今日から1週間、インドネシアへ行く。
妻と娘も一緒に。
久しぶりにパスポートを引き出しの奥から取り出し、中身を見る。
これまで気がつかなかったのだが、
どうやらここ2年ほどは、海外に行っていなかったらしい。
ということで、久しぶりの海外旅行。
行先は、東南スラウェシのクンダリ。

インドネシアにいた経験のある方は、「クンダリ」と聞けば
あああ、バカンスじゃないのね、というのはすぐにわかっていただけるだろう。
そう今回は、妻のお仕事旅行に僕と娘がついていくのである。

調査目的は、何年も前にJICAが行ったプロジェクトのそれからを見るため。
米食文化でないトラキ族が住む村に、JICAとインドネシア政府が稲作普及事業を行い
その普及成果をみるという調査である。
村も一様ではない。
移住政策によりジャワ人やブギス人といった米食民族が村に入り込んでおり
その間での食文化に対する確執もみられるのではないだろうか、と期待している。
米食の優位性を宣伝し、もともとサゴヤシを主食としていたトラキ族の食文化を
如何に変容させてきたのか(それとも変容しなかったのか)、
それを見るのが、僕の旅の目的である。

僕はこの旅で、食とは何か、食文化とは何か、を考えてこようと思う。
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昨年1年間取り組んだ保育園との体験田んぼの活動が
福井県の青年農業者交換大会の発表コンペで、最優秀賞を頂いた。

発表をしたのは僕ではない。
僕が所属する若手農業者クラブの若者が発表した。
パワーポイント作りや原稿作りに、ほんの一部僕も参加したのだが
発表者の努力と1年間消費者と一緒に作った田んぼの素晴らしい実体験が
最優秀賞につながったのだと、僕は思う。
次は、今年秋に行われる北陸ブロック大会である。
以前、僕が発表した時には、この北陸ブロック大会で敗退してしまった。
今度こそ、北陸ブロック大会でも勝ち上がり、
全国大会へ駒を進めたいものだ。
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建前が終わったので、契約時に決められていた金額を
工務店へ振り込むため、妻は銀行へ行った。
大金を振り込むこともあってか、随分と妻は興奮していた。
人生で最も大きな振り込みだ!と騒ぎながら、銀行へと出かけて行った。

さて、自己資金をほとんど持ち合わせず、自分の将来性に賭けて
住宅ローン頼みの僕は、妻を無事に送り出すと
予定通り、ある契約のため、約束された場所へ行った。
その契約とは、農地の取得の契約である。
もうすこし農地がほしい、そう思うようになり、
少し前から、集落の不動産業を営んでいる人に探してもらっていたのである。
たまたま、隣の集落の土地が浮いてきた話があり、
とんとんと話がまとまり、それを取得するために
今日、契約書に判を押した。
自己資金が一切ない僕は、この農地取得に関する資金も
ローンということになる。
研修生のために建てた研修棟のローンもあり
住宅ローンもこれから派生する。
そして、この農地のローンも背負うことになった。
あんまり借金はしない方がいい、という人もいるのだが、
なんせ、自分の経営の足腰を補強するために少しばかりの投資が、
今は必要なのである。
ここで二の足は踏んでいられない。
借金は、若いうちにしなければ、年を取ってからではきつすぎるのだ。
あと自分の中の予定では、もう一回くらい、大きなローンを背負うことになる。
そこまで行けば、とりあえず描いていた経営体になれるはずなのだが
まぁ、そうそううまくはいくまいが。
一人でも多くのインドネシアの若者に
有意義な(?)研修の機会を提供したい。
そのために、今は借金を続けるのである。
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建前 朝

いよいよ建前の朝。
先週まで、暖かい日が続いていたのだが、
今週に入ってからは、寒さが戻り、
天気予報も雪マークのオンパレード。
前日も雪が舞い、朝は氷点下2度。
道路が凍り、白くなってしまっていた。
大工の親方は、勝山の人で、
今朝この現場に来るのに1時間以上かかったとか。
道路が凍結していて、あちらこちらで車が事故っていた朝、
建前が始まった。

建前 お清め

まずは、お清めの儀式。
工務店の専務さんと僕とで、通し柱と角をお酒と塩で清めていった。
それが終わらないうちから、大工さんが間柱をつぎつぎとはめ込んでいき、
いよいよ工事開始、となった。

快晴

雪の予報だったのだが、この快晴。
日ごろの行いはそれほど良くないのだが、
とにかく晴れてくれてよかった。

柱の垂直を確認

柱の垂直を確認中。
要所要所で確認をして、その都度バールなどを利用して
てこの原理を応用し、柱を垂直に立て、固定していた。

建前 雪

このまま晴れか?と思ったのも朝の10時くらいまで。
11時頃には、吹雪の中の工事となってしまった・・・。
箒などで雪を払いながらの工事。
特に高所作業の危険度は、雪のためにかなり高くなり、
職人さんも随分と慎重に動いていた。

以前、工務店さんから
「一度だけ建前を途中で中止したことがあります。それは雪の日でした」
と聞かされていたので、
すわ、今日がその日になるのでは!?とかなり不安もあった。
とにかく、事故がないことだけを祈った。

建前 終了

夕方5時。
下屋の屋根板が入り、一応、予定していた工程を終えたので
工事は終了した。
(上棟式は省略)

立ち上がってみると、やはり大きく感じるもので、
見に来てくれた近所や親せきからも
この家に何人住む気なんだ?
と、半分からかわれていたのだが、
実際、自分でも、思っていたよりもずいぶん大きいなぁ、と感じるのであった。

最後に、親方を始め、雪の中頑張ってくださった職人さん一人一人に
ご祝儀とビール6缶パック、それとうちの野菜を詰めた袋を渡し
本日の建前は無事終了となった。

雪の中奮闘くださった工事関係者様、本当にありがとうございました。
お祝いに駆けつけてくださった皆様、本当にありがとうございました。
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お金を集めて回るのは、あまり楽しい仕事じゃない。
それは、むらの農協青年部の会費の話。

今年、集落の農協青年部支部長を務めることになった僕。
その最初の仕事が、今年の会費を会員から集めることと、
今年の新人を勧誘すること。

会費は1人1万円。
これが安いか高いかと言われれば、明らかに高い。
そんだけの会費を取っておいて、農協青年部としての活動といえば
集落の用水の掃除である「江掘り」と
親睦と会計報告を兼ねた新年会のみ。
そのどちらも、目が飛び出るほどのお金をかけて飲む。
その予算の一部が、会費1万円なのである。
もちろん、江掘りをすれば、町内会や
むらの環境保全隊(行政の農地水政策によりできた村内組織)から
お金がでるので、それを飲み代にあてるわけである。

江掘りで出るお金は、労働拠出して出てもらった人に配ってしまってもいいのだが
なんだかそれでは味気ない、ということで
ここぞとばかりに、バカ騒ぎをするのである。
それがどうも好きでなかったり、また家族からのイメージが悪かったりするものだから
辞めたい、という人が出てきたり
入りたくない、という若者がいたりもするのだが・・・。

そういうわけだから今年、一人が辞めたいと言ってきた。
ただ、江掘りといった用水路の取り入れ口と排水の清掃は
共有財産の維持のために必要な労働であって、
地権者すべてが拠出しなければいけない性格なのであるが、
70や80を過ぎた爺さん婆さんばかりの家に
誰か出してくれと頼むわけにもいかないので、
こうして、むらの農協青年部で請け負って行っているのである。
だので、農協青年部に入れる資格は、農地を持っていること。
どんちゃん騒ぎが嫌いだ、とか、会費1万円はもったいない、
などと浅はかな考えだけで、本来は辞めることができることでもないはずなのである。

今年二人の若者を新人として勧誘した。
一人は、お婿さんでむらに新しく入ってきた人で、
よく分からないことが幸いしてか、二つ返事で入ってくれることになった。
もう一人は、妹の同級生。
昨年結婚したばかりで、所帯持ちになったので、そろそろ出てきてくれ
と頼みに行ったのだが、
肝心の本人は不在。
留守をしていたその家の婆さんからは
「そんなもん入らんさけ、誘いにこんといて(来ないで)」と
怒られる始末。
飲んでばか騒ぎをする会、と思われているからだろう。

たしかに、ばか騒ぎは、ちょっと度が過ぎているかもしれない。
いつも、飲み食いの代金よりも、コンパニオンの代金の方が高いのである。
新年会は温泉で行うのだが、それに至っては、
温泉の宿代よりも、コンパニオン代の方が高いくらいなのである。
昨年会計の役をやってもらった僕の幼馴染は(今年は副支部長)
去年の収支報告書作成を自分の奥さんに頼んだらしいのだが
(奥さんは会社で経理をしていたので)、
渡した領収書の中で、コンパニオン代の明細の中に
コスプレ料という項目があり、それが多額になっていたことで
ちょっとした夫婦喧嘩があったとぼやいていた。
(そんなものを奥さんに頼んじゃぁ、いけない)

僕も当初は、そのばか騒ぎに戸惑った。
やり過ぎだと思われる行為もあった。
しかし、1年に2回ほどのこのばか騒ぎが
普段ほとんど顔つきあわさない、
農地があるけど農業なんてどこ吹く風のむらの若者たちを
会に呼び出してくる効果は大きいのである。
農協青年部に入り、数年たつと役員を務めることになる。
そして支部長を務めた次の年は、農家組合の組合長を務めるように
僕のおやじの代から、そう決まっているのである。
ここ数年、その決まりが守られず、
農協青年部には入るが、そろそろ役が回ってくるのを察知すると
辞めてしまう人が後を絶たない。
農家組合の職責は、むらの米1億円分の売上と
組合員73戸に、村独自の減反率を計算して、それぞれに要請する
というかなり重いものである。
減反を守らない家には、反則金や罰則を科すことができる
むらのなかではかなりの権力のある職なのである。
農業を直にしておらず、しかもそれ自体に興味のない人は
そんな面倒には関わりたくない、というのが本心なのだろう。

だが、江掘りと同様、それはむらの共同体としての問題なのである。
地権者の家として村の中に存在している以上、
その責任から逃れることはできない。
誰かがやってくれればいい、などと自分勝手な論理は通らない。
そんな面倒で、今の時代にぜんぜん合わないように見えている活動だからこそ
(僕から言わせれば、この時代だからこそ大切にしないといけない地縁なのだが)
一つばか騒ぎでもやらなければ、人が集まらないのである。

論理的にむらの共同体の在り方について説きまわっても、
それに共鳴して出て来てくれる人なんているのだろうか。
僕にはそう思えないから、
今年は僕が主催で、このばか騒ぎを取り仕切る。
ばか騒ぎという親睦、つまりはそれでもしない限り顔を合わさない地縁関係を
今はどうにかつなぎ止めておきたいのである。

その方向じゃない方策も、いろいろとは考えているのだが・・・。
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夜、割り当てられたむらの家を回る。
むらの農家組合の役員で、水稲共済異動申告票などの書類を
各農家に配って歩いた。

今の農水大臣が何やら言っているようだが
今年も例年通り、先日の役員会で、今年のむらの減反率が決まった。
それに合わせて、各農家に要請する減反面積を割り出し、
書類を配って歩く時に、その減反要請面積を伝えて歩かねばならない。

うちのむらの水田は80ヘクタールを超え
農家組合の組合員は73世帯
実際に耕作しているのは、このうち40世帯弱。
この40件弱に対して、各家の減反要請面積を伝え歩かねばならないのだが
田んぼの耕作権が複雑に移動し合っているため、
その都度、地図を広げ、聞き取っていかないといけない。
しかも、管理の都合上や農地の形、あとうっかりしていたなどなどで
減反の要請面積から100や200㎡ほど足りない農家が
実測し始めると続出してくるもので、それらの足りない分を
ハウス園芸農家など、自動的に減反をたくさん行っている農家から
少しずつ振り分けて、最終的にはむらの減反率を達成するように
調整するのが、農家組合の大きな役割の一つである。

減反政策だとかなんとか言いながら、
行政は各戸に減反の計算はしない。
農協を通じて、地域に、そしてむらに丸投げしてくるのである。
地域では、JAの加工用米(もち米)の出荷を村ごとにどれだけ請け負うかによって
村の減反率を下げることができ(もち米は減反になる)、
むらでは、畑や園芸をしている農家等との間で調整して
戸別には減反達成していなくても、むら全体で達成できるように調整するのである。
このやり方が、なんだか江戸時代の年貢請負制のようで
むらで受けた年貢を、戸別にはどこかの家がダメでも、
村全体で達成するような感じなのだ。
そう、これが村の大きな役割のようにも感じる。
行政と各戸の間に、それらの政策の緩和剤として存在するむら。
その調整の経験が、ぼくには、
行政と従属的な関係に固定化されているものではなく
むらの自治能力に反映しているのではないか、と映るのである。

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足場

12日、足場が組まれる。
L型擁壁の外側に足場があるので、これが実際の家の大きさではないのだが
こうして、足場が組まれると、なんだかやたらと、大きな家になりそうで
なんとなく、身分不相応な気がして不安になる。

工務店さんや設計師さん曰く、
「基礎だけをみていると、え?こんなに小さい家?と思われる方が多く、
建前が終わって、全体像が見えると、えええ!こんなに大きな家!と思われる方が多く、
さらに、家の中を部屋で区切ってみると、まぁ、こんなもんかなぁって思われる方が多いです」
とのこと。

土台工事

翌日の13日。
大工さんたちと初顔合わせ。
大工の棟梁は、感じのよさそうな人で、
「私も田圃を1.3町ほど作っている兼業農家なんですよ」
と言われると、なんだかそれだけで安心してしまうので、不思議なものだ。

土台の木を順番にアンカーボルトにとめていくのだが、
基礎と土台の間に、黒い資材を挟み込みながら、土台となる材木をとめていく。
これは、かつてはネコ土台と呼ばれていたものと同じ役割をしており
基礎と土台の間に隙間を作って、土台の材木や床下の乾燥を目的としている。
手抜き工事だと、これが省かれることもあるらしい。

アンカーボルトと土台は、アンカーボルトの上部のねじが三山残して
止められていなければならないのだが、
一部、立ち上がり基礎の養生のために被せたブルーシートのせいで
アンカーボルトが計算よりも沈んでしまった箇所があった。
こうなると、アンカーボルトの頭が土台から出ないために、
アンカーボルトと土台をつなぎとめるのが困難になってしまう。
そこで、工務店さんが持ってきたのが、これ。

アンカーボルトの留め具

土台に頭が出ないアンカーボルトをつなぎとめる器具。
もともと土台の面から合板を張って床を作る時に使われる留め具。
これを使って、土台と基礎をとめていった。
ただし、この留め具が使われていたのは、
僕が確認したところ、勝手口付近のみだった。
強度的には問題がないという説明だったので、
特に気にはしていない。

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忙しい時間をやりくりし、
日本政策金融公庫福井支店の講演会に参加する。
演者は、まだ20代の若者。
株式会社NOPPOを主宰する脇坂真吏氏。
この会社が何をやっているかは、以下のリンクに説明を譲ろう。
http://agri-portal.net/noppo/
「若者と農業の出会いを求めて」という演題で
90分ほど話を聞いた。

講演の中でもっとも印象深かったのは、
脇坂氏は、負の6K産業である農業を
(きつい、汚い、危険、に加え、稼げない、臭い、結婚できない、の6K)
正の3K産業として紹介していく、と力強く語っていたことだった。
(格好よくて、感動があって、稼げる、の3K)

前々から農業のとらえられ方が随分と変わってきたことは
各種メディアを通じて感じてはいたのだが、
実際に講演を聞いていて、それをより強く感じた。
農業に対する社会的イメージが、15年ほど前とはまったく違うのである。
僕が15年ほど前、大学生だった時
よく大学生で農業を志す者同士が集まって(農家の長男が多かった)、
これからの農業を話し合ったことがあったのだが、
その時は、如何に稼げる農業をやるかが、主な議論の対象であり
感動や自己満足的な意見は、皆から軽蔑されることが多々あった。
しかし、講演でのイメージは、
まさにその正反対であった。

さて、僕らの農作業内容は、この間、ほとんど変わっていない。
まぁ、若干機械化が進んだ分
6Kの“きつい”が幾分かゆるんだような気もするが、
その分、初期投資が高くつき、“稼げない”は以前よりも増したような感じもあるので
どっこいどっこいな感じであろう。

その中身に変わりがない農業が
若者の間では、(というよりは、これは社会的な評価であろうが)
かっこよくて、感動があって、に変わってきている。
(稼げるかどうかは、ここでは議論は省こう)
しかも、それは軽蔑されるような意見ではなくて、だ。

さて、そのイメージの変化だが、
講演後にすこし質問をさせてもらい、その回答として得たのが
仕事に対する満足感だという。
超満員の通勤電車に長時間ゆられながら出勤し
ストレスの多い仕事をこなす現在の都会でのあり方こそが
負の6Kだと、脇坂氏はいう。
そこには、稼げるといったことをさほど重要視せず、
自分自身の満足感を満たしてくれる仕事に就きたいという
価値観の変化なのであろう。

かつて農業は、その所得の低さから
跡取りの多くは、仕事先を探しに都会へと出ていくのが当たり前だった。
“稼ぐ”ことが、価値の最も高いことであった。
それが今では、自己表現と労働の満足感を得られることから
農業が脚光を浴びているように見えるのである。

NOPPOの取り組みとして、これは面白い、と思ったのが
農家のこせがれネットワークである。
実家が農業であるのに、農業を継がず、都会で働いている若者を
地元の戻してしまおう、という取り組みで、
それは、そういった若者の農業に対するイメージを
農業外から変えていこうとしている様に見える。

自分たちが負の6Kだと思っていた産業が
都会の非農家の若者との交流や
自分の会社での労働、
そして社会的イメージを感じることによって、
だんだんと正の3Kへと変わっていくのだろうか。
いずれにせよ、おもしろい試みではある。

うちのむらにも農業をせず、他で働く若者も多くいる中
こうした社会的イメージを感じ取れる、
また仲間で価値を共有できるネットワーク的な取り組みは
むらの農業を支える人材を生み出す上で、学ばなければいけないことなのであろう。

所得向上のみを純粋に否定し、
自己の満足感を社会的な使命感を達成することで
満たされていくという姿勢を全面に出した講演だった。
演者の若さもあってか、それは十分に説得力があった。

最後に県の農林水産部の人からも質問があった。
行政ではできない(そこまで踏み込めない)活動を
このNOPPOが多く行っているのだが、まさにそれが行政の支援の限界なのだろう。
社会企業家的な精神が、行政が制度的な制約の中で
支援を十分に行えなえず取り残されつつあった箇所にも
補完的な役割どころか、行政を超えて支援していくのだろうと思う。
ただ、それを正しく導いているのは
社会的なイメージと価値で、それがいったん狂い出せば
(というか、自分たちが正しいと思い込んでしまえばだが)
それは新たな従属的な関係を生むだけにすぎないのだが
そこまでは、現在のNOPPOでは杞憂にすぎないのだろう。
ただ、書籍「ネクストマーケット」に取り上げられている事例の中には
明らかに、外部による新しい価値によって作り出される
新しい従属関係がみられることも事実なのである。
それは、これから慎重に見守り続けなければいけないであろう。

いずれにせよ、いろいろと考えさせられる講演だった。
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P2100007.jpg

机いっぱいに広げられた種。
袋の一つ一つが、品種の違う野菜。
何種類あるのかも、もう数える気もしない。

これらを並べて、春からの播種計画を、
大雑把ではあるが、立ててみる。

限られた農地の中で、混乱なく、しかも悪影響が出ないように、作りまわす技術。
今年で4年目になる取り組みになるのだが、
年々品種が増えてきて、管理がややこしくなっていく。
栽培だけでなく、自分で種採りをしている品種もあるので
それらとの兼ね合いで、圃場をどう使うかの計算は
すでに僕の能力を超えようとしている。
でも、それが楽しい。

この取り組みの中から、売る農業として
販売に力を入れる野菜もちらほら出てきている。
今年は、ナスだけでも8種類の品種を試す予定でいる。

それぞれの野菜の特徴を知り、
輪作、混作を組み合わせて、作りまわしていく技を
今年も磨いていこう。
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土台の材木運搬

土台の材木が運ばれてくる。
休み明けには、土台工事の予定。

ちなみに材木検査の時に、
角から1.5センチに節のあるものは・・・と記述したが
正確には、角にある節(死に節、欠け節)が、1.5センチ以上の材木の場合は、
それは使用しないということ、とのこと。
大工さん等が、木工事の中で1.5センチは材木を欠くこともあるので、
1.5㎝までの幅の節は良いが、
それ以上になると、
工務店さん曰く
「気持ちが悪いので、使いません」
とのこと。

とにもかくにも土台の材木が運ばれてきた。
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日曜日は、インドネシア研修生への講義の日。
今回は、まんが農業ビジネス列伝のシリーズの中から
愛媛の直売所「からり」を取り上げて、討論をすることに。
2週間前からテキスト(まんが)をH君に渡し
分からない単語や意味不明な箇所は、そのつど、インドネシア語で伝え
なんとか最後まで読んでもらった。

毎回のことだが、このまんが農業ビジネス列伝の本読みでは
まずH君が、テキストについて15分間のプレゼンを行い、
その後に討論、そして補講という形をとっている。

さて、その「からり」。
JAが建てた直売所で、現在ではどこにでも見られる直売所の一つ。
直売所の運営に焦点があたっているのではなく、
直売所を通して、ある女性が農業の面白さに気が付き
舅や夫との関係の中で、農業労働者から農業経営者へと変わっていく様が
描かれていた。

直売所のもつ性格の一つに、
商品の価値を規定するものは、卸や仲卸といった中間流通業者ではなく
生産者と消費者のダイレクトなつながりのなかで生まれている、というのがある。
だから、木の切り株でも商品になるし、
消費者に浸透していない高級野菜(根セロリとか)は
いくら値段を下げても売れなかったりする。
それと対比して、物語の中で、主人公の「文子」さんを通して、
農業を経営する夫たちもまた、市場やJAの価値で商品が決められていく、
いわば、農業労働者でもあるという指摘があった。
まんがなれど、なかなか侮れない、鋭い指摘である。

H君との討論では、焦点は労働の喜びであった。
直売所の存在が、主人公「文子」さんを、夫や舅にこき使われる農業労働者から
自分で新しい商品を開拓して販売する農業経営者へと変えていく。
そしてそこには、農の喜び、ひいては労働とは何かを考えさせてくれるものがある。

H君に農業の喜びは何か、を尋ねてみると
「やはり作物が売れた時が楽しいです」と答える。
市場や商人に対しての販売では、自分の作物をプロの目で高く評価してもらった時が
その喜びを感じると言い、
消費者に直接販売した時は、美味しいなどとちょっとした会話を通じて
意見を交換できるのが楽しいと、H君は言っていた。
H君、君は、農業の喜びをすでによく解っているんだね。
こういう若者が、日本には少ない気がする。
少なくとも僕の周りには、あまり居ないのが残念だ。

農業を所得で見てしまえば、それはとてもみすぼらしい存在になってしまう。
今、僕の所得を見ても、30代がもらう平均年収の半分にもならないのだ。
それでも、十分豊かに生活できているし
特に不便も感じない。
家業というものが薄れ、仕事が選べるのはとても良い時代のような気もするが
片方で、何を選んでよいのか分からず
わかりやすい所得といった、それこそ自分の価値を下げてしまうようなもので
仕事を選んでいるのが、今の時代ではないだろうか。
労働の喜びは、なにもお金ではないのだから。

次にH君と議論になったのは、農村のジェンダー問題。
主人公「文子」はなぜ、舅と夫との農作業の中で
同等の農業経営者ではなく、農業労働者的な仕事であったのだろうか。
そこで、これまでの農村の女性の役割について講義をした。
昔、うちの祖母やそれ以前の時代、
「嫁は角のないウシ」と呼ばれた時代があった。
足入れ婚などといって、結婚前に何日間かお試しで
夫となる家に入り、仕事や家事をしたり、さらには夜のお勤めもし
合わなければ、やんわりと結婚を断られた時代もあった。
うちのむらでの聞き取りでも
そういう経験をしたお婆さんがいる。
(彼女の場合は、足入れ婚の3日間は接待されまくったそうだが)。
女性の権利なんてものは、ほとんどなく
いつぞやの大臣が放言した(こんな人間が自国の大臣だと思うと、情けない・・・)
「女性は子供を産む機械」なんてセリフは
その頃だったら問題にならなかったのではないか、と思うくらい
ひどい待遇だった。

性別的な役割ではなく、社会的文化的役割によって
マージナルにおかれてはいけない。
H君の地方では、田植えは女性の仕事らしい。
一般に日本でも昔はそうだったという記述が見受けられる。
が、うちのむらでは、男性も田植えをしていたと祖父母世代はいうし
インドネシアでも僕がかつて協力隊員として派遣されていた任地では
田植えにおいては、むしろ男性の方が、人数が多かった。

田植えについて、かつて読んだ宮本常一の本では
女性たちが自分たちの労働を誇らしげに、語るシーンがあったが
それは田植えという役割自体が
女性たちをマージナルな存在に置いているということではない、という指摘でもあろう。
社会的文化的役割が固定化されているという
個人の認識が、労働の喜びを奪いさるのではないかと思う。
制度の認知の仕方という話になると、個人の考え方のようにも捉われてしまうが
そうではなく、それは主体的な問題なのであろうと思う。

主人公「文子」は、舅と夫との労働の中で
なんとか喜びを見出そうとあれこれ試してみたのだが
そのすべてを夫や舅に金銭的価値によって否定されてしまった。
そして関係を変えるきっかけもなかった。
そこに現れた直売所「からり」。
売れないと夫から言われたものでも
文子は徐々に売り上げを上げていき、ついには夫からも認められ
経営を分けてもらい、農業経営者になる。
もちろん、所得向上も自信につながっただろうが
それ以上に、この物語を読む限り
そこには、労働への喜びがあるように感じる。
自分が評価されている、また皆と価値を共感し得る(文子の場合、夫と消費者と仲間たち)、
その主体的な感覚こそが、
僕らが労働をする喜びへとつながっているのではないだろうか。

H君との議論の中で、彼はどうしても労働の役割自体に
女性の問題を見てしまう傾向にあったのだが、
問題の本質は、それの役割自体ではないのだろう。
その中身として、それぞれの労働に対する主体的な喜びなのではないか
と僕は思う。
このあたりは、H君に伝わったかどうかは定かではない。
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P2080020.jpg

型枠がとれて、これで基礎工事はおしまい。

建前は、17日に決定。

基礎表面をモルタルで仕上げるかどうかは、
モルタルの内部が、シロアリの蟻道になるケースもあるので
モルタル仕上げは無し、としていたのだが、
ここらの白アリが、ヤマトシロアリであることを考慮して
見栄えを優先し、モルタル仕上げしてもらうことにした。
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農業視察に参加する。
福井市の若手農業者クラブが企画した農業視察。
行先は、お隣の石川県。
加賀野菜見学と白山市にある株式会社六星を訪問した。

今回は、この六星について書こうと思う。
応待していただいたのは、会長のKさん。
約1時間半、六星について説明を受けた。
六星は、現在120haの田圃を作付し、野菜や加工も手掛け、
また直営の直売所も経営し、
1万件の顧客を抱え、それらに直接販売も行っている。
年商は6億円にもなる企業である。

もともと六星は、昭和52年に近隣のレタス栽培農家5戸で集まって、
生産組合を作ったことが始まりだった。
それから農事業組合法人(S54)になり、ハウスでのトマトや
農産物加工まで手掛けるようになった。
そして平成元年に有限会社六星生産組合に組織を変えた。

「仲のいい農家連中が集まって組織を作っても、10年くらいでうまくいかなくなる」
と北村さんは自身の体験を振り返って話してくれた。
メンバー内での軋轢やずーっと将来まで見渡しても先が見えてこない現状であったため
このまま組織を続けるか、それともいっそやめてしまおうか
とまで議論になったそうである。
ただやめるにしても農地をかなり借りていたため、
それをそのまま地主に返すわけにもいかず(地主にも叱られたとKさんは話す)
それなら、この地でずーっと農業を続けていける形を作ってしまおうと思い
後継者作りのために有限会社の形にしたそうである。

平成5年ほどから若い人材を雇い始める。
雇い方にもKさんの哲学があるようで
「新入社員のほとんどは大卒しかとらない」とのこと。
初任給は19万円。
Kさんの話によると、
全国の有限会社の平均初任給が12万から14万ほど、とのこと。
「うちでは、他よりも高い給料を払っている。それはいい人材を採りたいということと、農業であっても、普通の生活ができるようにしなければ、本当にいい仕事はできないからだ」
と語ってくれた。
農業というのは、いちいち仕事を指示していられないところがあり
「1を聞いて、1しか出来ないやつはいらない」とKさん。
1を聞いて、3,4もできるやつを採用しようと思うと
大卒になってしまうのだとか。
まぁ、大卒というくくりが、仕事ができる人間のカテゴリとして
適当かどうかは、はなはだ疑問も残るのだが、
Kさんはそう信じている様子だった。
また採用には、地元の人間かどうかは全くこだわらない、とKさん。
社員の半分以上が県外の人間だとか。
実際に役員は現在7名いるのだが、創業者の4名の役員以外は
全員県外の人間だという。
現在の社長も創業者とは縁もゆかりもない東京出身の人だとか。
農業に対して素人な人材でもあるためか、
既存の考えにとらわれない自由な発想をする社員も多いという。
会社としてはそれらアイディアをできるだけ汲み取り、
事業化できるかどうか、社員間で協力させてやらせているという。
「できるだけやりたいことはやらせてみる」とKさんは語る。
そういう社風だからだろうか、加工は餅に始まり、お菓子、弁当、さらには和菓子までと
多彩なラインナップであった。
地元情報誌にも積極的に売り込み
独自の情報誌もつくり、インターネットも最大限に活用し
直売所のレイアウトも社員のアイディアが隅々まで反映されていた。
「一人で農業していると、その人ひとりのアイディアだけしかない。でも、大勢でやれば、いろんなアイディアがどんどん出てきて、いろんなことを事業化できる」
とKさん。
だから、良き相棒を探しなさい、と
僕ら若い農業者に語っていた。

Kさんはこれからの地域農業についても考えていた。
「まわりに20町(ha)ほど田圃を作っている農家が、何件もあるが、そこの高齢化が今後問題になってくる。うちでは、そういう地元の有力農家が高齢化でダメになるちょっと手前で、うちでその面積を引き取れるように準備している」
と語ってくれた。
六星のある地域には、田圃が160町(ha)ほどある。
その田んぼの6割の作付けを、六星が請け負っている。
今後はどんどんそれらを取り込んでいきたいようであった。
すでにそれらを取りまとめるための法人が別に立ちあげられており
そこが地元の地権者と六星との間に入って、田圃を取りまとめているようであった。

Kさんが危惧するのは、それは土地の所有は認められているが
耕作権が法律上、弱いということ。
地権者が定年になったから田圃をしたいと言い出しても
耕作者である六星は、嫌ともいえず、すぐに返すしかないのだ。
六星がある集落には、片側2車線の国道バイパスが走り
大きなショッピングモールやファミリーレストランなどが立ち並ぶ。
まだ六星が、50haほどの耕作しか請け負っていなかった時代に
大型ショッピングセンターがやってくるということで
ショッピングセンターの予定地に田圃があった地権者たちが、
田圃を返してくれと突然言ってきたことがあった。
その面積が7ha。
土地が大きな資本である農業事業において(特に田圃は)、
次年度の耕作面積が、いきなり14%ダウンになったことをKさんは経験している。
その経験からであろうか
耕作権というものをもっと強く主張できるような法律の改正を望んでいた。
(地権者が返してくれと言っても、ある一定期間は耕作権を認めてもらえるような権利)

Kさんのやり方は
ある意味、これから衰退していくであろう地域農業を
支えていく一つの枠組みの事例であろう。
新しい考えを取り入れていく組織を作り、
外部の人間でも参画できやすいように組織の透明度も高くし、
そして、豊富な資本力と販売力で、
高齢化になって耕作できなくなってきた個人農家の農地を
次々と請け負っていく。
これはある意味、これからの農業の形なのかもしれない。
ただ、僕には引っかかることがある。
農業は産業なのだから、儲けがないことには始まらない。
当然、儲けを出していける組織が、耕作放棄になるような農地を
次々と耕作して、そして農家じゃなければ農業ができないような
参画し難い現在の農業ではなく、受け入れ口として透明度の高い株式会社が
それらの地域に存在し、どんどんと若手を吸収していければ
ある意味自給率も向上するだろうし、
資本や若い力も効率よく農業という産業に投入されていくのだろう。
だからKさんの話には引き込まれたし、素晴らしいとも感じた。
だが、僕にはひっかかることが、一つあるのだ。
それは「むら」(農村)の存在なのである。

六星は、地域の田圃を個々の農家に代わって作付しようとしている。
それは高齢化や閉塞感がある農業界にとっては一つのモデルであろうし
今後、農業を担っていく重要な存在になるであろう。
だが、六星は、生産手段組織であって「むら」ではないのだ。
農村とは、その生産様式と居住空間とが空間的に一体になった
地縁血縁が入り混じった特異的な空間をさす。
農地を生産手段と捉えるとともに、そこには生活空間も存在しているのである。
だから「むら」は、個々の生産が向上するようにも機能するが
時には、生活空間としての利便性を優先し、生産の向上を抑えるようにも機能する。
「むら」はその二つの間で、バランスを取り続けてきた組織なのである。
六星が、生産として農業をとらえるのは、それが産業である限り
とても真っ当なことなのだが、
だが、六星はすべての農地を耕し始めたとしても
「むら」にはなれない。
その生産手段である田圃と生活空間を一つにしている「むら」の居住者の福祉には、
現時点の組織では、一切なんの益も与えることはないのである。

かつて読んだ本に
生産者組合と集落営農を比較して、
その社会がもつ「むら」と「いえ」の価値感の違いによって、
法人化の進む道がかわることを考察していたものがあった。
「いえ」が強い地域では生産者組合になる傾向が強くなり
「むら」が強い地域では集落営農になる傾向が強いとあった。
ただうちの集落やその周りを見ても、
たとえ生産者組合の形をとっていても、その構成員が「むら」を軽んじることは少なく
「むら」のつながりを大切にし、その中の組織維持に努めているケースが多い。
まだ書評を書いていないのだが
先日ようやく読み終わった「地域開発と開発」では
集落や地域といった「むら」などのつながりのなかで得てきた経験値が
政策の変化や農を取り巻く情勢の変化の中で
個々の農を守り、それらの舵取りに寄与していると考察されていた。
それは保守的なものではなく、よりよい生活のために欠かす事が出来ない組織なのである。
国家と個人の関係においては、
僕らは一人でそれらに立ち向かえることはない。
その間に入る組織が、その調整を行い、個々の生活を成り立たせつつも
国家の介入を緩やかなものにするような機能が働いているのである。
それは哲学者・内山節も「自由論」のなかで指摘している。
とくに、農村という生活と生産とが空間的に一つになっている特異的な場所においては
これらの考えが、そこに住む地縁の集まりにとっては
今後も色あせることなく、むしろこんなご時世だからこそ
輝きを増していくように、ぼくには見えて仕方がない。
そうであるからこそ、僕は、
六星は、はたして「むら」になれるのかどうか、
その気があるのかどうか、が気になってしょうがなかった。
株式会社として豊富な資金を用意し、
外の人間をたくさん入れ、活力ある農を目指す。
僕はそれに全く反対はしない。むしろ僕も目指したい。
だが、その社員は、地縁的に結ばれていない農村の構成員たちの福祉をどう考え
それに対して、どういうアプローチをとるのか、
それが気になってしょうがなかった。
株式会社は、その構成員の福祉は考えるであろうが
農地と一体になったむらを、営利目的で存在する組織が
どう考えるのか、それを知りたかった。

今回は若手農業者での団体での訪問ということもあり
皆の関心が経営に集中していたため
僕が以上のことを質問に出せば、場が白むのではないかと
ひとりで危惧し、僕は口を閉ざしたままになってしまった。
今一度、訪問する機会があれば、僕はKさんに問いたい。

社員は耕作している農地があるむらの活動に参加していますか?と。

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基礎工事もいよいよ大詰め。
基礎天端の表面を誤差数ミリで均す作業をする。
埋め込んだネジの頭を、レーザーレベル高さを調整し
その頭に合わせて、自然とレベルの出るモルタルを流し込む作業。
この天端に、土台の材木が乗るわけなので、
ここがきれいに均されていないと、躯体に影響が出てしまうので
慎重な作業となる。
基礎天端の均し


前々日にレベル調整して水糸を天端沿いに張り、
それに沿ってネジの頭のレベルを合わせる作業をした。
今日も朝から、一つ一つのネジの頭をレーザーレベルで確認し
作業に取り掛かっていた。

ねじ2

流し込むモルタルは、水のようで、
流し込むだけで、均等な高さになるという。
ネジの頭まで流し込めば作業は終了。


さて、午後からは工務店さんと一緒にプレカット工場へ。
材木一つ一つを一緒に検査して回った。
プレカット工場

チェック項目としては、乾燥度合はどうか、が主で
一つ一つの柱に含水率が出る検査機を当ててチェック。
すべての柱が18%以下の含水率だった。
また柱の角に節があるかどうかもチェック。
角に節があると、節が抜けやすく、柱が欠けてしまうからだそうである。
角から1.5cm以内に節があれば、その木材は使わない、と
工務店さんは言っていた。
和室の柱は、黒色が出ていないかを入念にチェックしていた。
1本だけ色が悪かったので、少し削りをいれてもらって
それでも黒が消えないようならば使わない、と工務店さん。
プレカットの工場の担当者は、
「削ってから使わないって言われても困るんだけどなぁ」
と少々困惑気味ではあった。
土台、大引、火打、通柱、梁、間柱、棟木、小屋柱
などなど、大方の柱をチェック。
普段は見えないはずの柱一つ一つを自らチェックすると
なんだか愛着がわいてくる。
さぁ、いよいよ建方だ。
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節分。
ということで、娘と一緒に鬼の面を作る。

僕「○るちゃん、鬼の絵を書いてねー」
娘「わかったよー!」

ご機嫌で画用紙いっぱいに絵を描き始める。
鬼の顔の輪郭を描いたつもりが、なんだか長細くなってしまって、

娘「これはねー、レモンなの」
僕「鬼の顔じゃないの?」
娘「うん、だってレモンでしょ、これは」

どうやら、自分で書いた鬼の顔の輪郭が長細くなってしまって
それを見ているうちに、レモンに見えてきたらしい。
で、1枚目の絵はレモンということになった。

僕「次はレモンじゃなくて、鬼の顔を書いてね」
娘「じゃあ、パパも書いてね」

どうやら鬼の顔をどう書いていいのか分からなかったようで
僕が鬼の顔を描くと、それを見ながら鬼の顔の絵を書いてくれた。
その二つを厚紙に貼り付けて、お面を作成。
二つの鬼の面ができたのだが、どういうわけか
娘「このレモンもお面にして~。これはママのだから」
というので、レモンもお面にした。
その時作った面がこれ。
鬼の面


さっそく、家族でかぶってみたのだが、
妻だけがレモンというのは、なんとも変な感じである。
記念撮影をしていて、ふと思ったのだが
ママが、レモン、ママがレモン・・・ママレモン!?
娘よ、やはりお前にも妻と同じ大阪の血がながれているのか!
というのは余談

さて、翌日。
妻は早朝から出張のため、朝からぐずりまくる娘。
だので、保育園から帰ってきたら楽しい豆まきをしよう、と約束をして
なんとか機嫌よく保育園に連れて行った。

夕飯後、早速娘と二人で豆まきをする。
普段、落ちている物を口にしてはいけない、としつけているので
本当の豆をまくこととの間で正誤性がとれないため
画用紙で豆をつくり、それを同じ画用紙で作った入れ物にいれて
豆まきをすることに。

前夜に作った鬼の面をかぶって、僕が「うおー!」と雄たけびをあげて登場すると
娘は、はじめはちょっとビビった感じだった。
だが、作り物の豆をぶつけると、
僕がくるくるまわってへたばってしまうのがわかると
娘は大興奮。
僕が隠れて突然出てきたり、豆をよけたりし始めると
娘の興奮のボルテージは最高潮に。
掛け声もはじめは「おにはーそと!」と言っていたのだが、
いつの間にか
「そとはーうち!」とか
「うちはーそと!」に変わってしまった。
鬼の面が二つあったので、二通りの豆まきをしたのだが
どうしてもレモンでも豆まきをするというので、
レモンの面をかぶって、豆まきをした。

こうして今年の節分は無事終了した。
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1月31日の寒の頃。
今年もこの時期に味噌づくり。
老舗の味噌屋で行われている味噌づくり教室に夫婦で参加。
今年からは、3歳になった娘も
イッチョマエにエプロンをして参加した。

味噌づくりは、一人として同じ味にならないところが面白い。
味噌づくり教室の先生役をしてくださった味噌屋の主人の話によると
味噌の酵母には160種以上の菌がいるらしい。
そして、味噌を作る人の手の雑菌や、
その味噌を保管しておく場所の条件によって
その味噌菌の中から繁殖していくものもあれば、繁殖しないものもあるとのこと。
そのピークが夏場の暑い時で、
秋から冬にかけて涼しくなる時に
繁殖して増えた菌が、味噌のうまみにかわるという。
単純に考えても160種の菌の組み合わせなのだから
味の幅は、天文学的な数字になることは間違いない。

昨年作った味噌は、一昨年よりも上手くいった。
味も色もよく、風味も好みの味になった。
木造りの味噌の押さえ蓋は、3年前から同じものを使用しているのだが
昨年の味噌の匂いが残っていて、その木の間に味噌の菌がいる。
特に消毒もせず、今年もそれを味噌の押さえ蓋にした。
味噌屋の主人が
「同じような味噌ができますよ」と言ってくれた。
この蓋は、僕のちょっとした宝物となった。

味噌屋の主人は、味噌づくりに中にいろいろなことを教えてくれる。
今年は塩について学んだ。
塩は天日塩にしてください、と主人は言う。
天然塩では、塩化ナトリウムの量が足りないのだという。
味噌づくりにおいて塩の役目は、
酵母や雑菌の繁殖の抑制なのである。
味噌は、一年で一番寒い寒の頃につくり、夏場を過ぎて
秋になり、冬が近づいてきた頃に出来上がる。
その時間が大切で、それまで一気に菌が繁殖しないように
長い時間をかけて繁殖するようにと、塩を入れるのである。
天然塩は、なんだか健康に良さそうなのだが
塩化ナトリウムの含有量が75%ほどと低いそうである。
ミネラルや鉱物が入る分、塩化ナトリウムの量がへるのであろう。
それに比べて、天日塩は塩化ナトリウム量が90%以上と高い。
「天然塩でやるのなら、塩の量を増やさないといけないです」
と主人は言う。
すると味噌は塩っ辛くなってしまうとのことだった。
何が健康にいいのか、そのイメージだけでは分からないことも多いようだ。

さて、初参加の娘。
麹と塩を混ぜているときは、塩で手が痒くなり早々に脱落。
しばらくは味噌屋が出してくれたお菓子(味噌せんべい)を
もらっておとなしくしていたのだが、
味噌をこねる段階で、再び参加。
一緒にこねて粘土遊びさながら、お団子をたくさん作ってくれた。
それを僕が味噌桶にたたき入れて
味噌を仕込んでいった。
最後は、お菓子を際限なくほしがったために
僕ら親に怒られる始末だったが
それでもこの子にはいい体験だったのだろう。
仕込んだ味噌を玄関の寒い所においてあるのだが、
保育所から帰ってきた娘が、
「お味噌おいしくなった?」と興味深く味噌桶を撫でていた。
おいしい味噌になるといいね。
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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

メールは
taya.tアットマークnifty.com
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