ずいぶんと間があいてしまっていたが
その間も、家づくりは進んでいたわけで、
本日、煙突がついた。

煙突


少々塗装の件が残ってはいるが
これで週明けには、家をぐるっと囲っていた足場が取れる予定となった。
そこで今回は外壁について書こう。

うちの外壁は、南・西面がガルバリウム。
北・東面が上部サイディングでリシンの吹き付け塗装(白)、
下部に焼き杉板を張り付けた。
家づくりの中で外壁は、僕ら夫婦の中では、
どちらかというとあまり意識にはなかった。
というよりも積極的に、コストダウンは外壁で、と思っていたくらいである。

リシン吹き付け


それが設計士さんから、
「外壁には焼き杉なんかどうかしら」と言われてからは
すっかり「コストダウンは外壁で」はどこかへすっ飛んでしまったのである。
それでも、
ガルバリウムは、Kスパンは高いので、四つ折りのものに切り替えたりして
それなりにコストダウンはしてはいる。

焼き杉


外壁にあまり生木は使わない方がいい、と
以前、知り合いからアドバイスしてもらっていたのだが、
ピーラの柱といい、焼き杉といい、かなり木が見えている外装となった。

それを汚れだと思ってしまえばそれまでだが、
経年とともに自然と味を増してくる木の変化を見るのも
そこに暮らす楽しみというもの。

そうそう、
足場が取れる前にと、本日工務店さんと設計士さんとで
外装のチェックをして回った。
外壁の傷、細かな塗装の汚れや雨どい・窓枠のコーキングに至るまで
かなり厳しい目で設計士さんにチェックしてもらい
また工務店さんも誠意をもって対応していた。
毎回思うのだが、この2者のチェック時は、ほどよい緊張感があるということ。
なあなあでやっているのではないというのが
僕には伝わってくる。
技術的なことは分からないが、そういう緊張感の中で
チェックしていただいていることが解るので
それに対して、信頼をしている。

来週は、いよいよ階段とキッチンが取り付けられる。
楽しみ、楽しみ。
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P4220065.jpg

熱くなると、この植物が顔を出す。
名前はスベリヒユ。
(写真の赤い茎の植物)
ロメインレタスの傍に生え始めた。

小さなうちから花をさかせ、
種子生産力に優れ、
光合成能力にすこぶる優れているCAM植物で
畑で増えだすと、手に負えない草の一つ。
つまりは「雑草」ということだ。

ロメインレタスとこの草。
一方は食用で、一方は雑草。
それを分けるものはなんなのだろうか。
美味いか美味くないか、なのか。
いやいやそうじゃないだろう。
スベリヒユは、ヨーロッパやトルコなどでは
サラダ野菜の一つであるし、
日本でも山形などでは、食べる野草として好まれているのだ。

市場がないから?
いやいやそれも違うだろう。
もともと野菜となった植物は、市場があったから
野菜となったわけではない。

たぶんそれは社会的価値の中で
野菜になったか、それともただの草になったか、だろう。
食べられる植物でも、周りの食の常識的価値に
食べ物じゃないとされるものを
人はあまり食べたがらない。
犬を食べる社会もあれば
蛇を食べる社会もあるのだ。

そういう眼差しで
生えてきたスベリヒユを眺めていると
食文化などというものは、なんとも曖昧な「常識」によって
支えられていることが見えてくる。
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トレーニングファーム制度という説明を
県の担当者から聞く。
新規就農者の里親となり、圃場での実践を通して
新規就農者の技術と経営力を高め、
独り立ちするのを助けるというもの。

県が計画した新しい補助事業で、
さまざまな資金的な援助も受けられるようになっている。

本来ならば、行政がやるべき教育部門を
そのまま農家に丸投げした感じはしなくはないが
そもそも歴史的に新規就農者の教育を行政が行っているのは
つい最近のことでもあるので、農家子弟の教育という意味では
再び農家にこう言った役が回ってきたのかという感もなくはない。

トレーニングファームということで
受けた農家には様々な縛りが発生しそうではあるし
そもそも営利目的が特化しつつある農家に、
それを目的として、教育と生産との分業を推し進めていた行政が
(今もそれは他方で推し進めているのだが)
うまい着地点はないものかと、
こういった制度を作ったようにも見える。

かつて僕に行政との付き合い方を教えてしてくれた東京の農家
「目的が合うときだけ、行政と付き合えばいい。違ってきたら、しばらくは無理に付き合わないこと。行政の政策や補助から出発して、自分の農業の形を作っちゃいけない。まずは自分の農業ありきだよ」
と言っていたのを思い出す。
これまで、自分の中ではずーっと先の話として
地域での仲間作りの一つとして、自らが新規就農者を育てていきたいという想いは
広島の農家を見学してから、常にあった。
そういう意味では、この制度を僕が活用しても悪くはない。
時期尚早な気はするのだが・・・。

ここのところ勝負にでる瞬間が多くなってきている気がする。
さて、どうするか。
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04 19
2009

東京より来客あり。
ちょっとした縁で、5月の連休明けの日曜日に
東京のシンポジウムにパネラーとして参加することになった。
地域づくり×青年海外協力隊 「開発途上国から日本の地域へ」シンポジウム
というシンポジウム。

東京から来られた方々は、その事務局をされている方々で
僕が関わっている活動を見に来られた。
今回焦点を当てた活動は、
福井農林高校とインドネシアのタンジュンサリ農業高校との交流事業のお手伝いから、
そこから派生してきたインドネシア農業研修事業、
そしてそれとは別に僕が所属している若手農業者クラブにおける
保育園児との食農体験活動までである。

上記のインドネシア農業研修事業以外は、
僕は一部に関わっているに過ぎず、活動のメインを動かしているのは
それぞれの活動のリーダーだったりもする。
見学に来られた方が、インタビューをとりたいと言うので
福井農林高校の校長先生、担当の先生や
若手農業者クラブの今年の会長さんにお願いをして
時間を作ってもらった。

外部から人が来るということは、
普段の日常の中で起きている活動を(それは僕らにとって普通になってしまっているもの)
改めて日常から切り離して、見つめなおす機会にもなる。
インタビューでは、とても僕が日々の日常において
その方々に面と向かって聞けない話を、
「よそ者」の立場を活かして、掘り出してもらえた。
これらの話が、僕らにとって次につながるものになればと思う。

東京から来られた皆様、わざわざお越しいただきありがとうございました。
インタビューに協力していただいた皆様、本当にありがとうございました。
今回のシンポジウムを良い機会とし
次につながる学びを得てこようかと思います。
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ずいぶんと日数が経ってしまったが、
ブギス人とトラキ人の話をもうひとつだけしておこう。

今年の2月末に、インドネシア・東南スラウェシ州クンダリまで
家族で調査旅行に行った時の話。

食とは何かを知るには、文化を跨いで考える方が
自分たちの食意識やそれにつながる構造的な仕組みも
時にはより鮮明に見えてくることがある。
海外で、異文化ので、はたまた日々の差異の中から、
僕らは些細なことからいろんなことに気づかされる時がある。

クンダリの農村調査でむらの中を歩き回っている時に、
僕はある作物を目にした。
それは「オクラ」。
僕らにとっては、ごく一般的な野菜の一つ。
特に珍しいこともない。
日本的な視点でそう思って歩いていれば、
目の前にとても不可思議なことがあっても
それは認識されることもないまま、通り過ぎてしまうこともある。
ただ、僕には、いやかつての協力隊の同僚の経験として、
(僕には追体験として)
オクラに関しては、すこし苦い思い出があるのである。

オクラは日本人にはポピュラーでも、
インドネシアではそうとも言えない。
中国人や日本人社会で一部流通もみられるが
僕が長く滞在した西ジャワや南スラウェシでは、
ローカルの市場やスーパーではほとんど見かけることがなかった。
そのオクラを野菜隊員であった同僚は、普及させようとしていた。
一緒に活動していた農家の圃場で、栽培は簡単にできたのだが、
結局、売り先が見つからず四苦八苦していたのを
今も覚えている。
(ちなみに後任の隊員も同じ苦労をしていた)

オクラは日本ではごく当たり前の食べ物でも、
インドネシアではあまり見かけない野菜の一つだったのである。
そのオクラが、クンダリの村の庭先に無造作に植えられていたのである。

その翌日。
ブギス人とトラキ人の農家に集まってもらって
水田稲作とサゴヤシ、陸稲、トウモロコシ等の主食に対する文化的な価値について
聞き取りをした(その1、その2を参照)。
ある程度、満足いく答えを得た後、
雑談的に、前日に見かけたオクラの話を農家にしてみた。
すると驚く答えが返ってきた。

トラキの農家は、
「あああ、それは家庭菜園でよく作っている『コピガンジャ』っていう作物だよ。沢山とれれば、近くの市場に売ることもある。うちで取れないときは、他でもらってきたり市場で買ってくるよ。スープに入れたりして、よく食べる野菜だよ」
と答えた。
それを聞いていたブギスの農家は
「え!?コピガンジャ?聞いたこともないし、見たこともない。もちろんそんなもの食べたこともないよ。」
と言っていた。
トラキの農家がブギスの農家に、その野菜(オクラ)を説明すると
ブギスの農家は
「あああ、あれか。トラキの家のそばに生えているのは、よく見かけてはいたけど、あれって食べる野菜だったか。勝手に生えていると思っていた。近くの市場もよく行くけど、今まで気がつかなかったよ」
と笑っていた。
そしてさらりと
「あれってあんまり美味そうじゃないよな」
とも言っていた。

そのブギスの農家は、クンダリの村に移住して来て
すでに21年が過ぎようとしていた。
地元のトラキを見習って、ここの人間になるつもりで
移住してきたとも語っていた彼らだったが、
トラキが普段からよく食べているオクラには気がつかなかったようである。
そもそも食べ物という認識もなかったようだ。

この話は別にそれら農家が、そこの人間になる、という意思が
強いか弱いかという問題ではなく、
また、相手から学ぶ姿勢がなかったということでもない。
この話から見えてくることは、
食に対する意識などは(食文化と呼ばれているモノも含めて)
社会のどこか公のところに鎮座ましましているわけではなく
個人の食卓もしくは台所という、私的な領域の中で形成されるという
とても当たり前のことなのだが、意外と無視されやすい事実なのである。

何か公に大々的に喧伝して、食文化を作り上げていったわけでもない。
個々の食卓を通じて、その日その日に食べられてきたものを
同じようにして食べていく中に、食の文化がはぐくまれていっているのである。
当然、各種メディアや噂や啓蒙活動等などを通じて得られた情報が
食卓を変えることがあるかもしれない。
しかしそれらが根付くのも、
やはり日々のその日その日を食べていくという実践の連続の中でのことである。
もちろん、個々の食卓とは、家庭とも限らない。
だた言えることは、僕らは何かに価値を置き
それを食べ続けることで(もしくはそれを食べないことで)
食に対する意識や価値を際立たせ、
そのまだら模様の意識と価値が、その地方、その民族、その国という
とても曖昧な枠組みのなかで、
輪郭がかなりぼやけながらも「食文化」というものを
を作り上げているにすぎない。

1日1回はサゴヤシを食べ、白とうもろこしと陸稲の方が水稲よりも旨いという価値を持ち
オクラを日々の副食として食べ続けているトラキの農家から
そして、何を食っても米を食わなきゃ、飯を食った気がしない、と言い放ち
オクラを「あれは美味そうじゃない」と言い切っていたブギスの農家から
学ぶことは多い。

トラキ人は、水稲は味は落ちると考えているが、労働効率が良いので、
JICAや政府が進めていた開墾事業をとても良く評価している。
ブギス人は、米食に至上の価値をおいているため
当然の如く、それらの政策を大歓迎している。

昔から権力というものは、民衆の腹を満たすことが至上の目的であった。
だから米食を最も大事な主食と認識している政府が、
水稲にかける情熱と資金は豊富となるのは当たり前といえよう。
しかし、それは一概に、民衆も同じように水稲に最も価値を
置いているとは限らないことは、これまでの事例でも明瞭である。
それでも水稲を望むのは、
それぞれの理由や翻訳があり、そしてそれで水稲の素晴らしさを(権力が思うような価値)
すべて受け入れたこととは別の話なのである。

食べ続ける中にこそ食の意識がはぐくまれ、
それが輪郭はぼやけていてまだらではあるが、
食文化というものが、地域や民族や氏族の中に見えてくるのではないだろうか。

振り返って、同じ目線で僕のいる社会を見渡してみると、
昨今、食に対する関心は社会では高いように見られる。
がしかし、それらは、日々の食べ続ける中に意識があるというよりも
各種メディアが「食育」や「大食い」などといった両極端に振れながらも
それらはどこかバーチャル的かつ理想の押し付け的にも感じる。
食に対する充実感の薄れなどと言われて
権力が食育基本法などというものを作り上げ
その中で派生してきた「理想的な食」が独り歩きしている現状は、
僕には、それは多様な価値にあまり重きを置かない水稲を推し進める開発プロジェクトと
なんの違いがあるのだろうかと思えてしまう。
良いところどりで、人々がプロジェクトを翻訳している間は良いだろう。
しかし、全体主義的に価値が固定化されていく閉塞感を
今の日本の社会、特に食に関しては感じる時がある(特にネットの中)。

僕もブギス人やトラキ人の農家のように
日々食べるという実践の中から、
僕なりの価値を大事にしていきたい。
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インドネシア研修生の二人目が来る。

一人目であるH君の一つ下の後輩で
H君とは、高校時代、寮で同室だった子である。
名前は「イル」君とでもしておこうか。

さてそのイル君。
どんな容姿なのかは、僕はインドネシアの農林高校から送られてきた履歴書で
だいたい分かっていたのだが、
農園のパートさんたちはそれを見ていないので、
気になっていたようだ。
以前からH君に
「イル君ってどんな感じの子?」
と皆で尋ねていた。

それに対し、H君の答えは大胆だった。
「イチローに似ています」。
H君は野球の野の字もしらずに来日したのだが
(インドネシアでは野球はマイナーなスポーツ)
毎日ニュースで映るイチローの顔だけは覚えたようで
イル君がイチローに似ていると放言していた。

そして今日。
イチロー・・・じゃなくて、イル君は来福したのである。
長旅の疲れと知らない国に来た緊張からだろうか
表情の少ない硬い面持ちだった。
皆、イチローに似ているかどうかを知りたくて見に来たのだが
「うーん、輪郭はなんとなく・・・」
「目もとが、イチローって言われればそうかなぁ・・」
といった感想だった。

なんて言われようと、H君には待ちに待った待望の相方なので
とてもうれしそうに、そして甲斐甲斐しくイル君の世話を早速していた。

イル君と少し話をしたが、
今回の研修応募では、やはり大学を中退したとのことだった。
親が死んでも帰らなかったり、
大学を中退してまで参加してきたり、
なかなかこちらもそれ相応の覚悟が必要な研修になってきたようだ。
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若手農業者クラブの会合がある。
今年一年の予定を話し合う会だった。
配られた活動予定表に毎年同じ事が書いてあったのは、一昨年までの話。
昨年、初めて取り組んだクラブでのプロジェクト(田んぼまつりを参照)。
それが今年は形を変えて、また続くことになった。

いろいろと準備や運営で大変だったクラブでのイベントだったのだが
その中で僕自身が得たものは大きかった。
そして同様に、クラブのみんなが得たものも、やはり大きかったのだろう。
だから今年の会長や他のメンバーから、
「今年もするよ」
という話を聞いた時は、とてもうれしかった。

会合では、あまり活発な意見が交わされなかった昨年とは違い
今年は、各クラブ員からいろんなアイディアが飛び出していた。
瑣末な技術的問題は残るものの、
そんな話は些細なことで、
みんなが同じ地平を眺めながらの話し合いは、とても楽しい時間だった。
今年もこうした活動を通じて、『農』について考えられたらと思う。
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へこむことがあった。
インドネシア農業研修生のHくんの母親が亡くなったのだ。
H君は僕の前では気丈にふるまっていたが、
H君が仲良くしている同じ研修生仲間から電話があり
「彼が母親を失ってわんわん泣いている」と教えてもらった。

母親が亡くなったという知らせをもらった時
即、一時帰国を促したのだが、H君は
「その必要はない」と言うばかり。
そこで、留学時代からの友人で、
この研修事業の農村調査を担当してもらっているアニ女史(インドネシア人)に
相談をした。
彼女は、H君と同じエスニシティ(スンダ民族)で、
同じイスラム教なのである。
アニ女史曰く
「ここらの場合、人が亡くなったら、午後4時前であればその日のうちに埋葬してしまうのが常。4時以降でも、次の日の早朝には埋葬してしまう。葬儀の儀式もその埋葬時に行ってしまうので、本当に身近にいる親族や友人しか葬儀(埋葬)には参加できないのよ。H君の場合も、彼の意思決定を尊重すればいいと思う。帰りたければ帰ればいいけど、帰らなかったからと言っても支障はないはず。メンタル的にはつらいだろうけど」
とのこと。
H君の母親は、H君が幼いころに父親と離婚し、その後即再婚している。
そういう事情もあり、H君自身が母親の所に帰りにくい環境であることも
H君が帰ろうとしない理由でもあるようだ。

インドネシアの研修生は、研修期間は3年間。
いつかこういうこともあるだろうとは思っていたが
まさか、一人目でこういうことがあるなんて。
僕の企画する研修で、親の死に目に会えない子を出してしまったことに
申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

一緒に働いているセネガルのI君もちなみにイスラム教。
I君も
「人が亡くなったら、即埋葬してしまうから、急いで帰ってもお墓しかない。意味がない」と言っていた。
日本の場合、実子が戻るのを待って葬儀が執り行われるのだが
随分と差があるようである。

帰らないと決心したH君。
だから僕は彼の決定を尊重して、もうこれ以上は言わない。
残りの研修期間が、彼にとって素晴らしい時間になるよう
僕は研修内容の充実に全力を尽くすだけなのである。
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日曜日から、農薬の本格的散布を再開した。
僕の農園では、虫が活動を停止する冬の間は、
農薬の散布をほとんど行っていない。
昨年の11月初旬に最後の散布を行ってからこのまえの日曜日まで、
ほとんど散布していなかったのである。

僕の主力作物はベビーリーフ。
なので、それにつく虫の駆除が農薬散布の最も大きな役割となる。
キスジノミハムシ
コナガ
カブラハバチ
イチモンジハマダラメイガ
などなど。
まだまだ種類をあげたらきりがないほどいるのだが
だいたいこれらの虫だけを繁栄させないことが
農薬防除の役割となる。

コナガやカブラハバチ、イチモンジハマダラメイガなどの
鱗翅目は、微生物農薬などでまさにその虫に対してピンポイントで効く農薬もあり
発生時期を見過ごさなければ、それほどひどい被害にはならない。
しかし、キスジノミハムシに効果がある微生物農薬はなく
僕はネオニコチノイド系の農薬を使用している。

さて、このネオニコチノイド系の農薬。
最近ちまたで風当たりが強い。
昨年に出版された
『悪魔の新・農薬「ネオニコチノイド」―ミツバチが消えた「沈黙の夏」』
が、その引き金になっているのだろうか、
ネオニコチノイドに対する批判が多くなってきた。
この本や巷の批判を眺めていると
どうも食べる側と作る側との間では
究極的に突き詰めてみると、
食べる側にとって最終的な目的である「人間の健康」と
作る側にとってもっとも重要だと思われる「自然との調和」において
この2つの目的が、一つの食べ物を対象として
必ずしも一致しないのではないだろうか
と思えてくるのである。

人の健康とは何かを僕ごときが語ることはできないし
自然との調和にしても同じことではあるのだが
すこし思うところもあり書いてみよう。

ネオニコチノイド系農薬に対する批判は
風潮としては第2のDDTを探しているような感じで
薬剤の危険性、人間に対する健康被害の可能性、そしてその強いとされている農薬が
環境を破壊して、沈黙の春ならぬ沈黙の夏がくると批判している。
それが本当かどうかは、僕は科学者でないので分からないし
嘘かどうかも見破ることは難しい。
なぜならそういう批判には、僕らの思考能力では判断できないほどの
科学的データが満載されており(しかも言語まで多様)、
到底検証できない。
そしてネオニコチノイド系の農薬が安全だと主張する側も、
同じように科学的データを満載して反論している。

さて、その一方。
ネオニコチノイド系の農薬は、IPMの文脈で多く紹介されてきた。
Integrated Pest Managementの略語で
総合的病害虫管理と訳されることが多い。
どういうものか簡単にいえば、農薬散布を主力としないで
天敵利用や耕種的防除(いろんなものを作りまわす、もしくは混作する)も取り入れて
自然の力を利用して病害虫の発生を減らしましょう
という考え方である。
一応、農薬も散布するのだが、
それにしても天敵などの有益な生物に影響の少ない農薬を選んで利用するのである。
農薬散布だけの防除時代から見れば
IPMの考え方は別のベクトルに向かっているといえよう。
農薬だけの防除は、究極的には、圃場における作物以外の生物の否定であり
IPMの実践は、自然の力を利用し、その均衡を保とうという考え方でもある。
そしてそのIPMの中で、ネオニコチノイド系の農薬が紹介されることが
多かったのである。

ネオニコチノイド系の農薬は、
有機リン系・カーバメート系・合成ピレスロイド系の農薬と違い
すべての虫が死滅してしまうわけではない。
もちろん接触毒もそれなりに効果があるのだが、
クモ類などの天敵には、上記の3系統の農薬よりも影響が少ないと
圃場で実際に散布していて、僕も思う。
作物に害を与える虫だけに影響があり、
周りに住んでいる天敵や「ただの虫」には影響が少ないのである。
圃場は、どうしても自然じゃない。
ある種の植物(作物)だけを高密度で育つように人が手を入れているため
それを食べる虫も、自然状態ではありえないほど発生してしまう。
その狂ってしまった均衡を総合的に戻してやろういうのがIPMで、
その中で紹介されてもおり、僕自身も実践しながら効果があると思っているのが
ネオニコチノイド系の農薬なのである。

僕ら農家は食料を生産しているので
当然、その安全性をどこまでも追い求めなければならない。
だが同時に、僕は
無菌室の人工光の中で作られる食料を理想としているわけでもない。
自然の均衡を大切にしながら、ある種の虫だけが大量発生しないように
生物多様性を守りながら作業しているのである。
しかし残念なことに農薬の議論は
常にその農薬の安全性に収斂してしまい、
全体の風景は見えてこないのでる。

人の健康を究極的に詰めていけば、行きつく先がもし
無菌室の人工光で作られる食料だとすれば、
やはり僕は、人の健康とは究極的なところで
目的を同じに出来ないと考えてしまう。
科学が正確に実在する世界(僕らが認識している世界)を描き出せるかどうかの議論も
結論がない中途半端なまま
ネオニコチノイド系の農薬に対する議論は、
科学的なデータの応酬の中で
その農薬の化学構造と人間の神経構造の間でせめぎ合っている感する。
(本当に危険なのかどうか分子レベルでの議論に集約されてしまっている)

それを横目に
僕ら農民は、待ったなしの圃場で途方に暮れるわけにもいかず
自分の学問と経験と信念を持って
農薬の散布をするかどうかを選び
散布する農薬をどれにするのか選ぶのである。

僕は先日の日曜日に、ネオニコチノイド系農薬の散布を
今年も開始した。
もちろん喜んで散布するわけじゃない。
だが、虫を死滅させようとして散布するわけでもない。
狂ってしまっている自然の均衡を
ほんの少し戻そうと考えてのことである。
これ以上に
他に良い方法があれば、誰か教えてほしい。
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インドネシア研修生への座学の話。
今回は特別講師ではなく、通常の座学。
座学にも2パターンあって、
農業の事例本(漫画仕立て)を読んで考察をする回と
日々の実習の成果を毎月レポートにして話し合う回とある。
今回は、毎月の成果レポートについて話し合う回。

春になれば農作業も忙しくなる。
特にこれから夏秋作へ向けての土作りも本格化してくる。
またジャガイモやブロッコリ、レタス、カリフラワー、キャベツなども
播種または定植があり、作業内容もバライティーに富んでくる。

そんな日常の中でH君が想い、今回話し合ったことは「肥料」だった。
僕の農園では、化成肥料は一切使用しない(農協出荷の田んぼを除く)。
有機質肥料ばかりで、生ゴミから作られた堆肥やコーヒーかすの堆肥
それと牛フン堆肥を使っている。
さらに、アグレットなどのタブレット状になった有機質肥料も使用している。
H君が目を付けたのが、タブレット状になった有機質肥料だった。

インドネシアにもタブレット状の有機肥料がないわけじゃないが
あまりに高価で、一般の農家がホイホイと使える代物ではない。
日本の場合、アグレットなどのタブレット状有機質肥料は、
それほど高いものではなく、化成肥料と値段を比べても
安いくらいなのである。
(まぁ、鶏糞などから比べたら高価ともいえるのだろうけど)
タブレット状になっているため、畑への施肥も楽で
使い勝手もいいのである。
それが化成肥料よりも廉価に手に入る日本が羨ましかったらしい。

さらにH君が羨ましがっていたのは、有機質肥料と言えども
NPK(窒素・リン酸・カリ)の成分比率が記載されていたことであった。
「成分比率がはっきりしていれば、作物の状況を見て、NPKの足りない物だけを補えるので、化成肥料から有機質肥料への転換がスムーズにできます」
と言っていた。
なるほど。

だが、そのインドネシア農民に広く流布されている
「作物のNPKの何が足りないからそれを補う」という考え方は
すこし正すべきであろう。
もちろん、僕も作況に応じて、NPKだけにとどまらず微量要素等の
再投入も検討していることは確かだが、
肥料と作物の究極的な関係は、作物に主眼を置くのではなく
土に主眼を置くものだと考えている。
足りないものを補うのではなく、
それは、豊かな土を作り上げていく全体のプロセスの中での
1シーンでしかない、と僕は思っている。
そしてそれらは、無機質的なもののみで評価されてはいけない。
当然それらも大切ではあるし、物理的硬度なども加味しないといけないのだが
それにも増して、土の生物種が多様になることをもって
豊かな土作りとしなければいけないのだ。
僕はその話を朗々とH君に語って聞かせた。

彼は一通り聞き終わると、こう言った。
「でも僕らの持っている農地は、小作として借りている土地が多いですし、借金の担保で他人が耕作することも多いです。そんな農地では、子々孫々に続いていく豊かな土作りの発想には立てそうもないです。とにかく今、出来るだけ収穫すること以外には考えられないのではないでしょうか」。

金槌で思いっきり頭を殴られた気分だった。
そうなのだ、インドネシアの農地問題では
自作農家の土地面積が少ないこと(特にジャワ)、
そして相互扶助のシステムでもあるのだろうが
互いに農地を貸しながら、収穫物を半分ずつにするシステムもあり
また小作や単に農業労働となっている人も多い。
土地も持ち主が流動的で、借金の担保で数年は耕作者が替わったり
小作の場合、一定の土地をずーっと借りていられる保証もない。
インドネシアの社会制度の中で、
耕作者の耕作権というものが確立していないのである。
だから、借りられた今、耕作している今、に特化して
すこしでもその土地から収奪できるように、化成肥料のみを
大量に施肥し、土作りを無視して、収穫物が少しでも多く取れるように、と
そういう考え方になってしまうというのも、
化成肥料や化学農薬を大量に使用する農業になってしまっている一つの要因といえよう。
農地は財産ではなく、それはただ単に収奪する対象となってしまっているのだ。
それを財産として保障してくれる耕作権は存在しないのだ。
(土地を不動産としての財産にしてくれるシステムはあるのだ)

有機農業の議論をその技術的なものだけに絞っても
なんの解決もしないだろう。
僕らは、もっと大きなテーマで話し合わないといけないようだ。
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先日、ハウス内を荒らすもぐらを2匹取った。
それで600円を得た。

うちのむらでは、もぐらに懸賞金がかかっている。
1匹につき300円。
僕の父が幼かった頃は、50円。
昔の方が幾分、その首にかかっている金額が大きいようにも思われるが
現在でもこの懸賞金は続いている。

どこの制度かというと、うちのむらの制度。
むらの盛金(町内会費とでもいうんだろうか)で、運営している自治会が
予算としてもぐら1匹に300円の予算を盛り込んでいる。
まわりの村には、こういう話は聞かない。
うちのむらだけにある制度で、
それは婆さんや近所のおばちゃんが生まれる前からあったらしい。

僕も幼かった頃、この制度でずいぶんとお小遣いを稼いだことを覚えている。
小学校高学年にもなると、自分でもぐらのわなを仕掛けたり
よその畑で仕掛けられた罠にかかっているもぐらを勝手に貰って
それを自治会長さんの家に持って行って、ずいぶんと稼いだ記憶がある。
なにせ1匹300円なのだ。
10匹もとれば3000円になる。
小学生には十分すぎる金額だった。

そのもぐら、ずるいことを考えるやつも昔はいたようである。
もぐらを取って、自治会長さんから300円もらうと、
自治会長さんの家にもぐらがたまってはたまらないので
取った本人が処分することになっている。
そのルールを逆手にとって、
何度も同じもぐらで300円をせびる人がいたとか。
そういうこともあり、ルールが変更され、
自治会長さんに見せた後、自治会長さんがもぐらの後ろ脚1本を落とし
もぐらは取った本人が処分し、自治会長さんは後ろ脚1本を処分する
ということになった。

ただこの作業、やりたがる自治会長さんが少なくて、
自治会長の代によっては、後ろ脚だけもってきてください、と
公言していた人もいた。
その時は、1匹取れれば足は4つあるので
4匹分にごまかせたとも聞いたことがある。
(もぐら1匹で1200円!これで商売ができそうなくらいの単価だ。)

さて、この懸賞金制度。
なぜうちのむらだけにあるのか。
それは、風土に大きく影響されている。
うちのむらは、大河九頭竜川の辺に位置している。
さらに、その川の流れを遮るかのように、川向かいには山がある。
その山に川がぶつかり、うちのむらをぐるっと回るように
川がカーブをしているのである。
そのカーブしている所に、
山から運んできた栄養豊富な沖積土の土地が
広がっているのである。
砂地の栄養豊富な土壌は、田圃にはならないが
畑にすれば、これほどよい土地はない。(特に根菜類)
その豊かな土地が、昔からうちのむらを
野菜づくりの産地として特徴づけてきた。
そして畑地にとって一番の大敵が、もぐら。
先人たちは、もぐらの駆除を推進するために
その首に懸賞金をかけてきたというわけである。
畑地でも、うちのむらはごんぼ(ごぼう)の産地だった。
もぐら自体は、ごんぼを食べはしないのだが、
もぐらがあけた穴にねずみが住み着き、
ごんぼを片っ端から食べてしまうのである。
そういうこともあり、もぐらを目の敵にしていた。
(ねずみについては、むらで集団駆除を別に行っている)

現在では、その畑作もレタスに変わり、もぐらをうるさくいう人も少なくなった。
そのレタス作りも、年々、後継者がなく、やめていく人が多い。
ごんぼを販売目的で作っている農家もうちだけになってしまった。
今年に入って、川辺の一等地を全部うちに貸してくれる農家も現れる始末。
それでも、毎年10匹前後は、
自治会長さん宅まで持ってくるという。(そのうち半分が、僕や父なのだが)
もぐらには平和な時代になったということだろうか。
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先日家づくりの打ち合わせがあった。
参加メンバーは、ぼくら夫婦と
設計士さんと工務店さん、電気設備屋さん、薪ストーブ屋さん。
2週間に1回の割合で、現在建築中の家について
さまざまな決定を行っている。

この打ち合わせはなかなかタフで、
4時間ぶっ通しで行われ、建材の仕様や色、配置等の確認など
かなり細かな部分まで話し合われるのである。
打ち合わせの始まりは、集中力もあって良いのだが
後半になると、そもそも何を決めたのかも分からなくなるくらい
疲れる時もある。
住宅建築というのは、なかなかに骨の折れる仕事で
こんな仕事に携わっている業者さんは、
本当に大したものだと、打ち合わせの度によく思う。

さて、今回の決定で自分の中では大きかったものに
1階のリビングの天井材がある。
家づくりの打ち合わせ初期の頃、
天井なんてクロスを張るだけだと考えていた僕らに
設計士さんから「板張りにしたいですよね」と提案されて
そうなったら素敵だなぁ~と思っていた。
しかし、仕様書が出来上がると
LDKの天井材は「シーリングアート・ロング」と書かれていたので
板張りではないことは解っていたのだが
それがどういう建材で、どういう質感を持ったものなのかは
皆目見当もつかなかった。
そして、今回の打ち合わせ当日、その天井材の見本を見せてもらった。

その感想を述べる前に、
なぜ「板張りにしたい」から「シーリングアート」になってしまったかを少し書こう。
その経緯は薪ストーブにあった。
昭和25年の建築関係の法律で、薪ストーブは裸火扱いになるため
キッチンと同様、内装材(天井・壁)に不燃材もしくは準不燃材を
使用しなければならない。

これらの法律は、2階への延焼をさけることが目的とみられるが
薪ストーブ使用での火災事例をみると
煙道火災や、ストーブ設置がしっかりしておらず低温炭化による火災などの
事例が目立ち、
薪ストーブ本体から火が出て火災になるというケースは
ほとんどない。
そのため、法律上の解釈通り、薪ストーブが裸火扱いでいいのかどうか
という議論があるのだが、昭和25年に決められてからは変更がないものだから
現在でもこの法律が適用され、
「板張りにしたい」から「シーリングアート」へと仕様の変更が
設計打ち合わせ中におこったのである。

今回、シーリングアートの見本を見ながら
4色の中から選んだのだが、
どれも本当の板張りに比べたら、当然のことながら質感がなく
すこし残念だった。
リビングやダイニングの天井が標準の家よりも高く設計されている分
質感はそれほど気にならないかもしれないが
それでも30畳ほどあるLDKの天井を
その材質ですべて覆うので、全体としての仕上がりが少し気になるところもある。
長野では田中康夫知事時代に、薪ストーブやペレットストーブに関しては
火気使用室には該当しない(つまり薪ストーブの内装制限撤廃)との決定が
下されたとのことで、あっちの県では制限なしで内装材が選べるのだとか。

何十年も前の法律上の解釈(それが正しい解釈ならいいのだが)に、
今も翻弄されるのは、何となく理不尽に思う。
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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

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