年の瀬。
ということで、今年1年を振り返ってみよう。

2008年我が家の10大ニュース!

1. 妻が定職に就く
妻は4月から日本福祉大学の準教授として働き始めた。
愛知の知多にある大学なので、そこまで毎週通うことに。
なので週3日は、妻の居ない日々を娘と過ごすことになった。
おかげで家事は上手になりました。

2. インドネシア研修生を受け入れる
昨年から立て始めた研修棟が2月に完成し、
4月からインドネシアの農民子弟を研修生として受け入れて研修を開始。
実務だけでなく座学もやっており、人に教える難しさを学ぶ。

3. 娘の急成長ぶり
魔の2歳といわれる年であったが、
その中には、他者とつながることを模索する個人があることに気が付いてからは
親としても少しは余裕ある対応ができた(???)・・・・かな?
娘が赤ちゃんから子供になった年
おすすめ本:神田英雄「伝わる心がめばえるころ」

4. 園児による体験田圃を企画実行
娘が通う保育園と一緒に、園児と父母が参加して体験する田んぼ作りを企画実行した。
田植え、虫追い祭り、収穫、
そして唐箕や千歯こぎなどの道具を使った脱穀作業などなどを行う。
延べ参加人数が460名以上で
大変だったが、食とは何か、農とは何か、を考えるきっかけにもなった。

5. むらの青年団の役員をする
1年を通して様々な活動をする。
一番大きなイベントは祭り。
自分たちで主催して実行するという当たり前の行為の中で
むらの自治について考えることができた。

6. 新築の工事始まる
1年半以上プランニングに費やした新築が
いよいよ工事入った。
竣工は来春の予定。
「家は3回建てなければ満足できるものは建てられない」
というらしいが、その分、プランニングに時間をかけたので
満足いく家ができるといいのだが。

7. セネガル人を雇う
知り合いの夫として来日したセネガル人のI君を
僕の農園のスタッフとして雇うことに。
日本語がさっぱりわからないので、仕事を指導するのは苦労するが
怪力の持ち主で(肥料袋を4つ一度に運ぶ:80キロ)
真面目でとても優秀な人材。
農業で食っていく気はないようだが、それでもここにいる間は
それなりの仕事ができるように仕込んでやろうと思う。
インドネシア人研修生とセネガル人といるので、
なんとも国際色豊かな農園になった。

8. 川の株を買う
近くを流れる九頭竜川の漁業権を手に入れる。
むらの漁師にならって、この秋は鮎とりに行った。
川講にも参加し、来年はむらの漁業組合の会計をやることに。
農以外の、もう一つのむらの生業を垣間見ることができた。

9. 山仕事を習う
母の実家に山があり、誰も林業をしなくなって久しかったのだが
母方の祖父に習って山に入った。
新築に導入する薪ストーブの薪が目的だったのだが
生活と山とが密接に結びついていたころの話を祖父から聞いて
僕の生活も山ともつなげたくなった。
人の手が入り、その中で自然がはぐくまれていくのは農も山も川も同じなのだ。


10. 家族仲良く年の瀬を迎えることができた
妻は毎週のように仕事で知多へ。
僕も保育園の増改築の役員や体験田圃の会議、むらの役員会など
とにかく家族がなかなかそろうことが少ない年だった。
それでもみんながバラバラになることなく
仲良く年の瀬を迎えられた。
基本は家族。
家族が楽しく過ごすためにいろいろな活動や仕事をしているにすぎない。
だから今年は、みんなが揃う日は毎回、
パーティーのような豪華で特別な食卓だった。
また仕事でも、妻と僕とではまったく違った職種なのだが
それでもお互いの関心の方向は同じなのである。
農村の変容(国際レベルまで含めて)やフィールドワーク、
さらには教育という部分でも、妻は学生を、そして僕は研修生を
という意味で、これまでのように学問的な議論や刺激も与えあえたのは
今年の大きな収穫だったように思う。

と、まぁ、今年も多忙かつ変化にとんだ1年だった。

番外編としては
11. 広島への農家視察
大規模農家と家族経営のハーブガーデンを見たのだが、
経営の在り方と人の育て方を学んだ。
規模拡大に対する恐怖心や嫌悪感が個人的にはあるのだが
その中でしか出来ないことがあることを学んだ。
この農家視察は、ある意味、僕のターニングポイントになるかもしれない。

来年も長々と読みづらい日記を書きますが
お付き合いの程、よろしくお願いします。
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注連縄を作る。
むらの神社の注連縄、大小合わせて5本を
むらの青年団で作った。
参加したのは、青年団員約20名。

父世代のころは、
自治会の役員で作成していた注連縄だったが
いつのころからか青年団が引受け、作るようになった。
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作業当日は
青年団の諸先輩たちに習いながら
注連縄を作っていく。
こういう作業を通して、むらの中の親睦が図られたり、
注連縄の技が継承されるだけでなく
地縁的な集まりが、自分たちの生活環境に目を向け
それに関わることで、関心と経験を積み
それがやがては自治の強化にもつながるのだ。
「むら」は、ただそこに住んでいるから成り立つものではない。
今年の青年団の総会で
行事ごとが多すぎると不平が続発し、
自治会の総会でも、青年団の方から
「人数が少なくなってきているので、注連縄作りは困難になっている」
と意見があったらしいが、
今回の注連縄作りを見ている限り、
そんな不安は感じない。
関わり合いを減らせば、それだけ「むら」は衰退する。
僕は、よほどそっちの方に危機を感じてしまう。
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さて、この製作費に区から予算がもらえるが
そんなものは、注連縄を作った後に1杯やったら赤字になる程度。
今年は、秋口に注連縄用の藁を集めたときに
あまりにも暑かったので、区からもらった予算は
その時にお酒に変わってしまってなくなっている。
それでもなんとか予算をねん出して、この日もとんちゃん(ホルモン焼き)で1杯。
PC280015.jpg

「飲んでばかりの会や」
と、女性からは不評なのだが
僕はこれでいいと思う。
こういう作業と親睦を経験しながら
みんなで「むら」を共有する場なのだから。
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年末。
この時期、本来ならばカブの収穫で忙しい我が農園。
だのに、今年は暇でしょうがない。
雇い人が増えたから?
いえいえ、そうじゃありません。
露地栽培のカブが虫にやられて全滅したからであります。

例年、正月用のカブを年末に出荷して正月を迎えていた。
が、今年は赤カブ青カブの露地栽培の両方が、虫の食害に合い
ほとんど収穫できなかった。
赤カブに至っては、全滅。
畑全部、まるまるゴミになったのは初めての経験だった。
長年、カブの栽培を経験してきたうちのむらの年寄りたちでも
記憶にないほどの全滅ぶりだった。

収穫前まで、例年通り元気に育っていたカブだったのだが
実際に収穫作業に入ると、土の中に埋もれていた部分に
害虫の食害痕がいくつも確認された。

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中を割ってみると、食害は表面だけでなく
奥深くまで穴をあけているのがわかる。
こんなカブを出荷するわけにはいかない。
すでに契約をしていた仲卸の担当者に来てもらい
カブの食害を見てもらった。
結果、売り物にはならないだろうと判断し
すべて廃棄となった。

一体、何の虫がこんなふうに食い荒らしたのだろうか?
父やむらの年寄りに聞くと、決まって
「ハリガネムシや」と答えた。
ハリガネムシというと、針金のように細く
カマキリなどに寄生するあのハリガネムシのことであろうか?

まず虫を見つけなければ、何の虫なのか同定も出来ない。
ということで、土を掘りそれを笊に入れて、水で洗い流して
土の中の生物種を観察した。
糸ミミズとクモ類が多くいたが、穴をあけそうなハリガネムシの類は
見つけられなかった。
ただ、3ミリほどの大きさの蛹がいくつも見つかったのだが
それがなんなのかはわからなかった。

次に、食害を受けたカブをひたすら切ってみた。
何の虫かはわからないが、この時期であればすでに蛹になっているか
成虫になっているだろうが、万が一、成り遅れがいるともかぎらない。
40個ほどのカブの食害箇所を切ったところ
やはり成り遅れとみられる2匹の幼虫が株の中から出てきた。


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資料と図鑑で同定したところ
頭の方に3対の足があることと
形状と色から判断して
コメツキムシの幼虫であることがわかった。

生態の特徴としては
来年の4月から5月にかけて越冬した成虫が土の中から出てくるらしいので
それが大量に観察できれば、間違いなく、この幼虫の仕業だったといえるだろう。

防除としては、
土中のため薬剤散布での防除に頼るだけでは、効果が薄い。
雑草を繁茂させず、何度もトラクターで
耕起することが重要になってくるだろう。
今年の失敗を糧に
来年は、カブ栽培を成功させたいものだ。
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基礎のコンクリート打設始まる。
今日の作業はベースのコンクリート打設。
今年の作業はここまでらしく、立ち上がりの打設は新年に入ってからとのこと。

さて、心配なのは天気。
天気予報では、朝から降水確率90%。
現場監督とも話したのだが、年末のこの時期、生コンを打ちたい業者が多く
日をずらせないとのことで、
「雨でも強行して打ちます」と現場監督は明言していた。
まぁ、日をずらしても週間天気予報では、この時期の北陸の天気らしく
雪マークと雨マークが仲良く並んでいるだけなのだが。

さて、いろいろと調べてみると
ほとんどが雨でのコンクリ施工はよくないと書かれていた。
が、しかし、小雨ならば決行することもあるらしい。
ある専門家の意見では0.5mmの雨が基準だとか。
ちなみに、小雨というと気象学では、1時間の降水量が1mmに達しない雨のこと。

この日の気象情報を福井気象台観測のデータに合わせてみると
打設開始の8時台は、0.1mmにもならない霧雨状態。
9時台は一時青空もみえたが
10時台に入ると再び細雨。しかし統計的には0.0mmの雨。

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これで最後の生コン車だ、という11時20分ごろに1.5mmの雨が約10分程度続いた。
その後、打設終了まで0.5mmの雨が続いていた。
上の写真はその頃のもの。
専門家ではないので、この雨がどのくらい影響するのか皆目わからないのだが
なんとなく心配の残るコンクリート打設作業となった。

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強度の検査も行ってはいたが
このコンクリ検査をしていたのは、8時台で、
降雨ではない状況のものであったことを考えると、
11時20分の一番強く降っていた頃のコンクリート強度がどれくらいのものかは
素人目に見ても、このテストでは判定はできないだろう。

一度始めてしまったコンクリート打設を途中でやめることは難しいだろうし
その方が、強度的に問題が出そうなのもわかるのだが
ピーク時の雨脚が強かっただけに、
すこし不安が残る作業だった。
とりあえず設計士もしくは施工業者から
納得のいく回答をもらうつもりでいる。




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転作田を借りることになった。
同じ村の人で、減反政策のために遊ばしている田んぼがあり
まえまえから気になっており、
今回、直接その田んぼを借りれないかとお願いに行った。
「1年だけなら」と了承を得て
晴れて、僕が個人で借りた田んぼ第一号となった。

もちろんその田んぼでは、米は作らない。
作るのは露地野菜。
露地野菜なんて儲からない、と思っていたのだが
最近、そうでもないな、と思うことが多く
来年は、2反4畝のその転作田で、何品目かの露地野菜を作ろうと考えている。
これまで自家菜園であれこれ試してきた野菜の中から(100種以上)
おいしくて売れそうな野菜をピックアップして
すこし大がかりに作ってみようと思っている。
インドネシアの研修生が4月からはもう一人増えるし
セネガルのI君もなんだかまだまだ僕の農園で働く気でいるようだし
彼らの食い扶持を作るためにも
もうひと頑張りが必要なのだ。
今の経営体では、それほど研修生の受け入れもできないのだが
もう少し栽培面積を増やしていければ、それだけ研修生も受け入れられる。
一人でも多くのインドネシアの若者に伝えたいことがある。
そのためにも、もう少し経営を大きくする必要がある。
最近、強く強くそう感じている。
なんせ、外部からの資金なしに
自己資金のみで、海外の農村援助に乗り出そうとしているのだから。


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インドネシア研修生への講義の話。
前回は、農を形作るものとして、
技術、社会、金融などの要素を説明。
今回は、少し話が大きくなって
政策、農業融資商品、国際関係を説明した。

国家政策は大きく農業の形に影響を与える。
そのあり方によって、その国がどういう農業の道を進もうとするのかが
ある程度決められ、そしてそれに沿って衰退するものもあれば
発展していくものもある。
農業融資はその政策を実行に移すときに用意される金融商品。
その融資をうけるべく、多くの農民は政策に沿った作文をし
そしてそれを実行しようとする。
国際関係は、その国の自治として農業の発展を自国なりに考えていても
時には、国家間の力関係により、ドラスティックに方向転換を迫られることもある。

これら3点を含む好例がある。
それは僕が青年海外協力隊に参加していた時に
地元自治体の農業局と推し進めた「アカワケギ栽培普及プロジェクト」であろう。
今回の講義は、この好例を紹介しながら
上記の3つの要素が如何に農の形を決めていくかを話した。

1998年のこと。
僕が派遣されていた自治体の農業局では
有用換金作物の栽培面積を増やすことに躍起になっていた。
それはインドネシアの全国的な流れでもあり、国家政策でもあった。
その1つに、アカワケギという小さな赤玉ねぎの普及事業があった。
そしてそれには、KUTという栽培を始める準備金としての金融商品が
用意されていた。

このプロジェクトに参加した農家は、
僕が抱えたエリアだけでも約50名。
栽培面積は、グループ圃場ということで数か所にまとめられ
総面積は1.2ha。
そのほか、地元農業局の指導のもと、その約2倍の面積で
農家によるアカワケギの試験栽培がおこなわれた。
それまで、それらの地域ではアカワケギの栽培経験はほとんどなかった。

アカワケギはインドネシア料理に欠かせない食材であり
かつ、価格変動が激しく、価格高騰しやすい野菜でもあった。
また価格変動が激しい割に、暴落が少ないという農業経営にとって
うまみのある野菜でもあった。
97年の平均価格が1キロ6000ルピア。
その年の最高価格が25000ルピア。
平均価格で売れても儲け率が高く、それに目をつけた国家が
金融商品を用意し、広く全国的に栽培を勧めたのは当然の流れであろう。

さて98年は、アジア経済危機の年であった。
前年の頭に1ドル2000ルピアから5月のスハルト退陣までの間に
1ドル14000ルピアまで、ルピアの価値が暴落した。
国家経済は破綻し、銀行は連鎖倒産を繰り返した。
ネズミ講や闇銀行が流行り、都市の失業者が大量に農村部に流れた年でもあった。
そんな中、やってきたのがIMF(国際通貨基金)。
国家経済の破綻を救うための融資が目的であったが
この機関は、政策改善の条件付き融資をする団体で、
このとき突きつけられた条件の一つに、
主要農産物4品目の関税撤廃(市場自由化)であった。
そしてその4品目の中に、アカワケギが入っていた。
有用換金作物として推し進めていた国家が
融資欲しさに国民を切り捨てにし、アカワケギの市場自由化を
いとも簡単に飲んでしまったのである。

当時の僕は、インドネシア語の新聞を自由に読み解くほどの語学能力はなく
僕のあずかり知らぬところで、僕が推し進めていた作物が
いつの間にか、市場自由化になっていたのだ。
そして、僕らが収穫を迎える1月前の8月、
大量のアカワケギがインドネシア市場に流れ込み
価格は1キロ300ルピアまで暴落したのであった。

僕らの栽培はある意味、成功だった。
良質のアカワケギの生産に成功しつつあり、
8月までの間、地元新聞で記事になり、県知事の視察もあった。
その注目も、価格が暴落した8月からは一転してしまった。
9月に生産に成功し、約10トンのアカワケギを収穫したのだが
その売り場がなかった。
どの商人も引き取ってくれないばかりか
収穫運搬のトラック運送費を農家が出してくれと言い出す始末。
それを支払ったら、その時の価格でいけば、間違いなく赤字になる状況だった。
農家は個々に細々と販売し、売れば売るほど赤字になっていった。
10トンの収穫物は、通常であれば、各農家を潤すものであったのだが
このときは、ただ単にお荷物にすぎなかった。
こうしてアカワケギ栽培普及プロジェクトは幕を閉じ
一大産地を目指した地元自治体の政策の中で
それが語られることはなくなった。
そして農家も、あれほど盛り上がったアカワケギの栽培であったが
この忌まわしき体験を忘れるためか
ほとんどの農家が、アカワケギを栽培継続しなかった。

国家政策、金融商品、そして国際関係。
これらの要素は、大きくその地方の農を形作るのである。

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配筋作業とは、基礎の図面に沿って、鉄筋が設置する作業。
この作業が金曜日、土曜日、そして月曜日(ほとんど作業なし)に行われた。

ネットで調べたのだが
鉄筋を設置する作業をチェックする項目としては、


1. 鉄筋と鉄筋の間隔が図面と同じか?
2. 鉄筋と鉄筋の重なりの長さは、鉄筋の太さの約40倍以上か?
(例:鉄筋口径10ミリの場合は40センチ)
3. 底部と鉄筋との間隔が、底の部分から 6cm以上 か?
4. 上記「3」の腐食防止用のアキをとるためにスぺーサーが適切にセットしてあるか?
5. 鉄筋はハリ金(結束線)でゆるまないように結束してあるか?

参考サイト
http://iegoki.web.fc2.com/haikin.htm

上記の項目を自分なりにチェック。
まぁ、わからないところもあったのだが、
素人目に条件はクリアーしているように思える。

24日に建築家の検査があり
クリスマスに基礎のコンクリートをうつ予定。
天気予報が気になる毎日。
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川講が行われる。
川の株(漁業権)を持っている人たちで毎年この時期に
魚の供養のため講が行われている。

参加者は9名。
ほとんどがうちのむらに住んでいる人たち。
場所は宿となっている人の家(毎年もちまわり)。
むらのお寺の住職にお経をあげてもらい、
その後、ちょっとした飲み会をした。

僕は今年漁業権を得て、初めて川講に参加したのだが
川講の歴史は古く、役員さんに代々引き継がれている道具箱をのぞくと
3冊の台帳が出てきた。

PC200010.jpg


一番古いもので、大正5年から始まっていた。
そこには河合村漁業組合とあり、
うちの集落以外の漁業権を持っている人がほとんど参加していないようなので
そのことを聞くと、
一番年寄りの人が、
「中角(上流の集落)のもんは河合村やけど、川向かいの船橋の連中と漁場を一つにしていたさけ、あっちでかたまってお講をしてたんや」
と教えてくれた。
行政村ではなく、どの漁場で漁をしていたかが、
どの漁業組合に所属するのかを決める要因だったようだ。
大正5年の組合員をみると、
既にあったはずであろう名字の記載がなく、
すべて名前のみで、どの家の人かはまったくわからなかった。
台帳にはお講時の予算以外にも漁師小屋こしらい(建設)等に
それぞれの組合員が労働力や物品・金銭等の拠出がどれくらいあったか、
克明に記録されていた。

飲み会では、一番の年寄りから昭和20年代の漁の様子が聞けた。
うちのむらの漁場は2か所あり
1か所で2組ほど組を作り、1組4人から5人集まって漁をしたとか。
その組に入るには、組頭からお誘いを受けるか、くじ引きで参加者を決められたという。
網はそれぞれの持ち網で、網を投げる順番を決め、
それぞれが順番に網を投げたらしい。
1回に投げる網は一人だけ。
朝から晩まで網が投げ入れられ、その日とれた魚を
組に参加したメンバーで分けたという。
「あの頃やったら、マスが1本とれたら、二日か三日は遊んでくらせたんや」
と、年寄りは懐かしそうに話してくれた。

こうして川講が終わった。
最後に、来年の役員(会計)を決めるのだが
「新しく入ってきたもんが、つとめるんや」というので
有無も言わさず、僕が会計となった。
なんだか最近、村の役が続くなぁ・・・。
まぁ、役をやらないと会の中身がわからないし
むらの関係や価値のあり方など、勉強になることばかりなので
役員をするのはやぶさかではないのだが。
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インドネシア研修生の講義の話。
11月から12月にかけて、農業を形作る要素を話してきた。
前回の日記では人的資源まで書いたが、
その後、数回の講義をしたので、ここに簡単にまとめておこう。
つまりは備忘録。

技術の要素について。
農業を形作る技術は何か、の問いに研修生のH君は
「育種、栽培法、農具」と答えた。
まぁそんなところだろうが、細かくつけ足せば、
防除法、ポストハーベストなども入るだろう。
インドネシアと日本の差異を見るに、日本の方が優れているわけではない。
この場合、方向性が違うということが大事なのだ。
見ようによっては育種の研究は、その深度からいえば
日本の技術は進んでいるのかもしれないが、
たとえば、日本では世帯数の減少により、
野菜の規格が小さくなるような方向で
育種の研究をしているところもある。
しかし、インドネシアにおいては、
そのような方向での研究はあまりない(というか、ほとんど必要ない)。
また、農具に関して言えば、
労働力の投資を減らし、機械作業で効率化を求める日本の農具開発は
労働力が豊富にあり、機械化することで大量の失業者を発生させてしまう
インドネシアの農業の文脈の中では、あまり意味を持たないのである。
インドネシアでフィーバーしているSRI(水田の一本植え技術)のような技術も
機械による一本植えが困難であることと、
(間断冠水のため)その後の除草作業に労力をかけられない日本の農業の中では
たとえその技術で反収が1トンを超えるような技術だとしても
あまり試みる人は少ないのである。
どちらが進んでいるとかいう問題ではなく、
その場でどのような技術が採用されているかを見ることで
その土地の価値感や労働構造などが見えてくるのである。

社会という要素について。
これは広範囲になるため、説明が難しいのであるが
一つにはソーシャルキャピタルなどと説明される村の中の結束と信頼性であろう。
水利組合の有効性や
村単位でのプロジェクトに対する参加度合やそれに対する発言権の有無など
この要因が高ければ高いほど、村や集落単位での結束力が高くなる。
ただそれは単に閉鎖的な村を表すのではなく
ここで肝心なのは、参加の仕方にあろう。
ある一部の人間による密室での決定ではなく
開かれた場(たとえば総会)などで自由に意見が述べられたり
異議申し立てができるようになっていれば、それは閉鎖的な社会ではなく
より民主的な(あまりこの言葉を使いたくはないのだが)村であるといえよう。
この要素は、水利や村ぐるみでの補助を受ける場合、
またいま日本で騒がれている
集落営農や農地・水・環境保全向上対策などの政策受け入れ等が
この要因によるところが大きい。

金融について。
農民が自由に金融にアクセスできるかどうか、それはとても大切な要素。
次作に向けて手前種を用意できればいいが、それができなかったり、
肥料や農薬の購入など普通に栽培していても、かなり資金は必要になる。
そのアクセス度合がどれくらい容易なのか、
またどれくらい農民が借りられる金融のチャンネルがあるのか
それが重要になってくる。
日本の場合、JAなどがその役割を担っているが
インドネシアに農協は存在しない。
(一部国家機関としてそう訳されているものがあるが、あれは農協ではない)。
インドネシアの農民の場合、銀行に貸し付けを申し込むのが一般的である。
また金融とは少し離れるかもしれないが
行政などが行っている農業普及プロジェクトに参加すれば
栽培資金の半分くらいは、補助がもらえることもある。
僕がかつていたインドネシアの村では、
プロジェクト参加のプロポーサルに記載する栽培面積は
故意に2倍の数字が書かれており、
補助のコンペに勝ち残って、補助がおりた場合、
実際の栽培面積は、補助分金額で賄える1/2のみであることが多かった。
普及員がプロジェクトの進捗確認のために視察に来りもするので
その場合どうするのか、その農民に聞いたところ
「どうせやつら(普及員)は、値段の高い革靴を履いてくるから、道の悪い畑はみようとしないのさ。だから道路沿いにプロポーサルの面積の半分だけの畑を作り、やつらにはそこだけ見せておけば問題はないよ。あと半分は?と聞かれたら、山の上さ、とでも答えておけば、やつらは見に行こうとはしないよ」
と平気な顔で答えていた。
これは極端な例であるが、
要は、農業という不確定要素が多い中で、
できるだけ農民自身が金融的危険を回避可能かどうか
また、そのイニシアティブが農民側か金融側かも重要になってくる。
インドネシアの場合、種や肥料・農薬等の貸し付けを行う商人がいて
収穫はその商人が安く買いたたくケースが横行している。
しかし、一方で銀行の貸し付けもあるのだが、そちらでは
栽培が失敗しても返済を迫られるケースが多く、
安くても商人の囲い込みを自ら選ぶ農民の多くいる。
賢く行政から補助を取り付ける(奪い取る?)農民ばかりではない。
またこれらの金融商品は政策とも大きくリンクしている。
大規模農業や新規就農者に対する対策を打ち出している日本の農政の場合
それらに対する金融商品は多くある。
が、インドネシアの場合は、新規就農者への政策が皆無に近く
その名目での金融商品はない。
その国の農業政策がどの方向へ進もうとしているのかも
農民がお金を借りられるか借りられないかに関係してくるのである。

それら農業を形作る要素を説明し(市場については、直売所の講義ですでに終わっている)
これからは、ゼミ形式で事例考察を行う予定でいる。
日本の農業事例を、それらの要素で分析する訓練であるが
H君はまだそれほど日本語が上手ではない。
そこで農業事例は、「まんが農業ビジネス列伝」という漫画を事例テキストにして
それを読んでもらい、どのような要素がその事例の成功を形作っているのかを
これから一緒に検証していく予定である。
まずは、あの有名な上勝町の「いろどり」を取り上げることにした。
今月頭にさっそくマンガのテキストを渡し、読んでもらった。
先日の講義で、H君の理解度を見るために、H君から事例の説明してもらったのだが
いろどりの商品である「つまもの」を
Barang istri(妻の物品)と訳して読んでいたようで
さっぱり話がつながらなかった。
うーん、前途多難である。
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墨出し

捨てコンに基礎の墨出し作業が行われる。
図面を確認しながらの作業。
午前中で終わる予定をしていたようだったが
結局午後までかかっていた。

次回は基礎の配筋作業に入る。
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山仕事にゆく。
林道に面した約4メーターの崖の上に生えていた
直径35センチの赤松を伐採した。
今回の伐採は、僕。
これが僕の初めての伐採となった。

その他、日曜日の祖父の村での共同伐採時に出た
直径55センチの杉の巨木の一部を頂いた。
そのクラスの木になるとプロに頼むらしく、
木材として使えそうなところは、プロが持ち帰ったとのこと。
余ったものを、僕にもらえるよう祖父が村の人たちに
了承を取ってくれたとか。

「昔やったら、あれくらいの杉の木やったら、プロも手間代なしでやってくれたんやけど、今は切った木をやっても、それでも手間代も払わないかんのや」
と、すこし寂しげに祖父は話してくれた。
戦後間もない頃は、一区画3万円の儲けになった伐採も
今では、見る影もない。
切り手がいなくなって久しい山々には、
あまりにも巨木になりすぎて、自分たちでは手に負えない木がたくさん生えるようになっている。
僕はどこまでそれらを伐採できるかわからないが
技を磨き、それらの管理をできるだけしていこうと思う。

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2回にわたる山仕事で、これだけの薪を得た。
これから農作業がいそがしくなるので、今年の山仕事はこれで終わる。
1月に入れば、すこし暇になるので、
あと4,5本は伐採して、コツコツと薪作りをしよう。
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行政は、本当に融通が利かない。
両者が得するはずだったのに、
どうしても税金を無駄に使う方法を選んでしまうようだ。
まぁ、それが官僚制の問題でもあろうけど。

それは今朝の話。
知り合いのトラックに大きな丸太の木が積まれていた。
丸太の遊具が壊れたということで、市から委託されて撤去したとのこと。
4トントラック一杯分の丸太。
これは良い薪になるので、さっそく知り合いにもらえないかと頼んだところ、
「どうせ捨てるんだし、経費も浮くから良いよ」とのこと。
楽しみに、そのトラックが来るのを待っていたのだが、
知り合いから電話があり
「市役所に問い合わせたところ、産業廃棄物処理場へ持って行って、産廃として処理したという証明書をもらってこないといけないと言われたので、残念だけど持って行けないんだ」とのこと。

薪として利用できる丸太を
みすみす産廃として処理しないといけないというのだ。
薪として利用できれば、無駄な税金も減らせるし、産廃も減るので環境にもよろしい。
だのに、お役所は、「どうしても産廃にしないといけない」の一点張り。
こうして、資源は無駄に捨てられ、環境は破壊され、
市民の血税も無駄に使われたのであった。

お役所の担当者は余計な良心に駆られることなく
(職務に就いている間、良心というものがあればの話だが)
特に全体の環境や税金への責任も微塵も感じることなく
言われた仕事を言われたまま、問題なくこなしたわけである。
きちんと官僚制が機能しているということか・・・。

これが、かつて僕が住んでいた国だったなら
僕は薪をただでもらえ
処理を委託された業者(知り合い)と産廃業者、そしてお役人は
産廃にかかるはずだった予算を3者で山分けして
みんなホクホク、ということになっていただろうに。

まぁ、どちらが良いかは、議論の余地がかなりあるのだが。
しかし、4トントラック一杯分の薪(じゃなくて、丸太か)は、
本当に残念だった・・・。
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基礎の墨出し用の捨てコン打ち。
捨てコンを打たない現場もあるのだとか。
精度を高めるためには、捨てコンをして墨出しをしないといけない。

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その捨てコン打ちの中に、地鎮祭で清めてもらった箱を埋め込んだ。
基礎の下に埋め込むための箱(名前は忘れました・・・)なのだが
現場の人は、
「大事なものを足蹴にするようで、あんまり好かんのやけど」
と苦笑しながら、作業していた。

コンクリートが乾けば、基礎の墨出し。
いよいよ基礎工事が始まる。
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村の総会がある。
農家組合と自治会の総会。
農家組合の総会では、理事に選ばれ、このまま順当にいけば
再来年に農家組合長をすることになった。
まぁ、この流れは以前からわかっていたことではあるのだが。

総会自体の参加者は、全体の戸数の半分程度。
なのだが、こうした自治的な活動が、これまでの日本の農村を支えてきたのだと
最近よく思うのである。
インドネシアなどでの農村開発の経験から、それらを見ると
農家組合にせよ自治会にせよ、行政や農協の下部組織とみられないこともないのだが
行政や農協の政策や方針によって便宜上作られたものではなく、
間違いなくそれらは、村の歴史的な経験に裏打ちされた組織へと
変容していることがわかる。
インドネシアとの発展の大きな違いは、やはりこの自治の経験もあるであろう。

たしかに日本の歴史的背景からすれば、
村の組織自体は、
近世の封建制度(絶対王制にちかいものであるが)の徴税(米)の仕組みから
端を発しているように思えるのだが
司法権(現在はないが)や入会など自治を備えた組織としての経験が
村内組織がただ単に行政や農協の下部組織になりさがっていない現在にへと
つながっていることが、総会などを通して理解できる。

今回の農家組合の総会では
農政連への会費が口座から引き落とされていることに疑問を投げかける発言があった。
地元地区の農政連は、政権与党に献金しており、
今後の政治情勢を考えれば、農家組合の単位で農政連に会費を払うことは
おかしいのではないか、との発言だった。
それに対して、農家組合として農政連に会費を払っているわけではなく
各個人の了承で引き落としになっているはずで、
便宜上とりまとめを農家組合でおこなっただけとの説明だった。
田んぼに突っ込むなどの交通事故による田圃への補償の獲得や
電力会社の高圧線の補償など、地域農政連での政治活動により
これまで泣き寝入りするケースがあった問題が、解決するようにもなっている、と
地域の農政連の関係者から説明もあった。

また農協から農家組合単位で委託される加工米の生産だが、
生産にかかわる農家は数戸で
その普通米と加工米との差額価格を全戸で補償するようになっているのだが
その算定基準などが細かく議論された。

他愛もない話題かもしれないし、これらのどこが農村を支えてきた経験なのだと
思われるかもしれないが、
まさにこうした取り決めや議論が村内で行われることこそ
自治の経験値を高めることであり、僕ら若者がその経験を共有できる場でもあるのだ。
行政と個がつながっている各制度(税や保険、年金等)では、
中身がわからないことが多く、議論も国会レベルとなり煩雑かつ
自分たちの生活環境を反映しないことも多い(また、見ていてもよくわからないことが多い)。
また決定に参加できるのは、選挙の時だけになる(それまでは政権与党のやりたい放題)。
だが、こうした組織が間に入り、その自治が高ければ高いほど
説明や議論は身近になり、運営や決定の主導権が
その組織の構成員にあるようになってくるのである。

見方によっては、これらの話も
上部組織との従属的関係にとられるかもしれないが
行政と個人が直接つながるのではなく、
このメソのレベルでの意思決定があることこそ、
まさに自治なのだろうと僕は思う。

先週は、村の青年団の総会があった。
そして来週は、村の中で川の株をもっている人たちでのお講がある。
こうした活動が、村の自治を高めてきたのである。

会の中では、煩雑な行事を簡素化しようという動きはあるのだが、
僕は、手間はかければかけるほど、そして住民が関われば関わるほど
村の自治は向上するように思える。
だから僕は、できるだけこうした活動に参加することにしている。
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表層改良をしたところを掘って、給排水管を敷設する工事に入った。
表層改良をしたところは、数日経てばカチカチになってしまい、
給水管や排水管を敷設しようと思うと、
カッターなどで、はつらないといけなくなってしまうので
固まる前に、敷設工事をしてしまわないといけない。

敷設中に何点か現場で変更があり
設計士さんや工務店の担当さんと協議。
雨じまいの点で、排水の計画の変更があった。
しっかりと時間をかけて計画を立てたつもりだったが、
いざ工事を始めると、現場での変更がどうしても多くなるのである。

給排水管敷設の工事は今日でおしまい。
来週からはいよいよ基礎の工事が始まる。
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カエル

ある資材が必要になり、それを持ち上げたら先客がいた。

彼(彼女?)はどうやらここで冬を越そうと思っていたらしい。

その資材は、他にもあるので、

それはそのまま春まで使わないことにしよう。

だからというわけではないが、

おまえさん、来年も害虫をたくさん食べてくれよ。

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12月は師走。
だからといって、皆忙しいわけでもない。
そう、僕もちょっと時間があるようになってきた。
そこで、母方の祖父に山仕事を1日習いに行くことに。

新築には薪ストーブを入れようと考えている。
その薪は買うのではなく、できる限り自分で調達しようと思っている。
そのためには、伐採できる木が必要になるわけなのだが
たまたま母の実家には4町歩ほどの山があるのである。
これをそのままにしておくのはもったいない、ということで、
祖父の所へ山仕事を習いに行った。

祖父は若い頃、農業と乳牛そして林業で生計を立てていた。
その頃は、まわりでチェーンソーを持っている者がほとんどおらず、
いち早くチェーンソーを購入した祖父は、頼まれる木を伐採しては
手間賃をもらい、さらに伐採した木を製材所へ持ち込み
それもお金に換えていた。
「チェーンソーは当時3万くらいして、とても高価やったんやけど、すぐに元がとれたわ」
と懐かしそうに、その当時のことを話してくれた。
しかし、いつしか国内の材木が海外産に押されるようになり
まわりの者もチェーンソーを持つようになってからは、
祖父の生計に対する林業は小さくなっていった。

また生活でも薪で煮炊きをしていたかまどがなくなり、
お風呂もガスにとって代わるようになってからは、
祖父も森の手入れをほとんどしなくなってしまった。
今では、道路沿いや畑沿いにあって、邪魔になる木のみを
伐採するだけになってしまっていた。

さて、山仕事のため祖父に入門したわけであるが、
特段なんの説明もなく、いきなり伐採作業へと連れて行かれた。
始めに切ったのは、直径40cmほどのコナラの木。
畑にかかって邪魔になるから、といって切った。
下から見上げていると小さく見えたのだが、
実際に切ってみると、かなり大きかった。
伐倒は、祖父が行い、そのあと玉切り作業を一緒にチェーンソーで行った。
これくらいの木を一本切ると、それだけで軽トラックに乗りきらないほどの
分量になるのである。

次に切ったのは、県道沿いのクヌギ。
これも直径40cm。
道路に倒れないよう方向を決めて切った。
これを玉切りにして、午前中は終わった。

昼からは、山道の上の崖に生えているカシの木。
二股に分かれていて、どちらも直径30cmほどの成木。
崖に足をかけての作業のため、かなり危険でもあったが
83歳の祖父は、4kg以上もあるチェーンソーを軽々と操作して
見事伐倒。
結局、僕はその日は玉切り作業をしたのみで、伐倒はさせてはもらえなかった。

「この次来たら、山を割って毎年順番に伐採する段取りをするさけ」
と祖父。
全体的に間伐するのではなく、場所をきめてその場所場所をすべて伐採する方法をとる。
森を永続的に使うには、その方法だという。
杉林であれば、材木として使うこともあり、間伐して管理するのだが
雑木林は、とにかく人の手で切れる大きさを維持することが大事であるため
順番にすべて伐採する方法をとるのだとか。
それでも初めに伐採した所まで戻るのに、20年以上はかかるのだという。
20年もたてば、初めに伐採した所はまた成木の雑木林になっているのだとか。

「本当は、今日は山まつりやさけ、山に入って木を切ると神様が怒るんや」
と祖父は話してくれた。
なんでも12月9日は毎年山まつりの日と決まっており、
この日は、木で商売している人は、昔は仕事が休みだったとか。
こんな日に山に入っていいの?と聞くと、
「普通は、山まつりの日に木を切ると天気が荒れると言われてるんやけど、今日は天気予報が外れて晴れになった。若いもんが山仕事するから、山の神様もよろこんでるんかもしれん」
と祖父は話してくれた。
山仕事を教えてくれる祖父が一番うれしそうにしていたのは
言うまでもない。

生活に薪を使うことを取り入れ
その中で、山とかかわっていこうと思う。
僕と山との関わり合いは、今始まったばかりである。
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表層改良

表層改良、行われる。
地盤調査の結果、柱状改良ではなく、表層改良と決まっていた。

土を掘って、セメントをどんどこと入れて土と混ぜ合わせていく作業。
砂と違って、土なので、セメントと混じりにくく、どんどんと浮いてきたものを取り除く。
それらは産廃となる。
「いい土だったんですね」と工務店の担当さん。
あまり良くない土だと、セメントとそれなりに混ざりあうが
有機物をふんだんに含んだ、いわゆる肥えた土は、どんどん浮き上がってきて
産廃量が増えてしまうんだとか。
計算よりも産廃量が多くなったようで、工務店の担当さんは頭を抱えていた。

数日すると、カチカチに固まってしまうとか。
重機が入っても、跡がつかないくらいに固まるらしい。

表層改良のみだったので、柱状改良に比べて低予算ですんだのだけは
幸いだった。
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昔の仲間が来福。
2日間で、2升半の日本酒、3本のワインを飲み、
福井のセイコガニを22はい食べた。

かつて、喧々諤々とやりあった仲間は10名ほどいるが、
今回はその内の3名が遊びにきた。

ゆっくり寝て、ちかくの温泉に入って、昼ビール。
ちょこっと観光もして、夜はまた、蟹三昧。
日本酒を飲み、昔話に花を咲かせ、
笑って、愚痴っての二日間。

まだ来ていない仲間も、来年はぜひ福井へ。
今年来た仲間も、来年もまたぜひ福井へ。
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広島滞在二日目は、高速道路を飛ばし、広島北部へ。
ハーブガーデン4haと併設されているレストランを営んでおられるYさんにお会いした。

新規で4haの農地を買い、ハーブを育て始めたのは18年前のことだった。
「私はただの主婦だったの。ここを始めたのは夫。」と
Yさんは人をひきつけるような笑顔で話してくれた。
お昼から大口の予約がレストランにあり、その準備に大忙しの中
それでも福井からわざわざ来てくれたということで、対応してくれた。

Yさんの夫は整体師だったという。
有名な整体師だったようで、有名なプロ野球選手や相撲の力士などをみていたらしい。
大朝町に土地を購入したのは夫で、
夫の友人の気功師や瞑想の先生などが仲間になって、大朝町に、
「入院するほどではないが慢性的な病気の人や心の病の人をケアする場所を作りたかったようだったわ」とYさんは話してくれた。

農地を購入したO町には、町営の温泉や運動公園、施設等が充実していた。
Yさんの話によると、それらの施設とリンクさせて、
街の人々がリフレッシュできるような保養地を、夫や仲間たちは目指していたようだった。
しかし、相次ぐ仲間の不慮の死に合い、
計画は頓挫してしまった。
その時期から、夫は整体師の仕事で東京に移ったが、
Yさんは「東京はいやだったから、ついていかずに、ここでハーブガーデンをやろうときめたの」と話してくれた。
それから彼女の奮闘がはじまった。

ハーブガーデンに中古のバスを持ち込んで、
それをキッチンにして、来園者に簡単な喫茶ができるサービスを始めた。
バス内部をキッチンに改装して、そとにテントを張り、
バスの窓から外のテントにコーヒーやお茶を提供するという
簡単なものからのスタートだった。
その内に、客から何か食べたいという要望も多くなり、
自分たちで現在のレストランを建てた。
夫が代表のときは、行政もいろいろと補助をしてくれたのだが、
彼女が切り盛りを始めると、女だからなのか軽視されるようになり
行政の援助を受けるのは難しかったという。
「だからうちは、できるかぎり手作りでやろうって決めたの」と
Yさんは笑って話してくれた。
薪で調理できるようかまども作った。
ピザが焼ける窯も作った。
多い時で、1日100枚のピザの注文があった。
しかしあまりにも多忙になりすぎたので、ピザは現在、提供していない。
「そのかわりうどんを始めたわ」とYさん。
O町で何か特産は無いかということで、
昔、O町では麻の栽培が盛んで、麻の実を「おのみ」と呼び、
山向こうの日本海で取れたサバで作った押し寿司に、
そのおのみを入れて食べていたという。
そこで、そのおのみをうどんに入れて、現在、特産化を目指している。
僕が訪ねて行った日も、30名の団体客が
うどん薬膳ランチを予約していた。

ハーブガーデンの周りには、何名かの新規就農者がいる。
いずれの方も自然農を目指しており、無農薬有機にこだわっていた。
ハーブガーデンとの出会いの縁で農業を始めた人ばかりだった。
併設されているレストランでは、それらの農家からも野菜を提供してもらうと共に
自家農園もあり、次男が現在、耕作担当をしているとのこと。
訪問した時は大根を収穫する予定で、
冬野菜の収穫が一段落したら、そこに春からの来園者に向けて
カモミールを播くという。
ハーブとの輪作による無農薬栽培。

経営は、家族経営が主体。
レストランは長男夫婦。
そして農場は次男が担当。
農作業には、ボランティアで手伝いに来る人たちがおり
作業が忙しい時に来てもらうのだとか。

YさんもNさんも独自の農のかたちを持っていた。
両者を見ることで、市場(販路)、農法、労働といったカテゴリで
農が特徴づけられていくことが見えてきた。
Nさんは徹底した手間省き農法で、卸売市場に数量で圧倒する販売を行い、
研修生を次々と独立させるが、それが魅力となってか労働力には不安はない。
Yさんは、ハーブとの輪作による無農薬栽培とそれによる固定客をつかみ
商品アイディアと固有の販路を持っている。
Yさんの場合は、雇用はほとんどないのだが、
固定ファンが労働力としても働いてくれるため
労働力の不安も少ない。
そして、これはNさんYさんどちらにも言えることなのだが、
どちらも固定的な観念にとらわれず、あらゆることに挑戦し続けていた。
Nさんは「やんちゃや」と言いながら
カベルネ種のブドウを20a栽培し、ワインを造っていた。
Yさんは、レストラン内にハーブを使ったあらゆる商品を並べ
今も、その研究に余念がなし、麻の実うどんも独自の考えで販路を広げつつある。
まったく違う方向性をもつ二つの農を見学したが、
農業の課題としてあるキーワードを
それぞれが独自に編み出したやり方でクリアーしていた。
二つの確立された農を見比べることで、自分が越えないといけない課題が
はっきりと見えてきた今回の視察の旅だった。
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つぎは「市場」。
「雇用」「研修」と驚くような話が聞けたので、
Nさんならば、何か驚くような売り方をしているに違いない、と期待があった。

「出荷物全部、卸売市場にだしているけん、あとはあっちでさばいてる」
とNさん。
各スーパーや仲卸からと直接取引するのは、『やねこい』とNさん。
数量注文を個別に取り付けるのは面倒だとして
すべて卸出荷をしている。
これは僕のやり方とはまったく逆。
「いちいち数量の注文なんて聞いてられんけん。そんなことより、効率よく出荷量を増やすことと効率よく仕事量を増やすことが大事」とNさん。
細かい注文対応と手間はかかるがこだわり野菜、そして高品質・高価格で
やってきた僕や父のやり方とはまったく逆であった。

Nさんは1袋コスト100円の菜っ葉をコスト80円にまで下げるのは簡単だ、という。
「おまんならどうする?」とNさん。
僕は、「包装材等の資材価格の見直し、パートの人数と労働時間・時給の見直し、出荷数量の見直しですかね」と答えた。
Nさんはにやりとしながら
「そうや、100円を80円にするのは意外に簡単や。ただ周りのもんに泣いてもらって、自分が得するという計算や。だからわしは、100円を30円にするような考えでいくんや。誰も泣かない、みんなが笑えるようなやり方で。」と答えた。
そんなやり方があるのだろうか。

「市場」のキーワードと関係してくるのが
次のキーワード「農法」である。
Nさんは、100円の菜っ葉を誰も泣かせないで30円にする方法で
一気に規模拡大をしてきたとも言えよう。
「100円を30円にするには、根本的に考え方を見直さないといけん」とNさん。
目を付ける場所は、一番手のかかる作業。
その手間を無くしてしまえば、100円は30円になる。

案内されたハウスの中に、大きな自走式のベルトコンベアがあった。
小松菜の収穫途中で、インタビューに訪れた日は土曜日ということもあり
作業はしていなかったが、Nさんが詳細に説明してくれた。

7.5mの幅に8人が収穫人として秤と鎌をもって一列に並ぶ。
その後ろに自走式のベルトコンベアがついて行き、
収穫されて、量り終えた小松菜がベルトコンベアに次々と乗せられる。
それをコンベアの両側に配置された4人が、
自動で包装材の口を開ける機械を使って袋詰めし、またコンベアに乗せる。
コンベアの一番後ろで、箱詰めするために1人が待機しており
次々と箱詰め作業を行う。
ハウスの外には保冷車を待機させておき、次々と梱包された小松菜を乗せて
時にはそのまま市場へと出荷される。
一時間で60ケース(30袋入り)の小松菜が出来るという。
7.5m間口で60mの長さのハウスならば、2時間から3時間で
収穫し、袋詰めし、箱詰めし、保冷庫に入れてしまえるとか。

僕の周りの農家では、収穫された菜っ葉は、そのハウス内では袋詰めされず
一度作業場に持ち帰り、汚れた葉っぱやいたんだ葉っぱを取り除き、
その後、袋詰めされるのだが、
ここでは、すべての作業がハウスで、しかもコンベアでの流れ作業だった。

コンベアはNさんの自作だとか。
「市販の機械は、役に立たんけん、自分で作るようにしている」とNさん。
市販のものは、普段使わない余計な機能が多い割に、
農家の作業の中で本当に必要としている機能がない、とNさんは言う。
だから、機械はできるだけ手作りだという。
今回見せてもらったベルトコンベアの収穫機は、
オーストラリアのカボチャ農家の機械をテレビで見て
考案したという。
できる人は、普段僕も見ているだろうものから、多くを学びとる。

今はベルトコンベアなので、一人の手が止まるとライン全体に影響するため
ターンテーブル式に変えて、一人の手が止まってもラインが止まらない工夫を
している最中だとNさんは教えてくれた。

訪ねた日は、暖かな日でもあったが夕方になっても
ハウスを閉めて回らない様子であったので、それを尋ねると
「ハウスの開け閉めなんて、しないよ」とNさん。
そんな手間なんてかけてられるか、とでも言わんばかりだった。
それをすればもうすこしましなものがとれるかもしれんけど、と豪快に笑い飛ばしていた。

100円が30円というマジック。
それは僕や父がこれまでやってきたことのまったく逆のやり方だった。
品質だけでいえば、
Nさんの農業から学ぶことは少ない。
だが、『良いものさえ作れば売れる』と思い込んで、
家族経営で頑張る農家が多くいる中で、
Nさんは別の次元で農業を展開しているように、僕には見えた。
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雪が本格的になる前のこの時期、
自家菜園では、とても豊かな実りがある。

寒さが厳しくなってきて、一段と甘さを増している大根。
妻が、ブリ大根が得意ということもあって、総太り大根は多めに播いてある。
他にも青・赤・黒などの変わり大根もあり、
これでスープを作ると、なんともカラフルで面白い。

昨年同様、株自体はあまり大きくならないのだが、
セロリも栽培している。
寒さにあたって、独特の風味プラス甘さが増しており、
とても美味。
豚肉を塩に漬けて、それを薄く切ってベーコン代りに炒めて
セロリを葉っぱごとオイル蒸しにして食べるのが、最近の我が家の流行り。

春先が旬かと思っていたのだが、
どうもこの時期が一番うまいと気がついたのは、コリアンダー。
秋口から旺盛な生長を見せていたコリアンダー。
11月の終わりになってくるにつれて、寒さのため葉が紫になってきているのだが
それが風味を増させているのか、やたらとうまい。
お気に入りの木綿豆腐に、沖縄で買ったスクガラスをのせ、
それにたくさんのコリアンダーをまぶして食べるのが気に入っている。

少し前にとったショウガは
妻がはちみつに漬けてくれた。
コーヒーを飲むときに入れたら?と言われたので、
入れて飲んでみると、これが意外に美味。

春菊もある。
あられが降るようになったので、葉が傷んできたのだが、
まだまだ食べられる。
露地なので香りが強いのだが、意外に甘みも強い。
春菊というと、鍋で食べるか、胡麻和えで食べるかしか知らなかったのだが
妻が、生の春菊を刻んで、リンゴと胡桃をあえてサラダを作ってくれた。
生の春菊???と思われるかもしれないが、これがワインによく合うのだ。

そしてこの時期、なんといってもうまいのが
ロメインレタス。
サラダでもよし、炒めてもよし、スープにしてもよし、の死角なし野菜。
パスタにも入れれば、スープにも入れる。
先日は、取り損ねた野生の雉に代わって、スーパーで買った砂肝を
バルサミコ酢で炒めて、生のロメインたっぷり使って食べた。
これだけでワインがいつもの2倍は飲めてしまう。

なんとも豊かな畑と食卓の関係なのだが、
実はこうした豊かさは、少しも経済成長やGNPには反映しないのである。
種子を買ったり、調味料を買ったり、少しの食材を買ったりしているので
その分は経済にも貢献しているかもしれないが、
自家菜園で野菜を作り、それを自分で調理して食べるという作業の豊かさは
ほとんどが経済成長やGNPには反映しない。
GNPを押し上げるのなら、
自家菜園をしている時間があるのなら、パチンコへ行って金を使い
調理する間があるのなら、パチンコの帰りに居酒屋によって晩酌をし、
帰りに飲酒運転で交通事故にでもあうと、ものすごくGNPに貢献することになる。
成長率の数字だけを見せられると
それがマイナスになっていることに、なんだかネガティブな感情を抱いてしまうが
中身が具体的な身近な事例に置き換えてみると
豊かさとは何かが、見えてくるような気がする。

ときどき自分が経営の成長や規模拡大ばかりに目を奪われる時があるが
それを冷静に見つめるきっかけになるのが、自家菜園という存在なのである。
経営の拡大を考えるときは、自家菜園で野菜をとり、それを調理して
そしてそれを妻と共にワインで流し込みながら考えることにしている。
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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

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