので、
これに関しては、僕が取材を受けることはやぶさかではない。

ただ他の活動は、僕が仲間の想いに共感する中で生まれてきたものもあり
また仲間がいなければ、僕だってそんな発想には立っていなかったものもある。
だから取材を受けるなら、みんなにスポットが当たってほしい
と、思ってしまうのである。

若手農業者クラブでの活動を取材した時に
取材班のインタビュワーが
「地域おこしをしてやろうと思って活動されているのですか? 」
と質問を受けた。
これを聞いた僕や仲間は、顔を見合わせ苦笑い。
何もそんな大きなスローガンを掲げて、活動しているわけじゃない。
仲間でやることが楽しいから、とか
活動してみるのもわるくないよな、とか
日々の暮らしの中での1つの楽しみ、といった具合にしか考えていなかったからだ。
別に地域おこしをやろうと思ってやっているわけじゃない。

僕は地域おこしをこう考えている。
僕らが、あれこれと活動をやっていく中で
その積み重なっていったものを後から振り返ってみたら
地域おこしだったのかもね、くらいなものなんじゃないだろうかと。

福井農林高校では、
異文化から学ぶことの多さを校長先生が熱く語ってくれた。
その想いを持った人に、僕は共感するから
その活動を僕なりに支えようと思っているにすぎない。

取材の最後に
「帰国された隊員の方々が、田谷さんのように地域おこしの活動をしていくにはどうしたらいいでしょうか?」と尋ねられた。
うーん。どうなんだろう。
日々の生活の中で共感することに対して
自分のできることをやる、
それ以外にはないんじゃないだろうか。
それを人は、かってに地域おこしだとか食農活動だとか
いろんな言葉のカテゴリにあてはめたがるのだが
そんな崇高なものじゃない。
だから娘の通う保育園が、増改築の必要性が出てきて
その資金1000万円を集めようとなった時に
僕は保育園の主旨に共感する形で、財務の役員を引き受けたのも
同じことなのである。

形になろうがなるまいが、とくに関係はないんだと思う。
共感したことに対して、自分ができることをやっていく。
協力隊に参加した時も
今思えば、そうだったような気がする。
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昨日の続き。

一方、Hくんの話。
H君のところは、野菜栽培の面積は少ない。
水源がしっかりしているので、1年に3回、米がとれる。
ただ、雨期になれば、水源のない土地でも野菜が作れるため
雨期には野菜栽培も盛んだとか。
ただし、それらは
米を作って、その余った時間を野菜栽培に向けている
といったものらしい。

H君の近隣にも大きな工場があるとのこと(外資・国内資本両方)。
それらの工場は、食品の加工から服や靴(アディダス)を作る工場まで様々。
H君の住む村の人も、それらの工場で働いているらしい。
そしてその人たちは、イル君の村の人と同じように
農地が極小かもしくは持っていない人たちだと言う。
では、仮に、その人たちが農地を取得した場合
イル君の村の人のように、工場労働を続けながら、
その余った時間で農業をするのだろうか。

H君の答えはこうだった。
「それはありません。農業でやっていけるのなら、工場で働くことはやめると思います。現にそういう人も多く村の中にはいます」とのことだった。
ただ、公務員などの待遇の良い職の場合は、
その仕事を続けながら、サイドビジネスとして農業をする場合もあるのだとか。

H君の村では、米の自給がもっとも重要だと考えている。
だからたとえ換金性が高くて、米よりも儲かる野菜栽培であっても
水源のしっかりしている田んぼで野菜作りはしない。
野菜作りはどちらかといえば「余技」なのだ。
それを村外の市場に持ち出すルートも、車やバイクの入れるような道はなく
近くの幹線道路まで、収穫物を担いで持ち出さないといけないのである。
収穫物を集めて回る商人の存在も少なく、
村内の貧富の差はイル君のところほどではないが
その代わり、流通から刺激を受ける野菜栽培はなかなか発展していない。

工場の種類もイル君とH君とでは大きく異なっているだろう。
農産物(お茶)をそのまま出荷できるお茶加工場と
農業とは直結していない服や靴の工場、
または直接買い上げを行っていない食品加工の工場。
つまりは、農家から直接買い上げを行っている1つの市場として
工場が機能しているかどうかも、その地域に与えるインパクトとなる。
イル君の村では、米を作るよりも付加価値がつくお茶を
その近くの市場から受けた影響で、栽培をしており
その中で、米は買って食べるもの、という意識が培われていった。
一方、H君の村では、伝統的なジャワらしい意識が残っており
主食となる米の存在は絶対なのであろう。
食いっぱぐれのないように営んでいくのが農業だとすれば、
イル君の農業は換金の中で計算されており
H君の農業は主食となる米によって計算されている。
どちらかが優劣というわけではない。
その意識に支えられて、その地域の農業が出来上がっていくのである。

では、この2点から見えた意識の違いの分析を
僕の村まで延ばしてきて見てみたら、どう見えるのだろうか。

続く
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インドネシア研修生への講義の話。
前回は、社会で共有しているように思われる考え方(常識)といったものが
個人の内面で肥大化しつつ、その意識がその個人の農業を形にしていき
しいては、その地域の、その社会の農業を作り上げていく。

自然資源において、
その要素と社会的要素の関係は
鶏と卵みたいなところがあり、
どちらが先だったか、という観はあるのだが、
それでも自然資源を内面化していく過程で、
社会的要因の一部が形成されていくのも事実だろう。

今回の座学では、研修生に出した前回の宿題を議論しあった。
宿題とは、
「あなたの村・地域の農を彩る社会的要因について考えてみなさい」
というもの。
考える道しるべとして
それぞれ研修生の地域の農業の形がどういうものであるかを書き出し
その要因となるものを各自が分析する。
さらに、土地の利用状況(小作‐地主関係)や
自然資源や市場へのアクセス状況などを分析しつつ
その地域における農業に対する意識に少しでも近づこうというもの。

この宿題が意外に、それぞれの地域の農業の意識の違いを
明瞭に映し出してくれた。

まず、イル君。
何度も日記で述べているが、イル君の村は
大規模なお茶農園・加工場(外資による)に隣接していて、
村人の多くが、そこで働いている。
実際に現地に行っていないからわからないのだが、
僕の予想としては、お茶農園の開設によって
村の人口が急激に増えたり、またもしかすると、それに合わせて
イル君の村が新しくできたのかもしれないと想像している。

さて、そのイル君の村。
農地のある人は、自分でもお茶を栽培している。
販売先は、大規模お茶農園の加工場で、
値段も悪くないとか。
さらに農地に余裕がある人は、野菜栽培をおこなっている。
お茶農園の輸送のためか、かなりの山岳地域にも関わらず
大きな道路があり、その輸送力を活かして、
市場まで3時間はかかるのだが、野菜を栽培して輸送している。
その関係上、一部の資本家が輸送のためのトラックを持っており
村内の農産物を安く買いたたく構図が出来上がってもいる。
野菜栽培だけでなく、酪農も盛んだとか。
牛舎で乳牛を飼って、牛乳を出荷しているともいう。
農地を牧草地にできる農家だけが、酪農をできるとのことで
土地の少ない農家には到底無理な話だとか。
牛乳の回収は、近くの協同組合が買い上げてくれるらしい。
1リットル2000ルピア。
バンドゥン付近の平均的値段とのこと。
その協同組合のトラックも、大きな幹線道路を利用して集荷しに来るらしい。

では、農地のない人はどうするのか。
インドネシアではそういう農民も多いのだ。
イル君曰く
「お茶農園で従業員として働いています」
とのこと。
ここからが肝心で、ではその個人が従業員の手当てを貯めて
なんとか個人でもやっていけるだけの広さの農地を取得したら
お茶農園をやめて、自作農として生きていくのか?との僕の問いに
イル君は
「いいえ、それはないと思います。多くのお茶農園の従業員は、働きながら農地を取得していますが、それでも従業員は辞めずに、お茶農園の仕事が終わってから自分の農園の仕事をしています」
と答えた。
つまり、お茶農園の手当てを貰いつつも、それ以上の収入源として
自分の農園でお茶を栽培したり、野菜を栽培しているのだとか。
イル君は、従業員という立場はそれほど下賤でもないといった印象で
話してくれた。
ちなみに、イル君の村では米は作らない。
米は買って食べるものらしい。
「米を作っても儲からないんです。土地が米作りにそくしていないのかもしれません。だからみんなお茶を作っています」
なるほど。
そういった意識が、イル君の地域の農業を形作っているのか。

続く
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ここ数週間、関係の業者の方々にはご迷惑をおかけしている。
というのも、僕の主力商品であるベビーリーフが
ほとんど収穫できないからである。

ここ2年ばかりの播種状況を見ながら、
今年の播種計画を立て、出荷計画も立てていたのだが、
この時期難しいのが日照時間の予測。
2007年は、7月の日照時間が乏しく、
この時も業者さんには大変迷惑をかけた。
打って変わって2008年の7月は、ゲリラ豪雨ではあったが
日照時間は十分あり、ベビーリーフの生育も良く
計画以上に収量があり、問題になることは少なかった。

そして今年。
関東の梅雨明けも早々だったことも
僕を楽天的にさせたのは事実だが
僕の気象情報の読みの甘さが露呈した感じとなってしまった。
今年の7月は2007年以上に日照時間にまとまりを感じない年となった。

日射量が足りないと、葉物野菜の収量は極端に減る。
とくにベビーリーフのような幼葉を出荷するものは
その影響を大きく受けてしまう。
5月や6月の時期ならば、同じ面積で40キロほどは出荷見込みがあったところでも
現在では、15キロがいいところなのだ。
この落ち込みが、そのまま注文数に対応できない状況を生み出している。

早く、梅雨明けしてほしい・・・・。
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先日、所属する若手農業者クラブで食農活動があった。
保育園児と作る野菜畑の取り組みで
昨年の田んぼに続く第2弾の取り組み。
ちなみに一緒に活動している保育園は昨年とは違うのであしからず。

さて、食農体験。
参加したのは圃場の近くの保育園の年長さん32名+保育士さん数名。
クラブ員も7名ほど集まった。
6月に定植したスイカに追肥をしたり、
圃場の草むしりをしたり、
虫を探したりと
1時間半ほど、畑で過ごすイベントだった。

この時期、野菜農家は夏野菜の出荷に追われ、
米農家はあぜの草刈りに追われている。
つまりは農繁期。
各クラブ員が、それぞれに時間を作ってのイベント参加だったが、
やはり、こういうのはやればやっただけ楽しい。

子供たちの発見も見ているだけで面白いのだが、
できるだけ無農薬の取り組みも、
ちょっとした工夫で思ったほど害虫がつかないという
僕たちにとっての発見もあり、
それはそれで今後それぞれの農を形作る一部になっていくのではないだろうか。

とにかく、
主体性を持ったみんなで何かをやるのは
本当に楽しい。
そう思えたイベントだった。
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先日、むらの寄合があった。
農家組合の会合で、役員だけでなく、班長も参加しての会合。
班長とは、むらの各戸をいくつかにまとめて班を作り、
その中で、毎年持ち回りで班長を出してもらって
農家組合の配布物や判取りなどをしてもらっている。

さてその会合。
農家組合の上半期の清算書が出来上がり、
その請求書を各戸へ配ってほしいという会合。
反別徴収なので(10a当たり)、田んぼの広さによって請求額が変わり、
1反(10a)いくらにするかは、農家組合の上半期の収支報告書に基づいている。
その会合で、ある意見が出された。
「排水の掃除や草刈りをしていない家に罰則金はないのか?」
といったものだった。
農家組合の上半期の活動として
各戸に、持っている田んぼの排水路の清掃と除草をお願いしていた。
今月頭には、役員でそれぞれの排水路の点検を行い
数軒が清掃を怠っているとして、再度清掃の勧告をだしている。
排水路は、個人の田んぼがダイレクトに川につながっているわけではない。
排水路はみんなの田んぼの水が通って行くのである。
だからどこかの家が、その途中で清掃を怠れば、
そこは水が流れにくくなるのだ。
そんなフリーライダーを許せば
ゆくゆくは排水路は土砂で埋まってしまう日も来るに違いない。
そこで農家組合では、排水路の清掃を怠っている家に
勧告を出し、それでも行わない家には、罰則金を科すことができる
となっている。

実は、僕の知る限り、この罰則金は科せられたことがない。
清掃の勧告は出しても、罰則金まではしていないのである。
それを知っていて、その会合に来た班長の1人は、
「罰則金は科さないのか?」と聞いてきた。

道理から言えば、罰則金を科すのが当然だろう。
規約でも排水路の清掃がメーター当り幾らなのか明記されているのだ。
それに基づいて試算して、排水路の清掃後にその田んぼの持ち主に請求すればいい。
他の班長さんからもそんな意見が続出した。
ただ問題はそんなに簡単じゃない。
役員の年寄り役の人が、
「排水路を清掃しない家は毎年決まっている。あの人らが罰則金を貰いに行っても払ってくれるとは思えない」
と切り返した。

そうなのである。
問題となっている家は、むらの中でも有名なトラブルメーカーの家。
罰則金を貰いに行っても、ホイホイと貰えるもんじゃない。
規約の杓子定規に従っても、その通りにはいかないのである。
するとある班長が
「そんでも、排水路の清掃に罰則がないってんなら、それを怠る家はこのあとも続出するし、排水路を真面目に清掃している家が馬鹿を見るじゃないか」
と言う。
全くその通りだ。
だからどうすればいいのか、毎年役員は頭を悩ませるらしい。

するとある人から、
「農家組合長は米代金を押さえる権限があるんだから、罰則金は米代金から天引きにすりゃあ良かろう」
と意見が出た。
それと同時に、罰則金は取るとしても、誰がその排水路を清掃するのか、という意見もあった。
これの答えは簡単だった。
今年僕が集落の支部長を務めている、農協青壮年部が請け負うことができるのだ。
青壮年部では毎年江堀をしていて、その活動には実績がある。
また江堀(排水路の清掃)をすれば、その代金でまたみんなで
どんちゃん騒ぎができるので、排水路の清掃の下請けは幾らでもやる。
ただ、青壮年部の江堀は、掘ったその日にどんちゃん騒ぎをして
それらの予算を使い切ってしまうので
下請代金、つまりは罰則金がちゃんと徴収されないと赤字になってしまうのだ。
だから僕としては、罰則金がちゃんと取れる保証がないと
部として下請けできないことを明言した。

他の班長さんからは、米代金から罰則金を取るのは、ちょっとどうか
というネガティブな意見が多く出た。
年寄り役の人からは、
「問題なっている排水路の一部は、むらの三昧(墓場)にも接しているので、むらの自治会に予算を請求してみよう」
ということで、とりあえずこの日は決着した。
たぶん自治会では、その代金は払ってもらえないだろう、ということは
みんな解っている風でもあった。

規約通りにいけば、トラブルメーカーの家から罰則金を堂々と徴収すればいいのだし
その罰則金も、米代金を管理できる農家組合長の権限のもとで
米代金から天引きだってできるのだ。
しかし、長年地縁血縁でつながってきたむらは、
そう簡単には、(外部からみて)合理的な判断を下しはしない。
罰則金とみんなは口にするが
その口にした人たちみんながかつては農家組合長をしたことがあるのである。
しかし、自分が組合長のときはそんなことはしないで
次年度に持ち越してきた。
そして今でも決着しないまま続いている。

ある意味、罰則金を会合で論じることで
その不満のガス抜きをしているかの如くでもある。
本気で罰則金を徴収するのなら、総会にでもかけますか、と僕の問いに対して
だれも答えなかったことからもわかる。
むらでは、一足飛びに答えは出さないのだろう。
ガス抜きをしつつ、議論を毎年毎年重ねて
ゆくゆくはどこかに落ち着くようにも思える。
そのプロセスがとても迂遠で、遅れた手法に見えることもあるかもしれないが
それが同じ場所に先祖代々住み続けて、
コミュニティーを形成してきた人々の知恵とも僕には思えるのである。

ただ、排水路のトラブルメーカーはそのまま放ってはおけないだろうけど。
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今週は、お客さんが多かった。
これまで以上に農繁期を忙しく過ごしている年なのだが、
その取り組みもあってか、お客さんがやたらと多い気もする。

今週のお客さんは、週の初めにも書いたが、
伝統野菜を見ようという「るるぶの会」のみなさん(福井在住の人々)、
福井でフレンチのシェフをしているという方、
そして、東京の帝国ホテルのシェフと管理部の方々だった。

三者三様とはまさにこのことで、
当然、これらの方々は来園された目的も全く違う。
るるぶの会は、福井で廃れつつある伝統野菜を応援しようという趣旨でやってきた。
だからなのか、圃場ではやたらとほめまわされたのだが
いかんせん、世代的にその方々と僕とが祖父母と孫くらい離れているような感じで
なんだか孫をほめるような褒め方をされたのが印象的だった。
引率の方から
「田谷さんの畑に大変感動しました」
と言われたのが、やけにうれしかった。

次にやってきたのが、市内でフレンチをしているシェフ。
「おっこれは!と思う野菜が、全部『田谷徹』という人が作った野菜だった」
ということでやってきてくれた人。
既存の意識にある野菜の枠を超えた話ができ、心地よい時間だった。
「近くでこんな野菜を作っている人がいるなんて、うれしくなっちゃいます」
とそのシェフは言ってくれた。
僕も近くで僕の野菜を美味しいと思ってくれる人がいることが
とてもうれしかった。

最後にやってきたのは東京の帝国ホテルのシェフ。
八百屋と行政とが福井の食材を売り込むために呼んだとか。
何件もまわるルート上にたまたま僕の農園があったので
寄ったということだろうか。
日本中、いや、世界中から美味しい食材をかき集めているだけあって
一番目の肥えた感じだった。
八百屋の社長が
「これで田谷君の野菜が帝国ホテルで使われるようになると、それはそれで凄いことだよ」と言っていた。
僕もそれは名誉なことだと思うのだが、
僕はどこを向いて農業をしていきたいかを考えると
そのモティベーションは決して高くはない。

以前、大阪から飛び込みで来られたシェフが、痛く僕の野菜を気にいってくれて
それからは毎週何便か野菜を大阪にも送っているのだが
それはそれで僕にとっては納得いく取引だった。
なんせ、しょっちゅう電話で野菜の感想や意見・苦情をやり取りできるからである。
別に距離が近ければいいとも思っていない。
僕としては、真っ当な関係の中で取引が成立したら素敵だなぁ、と思っている。
るるぶの会や市内のシェフは直に農園のこられる距離で
これからも野菜や農業について意見が交換できそうな方々だった。
では、東京の帝国ホテルのシェフはどうだろうか。

地産地消だの、地産外消だの、わけのわからん言葉が飛び交い
とにかく売れればいい、という発想にはやはり僕はついていけない。
青臭いと言われようとも、僕は真っ当な関係の中で取引を成立させたいと
夢想するのである。
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インドネシア研修生の座学。
この前までは、鳥の眼・アリの眼で自然資源を見る重要性について考察していた。
今回は、次の要素、社会的要因。

これは広範囲になるので、ここでは主に社会に通念している意識が
農業の形態に及ぼす影響について、考察している。

社会の意識を醸成させるものとして、自然資源があるのだが
これは鳥の眼について考えた座学でも触れた。
自然資源は直接的に農業の形態に影響するのだろうが、
それは、その自然資源を人がどう認識するかによって
その農業の形態が変わってくるのである。
そしてその人々の認識には、その時代やその社会の社会的価値が
大きく影響してくる。

田んぼを作るのに向いていない土地であっても
江戸期のように田んぼ至上主義的な価値の中で
また諸制度によってがんじがらめになっている農民の存在の中で
山を切り崩し、なんとか水を引き、田んぼを作っている地域もあった。

インドネシアでも然り。
ギアツのインボリューションのように、
植民地時代において、田んぼの栽培サイクルと合わないサトウキビの栽培を
オランダから押し付けられたとき、
ジャワの農民はそれらを幾何学的な栽培カレンダーと土地利用によって
見事に田んぼとサトウキビの栽培を実現させていった。

とはいっても、それらを説明するのは容易くはなく
研修生の理解も追いつかないであろうから、
簡単に、野菜栽培の産地と伝統的な水田農作地帯の航空写真を見ながら、
それぞれの社会的意識がどう農業の形態に影響しているかを
ざっくりとだが、説明した。

ある野菜栽培の産地は、航空写真で見ると、
田んぼを虫食いのように、ハウス栽培に切り替えていったのがよくわかった。
大規模なハウス施設が立ち並び、
その合間に、まだ少し田んぼが見えるといった状況だった。

その一方、伝統的な水田地帯は、
一部、減反の影響からであろうか、麦などの作物が見られたのだが、
野菜栽培は一切確認できなかった。
あったとしても、極小面積なのであろう。

これらの違いは、当然自然的要素だけでは説明付きにくい。
土壌条件などの細かい点はあるが、
どちらの地域にも野菜栽培に必要な豊富な水があり
豊かな土地があるという点では変わらない。

一方は野菜へ切り替わり、一方は切り替わらなかった。
流通や政策などが大きくかかわっているのだろうが、
そこには、それらを読み取る人々の意識が大きくかかわっているのである。
伝統的な水田地帯には、近くに農外収入の道が開けていたのかもしれないし
野菜産地になった地域は、大きな野菜の流通経路が開拓されていたのかもしれない。
それぞれを選択した結果が、農業の形態として今見えているのであり
その選択が、その場所に住む人々の価値なのだろうと
僕は認識している。

研修生のイル君が住む村は、
水田がない。
近くに大規模なお茶農園とお茶工場があり、むらの住民のほとんどが
そこで働いている。
イル君は、「自分で米を作っても儲からないので、お茶工場で働いたり、自分たちでもお茶を作る農家ばかりです。お茶や野菜を作って、主食の米は買えばいいんです。」と言っていた。
それを聞いていたH君は、
「ありえない。自分で食べる米を全く作らないなんて信じられない」と言っていた。
まさにこの差異こそが、それぞれの社会に通念している人々の意識の差なのだろう。
それに支えられて、志向する農業の形態も変わっていくのである。

僕らは、こうしたいと思って農業の形を決めているわけじゃない。
周りの考え方というものを自分の内面に肥大化させつつ
その意識に従って、農業の形を決めているように僕には見えるのだ。
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昨日と今日と来園者あり。
昨日は、伝統野菜を見ようということで
野菜ソムリエの方々が、僕の畑まで見に来てくれた。
そして今日は、ある業者を通じて
レストランのシェフが、訪ねてきてくれた。

日曜日の受け入れでは、大人数ということもあり
1人1人とゆっくり話す機会もなかったが、
それなりにいい出会いもあった。
伝統野菜を見に来たということもあって、
注目は「吉川なす」だったのだが、
僕としては、
いろんな品種を試作して、
妻と一緒に調理して、酒を飲みながら、
それで美味しいと思えるものを作っているだけで
伝統だとか、西洋の野菜だとか、そういった分け隔てをして
作っているわけじゃない、と話した。
1人のおじさんが
「それはとても正しい姿勢ですね」
とおっしゃってくれたのが印象に残った。

伝統とか外来種だとかいろいろと外野がうるさい時もあるが
僕らは「もの食う人々」なのだ。
種や品種それ自体に特別な意味はあまりないのかもしれないと思うことがある。
意味があるとしたら、それを食べるときの食べ物や人との関係や
一緒にいる人々とのシチュエーションのような気もするのである。
だのに、外野では、その種や品種に特別な意味を付けたがる。
まぁ、それは付加価値でもあって、市場においてはある程度意味もあるのだが
そればかりが先行してしまえば、
本末転倒というべきだろう。

今日来たシェフは、
「昨年あたりから、おや、この野菜は?と思う野菜が必ず田谷さんの野菜だったので、田谷ってやつはどんなやつだ?と思って来ました」
と言っていた。
根セロリや各種なす、フルーツホオズキ、金時草などなど
少々変わった野菜を作っているのだが
それが美味しいということで、わざわざ圃場まで来てくれたのである。
とくに根セロリは絶品だったとほめてもらったのだが
あれは作るのが面倒だし、栽培期間が長すぎる割に
値段が出ないので、できれば自家用で楽しむだけにしたかったのだが
あちこちからこうやって言われると
作らざるを得なくなってくるのである。
今年もやりますよ、というと
「全部うちで買います」と言ってくださったのは生産者冥利に尽きるというものだろう。

こういうやり取りが、
僕を健全な農の在り方へと志向させていく気がする。
人を受け入れるのは、圃場も荒れるし、仕事も進まなくなるし
時には、作物が痛むこともあって、やりたくないと思うことも多いのだが
外部から吹いてくる風を受け止めていかなければ、
僕は圃場で、健全な農を志向しなくなってしまいそうな時もあるのだ。

今週はもう1人来園者の予定がある。
直接僕の圃場が見たいというわけでもないらしいが、
行政のお客さんとして、有名なホテルのシェフが
来園予定となっている。
次は、どんな風が吹いてくるのだろうか。

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P7080026.jpg

雨の中、せっせとナスをとる。
ナスの収穫がいよいよ今年も始まった。

僕の畑では、7種類のナスを栽培している。

まずは福井の鯖江・吉川の伝統品種である「吉川なす」。
実がしまっていて、煮崩れしないのに、やわらかくておいしいなす。
賀茂ナスよりも遺伝的に古いなす。
ただ果皮に傷が入りやすく、栽培は比較的困難。

次に、写真にもあるイタリアの品種のナス。
クリーミーな果肉で、揚げ物から煮ものまで死角なしのナス。
僕はこのナスが一番おいしいと思う。
あるシェフは、
「王様ナス」と名付けて、そう呼んでいた。

3つ目は、関東の伝統品種の緑色のナス。
ここ数年、関東の市場で「トロなす」と呼ばれて
人気を博しているやつ。
これも果肉がトロっとしていて美味しい。

4つ目は、タイで人気の緑ナスの品種。
米ナス系で、普通の米ナスよりも小ぶりで緑色の果皮。
米ナスよりもしまりはよく、タイカレーなんかを作るときには
重宝しそう。

5つ目は、ヨーロッパでメジャーな西洋ナス。
2つ目の品種とほぼ同じだが、果皮に縦縞が入る。
味や食感は好みの問題だが、2つ目のイタリアの品種のほうが僕は好き。
イタリアの品種よりも苦味がないかも。

6つ目は、北米の緑ナス。
今年関東の伝統種トロなすを作るにあたって
タイと北米の緑ナスも作ってみることにし、その一つがこれ。
米ナスの緑色バージョン。
食感は悪くなく、田楽でたのしむのなら、これかも。

7つ目は、ヨーロッパの白ナス。
果皮がかたくなりやすいので、調理にひと手間かかるが
果肉の香りや味や食感は抜群。
あるフレンチレストランのシェフがお気に入りで、ほぼそこだけに出荷している。


幼少の頃、ナスは最も嫌いな食べ物の一つだった。
そのままでは味もあまりせず、
何がうまいのかさっぱりわからなかった。

が、いつの間にか、ナスはとてもうまい野菜に変わっていた。
それからは、毎年さらに美味しいナスを求めて
さまざまな品種を取り寄せて作っている。

ほのかな苦みや
果肉の食感、
そしてフレーバーな香り。
ナスは突き詰めると面白い。
トマトのように主張する味は少ないけど、
だからこそ、調理によってはさまざまな味と食感の楽しみを
食べる側に与えてくれるナス。

今年もこいつらに、「早く収穫しろ!」と
追い回される日々がやってきました。
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前回の座学では、鳥の眼で考える大切さを実践しつつ話した。
その時の宿題が、昨日提出されたので、今日それについて議論。
週に1回の座学だったが、引っ越してからは週2回になり
研修生はやる気満々なのだが
こっちがついていくのが大変になってきた感はある。

さて、鳥の眼。
要は地元の地理的要素。
その地理が育んだ歴史とそれを認識することで醸成された
そこに住む人々の意識まで読みとれれば、及第点だが、
実際に山に登って、研修生が各自の村を見たわけではないので
その考察は、あいまいな点が多いのはやむを得ない。
それぞれの考察に、僕なりの分析を入れながら議論をした。

研修生イル君の村は、何と言っても標高が高い。
1500m以上の高地に位置しているため、インドネシアながら涼しいのが特徴。
そしてこの涼しい気候を利用して、お茶栽培が盛んにおこなわれている。
国営のお茶畑もありつつ
大企業のお茶畑も山を覆うように広がっているとか。
なので、イル君の村の住人のほとんどは、それらお茶畑と関連工場で働いている。
また自分たちでも少しの茶畑を持ち
その工場にも出荷している。
大企業と国営農場と関連工場があるため、
山を切り開いて、大型トラックでも行き来ができる立派な幹線道路があるという。
その流通と涼しい気候を活かして
イル君の村では、高原野菜の栽培が盛んだとか。
ただ、市場までは遠く、車で3時間以上かかるため
大抵の農家は、村内の商人に安く売り渡すしか手はない。
イル君の村を事前調査してくれたA女史のレポートにも
村内の貧富の格差が激しいと書いてあったのだが、
まさにそれは、こう言った地理的条件が重なりあっているからであろう。
A女史のレポートには、イル君の村人は
水田を至上の価値として捉えている一般的なインドネシア農民像ではなく
「米は買えばいい」という意識が醸成されているように書かれていた。
それは、その地理的要因が大きいであろう。

さて一方、H君。
どこにでもありそうな一般的な西ジャワの農村。
一般的というのは語弊があるかもしれないが、
大企業の工場もなく、特に野菜の産地でもなく
高地でもない。
ただ水源がしっかりしているため、ポンプや井戸なしで
年に3回米がとれる。
そのため住民の意識は米に寄っており、
市場に比較的近い位置に、むらがあるのだが、
換金作物を作ろうという意識が乏しいように感じた。
村に入るには、徒歩以外は無理で
車やバイクが入れるような道はない。
それは、それだけ険しい山村ということも言えるのだが、
農作物を外へ持ち出して流通させようという意思を醸成しない要素にもなる。
ただ、村の土地で、山頂近くの畑には
材木を切り出すための道路があり、そちらは車が入れるのだとか。
H君の村でも、人口がどんどん街に流れていくのだとか。
それを食い止める手段としては、
その山頂近くの畑で野菜作りをすることが、一つのカギなのかもしれない。

彼らからの話に僕なりの分析をつけ足しただけなので、
考察に幅がないのだが、
こういう風に、地理的要因とそこから醸成される村人の意識を
読み解いていこうという姿勢が、鳥の眼の分析である。
少しでも、そのエッセンスが理解してもらえたなら良いのだが、
どうだろうか。
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今日は7月7日。
七夕。
インドネシア研修生の2名とセネガル人スタッフのI君は
その七夕がしらないと言うので、
仕事の合間に、近くの竹やぶで笹をとってきて
みんなで願い事を書くことにした。

七夕が何かを彼らに日本語で伝えるのは至極難しい。
インドネシアの子ならば、僕がインドネシア語を使えばいいのだが
セネガルのI君には、日本語だけが僕と彼との共通語なので
彼にも解るように日本語で説明をした。

空の上に、ひこぼしとおりひめという神様がいて
1年に1回、7月7日の今日だけ、会ってデートをする。
二人の神様はとてもハッピーなので、
特別サービスで、みんなの願い事をかなえちゃおう、という日。
と、ものすごくざっくりとした説明をした。

1年に1回のビックチャンスに願い事をしない手はない、と
言うと、3人はそれぞれ短冊に願い事を書き始めた。
日本の神様だから、日本語じゃないと通じないからね、と念を押すと
それぞれが四苦八苦しながら、日本語で書き始めた。

1年以上日本にいるインドネシア研修生のH君は
「おかねがほしいです」
「車がほしいです」
「恋人がほしいです」
と、なんだかとても稚拙な願い事を3つ書いて、
しばらく考えて、4つ目に
「おかあさん、お米おねがいします」
と書いた。

うちの研修ではお米は無料で支給しており
それを僕の母が受け渡しているのだが、
H君に聞くと、その米が今朝で無くなったとのこと。
うーん、それは連絡事項であって、願い事ではない気もするのだが
まぁ、そのHくんの短冊の願い事は、すぐにかなうだろう。

セネガル人のI君は、最近子供が生まれたので
「こどもげんきおねがいします」
と書かれていた。
なんとも微笑ましい。
さらには、
「おくさん、げんきげんきおねがいします」
ともあった。
出産を経て、毎晩夜泣きの対応で疲れ果てている妻のことを気遣ってのことだろう。
げんきが2回も書かれていたのがよかった。
そして最後は
「おかねおねがいします」だった。
うーん、そんなにお金で困っているのか???

さて、今年4月から来たインドネシア研修生のイル君。
彼が書いた願い事はこうだった。
「おかねおねがいします」
「けいたいでんわほしいです」
「クラシックおんがくのCDがほしいです」。
お金や携帯電話というのは、他の二人とあまり変わらないのだが
3つ目のクラシックCDがほしいというのは意外だった。
そんな趣味があったのかと意外だったのだが、
後からH君に聞くと
「彼が勉強している日本語のテキストにそういう例題がありました」
とのこと。
ただ単にテキストの文章を書いただけなのか
それともクラシック音楽を聴く趣味があるのか
真意は分からないのだが、明日にでも手持ちのクラシック音楽のCDを
彼に貸そうと思う。

みんなのお願いごとを笹に飾ったのだが
実は、全員、「ね」の文字が「ぬ」になっていた。
だから、「おかね」は「おかぬ」だったし
「おねがいします」は「おぬがいします」となっていた。
これじゃ、願い事はひこぼしおりひめには届かないだろう。
それを近所の小学生(低学年の子たち)に見られて、
大爆笑されていたのは、余談である。
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田んぼの排水路の点検を行う。
どこか壊れているかどうかではなく、
先月に各農家に通知した排水路の清掃と泥上げが
行われているかどうかの点検。
これは村の農家組合の仕事の一つ。

排水路は、それに面している田んぼを所有する各農家が
清掃し、スムーズに排水できるよう維持することが求められている。
それを管理指導するのが農家組合の役割の一つ。
点検と言っても、うちの村の田んぼは80町(ha)もあるので
農家組合の役員さん5人で、それぞれ回っても
2時間近くかかる作業。

この点検で、12か所の田んぼの排水路に問題があり
通知を出して、清掃と泥上げを促す予定となった。
しかし、役員の年寄り役である人が言うには
「そんな通知を出しても、やらない人はやらない」
らしい。
そういう場合はどうするのか。
農家組合の規約では、排水路のメーター当たりで罰金をとることが
できることになっているのだが
今まで、とったためしがないという。
「やっぱ、とられんさけ」
と年寄り役の人は言う。
でも、そんなフリーライダー(ただ乗り)を容認すれば
いずれは皆、フリーライダーになってしまうのではないか。
僕なんかは、そう思えてならない。

排水路の清掃をしていない農家をみると、
確かに、それをやれと言うのは難しい人もいる。
足が悪くて、普段の農作業も困難な人や
老夫婦の世帯だけになっているところなどなど。
また集落外の法人に、田んぼを作ってもらっている世帯などもあり
なかなか農家組合で強制的に出ても
難しい面もあるようである。

しかし、今後村の農業事情は、一層の高齢化と
集落外の法人に作付けを依頼していくことが加速化することが
考えられる。
今は、数世帯の特殊な事情のような気もするので
甘い仕置きで良いのかも知れないが
その特殊な事情が、一般的な事情になってしまえば
排水路が排水路として機能しなくなる日は、そう遠くないような気がする。

村の人々が農業に無関心になっていく中、
田んぼという村の共有財産的存在をどう維持していくか、
今後、農業の構造が変化していく過程で
僕ら農家組合の対応も臨機に応変していくことが求められるのではないだろうか。
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昨年と同様、研修生を引き連れて山に登る。
うちの村の川向かいにある山。
何のためか?
「鳥の眼」でうちの村を見るためである。

農業はいろんな要素から成り立っている。
自分がこうしよう!と考えて、それが農の形なのだと
思われる方もいるかもしれないが、
その「こうしよう!」という認識すら、
それらの諸要素によって形成されていることに
自覚的にならないと見えてこないことは多い。

今授業でやっている「農業の構造」のシリーズの一つ。
それら諸要素を考察する座学。
人的資源の考察の前に、自然環境について授業をしていたのだが
ここのところ雨続きで、なかなか実習できなかったのだ。
今日は、天気も良く、なんとか山の上からうちの村を考察できた。

4月から来た研修生・イル君に、
うちの村の農業を形作っている自然環境的要素は何か?と
宿題を出していた。
彼の書いてきたことは、
平地・田んぼ・太陽・川などなど。
去年のH君と似たり寄ったりな答え。

一緒に山に登り、その山の中腹からうちの集落を見てみた。
大きくカーブを描いている大河の内側に、うちのむらがある。
その川のカーブのおかげで、川沿いには肥沃な砂上の農地があるのも
うちの村の特徴と言っていいだろう。
さらにその川が勝山から流れていくものと、福井の町から流れていくものとが
合流した所に、うちの村があるのである。

上から見ると面白いもので、
うちの集落以外の集落にはほとんど畑が見えない。
水田ばかりなのである。
転作もそれなりに見られるが、野菜畑というものがない。
そして園芸用ハウスもほとんど見られない。

なぜか。
それはこの自然環境が育んだうちの村の歴史と
その歴史を共有している村人の意識がそうさせているのだろうと
僕は思っている。

川が作った肥沃な砂上の土地は、
今の土地改良の技術をもってすれば、水田になるのだろうが
その昔は、水田は作れなかったのかもしれない。
水田が至上の価値だった昔(米本位の経済:江戸幕府まで)でも、
この土地が水田だったことはないのである。
その畑は水田には向かないのだが
野菜作りには、これほど適した場所はないのだ。

さらに川の合流地点というのも大きいだろう。
川を上れば、勝山や福井の町へとつながっているのである。
その昔、流通で重要だったのは道路ではなく、川だった。
川沿いで採れた農産物を、容易に街の市場まで運べるのである。

そういうこともあってだろうか、
昔からうちの村は、野菜作りの産地として存在していた。
だから、今70歳や80歳のおじいちゃん・おばあちゃんまで
転作田でキャベツを作ったり、
川沿いの畑で80年代から続いているスーパーとの企画での
朝どりレタスをやっていたりする(収穫は朝の2時ごろ)。
そういったものが今もみられるのは
そういう野菜作りの歴史が存在していて
その歴史を認識している村人の志向によるものだと
僕は理解している。

その話を山の上で、研修生にしてみた。
4月から来たイル君は、
「自然環境の要素の考察ですが、山に登るまで、トオルさんがいうようなことは考えもつかなかったです。でもこうやって、上から見るとよくわかります」
と言っていた。
そうだろう。
それは君がまだ「鳥の眼」で見ていなかったからである。
地面の這いつくばっての「蟻の眼」で考えることも大事だが
それでは見えてこないことも多い。
鳥の目で見ることの大切さがわかれば、この講義をやったかいがあるというものだ。

僕ら人間は、どう物事を認識するかによって
その考察の範囲も決められてしまう、というとても面白い生き物だと思う。
それをできるだけ広げていくのが
僕の座学の一つの意味でもあるのだ。

そこで宿題。
研修生のHくんとイル君、それぞれの住んでいる村を
鳥の眼で自然環境について考察してみなさい。

まぁ、まだ実際に山に登っていないのだから
詳しく考察することは無理だろうが
そういう物の考え方の訓練にはなるだろう。
さて、どういうものを出してくるだろうか。
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前回の人的資源の宿題。
「ゴミ問題において、本当にインドネシア人は日本人よりも「怠け者」なのでしょうか?」というお題に、
先日、研修生2名と座学の中で議論をしてみた。

この前の授業では、社会の規範や価値基準が
どの方向に向いているのかによって
それを認知している個人が、それに沿ってモティベーションを発揮している
という話をしたのだが、
今回は、その社会規範や価値基準が
行動を伴う認知として各個人に浸透する背景にはどういうメカニズムがあるのかを
まぁ、ざっくりだが考察してみた。
そのためのお題がゴミ問題。

インドネシアを旅行された方なら解るだろが、
インドネシアは、いたるところにゴミが「ポイ捨て」されている。
というか、そんな「ポイ捨て」などと可愛いものではなく
人の集まる場所(駅やターミナルや地元の人が行く観光地等)では
道の路側帯がゴミで埋まってしまっている、といった状況も
珍しくはない。
それはゴミ箱がないからなのか?と思われるかもしれない。
確かに、設置数は少ないのだが、それでも目の前にゴミ箱があっても
その辺にポイ捨てするのは日常茶飯事なのである。

そんな状況を研修生の2名はこう考察した。
理由は3つ。
① 行政によるゴミの回収が徹底されていない。
② 子供たちへの環境教育がおろそか。
③ 社会全体が、どこに捨てたっていいじゃないか、という雰囲気。
と答えてくれた。
どこに捨てたっていいじゃないか、といった社会的ムードを
研修生は、「seenak aja!」と表現してくれた。

①についてだが、行政からの指導が徹底されていないため、
社会の中で、ゴミに対する意識が低いのではないかと研修生は言う。
②は、子供の頃からゴミに対する教育を行わないからではないか、とのこと。
③は、上記2つの理由により、社会的にどこに捨てたっていいじゃないか、といった
ムードがあって、それでポイ捨てがなくならないのでは、とのことだった。

僕はゴミ問題の専門家ではないので
それらが正解か不正解かは判断が難しいのだが
③の社会的ムードというのは、この場合とても大事な要素である。
それに関係するものとして、「社会的ジレンマ」という言葉がある。
はてなキーワードから言葉を借りれば
「個人にとっては、(個人にとって合理的な判断である)非協力行動をとった方が望ましい結果が得られる。しかし、全員が非協力行動を取ると、全員が協力行動をとった場合よりも、望ましくない結果が生じる状態。」とある。
ゴミ問題はまさにこれに当てはまる状況と言っていいだろう。
個人では、ゴミ捨て場までゴミを持っていくことは、それだけ余計な労力となる。
だから楽をしようと思えば、どこに捨てたっていいじゃないか、ということになる。
ある個人だけが、社会に対してフリーライダー(ただ乗り)であれば
町中にゴミがあふれることはない。
だが、みんながみんなそれをすれば、
たちまち、町中がゴミで溢れてしまうことになる。

研修生の2名は、
「それぞれの家庭では、家の敷地内はきれいに掃除します。でも家の外ではポイ捨てをします。ゴミはゴミ箱に捨てるというのは、大人も子供もみんな解っているのに、それが行動にうつらない状況なんです。」
という。
まさに社会的ジレンマと言っていいだろう。

わかっちゃいるのにやめられない。
そんな行動を変えるには、どうすればいいのだろうか。
詳しく知りたい方は、社会心理学者の山岸俊男氏の著書を読んでいただくとして
僕なりに理解しているところでは
人間の心には、社会にうまく適応するために
他者の行為をまねる仕掛けがすでに備わっているとか。
だから、ある一定数の人々がゴミをゴミ箱に捨てるようになると
堰を切ったように、社会全体がその方向に動いていく
らしい。

そういったことが社会の規範だったり価値だったりするのではないだろうか。
だから、ゴミ問題において
日本人が真面目で、インドネシア人が怠け者というわけではない。
研修生が言っていた「seenak aja」が
まかり通らなくなる社会的ムードが大事というわけなのだろう。
まぁ、それをどう醸成していくかは、非常にむずかしいのだろうけど。

本講義の目的は、
モティベーションの生まれてくる社会的仕組みを理解すること。
ゴミ問題の解決策は、研修生の議論の中では明確にならなかったのだが
それでも、教育や行政による指導、また社会的規範作りとして
各町内単位でのごみ拾い活動などを広めていくしかないのだろうという話になった。
ちなみに、うちの村では、青年団でごみ拾いをすると
町内会から人足代としてお金がもらえるので、
それを使ってみんなで「とんちゃん」(ホルモン焼き)を
食べてビールをしこたま飲む行事を1年に1回している。
みんなで楽しみながら社会的規範作りの例として
研修生には紹介しておいたが
その飲み会にコンパニオンまで来ていることは、内緒である。

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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

メールは
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