勉強会を開く。
といっても、参加者は
僕と研修生のH君、そしてセネガルのI君の3名。
講師は、I君の妻であるAさん。

H君のために行ってきたこれまでの座学。
日本とインドネシアだけを比べていても、やはり見えてこないものも多い。
自分の立ち位置を読み取るには
やはり測量と同じ3点を知るというのと同じで、
文化や農業も点を多く知れば知るほど、自分の位置が際立つというもの。
そこで、外部講師として、今回はAさんにセネガルの農業と文化について
話をしてもらった。
H君が学ぶことが主眼だが、
どうせなら僕も何か学びたいと思っていたので
まさにこの会はそういう機会になった。

さて、Aさん。
セネガルに食用作物隊員として2年数か月派遣されていた。
飲み会等で、これまでAさんからは簡単に活動の話を聞いていたが
しっかりと話してもらうのは今回が初めてだった。
僕ら協力隊OG・OBは、人前で経験を話す機会は多いものの
隊員間でその経験のやり取りは少なく、
また活動に特化した専門的な経験談をすることは、
意外かもしれないが、ほとんどないのである。
総合学習や国際協力などという文脈でしか語らせてもらえないため、
実は、農業なら農業の専門分野で意見交換する機会は
これまで少なかったのである。

Aさんの話は刺激的だった。
セネガルの農法的な話や土の話、
ボカシ肥の普及活動や、女性ばかりの農家グループとのやりとり、
さらにはフランスかどこかの援助で作られた
農業用水道施設付き圃場での取り組みなどなど、
刺激的な話が多かった。
なかでも驚いたのが、
周りの貧困農家たちが、農業資金を貸してくれとAさんに何度となく
言ってくるので、終いにはAさんは自分のお金を融資して
貧困農家のグループを作り、
マイクロファイナンスの貸し付けをしてしまうという話まであった。
自分のお金を出すという行為は
協力隊の間でも結構議論されていたことで
僕は協力隊当時は、そういう行為に対しては反対の立場だった。
Aさんのマイクロファイナンスは、その後3年間は続いたという。
特に組織強化の活動や資金運用の強化活動をしたわけでもないのに
Aさんと農民との信頼関係において、その活動は健全に3年間も続いたのである。
それだけでも驚きだった。
「本当は農家自身が出資してもらうことも大事なんでしょうが、そのお金すらないような人も多かったので、結局は自分がお金を出しました」
と、さらりと言うAさんは格好良かった。
清濁を併せ呑むような、
そして何よりもフロンティア精神に溢れたそれらの活動内容は
こうあるべきと思っていた僕には、大きな学びになった。

H君も講義後、
「日本とインドネシアとセネガルの3つを比べることができて面白かったです。比べる作業はとても勉強になりますね。」
と感想を述べていた。

また講義前は、参加者持ち寄りでそれぞれの国の料理を
1品ずつ持ち寄ったのも楽しかった。
こういう会を1カ月か2か月に1回はやっていきたいと思っている。
次回は、ボリビアやマダガスカルの農業隊員OG・OBにお願いしようと考えている。
もし近くにいて、参加してみたいという人があればご連絡ください。

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酒を飲む。
といっても、ほとんど毎日、晩酌をしているのだが、
そういう酒ではなく、
友人達と語り合いながら酒を飲んだ。

子供が生まれるまでは、そういうことは日常茶飯事だったのだが
娘が生まれ、妻が県外に就職してからは
そういう機会がすこぶる減った。
だから一度飲みに行くと、話は尽きない。

今回は、知り合いのシェフと初めて会うシェフ、
それに農業の仲間たちと野菜のネット販売の社長という
なんとも変な組み合わせ。

シェフたちからは、根セロリや赤セロリ、フルーツホオズキなど
僕が栽培してきた野菜について、
食べる側からアドバイスをもらうことができ、
その刺激が、僕の栽培意欲をさらに高めてくれた。
また農業の仲間たちは、昨年の保育園の田んぼプロジェクトでの中心人物たちで
今年もこの仲間たちと形は変わるだろうが
何が面白い事が出来そうな予感がした。

たまには朋と酒を酌み交わすのも良いものだ。
原稿の締め切りが近いにもかかわらず、
僕を家事と育児から一時だけでも解放してくれた妻へ、
ありがとう。
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家づくりも進み、いよいよ断熱材が入ってきた。
設計前段階から、妻も僕も
「これから建てるのなら、高気密高断熱の家だ!」と思っていたのだが
以前、日記にも書いたように、
高気密高断熱はやめることにした。
断熱材も従来通りのグラスウール。
方向転換をしたわけは、以前にも少し書いたと思うが、
ここでまとめておこうかと思う。

断熱材


まず大きな点として、予算の限界。
まぁ、これがほとんどの理由といっても過言じゃないだろう。
高気密高断熱にするには、発泡ウレタンなどを吹き付けて
とにかく外気が入り込むのを防がねばならない。
それと熱橋となるサッシ類も断熱もの(高価)にしなければ、意味がない。
そして最大の難点が、柱も壁もすべてに発泡ウレタンを吹き付けるため
解体したり移設再利用しようと思った時、
それらの建材はすべて「ただのごみ」になってしまうということである。
これも将来に大きな負債を残すことになるので
ぼくらは高気密高断熱をあきらめた。

もう一つの大きな理由に、
高気密高断熱の考え方があろう。
24時間換気機能を備えているからといっても
建物が息をしていない構造、というのは、それがいいのかどうか考えてしまう。
(隙間風がピューピュー吹くような家は、ちょっとごめんだなのだが)
また娘がダニアレルギーということもあって
高気密高断熱の家は、一年中ダニが繁殖しやすい環境であるため
これも断念の理由となった。

建物をすっぽりと囲ってしまい、
外と中との環境をふさいでしまうという考え方は、
自然から生活環境の切り離しでもあり、
その弊害として、ダニやカビのみが独り勝ちをする環境を
作ってしまっているとも言えよう。

僕は農家だ。
農業にもいろいろな考え方があるが、
僕は、出来るだけ自然の均衡を利用した農業を実現したいと考えている。
もちろん僕の農業は、近代的な技術を使い、
化石燃料を大量に消費しなければ成立しない農業であることは
自分も自覚しているのだが、
それでも、できるだけ長く長くこの地で農ある生活を営んでいけるよう
近代的な技術と自然のサイクルを少しでも融合させようと
努力はしている(つもりだ)。

圃場のあちこちにいろんな虫の住処になるような作物(麦やハーブ)などを
植え込んでいるのも、そのためであるし
名前も知らない「ただの虫」までもを殺傷することないように
使用する農薬は厳選している。
当然化成肥料はほとんど使用せず、有機質肥料を土壌分析に合わせて投入してもいる。
それらは農薬散布を減らす、や、化学的資材の投入を減らす
という消極的な意味ではなく、
生態系のダイナミズムの中で、作物という自然物を育てるという生業を
未来永劫などと大げさにではないのだが
せめて僕が見渡せる世代までは続けていけるようにと思ってのことである。

そうした見地に立てば
高気密高断熱の考え方そのものが、異様に見えてくることが
僕にはあるのである。

そこまで言うのなら
断熱材なんかやめてしまえ、と言われそうだが
自分の中では、それも一瞬考えた。
ただ、やはり寒いのは嫌だなぁ、と
煩悩ももたげてきて、断熱材は使用することに。

壁内の湿気によるカビの繁殖を気にして
一時は、リサイクルできる断熱材を利用しても、
防湿シートで家すべてを囲んでもらおうかとも思ったのだが、
それではやはり息ができない家になってしまうことには違いなかった。
壁の中の湿気の対策としては、
すこしでも熱を伝導しないようにとグラスウールを高性能のものにしてもらった。
それで解決したわけではないということは
僕も重々承知している。

すべての問題に答えを出せる工法はない。
あれこれと勉強をした今、
僕はそう思っている。
なので、ある程度納得いく仕様にしてもらったら、
あとは僕らの暮らしぶりが
家を快適なものにするかどうかの鍵になるのだろうと思う。
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江掘りがある。

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この日記に、もう何度と書いたこのむらのイベント。
一年に一回、むらの農協青年部で、用水路の清掃をするというもの。
春の稲作に向けて、これから用水に水が入るわけだが
その前に、用水路をきれいにしようと、毎年行われている。

今年、僕はむらの青年部の部長をしている。
なので、いつにも増して、江掘り実施には力が入っていた。
江掘りにあたっての青年部員新人勧誘を行い
今年は3人も新人を迎えることができた。
新人の一人は
「何のためにそんな部に入らないといけないのですか」
と率直に質問する人もいた。

水取口の用水路の清掃は、
本来ならば田んぼを持っているすべての人がするべきなのだが
それを若い力でやろうというのが、うちのむらの江掘り。
さらに、むらの生活排水路も清掃するので、
本来ならば、むら全員でやってもいいことなのだろう。
ただ、年寄りにそれをやれというのはなかなか酷な話でもあるので
各家庭の適齢期の若者が、青年部に入って
江掘りをするという形になっている。
それが不変のまま進むことはないだろうが、むらのことをその時々の
若い力に受け継いでもらって、江掘りをしていってもらえたら
どんなに素晴らしいか、と僕は考えている。

さて、今年の江掘りには研修生のH君やセネガルのI君も
助っ人として参加してもらった。
むらの人との交流にもなるし、むらのことを知るチャンスにもなる。
そして僕らが彼らの国や文化や習慣を知る機会にもなるのだ。

さっそく江掘りをしながら、Hくんからインドネシアの江掘りの話を聞いた。
インドネシア・ジャワでは、ゴトンロヨンと呼ばれる相互扶助の文化がある。
このゴトンロヨンの一つに、用水路の清掃もあるらしく
清掃の頻度は、うちらのむらのように1年に1回ではなく、
2週間に1回とのこと。
やたらと頻繁に行っているので、どうしてなのか尋ねてみると
まず水路がコンクリートで固められたものではなく、土のままであるため
比較的崩れやすいこと。
さらに、Hくんのむらの田んぼには沢ガニがたくさん住んでいるようで
それらの蟹が、水路に穴をあけてしまうのだとか。
そのため、2週間に1回は用水路の清掃と補修を行うのだとか。

今回、うちのむらの江掘りに参加してもらったのだが、
H君曰く
「うちのむらでやっている用水掃除ほどの人数が出たら、あっという間に終わってしまいますね」とのこと。
H君のむらでは、用水清掃は、全世帯から人足を出さないといけないとのことらしい。
ただ、うちらの江掘りのように、みんなでバーベキューをしたり
夜は、むらの仕出し屋の座敷でどんちゃん騒ぎといったことはないらしい。
あちらの共同作業でも、作業後に一緒に御飯を食べることもあるのだが、
2週間に1回の頻度で行われる用水清掃に
そんなことをしていては、お金がいくらあっても足りないのだろう。

さて、その夜。
江掘りでもらえるお金(集落の予算や農地水環境保全から出る)は
その日のうちに飲んでしまおうというのが、うちらのやり方。
もらったお金をちまちま貯蓄したり、みんなで公平に分けてしまうよりも
それを跡形もなく飲んでしまえば、それでいいのだ。
江掘りの景気付けだといって、
江掘りを始める前からビールや御神酒(先週がむらの春祭りだった)を飲み、
休憩と称して、ビールや御神酒を飲み、
昼休みは鉄板でホルモンを焼いて、ビールや御神酒を大量に飲み、
夜は夜でむらの仕出し屋の座敷を貸し切って、
コンパニオンも頼んでの大宴会。

セネガルのI君は、その体つきから、むらの武闘派の連中から
腕相撲の試合をせがまれ、片っぱしからなぎ倒していた。
お酒も知らないうちにがんがん飲んでいたようで
僕が気がついた時には、I君は1升をほとんど1人で空けていた。
I君がトイレで撃沈している頃に、宴会も終了。
僕は、I君の後片付けをし、彼を家に送って
今年の江掘りもなんとか終了したと思いつつ
明日はI君は間違いなく二日酔いだろうな、と
雨の夜空を見ながら思った。
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田んぼに杭を打つ。
むらの農家組合が決めた減反面積に従って
各戸に提出してもらった田の作付け予定表(水稲共済)を基に
1枚の田圃の一部を減反(米を作らない)する箇所に杭を打つ作業。
事前に測量地図で、面積の割り出しはしておくものの
現場でもメジャーで簡単ではあるが面積を測りつつ、
それに合わせて杭を打っていく。

米が高く売れてしまう新潟の某地域では
決して減反なんてやっていないだろうに、
ここいらでは、お上のお達しに合わせて、
こうして村の人が人足として出て、1枚1枚減反田圃を確認しながら
杭を打つのである。

杭を打つ作業をしながら
役員の年寄りから、あそこの家は田作りが荒い、や
某は昔から減反を守らんから要注意、や
農家組合で杭を打っても、自分で測量しなおして
杭に間違いがあると怒鳴り込んでくる農家の話など、
むらの農家のいろんな農業的・人間的特徴や話を聞くことができたのは
とても有意義であった。

そんなこともあるのだろうかと、話を聞いた時には耳を疑ったのだが
実際に、隣同士の田んぼを交換して作付しているうちに
隣境が分からなくなっている田んぼも教えてもらった。
その場所にも簡易ではあるが、メジャーで測りなおして土地境に杭を打つ。

杭打ちの作業は午後一杯かかった。
こうしたむらの仕事が、これまで毎年毎年誰かの手で行われてきた。
そしてこれからも、幾年も幾年も誰かの手で行われていくのだろう。
今日のような共同作業は、ただ単に面倒くさいだけかもしれないが
僕には、むらの人からむらのことを聞かせてもらえる
とても有意義な時間であった。
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ある打ち合わせがある。
県民生協で昨年も行った食育料理教室を
今年もやろうということでの打ち合わせ。

子供向けの料理教室を年に3回担当することになった。
僕がやることなので、料理の質は大したことはないのだが、
旬を感じられ、地域を感じられるような教室にしたい
というのが、率直なところ。
世界中の珍しい野菜もたくさん紹介する予定でいるのだが
それらの生産地は、僕の畑という地域に埋没された中での
生産であって、ここの風土がその味を作り上げていることも
感じてもらえると良いなぁ、となんとなくだが思っている。

人に何かを伝えるという作業は
なかなか面白い。
畑や田んぼにいるとこういう作業があまりないので
僕にはとても刺激的で楽しいのである。
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農林高校の先生が来る。
インドネシアの農林高校との友好提携に関しての相談事。
今年の12月頃に、あちらの農林高校へ使節団を派遣する予定になっているのだが
その中身をどうするべきかを相談されに来られた。

これまでの使節団では、学校同士の交流もプログラムには入っているものの
メインはやはりインドネシア観光だった。
今の校長先生は、それではもったいない、と考えておられるようで
あちらの学校で何かしたい、と熱い想いを持っているようである。
ただ、その熱い想いだけでは何事も始まらないので
具体的に何ができるのかの相談だった。

そういうものを僕に相談されても、困ってしまうのだが、
これまで通訳兼相談役として関わらせてもらってきた関係上
何か案を練らねばならなかった。
なので、研修生のHくんにも同席してもらい
(H君は、あちらの農林高校の実習助手)
お互いの農林高校の学生同士の交流が促進され、
参加した生徒たちが楽しくなるような、
それでいて短時間で出来るイベントを
(あちらの農林高校に滞在できる時間が短いので)
みんなで考えてみた。

校長先生からアイディアがあったのは
使節団で日本食を作って、それを振舞うというものだった。
それだけであれば、かなり実現は可能だし
それほど難しいことでもない。
ただ、それで交流が促進され、参加者みんなが楽しめるかどうかは
少し疑問でもある。
あちらの農林高校に滞在する日程は、2泊3日。
それだけの時間があるのに、日本食を作って食べるだけでは
時間が余ってしょうがないだろう。
2泊もするのであれば、
1日目からインドネシア学生と日本からの使節団参加学生混合で
数グループを作って、
まずはあちらの農林高校や周りの農村、市場などの散策をしてみるのはどうだろうか。
手に入りそうな食材のイメージがついたら、
その夜には、グループ毎に料理のメニューを考えるワークショップを行い
次の日には朝から、そのグループで食材を探し回り、
インドネシア料理と日本料理を1品ずつ作って
その夕方にでも会食を開き
グループ毎にコンテストをしても楽しいかもしれない。
(豪華賞品付きにすると盛り上がる)
というのが、僕の提案だった。
そういう行事を念頭に置いて事前学習として、
派遣前にインドネシアの食材や料理の知識、
簡単な会話の練習、
あちらの農業について簡単にでも学べれば
使節団としての成果はぐっと素晴らしいものになるだろうし
知識も身につくというもの。

ただ、ここで問題なのが、
この使節団に僕はついていかない。
というよりも、仕事上、また時期的にもついていくことが出来ない。
なので、グループづくりやワークショップのファシリテーター役を
僕がかってでることはできないのである。
この行事をやろうとすると、
両国の事情に通じ、両国の言葉ができて
グループワークやワークショップなどのファシリテーターとして
ある程度経験のある人がいなければ、
そもそも成り立たないであろう。
良いファシリテーターがいれば、成功すると思うのだが
誰か良い人いないかしら???

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03 17
2009

本日、農地購入のために借金の手続きをした。
以前から手続きを進めてきた、隣村の農地購入。
今日、以前の土地所有者、司法書士、間を取り持ってくれた不動産屋が
農協に集まり、その場で支払い手続きをした。

借金は生命保険で降りてくる額まで、と
ひそかに考えていたのだが、
これまでの借金やこれからの住宅ローンも入れて考えると
どうもその額は超えてしまいそうなのである。

まぁ、逆に生命保険では返せないほど借りておけば
「死んだら返せるか」などと魔がさすことはないだろうから
それでいいと最近は思うようになった。

毎年一人ずつのインドネシア研修生を受け入れるだけの力を
自分の農園につけさせるためには、今は投資をしていくしかない。
さぁ、ここからが頑張り所である。
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こんな野菜を出荷。

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根っこを食べるセロリで、セロリアックと呼ばれている野菜。
セロリの基部が肥大し、そこを食するわけだが
この時期にとれるセロリアックは、甘くて香りも良くて
販売を開始してから、あっというまに品切れになってしまった。

普段市場に出回るのは国外からのものが多いのだとか。
こんな旨い野菜を国外や県外の農家だけで作られているのは
なんだか癪なので、一昨年あたりからぼちぼちとだが作っている。
ここの地域の気候に合わせて、しかも国外産のものよりも
高品質なものを作るのは、なかなか難しいところもあるのだが
もう少し普及させたい野菜でもある。

炒めてもスープにしてもカツにして揚げても
とにかく旨い、死角なしの野菜の一つ。
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食とは、食文化とは何であろうか。
そしてそれの根幹となっている農とは何であろうか。
さらには、その農のかたちから派生される日々の営みや暮らしぶりはどうであろうか。
先月インドネシア・クンダリまで調査旅行へ出かけた時、
僕は漠然とそうした問いを携えていた。

これはトラキ人とブギス人の食と農の話。
つまりは、この前の続き

前回の話では、主食に対するそれぞれ民族の想いと
そこから派生してくる農業の形の違いに少し触れた。
ブギス人は、米を主食とし水田農耕を最も大事だと思っている。
それに比べて
トラキ人は、米も大切な主食で、
水田農耕がもっとも経済効率の良い農耕スタイルだと認めつつも
それに比べたら非効率な白とうもろこしと陸稲の伝統的な混作もやめようとはしない。
なぜなら、白とうもろこしも陸稲もトラキにとっては大事な主食だからである。
そして、あるブギスの農家から、
「あんなもの食べているやつはもういないだろう」
と言われてしまったサゴヤシについても
「1日に1回は必ずサゴヤシを食べる」と
トラキの農家は断言していた。

今回は、サゴヤシについて少し話そうか。
サゴヤシは名前の通りヤシの木である。
どこを食べるかというと、ヤシの木の幹の中身。
中身が柔らかいということではない。
樹皮を剥いでその中身を砕きながら、そこに水をかけながら揉み込み
プールにその抽出液をため、沈殿したでんぷんを採るのである。
そのでんぷんの塊を食するというもの。
この作業は、大抵4人から5人以上で行われる(機械利用)。
調査を行った土地では、
10年から2年前(地域によってすこしひらきがある)まで
このすべての工程を手作業で行っていたのだが
今では中身を砕く作業は機械化され、労働負担もずいぶんと軽くなったらしい。

調査地のトラキ人が言うには、
サゴヤシは、1つの株から8~10本は出てくるという。
収穫は、12年~15年経った木を選ぶという。
木の持ち主は、サゴでんぷんの抽出作業は基本的にしない。
持ち主は、収穫人にサゴヤシのでんぷん抽出作業を依頼し、
そこから採れたサゴでんぷんの半分をもらうのである。
残りの半分は収穫人の取り分となる。それが手間賃。
収穫人のリーダーは、大抵が機械を持っている人で、
その人が、手間賃としてもらった半分のサゴでんぷんの半分から1/3をとる。
そして労働者としてでんぷん抽出作業に加わったメンバーで
残っている分を均等に分けるのである。

食べ方はいろいろとあるのだが、
僕が以前ボゴールに留学した時に食べたのは
魚や肉のスープにサゴでんぷんを固めたもの付けて食べるというものだった。
調査を行った土地でも、それはポピュラーな食べ方であった。
(ちなみに申し訳ないのだが、これまで僕はサゴヤシの料理がうまいと感じたことはない)

さて、そのサゴヤシ。
トラキの農家は
「1日1回は必ず食べる」と言っていたのだが、
年代や住む場所によっても少しずれがあるようである。
今回の調査でドライバーとして頼んだ町に住んでいるトラキ人は、
「サゴ?あああ、昔は食べていたけど、今は食べないよ。水みたいでさ、どうもあれだけ食べていると力が出ないんだ。ドライバーという仕事はいつ飯にありつけるか分からないから、食べられる時は米をたらふく食べるんだ。サゴヤシはもう食べないよ」
と答えてくれた。
調査アシスタントして同行してもらった地元大学の社会学の学部生は
「サゴヤシは大好き。実家に戻った時はいつも食べている。ただ若い連中はあまり食べなくなってきている。それと、サゴヤシの抽出作業は、僕ら若者はあまりやりたがらない仕事なんだ。かっこ悪い(gengsi)って思っているようだね。」
と話してくれた。

水みたい、かっこ悪い、あんなもの食べているやつはまだいるのか、などなど
サゴヤシに対する意見は、厳しいものだったのだが
だからこそ、はっきりと、しかもそれを食べないと始まらない、といったような態度で
「1日1回は必ず食べる」
と凛と答えたトラキの農家が印象的だった。
前回の日記でも紹介したが、
意識を掴み取るツールの中で、サゴヤシの円は決して大きくなかった。
それは米以外の他の主食と比べても(白とうもろこし、陸稲)
随分と小さな評価だった。
その円の大きさは決して価格だけで決められているわけではないことは
水田稲作と白とうもろこしの円の大きさを同じにした農家からも解るのだが、
その農家にしても、サゴヤシの円の大きさは小さかった。
それでもサゴヤシは
「1日1回は必ず食べる」主食なのである。
調査前のようにサゴヤシか水田か、といったような
サゴヤシを過大に評価はしない。
だが、過小評価も必要ない。
それは、トラキの農家にとって、
「1日1回は必ず食べる」主食として存在しているのだから。
そしてサゴヤシを取り巻く農の営みが、しっかりとした食文化を支えているように
僕には見ることができたのだから。
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インドネシア研修生への講義の話。
今、読んでいる本は、相変わらず「まんが農業ビジネス列伝」のシリーズなのだが、
今回は、山口県の取り組みで、
耕作放棄地に牛の放牧をして、棚田が荒れてしまうのを防ごうという話。

H君の日本語能力もずいぶんと高くなってきたためか
渡したテキスト(まんが農業ビジネス列伝)を随分と読み込めるようになった。
今回の授業では、そのテキストの内容を
僕がインドネシア語で解説し
その後、内容の認識確認と簡単にディスカッションをした。
ちなみに2週間後には、これまで同様、
本の概要とH君なりの解説・考察を15分にまとめて
プレゼンしてもらう予定でいる。

さて、その本。
棚田の所有者や耕作者の高齢化が進み
耕作放棄地が増え、除草すら行われなくなってしまっており
そこに厄介な草や竹が生えてしまって問題になっていた。
そこで、地元の畜産業と連携して
耕作放棄に牛の放牧を試みているという話である。
レンタカウという制度を作り、
牛を持っていない農家でも、他から牛を借りてこられる制度で、
その牛で農地の除草を行おうという話も紹介されていた。

畜産農家は、放牧地を得て健康な牛の肥育ができ
高齢農家は、牛を活用して農地が荒れるのを防ぐことができる
という、まさにwin-winの関係というわけだ。

さて、H君。
手持ちの辞書では、耕作放棄地や土地所有者の高齢化といった
この話には欠かせないキーワードを調べて理解することはできなかった。
だから、H君は、
「この本の話はインドネシアと同じです」
と、彼なりの本の内容解説をしてもらった時に、そう話してくれた。
何が、同じなのか。
それは、田んぼに牛を放牧すること、である。
インドネシアでは、稲作が終わると、次に田んぼを使うまでは
その場所に牛を放牧することがある。
稲藁や切り株を牛の餌にするわけだが、
その光景は、インドネシアの田舎に行けば、
大抵どこでも見られるのである。
その光景を見てきたH君にとっては、
今回の本の話は、まさに
「インドネシアと同じです」なのであろう。

「同じ」という感覚は不思議なもので
そう思ってしまえば、気持ちも落ち着くし、
目の前の事象を自分なりに納得してしまえるのだが、
そこから前に進むこともない。
「同じ」ではだめなのだ。
「違う」を見つけないと。

日本の農業が抱えている大きな問題を挙げよと言われれば、
耕作放棄地と高齢化は、外せないであろう。
それが日本の農業の構造的な問題から派生していることも
すぐにわかるだろう。
さらにはそこから、輸出産業ばかりに引っ張られる日本の経済の
構造的な問題も見えてくるのである。

事象として、
田んぼに牛が放牧されている
という光景は、確かにインドネシアと同じかも知れない。
ただ、その事象を通して、
その裏側にある構造を読み解く力を身につけてほしい。
少なくともこの講義を受けているH君には、
インドネシアへ帰国する頃には、そういう視点を持ち得てほしい。

今回は、耕作放棄地と高齢化について簡単な説明を行った。
次回は、近くの畜産農家を見学し、
日本の畜産業の一端を覗いてくる予定。
「違う」に気がつく視点を鍛えるために。
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こんな野菜を収穫した。

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赤い茎のセロリ。
見ているだけでわくわくしてくる赤さなのだが、
香りも強く、セロリ好きでも生では食べられないかもしれない。
うちでは、スライスしてスープや炒め物に使っている。
先日はパスタの具に。
炒めても香りは飛ばず、赤みはますます映えわたり
独特の甘味がまして、これがやたらと旨いのである。
ワインが何杯も何杯も飲めてしまう。

ただ、こういう野菜は、大抵売れない。
食とは、最も保守的な部分で、
洗脳的なCMでもない限り、新しい食はなかなか受け入れてもらえない。

それでも、新しい食文化の一端の一端の一端くらいは
担ってるんじゃないか、と勝手に勘違いをしている僕は
美しく、面白く、そして美味しい野菜を見つけると
作らずにはいられないのである。

ちかくの直売所限定で販売しますので、
見かけたら、ぜひ買ってみてください。
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日曜日、むらの青年団で河川敷清掃が行われた。
なので、うちで働いているセネガル人のI君を連れて
河川敷清掃に参加した。

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写真の赤い帽子をかぶっているのがI君。
うちの農園で働いているが、この村には住んでいないI君は
むらの活動に参加しなくてもいい、と思われる方も多いかもしれないが
やはり、そのむら(もしくは地域)で農業を営むのであれば
道路沿いの田んぼのごみも同時に拾うこの活動に
参加した方がいいであろう。

なので、I君には半ば強制的に参加してもらった。

田舎の村の中で、黒人の大男がいるというのは
あまり普通のことではなく、
むらの会合に僕が顔を出すと、いろんな人からI君について尋ねられることが多い。

天気のいい日は、I君は自転車で通勤してくるので、
「自転車に乗った謎の黒人が、疾風の如く駆けていった!」
と、一時期むらの中でうわさになったこともあった。

また先日、巡回中にI君と遭遇した地域の駐在さんは
わざわざうちまで訪ねてきて、I君の名前や連絡先のみならず
どうしてここに黒人がいるのか、や
その家族構成にいたるまで、根掘り葉掘り聞き
帳面に細かく記載して帰って行った。
(なんだか犯罪者扱いのような感じで、駐在さんのインタビューはいい気分がしなかった)

そういうこともあり、もう少しI君とむらの人との交流があれば
余計な心配も減るであろうと思い
むらの活動に参加してもらったのである。

さて、河川敷清掃。
うちの川は、サクラマスが釣れる。
ということもあってか、週末には県外ナンバーの車が、
堤防にずらりと並ぶ。
北は北海道、南は福岡くらいまで
実にいろんなところから釣りにくるのである。

その釣り客。
みんなきちんとゴミを持って帰ってくれればいいのだが
そういう人ばかりともいかないようで
堤防や近くの田んぼに投げ捨ててあるゴミ(主にコンビニ弁当のペットボトル)が
散見される。
そこで、むらの青年団でそれをきれいにしようと
毎年活動しているのである。
今年は、川の漁協も協力しての実行で、
漁協にも入っている僕としては、参加しないわけにはいかない立場だった。

I君はとにかく力があるので、
堤防の下にあった重いゴミを運ぶのに活躍していた。
日本語がまだまだ不十分なこともあってか
むらの人との会話はそれほど弾まない感じだったが
後半になって、やけに会話が盛り上がっている様子なので
話していた村の人に、何を話していたのかを聞くと
「下ネタは全世界共通やな」
とニヤリ。

作業後、I君に清掃奉仕活動について感想を聞くと
「こういうのは、セネガルでもやっている」
と言う。
ちょっと意外だった。
インドネシアでは、ゴミをみんなで始末するという考えに乏しいのか
村といえども、あちらこちらにゴミが捨てたままになっていることが多い。
(一部の地域は別)
なので、セネガルでも同じだろうと思っていたのだが、
1年に1回か2回は、むらの人(女性が中心)が集まって
みんなで清掃活動をするという。
I君の妻であるAさんは、協力隊でセネガルに赴任した時
「とにかくむらの中がきれいだったので驚きました」
と、当時のことを話してくれた。
共同作業や活動の経験こそ、ただそこに住んでいる人たちを
地縁として結びつけて、その自治を高めることになるのである。
セネガルも、むらがむらとしてあることに
すこし感動を覚えた。

その一方、この活動で、「謎の黒人」から「I君」へと
すこしでも、村の人たちの認識が変わってくれれば、と願う。
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現場で打ち合わせ。
設計士さん、工務店さん、水道設備屋さん、電気設備屋さんが揃っての
現場での打ち合わせ。

コンセント、スイッチの位置や水道の位置の確認と
柱の構造金物のチェックが主な打ち合わせ内容。

この日、現場は1階の床の断熱材を敷設し、合板を張りつけつ作業をしていた。
断熱材は、仕様書で床下断熱材フクフォーム42とあったが、
敷設されていたのは46ミリのもの。

さて、コンセントとスイッチの位置だが、
実際に移動しながら、どこの電灯をつけるのかを確認しながらの作業となり
ずいぶんと時間がかかった。
現場では何点か悩む箇所もあり、帰宅後も妻と再びシュミレーションを何度か行ってみた。
その結果、数か所、変更したい箇所があり
これは後日、設計士さんや工務店さんに伝えないといけない。

さてさて、個人的に興味深かったのは
金物検査。
設計図書にしたがっての検査なので、
どの柱にどの金物が入っているかを見るだけだったのだが
この金物と家の構造や柱の継ぎ手がなんとも奥深い。

神戸の震災以来、構造用金物をつけなさい、と国から指導されてきたわけだが
当初は、柱に何本も貫通させるような形での金物ばかりだったらしい。
設計士さんは
「柱にあんなに穴を開けたら気持ち悪いですもの」
と、当時はあまり使いたくなかったという。
最近は、柱をあまり傷めない構造金物が出てきたので
設計士さんも工務店さんも
「これなら納得できます」
と言っていた。
ただなかにはまだ柱に大きな穴を開けまくる金物もあるらしい。

先日読んだ『「釘」が危ない』という著書では
柱の継ぎ手の工夫のみでは、まだまだ地震に耐えられる工法はない、として
金物や釘の重要性は認めていたものの
それ自体に頼る工法は間違っていると指摘していた。

柱の継ぎ手は、これまでの大工の創意工夫でいろいろなものが開発されてきたが
それらは、本来の木材の強さからいえば、
どんな継手にしても半分も強度がでないという。
プレカットでの腰掛け鎌継ぎでも、木材の3割程度の強度らしい。

昔からのほぞ差しに代わって
それを補強するのが、金物ということになるのだが
ただその考え方にしても、ただ単に金物と釘で補強されれば、
それだけで十分家が支えられるかと言えば
『「釘」が危ない』の著書の中では、疑問を呈している部分もあった。

柱、金物、大工の技術、プレカットの精度、継ぎ手、材木の良し悪し(乾燥度合いも)、設計の妙
それらの全てが一つになって初めて良い家が建つようだ。

建築はなんとも奥深い。
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白アリ防除の薬剤散布が行われる。
床下から1mの高さまで、専門業者が柱や土台に入念に
薬剤散布を行った。
シロアリ防除


建築場所が、ハウスの真ん前ということもあり
風の強い日などは、薬剤の飛散によって農作物に影響があるかと心配したのだが
ちょうどのこの時は、ほとんど無風、かつ逆風だったので
心配はいらなかった。
(ポジティブリストの適用以来、こういうことには神経質になっている)

さて、1週間もインドネシアに行っていると
その間に、ずいぶんと工事が進んでいた。
屋根には瓦が葺かれ(洋風瓦)、
筋かいや間柱も入り、
サッシも取り付けられていた。
石膏ボードもはられ、
今日の白アリ防除を待って、外側はすべて覆われたことになる。

大工さん曰く
「せっかく良い乾燥材を使っているのですから、すこしでも早く外を囲ってしまいたかったんです。だから昨日まで大工の数を少し増やして、先に囲ってしまったんですよ」
とのこと。
今日からは、大工さんは二人+お婆ちゃん一人の体制に。
僕が外から見た感じでは、昨日までは大工さんが6人くらいいたように思えた。
なんせ、外を囲ってしまえたので、ひと安心である。

ちなみに今日は啓蟄。
24節季の一つで、虫たちが冬眠から覚める頃といわれている。
1日の平均気温が10度以上にならないと虫たちの活動は活発化されないので
暦が必ずしも正しいわけではないのだが(福井では、だいたい4月上旬ごろ)
啓蟄に白アリ防除が重なるなんて、偶然だろうが、暦通りでおもしろい。

余談なのだが、
ハウスの中は、ずいぶんと暖かくなってきたためか
啓蟄のこのころからやはり害虫が動き出す。
最近出荷を始めようとしている根セロリにアブラムシがついたので、
こちらも農薬散布(サンクリスタル乳剤300倍)。
この農薬は、毒性で虫を殺すのではなく、特殊な油で
特定の虫の呼吸を阻害することで、虫の活動を弱めるもの。
天敵とされる虫たちには効果はほとんどなく、IPMの実践でも用いられるもの。
根セロリの圃場に、麦を少し植えておくのを忘れてしまい、
アブラムシの天敵であるアブラバチの繁殖ができていなかったのが
この時期にアブラムシがでた理由だろうか。

いずれにせよ、暦は啓蟄。
その暦通りの農作業、建築作業となった1日だった。

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JAのマーケットにある直売コーナーで
僕が作っている野菜の対面販売と試食を行った。

P3040084.jpg

マーケットの店長からの依頼で行ったこの取り組み。
僕もこうしてイベントでもない普通の日のマーケットで
販売促進の活動をするのは初めてだった。
担当者の話だと、
うちは変わった野菜が多いため、お客さんからどう食べたらいいのか、と
尋ねられることが多かったらしい。

イベントならば大声を出して、威勢良くバンバンと売ってしまえばいいのだが
普通の日のマーケット店内ではそういうわけにもいかず
お客さんを捕まえて、商品説明をするのにも苦労した。
ただ妻からのアドバイスで
「お客さんが来たら、1歩だけ前に出て話しかけると良いよ」
とあったので、実践してみるとこれが不思議。
それまで素通りしていたお客さんが、皆足をとめて説明を聞いてくれるものだから
不思議だった。
ちなみに妻は学部生の時代に
ワインの試飲のバイトを2年ほどしていた経験を持つ。

さて、試食の方だが、
今回、あれこれと悩んだのだが、ベビーリーフを胡麻ドレッシングであえて
それをライスペーパーで巻いたものを
3~5等分して、試食してもらった。
食べて美味しいと思ってもらえないといけないのは当然なのだが
手間もほとんどかけてない、と思ってもらわないと
なかなか忙しい主婦には買ってもらえないからである。
ライスペーパー自体は、なかなか手間なのだが
それのうま味や見た目の珍しさ、
さらには、ベビーリーフの生春巻きということで
ちょっとしたご馳走に見えたのか
試食も販売も好評だった。

対面販売してみての感想だが、
若い主婦層には、意外に買ってもらえなかった。
「いつも食べてます」
と声をかけてくれた人は、若い人が多かったのだが
そもそもベビーリーフと聞いて、
「ああ、高い野菜ね」
と素通りしてしまう人が多かった。
そして僕の予想を反して、
すこし年配の方が(60代くらい)、一番よく買ってくれたのである。
そのほとんどの人が、初めての購入で
買いの決め手が、
「サラダでもやわらかい」
「栄養がありそう」
「若いお兄ちゃんだから」
といったものだった。

以前、農業の業界紙で
サラダを購入する年代層は若い世代よりも年配の世代、
とあったが、はたしてそうだった。
ベビーリーフなんて横文字の変わった野菜だから
見かけても買わない人がおおい年配の層だが、
子育てや各種ローンに追い回されている若い世代よりも
財布のひもはゆるいようで
体に良い、や、食感が良い、とわかると
必ず買ってくれた。

あと、若いのに頑張るわねぇ、と応援半分で買ってくれる人もいた。
(もうそれほど若くはないのだが・・・)

このマーケットで売れるベビーリーフの5日分を
午前と午後の1時間ずつ対面販売することで
売り上げて、この日は終わった。

「僕が作っている野菜です。試食してみてください」
一歩出ながら、そう呼びかけると、たくさんの人が話を聞いてくれた。
目の前で、でこぽんの販促をやっていた小母ちゃんがいたが
「よく売れるわねぇ」
と感心された。
生産者として説明しているのも効果は大きいのかもしれない。
全体の販売数量に大きく影響はしないだろうが
少なくとも買ってくれる人は、誰が作っているのか、生の僕を分かりながら
それを食べることができ、
僕は、誰が食べてくれているのかを、たぶん時々圃場で思い出しながら
ベビーリーフの生産に励むことになるのだろう。
その生の実体験こそが
かけがえのない大切なものに思えてくる。

機会があれば、また行いたいものだ。
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以前、尼講とその時に食べられていたお菓子の話を
この日記で紹介した。
http://tayatoru.blog62.fc2.com/blog-date-20090112.html
http://tayatoru.blog62.fc2.com/blog-date-20090114.html

その尼講のお菓子が、ちょっとしたきっかけで、地元のラジオ局の移動放送で
取り上げてもらった。

P3030055.jpg

この日インタビューを受けたのは、加工グループのメンバーの二人。
この二人、もともとこの集落生まれで、尼講の懐かしさを共有しながら、
尼講のお菓子を市場で貨幣化される商品と見つつも、
そこには、尼講のお菓子の味や価格とは関係なく
かけがえのないものとして価値を共有している。

地元の放送局に取り上げられたことで、
すっかり二人は舞い上がっていた。
ラジオを通して二人は、尼講が如何に楽しくわくわくしたものだったかを
若い娘さんのように語っていたのが、印象的だった。

尼講のお菓子。
市場と共有の思い出の二つからなる商品。
そのどちらかも刺激を受け、加工グループはこのお菓子を作り続けている。
食べる側の人間も、この刺激を十分受けたいものだ。
貨幣化されて高いか安いかだけの味気ない商品が
氾濫するこの時代にこそ、
こうした商品が、僕には素敵に見えるのである。
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先週は、インドネシアに居た。
妻が所属しているある研究会で、
東南スラウェシで行われたJICAの農業開発プロジェクトのその後を
調査・研究している。
プロジェクトの成果そのものというよりも、その後の社会変容を見るのが
研究の主対象であろうと僕は思うのだが、
その研究会の調査ということで、妻がインドネシアに行くことになった。
普通は、僕と娘は日本にお留守番なのだが、
案件が農業開発ということもあり、
僕も微力ながら、妻の手伝いをすることになった。
というよりも、個人的に非常に興味深い調査であったので
勝手についていった、といった方が正解か。

さて、そのプロジェクト。
90年代前半に行われたもので、すでに終了してから10年以上の歳月が流れている。
僕の所感であるが、資料を斜め読みして得られた感想は
米作普及のプロジェクトだったように思う。
プロジェクトサイトは、多層な民族の住処であった。
もともとその地に住んでいたトラキ人に加え
(トラキ人以外にも数民族が、もともと暮らしているのだが、便宜上、トラキ人に代表してもらおう)
政府の移住政策でその地にやってきたブギス人やジャワ人、バリ人などが
混在して社会を形成していた。
また移住政策後に、親類縁者・友人を頼って、自ら移住してきた
同様のブギス人ジャワ人バリ人もいる。

事前の情報では、
トラキ人は、水田耕作をもともと行っておらず、
サゴヤシを主食とし、移動式焼畑で生計を立てている、とあった。
米作普及プロジェクトは、何もJICAが強力に推し進めたのではなく
当時からのインドネシア政府の米自給の悲願から派生したもので
それは現在でも続いている。
(インドネシアは、大戦以前から米の輸入国で、緑の革命後、80年代に一時期米の自給を達成したが、その後は再び輸入国となり、それは今でも続いている)。
一方、ブギス人やジャワ人たちは
もともとから水田稲作を中心とした農業を繰り広げてきた。
そのため、調査前の僕の想像では、
移住政策後、トラキ人が低湿地帯をブギス人やジャワ人に売り渡し
ブギス人とジャワ人らが水田の開墾に当たり、水田耕作民俗が
プロジェクトや国策の恩恵を受けている、と予想していた。
また、トラキ人が比較的水田耕作を疎み、もとの暮らし(サゴヤシと焼畑)に
戻っていく、という情報もあり、僕の仮説の裏付けにもなっていた。

この調査での僕の主目的は、
それぞれの農家の作物に対する価値の調査であった。
各農家の生計戦略の中で、自分たちが価値をおく作物とは何かを知ることで、
米作普及のプロジェクトが、どのように捉えられてきたかを
掴み取るつもりだった。
調査方法は、インタビュー。
というか、僕はこれしか出来ない。
さらに、妻の煽てもあり、
以前から農村調査でツールとして使っている作物ごとの農家の価値基準として、
農家と一緒に作り上げる主要作物の関係図を用いることにした。(写真参照)
図 クンダリ

栽培している作物、家畜、小さなビジネス、農外収入など
対象となる農家のすべての収入を書き出し、
その価値が大きいほど、図の円も大きくする方法で
数値的に聞き取るのではなく、イメージとしてインタビュー対象の農家と
目で見える形で作り上げていくものである。
PRAのツールにもよく似たものがあるらしい。
ただこの図において、価値とは金額でも良いし、美味しさや文化でもなんでも良い。
価値基準の判断は、インタビュー対象の農家に任せるのが基本。
その図を書きながら、農家の意識や価値基準、そしてそのバックグランドになる
その人が見ている社会を、その人越しに掴み取るのが、この調査の目的である。

さて調査なのだが、
始めてすぐに、当初の僕の仮説が間違っていたことに気がついた。
確かにトラキ人の農家は、サゴヤシを食べ、焼畑もし、
事前にもらった資料の数値では
水田耕作は、他の移住してきた民族よりも少なかったのだが
だからといって、水田耕作をしていないわけでも、それを忌み嫌うわけでもなかった。
水田耕作適地の場合は、政府の補助も受けながら、水田耕作をし、
水田稲作を最も価値のある作物の一つに挙げていたのである。
ただ、少しばかり他の民族とは価値基準が違っていた。

同様に調査をしたブギス人の農家は、
「米は主食なので、これがなけりゃ始らない。とにかく水田稲作が一番価値がある」
と答えていたのに対し、
トラキ人の農家は、
「米は主食だが、それと同じくらい大事なのが、白とうもろこしと陸稲なんだ。だからタヤ、米と白とうもろこし、陸稲は縁の大きさを同じくらいにしてくれ」
と、ツールを使った調査ではっきりそう答えた。
金額的には、水田稲作が一番儲かるそうで、
焼畑で行われる白とうもろこしと陸稲は、水田稲作ほどはもうからないという。
だが、
「白とうもろこしも陸稲も、俺たちにとっては主食なんだ。あれを食べないなんて考えられないよ」
と答えていた。

またサゴヤシについては、トラキ人と言えども
水田稲作よりも価値は小さく
陸稲や白トウモロコシよりも円が小さく評価されていた。
「だからと言って、サゴ(サゴヤシ)を食べないってことはない。それも大事な主食なんだ」
と、あるトラキ人の農家は答えていた。
ブギスの農家もサゴヤシは食べるという。
ただそれは、「米の代わりに食べるというものじゃなくて、副食やお菓子として食べるんだ。やっぱり米を食べなきゃ、飯を食った気がしないよ」
と答えていたように、トラキ人の主食としてのとらえ方とは違っていた。

続く
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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

メールは
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です。
(アットマークを@に置き換えて送信ください)

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