世界の農業を学ぼう!
と、始めた協力隊OVによる各国事情と活動報告勉強会第2弾。
今回は、ボリビアへ行っていたWさんの話を
インドネシア研修生、セネガルのIくんとその奥さんで聞いた。

ボリビアは、高低差の富んだ国で、
3000メートルを超える山岳地帯、
その山裾に位置する比較的温暖な地帯、
そしてアマゾンの熱帯地帯に分かれている。
それぞれの場所で、作られる作物も違えば、主食も様々。
Wさんは、その中で、アマゾンの熱帯地域で
有機農業の指導を2年間されてきた。
耕起から自然農薬、堆肥まで、事細かに指導し
現地語でマニュアル作りもしていた。

現地の農業は、数千ヘクタールを超える大規模所有者による
近代的農業がおこなわれている反面
1ヘクタールに満たない零細農家も多く存在しているらしい。
Wさんのターゲットは、その零細農家。
しかも女性グループだった。
少しでも付加価値をということで有機農業の指導だった。

Wさんはボリビアの農業を
「粗放」と表現していた。
1人当たりの農地が多く、そのためか粗放的な農業になっているという。
種を播いたら、収穫まではあまり作業がないというのだ。
そのため、そういった「粗放」な農業に合わせて
地元で簡単に手に入る資材を利用した有機農業の確立が
大変だったと語ってくれた。

この話を聞きながら、セネガルのIくんは
「世界は広い」を連発していたのは余談。

講義後、
仕事をしながら、インドネシアの研修生の子たちとこの話をしていた。
直播の水田の話をWさんはしていたが、
インドネシア研修生も先日遊びに行く途中の福井のある集落で
大型機械による直播を見ていた。
「日本でも直播するんですね」とHくん。
農地が大規模にある場合は、その効率性を考えて
移植よりも直播を選ぶ場合も多い。
それだけとは限らないのだが、農地面積の所有が
その農民の農法に大きく影響を与えることは確かだろう。
面積が多くなれば、粗放になっていくだろうし、
小面積であれば、その内部に向かって複雑化していくのだろう。
SRIなどの稲の一本植え技術などは、
ボリビアの農地所有構造の中からは、まず生まれてこない発想と言っていいだろう。
有機農業もそういうベクトルの中にあるのだろうか。

次回は、6月21日(日)に勉強会を開催予定。
発表者はマダガスカルへ行っていた協力多OB。
さてどういった話をしてくれるのか楽しみである。

この勉強会に参加したいという方がいれば、お知らせください。
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先日の研修生への座学の話。
前回、日本の農業はインドネシアの農業に比べて、
それは「進んだもの」なのか「異なったもの」なのか、を
新しく4月から来日したイル君に宿題として出していた。

その答え。
「進んだもの」だった。
イル君曰く、
「今ちょうど、田んぼを植えていますが、機械化されていて少人数で効率よく農業をしているように見えます。田んぼも四角く整備されているし、一枚の田んぼも広い。インドネシアは手植えで、あんなにスピーディーにはできません」
というのが理由らしい。
なるほど。
目に見えている機械化というベクトルだけを切り取ってみれば、
日本の方が「進んでいる」ことになろう。

では、インドネシアもそのベクトルに乗っかって
いずれは日本で見えているような光景が、
インドネシアでも目にすることができるのだろうか?
一部ではそういう風景も目にできるかもしれない。
ただ中身はまったく違っているだろうけど。

現在見えている日本の(福井の)光景は
戦後の農地解放、その後に続く土地改良事業、
そして工業化へ突き進む中で、安く抑えられた農産物価格と
工場労賃との関係で、都市への移動が起こった。
飛躍的に機械化が進んだことも、それらを後押ししたのであろう。
その機械化が、稲作だけの兼業農家を生み出した。
また兼業化への特化の中で、
一部の農家は農外収入を農業の中に埋め合わせることで
その経営を成り立たせてもいた。
その反動と、機械更新の困難により
世代が変わるとともに、農業を営まない人々も多く生み出した。
また農政のばらまき批判を受け、大型農家を支援する枠組みも出来上がり
それに呼応する形で、法人化も進んだ。
うちの集落の隣にある3集落合わせて作った法人は
1枚の田んぼが4haもあるのである。
そういう事態が表象として現れてくるのは、
裏側に上記の理由が埋め込まれているからである。

インドネシアでは、第2次世界大戦後、
農地解放を行おうとして行動(戦争)していた共産党を
9.30事件ですべて虐殺してしまい、
その機を失ったまま現在に至っている。
(それが成功したからと言って、それで安定的な社会になったかどうかは、カンボジアの例を見れば、わからないのであるが)
農地の所有は植民地時代にゆがめられたままで
企業などが大規模に農地を所有し
西ジャワなどは、50aも所有していれば多い方だと言われるほどの
零細農家ばかりなのである。
その中でも、高利貸しが横行し、
不在地主も増えている。
機械化は、一部の資本家で実現可能であろうが
それは、常に資本の下での新たな従属関係を生むだけのような気もする。

零細農家同士が、作付けの失敗や危険を回避する目的として
お互いに農地を貸し、小作し合うような社会的システムも存在している。
それを貧困の共有と呼ぶ者もいれば
危険回避の合理的選択と見る者もいる。
それらは社会危機の時にソーシャルセーフティネットなどと呼ばれて
評価されることもある。

インドネシアでは、その気候により
1年で2回は稲作ができる(多いところは3回)ため
農業の規模を単純に面積だけでは比較できない。
さらに、日本では多くの兼業農家が稲作に特化してしまったが
インドネシアでは稲作以外の農業が、複雑かつバライティに富んで存在している。

国家・市場・風土、そして民衆の中の社会システムの差異で
表象として現れる農業が異なってくるのである。
だから僕は、日本とインドネシアの農業は、
発展のベクトルが同一線上に位置しているわけではないと
考えている。
どちらかが先に進んでいるわけでもないし
どちらかが後というわけでもない。
両者は「異なったもの」でしかないのだ。

イル君は豆鉄砲をくらった鳩のような顔をして
僕の話を聞いていた。
いいさ、今はわからなくても。
3年間、君はここにいるんだから。
じっくり、一緒に考えてみよう。
僕が話したことだけが正解じゃない。
これから君らと対話していく中で
もしかしたら、僕も考え方が変わるかもしれない。

とにかく、これが僕の座学のスタートラインなのである。
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引き渡し日が、だんだんと近づく中
急ピッチで家づくりが進んでいる。
そんな中、今日、トイレがついた。

タンクレストイレ


妻がこだわっていたタンクレストイレ。
本当についてよかった。
一時は、タンクレストイレはあきらめないといけない状況だったのだから。

その理由は、水圧の問題。
トイレは1階と2階に設計されているのだが
1階のトイレも水圧の問題で、タンクレスは難しいかも、と一時は考えていた。
というのも、新築邸に水を引き込む水道管が
一般の水道管よりも細く、それは農業用に敷設したものだったからである。

何十年も前、まだ新築を建てるあたりは村はずれで家はなかった。
そんな中、うちの父親やその仲間が、グループでハウスを建てた。
潅水用として井戸を掘ったのだが、塩分が強すぎて、それは使用できなかった。
そこで、市の水道局にお願いをして水道を使わせてほしいと言ったのだが、
水道の敷設は父のグループが負担するならばOK、という答えだった。
水道をガンガン使うのだから、本当は水道局が引くべきはずの水道を
父たちのグループが自分たちで引くことになった。
その当時は、村はずれに家が建つことなど想定していなかったので
普通の水道管よりも細いものを使用して、少しでもコストダウンを図ったらしい。
それが今になって、村はずれに数件の家が建つことになり、
皆、その水道管から水道を引くものだから、水圧が弱く
夏場になると、ハウスでの灌水に困るほどの水圧になってしまうのである。

その話を設備設計屋さんと設計士さん、工務店さんに話したところ
「タンクレストイレは、水道の水圧で汚物を押し流しますので、水圧が弱いと流れない可能性がありますね」
と言われ、設計の段階でタンクレストイレはあきらめていた。

ただ、タンクレストイレの水圧を強める機械が
あったのは知っていたのだが、それはタンクレストイレの横に設置しなければならず
掃除が楽、という理由で選んだタンクレストイレなのに
掃除が大変になってしまうので、この設置も諦めていた。

それが、工事が進む中、INAXの新商品がでて
水圧を強める機械が、タンクレストイレの中に内蔵されているものが
発売されたのである。
いささか予算がオーバーすることになったのだが
その新商品を導入することにした。
こうして、我が家は妻の希望通りタンクレストイレとなったわけである。

注文住宅は、一つの部品・機器のどれをとっても
その中に物語がある。
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最近、面白いことが起きている。
それはインドネシア研修生たち。
今年から、僕の自給用の菜園を
インドネシアの研修生にも開放した。
自分たちが食べたい物を植え、その世話管理を自分たちで行い
採れたものは分け合おうという主旨。

「僕はアイコが食べたいです」
というH君。
アイコとはロケット型トマトの商品名で
うちで直売所向けに作っているトマトである。
それがとても美味しいので、たくさん作りたいとH君は言う。
以前の日記で、そのトマトを40本植えたのは書いたと思うが
それ以外にも、ナスやキュウリ・パプリカやシシトウなど
H君やイル君が食べたいと思うものをどんどんと
植えているようである。
“ようである”と書いたのは、
僕はその作業に一切タッチはしていないからだ。
日々の実習が終了したのち、
自分たちの畑へ彼らが繰り出し
日常的に何やら作業をするようになったのである。

自分の裁量でいろいろと出来るのは楽しいだろう。
そのことで自主性もはぐくまれるだろう。
そして、市場出荷の農法と自給の農法の差異から
彼らも様々なことを学ぶことだろう。
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エントリーを書いていない間に
一気に家作りが進んでいる。

壁紙施工

壁紙が貼られると、なんとも部屋らしくなる。

造作家具

造作で頼んでおいた家具も、一気に備え付けられた。

本棚

大量の蔵書をしまう書庫の本棚。
大きいのだが、これでも足りないかなぁ、と少々不安。

ステンドグラス

設計士さんの知り合いの方に
ガラス作家の方がおられ、その方に作ってもらったステンドグラス。
玄関から居間に入ると、まずこれが目に飛び込んでくるようになっているのだ。

燕の巣

玄関のポーチには、僕らよりも先にツバメが住んでいた。
ポーチをフンで汚してしまうのが少々気になるが、
ツバメが巣を作る家は栄える、というので、
作りたいだけ、巣を作ってもらおう。
農業の中でもツバメは虫を食べる大切な生き物なのだから。




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最近、“カブラハバチ”で検索をかけて
僕の日記を見る人の数が、ぐっと増えた。
それだけカブラハバチの防除に困っているのだろう。

以前書いたエントリーでは、
結局途中からコナガの防除の話になってしまい
なんだかカブラハバチにBTが効くような話し方になってしまっていたので
ここで改めて書いておこう。

カブラハバチにBT剤は効果がない。
BTは鱗翅目に効果があり、
カブラハバチは、膜翅目。

有機リン系の薬剤であれば、カブラハバチをターゲットに
登録が取れているモノも散見される。

僕が使っている薬剤は、ネオニコチノイド系。
昨今、ネット上でもいろいろと騒がしい薬剤なのだが、
IPMの実践(薬剤防除だけでなく、耕種的・生物的に防除しようという考え)には、
これも欠かせない薬剤といえる。
天敵に影響が少なく、害虫となる虫には影響が大きい薬剤が
ネオニコチノイド系の農薬なのだ。
ただ、これは僕が栽培している品目に関していえることなので
それぞれの品目の中ではどうかは、それぞれが検証する必要があるだろうけど。

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青年海外協力隊を広く知ってもらおうと
全国の自治体すべてを回るキャラバン隊なるものが、現在巡回している。
各地で結成されたキャラバン隊には、
その場所の協力隊OVが参加し、広報してまわっているのである。
そのキャラバン隊に、僕も参加した。

訪問した先は、福井市役所。
たまたま知人がいたこともあり、和やかムードの訪問だった。
キャラバン隊を仕切ってくれていたJOCAの方は、
協力隊OVを学校教育や公民館等の生涯学習の中で活用してもらうことを
全面に出していたが、それでは弱い。
OVの活用をその体験談や次世代を担う子供たちへの教育という
狭い領域に追いやってはいけない。
僕たちOVは、海外(しかも途上国)で活動したということを
特殊に感じられているためか、
その本来の活動の内容があいまいにしか理解されていないのだ。
地域は、海外、しかも途上国かもしれないが、
それは場所の問題であって、活動の内容はその地域を活性化させようという
まさに地域づくりなのである。
こういった活動の経験が、おおくのOVに地域を見る目を養わせてくれるのである。
これを地元が活用しない手はないのだ。

今月上旬に行われた地域づくり×協力隊OVのシンポジウムでは
熊本県の芦北町役場の方がパネラーとして参加されており
そこでの話では、行政として地域づくりにどうかかわっているかを
話されていた。
協力隊という経験が、地域で活動する態度が変わったと語っていたのが印象的だった。
地元の声をじっくり聞き、それを制度の中身として活かすようになったとか。

それを福井市役所に提案した。
もったいない人材がたくさんいるのである。
さらにはJICAが、地方自治体の職員が協力隊に参加する場合
その給与の8割を負担してくれるという制度まであるのだ。
職員研修の一環としても協力隊は面白と、僕は思うのだが。
しかし福井市の答えはこうだった。
「職員の自己啓発のための研修は、基本的に無給なんです。8割負担されると言われても、条例では無給という決まりになっています。これでも以前よりも良くなったんですよ。その条例ができるまでは、自己啓発の研修に参加するためには、辞職しないといけなかったのですから」
ときたもんだ。
なんとケツの穴の小さいことか。

福井からは、これまで200人以上の方が、協力隊に参加している。
しかし、その多くは大都市へと流れ出ていってしまっている。
それは参加したOVの志向の問題なのだろうか
それとも受け止めるだけの器量が地域にないのだろうか。

キャラバン隊を福井で結成するために
中心となるOVを探したらしい。
しかし誰も居ないということで、広島のOVが急きょ福井入りをして
福井のキャラバン隊の中心を担ってくれている。

なんとも情けなくなった。
僕らが住むこの地域は、そこまで地に落ちてしまっているのだろうかと。
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ハウスの周りに、ミントを植えている場所がある。
圃場内の生物相を豊かにするため、がその目的。
つまりは虫の種類を多種多様にすることで、
栽培品目につく害虫だけを繁栄させないでおこうというもの。

今年、そのミントを見つめる僕の目に変化が起きた。
ある業者が遊びに来た時に、
「おおお、こりゃ立派なミントだ。すこし出荷してほしいくらいだ」
と言われたのが発端だった。
それからミントは、生物相を豊かにするための植物から
換金できる作物になるんじゃないか?と
僕の意識が変化した。

そういう目でミントを眺めてみると、
アブラムシがかなり付いていて、とても出荷できるようなものじゃない。
虫の防除も必要になってくる。
しかも葉の大きさや色もいまいちで、
肥料をしっかりとやる必要があるだろう。
乾燥しすぎるようなので、散水も必要か。
などなどと思うようになった。

そこでアブラムシがまだついていない場所を収穫し
近くの直売所に並べてみた。
破格の価格ということもあり、それらはすぐに完売した。
面白いほど売れたので、調子に乗って、じゃんじゃん出荷するようになった。
そして本日。
直売所を担当している人から
「アブラムシがひどかったので、前回出荷された分は破棄しました」
と通達を受けた。
欲で目が曇っていたのだろうか。
生産者としてとても恥ずかしい通達だった。

アブラムシの農薬を散布すれば、そんな問題はなかったのだが、
僕にはそこへは踏み込めなかった。
なぜなら、そのミントは、もともとも目的を
「生物相を豊かにするため」であり、
アブラムシが増えれば、そのアブラムシを食べるテントウ虫や
アブラバチやヒラタアブが増えてくるのである。
そこに向かって農薬を使用すれば
それら天敵にも影響が出てしまうこともある。
だが、それを出荷するとなると別問題となる。
虫でやられている作物は、そもそも出荷なんてできない。
いくら無農薬だからと言っても
アブラムシでべたべたのミントを誰がお茶にして飲むのだろうか。
生物相を豊かにするための植物と出荷用の野菜とは
その思想の方向性がまるで違うのである。

ただまるっきり接点がないわけでもない。
このミントに限って言えば、露地に植わっているので
過乾燥になる5月を避ければ、アブラムシの被害は少ない。
農薬散布の必要性もほとんどないし、
そもそも生物相を豊かにするんだから
農薬の散布はNG。
ある時期の出荷を避けて、夏に向けてすこし剪定すれば
生物相も豊かになるという目的からもずれないだろうし
少量しか無理だろうが、それでも一部を出荷できることもあろう。

今回のミントの失敗から、僕は多くを学んだ。
もともとの目的だけは忘れてはいけない。
その範囲で、出来ることをやろう。
そう思った。
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日本語を教えてくれる先生がようやく見つかった。
研修生のイル君の話。

地元の国際交流会館で、ボランティアで日本語を教えている団体がある。
昨年来たH君も、その団体にお世話になっている。
プライベートレッスンで90分1000円。
イル君もそこに申し込んでいたのだが、
H君の時と違って、なかなか講師がみつからなかった。

理由は二つ。

ひとつは、イル君がH君と同じ時間帯に勉強したいということもあり
こちらから勉強できる曜日と時間を指定してしまい
その時間が、もともと込み合う時間だったため
先生がみつからなかった。

もうひとつは、外国人の解雇。
この不況で、真っ先に切られてしまうのは外国人。
次の就職先を探そうと、ちょっとでもスキルアップしようと
今、日本語教室が満杯だとか。
そういうこともあって、先生がみつからなかった。

ただ待っているだけでは、イル君の日本語学習がどんどんと遅くなってしまう。
そこで、H君の先生に直接電話をかけ
平日のどの時間でも良いので、日本語教えてやってはくれないか
とお願いしてみた。
木曜日が開いているということで、
急きょ、イル君は木曜日の昼から仕事を休みにして
日本語教室に通うことになった。

一回目の教室から帰ってきたイル君は、僕に会うなり
「日本語の勉強は楽しかったです!」と声を弾ませていた。
そうなんだ、この子は大学を退学してまで、ここへ勉強をしにきた子なんだ。
3年という短い時間をもっともっと充実したものにさせてやりたい。
イル君の楽しそうな顔を見ながら、そう思った。
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先日、開発業界の機関紙の取材を受けた。
のは、すでに日記に書いたか。
その時にインドネシア研修生のH君は、
日本の農業を「異なった」農業と表現したことも、すでに書いた。
しかし、もう一人の研修生イル君は、
まだそういう風にみえていない。
来たばかりだから、当り前か。

イル君に書いてもらった日本での農業研修目的に
「進んだ農業技術の習得」とあった。
これからイル君にとって、本格的に座学に入るのだが、
基本姿勢としては文化相対主義であり、
どこかの技術が特に優れているわけではないというための勉強である。
と書くと、進んだものを学ぶからこそ勉強なのでは?と思われる方もいるかもしれない。
しかし、僕の座学はそうじゃない。
それぞれの文化や農業や技術の「違い」に目を向け
その「違い」から、それぞれが持つ発展のダイナミズムを感じ取ろうという
野心を持って行っている。(がしかし、なかなか実が伴っていないのだが・・・)

その「違い」からの発見こそが、自分たちの農を意識することになり
その視点が考える農民へとつながるとも思っている。

さて今日は、僕の座学の基礎となる「農業の構造」の第一回目。
農業という表象を支える構造として何があるのかを説明する
イントロダクション的な授業。
要は、その構造が日本とインドネシアで如何に違うのかに気がついた時に
それぞれの農業に優劣があるのかどうか、
先進-後進の関係におかれているのかどうか、が
解ってくるはずなのだが、どうだろうか。

そこでイントロダクション後、こんな質問をイル君に宿題として出した。
「日本の農業はインドネシアよりも『進んだ農業』なのか、それとも『異なった農業』なのか答えなさい」
これは金曜日までの宿題。
H君ともよく議論して、そう思う理由もきちんと書きなさい、と伝えた。
さて、どんなものを書いてくるのか、楽しみである。
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畑に出る。
自給のための畑に。
この畑は、もともとは娘が離乳食を食べるようになった頃に始めた畑で、
こんな小さな赤ちゃんが食べるものだから、
自分の納得するものを食べさせたい、という想いで始めた畑だった。
無農薬・無化学肥料というと、なんだか俗っぽくて
自然のダイナミズムの中で、とても消極的な意味合いになってしまうのだが
できるだけ何も投入せず、
作りまわす技術「輪作」と「混作」だけで乗り切ろうという
前衛的かつ伝統的な畑なのである。

今年も、春菊の花がきれいに咲き乱れる中で、
トマトやキュウリ、パプリカなどの定植のためのマルチをした。
時間もあったので、トマトを3種ほど定植。
今年からは、研修生のHくんも自らのお腹を満たすために
この自給菜園に参加。
セネガルのIくんやもう一人の研修生イル君の分もと考えて、
ロケット型トマトを40本も定植した。
近所のおばちゃんや祖母・父母は、
「そんなに植えると食べ切れんざ」と呆れていたが、
なになに、これでトマトの完全自給を狙っているのだから
これでも足りないくらいなのである。
確かに収穫が一時になるが、
それはドライトマトや冷凍、ペーストなどにして
せっせと保存するのである。
少し楽しむという生半可な菜園ではないのだ。

僕は売るための農業として、ほとんどの時間を
商品作物に費やしている。
それから見れば、この自給菜園なんてちっぽけだし
そんな暇があれば、売るための農業で山積みになっている仕事を
一つでもこなした方がいいのでは、と思われるかもしれないが、
この菜園が僕にとっては宝石のように大切なものなのである。
この菜園をやっていなければ、
僕は経営的な観点のみで農を捉え、
食べることから考えなくなり
いかにして1円でも安く栽培して、
いかにして1円でも高く売るのか、という世界に没頭していたかも知れない。
ただでさえ、多額の借金を負っている身としては
ついつい経営的な金銭的な方向に思考が傾きやすいのである。
そんな自分を正気に戻らせてくれるのが
この菜園というわけだ。

食べることに思いを馳せ、
大量にとれれば、それをいかに保存するかを考え、
保存の技と作りまわす技術の中で培われた農の営みを
この手の中にあるという実感を与えてくれる。
菜園は
生産と生活とが渾然一体となっていることに気がつかせてくれる
交差点でもある。

ただ、この菜園でのやり方が主となってしまっても
僕はやはりいけないと思っている。
いつの世か、それが主となる社会・時代がくるかもしれないと
ひそかに思いをはせているが、
それでも今現在では、この菜園のやり方が主となってはいけない。
僕は売るための農業と食べるための農業のバランスの間で
自分の農を見出していこうと思っている。

菜園では、今、スナックエンドウが収穫真っ盛り。
甘くておいしいそのエンドウを、妻がパスタにしてくれた。
何杯でもワインが飲める味だった。
もうすぐ、ソラマメが採れる。
焼いて塩だけで食べれば、ビールとの相性は抜群だ。
その横にあるニンニクもあと少し。
採れたてのにんにくを素揚げにして食べるのが楽しみである。
赤玉ねぎは、今年もピクルスにしよう。
そうだ、にんにくの後には胡麻を播こう。

自家菜園の楽しみは尽きないのである。
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東京から来客。
ある雑誌の取材に、と編集者が一人やってきた。
先日の地域おこしシンポジウムとリンクして、
国際協力の業界紙で、僕を取り上げてもらえることになったのだ。
なんだか身の丈に合わない気もしなくはないが・・・。

協力隊での経験が、
今現在の福井での活動とどうリンクしているかが取材の焦点だった。
途上国と呼ばれる国々で、苦労に苦労を重ねた協力隊の経験を
日本の地域おこしの起爆剤に!という動きがあるようである。
僕自身は、自分の経験が現在の自分の活動にどうリンクしているのかなんて
ほとんど考えてこなかったので、
シンポジウムやこういった取材を受けるのは
とても良い機会になった。

手前味噌な話をしても(僕が)つまらないので、
それとは別に、やはり外部からのインタビューは面白いと思ったことを書こう。
それはインドネシア研修生のH君。
活動の話の中で、H君にもインタビューをしたのだが、
今回は面白い話が聞けた。

まずインタビュアーが、
研修に参加しようと思った動機は何か?と尋ねると
「異なった農業技術を持つ国で、その技術や文化を勉強したかった」と答えた。
研修に来た当初は、“日本の先進技術を学びたい”と言っていた彼が
1年の研修で、“先進技術”から“異なった技術”になったことは
大きな成果だと思う。
そう、日本で展開されている農業は、先進的な農業ではなく、
それはインドネシアと比べて異なった農業でしかない。
その意識は大切だ。
憧憬や称賛は目を曇らせるし、
日本の農業技術を先進的とするのならば、
その関係では後進的に置かれてしまうインドネシアは
おのずと先進を目指して進むことを目的化されてしまうのだ。

いくつかの質問があり、
何番目かの質問で
日本に来て一番驚いたことは?と尋ねられると
「寒いこと」と率直に答えた後、しばらく沈黙したH君。
来た当初の記憶を探っている感じで、
ぱっと顔をあげて答えたのが
「農村に人が少ないことが、一番驚きました」だった。
これだけでは彼が何を言おうとしているのかは解りづらい。
彼が言いたかったことは、村には沢山家が建っているのに、
村の中で出歩く人をほとんど見かけない、ということらしい。
「僕の居た村は、家の戸数はここより少ないですが、村の中は人であふれています。いつも賑やかで楽しい。でもここは人をあまり見かけない。家はたくさんあるのに、みんなどこに行っているのか、来た当初は不思議でした」
と話してくれた。
ははは、そりゃ、みんな街に行っているんだよ。
子供は学校、大人は会社や事務所、年寄りは病院かデイサービスさ。
あと、家はあるけど若い連中は村の外。
いやいや、正しくは県外か。
祖父母時代は、僕の村もH君の村のように
たぶん賑やかだったのだろう。
でも今は、解体されつくして、この有様さ。

このインタビューを通して
僕がここでやりたいことと、H君が感じた村の印象は
リンクしていることがわかった。
やはり村(生活環境)は賑やかじゃないと。

インタビュアーの最後の質問がこれ。
ここで学んだことはどう役に立つと思うか。
H君はこう答えた。
「地域のポテンシャルを掘り下げる力になると思う。可能性や市場はどこにでもあるので、それを見つけられるかどうかだと思う」。
そう言えれば、大したものだ。

技術的なことは後からどうにでもなるが、
意識的なことは、そうはいかない。
意識して地域を見る眼差しを鍛えることこそが
僕のところで研修をする意味だと思っている。
「考える農民」がコンセプトなのだから。
そういう意味では、H君の答えは
僕の研修が、現時点ではいちおう及第だということだろうか。
まぁ、それでも1年目ということでは、だろうけど。

外部から人が来て話をするからこそ
そういう話をH君から聞けた。
インタビュアーさん、遠いところからわざわざ有難うございました。
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今年も若手農業者クラブで、食農活動を行っている。
保育園は前年とは別の市立の保育園。
そして活動内容も、田んぼから野菜作りへと変化している。

今日は、数名のクラブ員が集まって
保育園で、生ゴミ堆肥づくりをした。
野菜作りの過程で、追肥を生ゴミ堆肥でやろうと予定しており
子供たちや保育士さん、父母の皆さんには
調理の過程で出た生ゴミが、野菜作りの良質の肥料になるということを
体験してもらうことで、自然の円環や「資源」について
感じてもらおうというのが、その主旨である。

用意したのは、段ボール、土、米ぬか、未熟堆肥、
そして保育園で出た生ゴミである。
これらを混ぜ合わせて、段ボールに入れるだけというシンプルな作業工程なのだが
子供たちと一緒に土をいじってみると、
ミミズやゲジゲジ、だんご虫等々、結構虫が出てきて
おおにぎわいとなった。
説明として、微生物といった小さな生き物が
生ゴミを分解して、栄養ある土にしてくれる、と話したのだが
まぁ、そんな話は子供たちには解らないだろう。
なので、土をいじってもらって、そこに出てくる虫たちも
そういう分解には、一役買っているわけで、
子供たちと土をいじって虫を探しながら、そんな話もした。

まぁ、発酵していく過程で熱を持つので
それらの虫たちが、いつまでもその中にいることはないと思うけど。

おっきなブロッコリの株まで、そのまま投入してしまった生ゴミ堆肥。
子供たちにする説明では、
「こんなおっきなブロッコリの株まで、きれいさっぱりになくなっちゃうからねー!」
と得意になって話し、子供たちも目を丸くして驚いていた様子だった。
がしかし、
無事に、すべてが分解されるかどうかは、僕自身一抹の不安はある。
まぁ、なるようにしかなるまい。
うまくやれるかどうかなんて、考えても仕方がない。
とにかくこうやってみんなで何かをやることはとても楽しいのだ。
僕には、それで十分な気もしている。
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シンポジウムにパネラーとして参加した。
地域づくり×青年海外協力隊「開発途上国から日本の地域へ」
という名のシンポジウム。

パネラーは多彩。
熊本の芦北町から現職参加で協力隊に行き、
帰国後も町で国際協力や地域おこしを精力的に行っている方。
長岡で子育てネットワークを作り、
既存の組織や団体をつなぎ合わせ、
それらの中では決して実現できないようなことでも
自らの求心力と人づくりで様々な活動を展開されている方。
その方々とのパネルディスカッション。

僕はどちらかといえば、その方々から学ぶことの方が多かった。

行政でやっておられる方の話では、
いろいろな制度を良いように利用しながら
活動の展開が見られたこと。
また、行政として支援していくことはどういうことか
そういった独自の哲学を感じた。
僕の住む自治体に彼のような人間がいれば、と
シンポジウム中、何度も思った。

子育てネットワークを作っておられる方からは
その圧倒的なパワーを感じた。
求心力と強いリーダーシップを感じる人で
ネットワークを運営していく中で、人づくりにも長けている。
既存の組織の中ではできないのであれば、
その外に出て、外からかき回していこうとする情熱には脱帽だった。

これで僕の腹も決まった。
今回は、僕にとっても所信表明のつもりだった。
シンポジウム用の原稿を作りながら、自分の進むべき道もだんだんと見えてきた。
やはり「仲間」だ。
パネルディスカッションだけでなく、
シンポジウムの会場からの話や懇親会での話から
僕はそう強く感じた。

一歩踏み出す時なのだろう。
周りの状況的にも、そういう風が僕に向けて吹いているのを感じる。
トレーニングファーム制度しかり、
広島の農家との出会いもしかり、
そして今回のシンポジウムもしかり。

パネラーや会場の方々からの話の中には
かならずこういう地域づくりのエッセンスを感じた。
人の集まる場を作り、
そしてその過程で、よそものや地元の人合わせて
地域の中につながりを作りながら埋めていく作業。
それは起爆剤となり、内側からあふれ出てくるエネルギーとなり
大きなうねりが作られていく。
僕もそのエネルギーを感じたい。
そう強く思ったシンポジウムだった。
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インドネシア研修生への座学の話。

今年から来たイル君。
さっそく、何を学ぼうと思って来たのか、を先週の座学で話してもらった。
進んだ農業技術を学びたい、というのが
概ねのその内容だったのだが、
その中に、一つ、水耕栽培が入っていた。

僕の圃場では水耕栽培は実践していない。
水耕栽培を僕は否定するわけじゃないが、
現時点で僕自身はそれとは方向性がまるで違っている。
そこだけは解ってもらわないといけないので、
今週は水耕栽培と土耕について、座学を設けた。

農業は自然との格闘である。
ある特定の植物(動物)のみを繁栄させるように
人はあらゆる手段を駆使し、その特定の植物(動物)にとって
有益であるものであれば利用し
無益もしくは害をなすとなれば、徹底的にそれを排除しようと試みる。
そういった行為の連続が、農業だといえよう。
そういう意味で、土耕も水耕もスタート地点に変わりはない。
また自然をコントロール下に置こうという試みということでは
土耕も水耕もやはりその哲学に変わりはないだろう。

ただ、土はとてもやっかいなもので、
なかなか僕ら農民のコントロール下にはおくことが出来ない。
置くことができないならば、いっそそいつと手を切ってしまえ、と考えたのが
水耕栽培なのではないだろうかと愚考する。
肥料を大量に投入したり、土壌消毒をしたり、
虫や病気の嫌いな作物を輪作したり、休ませたり、と
なんだかんだと手を加えながら、土とのお付き合いを
不確実で不安定ながらも続けていくのが土耕なのだろうか。
まぁ、土耕といっても、薬剤(農薬・化学肥料)を大量に使用して、
徹底的に土をコントロール下に置こうという考えも、
現在の僕とは相容れない考え方なのだが。

自然と手を切ってしまうという思想が
ずーっと先まで行きついてしまったのが、
パソナなんかにみられる地下植物工場であろう。
二人のインドネシア研修生にはその写真も見せた。
お互い感嘆をあげ、他方はすごい技術であることを称賛し
他方は行き過ぎたその姿を見て、これはあるべき姿じゃないと言っていた。

研修生の二人は、
「水耕栽培の野菜は、価格が変動せず、いつも高く引き取られています。それに安定した収量が得られるので、導入できれば導入したいです」
とその理由を話してくれた。
かつて僕も経験したのだが、
一月の間に野菜価格が1/75にまで暴落する国なのだ。
そういった環境で農業をしているインドネシア農民にとっては、
暴落しない、安定した出荷と価格が、
僕ら日本の農民には測りえないほど魅力的なのだ。

だがそれは、農業技術で小手先に回避することなのだろうか。
と一瞬考えないでもないが、
政治的に市場的に解決することを待つだけでは
座して死を待つに等しい。
回避出来るすべとして、あらゆることに取り組む農民の行為そのものは
そもそも土耕であれ水耕であれ、
農業という、自然との格闘の中の行為の一つにすぎないのだろう。

そして僕は、そんな環境ではなく、
恵まれた国の、その中でも恵まれた土地で、
そして恵まれたポジションにいながら、
それでもなお、その農業の思想について語らねばならない。
僕の目指す農のかたちは、「多様性」なのだ。
ここで学ぶということは、研修生にはそれを感じ取ってほしいと願っている。

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大手スーパーのバイヤーと
各店舗の担当者が来園。
北陸に11店舗をもつこのスーパー。
すべての店舗の担当者を引き連れ、仲卸も含めて
総勢20名の団体でやってきた。
これほど大きな商談のチャンスは滅多にない。

農園では、生ゴミの堆肥やコーヒーかすの堆肥、牛フン堆肥を見てもらい
それらで栽培されたベビーリーフを始めとする軟弱野菜を見てもらった。

土や虫の話になると最近どうしてもテンションが高くなってしまい、
栽培している野菜についての説明もほとんどせず
最後まで、土や虫の多様性について話をしてしまった気がする。

それでも、その場でベビーリーフなどを収穫体験してもらい
即その場で食べてもらったのだが
どの担当者も、美味しい!と感嘆の声をあげていた。

どうしてこんなに美味しいのか?と聞かれるので、
2つ説明をした。
1つは土。
有機質を大量に含む土で、すこし乾燥気味で栽培することで
風味は強くなる。
2つ目は、仲卸とスーパーのバイヤー相手に言うのもなんだが、流通。
出荷されてから売り場や流通経路でずいぶんと時間がかかり、
消費者の口に入るまで結構な時間が経ってしまうため
味や鮮度が落ちてしまうためであろう。

担当者やバイヤーそして仲卸と、どうにかして美味しいまま届けられないかと話になり、
以前から提案していたバラ売りをやってみようとなった。
ベビーリーフをパックに詰めないで、箱で各店舗に送り
お客さんに試食してもらいながら、
詰めたいだけ詰めてグラム売りするというもの。
土日限定の企画でやってみようかと話が、即まとまった。

美味しいものを美味しいまま届けようという、やりがいのある取り組みは
僕の望むところでもある。
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畑の準備をする。
今年は、むらの休耕田を一枚(2反4畝)借りて
そこで畑仕事をしようと決めていた。
先月の半ばに肥料を入れて、起こし、
そして昨日、トラクターで溝切りをして畝立てをした。
今日は、明日が雨だ、という天気予報を信じて
野菜の苗の定植をした。

圃場では、研修生のH君にイル君、そしてセネガル人のI君と4人で
にぎやかな農作業だった。
植え付けをしたのは、
ズッキーニ、かぼちゃ、フルーツ鬼灯、トウモロコシなどなど。

この圃場では、畝間をずいぶん広く取っている。
横に伸びていく作物が多いというものあるが、
それ以上に、バンカープランツとして、麦やソルゴーを大量に播種しているからである。
アブラバチやヒメハナカメムシといった天敵のすみかになるように
野菜の苗よりも一見すると多いのではないか?と思うくらい
麦やソルゴーを播いている。

それらは、
農薬散布を減らすといった消極的な意味ではなく、
多様性の農業の実践が僕の目標なのである。

ひたすら食べられない麦やソルゴーを畑にまく僕を見て
外国人部隊の連中は(H君、イル君、I君)、
「(場所が)もったいない」を繰り返していた。
うーん、国土の農地面積と人口や保有する優良農地の面から考えれば、
セネガルやインドネシアから見れば、
これもまた日本ならではの取り組みなのかもしれないなぁ・・・。
まぁ、そういうことも考えつつ
今年の畑仕事がいよいよ始まったわけである。
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新年度に入ってから、
セネガルのI君の仕事の態度が俄然変わってきた。
どう変わったのかをいちいち説明するのは難しいのだが
どちらかといえば指示に対して「待ち」の姿勢だったのが
積極的に仕事を探せるようになってきた。
仕事に慣れてきたこともあるのだろうが、
あることを境に、変わったといってもいいだろう。
それは今年度の雇用契約である。

とくに給料や休暇を多くしたわけじゃない。
契約更新時に、僕が彼に期待することと
これから担ってほしいことを語った。(Iくんの奥さんに通訳をしてもらいながら)

それらは簡単にいえば、
いつかは僕の右腕になってほしい、ということ。
インドネシアから来る研修生の兄貴分として
圃場で面倒を見てほしいことや
農園の作業の中で、I君の責任分野の確立(早朝の市場を除く配達作業)など
今後彼に期待すること、また彼がやってみたいということを
契約時に確認できた。

それからだった。
彼のやる気が目に見えて変わったのは。
自分が責任を負うというのは、確かに重荷になることもあるかもしれない。
しかし、それは同時に周りから認められているという期待を背負うことでもある。
自分の裁量でやっていける仕事を増やしてやることが
人のやる気を喚起するのであろう。
そして、その裁量が出来るようになるには、
その人がそれだけ全体を見渡せるような仕掛けが必要になってくるのだろう。

僕もまた同時に、人を育てるということとは何かを学んでいる。

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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

メールは
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