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洞爺湖サミットが始まった。
これが終われば、まっているのは解散総選挙。
それに想いを馳せながら、
かつてアレジャン集落で行われた素朴でありながら民主的な選挙を紹介したい。


選挙編

pemilu memberi suara


 1998年初めインドネシアで1つの政変があった。スハルト元大統領の娘婿のクーデター未遂事件である。この事が契機になり、同5月長年独裁を続けてきたスハルト政権が倒れた。このときからインドネシアの混乱と激動が始まる事になる。

 スハルト政権が倒れた後、大統領になったのが“ブギスの星”ハビビだった。彼はインドネシア独立後初めてのジャワ人ではない民族出身の大統領だった。ブギス人の山村、我らがアレジャン集落は、このブギス人の大統領誕生に沸いた。なにかあると二言目には『ブギス人だから・・・』と蔑まれてきた彼らにとって、自分たちの歴史や伝説の英雄と同じように、ハビビの登場をみていた。ハビビは不況と混乱の中にあるインドネシアで、つぎつぎと政策を発表した。科学部門と重工業発展の政策が多かった。自分が大臣の時から手がけていた採算の合わない航空機開発にも、多額の税金を投入して周りを苦笑させたりしていた。そんな時でもアレジャンでは、航空機の必要性を声高々に説き続けるおっさんがいたりもした。しかし、彼らの殆どが飛行機など乗った事もないし、見た事も無い。

 98年は食糧難の年でもあった。干ばつと大雨が97年と98年にインドネシアを襲い、米不足になり日本からも多くの援助米が届けられた年でもある。そんなとき、ハビビ大統領は、『週に2回断食をすれば、この食糧難と経済危機を乗り越えられる』とテレビで国民に対して演説し、周りを呆れさせていた。アレジャン集落では、ハビビの断食論に賛同するものが多かった。しかし彼らの殆どが、断食の季節でもほとんど断食をした事が無い。今まで政治には無関心だったアレジャンだが、自分たちと同じ民族の大統領の登場で、政治議論の流行がうまれていた。そんな政治的加熱の中で、1999年の国民総選挙はおこなわれた。

 日本では、総選挙が行なわれても残念な事に国民の関心は低い。政治なんてどっかの誰かがやってくれるだろう、という一種の民主政治の堕落がそこにはあるのかもしれない。しかし、長年独裁政権で民主的選挙が四十数年ぶりのインドネシアでは、民主主義の若々しさを残していた。大々的な選挙キャンペーン、政治家のみえすいた多額の寄付、過熱しすぎて政党同士の喧嘩もたえなかった。政治的加熱が進んでいるアレジャン集落では、選挙に登録するためにわざわざ外国へ出稼ぎに行っていた人までが帰国する有様だった。アレジャン集落では、ブギスの星ハビビが所属するゴルカル政党を応援するものが大半だった。この頃は、村人の会話の中に、ハビビやゴルカルといった単語が入らないときは無かった。

 こうした中で選挙は行なわれた。選挙形式は比例代表区で、投票は集落ごとに行なわれた。アレジャンでは屋外バレーボール場に仮説の投票場を作り、行なわれた。選挙実行委員は村人から選出され、街から来た選挙管理委員が選挙の手順について指導にあたっていた。投票率はアレジャン住民の99%であった。高い得票率だが、驚く事は無い。これが本来の民主主義の選挙なんだよ、日本人の皆さん。投票は記述式ではない。アレジャンでは文字が書けない人も多い。これはアレジャンだけが特別なのではなく、インドネシア全体でも言えることなのだ。そのため、A4の紙に登録されている48政党のシンボルマークが印刷されており、自分の支持する政党を釘や石でシンボルマークの真ん中に穴をあけるという方法で行なわれた。これなら文字を解さない人でも、政治に参加できる。

tempat pemilu

    バレーボールコートの選挙所

投票後、即日開票というか、みんなが集まっている仮説投票場(バレーボール場)で開票が始まる。村人が見守る中、選挙委員が投票用紙を一枚一枚広げて、政党名を読み上げていき、黒板にその数を記録してゆく。ちょうど学級委員長をきめる選挙のようにだ。『ゴルカル!…ゴルカル!…ゴルカル!…』。ゴルカルの政党名が開票ごとに呼ばれていく。いちいち歓声をあげる村人。たまに『PDIP!(闘争民主党;メガワティの政党)』と呼ばれると、一斉にブーイング。それでも開票は順調に行っていた、途中までだが・・・。

buka suara

読み上げられる、投票結果

buka suara 2

皆、結果に注目する

『ゴルカル!…ゴルカル!…ゴルカル!…』。呼ばれる政党名は圧倒的にゴルカルが多かった。連呼されるゴルカルに少々飽きていた私は、選挙観戦はこれくらいにして、家に帰ろうとしていた矢先だった。『ゴルカル!………無効!…ゴルカル!……無効!』。無効票が出始めたのだ。投票用紙を見せてもらうと、無数の穴が空けられている。支持政党1つを選んで、1つだけの穴をあけなければ、無効となる。しかしその類の無効票はこの後も続いた。どよめきが村人の中で起こる。開票の結果、アレジャン集落の選挙は、ゴルカルが7割の得票率で勝利。そして第2位が…なんと、無効票で2割以上を占めていたのだ。

選挙終了後、選挙委員と村の主だった人物が、無効票について話し合いを持った。場所は、もちろんアレジャン集落長ラエチュ氏の家である。ラエチュ氏の顔もかなり険しくなっていた。なぜ無効票がこんなにも出てしまったのか?問題は投票用紙にあった。投票用紙には、A4版の紙に48政党のシンボルマークが印刷してある。このマークをひとつだけ穴をあければよいのだが、アレジャンの無効票は、無数に穴が空けられていた。投票用紙は4つ折になっていて、折り方は屏風型であった。ゴルカルのシンボルマークは、始めの折り目を開くと顔を出す。そう、お気付きの読者もいよう。アレジャンの2割を超えた無効票は、投票用紙を開ききらないで穴をあけたため、折り目の下の紙にまで穴をあけてしまった結果だった!

tempat suara

トイレではない!この中で投票用紙に穴をあける。

ゴルカルに入るはずの2割の票。これが無効に終わってしまった。この様な事がインドネシア全体であれば、選挙結果が変わってしまう。そう私は思い、村人も危惧した。翌日、私は朝一のペテペテに乗り込む。行き先は、街にある選挙管理委員会事務所。街にゆくペテペテの中で、私は激動の時代の中にいた。もし、インドネシア中でアレジャンのようなことが起こっていれば、当然選挙は無効になる。荒れるに違いない。多くの人がまた戦火に飲まれるかもしれない。のんびりと進むペテペテの中で、手に汗をかき気持ちだけが先行していた。街につき、選挙管理委員事務所を尋ねる。アレジャン集落の選挙の話をする。これから起こるだろう混乱と騒乱を予想し、顔がこわばる私。しかし、選挙管理委員事務所で取り次いでくれた役人は、冷ややかな目で、『それ、アレジャンだけです』と言った。

こうして1999年四十数年ぶりに行なわれた民主的な国民総選挙は終わった。メガワティ率いる闘争民主党が勝利し、ゴルカルは第2党となった。たとえアレジャンの無効票がゴルカルに入ろうとも、体勢は変化しないほどの差だった。ハビビが大統領になって以来、政治熱が高かったアレジャンでは、選挙後一気に冷め、選挙結果については語りたがらない人も多い。再び、村は山村らしい静けさにもどったのだった。

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田谷 徹

Author:田谷 徹
農民です。

青年海外協力隊として3年(農業指導)、大学院生(ボゴール農科大:農村社会学専攻)として2年、計5年インドネシアにいました。

あれこれ寄り道・みちくさしましたが、再び農民にもどりました。これからは日本でぼちぼちやる予定です。

生産と生活が渾然一体となった農の営みを実践する毎日を送っています。

俳句もしております。「雪解」「街」「いつき組」に所属しております。

詳しいプロフィールは、カテゴリの「プロフィール」から「ちょっと長いプロフィール」をお読みください。

メールは
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