立ち上がり基礎打設

本日天気晴天なれども波高し。
というわけで、今日は立ち上がり基礎のコンクリート打設が行われた。

一つ気になったことなのだが、
それはアンカーボルト。
立ち上がり基礎の鉄筋にアンカーボルトが固定されないまま
コンクリート打設を迎えたのだが、
工務店さんが言うには、
「固まったころに、アンカーボルトを差し込んでいきます」
とのことだった。

アンカーボルトとは、構造部材(木材や鋼材)もしくは設備機器などを固定するために、
コンクリートに埋め込んで使用するボルトのことを指す。
アンカーボルトは、引張りやせん断に抵抗することによって、
コンクリートに取り付けられた構造部材(木材や鋼材)もしくは設備機器が、
分離・浮遊・移動・転倒することを防ぐ役割をもつ。(by Wikipedia)

さて、
以前、農舎を建てたときは、アンカーボルトは
立ち上がり基礎の鉄筋に結び付けられていた。
が、今回は、コンクリートを流し込んでから
いわゆる「田植え式」で差し込まれていったのである。
工務店さん曰く
「きちんと立ててやれば、斜めになる心配もない」とのことだった。
現場ではそう説明されれば、そういうものか、と思うしかなく
帰宅後、いろいろとネットで検索をしてみた。

アンカーボルト


大半の意見としては、
「田植え式は、手抜き」と批判する声も多い。
が、その一方で、田植え式も埋め込みのタイミングと設置個所、
首だし長さの精度が悪くなければ問題ないという意見もあった。
参考ページ:http://www.ii-ie.com/pastlog/lng0311/03110007.htm

僕はこれを判断できるだけの専門知識はない。
となれば、工務店さんを信頼するかしないか、という問題なのである。
信頼しなければ、家なんて建てられない。
とりあえず、一方的に田植え式が悪い、とは言い切れない箇所が
認められる以上、この場合、僕は工務店さんを信頼しよう。
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P1270035.jpg

工事再開。
基礎ベースを年末に打ってから、1か月以上が経ってしまったのだが
遅ればせながら、立ちがあり基礎のコンクリを近日中に打つ。

新年に入ってから、基礎ベースと立ち上がりのコンクリが
よくくっつくようにと、基礎ベースの表面をデッキブラシであらしておいてあったので
今日は、そこに残っている細かなゴミをコンクリの表面を高圧洗浄機で
洗い流す作業をしていた。
一月以上、放っておいたので、
立ち上がり基礎の鉄筋は少々さびていたのだが、
浮いている錆びでない限り、錆び自体は特にコンクリの付着を悪くするものではない
というのを、工務店さんから説明を受けていたので
これは特に問題視はしていない。
一部で、それはまずい、という意見もあったのだが
いろいろと調べたところ、国土交通省が出している建築指導要領のようなものにも
そう明記されていたので、とりあえず自分では納得している。

とにもかくにも工事再開。
さぁ、良い家を建てよう。
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インドネシアの研修生への座学の話。
前回は上勝町のいろどりを取り上げたが、
今回は高知県馬路村農協のゆずで村おこしを題材にした。
教材は、家の光協会からでている「まんが 農業ビジネス列伝」の
シリーズ9を主テキストにした。
日本語がまだまだ読めない研修生のHくんには、
50ページほどの漫画といえども、読みこなすにはなかなか骨の折れる作業なのである。

さて、その授業。
事前に提出してもらったレポート(5枚程度)を元に
H君が15分間のプレゼンを行った。
そのプレゼンの中で、Hくんは馬路村の成功のカギは
ゆずをさまざまな商品に加工する技術と発想、
そしてそれを強く推し進めた東谷氏(農協職員)のリーダーシップであると
結論付けていた。

この事例考察は、主テキストの情報のみで行われているため
現場での事例とは少々異なるのかもしれないが、
漫画から受ける印象では、僕もHくんの意見と同じである。
近隣の市町村ならどこにでもある「ゆず」を
そのまま販売するのではなく、加工し、付加価値を高め、そして販売する。
しかもその加工は、ただ単にゆず胡椒やポン酢だけでなく
入浴剤や佃煮、ゆず味噌、ゆず茶、ゆず化粧品
はてには商品キャラクターの本やTシャツなどまで
商品開発をして販売しているのである。

そして面白いのが、
上勝町のいろどりは、近隣にどこにでもあるみかんの栽培路線から
つまものに方向転換をして、その特色を際立たせて成功しているが
馬路村は、同様に近隣にならどこにでもあるゆずの栽培路線を維持しながら
いかにその中で突出するかを目指し、多様な商品開発を進めながら
ゆずへの深度を他よりも深めることで、成功している。
どこにでも同じような作目の栽培の中で
一方では、路線転換であり
一方では、その深度を深めることで成功している。

しかし、そのどちらも共通しているのが
その資源を(上勝では山の木々や葉っぱ、馬路村ではゆず)、
当たり前のものとして認識しているのではなく、
資源として意識化していることであろう。
そのことから市場化を進め、ニーズを掘り起こし
そしてそれぞれの商品の質を高めていっているように見える。

H君に、「君の村の特産で馬路村のようなことはできるかな?」と質問すると
「シンコン(キャッサバ)が沢山とれるので、タペ(インドネシアではポピュラーなお菓子:キャッサバを発酵させて作る)が作れますが、どこでも作っているので、あまり売れないかもしれません」
とのこと。
そりゃそうだ。
ゆずだってポン酢だけ作っていたら、あまり売れないだろう。
そこは発想力がためされるのだろう。
シンコンで食べ物に限らず化粧品やシャンプーまでも作る気じゃないと
どこにでもあるシンコンで村おこしなんかできやしない。

それと、Hくんと議論になったのが
「農協」の存在である。
豊富な資金でむらの特産を販売したり、それをつかった商品を開発する協同組合が
インドネシアのむらの中には存在しない。
Hくんは
「馬路村の農協のような団体があれば、良いのですが」
と感想を述べていた。
それは待っていてもできやしないだろうから
ぜひ、君が作りなさい、と僕。
村内のテンクラット(買い取り商人)は一部で
日本の農協のような機能を持っている。
栽培に必要な資金を貸してくれること、
そして販売を請け負ってくれること。
これらが一人の資金で、他の農民と従属的関係の中で行われるのではなく
皆の出資金で協同組合が運営できれば、さらに組織としての幅がでてくる。
まぁ、民間事業体として、H君が農協のような機能を果たすテンクラットになっても
それはそれで面白いと思うのだが。
どちらにせよ、その商才は、
その地域の資源をいかに意識化できるか、ということと
市場の表面的なニーズだけじゃなく、潜在的なニーズに対して
提案力と企画力をもって開拓できるか、が重要になってくるだろう。
また組織のありようとしては、
潤沢な資金だけを用いて、従属的にビジネスを行うのが
一般的なインドネシアでは(そうとも言えないか?)、
ある意味、社会企業家的な考え方も重要なのかもしれない。

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今年からむらの農家組合の理事になった。
僕自身、「農家組合」なるものが、どういう経緯で発生し
そしてどういう経験を蓄積してきた組織であるのか
まだまだ勉強不足ではあるのだが、
平たく言えば、村内の農家が農協に出荷する米を扱う業務と
政府からお達しがくる「減反」を村内に不平不満が発生しない形で
速やかに実施する業務が主の組織なのである。
扱うコメの量としては、年々減ってきてはいるものの
(生産量が減っているわけではなく、農協外流通量が増えているため)
それでも約7000俵の米を扱うのである。
1俵14000円で売れたとして、約一億円の売り上げの物流を
取り仕切るというわけである。

組織概要については、また追々日記の中で説明していこうと思うので
ここでは簡単に説明するにとどめたい。
うちのむらの農家組合は、5名の役員と73名の農家で構成されており
その73名の農家を10班に分け、10人の班長が各班内部で持ち回りで決められ
役員との一般組合員との間の連絡役として
運営の手助けをしてくれるのである。
組合の運営は、各組合加盟農家から上半期と下半期に分けて
「盛」という形で、お金を集めて運営資金としている。
役員と班長はその運営資金の中から、役員報酬があるのだが
それらは積み立てておき、総会前に役員と班長さんとで
慰労会と称して、温泉旅行の資金にあてがわれるので
基本、無給の仕事となる。

さて、その農家組合。
今晩、第一回目の班長会議が行われた。
早速、農協を通じて今年の減反率のお達しが出、その通達のお願いや
配布物のお願い、
そして、今年一年の農家組合の予定を説明して
班長さんにご協力を求める会議であった。
さらに昨年末の総会でもめた(毎年この議題でもめている)慰労会と称しての
役員と班長さんたちだけで行く温泉旅行も、
今年も決行するかどうか議題に挙がっていた。

各農家の「盛」で支払われているお金で、
役員や班長が温泉に行くのは、このご時世ふさわしくない、と
一部の農家がうるさく言うのである。
そこで毎年総会では、次年度の役員と班長さんたちで話し合い
行くかどうかを決めるということで、総会では決議しないことにしている。
というのも、班長の役はなかなかに大変で、
配布物を配るだけでなく、「盛」を各家庭から集めてきたり
それに付随するハンコをもらってきたりと、面倒な仕事が多いのである。
その役を無給でするのだから、やりたがらない人も多い。
せめてみんなで温泉でも行こう、ということで役員報酬を貯めて
温泉に行くようにしているのだが、
それが楽しみで班長が回ってくるのを待っている人もいるのである。
なので、突然、今年から温泉はやりません、と言っても
班長が回ってくるのを待っていた人は承服しないというわけである。
(班長は4年から5年に1回まわってくる)。

今年の班長会でも
約一名が、「こんなご時世ですので、温泉行きは自重した方がいいのでは」という人がいた。
が、「そんなら俺は班長なんて受けなかった」と言い出す人もいて
結局、温泉は行こう、という話に収まったのである。
個人的に言わせてもらえば
こんなご時世だからこそ、むらの自治力向上には欠かせない
地縁による結束と親睦はことさら重要のように思うのだが・・・。

さて、もうひとつ議題に挙がっていたのが
班の構成である。
ある班は、班員が10名もいるのだが、
ある班は、班員が5名しかいない。
昔に決められた班なので、人の移動があり、こういう形になってしまったのだが
10名の班員を抱える班長さんは、それだけ負担が重いので
なんとか班員の構成を変えてくれ、とこれも昨年末の総会で議題に挙がっていた。
その総会では、温泉同様、次年度の班長さんと役員とで話し合って
決めてもらうことになっていた。

この班の編成は、班員数によって班長が回ってくる間隔が
変化するという問題が付いて回る。
班長になれば温泉旅行にいける。
今まで4年に1回だったのが、班員が増えれば、
5年に1回、いや6年に1回になりかねない。
読者の中には、どうでもいい話では?と思うかもしれないが
地縁による集団においては、ともかく不平不満が生まれないよう、
できるだけ公平に益を受けられるように、
(まったく均等に分配するのではなく、みんなが納得できる分配法を考えることである)
みんなが慎重に議論を進めていくのである。
班編成の議題は、班長会でも結論を先送りのかたちになり、
班長同士と役員とで話し合うことになったのだが、
この場合、班長を務めてもらえない家を
(本当はそういう家があってはならないのだが、事情で出来ない家が何件もある)
移動させて、班長が回ってくる間隔に変化がないように、と
班長会の年寄り連中は言っていた。

こうして無事に1回目の班長会は終わった。
むらの中のことを話し合えば話し合うほど、自治が高まる。
そんな気がしてならない。
たとえ、他から見ればそれは他愛もない話であってもだ。
すぐに解決が必要でない問題については、
解決には時間をかけ、とにかく話し合いはするが
結論を出さず先送りにすることも多い。
班の編成問題や温泉旅行問題は、すでに一昨年の総会に議題に挙がっており
その間、何度も話し合われてきたことなのである。
ややまどろっこしい、と思うこともあるのだが、
それが地縁関係の中で培われてきたやり方なのだろう、と最近は思う。
不平不満は必ず受け止める。
そして時間をかけて議論を繰り返す。
一言に裁断するものはどこにもいない。
即決もない。
いろんな意見が、長い期間議論することで積もっていき
なんだか最後には解決を迎える。
そんな感じなのだ。

ちなみに、班長さんで出て来てもらった人たちは
すでに大半が60代から70代の人たち。
僕の同級生の父親もいる。
みんな次の世代がいるはずなのに、出てくるのは親世代ばかり。
僕に課せられた役目は、こういう場に若いものを引っ張り出してくることだろう。
これも長い時間をかけて、そうしていこうと思う。
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実は今、新築工事は止まっている。
ある問題が発生したためだ。
基礎ベースのミスのような小さな問題じゃない。
とてつもなく大きな問題である。

その問題の行方を左右するある検査報告書が昨日、
工務店さんに届いた。
さっそく本日、設計士さん工務店さんとの打ち合わせがあり、
その報告書を工務店さんから頂く。
報告書を渡される手に、いやな汗がにじんだのを今も覚えている。

さて、その問題とは、
六価クロム。
聞きなれない方もいるかもしれない。
実際に、僕も今回の問題で初めて知った物質である。
クロムという物質は、三価クロムという形で通常存在しており
人体を形成する重要な物質なのだが、
その三価クロムが高熱にさらされると六価の形になり
アスベストと並び称される発がん性物質と変わるのである。
皮膚に触れれば、六価から三価に戻る過程で酸化反応を起こし
皮膚炎や腫瘍の原因にもなるのである。
当然、体内に蓄積されれば、発がんの危険性が高まる。
さて、その恐ろしい六価クロムであるが、
どうして家づくりの過程で問題として浮上してきたのであろうか。
それは地盤を固めるために行った「表層改良」の現場で
大量に発生したのではないか、という疑いが出てきたからである。

今年に入って、基礎ベースのミスが見つかり
それを「はつる」と工務店側がいうので、
基礎の耐久性にどのくらい影響があるのかを
第三者に聞きたくて、山形にいる友人Hさん(専門家)に電話をしたのが事の始めだった。
Hさんはとても親切な人で、なおかつ、自分の価値観で人の話を裁断せず、
中立かつ、的確なアドバイスをくれる稀有な人である(僕とまるで逆の人だ)。

さてその電話で、Hさんは基礎ベースをはつることはあると
別の専門家にも意見を聞いた後に、わかりやすく説明してくれた。
のだが、その時、彼の口から
「地盤改良として表層改良をしたのなら、六価クロムは調べた? 」
と聞かれた。
は?ロクカクロム?
なんのことかさっぱり要領を得ない僕に、
Hさんはわかりやすく六価クロムについて教えてくれた。
土壌に大量の固化材(セメント)を混ぜ込んで、地盤を固める表層改良では
その投入時に土と固化材が水和反応することにより
セメントから溶出した六価クロムが
同時に生成される水和物で十分固定できなかった場合に
六価クロムが発生するとのことである。
国土交通省では、環境省に基づく六価クロムの溶出濃度として0.05mg/lを基準に、
セメントもしくはセメント系改良材を使った地盤改良を行う際に
六価クロム溶出試験を行うことに決め、その実施要領を
平成12年に各自治体や関係業界に通達している。
その溶出試験はしたか?とHさんは聞いてきたのである。
通常は、表層改良をする前に、土壌サンプルを採り
実際に固化材と混ぜ、その土壌から六価クロムが溶出するかを試験し
その濃度に合わせて、六価クロムが発生しない固化材をしようしたり
地盤改良法を固化材を使用しない工法に変えたりしているようなのである。
しかし、僕の知る限り、11月に行った表層改良では
その事前や事後にそういった検査をしたという話は聞いていない。

早速次の日、工務店さんに連絡を取る。
六価クロムの溶出試験についての確認であったが
工務店さんも六価クロムについてはほとんど知識がなかった。
その翌日に急遽、現場で設計士さんと工務店さんと僕とで話し合いを持ち
地下水汚染や土壌汚染の危険性が高い六価クロムについて
徹底的に調査することになった。
そして、その調査が終わるまでは、工事はすべて止めることになった。

新築を建てている場所は、元は畑で、周りには田圃やハウスがある。
そのような環境の中で、大量に発がん性物質が溶出するかもしれない工法で
地盤を固めていたのである。
さらに問題を深刻にさせていたのが、地下水だった。
新築の建設場所から数メートルの位置に、
うちのハウスの1/3の広さを灌水する井戸があり
もしその井戸が六価クロムで汚染されていれば、
濃度が強ければ、作物は潅水を受ける度に皮膚炎のように
葉や茎が焼けることになり、
濃度が低くても、今度はその作物を食べる人に
発がんの危険性を高めてしまうのである。
事は重大だった。

さて検査をするといっても、どういう検査をすればいいのか皆目分からなかった。
設計士さんは
「田谷さんが納得するまで検査しましょう」と言ってくれたのだが
どういう検査をすればいいのか分からない。
工務店さんは、土壌調査を専門にしている会社に問い合わせ
表層改良をしてからすでに2か月が経っていることもあり
もし六価クロムが溶出しているのであれば、
近くの農地もすでに汚染されているだろうから
そこを採取して検査した方が良いと言ってきたのである。
しかし、それに対してHさんの答えは否だった。

六価クロムは、あるかないかと言われれば
セメントを土に混ぜる行為の中で必ず発生するもので
その土壌中にはからなずあるのである。
問題はそれが固定化されて溶出されないかどうかなのだ、とHさんは教えてくれた。
つまり、表層改良を行った土壌をサンプルにとり
それを六価クロムの溶出検査に出すべきだ、と教えてくれた。
そこで翌日、工務店さんに溶出検査の実効を依頼し
翌々日には、金沢の業者がサンプルの土を採取し(僕の立会いの下)
富山の公的検査機関に送ることになった。

結果がでるのは1週間から10日ほどと聞かされていた。
その間、工事はストップし
僕のグーグル検索の履歴は
表層改良、六価クロム、溶出検査、基準値超える、訴訟
と、どんどん悪い方向へと検索が続いていった。

僕ら農民は、ここ数年の食の安全に関する事件や
それに付随して変更を迫られた残留農薬制度(ポジティブリスト)などで
かなり神経を尖らせている。
異物混入や農薬を含む化学物質の使い方には細心の注意を払っているし
また周りの目も厳しくなったように感じられるのである。
そんな中でおきた六価クロム汚染問題。
僕にとっては死活問題だった。
工務店さんや設計士さんに対する不信感も募っていった。
結果が出るまでの11日間に
僕は、ハリウッド張りの映画仕立てで
二度ほど六価クロムの環境汚染の夢を見た(銃撃戦あり)。

そして本日。
検査結果を受け取った。
数値は、

0.02mg/l未満(環境省の基準0.05mg/l)。

設計士さん、工務店さん、そして僕。
その場が一気に和んだ。
よかった。
本当によかった。

今回のことで、僕はいろんなことを
設計士さんや工務店さんに一任しすぎたと反省した。
僕の家なのである。
前回の相談電話の時、ただただうろたえる僕にHさんがこう言ってくれた。
「今はつらいだろうけど、良い家を建てるには、今が頑張りどころだよ。ここでお父ちゃんが頑張らないと」。
そうだ、僕はもっとコミットメントしないといけないんだ。
建築の知識はない。
だが、それをすべて預けてしまってはいけない。
家は建築だけの問題ではないのだ。
今回のように、井戸水による潅水装置や農を取り巻く環境汚染問題などは
工務店さんや設計士さんとの間での温度差もある。
僕がもっと勉強して、
自分の家を建てることに、コミットメントしないといけなのである。

その後、設計士さんと工務店さんと今後の打ち合わせをした。
今回の騒動は、それぞれの関係を少しばかり変えるきっかけになった。
今まで任せっきりにしていたことにも
僕はコミットメントすることにした。
だから材木の検査に僕も同行することになった。
そして今回の騒動があってから、
設計士さんが僕のブログを読んでくださっているようで
以前書いた、雨の中での基礎ベース打ちについて
特に降水量1.5㎜で打ったベースの個所については
サンプルを取って、強度テストをしようと提案してくれた。
工務店さんは、シロアリの防除に使われる薬剤や塗装剤、
果てには柱の集成材に使われる糊の成分まで
すべて調べて事前に報告してくれることになった。

雨降って地固まる。
今回の六価クロム騒動は、そうなってくれればと思う。

ちなみに、地盤改良における六価クロムの溶出検査は
公共事業では必須となっているのだが
民間に対しては、「通達」のみとなっている。
検査を行う機関では、民間からの検査要請は
全体の1/10にしかならないという。
強力な環境汚染物質なのであるが、国の法整備もほとんどなく
環境基準が定められているものの
基準値をオーバーした時の罰則や対処については明記がない。
国土交通省のサイトでは
民間で六価クロムがオーバーした時は
それの数値を覚えておき、他に転売するときやその土を再利用する場合
その数値の公開しないさい、とだけ指導されているにすぎなかった。
つまりは、六価クロムがオーバーしていても
そのこと自体に対しては法律上なんの責任もないのである。
(環境汚染につながる場合は法律上問題になる)。
関係業界と国土交通省との間での癒着による法整備の甘さなのだろうか
と、勘ぐってしまうのは僕だけだろうか。
あと意外だったのは、
福井県では、安売りで有名なあのハウスメーカー(レ○ハウス)だけは
必ず地盤改良において六価クロムの溶出検査を行っているらしい。
さては過去に六価クロムで問題があったな、
と、ついつい勘ぐってしまうのは僕だけだろうか。
何れにせよ、六価クロムの検査は必ず行うべき検査であることには間違いない。
今後、見直しされる時がくるだろう。
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4月からインドネシアの研修生がもう一人増える。
というか、増やす方向で考えている。

人選は、福井農林高校と友好提携を結んでいる
インドネシアの農林高校に基本的に任せている。
こちらからの条件としては
農民の子弟であること。
農業研修をしても、帰国後に農業に携わらないのでは
あまり意味がない。

さて、昨年の11月に選考が終わり、
一人の大学生が選ばれた。
履歴書などで経歴等はわかるものの、生活環境や育った環境、
果ては、その子の父親や母親のいる村の環境も知っておかねばならない。
帰国後にどういったところで農業をするのかを知らなければ
日本での研修のプログラムも立てられないだろう。
僕自身、時間を作ってその子の村へ行けば話早いのだが
なかなかそういう時間も作れない。
そこで、僕の大学院時代の同期であるA女史に
農村調査を依頼した。

A女史は、現在インドネシアの地方の国立大学で
教鞭をとっている。
彼女は休暇を利用して、研修候補生の村と候補生自身の調査を行ってくれた。
昨年の暮れの話である。
そして今年に入って、50ページにも及ぶ報告書が送られてきた。

候補生(仮に“イル”と呼ぼう)の出身村は高地にある。
山の斜面にへばりつくように集落が形成されている。
周りには森は少なく、ほとんどが耕地として開拓されている。
そしてそのほとんどが、「お茶」なのである。

イルの父も母もお茶畑を仕切っている大企業で
お茶畑の管理や収穫の労働者として働いている。
日当はそれほど高くなく、
父と母の二人の収入を合わせても
公務員の初任給程しかならない。
イルの父は、自身でも猫の額ほどのお茶畑を購入し、
お茶の大企業や他の商人たちにも売っている。
さらには、斜面の農地を利用して、高地を活かして
野菜作りもしている。
ただ、それらの栽培資金として、村の中にいるテンクラット(買い取り商人)から
お金を借りており、他の商人よりも安く(キロ当たり100ルピアほどだが)
その商人にすべての収穫物を売らなければならない。
その買い取り商人は、むらの105人の農民に
合計150,000,000ルピアの栽培資金を貸しており
それらの農民は、すべてその商人に収穫物を売らないといけない構造が
出来上がっていた。
大企業によるお茶畑と豊富な資金による買い取り商人の存在。
まさにジャワの貧困農民が作り上げられていく典型的な環境ではないか。

イルの父は、
「農業は、何か仕事に就いて、その兼業としてやるものだ」と語っている。
高地ゆえか、田圃がない。
報告書に書かれている耕作地の種類に、田圃がないのである。
高地といえども、インドネシアでは大抵の場合、
気の遠くなるような労力をかけて棚田を作り上げていくものなのだが、
その棚田がないのである。
イルの父も母も、それぞれの両親はそのむら出身ではない。
報告書には明記されていないのだが、
比較的新しくできた村ではないかと思われる。
大企業によるお茶畑の事業によって、付随的にできた村なのかもしれない。
だからなのか、報告書から聞こえてくる村人の声は
僕がこれまで聞いたインドネシアの村人とは違っていた。
それらの声の多くは
農業は、換金作物を作り、その販売で生活を支えるものであって、
自給的な生産活動ではない、と言っているように聞こえる。
報告書に登場する農民の数は少ないが
それでも、出てくる農民は皆、ある特定の換金性の高い作物を
できるだけ広い面積で栽培しているのである。
そして貨幣を通じて、米や食糧を買うというライフスタイルなのである。
そこには高度に貨幣化されたむらの生活が見受けられるのである。

そこからイルはやってくる。
彼は中学校を出た時に、一旦、父や母とともに企業のお茶畑で働くようになった。
ただ自分の運命を変えたくて、2年後、高校へと進学した。
そして、高校を卒業したのち、政府の農業支援で高校の敷地内で建てたビニルハウスで
作物の管理をするようになった。
そのお金を4年間貯めつづけて、大学に通うことにした。
両親には内緒だった。
お金の心配をさせたくなかったからだそうだ。
そして大学1年の今年、日本行きの話を聞き、
大学を中退して、僕の農園へ来ることになった。
自分の運命を変えるために。

僕はこの想いを受け止められるだろうか。
そして、イルの育ったむらの構造の中で、僕が何か示すことができるのだろうか。
とてもとても重いものを背負った気分である。
それでもやらねばなるまい。
それを望んで始めたことなのだから。
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雪が降り積もる。
野にも山にも畑にも。
そして、庭先に吊るしてあるたまねぎの上にも。

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尼講のお菓子の続き。

うちのパートさん(同級生の母親たち2名)と僕の母とで
一昨年から加工グループを作って、お菓子やかき餅を販売している。
そのグループで、伝統のお菓子と銘打って
ほそぼそとではあるが、尼講で作られていたお菓子も、
自分たちで作って販売している。

僕の母はこの集落出身ではない。
なので、尼講のお菓子をその幼少からの体験と共に持っているわけではない。
が、しかし、加工グループのパートさんたちは
どちらもこのむら出身。
祖母と思い出を共有していて、それぞれが尼講のにぎやかしさや楽しさを
思い出として持っている。
だからなのか、その二人は
尼講のお菓子を商品として見る以上に、
そのお菓子に対する愛情を感じることがある。

今年に入って、
100年に一度の大不況などと言われている風が吹いているからなのか、
それとも今が冬で、農閑期のためだからなのか、
現在あまり仕事がない。
兎にも角にも仕事がないので、
パートさんたちは午前中で仕事がお仕舞になる。
そうすると、そのパートさんたちは、うちの小屋にある加工所で
せっせとお菓子作りに励むのである。
先日も、かき餅を揚げていた。
当然、尼講のお菓子も作る予定でいるようで
こめふかしの注文やら、お菓子に入れるかき餅作りに励んでいる様子である。
尼講のお菓子の販売先は、
農業イベントなどの会場や直売所などなど。
売上は微々たるものなのだが、
半分楽しみで活動しているようにも見える。

さて、その尼講のお菓子。
そんなに懐かしいのであれば、いっそのこと尼講も復活させてしまえば
と思われる方もいるかもしれない。
前回に書いた日記では、うちのむらの浄土真宗のお東の尼講について書いたもので、
宿となる家の代替わりの際に、
行うのも準備するのも大変だから、という理由で
尼講は行われなくなった、と書いた。
では、パートのおばちゃんたちが入っているむらの浄土真宗のお西では
どうだったのだろうか。
お西の尼講は、むらのお寺で行われていた。
ずっと昔は、お寺の近所に住む婆さんたちが炊き出しの手伝いに来て
尼講の準備をしていたそうなのだが、
パートのおばちゃんたちが娘さんくらいの時代になると
(40年くらい前)
そういった婆さんたちは少なくなったので、
お寺の行事を手伝いするために、むらに住んでいる檀家でいくつかの班を作り
毎年班長を持ち回りで決め、
その人たちが、行事の手伝いをしたとのこと。
当然、尼講も班長が回ってくれば、手伝いに行ったそうだ。
しかし、準備が大変だ、ということもあり
いつしか尼講は行われなくなった。
ただ、報恩講や永代経法要、秋抜集めなどは
現在もこの班長が手伝って、お寺では行われているだが。

こうして尼講のお菓子だけ残っているのである。

さて実はその尼講。
復活させようとしている人たちもいる。
お寺の世話役をしている人たちで(70代)、
昔を懐かしんで尼講をしたいというのである。
これに対して、パートのおばちゃんたちは(50代)
「懐かしいんだけど、準備がねぇ」
と、あまり乗り気ではない。

当然だが、パートのおばちゃんたちも尼講はとても懐かしんでいる。
自分たちが小さい時に見た尼講を
よく僕に話してくれるのだ。
尼講の前になると、こめふかしを作るおっさんが来て
お寺の境内にある階段に、こめふかしをする順番の札を
ずらりと並べて、つぎつぎとこめふかしを作る様を
「それだけを見ているだけでも、心が躍ったわ」
と、話してくれるのである。
そうして、その懐かしさをこめて、尼講がなくなってからも
加工グループとして尼講のお菓子を作り続けている。

ただ、尼講が復活するとなると話が別になる。
気の合った友人達と昔を懐かしみながらの加工作業と違い
尼講となると村全体の行事になる。
準備もそれにかける労力もケタ違いなのだ。
そして尼講をしていた頃のような生活サイクルでもない。
個人の生活も忙しくなり、
村外活動も多くなっていることだろう。

祖母が
「あの頃は、何の楽しみもなかったから、尼講は本当に楽しかった」
と語るように、現在では尼講の楽しみ以上に
われわれの楽しみを与えてくれる行事や場所も多くなった。
そういったことも、尼講にかける情熱と行動に
少なからず影響しているのだろう。

そうして、尼講は現在、
お菓子という形で、そしてそれは半分は商品であり
また半分は、思い出や時間、そして特別な価値を共有する象徴として
加工グループや祖母のように個人で作られているのである。
そういう在り方で存在しているお菓子が
よく今の生活と価値を反映しているようにみえる。

僕は別にそれを否定しない。
それはだれかによって正当化されたり否定されたりするものではなく、
それぞれの意識の中で、存在しているだけなのだから。

僕にはそういう風に見える、
尼講のお菓子がとても好きなのだ。

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雪がしんしんと降り積もる中、
小屋のストーブで、祖母がお菓子を作っていた。
僕達から見れば、そのお菓子を「伝統」と呼ぶには、
なんだか時がそれほど蓄積もされてもいない感じだが
それでもそれは、祖母たちの世代にとっては、
特別なお菓子なのである。

P1120034.jpg


うちの村には、さまざまな講がある。
その内の一つに、女性や子供だけが参加する「尼講」がある。
以前の日記でも少しふれたことがある。
http://tayatoru.blog62.fc2.com/?q=%A4%A2%A4%DE%A4%B3
その尼講で作られていたお菓子を
祖母がこの時期になると作るのである。

本来、尼講は12月16日。
うちのむらは、浄土真宗の東と西に分かれており
西は、むらのお寺で、
東は、宿となる家で、
この尼講が行われていた。
そしてどちらの尼講でも、祖母が作っているこのお菓子を作っていたのである。

そのお菓子は
かき餅とこめふかし、そしてピーナッツを水あめで固めたもので、
祖母が小さい頃(祖母はこのむら出身)は
こめふかしやピーナッツのような、
祖母の言葉でいえば、「派手なもの」はなかったため
米を炒って混ぜ、ピーナッツの代わりに大豆を混ぜたそうである。
それを水あめで固めて
「もろびた」(餅や蕎麦の玉を載せる箱)に詰めて
固まったものを、ながたん(菜切り包丁)で薄く切って食べたそうだ。
今は、写真のように
祖母が食べやすいようにと、団子状に丸めている。

P1120037.jpg


尼講になると、それぞれが材料を持ち寄って
料理を作り、皆で食べ、そして 「ごえんさん」(和尚)からご法話を聞き
最後に、そのお菓子を食べたそうである。
「たいそうなごちそうやったんやざ」と
作る手を休まず、当時を懐かしみ、そう祖母は僕に話してくれた。

講の習慣も薄れ、いつしかそういう集まりを持たなくなってしまったのだが
(宿となる家の代替わりの時、やらないことにきまった)
今でも、そのお菓子は作られている。
お世辞にも、それは至極うまいわけではない。
コンビニにはもっと美味しいお菓子もたくさんあるのだが
祖母のその思い出とともに
僕もそれを好んで食べている。
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インドネシア研修生のHくん。
これまで、何度か温泉に誘ったのだが、決まって答えは
「また今度」
と、繰り返すばかりだった。
ところが、どういう心境の変化なのか、
今日に限っては、即答で「行きます」だった。
というわけで、Hくんの温泉デビューとなった。

インドネシアでは、風呂に入る習慣がない。
と書くと、なんだか語弊があるが、
つまりは、バスタブに入って、体をお湯につかる習慣はない、ということ。
お風呂は、桶をつかった水浴びが主流で
行水程度なのである。

さらには、その行水も、服を全部脱いで
すっぽんぽんですることはない。
サルンという筒状の布をスカートのように腰に巻いて、
それを着たまま水浴びをする。
(女性の場合は、胸のあたりからその布を巻いて浴びる)
その布の下は、それぞれだが、
下着はそのまま着けて浴びていたりもする。

つまり、僕がここで言いたいのは、
H君は丸裸になって、しかもそれを大衆に見える状態で
お湯につかるという、インドネシア人から見れば奇異な日本の習慣を
初めて体験した、ということである。

さて、その温泉でのこと。
H君は、入ると決めたものの、
やはり人前で丸裸になるのは抵抗があったようで
最後の最後までパンツを脱ぐのをためらっていた。
が、覚悟をきめて、パンツを脱いで湯船に。
湯船に入るのも初めての経験らしく、
熱い熱いと言いながら、ためらいながら湯船に体を沈めていた。

話を聞くと、なんでも知り合いのインドネシア人(福井在住)が
毎週のように温泉に入っているとのこと。
すっかり温泉が好きになってしまった彼から、温泉の話を聞かされて
自分も入ってみたくなったそうだ。

風呂上りに感想を聞いてみた。
「気持ちいいです。でも熱かったです」
との回答だった。
そして、「裸で入るのはやはりどう見ても変な感じです」
とも答えていた。

僕らにとっては普通のことでも
外から見れば、至極変な習慣に見えるようである。
混浴もあるんだよ、と教えてあげると
どぎまぎした態度をしていた。

まぁ、今ではそういう場所はほとんどないけどね。
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名も知らぬ花

ここ数日、快晴だが、
最低気温も氷点下。
そんな厳しい冬に、
畑の傍らでは、
名も知らない花が
咲いていた。

冷え切った空に向かって
花を咲かすその姿は
凛としていて、美しかった。
今年こそは僕もそうありたい。

写真:コウゾリナの花
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インドネシア研修生の講義の話。
前回は、いろどりの事例をHくんにプレゼンしてもらい
これまでの授業で教えた内容に沿って考察してもらった。

そこで今回は、

「じゃぁ、いろどりのようなことをHくんの出身地でおこなうとすると、どうだろうか?できるかできないかを含めて、予想される問題等を説明してください」

というお題を立てて、議論をしてみた。

H君の答えはこうだった。
「ただの葉っぱ等を「つまもの」として販売するのは難しいと思います。
なぜなら、日本のレストランのように食事に飾り付けをするレストランが
インドネシアにはほとんどないと思うからです。
消費者のニーズがないのに、それを売ることはできないと思います」。
なるほど、消費者のニーズがないのに売ることはできない、か。
では聞くけど、消費者のニーズってどう出来上がってくるの?
それは突然、湧き上がってくるもの?

この質問でH君は困ってしまった。
確かにニーズのないところには売れないだろう。
でもそのニーズは、表面化しているものなのか、
それとも潜在的に可能性として存在しているものなのかを見極めないといけないだろう。
「H君の地元には、お洒落なカフェやホテルのレストランはある?」
と僕が尋ねると
H君は「あります」と答えてくれた。
そういうカフェやレストランであれば、あるいは食事の皿の横に備える花などを
つまものとして使ってくれる可能性はないだろうか。

この講義では、別につまものを商品化して
それを販売することを目指しているわけじゃない。
もしつまものを販売するとしたら、想像しうる可能性を
できる限り自分の意識下に置くことなのである。
いろどりの事例では、どこにでもある木や葉っぱを換金作物に変えるという
資源に対する意識化と、
表面化された市場のニーズにアクセスしたのではなく
可能性として潜在的に存在していたニーズを認知し、それを市場化したことに
その凄みがあるのだ。

消費者のニーズは、待つのじゃなくて
時には、ニーズを作り上げるくらいの気概が必要である。
日本といわず、インドネシアでも、
これからの農業には、提案力が試される時がくる。
資源や市場はどこにでもある。
しかし、その資源や市場を自分が意識化できるかどうかによって
行動が変化してくる、と僕は思っている。

H君は必死にメモを取っていたが
少しでも彼に伝わっているものあることを願いたい。
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新年が明けて、家づくりも再開。
再開して早々なのだが、年末にあわてて打った基礎のベース部分に
誤りが見つかった。

誤りとは、道路から入口につながるアプローチ部分。
道路から玄関まで数段の階段でつなげる予定でおり、
その部分は基礎を打たないはずだったのだが
工務店が間違えて、その部分まで基礎を打ってしまったのである。

P1060022.jpg

矢印の部分は、本来ならば基礎を打たないで、
最後に階段を付ける予定でいた。
予定では、道路からの1段目は10㎝。
だのに、基礎ベースの高さですべて打ってしまったので、
道路からの立ち上がりで27㎝。
一段目の階段としては、
かなり「よっこらしょ」と上らないといけないものになってしまった。

P1060023.jpg

工務店に若造が作業をしていたので確認したところ、
基礎ベースの型枠に間違いがあったことを認めた。
25日に基礎ベースのコンクリートを打ったのだが、
前日の24日には、設計士さんによる基礎の現場確認も行っていたはずなのに
ミスには気付かなかったのである。
しかも、24日は珍しく晴れの日で、わざわざ1日費やして
現場確認を行い、25日の雨の日に、泣く泣くコンクリートを打ったのに・・・。

現場で作業中のおっさんに尋ねると
「あああ、その部分ははつるさけ、大丈夫」と答えていた。
はつる?
一度打った基礎をはつって、強度的に問題はないのだろうか???

さっそく設計士に電話を入れると
設計士もミスは知らず、「確認してみます」とだけ答えて切れた。
はてさて、どうなる事やら。

前回の基礎ベースのコンクリート打設では
工務店の担当者から
「雨の中の打設は確かに少しは問題ありますが、今回は雨でコンクリが流れることも計算に入っていて、1㎝ほど多めにコンクリを打っているので、大丈夫です」
と答えが返ってきた。
コンクリを1㎝多めに打てば、雨でも大丈夫ってことなのか?
なんだかそういう問題じゃないような気もするのだが・・・。

山形の友人に詳しい人がいるので
電話で相談したところ
「はつることはある」
との回答だった。
ただ、コンクリ1㎝多めで雨の日は大丈夫は
何の根拠があるのかわからない、との回答だった。

とにかく、今は、工務店と設計士から正式な回答を待っている。
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今日、仕事始め。
また1年が始まる。

さて、今日は日曜日でもあるので、
インドネシア研修生のための講義の日。
「つまもの」で有名な上勝町の取り組みを漫画にした本を
先月から解説し、読んできたのだが、
今日はそれについて、H君がプレゼンテーションをする日であった。
年末までの課題として、上記の本をレポートにまとめてもらっており
それをもとに、15分のプレゼンをしてもらった。

H君は、上勝町の成功は、
農協の職員として派遣された横石さんのリーダーシップと
その横石さんと農民との経験的な信頼関係にあると
プレゼンの中で感想を述べていた。

なるほど、それもあろう。
しかし、僕から見れば上勝町の事例の醍醐味は
市場で取引されていない商品の市場化への成功であり
その資源となるものは、どこにでもある「あたりまえのもの」であったことに
大きな意味があるように思う。
そして、その市場化への成功を認知するにしたがって
はじめは参加しなかった農民も、次第につまものの生産に加わるようになったのである。

来日して9か月。
漫画とはいえ、日本語でかかれている本を読み
まったく知らない土地の事例について、プレゼンができるのだから
H君も相当頑張ったのだろう。

さて、次の本に移ろうか。
次はゆずで村おこしをした馬路村の漫画にしよう。
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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

メールは
taya.tアットマークnifty.com
です。
(アットマークを@に置き換えて送信ください)

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