Nさんの周りには、新規就農者が10名近くいる。
山間の谷沿いに広がる緩やかな棚田の地域。
決して恵まれている環境ではない。
にもかかわらず、彼の周りには新規就農者が多い。
そのほとんどが、彼の農園で研修して独り立ちした人たちだった。

Nさんの農業を際立たせているキーワードとして
「研修(新規就農)」があろう。
今回はそのお話。

N農園では、新規就農を希望する人を受け入れている。
受け入れを始めたのは、平成3年からとのこと。
県が新規就農者の研修をNさんに持ちかけたことから始まったという。
現在N農園で行われている研修期間は2年半。
1年目はパート従業員と同じ作業をしてもらい、
2年目からは、1年目と同様、従業員として農作業に従事するのだが、
50mのハウス(7.5m間口)一棟をタダで貸し、研修生に好きなように耕作させる。
そのハウスの栽培管理・収穫・調整はすべて研修生がする。
そして、そのハウスの売り上げは、すべてその研修生のものとしている。
Nさんや他の従業員が手取り足取り教えることはないという。
「1年間一緒に働くんやから、そこから盗め、と言っている」
とNさんはいう。
相談されれば、指導もするそうだが、
基本的には研修生が汗かきべそかき、そのハウスを切り盛りするらしい。
そして、この任せたハウスでの作業内容を見て、
Nさんは、研修生が独立できるかどうかを見極めている。

上にも書いたが、研修期間は2年半。
つまり、ハウスを一人で切り盛りするのは1年半の間ということになる。
この1年半で、Nさんは研修生が農家として自立できるかどうかを見る。
Nさんが注目するのは、収穫適期。
研修生が収穫適期にきちんと収穫しきれているかどうかを見ている。
病害虫の発生などで、収穫できなかったり、
他の技術的な要因で収穫に至らなかった場合は、Nさんはまったく咎めない。
しかし、収穫適期にもかかわらず収穫されず
そのまま放棄されるようなことがあれば、
Nさんは迷いなくその研修生を首にする。
「それは、そいつが怠慢やったってことや」
とNさん。
農業はやる時にはやらなあかん、と言う。
N農園の就業時間は、朝の7時から夕方5時。
そして土日祝日は休み。
なので、研修生は夕方5時以降、そして土日祝日に
自分が任されたハウスの管理収穫を行う。
「収穫が大変だと、夜10時頃まで仕事していた奴もいた」。
農業は一時仕事が多い。
動く時に動けない奴には務まらない。
こういう経験を経て、農家出身じゃない奴が農業のサイクルを覚える、とNさんは言う。
厳しいかもしれないが、この試練を乗り越えた者には
Nさんは援助を惜しまない。

研修生の間の待遇は、月10万円の手当。
住居は、研修生のために建てた研修施設。
ガス・電気・水道はタダ。
米も支給。小麦も支給。塩もタダ。
食料品を買う以外に、基本的にお金を使うことはない。
そして、2年目からはハウスでの収入がある。
「貯める奴は、独立するまでの間に300万は貯めるよ」とNさん。

さらに、独立することになった研修生には
20~30aのハウスを用意してやる。
これはタダというわけにはいかないが、
Nさんが県や国の事業をとってきて、ハウスを建て
研修生に渡している。
研修生がどこかの金融機関からお金を借りてハウスを建てるのではなく、
Nさんがハウスを建てて
研修生が分割してNさんに支払う形式をとっている。

農地は、高齢化が進んできている地域なので
毎年50aほどの農地がういてくるという。
Nさんにその農地の耕作話が持ちかけられると
「借りる時に地主に、『初めの年は米を作るが、次の年は保証せんよ。野菜作るかもしれんし、ハウス建てるかも知れん。あと、うちの若いもんが耕作するかもしれんけど、それでも良いのなら』と念押しだけはしておく」とのこと。
こうして借りた土地で、新規就農者たちは農業を始めるのである。

新規就農者たちの出荷物は、
頼まれればNさんが市場に出荷するときに一緒に持っていっている。
荷賃はひと箱30円と格安。
販売経路を持たない新規就農者でも、すぐにでも売り上げがあるようにと
Nさんの心遣いは細やかだ。
ひと箱30円の運賃でも、新規就農者が何人にもなれば
それなりに売り上げがあるという。
「今年はだいたい160万くらいになったかな。なんで、その金で若いもん(新規就農者)の家族を連れて、来週末富士山の温泉に旅行に行くことにしてるんや。忘年会やわ」
とNさんは豪快に笑った。

こうして独立した就農者の何人かは
年間の売り上げが1500万円を超えるようになってきたとのこと。
農園に訪ねた今回、新規就農者の3家族が
その集落に新しく家を建てたということで、見せてもらった。
行政が躍起になって新規就農者を募り
研修をさせて、補助を与えて、お金を貸して、とあらゆることをやっているが
なかなか独り立ちできないし、定住できない。
ましてや、住宅ローンを組んで新築に住むなんて
そんなサクセスストーリーを僕はあまり知らない。
だのに、N農園のまわりでは、あまりにも日常茶飯事な出来事のようだった。
どうやら僕は、とてつもない人にインタビューをする機会を得たらしい。
聞く話、聞く話、すべてが別次元だった。
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Nさんは、
昭和59年から、JAのあっせんで住んでいる集落から車で5分ほど離れた地区に
まとまった農地を借りることができた。
そして、従業員を通年で安定して雇えるように、
昭和62年からは、葉ねぎの周年栽培を始め、一気に規模拡大路線を目指した。
平成3年には、女性パート従業員10名に男性従業員1名の体制になり、
この年、初めて従業員を連れて海外へ慰安旅行に出かけた。
行先はハワイだった。
その後、毎年、従業員をつれての海外慰安旅行は続けている。

「そんなに従業員に金を使っておまんはあほや、と周りは言うが、わしはそう思わん」と
Nさんは豪快に笑いながら言った。
現在では26名の従業員を抱えている。
そして海外慰安旅行で使う金額も300万円近くになるという。
「気持ちよく働いてもらうのに、300万は安いもんや」
そうNさんはいう。

26名の従業員がいるのだが、
そのうち2名がNさんの片腕として農園を切り盛りしている。
一人は、Nさんがブラジルの農園で働いていた時に
一緒に働いていた人の息子。
日系二世。
もう一人は、アルゼンチンに家族で移住していたが
日本に戻ってきた方。
どちらも、Nさんの農園ですでに16年ほど働いている。
葉菜類の周年栽培による雇用安定と規模拡大路線を目指し始めた頃に
雇った2名が、今では
「わしがおらんでも、農園の仕事はまわっていく」
とNさんが評価する存在にまでなっている。
その2名も、ただ単にNさんに雇われているだけではなく、
自分の園芸施設も持ち、独立して農業も営んでいる。
「うちの仕事は、朝の7時から夕方5時まで。残業は一切ない。あと土日祝日も仕事はしない。そうじゃないと、自分のハウスを持っている従業員が、自分の仕事をする時間がないけんね」。
Nさんに雇われるだけでなく、自らも独立した農家として
圃場を切り盛りしている従業員がいる。
そんな労使関係が、従業員の自立性を生み、
うまい具合にNさんの農園にも
従業員の農園にも相乗効果を生み出しているようにも見えた。

Nさんは米も3ha作っている。
「米は従業員が食べる分や」とNさん。
最近では中国の研修生も受け入れているので、米だけじゃなく小麦も始めたという。
製粉機も購入して、従業員だけのために使用している。
従業員が休憩する施設も建て、
毎日30分はそこでミーティングをする。
その施設には、温泉地の露天風呂のような大きな岩風呂があり、
仕事が終われば、従業員はそこでお風呂に入って帰るのだという。
その岩風呂に、
「夢は実現するためにある」
という言葉が、石に刻まれていた。
Nさんの言葉とのこと。

惜しみなく従業員にお金を投資するNさんの姿が、
僕には異色に映った。
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Nさんへのインタビューから、
彼の農を際立たせているキーワードが見えてきた。
それは、「雇用」、「研修(新規就農者)」、「市場」、そして「農法」である。

まずは「雇用」。
N農園では現在26名雇用している(そのうち、中国の研修生が5名)。
彼の家族は、まったく農業に従事していない。
彼自身も、家族で経営する農の形をはじめから目指してはいなかった。

Nさんの出発点は、ブラジルにあった。
彼は学校を出たばかりの若いころに、「コチヤ青年」というプログラムで
ブラジルに移住を試みている。
そこでは、南米一のジャガイモ農家のもとで、農夫として働いた。
そのブラジルの農家は雇用中心の大規模農業で、
それがNさんの農業のモデルとなった。
諸事情あって、ブラジルからは5年で日本に戻った。

ゆるやかな棚田が狭い谷あいに広がっている、
決して恵まれているとは言えない故郷の農地で、
彼は露地でナスを栽培し始める。
家族でやる農業は目指さず、はじめから雇用ありきの農業を夢描いていた。
ナス栽培は最大で1haに達した。
雇用も地元に関係なく、3~4人を雇った。
しかし、露地のナス栽培は、夏季に農作業が集中し、
冬季には農作業がほとんどないため、雇用が安定しなかった。
冬季の間だけ、雇い人に休んでもらうと、仕事のできる人に限って
次の年にまた働きに来てくれるように頼んでも、
別の仕事に就いていることが多かった。
Nさんは、雇用でやる農業は人材確保と人材教育が大切だと考えている。
そこで、雇用でやれる農業にするには、
作目を、一時に忙しさが集中する果菜類ではなく、
通年で安定出荷が見込め、安定して農作業がある葉菜類に切り替えることにした。
目を付けたのは「葉ねぎ」。
昭和62年のことだった。
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連休は広島だった。
広島修道大学で国際開発学会があり、それに家族で参加してきた。
ただ、学会で聞きたいセッションが日曜日の午後だったため
土曜日と日曜日の午前中は、例の如く農家めぐり。

今回おじゃました農家は2件。
1件は大規模園芸施設を持つ雇用中心の農業をされているNさん(男性)。
もう1件は、20年前に新規で就農し、
無農薬有機で農家レストランも経営するYさん(女性)。

まず訪れたのはN農園。
4.5haの園芸施設(ハウス)を切り盛りし、26名の従業員を抱えて、
年間売上1億5千万円の大規模農家。

訪問は、土曜日の午後のことだった。
広島駅でレンタカーを借りて、娘を連れてN農園に向かった。
N農園は広島市S町なのだが、広島市街地から車で1時間ほど離れた山間部。
S町に入ると、棚田がほそぼそと広がっていて
山の谷あいを進むように道が作られており、道はどんどんと細くなるばかり。
ついには対向車とすれ違うことすらできないほど細い道となった。
耕作放棄の棚田も散見され、いたるところで虫食いのように住宅地になっていた。
ハウスはほとんど見られず、こんなところに大規模園芸農家がいるのだろうか、
と不安になった。
しかし、N農園のある地区に入った途端、
道の両側に数え切れないほどのパイプハウスが出現した。

待ち合わせ場所に迎えに来てくれたNさんは白髪ですこし丸みを帯びた方だった。
農作業でお忙しい中、ありがとうございます、とお礼を言うと
「どうせ、土日は仕事せんけん」とNさん。
土日祝日は従業員もすべて休みにするという。
「休みに出勤させると、給料を倍払う約束にしてあるけん、休みに仕事をすると損なんじゃわ」と豪快に笑った。
ハウスすら見に行かん、と言うではないか。
普通の園芸農家じゃ、いや、少なくとも僕の常識では考えられないことだった。
作物は生き物。
それの管理には、休みもへったくりもない。
それが僕の常識だった。


つづく
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パソコンの調子がおかしいおかしいと思っていたら、
ついに・・・反応しなくなってしまった。
今週は、復帰のためのリカバリィに手間をとられてしまって
ほとんど日記更新できず。

さて、そんな中でも家づくりは進む。
月曜日以来、雨続きで工事は全くできなかったのだが
今日、L型擁壁を埋め込むための基礎工事の続きがあった。PB210009.jpg

小雨が降っていたのだが、その後本降りに。
そうしたら、基礎が
PB210014.jpg
水没してしまった・・・。
大丈夫なんだろうか???

来週、L型擁壁を入れていく工事をする予定。
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PB170026.jpg

先週、地鎮祭を行うだけで、その後動きがなかったのだが、
今週は、月曜日から工事が開始された。

宅地のまわりに土留めのL型の壁を入れるために
重機で掘削し、そこへ砂利を入れて固める工事。
ここにコンクリートを入れて、L型の壁を置く基礎とするとのこと。
今日は掘削をして、砂利を敷いて工事はおわった。

すぐそばに園芸用ハウスが立っていることにあって
このあたりを掘るといろんなものが出てくる。
その一つが、これ。

PB170031.jpg

用水を引きこむパイプである。
掘るまでわからなかったのだが、
この位置では、思いっきりL型壁にぶつかってしまうのである。
このパイプをL型壁の下にもぐらせるか
それともL型壁に沿って移設するかは、
工務店さんに任せることにした。

明日、雨が降らなければ、L型壁の基礎を打つらしい。
そして週間天気予報は、日曜日まで雨という予報になっていた・・・。
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つめたい雨が降り続く。
こういう日は、あまり仕事がない。
というか、あまり仕事にならない。
そういうこともあり、日曜日ということもあり、
今日は、インドネシア研修生の講義をする。

前回は、自然資源を山の上から考えてみた。
今回は、農業の人的資源についての授業。
いわゆるリーダー論。
今回の授業では、僕が見てきたインドネシアや日本での
農業リーダーは誰だったかを話した。

篤農や行政職員(普及員)・農協職員、村長、区長、
そして、日本でもたまに見かけるが、宗教指導者などなど。

文献でのみ知っているにすぎないが、
宗教指導者としては、バリの神官の話をする。
水利と農業カレンダーを神官が握っており、
農業カレンダーにいたっては、近代農業技術に照らし合わせても、
とても妥当なものといえないような内容で、
宗教的な占い等で決められた農作業カレンダーとなっている。
文献の事例では、
米の栽培改善をするというある援助プログラムと神官の農業カレンダーとの間で
軋轢があり、農民は外部からの援助プログラムの技術を妥当だと評価しつつも
神官の農業カレンダーに従って、従来の農業を続けていく、とつづられていた。
その事例を研修生のHくんに紹介すると、
H君は、
「僕の村にもあります」という。
なんでも近くのイスラム教指導者の話らしいのだが、
農業カレンダーを月の暦や占い等で作っており、
それがとても農業技術的に妥当だとは思えない内容になっているとのこと。
H君のように、農業の専門高校で近代農業の技術を学んだ若者は
その農業カレンダーを馬鹿にしているらしいのだが、
周りの農民からは、それなりに受け入れられているらしい。
「種籾の播種日が、そのカレンダーで決められているんですけど、全然季節に合っていないんです」
とH君は言う。
指導者の在り方によって、その地域の農業が大きく左右されるという好例であろう。

最近、各分野において伝統的や古い考え方が見直され、
というか、それらの価値が新たに再構築されているのだが、
近代というものが揺らぎ、自信を失い、
近代的から伝統的への回帰していく、ということではなくて、
それは呪詛的なものから脱却を試みた近代的視点によって、
新たに価値を与えられていくという過程であろう。

H君やバリの事例にみられる信仰的農業と
日本で価値づけられつつある農業(自然・伝統回帰主義的な農業)とは
また別のベクトル上にあるように思われる。

まぁ、とにかく、リーダー(指導者)としての信頼や価値は
その社会の思想や信仰の在り方に大きく左右され、
その中で認められた人々の言動で、農業も大きく左右されるというわけである。
通常の人的資源論としては、すこし脱線したような授業となったのだが
好例を得て議論が深まったので、よしとしよう。
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11 15
2008

ジャコウアゲハの蛹

農作業の合間に、
ふと眼をおとすと、

ジャコウアゲハの蛹が一つ、
コンクリート用水の壁にくっついていた。

おまえはもう眠ってしまうのかい?
おまえはそこで春を待つのかい?

僕らは、これからブロッコリをとって、ごぼうを掘って、
クリスマスと年末に大量のベビーリーフをとって、
そして、暮れには正月用のかぶらを雪の舞い散る中、とらなくちゃいけない。

僕ら農民の冬眠はもう少し先なんだよ。
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建前

あああ、ついに建前の日。
大きなクレーンが、木材を釣り上げて、少しずつ園舎が作られていく。
それを見守る人々は、みな、笑顔だった。
いろいろとあったが、この日が迎えられたのは、
本当に喜ばしい。

まさにそこには自治があり、
だからこそ、この園舎が、誰のものでもない、僕たちのものだという実感があるのである。
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11 13
2008

とある高校で話をする。
1年生対象のプログラムで、
異文化理解のカリキュラムの枠で、1時間ほど話をした。
協力隊OG・OBが8名ほどよばれ、
生徒それぞれが興味のある国やOG・OBの職種を選んで
話を聞くというものだった。

ここ数年、連続してこのカリキュラムで話をさせてもらっている。
これまでは、任地が「インドネシア」で「食用作物」隊員である僕の話を
希望する生徒数は、少なかった。
毎回最小人数で、中には他のOG・OBのクラスを希望していたのに
抽選で漏れてしまった子もいたという状況だった。
(ちなみに、希望を出す段階で、僕という話者の力量で選んでいるわけではなく、ただ単に、インドネシア・食用作物というカテゴリ的情報のみだけで、生徒たちは選んでいることを断わっておきたい)。
だのに、今回は、人数はやたらと多かった。
今年、かなりクローズアップされた食糧危機の世相を反映してだろうか。
事前に頂いた生徒からの質問にも、食糧危機に関する質問が見受けられた。

さて、講演前に控室で教務主任から
「昨今の学生は、人間関係力が不足しているようにも思え、海外という異文化の中で活動されてきた皆さんの話は、よい刺激になる」
などという挨拶があった。
人との関係にまで、“なんとか力”と「力」の言葉が使われることが印象的だった。
そもそもこの造語の意味は解りかねるが、「力」という言葉を使うと
それがまるで個人の能力の高低によって形成されているようで
僕には違和感がある。
能力として高低をつけられると、教育の中では、それらは、
まるで高められるための存在に感じられてしまうので
ある意味、危険な考え方ともいえなくもない。
以上、余談。

さてさて、講演だが、
これまでは協力隊3年間で感じた異文化の紹介を
ひたすら続ける講演だったのだが、
さすがに、帰国してすでに8年の歳月が流れており
自分として飽きてきたので、今回は、
協力隊に行く前の勢いと焦燥感にあふれていた頃、
協力隊活動中の失敗の数々、
そして、それを受けて留学し、国際協力の専門家としての道ではなく
帰農を選び、帰農後少しずつだが、
農の営みの延長上に国際協力を見出してきた現在までを話してみた。
高校一年生には少し話が急展開でついてこられない感もあったのだが、
最後まで、寝ることなく話を聞いてくれたので
話者としては満足だった。
学生は正直なもので、話がつまらないとすぐ寝るのである。

たまに人前で話をするのもいいものだ。
これまでの流れをおさらいする良いきっかけになった。
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高屋

先日行ったインドネシア研修生の講義の話。
今行っている講義は、「農業の構造」という講義。
どういう要因がその場の農業を特徴づけているかを構造的に説明する講義。
ボゴール農科大学大学院で受けた講義(農村の構造社会学)に、
僕なりに農業に関する部分だけを取捨選択し、さらに他の要因も加筆修正した授業。

前回は、自然資源について考えてみた。
前々回、研修生のH君に僕らが農業を行っているこの村の自然資源について
レポート書いてもらい、それを元に授業を行った。
ただ、やはり自然資源なんてものは、しっかりと目で捉えながらじゃなければ、
スカッと頭には入ってこない。
そこで、今回の授業は教室を飛び出し、
川向かいにある山に登ることにした。
宮本常一も言っているように(正確には宮本の父の言葉だったように思う)、
その集落を調査するには、まず高いところからその集落を眺めることが
重要である。
そこで僕達も、集落やその周り一円を眺められる川向かいの山に登ることにした。

山からみた景色は、壮観だった。
大河九頭竜川の大きなうねりがよく観察でき、
また一面の平野と、東に連なる白山を含む山々、
そして街の大きさとそこから流れてくる足羽川(日野川)もよく見えた。

九頭竜川の大きな流れが、僕たちが登った山々にぶつかり大きくカーブしているおかげで
川向かいに位置する僕の村に、河川敷に豊穣な農地が形成されることになった。
また、奥越から流れる九頭竜川と
福井中心部から流れる日野川が合流している位置に村があるため、
昔から交易の村として栄えた歴史がある。
これも自然資源といえよう。
昔の輸送は、道ではなく河川が主流であった。
三国の湊へとつながる九頭竜川を利用して、多くの荷物がうちの村に運び込まれていた。
そして、ここで一旦市が開かれ、奥越(勝山・大野)への荷物と
福井への荷物とが分けられて売買されていたであろう。
僕の集落の名前が「高屋」、
そして隣接している集落の名前が「六日市」なのである。
高屋は、その昔、船宿や楼閣があったという年寄りの話から、
それらからつけられたのだと想像できるし、
六日市は、市が定期的にたったから、つけられた名前だと解る。
(ちなみに少し離れた村の名前は二日市といい、やはり「市」のついた名前である)

そして、この村には豊穣な土壌が河川の流れによって作られていた。
村に市もたつし、川を利用すれば、街の市にも運べたのである。
憶測でしかないが、そういう自然資源と位置関係だったために、
昔から野菜の栽培が盛んだったのではないだろうか。

地形が生み出す農業の形がそこにはあるのである。
すべてが自然環境に左右されるわけじゃないが、
自然環境が育んできた農業もあるのである。
それは一つの要因として、理解する必要がある。
川向かいの村では、野菜栽培をしている農家はほとんどない。
いろいろな要因もあろうが、年寄りの話では、昔から川向かいでは
野菜の栽培は盛んじゃなかったそうだ。
その代り、うちの村にある河川敷の豊穣な土地には、川向かいの人たちの畑もあり
船を出して、野菜作りに来ていたそうだ。
川向かいの村々では、すぐ後ろに山があるため
山仕事の方が盛んだったという。
数百メートルしか離れていないにも関わらず、
まったく違う農業の形がそこにはある。
人々の生活様式(農業様式)が、自然資源に
大きく左右されていることを意味しているのである。

今回の講義では、そんなことを山の上から眺めながら行った。

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PB110011.jpg

地鎮祭を行う。
これからいよいよ工事が始まるのだが、
その前に、その土地を清め、工事がつつがなく行われ
家が末永く無事にいられることを祈って行うのがこの行事。

地鎮祭自体は、工務店さんの方で準備進行していただいたので、
特に施主としては、式の中で神主さん(地鎮祭は神式)に言われるままに動くだけでよかった。

神主さんは工務店さんの紹介で、木田神社の神主さん。
手水の儀から始まり、
四方清めの儀や修祓(神主さんによるお祓い)があり、
その後、神主さんによるもろもろがあり
(降神(こうしん)
献饌(けんせん)
大祓詞奉唱(おおはらいしほうしょう)
祝詞奏上(のりとそうじょう)
清祓(きよはらい)
地鎮の儀(じちんのぎ)
などなど、と思われる)、

苅初の儀(かりそめのぎ)を僕、
穿初の儀(うがちぞめのぎ)を設計士さん、
そして地曳の儀(じびきのぎ)を工務店の社長さんが行った。

そして、玉串奉奠(たまぐしほうてん)。
僕と妻と僕の父、設計士さん、工務店の社長さんの順で行った。

最後に、
直礼の儀として、お神酒とするめを皆で乾杯して
儀式は無事終了。

インドネシア研修生のH君や
セネガルのI君も出席し、何やら賑やかな儀式となったのだが、
両人が、直礼の儀の後、やたらとするめをおかわりしていたのが、おかしかった。

良い家が建ちますように。
家が末永く無事でありますように。
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ミミズの耕起

収穫タームの長い作物の後に、
トラクターで綺麗に耕起し整地しても
何かを栽培すると地表がこうなる。

細かな凹凸ができ、土の団粒が見て取れるようになる。

こうなるのは
ミミズや名も知らない虫たちが、
地表や土中をはいずりまわるからであろう。

トラクターで起こせば、人の目で見てきれいに、
人の指で土を押しても、やわらかく入るくらいに耕せるが、
目視ではわからない無数の穴と
人の指では解りえない土の柔らかさを
ミミズと名も知らない虫たちが、こうして作り出している。

理想的な土の形を
虫たちは、いとも簡単に作り出す。
英知を絞って、近代的技術と化石燃料を使って
土を起こすが、
結局、
虫たちと、それを取り込んだ昔からの知恵(輪作)には
かなわない時がある。
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自家菜園も冬野菜でにぎやかになってきた。
変わり種の大根や白菜、セロリ、トレビス、ニンジン、キャベツ、コリアンダーなどなど。

今年、自家菜園の冬野菜の栽培で
ちょっとした実験をした。
その覚書。
実験とは、2種類のマルチの比較。
畝を被覆するマルチ資材を稲藁(麦藁も含む)とビニル素材(銀色)の2種類を利用して
作物の生長や「ただの虫」の量などを目視で比べてみた。

生長の早さは、たぶんビニル素材が上だったかもしれない。
「だったかもしれない」というのは、
現在のところ、稲藁のマルチで栽培した野菜の方が、元気に生長しているからである。
2種類の畝では、植え付け時期を同じにしたのだが、
生育初期は、ビニル素材では日光の照り返しが強く、
思うように成長しなかった。
ただ、ある程度根が張った状態になると、稲藁よりもビニルの畝の方が
株も大きくなり、生長も早かった。
しかし、害虫の食害もビニルマルチの畝の方がひどく、
結果として、稲藁のマルチの畝の野菜の方が、現在は元気に育っている状況である。
特に白菜やブロッコリは、ビニルマルチではほぼ全滅となってしまった。

自家菜園では、農薬を一切使用していない。
なので、稲藁のマルチだけ農薬で防除したのではない。
二つの素材のマルチで、こうも大きく虫害の差異が出たのは、
虫の種類と量の差であろう、と僕は考える。
目視による観察のみなのだが、稲藁のマルチをすこしめくってみると、
そこでは、多数のクモ類や小さな名前も知らない虫が多種多様に生息していた。
それに比べて、ビニルマルチでは、団子虫こそ多かったが
クモ類はほとんど確認できなかった。
被服面積が少ないので、比較実験としては適当かどうかわからないが
少なくとも、稲藁マルチでは、虫の種類や量は増える傾向にあるようだ。

作業のしやすさ(作業の機械化)や保水力、除草の手間がいらないという面で
ビニルマルチは優れているのだが、
しかし、それら石油資材の使用は、
やはり、農薬による防除とセットになっているのだと気付かされた。
だからといって、農業の近代化の道は、一方通行とは限らないだろう。
排他的に(2項対立的に)捉えて、どちらかだけしか選択肢がないわけじゃない。
次回は、ビニルマルチをした上に、稲藁や麦藁でマルチを行う方法と
畝幅を狭くし、ビニルマルチ間を麦などの作物で被覆する方法を実験してみようと思う。
要は、多種多様な虫が生息する場を作ってやれればいいのだから。


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保育園での財務部の会議。
財務部とは、保育園の増改築運動で1000万円を集めるために作られた部会で、
なんとかこの秋、めでたく1000万円を集めることができた。
今回の集まりでは、
今後何年後何十年後にくるであろう次の増改築運動の資料となるように
これまでの運動を総括することに。

ただ、ここで書くことは、その総括の会議を経て
僕が勝手に思うことなので、ここで書かれていることが、
財務部での会議の総括と必ずしも同じではないことを断わっておきたい。

さて。
1年にわたって活動してきた財務部。
その中で、3回、集中してお金を集める運動(キャンペーン)を行った。
1回のキャンペーンは約2か月。

第一の山と名付けられた1回目のキャンペーン(2007年の夏)では、
父母みんなの献金・募金の意識を高めるために
「とりあえず一口運動」
を行う。
まずは保育園に通う父母が一口だそうよ、と呼び掛ける運動で、
それなりに集金できたのだが、
一人一人出したかどうかをチェックして、出していない人に声かけをしてためか
個人的に攻撃されていると錯覚される人も多かったように思う。
ある程度のチェックは必要だが、
同時に、出さない人たちの不満をくみ取る仕組みも必要だっただろうと反省する。
運動を始めた頃は、『なぜ私たちが園舎の増築にお金を出さないといけないの?』と
不平不満が蔓延していた時でもあったので、
個人個人に声かけをして一口を出してもらうという活動は、
園側と父母側との間での不協和音が大きくなった原因にもなったように感じる。
実は、個人個人に声かけをして一口出してもらうという活動は
個人攻撃ではなく、むしろ、個人の不満などをくみ取りながら、
園の考えを伝える、とてもよい機会にもなりうるのである。
やり方次第、ということもあろう。

第一の山では、
古紙回収やアルミ缶集め、街頭募金、フリマへの参加などがあった。
また父母OBへ献金お願いの手紙を皆で書いて送ったりもした。
その中で問題と感じたことは、
財務部で募金の活動が決定しても、その上部組織である事務局(運営委員会)に
いちいち活動許可のお伺いを立てないといけないことであった。
街頭募金は、その時間のロスで時期を逸したまま、最後まであまり行うことができず、
また、古紙回収などは第三の山では本格的に行われるのだが、
第一の山では、この連絡のロスで活動を始めるのがずいぶんと遅れてしまった。
募金運動をするために立ち上げられた財務部にある程度の権限がなかったため
財務部役員のやる気を削がせる結果となった。
これは最後の山まで引きずることになった。

第一の山で活動を行っていたのは結局、財務部の役員だけで、
園全体での盛り上がりに欠けていることが、問題として指摘された。
そこで、第二の山では(2007年冬~2008年年初め)
活動をクラス単位で行うことにし、キャンペーン中に各クラスの目標の募金額を決めた。
クラスの中で中心となって動く人は
財務部役員と父母の会役員と決められた。
クラス毎に達成金額を60万円と定め、
寄付・献金集めや物品等の販売、古紙回収など
収益を見込める活動を行っていった。
前回のキャンペーンと違い、
第二の山では、クラス単位で活動を行ったので、それまではあまり増改築運動に
関心のなかった父母までも、活動に巻き込まれる形となった。
増改築運動を始める前に、半年かけて増改築運動に対する説明や
それに対する不満を聞く窓口を保育園側は用意していたにもかかわらず、
また、第一の山ではそれほど噴出しなかった運動に対する不満が、
第二の山では噴出することになる。
これは僕の個人的な考えにすぎないが、
それまでは日和見的に運動を眺めていた父母たちが
運動に有無も言わさず巻き込まれたためではないだろうか、と考える。
また、運動が始まってからも一貫して運動に対して反対をしていた人達の
意見を汲み取ることもなく、ただただ突き進んでしまった運動に対する不満が
我慢ならないところまでたかまったからではないか、とも考える。
一貫して反対する人ほど、よく保育について考えており、
また保育園の活動に積極的に参加する人が多かったことも
ここでは特記しておかねばならないだろう。
よくよく保育園のことを考えるからこそ、
また自分の信念があればこそ、
一貫しての反対であったように思う。
その意見の多くは、耳を傾けるだけの価値があり
それを運動に汲み取るだけの組織的柔軟性を持ち合わせていれば
もう少し違った形になったかもしれない。

さて、この不満を汲み取ろうとしたのが、
父母の会であった。
保育園の事務局(運営委員会)の了承を得ない形で、
父母の会が増改築の不満を聞く会を数回にわたって開いたのである。
僕は、基本的にこの会は賛成であり、上記したように、不満の中にこそ
良質の批判が存在すると考えていた(中には、ただただ不満を言う人もいたが・・・)。
この会を開いた時、運営委員会と父母の会の間で、すこしトラブルもあり
また一部父母同士の間でいざこざもあったのだが、
こうした動きが、第三の山では反映され、
とりあえず集めていこう、とそれなりに父母の間で運動の共有ができたようにも思う。
またこのトラブルがあったからこそ、
僕は、みんなができるだけ楽しく参加できる運動のイベントとして
体験田んぼを企画実行することができたのである。

第三の山(2008年夏)でも
活動は基本的にクラス単位で行うことになった。
古紙回収やアルミ缶回収をしたり、
映画会や地域の祭りに参加して、食べ物や物品の販売を行ったり
夕方、保育園の玄関でミニバザーを企画したり、
クラス毎に友人知人に献金お願いの手紙を書いたりした。
この第三の山までにすでに750万円のお金が集められており
残りが、250万と終わりが見えてきたのもあろうが、
それでも運動が皆の中で共有できていた感があり、
特に財務部や父母の会役員といったコアメンバーが中心となって動かなくても
それぞれの父母の頑張りで、1000万円に到達できたように思う。

財務部の反省としては、
第一の山から一般の父母を巻き込んだ運動を作れなかったことであろう。
それができていれば、不満が出る時期も早く、運動の軌道修正も
もう少し楽にできたのではないだろうか。
また、不満を汲み取る機会も組織もなかったことも問題だと思う。
猪突猛進で突き進む組織は、けん引役として必要だが、
その一方で、批判や不満を聞き取ることができなければ、
道を誤ることにもなりかねないのだ。
全体に運動が浸透していく過程で、不満不平は当然だし、
運動自体も批判にさらされることで、改善の余地が生まれ
よりよい運動の形になるのではないだろうか。
第三の山では、ある程度運動の共有が生まれたようにも思う。
それが第一の山から行えていれば、もう少しスムーズだっただろうな、と想像する。
それと一番の問題は、財務部に活動の決定権が無かったこと。
役員で会議を開き、様々な活動を決めても、
それをいちいち運営委員会にお伺いを立てないといけないという状況は
組織的活動を鈍くするばかりか、
一部の役員による密室での決定という、もっとも効率が悪い手法で
さらに他の父母にいらぬ疑いが生まれ、また運動の広まりを妨げるものである。
財務部も各クラス代表くらいの組織で十分で、
運動の中心はやはりクラス単位が妥当ではないだろうか。
その単位の中で、増改築を議論することが大事だったように思う。

以上、僕が総括の会議を経て、勝手に思ったことを書いた。
とにかく1000万円集まって、本当によかった。
ご協力いただいたすべての方に、感謝の意を表したい。
本当に、ありがとうございました。
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巷で沸いているアメリカの大統領のことではない。
来年の4月から来る予定のインドネシア人研修生の候補者が決まった。
選考をしたのは、インドネシアのタンジュンサリ農業高校。

先月の頭に、タンジュンサリ農業高校と打ち合わせをして
来年、もう一人研修生を受け入れることで合意した。
それから、あちらでは何名かの候補者の応募があり、
今月に入って、ようやく候補者が絞り込めたらしい。
今来ているH君の一つ下の学年の子で、
H君もよく知っている子のようだ。

H君の時と同様で、候補者の履歴書が届き次第、
かつての学友で大学講師の友人(インドネシア人)に、
候補者の農村や農業環境・市場環境の調査を依頼する予定。
その調査書を検討しながら、来年来る子のプログラムを検討しようと思う。

来年はもっとにぎやかになるだろう。
今から楽しみだ。
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ごぼう

大地を割ると

ごんぼ(ごぼう)が顔を出した。

掘るまでわからないその品質を

農民たちは、あれこれと寸評しながら掘り続ける。

「今年はネズミに食われたのが多い。」

「今年の畑は、土が硬かったから、ごんぼがあんまりすらっとしとらん」

「帰ったら、今夜はごんぼの鍋にしようか」

そんなことを話しながら、

農民はひたすらとごんぼを掘るのである。
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皆さんは、年次改革要望書をご存知であろうか。
毎年アメリカ政府から日本政府にあてられる文書で、
日本の内政に関して、アメリカ政府があれこれと要望を突きつけてくる文書である。

ある番組やネットでは、郵政民営化や道路公団民営化、金融、市場等々
現在まで実現してきた政策は、このアメリカからの年次改革要望書に沿っていると
外交構造的従属性を強調している面も多々見られる。
アメリカが物申すから、それを日本が聞き入れてきた面もないわけではないだろうが
外交的な力関係やグローバリゼーションの議論は、ここでは触れないでおこう。
ただ、この要望書の農業分野の記述を通して、
安全と安心について、つらつらと考えたので、忘れない内に記すことにする。

年次改革要望書の中で、アメリカは、
「有機農産物貿易を促進するという目標の下、有機農産物に使用される生産資材の安全性を評価するに当たり、また、現行の残留農薬政策を修正するに当たり、科学知見に基づいた基準を採用する。」
ことを要望している。
どういうことか、この文章だけで判断するのは難しいのだが、
有機農産物に使用できる農薬(有機農産物には決められた農薬を使用できる)や資材の
規制緩和を意味しているように僕は思う。

以前、日記のどこかで
安全は、科学的手法によって証明できることであり、
安心は、感じられる価値とその対象物に対する信頼によって形成される(社会的もしくは主観的、個人的に)
と書いた。

さらに、ではその科学とは何かを考察するために、
科学哲学の本を何冊か読んだ。
科学が実際に現実世界を表わし得るのか、というのが科学哲学の根本であり
この場合、安全が科学によって表わし得るのか、
という議論とは少しばかり食い違うことも
よくよく解った。

実在論的立場を無批判に受け入れて話をすれば
現実世界は秩序だっており、それを科学によってまだ発見されていないようなことでも
予言することは可能であろう。
僕も、ある程度その立場ではあるが、
では、だからといって、安全はやはり科学的に証明されているものではない
と思うようになった。

今回の年次改革要望書もその考えを強固にさせるものとなった。
安全性は科学的データに基づいたものとしているのだが、
それを採用する人の社会的立場や社会的関係はどうなのであろうか。
ポストハーベスト問題(収穫後に出荷物に散布される農薬。自国産では禁止されているが、輸入野菜では法律上一定の濃度の使用を許可されている。)で、
あれほど発がん性などが問題になったのだが、
現在では、法律上使用が可能となっており、その濃度の設定は
中国産野菜などのポジティブリストで設定されている濃度の5倍を超えるものもあるらしい。
中国産の野菜から、原液に近い濃度が検出される事件が多発して
見えにくくなっているのだが、
時折、基準値の2倍や3倍をこえる濃度が検出された、と
メディアで取り上げられるのだが、
アメリカからのポストハーベストでは、それは合法の範囲であったりもする。
そういう物まで原液に近い濃度の事件と並列しての報道となると
やはり、意図的に、中国産にたいする大衆扇動があるのではないか
と、感じることもある。

アメリカはOKで中国(他の国)はだめ、という状況が
法律の中で出来ているのが、やはり承服できない。
年次改革要望書を通して安全の枠を広げようとするアメリカのやり方を見ていると
安全は、やはり科学的な手法で証明されるものではなく
力関係で、決められていってしまうものではないか、と思うのである。
それが罪なのは、科学といった隠れ蓑をかぶって
僕らの目の前に現れることであろう。
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神田 英雄 著 『伝わる心がめばえるころ』:二歳児の世界.2004年.かもがわ出版.

本書は、娘が通う保育園のベテラン保育士から薦められた。
どうやら僕のブログを読んでくださっているようで、僕と娘のやり取りを読んで、この本を薦めてくれた。
発達心理学の視点から、2歳児の心の成長を解り易く解説し、それを理解することで、より豊かな関係づくりを促してくれる本。
ちなみに、本書での2歳児とは、保育園での2歳児クラス(3歳になる年の子供たち)を指している。なので、まさにわが娘のことのような事例が多く書かれていた。

2歳児は、内面世界の広がりが発達する時期でもある。1歳ごろから、物や人の動作が表象(心の中に思い浮かべる行為)として、それぞれの世界を心に映し出していく。その積み重ねと経験から、空間的にも時間的にも世界が広がり、人を理解する力も少しずつつけていく。本書では、子供の主体性と内面世界の広がりから生まれる興味深い外部の世界、そして他者を理解し始めることによって生まれる「伝える相手」との関係の中で、内面世界のより深い発達があることを、事例を通じて紹介している。「子どもの能動的な関心を引き出すためには、その子の状況にあった興味深い外界だけではなく、発見したものを伝える相手の存在との両方が必要だということです」(p42)。

また2歳児は、内面世界の広がりと同時に自我が発達する時期でもある。自分と他人との違いに気が付き、「いやっ」と相手の提案を否定することによって自己主張をしていた1歳児と違って、2歳児になると大きくなった自分の価値に気が付いて欲しいという欲求が出始めてくる。2歳児の「ミテ、ミテ」は、自分でも感じられた価値を、他者から評価してほしいという要求の表れでだと著者はいう。「勘違いしたくないのは、子どもはほめられるから自信を持つのではなく、自分で自分の価値に気がつくからほめられたいのだということです」(p64)という指摘は、すでに自我がしっかりと出来始めていることを証明している。むやみやたらと褒め回すと、わが娘が機嫌を損ねるのもそういうことなのであろう。

2歳児の要求の中には、二つの意味が込められていると著者は言う。ひとつは、言葉に出した通りの意味での行為への要求。そしてもうひとつが、「自分を認めてほしい、尊重してほしい」という自我の要求である。なので、2歳児の要求に形ばかりの行為として答えたとしても、時に機嫌が悪化してしまうのは、自分の思いを受け入れられていないことへの反発なのであろう。「二歳児の自我を受け止めるとは、その子の「思い」を受け止めることです。つまり、行為への要求は満たすことができないけれど、「あなたの思いは受け止めたよ」と伝えることができれば、自我を受け止め、わがままを助長しない関わりになるのではないでしょうか」(p73)。この指摘は、わが娘のわがままとも思えるような行動に、どう接したら良いのか、その参考となった。
また自分を理解してほしいという要求は、自分の経験などを語る「自分の物語を語る」という行為に表れている。しかし2歳児の記憶はまだまだ断片的で、自分の記憶がストーリーとして繋がっていくには、聞き手との共同作業が必要だと著者は言う。大人とのやり取りの中で自分の物語を作っていき、そしてその過程と物語の共有に精神的安定を感じるのであろう。著者は、この忙しい現代に親も子供も時間がなく、家に帰れば寝るばかりで、親子で共通の経験を共有する時間がなくなってきており、そのことが心からの安定感を持てないことを意味するかもしれない、と指摘している。これは、何も2歳児のみに当てはまるものではないだろう。現代社会の歪と不安定さを心理学の眼から鋭く指摘しているといえよう。

さてこの自己の領域を守ろうとする2歳児は、他の子供たちとどのような経験を積んで、他者を受け入れていくのであろうか。本書では、「相手を受容し、受容されるから依頼することもできる。そういう経験を積んで、「関われる」という自信と、自分を受け入れてくれる友達への信頼感や友だちを大切に感じる気持ちを高めて、自我領域の頑なさを脱していくのが、二歳児の一年間ではないかと思います」(p116)と具体的な保育の事例と共に書かれている。

急に難しくなった、と感じることが多い2歳児であるが、その裏側には、こんなにも豊かな成長と他者との関係づくりが出来上がりつつあったのか、と思い知らされる一冊。本書の視点に立てば、面倒なわがまま、と思っていたようなわが娘の行動や発言も、成長として温かく見守ってやりたい、という気持ちにさせてくれる。表題が「伝わるこころ」とあるのは、2歳児には伝わる心が備わっており、その子の豊かな成長は、あとは大人や他の子供たちとの関係の中で、経験を共有しようという働きかけがあるかないか次第だ、と言っているように思える。信頼関係や物語の共有といった関係が、2歳児を大きく育ててくれるのであろう。すべての2歳児を持つ親に本書を強く薦めます。良書。
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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

メールは
taya.tアットマークnifty.com
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(アットマークを@に置き換えて送信ください)

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